第一章 どうしてこうなった……!? 二周目の人生はパティシエになりたかったのに!
米かパンか、それが問題だ
「お前との婚約を破棄する!」
——なんて、美しいスチルの一幕で断罪された瞬間に記憶が戻るではなしに。高熱を出した拍子に前世の記憶を取り戻したら、なんと悪役令嬢の幼少期でした……でもなく。
隠れ攻略対象の幼馴染でもなければ、主人公の平民出身少女でもない。
何でこんな設定をつらつら並べたかというと、それこそ前世とやらでそんな設定の小説が流行っていたからだ。
王子でもなければ勇者でもなければスライムでもない。ギルドのマスターでも魔導師でもない。本音を申し上げるとするならば、少々肩透かしを喰らった気分ではある。いやまぁ忙しい上に、ゲームの類いに一切興味を持たなかった人種なもので、そこらへんの世界観に飛ばされても困ってしまうのが正直なところではあるが。
いやいやいや、しかし。しかしだ。
せめてものお情けとして、前世で鳴かず飛ばずの辛酸を嘗めまくってきた身としては、もう少し何かやりようがあったのではないのかと思う。女神の采配とか創造主の恩恵とかあっても別に良かったのではのだろうか。
——ばしゃっという、生温いスープを頭からかけられた音とショックで、まさか前世を思い出すとは誰が想像しただろうか。
「次人間に生まれたら、絶対こんな貧乏くじなぞ引かねえ……」
最期に思ったのは、多分そんな事だったと思う。
流行っていたウイルス性の感染症に部下が立て続けに罹った。それはわかる。
自宅待機、自宅療養を言い渡され皆が一週間ほどの休養に入る中、ぶっちゃけると自分も同時期に喉の違和感とストレスと発熱を抱えていた。
権利である有給休暇は受理されず、繁忙期等もお構いなしに毎月毎月誰かしらがご自由に遊びに行きたい日程でドカンと連休を取るような職場だ。そろそろ私だって自由で我儘な理由で連休を取ったところでうらみっこなしなはず。
……そう思っていたのが間違いだった。
会社から言い渡されたのは「検査に行くと結果が出るまで休まなくてはならない。正直困るし行けとは言えない、流行病ではなく重なる残業と部下の心配で喉風邪を引いたのでは?」だ。
そう、部下がこれだけ休んでるんだから休むな、ときた。動ける人員は最低人数しかいないし、お前はそんなに遊び回ってないし身体も丈夫だから違うだろうと。
店舗ごと閉めろやクソ会社め。人員をこき使った先にある、夢だの何だのの経営理想論はうんざりだ。そんな内面ドロドロの夢の国なんて誰が楽しめるか。そう思ったが実際にそれを口に出す機会も力もなく、ただただ連日解熱剤を服用し繁忙期を走り回った。
そのツケがこれだ。刺すような喉の痛みと熱感で夜はほとんど寝られず、保冷剤を首に巻いてベッドの上でやり過ごす生活が幾日も続いた。朝は意地で出勤し、何百人というお客様の対応。声は枯れて夕方には空気しか吐き出せなくなり、脳みそが茹で上がるような感覚の中帰宅していた。
部下が戻ってきたら自分も検査を受けよう、きっと陽性なはず。そして自宅待機になってもしっかり休めばまたベストなパフォーマンスでバリバリ働ける自信もあるし、休んだ分は絶対に取り返せる……文句は言わせない。そう思っていたのだ。
それが、まさか。「旅行に行くからあとは任せた」だとは。
暗に「検査は受けるな、長期休みに入られるとこっちの予定が狂ってしまうから働いてくれ」が下ったのである。クソッタレの中間管理職、絶対自分が上に立った際にはこんな思い遣りの欠片もない存在にはなるものか。
あと少し、あと少し耐えれば人間の自己修復能力でどうにか治るはずだ。
復帰してきた部下の「大丈夫ですか〜? 無理しないでくださいね」という緩すぎる心配に笑顔で返す。しかしとっくに無理の範疇を超えていたのだ。
喉が熱い、何かが刺さるように痛い……。
思えば自分の人生いつもこんなことばかりだった。根性論で正当化された体罰も理不尽も、全て耐え尽くして這い上がってきた。あの経験で身についたものと言えば、どんな環境下でも周りに不調を悟らせずに動ききる演技能力と忍耐力のみ。
正直時代遅れすぎる……!! 今何年だと思ってるんだ、AIがイラストを描き会話し、メスのいらない手術や携帯と同じ能力を腕時計で管理できる時代だぞ。
こんな生産性のない努力なんて、スティー◯・ジョブズも真っ青だ。
ああ、次生まれるなら絶対に男に生まれたい。
そして何一つ人生に役立たない我慢をせずに生きたい。
こんな、こんな惨めで苦しい人生まっぴらごめんだ……!!
激しく咳き込みベッドから起き上がりながらそう考えたところで、私の意識は浮遊感に包まれ暗闇に落ちていった——。
——というのを、このタイミングで思い出してしまった。
前世の私もまあ碌な生まれではなかった。父は無職の酒飲みで、ちょっとでもお腹が空いたと言おうものならビール瓶で殴られ引き摺り回されたものだ。
その後無事に祖父母に引き取られたものの、父親がいない幼い私は田舎の狭い社会の中で格好のいじめの標的になった。最早反骨精神と共にしか生きていなかったと言っても過言ではない。
そういえば……あの時私に頭から給食の味噌汁をかけたのは、隣の団地に住むカズシって奴だったな。許さん、何が許せないかって味噌汁は食べ物だ、人に嫌がらせをするために引っ掛けるモノじゃない。
——おっと、話が逸れたな。
兎にも角にも、現在の私は学び舎の中で、それこそ昼食の時間だった。
コンソメの塩気が若干目に滲みる中で、私は前世を含めた現状……即ち過労死し、どうやら異世界に転生してしまったらしいことをコンマ数秒のうちに理解してしまったのである。
「は?」
怒りではなく、純粋に口から疑問符が出た。
目の前で空になった皿を持つ手を震わせているのは、どう見たって十かそこらのクソガキである。
そしてどう見てもこの机の高さに、その正面に座る自分の位置に。そして周りの光景に、虚を衝いて出た自分の肉声の若々しさに、改めて自分が何なのかを認識する。
——自分もまた、十かそこらのクソガキなのだということに。
「アドルフが悪いんだ」
今にも追撃の一手を喰らわさんと思案しているかのように、唇を震わせながら目の前の男児がそう口にした。
そうだ、私はアドルフ。アドルフ・カノン・フォーゲル、十歳だ。
「こいつ、親もいないくせに生意気だから」
ぷいとそっぽを向くクソガキの発言に、おいおい勘弁してくれよと思わず口にしそうになって——やめた。
そんなガキのちっぽけな意地悪に構ってられないほど、現状を把握した私の脳内は過去と現在の映像と情報のすり合わせに時間を要していたからだ。
目の前にあるのはクリームソースのかかったふかし芋とスープの皿が置かれていた空間(既にクソガキの手により空になっている)、そして横を見れど後ろを見渡せど、パン、パン、ジャガイモ……。欧米か、いや寧ろ欧州か。
今までは何となしに過ごしていた日常に、ふとした疑問が生じてしまう。
「おい、この国に米はあるか?」
「は?」
殴りかかりもしなければ、泣きもしない私に怪訝な表情が返ってくる。
問いかけた眼前のクソガキは何やら意味不明とばかりに喚いているが、私が求めた答えとは明らかに違うものであった。胸ぐらを掴み上げても良かったが、ここは大人の対応としようと平然と無視をしくるりと周囲を伺う。騒ぎに気付いた年若い女性が一名、私の顔を拭こうとタオルを持って寄ってきていたところである。
私はそのタオルを自ら受け取り、恐らく今思い出せる最期の記憶での私の年齢と同等であろうその女性に問うた。
「すみません、この国にお米という食べ物はありますか?」
アドルフ・カノン・フォーゲル、十歳。
孤児院育ちということよりも、前世の永久二番手スポーツ女から男児へと転生してしまったことよりも。
卵かけごはんとお茶漬けの概念が一般的でない国に生まれ落ちたことを知り、「何でだよぉおおおおお」と皆が驚くのも憚らずに絶叫。教室のど真ん中で、小児ならではの柔軟性を存分に発揮したブリッジを披露してしまうのだった——。
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