ガトー(ショコラ)を待ちながら
どうにもならない。いや、本当にそうか。そんな固定概念に取り憑かれてはならないと思って、私は長いこと自分自身に言い聞かせてきた。
まぁ、考えてもみろ、まだ何もかもをやってみたわけではないのだ。
そう、足掻いてみる価値はあるのではないか。なぜなら私は今生ではまだ何事も成し得てはいないからだ。
——パティシエになりたい。洋菓子店の売り子でもいい。
とにかくとにかく、誰かの下でこき使われるのも、業務成績向上のためにチームのフォローに回って疲弊するのも……あとあれだ。超絶理不尽上下関係独尊の体育会系に身を落とすのも御免被る。
やっと全てから解放された二度目の人生だ。適当に飯食って適当にその他大勢の中で生きていきたい。管理職になりたいとは思わんし、著名人にも世界一にもならなくていい。平々凡々の平坦な人生を望む、大いにそう望もう。
「パティスリーの専門スクールへ進学したいか……でもねぇフォーゲルくん」
悔い改めることにしたらいいのか。何をかって? 生まれたことをさ。
孤児院育ちはハイスクール目前で社会の中に放り出される。当然学校に通うお金など持ち得ていないし、学校へ行きたかったら働いて自分で稼ぐしかない。
クソッッ、若干だが最初から詰んでる感が否めない。成功者は得てしてどのような苦境においても努力し精進し、その道を掴み取ったという美談が前世でも本が出るほどに囁かれていたが。もうマジで血の滲むような努力なぞしたくない。
であれば一旦ここは諦めて、過重労働も肉体労働もない質素に暮らすのに不自由ないホワイトな職場に就職することを目標とし、その後何かを考えればいい。
進路相談とはこうも恵まれた背景に左右されるというのか。仕方ないのかもしれない、見たところ生徒の中にも孤児院までの帰路にもどうやら貴族位を持つものが歩いているような若干レトロな街並みの国だ。衣服や設備を鑑みても、どうやら私の生きていた先進国の発展状況は時代的にまだ訪れてはいないらしい。
「とりあえず、来週に予定されている魔力審査も受けてみて……万が一適性アリとされれば視野も広がるでしょうし、そこから自分に向いている職業を探してみましょうか」
「はい……そうします」
少々落ち込んだ様子に見えたのだろう。スクールの指導員が哀れみを隠しきれてない視線を向けていることに気づく。
赤子の役割、そして弱い子供の役割は泣きつくことさ。しかし泣きつくことを落ちぶれというものも居れば、特権だというものもいる。
笑いたいものだな、この現状を。笑えるものならば。
ああとりあえず。ここ数日に訪れた統計して約40年近い人生の情報の整理には些か疲れた。脳疲労には甘いものが欲しくなるというものだ……ガトーショコラが食べたい。さっと粉糖をふって、ホイップが添えてあるとなお良い。そう、ガトーショコラが食べたい。
しかし自分が突然孤児院のキッチンに立ちたいと言ったところで、シスターは熱がないかを確認するだろうし、10歳の男児にオーブンを任せるなんてとんでもないと思うだろう。……しかもまず、チョコレートやバターが買えるほど裕福でもない。
ガトーショコラ、ガトーショコラ。私はガトーショコラを待っている。
待っているというか性急に欲している。子供の我儘と思われようがもはやそれはどうでもいい。願いが叶うならミントの葉も一枚のせたい。
そんなマッチ売りの少女ならぬ妄想をしながら、スクールからの道を一人トボトボと帰る。
ガトーショコラを作るなら……いやもし可能なら買えるとしたら。むしろ巡り巡ってどこかの裕福な善人が通りすがりにプレゼントしてくれるとしたら。今日でもいい、明日でもいい、ただ待つだけさ。
——しかし、その明日がいつになるのか、それは一向にわからないしひたすら虚しいだけでもある。
人間、そう簡単には変われない。ジタバタしても無駄だと思いつつ、心の奥底どこかで打開策をいくつも捻り出そうとしている自分がいることに気づく。
でもなぁ。せっかくのセカンドチャンスだ、苦しんでは損ではないか。
考えるだけ無意味なことをしているのかもしれない。今の私は只の10歳のアドルフ。アドルフ・カノン・フォーゲルだ。職もない只の保護されるべき対象の子供なのである。
ふと足を止める。
何気ない日常の、スクールと孤児院の往復を思い返してみる。
一本の街路樹の隣でふうと息をつく。一体自分はこんな世界に生まれ落ちて次は何をしようというのか。
どうしよう、歩いたところで寝ぐらに戻るだけである。当たり前の日常を享受するしかできぬ身の上で、何を歩き掴もうというのか。
まあ、ここにいても仕方がない。他だってだめさ。まずは自身が働ける年齢まで成長しなければならない。立ち尽くしていたって歳はとるが、夜露はしのがなければならない。
明日になれば、もしかすると、万事うまくいくかもしれない。
ある日生まれて、ある日死ぬだろう。人とはそういうものだ。それが今日かもしれないし明日かもしれない中で、実際に前の私は明日を拝めず今日を呪いながら死んでしまったわけで。
ちょっとばかり夕日が輝いた、前進するしかない。
夜を明かして、明日が来ればまたスクールへ行くのだ。
そして待つのだ。ガトー(焼き菓子)を。ガトーショコラを拝める日を。
行こうか。如何様にすれば、それを成し得るか。これくらいの努力はしても構わないだろう、なんせ自身のためにガトーショコラを食す術を探したいだけなのだから。では……行こうか、前へ。
動かない、わけにはいかない。
アドルフ・カノン・フォーゲルは二度目の人生を歩み、動き始めたばかりなのだ。
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