第二部 集いて膨らみ襲“かさ”なる怨念の行方 第三章 切迫
【猶予無き不安と混乱の影で、二人の刑事はその日に向かう】
1
‐次の日‐
朝方。 まだ、冬の寒さが厳しい。 彼方が白む空に、まだ星も見えている。
「ふぅ・・ふぅぅ」
個室の病室内で、微かな呻きが響く。
(これで・・よっ・漸く…。 この・ぶ・ぶぶ・んだと、・・・後・・四・五日は・ひつ)
悶える木葉刑事は、腹に巻いた長い御札を剥がす為に。 脱力と疲労困憊で動かせない身体をよじり、利き手で必死に手繰ろうとする。
寡黙神主の話以上に、‘瘴気’《しょうき》と云う怨念のエネルギーに冒された身体は痛めつけられていた。
清められた紙に、
(気を・・うし・なうま・・ぇぇぇぇぇ…)
滑りを持った御札を、その弱った身体で枕の下に押し込めるまでは、絶対に気を失えない。
瘴気を吸い出す反動で齎されるのは、この数日間を毎日、看護士が医師を呼ぶ結果だ。 気絶している様だし、脈や呼吸が弱まっている。 失禁もしているし、状態が急変している様にも見えるのだ。
だが、確実に皮膚の色が元に戻る。 痣が消えた肌の部分が火照る木葉刑事を医師も看て、一応は回復しているのだと診断する。
(ふぅぅぅ・・・上半身は・・おっ、終わった)
へばった木葉刑事は、上半身を裸のままに意識を失った。
さて、この使い古した御札だが。 毎日、誰かに棄てて貰っている。 初日は、看護士に見つかって訝しく思われた為。 次の日に来た里谷捜査員に頼んでいたが。 順子が来る時は、彼女がそっと捨ててくれていた。
時に順子は、液体が出る訳でも無い歪んだ御札の滑りに、ある種の興味すら持ったが。
里谷捜査員は、鵲参事官の存在を教えてくれるならと、前向きにやってくれて居る。
然し、今日は…。
「木葉クン、木葉クンっ」
昼下がりの午後に成って、聞き覚えの在る声に目を覚ました木葉刑事は、
「せ・先生?」
と、呟いた。
最も、心が通う人物の登場だから、
「先生・・おね・がいが…」
と、御札を捨てて貰える様に頼んだ木葉刑事。
越智水医師は枕の下に手を入れて、変形した御札を引き抜くと。
「順子クンの云っていたのは、コレかね。 ふむ、確かに視える者が視たならば、怨念の力が蟠っていると解る」
こう言った越智水医師は、木葉刑事の身体を見て。
「あれだけ染まった皮膚の痣が、既にこんなにも元へ戻るとは・・。 流石に、君が見込んだ神主さんだけ在るね」
と、御札の効果を実感した。
一方、上半身から痣が無くなり、漸く身体に力が入り始める木葉刑事は、猛烈に空腹を感じる様に成って来た。
「先生・・それから・な、何か・たべ・・食べる物を…」
と、頼む。
「解った」
これも、既に順子から聞いて知っていた越智水医師。
御札のお陰か、血の巡りが良くなる身体の領域が増えるに従って筋肉等、肉体の再生が加速しているらしいが。 痩せ形の木葉刑事の全身には、その回復するエネルギーが足らないらしい。 弁当二つぐらいは、平気で平らげると聞いていた。
外のコンビニにて、唐揚げ弁当と豚の生姜焼き弁当を既に買い入れた越智水医師。 それを木葉刑事に差し入れしてから廊下の外のごみ箱へ、御札を捨てて来ると。
「先生、濃い・味の弁当を、あ・・りがとうございます。 病院の食事は、・・今の自分には・・・前菜すら・なっ、ならないみたいで…」
辿々しい口調とは裏腹に、筋肉痛と慢性疲労で動きの鈍い身体ながら、木葉刑事は弁当を貪り始めた。
その姿を見る越智水医師は、正に身体は回復していると解る。 だが、本日に木葉刑事の元へ来た越智水医師は、相談が有って来たのだ。 丸い鼎立の椅子を置き、ベッドの脇に座った越智水医師は。
「なぁ、木葉クン。 古川さんの事なんだが…。 連絡を付けてくれないか?」
こう打診すると。
食べる手を止めた木葉刑事は、口の中のものを飲み込んで。
「先生が・・何故?」
問われた越智水医師だが。 その顔は、不安そのもので。
「いや、ちょっと不安なんだよ。 一昨日、古川さんから電話を貰ってね」
「フルさんが・・せっ先生に?」
「うん・・。 変わった事に、あの悪霊について聴いて来たんだよ」
その話に、眠たい様に半開きだった木葉刑事の目が、ギュッと凝らされたではないか。
然し、不思議がる越智水医師の話は、更に続いて。
「普通、私より君に聴く方が、ずっと正解な気がするしね。 何よりも、悪霊を視えない古川さんが、聴いてどうするのか…」
「先生・・、今日は・お、お休み・・ですか?」
尋ね返された越智水医師は、腕時計を見て。
「いや、3時からオペなどが入っている。 明日と明後日は、ゆっくり出来るんだが」
すると木葉刑事は、越智水医師を強い視線で見返し。
「先生・・、あ・明日に、もう一度・・・来てっ、い・頂け・ま・ませんか?」
「明日?」
「じ、重要な・・話が」
木葉刑事の様子から、越智水医師も何かを悟る。 余りにも衝撃的な事を聞かされては、今日に差し支える気もして。
「解った。 また、明日に来よう。 古川さんの事は、君も色々と考えている様だね」
時間の余りない越智水医師は、直ぐに立ち上がる。
木葉刑事は、古川刑事の娘。 詩織の事だけは気に掛けて欲しいと言った。
さて、同時刻。 昼下がりの午後。
久しぶりに快晴と成る空を見上げた古川刑事。 その姿は黒い礼服姿にコートと普段の仕事の姿に非ず。 仕事では無い彼は、本日は何故か目黒区に在る日本家屋を訪ねていた。 狭い庭だが、池から眺む庭の様相は、小さくとも日本庭園そのもので。 裏庭の苔むした岩の並びは、味わい深いものが在った。
さて、その家を訪ねた古川刑事。 老いた老女の案内で入ったのは、屋敷の東側。 縁側の窓は閉まっているが、中庭を望める様に外の木戸が開かれた応接間にて。 12畳の部屋で、禿げ頭の強面な古川刑事と、灰色の髪をした和服姿の厳めしい老人が、立派な机を挟んで対面していた。
古川刑事は、コートを脱いで礼服姿だが。 ネクタイは変わって無く、昨日から家に帰って無いままらしい。
また、厳めしい老人は、和世の父親だが。 一番に嫌いな人物の訪問に、厳めしい顔を更に怖くしていた。
その、老人が。
「古川君、もう仕事に出ているのかね?」
と、世間話から入った。
嫌いだが、和世が愛した人物で在り。 所轄の刑事ながら、その実力は確かにと頷ける実績を持つ。 然も、詩織の事を考えると、喧嘩をする訳には行かない祖父の心情から、こう入ったのだ。
対する古川刑事は、先ず頭を下げて。
「昨日より、仕事に戻りました。 つきまして、本日に先生の元をお訪ねしたのは、詩織を頼みたく参りました」
その返事を聴いた老人は、目を見開いたギョッとした様子と変わり。
「詩織を、私に・・と?」
顔を上げた古川刑事は、腹を割ってある程度までの事を全て打ち明けたいと思っていた。
「はい。 実は、私達ども親子が住むアパートは、築50年が経過した古い建物でして。 私の甥の一家が経営していますが、新たに建て替えるべく、夏に取り壊しが決まっております」
「ほぉ」
「和世とは、新しく新築されたマンションに住む予定で。 一時、余所にアパートを借りようと話して居ましたが、こんな事になりました次第です」
だが、古川刑事の様子に、不気味な安心感を覚える老人。
「して、詩織を何故に?」
「実は、警察官の入れるアパートに入ろうと、こう思いまして。 然し、詩織は来年に受験を控え、何でも法律を学びたいと言ってます」
「何とっ、詩織が、か?」
「はい。 詩織は、見ての通りで和世に似ています。 頭も、同じ様でして…」
恐縮する様に云う古川刑事だが。 実際に詩織が賢いのは、父親に似たのだろう。 和世は、芸術感覚にはとても優れているが、法律は苦手だった。
然し、法律家の権威で在る老人は、祖父としてこれほどに喜ばしいものも無い。
「そうか、あの詩織が・・私と同じ道を」
「先生。 ですので、来年一年。 受験が終わるまで、詩織を預かって頂けませんか? あの子には、未来に向かって落ち着ける場所が、どうしても必要と思います。 私も、定年までの残り4~5年は、刑事としての不安定な勤務が続きます。 新しくマンションが出来上がるまでに、居候が伸びるかも知れませんが…」
古川刑事の話を聴いて、祖父と成る老人は安心を得た。
(未来の話や詩織の先行きを案ずる処から視て、復讐はしない様だな。 それならば良い、それならば…)
この老人は、ある種の石頭な人物だ。 物理的なものは信じても、非科学的な事など信じない性格の老人。 古川刑事が、既に悪霊を遣うと云う委託殺人にその手を染めたなど、全く、毛頭も考える事も出来ない。
「うむ。 詩織には、確かに古川君の云う通り、勉強に励む環境が必要だな。 亡くなった和世も、詩織の行く末は心配な筈。 私は、法律以外の取り得が無い人間だから、出来る事が有って嬉しい限りよ」
と、喜び始めた。
だが、古川刑事には、これから先に起こり得る未来に、一抹の不安も在る訳で…。
「処で・・、先生」
「ん?」
「これから話す事は、詩織には勿論。 結果が見えるまで他言無用でお願いします…」
古川刑事の声が、軽く緊張した。
双方に出された茶に、先に手を伸ばした老人だが。
「何事か?」
「はい。 実は、和世の事件の事なんですが…」
「まさか、犯人が解ったのかっ?!」
やはり、こうゆう処は親で在る。 勘当したとは云え、轢き逃げされては悔しいにも程が在る。 実は、自分の子供の中でも長女と成った和世は、この老人にしても1番に可愛かった娘で在った事に変わりは無いのだから。
「実は、その犯人なのですが、外交特権に守られた人物らしいので」
「何とっ、何処ぞの国の大使か誰かかっ?!!」
「はい。 その、家族らしいと…」
すると、国の重要な法案や法律作成に関わった人物だけ在る。
「うぬぬ・・、おいそれと逮捕の出来ない奴めかっ!」
と、苛立っては。
「古川君っ、何処の誰か?」
こう問うので在る。
古川刑事の応えに、老人は湯呑み茶碗を投げつけんばかりに握り締め。
「あの国かっ。 今の政府の奴らでは、事業を優先するに決まっているではないかっ!」
と、激怒する。
古川刑事は、今も刑事達が証拠固めからジワジワと追い詰めてはいるものの、指名手配までは日が掛かると説明し。
「我々、刑事一同は、組織に組しても下っ端で御座いますが。 何年掛かっても、犯人を追う所存です。 ですので、逮捕するそれまでは暫く、御時間を頂きたく」
すると、老人は熱を帯びて。
「よく言ったっ! 古川君、君はやはり刑事だ。 和世の仇は、君らに任せる。 その様な事態なれば、長期戦は必至。 春先の事業開始までは、政府など頼りに成らんからなっ」
「はい。 ですので、先生。 その事が公に成るまでは、詩織には…」
「みなまで云うな、解った。 詩織に、無用な心配を与えるなど、儂から嫌だわい」
事件を踏まえ、これまでその存在を訝しんでいた老人が、古川刑事の願いを受け入れた。
古川刑事より話を聴いたこの老人も、時には法学者として政治的な権威も帯びた地位に居ただけは有る。 様々な流れを語り合い、何よりも守るべきは孫の詩織と確認し合う。
そして、和世の実家を出た古川刑事は、スマホを見て。
(嗚呼、木葉・・。 やはり、お前はもう…)
メールの相手を見て、自分の思惑を看破した青年刑事の存在に、小さな不安と喜びを感じる。
(お前が治る頃には…)
三住刑事との待ち合わせ場所に向かう古川刑事は、もう後戻りが出来ないと覚悟した。
そして、その夜だ。
古川刑事のアパートに、夕方から夜へと変わる頃。 古川刑事が、フラッと云う感じで帰って来た。
「お父さん、帰ったの?」
古臭い畳の部屋が4つ在るアパートだが。 和世と二人の人生を始めた、このアパートに戻った古川刑事。 娘の存在しか無いのが、酷く寂しい感じがする。
「あぁ、お前に話も有ってな。 今日は、早めに交代して貰った」
白いセーターに穿き慣れた黒のジーンズ姿の詩織は、小さいが鍋にしようとしていて。
「今、お鍋を作ってるんだけど…」
狭い玄関から台所が丸見えの居間の前に上がった古川刑事。
「食べながらでいいさ。 先に、風呂に入る」
普段以上に穏やかな父親の様子に、詩織は返って不安が芽吹く。
(お父さん、大丈夫かな…)
心配に成る詩織だが、
「一応、15分だけ沸かしたよ」
と、云い。
居間に入る古川刑事は、
「解った」
と、普段以上に穏やかな声音で言った。
さて、鶏鍋を挟んで、食事をし始めた二人。 ちょっと前は、詩織と和世が、具材についてあ~だこ~だ言い合う風景が在った筈だが。 今は、グツグツと煮える鍋の音だけがする。
貰い物の焼酎を呑む古川刑事は、トレーナー上下の姿に変わり。
「外が寒いから、鍋はいいな」
と、箸を伸ばす。
「うん。 元気なら、木葉さんも呼びたかったね」
「フン。 あんな動けもしねぇ病人に、こんな豪華な鍋なんざ、贅沢だよ」
意地悪くも笑って言う古川刑事。
苦笑いする詩織で。
「お父さんは木葉さんに対して、三住さん以上に厳しいわ」
詩織に指摘されて、意味なく笑う古川刑事。
「ま、和世のお気に入りだからな。 汁ぐらいは、飯に掛けてやってもいい」
「お父さん。 犬みたいに言わないで」
古いタイプの人間となる古川刑事だから、こんな悪態も平気で口から吐く。
然し、そこから軽く鍋を突つくと。
「なぁ、詩織」
と、焼酎を汲みながら、古川刑事が言う。
「ん?」
野菜を食べる詩織は、話の本題が来たと解ったが。 構える様子も無く、自然に返した。
「実は、これは捜査情報も入るから、余り詳しく話せないんだが。 入院してる木葉が絡んでた事件の一部が、父さんの管轄にも関わり始めたんだ」
‘首無し事件’と、‘首在り惨殺事件’の事と知る詩織で。
「じゃ、これから忙しくなるね」
刑事の娘だから、その辺は心得ている詩織。
「うん。 それに、夏までには、一旦このアパートを離れなきゃならんから。 詩織は、今週末から義父さんの家に行きなさい」
唐突な話で、流石に詩織も箸を止める。
「お父さんは?」
「それなんだが、一時だけ警察官の入れる一人用の部屋を借りる。 新しいマンションが出来たら、また一緒に住む事に成るが。 お前が大学に受かったなら、大学から近い場所に二人で住むアパートを借りてもいい」
「このアパートは老朽化が酷いって、もう転居を打診されてるもんね」
「そうさな。 思い出は沢山・・沢山在るが、もう住んでるのは、我々を含め三家族。 早く退去すれば、甥の方も取り壊しが前倒し出来るだろう」
「下の速水さんも、来月には引っ越しちゃうし。 ウチも、早くした方がイイんだね」
「あぁ。 和世がこんな事に成った直後で、詩織には悪いが。 義父さんの方なら、マスコミもおいそれと手荒い真似は出来ないし。 父さんも、安心して仕事が出来る」
と、言った後。
「詩織、宜しく頼む」
こう言って、頭を下げた。
父親の姿に、詩織もまた成長すべき時を感じる。
「お父さん。 それは、解ったわ。 でも、私が婚約者を連れて来るまでは、ちゃんと側に居てよ」
詩織の話に、顔を上げた古川刑事は。
「それは構わないが、チャラチャラした奴なんぞ連れて来たら、‘現逮’するぞ」
と、半分父親、半分刑事の顔に変わる。
すると、詩織は尋ねる様に。
「ね。 木葉さんは?」
言われた瞬間、古川刑事の顔が苛立った。
「あんなヒョロヒョロした棒にっ、お前が守れるかっ! カレハみたいな面した奴は、絶対に認めるかっ」
と、怒り始める。
別に、詩織は守られる必要は無く。
「お父さん、守ってくれる必要なんて無いわ。 寧ろ、木葉さんって、誰か守ってあげないと…」
「ウルセェっ。 あんな変人は、守る甲斐も無ぇよっ」
「お父さん、何で木葉さんの事に成ると、そんな風に成るのよ。 お母さんだって、悪い人じゃ無いって…」
すると、一気に焼酎を呷る古川刑事。
「お前も、和世も、アイツに甘いんだっ。 それが、アイツの算段だぞ! あんなに手柄を挙げる一端の刑事が、そんな弱い訳が在るめぇっ」
生じ、和世が受け入れた木葉刑事。 詩織との関係が容易に想像する事が出来るだけに、瞬時に所帯染みて来て気に入らない。
(選りに選って、木葉かよっ)
本題は、すんなり終わったが。 後の駄話で、ムカムカした古川刑事だった。
だが、他に詩織を頼むなら真っ先に思い浮かぶのは、他でもなく木葉刑事で在るのは古川刑事の本音。 信頼するだけに、妙な気分と成った。
[カウントダウン:運命のその日まで、残り7日]
‐次の日‐
この日の木葉刑事は、前日の夜に敢えて痣との境目にのみ御札を巻いて。 気絶しない様して、越智水医師を待っていた。
午前10時頃。 本日は、早めの回診が終わったので、木葉刑事は身動ぎもせずにベットへ座り、越智水医師を待っていた。
其処へ、やはり不穏な空気を感じていたのか、越智水医師も早めに病室へと入って来た。
「あ、先生・・」
さめざめした明かりの灯って無い部屋は、冷厳にして張り詰めた緊張感が支配する。
ベットの縁に座る椅子を置いた越智水医師は、二人分の温かい紅茶の缶を持ち込み。
「木葉クン、差し入れだ」
と、高カロリーな弁当を差し出した。
「ありがとうございます」
ベットの上に台を出してその物が置かれると。 木葉刑事は、越智水医師に切り出した。
「先生。 フルさんの事ですが」
姿勢を正した越智水医師は、珍しく暗い紺色のスーツ姿で。
「それだ。 連絡は付いたかい?」
「いえ。 電話はおろか、メールも返信されません」
「え?」
驚く越智水医師に、木葉刑事は窓に目を移し曇り空の外を見ると。
「先生、もしかすると…」
「ん?」
「フルさんは、奥さんの・・和世さんの仇を、悪霊に頼んで討つ気かも知れません」
木葉刑事の危惧する事を聴いた越智水医師は、とんでもない事だと席を立つ。
「あ"っ、何て事だっ」
慌てる越智水医師だが、木葉刑事は落ち着き払っていて。
「先生、今更に動いても無駄です」
悪霊を遣って復讐をするかも知れないと聴いては、古川刑事と直接でも会う気に成った越智水医師。 娘の居る親同士で、詩織の行く末も心配に成る。
「木葉クンっ、何を暢気にっ! 止めなければっ」
と、外へ出ようとする越智水医師だが。
「無駄です。 既に悪霊と繋がっているならば、今更に注意したって回避は無理です」
ドアまて行った越智水医師は、木葉刑事の言った事に理解が行くだけに。 ドア前から翻っては、ベットに戻り。
「だがっ、彼にはまだ娘さんが居るっ。 繋がって無いならばっ、止めなければならないだろうっ?」
自分も親で、同じ愛妻家。 もしかしたら、自分の妻が亡くなったらと想うと、同じ事をしないとも言えない。 だから、木葉刑事の言った事が、すんなり受け入れられたのだ。
然し、全く動じていない様子の木葉刑事で。
「先生、座って下さい。 おそらく、フルさんに掛け合っても無駄です。 自分を拒絶するのは、寧ろ復讐が終わるまでは、邪魔されたく無い為だと思います」
「だ・だが…」
「先生。 視える先生が行っても、あの悪霊と化した霊体に、成す術が在りますか?」
静かに問われた越智水医師は、つい先日も遺体が首と共に見つかっただけに。
「だが、君にどうにか出来るのかい? もし、契約が成功して繋がったなら、古川さんは…」
その言わんとする意味は、木葉刑事の方が十二分に理解している。
「先生。 言った処で、結果は変わりませんよ。 昨夜、フルさんの奥さんの事件で、悪い情報を知りました。 刑事として、筋金の入ったフルさんですが。 犯人を捕まえられないと成ったら、話は変わって来ます」
話を聴いた越智水医師は、目を凝らして木葉刑事を凝視した。
「木葉・・クン、それは一体どう……」
捜査情報だから、木葉刑事もおいそれと全てを話せないので。
「先生なら、こう言うと解って頂けると思います。 外国人でも、特殊な特権に守られた方が居る…」
すると、越智水医師が顔を手で抑える。
「な、何て事だっ。 外交特権・・、海外にでも出られたら、打つ手が限られる」
木葉刑事は、古川刑事と云う人物を知るだけに。
「フルさんは、あの見た通りに筋金入りの刑事です。 復讐をしておいて、御自分を許すなどしないでしょう。 ‘罪と罰’を知る人ですから、自分にも罰が下るこの可能性は、寧ろ願ったり適ったり…」
絶望的な想定と想う越智水医師は、力を失って椅子に砕ける様に座った。
木葉刑事は、そんな越智水医師を見ると。
「先生。 実は、お願いが在ります」
「な・・何かね?」
「フルさんの事は、悪霊と繋がってしまったのならば対処が難しいので。 今は、ひとまずそっとしておいて下さい。 それよりも、代わりに詩織ちゃんと会って下さい。 自分からの香典を持って行って下されば、理由は完璧でしょう」
木葉刑事に顔を向けた越智水医師は、一体どうすれば良いのか解らない。
「だが・・、何の為に?」
「フルさんは、先生と同じ人間です。 自分や先生と関係も有りますし、幽霊の存在も理解している。 あの悪霊に自分が呪われたならば、必ず詩織ちゃんを自身から遠ざける筈」
「それは解るよ。 で?」
「それに詩織ちゃんならば、今のフルさんを知ってますから。 ですから、詩織ちゃんに会えば…」
「そうか、娘さんを通じて…」
「はい。 それから、先ずはアパートの前から電話を下さい。 呪われたフルさんが居たならば、もしかして感じられるかも知れません」
こう相談された越智水医師は、木葉刑事を見詰めた。
「木葉クン、君は・・覚悟しているのか? 最悪の事態を…」
すると、窓の外を見る木葉刑事は、静かに一つ頷いた。
「自分を知るフルさんの最も大切なものは、詩織ちゃんと和世さんです。 その一人を無惨に殺され、フルさんの、警察の捜査の手が届かない場所に犯人が・・。 卑怯に、自分自身が助かる方法ならば、フルさんは助からない様にします。 だが、呪う事とは、自滅の理。 復讐を成すと決めたなら、フルさんはその自滅する方法を選ぶと思いました」
「木葉クン…」
慌てふためいた自分より、ベットから動けない彼の方が、真剣に全身全霊を賭して事態に臨んでいた。
「木葉クン、話は解った。 よし。 今日、これから詩織さんに会ってみよう」
ベットの上で、頭を下げた木葉刑事は、財布を取って貰い。 兼ねてから降ろして有ったお金の半分を包んだ。
病室を出た越智水医師は階段付近にて、黒いスーツ姿にサングラスをした女性を見る。
(この人物は、誰かの見舞いかな? 捜査員かも知れないが、警察病院とは中々に不思議な場所だね)
こう思いながら、階段へと消えて行く越智水医師。
然し、それを見送る黒いスーツ姿の女性は…。
«今、見舞い客が一人、何処かへ帰る。 駅まで尾行せよ。 但し、大学の准教授だ。 此方の存在がバレる様な接触は、禁ずる»
襟裏に在る小型マイクに向かってこう言う女性に。
«了解»
と、左耳へ通信が入る。
尾行される、そんな事など露と知らない越智水医師は、警察病院の最寄り駅から地下鉄を乗り繋ぎ。 古川刑事の家に向かった。
埼玉との境に近い場所で、4LDKの中古アパート。 このアパートの大家は、古川刑事の親戚だ。
また、事実。 今、結婚して夫婦で経営に勤しむ甥だが、素行の悪かった青年の頃から色々と古川刑事には世話に成り。 真面目に成ってからは、良き相談者として古川刑事を頼っていた。 マンションと成っても、古川刑事の為に一部屋は必ず空けるとしたのも、その経緯が在るからで或る。
もう、夕暮れの暗がり時に、ブロック塀に囲まれた敷地内へ越智水医師は入り。 砂利敷きの狭い駐車場を通って、二階に上がる階段へと向かう途中にて。
(おや、此処には不釣り合いな高級車だ…)
海外などの映像では、要人を乗せる様な黒い高級車が停めて在り。 その車へと、上質な黒いブランドのスーツ姿をした外国人が、運転手とも思えない、シークレットサービスの様な立ち振る舞いとなる外国人男性にドアを開けさせては、後部座席に乗って行くのだ。
この場には、明らかに似合わない光景で在る。
だが、此処は東京。 越智水医師の若き頃を過ごした田舎ならまだしも、大都会となればそれも有り得る。
(ふぅ、今日も寒いな)
白い息を吐く越智水医師は、カンカンと音を立てて鉄製の古臭い階段を上っては、各部屋の入り口が並ぶ通路に入る。
然し、やはり高級車と外国人の事が気になった。 見下ろす形に成ると、まだ車が停まっている。
(外国人・・。 木葉クンの話からして、心配が尽きないな…)
今の客が、見た越智水医師には、不協和音の様な不安の連鎖に繋がる。
さて、古川刑事の部屋に、既に明かりが灯っている。 その事を通路側から窓越しに見た越智水医師は、呼び鈴を鳴らした後に。
「こんばんは、夕方遅くにすいません。 先日、通夜とお葬式の際に、御焼香させて貰った越智水ですが」
白い木製のドアに、こう声を掛けると。
「はい…」
と、声がして、少しドアが開く。
越智水医師の目に、ちょっと不機嫌そうで、不信感が在り在りとする若い女性の声がした。
待つ越智水医師の前で、また少しドアが動いては半開きとなり。
「あの、何か…」
見覚えの在る少女が、顔を見せるではないか。 古川刑事の顔を見知ると、直ぐには娘とは思えないが。 今時のアイドルとなる美少女とも思える様な容姿の娘が、少しだけ顔を覗かせた。
この越智水医師は、医師としての時と、普段の姿が少し変わる。 その為か、詩織は直ぐに気付かない。
一礼する越智水医師は、
「私は、木葉刑事の知り合いで…」
と、告げた時。
ガバッとドアが開き、美少女は裸足のままに出て来た。
「木葉さんって・・、何か在ったんですかっ?」
フードの付いたグレーのトレーナーに、部屋着のジーンズを穿いて。 長い黒髪を背中に下ろすその娘だが。 明らかにこの美少女には、木葉刑事が友人と言える感情が、今の一瞬に凝縮して覗けた。
彼女の慌てた様子に、返って穏やかに笑う越智水医師。
「安心して欲しい。 そうじゃなくて、木葉刑事から御香典を預かって来たんだ。 古川さんの事や、貴女の事を心配していたのでね」
すると、漸く見覚えが在る越智水医師に、頭を下げて来る娘の詩織。
「すみません。 通夜の時からいらしてくれた、あ・・お医者さんでしたよね」
「覚えていてくれましたか」
「はい。 あ、玄関先で御待たせまして。 どうぞ、中に」
「はい、失礼します」
詩織の誘導で部屋に上がり、遺影だけの小さい仏壇に御焼香をさせて貰った越智水医師。 軽くお経も一緒に挙げさせて貰ってから、御香典を彼女に差し出した。
香典の中身を見た詩織は、
「まぁ、木葉さんたら・・。 怪我してて、お金も必要なのに。 こんなに出してくれなくたって、別にいいのに…」
その言葉を言う彼女の姿に、彼女と木葉刑事の培う親しさが窺えた。
「木葉クンも、去年の12月の中頃か。 あの怪我を負った際に、先輩の刑事さんで一緒に組んでいた人物を、惜しくも亡くしている。 連続して知り合いを亡くしているから、悲しみも深いのだよ」
越智水医師の話に、詩織は香典を抱き締め。
「木葉さんの・・出してくれたお金だから、素直に頂きますね。 さっきは、理解の出来ない大金を積まれて、怒ったんです」
と、言うではないか。
越智水医師の脳裏に、あの高級車と外国人が浮かぶ。
「それは、今し方に外に停まってた…」
同意として頷いた詩織。
「御香典って言って、1000万円も出すなんて…」
「え゛っ? い、1000万円も?」
流石の金額に、突拍子も無いと驚いた越智水医師。
また頷いた詩織は、怒りを孕む眼をして越智水医師を見上げると。
「お通夜やお葬式も出ないで、いきなり‘済まなかった’って1000万円…。 あの人、絶対に犯人を知ってるんだわっ! お金を積むぐらいなら、犯人を警察に突き出しなさいってっ、憤って・・・言っちゃったんです」
正座して頷き返す越智水医師は、確かにそれは当然と。
「古川さんは、まだ帰ってない様だけど。 下手すると、貴女一人と云う事を知っていて。 態と、相手も来たのかも知れないね」
こう言った越智水医師だが。 部屋に入って直ぐ、随分と部屋が片付いていると感じていたので。
「然し、この御部屋は、整理が行き届いているね」
遠回しな言い方をしたが、空き部屋に近いと云いたかったのだ。
この話には、母親の遺影を見る詩織で在り。
「週末から、私だけ祖父の家に引っ越すんです。 父が、法律の勉強をするならば、祖父に教わり為さいって…」
「ほう。 貴女のお祖父さんは、御葬式でお見かけしましたが。 法曹界の方なんだね。 新聞か何かで、お見かけした顔だった様な…」
「はい。 もう高齢で、祖母とお手伝いさんと、三人暮らしなのですが。 お母さんの遺骨も、近い場所に入りましたし…」
「じぁ、古川さんは、一時は一人暮らしに成るんだね」
俯く詩織は、その質問を様子から肯定した。
「私は、このアパートに父と居たいんですが。 老朽化の酷いこのアパートは、夏に壊されて。 マンションを新築するんだそうです。 だから、お父さんも、直に出て行くと…」
「そう・・か」
越智水医師は、同じく亡くなった和世さんの遺影を見る。
すると、詩織から。
「あの・・」
と、探る様な声がする。
「ん?」
前を向いた越智水医師と、詩織の眼が合う。
「今度・・一緒に、木葉さんの所に、面会に行かせてくれませんか? 警察病院って、私なんかが面会に行っていいか、良く解らなくて…」
「ふむ。 場所が解っているなら、一人でも大丈夫だよ。 木葉クンが面会謝絶にしない限り、誰も止められないよ」
すると、詩織に笑顔が浮かぶ。
「本当に? 高校生でも、大丈夫ですか?」
念を押す様に頷いた越智水医師で在り。
「古川さんは、もう何度も来ているからね。 もし、誰かに怪しまれる様ならば、お父さんの事を言うといい。 独りが長い木葉クンには、寧ろ良い薬に成るだろう」
越智水医師の意見を聴いて、とても嬉しそうに頷いた詩織。
「お父さんは、悲しみを紛らわせる様に仕事に打ち込んでるし。 私だけでも、木葉さんのお見舞いしたいんです」
こう語る詩織の様子には、親しみと何らかの慕う雰囲気も見えた。
だが、この時に。 越智水医師の脳裏へ、また不安が蘇って来る。
(奥さんと娘さんを大切にしていた古川さんが、この大変な時に家へ帰らない・・。 然も、娘さんだけを遠ざけてるみたいに、親戚へ…)
昼前に聴いた木葉刑事の予感は、嫌な予想だ。 まさか、古川刑事があの悪霊と、自分から望んで接触しようとするなど…。
然し、然しだ。 不気味な高額の香典代を持って来た外国人といい、不審な出来事が起こっている訳だから…。
「そうだ、詩織さん。 木葉刑事の連絡先は、知ってるかな? 私のものと含め、もしもの場合を考えて君へ教えておこう。 古川さんが仕事に没頭しているなら、君一人だけと云うのも心配だ」
「以前、御名刺も頂きましたが。 連絡先まで窺って、宜しいんですか?」
「はは、構わないよ。 実は、私の大学生に成る娘も、父親で在る私の勝手な心配で、今だに一人暮らしをさせられないんだ。 古川さんのお嬢さんにまで何か在ったら、木葉クンもまたもっと塞ぎ込む」
通夜の時に、名刺をあげた越智水医師だが。 再度、名刺の裏に個人的なアドレス等も載せて渡せば。
「ま、・・先生は、あの国立大の外科医で、准教授を為されてるんですか?」
と、改めて驚く詩織。
「はい。 ですが、見ての通りにもう年だから、引退も近いけどね」
連絡先を渡した越智水医師は、またあの不審な外国人が来る様なら、お父さんの警察署に連絡をしなさいと教える。 明らかに、不審者で在ると同時に、法外な金額の香典を持って来るだのと。 常識云々を超えた、可笑しい行動だと思えた。
さて、越智水医師は、木葉刑事の願いを完成させるべく。
「そうだ、詩織さん」
声を掛けられて、名刺から顔を上げる詩織。
「はい?」
「今、木葉クンと電話してみよう。 見舞いの話を、彼へ直接言ってみるといい」
「あ・・、病院ですよ?」
「木葉クンの部屋は、電話が大丈夫だ。 然も、痣がだいぶ取れて、もう電波で障害を起こす様な機械も着いてない」
と、越智水医師はスマホを取り出した。
一方、病室で横に成っていた木葉刑事は、ベットの裏に隠すスマホから振動音がしたので。
(こっちから来るって事は、先生かな)
と、見張りの影を窺いながら電話を取る。
(やっぱり、先生からだ)
«もしもし»
越智水医師からの電話に出た瞬間、ゾクッとする独特な暗いノイズの様な音がした。
«もしもし、木葉クン。 私だが、今は大丈夫かな?»
«先生・・、何処から?»
«古川さんのアパートだよ。 目の前には、詩織さんも居る»
«そう・・ですか»
この時点で木葉刑事は、100%の確信を得た。 古川刑事が、既に悪霊と接触していると…。
越智水医師は、此方を見て来る詩織に頷いて。
«今、詩織さんから相談されていたんだが。 彼女と、電話を代わる»
と、彼女に代わる。
«もしもし? 木葉ですが»
«木葉さん、お元気ですか?»
«あ・・詩織ちゃん»
詩織の声を聴いた木葉刑事は、ある種の安心を得た。
«どうしたの?»
と、言えば。
それは、詩織も同様で在り。
«今ね、越智水さんって言う外科医の先生が、御香典と御焼香を…»
«あぁ、行ってくれたんだ。 ご愁傷様、詩織ちゃん。 大変だったね»
«ありがとう、木葉さん。 お父さん、これからは日昼に、少ししか帰って来ないから。 急に忙しく、会えなく成って…»
«え? フルさん、もう仕事に出てるのかい?»
«うん。 お母さんの事件は、管轄が違うから調べられないけど。 今度は、例の木葉さんが怪我した事件と関連した事件の捜査が、新しく始まったみたいで…»
«そっか…。 身内や親交の有る人の事件は、調べられないんだ。 フルさんも、苦しいだろうね»
こう言った木葉刑事だが、昨日に鵲参事官より聴いた話で。 古川刑事の所属する所轄に関わる事件は、全く聴いていなかった。
(フルさん、嘘を…)
すると、
«処で、木葉さん。 私達の居るアパートって、今年の夏に取り壊すの知ってる?»
と、話を詩織が変えた。
その話は、生前の和世や古川刑事から聞いていた。
«知ってるよ。 前に遭った強い地震で、ヤバく成ったって・・。 フルさんが、何時だかボヤいてたからね»
«うん。 それでね、私は週末から、一足先に祖父の元に一時移るの»
«あ~、確か・・。 フルさんも頭が上がらない、法律学者とか云う人だね»
«うん»
«そっか…»
«あ、でね。 引っ越すって言っても、目黒の方何だけど。 その前に、木葉さんのお見舞いに行っていい? お父さんは無理だから、私一人に成るけど…»
«それは、全然構わないよ。 ま、出来たら何か、安くて甘いものは、お土産に若干欲しいかな»
態と、こんな話題を振ると。
«木葉さん、私を見くびってません? あんな大金の御香典を貰ってるのよ。 ‘安い’って、余計だわ»
その、古川刑事の様なやり返しに。
«すいませんねぇ、人間が小さくて。 頂ける物なら、何でも素直に頂きますよ»
«ハァ、木葉さん。 話の最初は、全然に素直じゃない»
«すいません、すいません、すいません»
«返事は、一つに心を込めるのっ»
«はい»
«宜しい。 それなら・・、そう。 お母さんがね、私が祖父の処へ行く時に、必ず買って行かせた美味しい‘かりんとう’が在るの。 それでもいい?»
«東北の人間は、甘い物も、しょっぱい物も、大好きです。 かりんとうなんて、是非にウェルカム»
«そ。 それは良かった じゃ、明日に伺いますね»
すると、木葉刑事が声を改め。
«詩織ちゃん、悲しいだろうけど…、元気出してね»
と、言うと。
«大丈夫。 お父さんや木葉さんも居るし»
«そう、んじゃ~午後に来てね»
«はい»
こうして、詩織との通話を終えた木葉刑事だが。
スマホを持つ力が抜けて行く木葉刑事で。 古川刑事のアパートに、悪霊の痕跡が在るのが残念でしかなかった。
(フルさん、何をしてるんですか…。 和世さんの仇をあの悪霊で取るのだけは、フルさんだって間違いだと解っている筈でしょうに)
数年前から何度か、事件の時でなくとも古川刑事に誘われて食事や風呂に入らせて貰った事が在る。 古川刑事の奥さんの和世さん事は、良く知っていた木葉刑事だ。
それを失った経緯が、無謀運転の事故とは無念で仕方ないだろう。 だが、まだ娘の詩織が残っている。 自暴自棄となり、犯人と差し違えるのは遣り方が違う筈だ。
さて、暗くなる部屋に、看護士が入った来た。
「あら、木葉さん。 明かりも点けないで」
食事の時間だった。 簡素な病院食を前にして、頭を下げた木葉刑事。
然し、直ぐにスマホへ電話が来た。
«もしもし»
«あぁ、木葉クン。 それで………»
«はい、先生・・。 残念ですが…»
木葉刑事の返しで、越智水医師も事態を察した。
«嗚呼・・、なんと、嗚呼…»
それでも、木葉刑事は冷静だ。
«先生。 然し電話越しに聞こえる気配は、酷く弱いものです。 おそらく、契約が成立しての日が、まだ浅いのでしょう。 この事は、誰にも云わないで下さい»
«解った…»
さて、越智水医師は、御札を巻いた効果を思い出し。
«木葉クン。 処で、御札を巻く治療の事だがね。 足を先にすればイイのではないか? 歩ける様に成れば、通院も認められると思うのだが»
«やっぱり、先生もそう思いますか?»
«‘やっぱり’?»
«順子さんにも、そう言われたんですがね。 実際は、それがそう単純じゃ無いみたいです»
«ほう»
«悪霊や怨霊の持つ‘
«なるほど・・、そうゆうものなのか»
«然も、これは順子さんには、解っても貰えないと思い言って無い事実なんですが。 寡黙神主が云うにはですね。 普通の人が、もし全身に障るとするならば、回復など無理らしいんですが。 自分が、徐々にでも回復している点からして、悪霊の手加減が在ったとしか思えないと…»
«‘手加減’? 一体、どうゆう…»
木葉刑事と越智水医師が、寡黙神主と話した内容を再度話し合う。
«何と・・、そんな事が?»
«えぇ。 本音は、自分も信じたくないです。 ですが、寡黙さんは、そう仰いました»
«んん…»
不思議な事を知る越智水医師だが、パッと或る事を思い出すと。
«木葉クン。 処でね、ちょっと妙な事が在る»
«と、云いますと»
«実は、さっきの事なんだが…»
高級車と外国人の事を語る越智水医師に、木葉刑事が。
«そうですか。 ・・いえ、良い情報をありがとうございます»
こう返して、通話を終えた木葉刑事。
通話を終えた直後。 使うスマホを、入院前から使う自前のものに代えた木葉刑事。
«・・もしもし、鵲参事官ですか»
«木葉か、どうした?»
«実は、悪い報告が二つ在ります»
«お前から悪い報告とは・・怖いな»
鵲参事官の声が、明らかに緊張したものに変わる。
«一つは、奥さんを殺された古川刑事が悪霊と接触しました»
«な゛ぁっ、何だとぉ? 呪ったのか・・犯人を?»
«恐らく…»
«やはり、特権に守られた事が逆作用したかっ»
«でしょうね»
«木葉、こうなっては、古川を確保すべきか?»
«フルさんを捕まえても、悪霊を止められませんよ。 1つの憶測的な対処法として、最悪、成就する前に呪った側を消去する方法は考えられますが»
«なるほど、呪いの契約を先に無効とするのか»
«はい»
木葉刑事は、恐ろしい事を言っていた。 最悪の場合は、古川刑事を殺すと云うので在る。 処が、直ぐに。
«然し、鵲参事官»
«ん?»
«これまでの経緯、悪霊の強い憎しみを考慮しますと。 それをしたとして、この先の連鎖が終わりますかね?»
«………»
黙った鵲参事官は、確かにこのケースでは付け焼き刃的な対処で有り。 悪霊を退治する事でも、依願的な委託殺人を止める結果に成るかは解らない。 委託した相手が先に死んだとしても、呪った相手が生きている以上は、悪霊の標的は生きている。 成立した呪いを成就すべく、悪霊は動くと想定される。 また、呪いの行為の流れを阻害することで、想定を超えた変化を来す恐れすら有る。 古川刑事を消す事は、更なる不安と懸念を産む結果と成る可能性も考えられた。
木葉刑事は、黙った鵲参事官に。
«それから、今日の夕方頃。 古川さんの娘、詩織ちゃんの元へ。 高級車に乗った外国人が、突然訪れて。 然も、1000万円の香典を贈ろうとしたそうですよ»
その瞬間、通話の向こうから。
«大使の接触かっ。 1000万円などと云う大金だとぉ? 自身が犯人に近いと、相手に教える様なものじゃないかっ!»
鵲参事官が、明らかに苛立った。 古川刑事が悪霊に接触した事も、大使側の誰かが不用意に詩織へ接触した事も。 対処に負われる側からするならば、面倒極まりない事態だ。
«鵲参事官、詩織ちゃんへ手を回せますか? それとも、政治家と関係の深い法律学者の孫を、犯罪立証のダシにしますか?»
冷めたもの言いをされる鵲参事官は、木葉刑事の成長が空恐ろしい。
«お前ぇ・・、私を脅しているのか? 馬鹿、余計な混乱は要らん。 古川刑事の娘には、警護の手を回す。 其方は、安心しろ»
その応えを聴いた木葉刑事は、布団の中の自身の下半身を見て。
«鵲参事官、もう少しで自分が動ける様になります。 フルさんの呪いが成就するのが先か、その前と成るか、微妙などうかのタイミングですが。 何とか、間に合わせてみます»
この話は、鵲参事官には不思議な感じのする内容で在る。
«木葉。 その体で退院が可能なのか?»
«実は、肉体の回復が始まりまして。 一応、上半身の痣は消えましたよ。 後は、下半身のみです»
«そうか…»
と、言った鵲参事官だが。
直ぐに。
«木葉よ。 古川刑事の奥さんを亡くした事件を起こした犯人の逮捕は、必ず警察で行う»
と、言うではないか。
«鵲参事官、それが可能ですか? 政府の方々の本音は、彼の国に於けるインフラ整備工事の着工までは、捕まえたくないのでは?»
«確かに、警察へ圧力は確実に来ているよ»
«なら……»
«木葉。 お前ならば、刑事はそんな甘い奴らでは無い事など知っている筈だ。 古川刑事の奥さんやあの亡くなった母親の仇を討とうと、解体された車のパーツの一部を探し出しては、既に回収し始めていてな。 まだ、発表の出来ない処だが、亡くなった若い母親の血液の付着も確認された»
«そうですか、物的な証拠が揃い始めて居るんですね»
«そうだ。 問題は、事故の時に車へ乗っていたのが、一体誰か。 その証明が出来たならば、政府の上も無視が出来ない。 ま、大使本人の逮捕では無いからな。 一旦は海外に逃がしてから不意打ちで、何処かの国で捕まえる»
«やはり、インフラ整備の着工までは引き延ばしますか…»
«其所は仕方ない。 利益優先の政治家を丸め込むには、時にエサも必要だ。 だが、木葉よ»
«はい?»
«早く確実な証拠が揃って、被疑者の居場所が判明したならば、私は逮捕も許可するつもりだ。 だから、その為にも悪霊に、犯人を殺させる訳には行かない。 事件の詳細が世間に解り、悪霊に犯人と古川刑事が殺害されたなら…»
«悪霊に願えば恨みを晴らせると、世間の認識として確立されちゃいますよね»
«そうだ。 それだけは、絶対に避けなければならん。 それが広がれば、もう悪霊の行いを止める事など、何人も無理だろう»
«ですね»
«木葉、退院が出来たなら、お前は何とする?»
«それは、一つだけです»
«手段は?»
«模索、思案中・・ですかね»
«そうか。 期待は薄く、頼るとしよう»
こうして、二人の通話は終わった。 スマホを引き出しに仕舞う木葉刑事は、内心に思う。
(自分のハッタリでも、時には通用するんだな~。 鵲参事官がダメならば、課長に頼もうと思ってたケド…)
と、冷め切った食事に向かった。
[カウントダウン:運命のその日まで、残り6日]
‐次の日‐
朝の9時半。 医者の居る検査室まで、車椅子で連れて行かれた木葉刑事。 本当は、もっと早く検査する予定だったが。 御札で瘴気を吸い出していたこれまで、毎朝に木葉刑事が気絶していた為。 今日まで持ち越しと成っていた次第だ。
「木葉さん、劇的な回復だね。 もう少しで、下半身の痣も消えるよ」
腰周りまで、もう痣が消えている。 太股以下、足が使える様に成れば、通院で構わないと医師が云う。
午前10過ぎ。 昨夜も御札を巻いたが、気を失う様な脱力感もこれまでと比べたら少なく。 気だるさは強いが、車椅子で自力移動が可能だった。
看護士付きで部屋に戻った木葉刑事を室内で待ち構えていたのは、誰でもなく里谷捜査員。
「来てたのね~」
普段の軽い口調をしては、ベットに戻る木葉刑事。
然し、それを手伝った看護士が出て行くと。 里谷捜査員は、ベットの脇に来て。
「凄い回復のスピードね。 看護士さんも、ヘンに思ってるみたいよ」
と、噂を口にする。
確かに、御札を巻き始めてからの痣の消え方は、尋常では無い。 ベッドに座った木葉刑事は、少し細った足を見て。
「それが、どう思われても急ぎたい理由が出来たんだよ。 それより、また捨ててくれたんだ。 悪い、ありがとう」
すると、大した事無いと云う顔の里谷捜査員は、
「気にしないでいいわ。 貴方が治らないと、先に進まないから」
と、木葉刑事への差し入れとなる甘いコーヒー飲料のペットボトルを1つ取る。 ベットの下に在る箱から取り出したのだ。
「それはそれは…」
「処で、あのSPみたいな女の人。 毎日、病室の周りに居るみたいね」
「鵲参事官の見張りみたいだね」
里谷捜査員は、其処で目を細めて詰まらなそうに。
「見張りを着けるなんて、信用されて無いみたいね」
と、バスケットに残る差し入れのミカンを取る。
然し、ゴロンと横に成った木葉刑事。
「被疑者となる相手が視えないから、信じても行動が読めないんじゃないの? 幕引きをする側は、心配が尽きないんでしょ~うよ。 佐貫さんだけ、先に逝ったし…」
みかんの皮を剥く里谷捜査員は、口の軽さに比べて、天井を見る静かな木葉刑事を見る。
(思いっきり、自分を隠してる)
それを察したとしても、其処を突っついても始まらないので。
「処で、今日は彼女が来るの?」
と、問う。
順子の事を聴いた里谷捜査員。 暇な日昼は、順子の様な話し相手が欲しい処で在る。
すると、目を瞑る木葉刑事からは。
「さぁ、順子さんが来るかどうかは、自分にも解らない。 けど、来客は、1人確定してる」
「あら、私?」
‘確定’と聞いては、今、此処に居る自分だからと。 ちょっとおどける意味も在り、言った里谷捜査員だが。
「残念です、手ぶらじゃ無い人。 凄い美少女が、高級な‘かりんとう’を持って来る予定」
「‘美少女’って…」
アイドルでも来るのかと、呆れ混じりに笑う里谷捜査員だが。
「いや、本当に顔の良さと性格の良さなら、君に100%勝てるよ、その娘」
思いっきり嫌みだと感じた里谷捜査員は、目を細めてムッとした顔をし。
「未成年と不純異性交遊…。 変態だ」
だが、寝返りを打ちながら木葉刑事は、
「古い言い方するのね」
と、言っては、窓の外に見える太陽を見て。
「古川刑事の、お嬢さんだよ」
まだ、古川刑事には会った事の無い里谷捜査員が、目を見張る。
「古川刑事って・・、奥さんが交通事故で死んだんじゃ…」
「・・らしいね。 フルさんが、早々に仕事へ出て寂しさを紛らわせてるから。 彼女一人で、見舞いに来てくれるってさ。 本当は、スゴく悲しいだろうに、気丈にも頑張ってるよ…」
こう語る木葉刑事に、
「何か、木葉さんの周り………」
と、思わず言い掛けた言葉。
然し、それは余りにも刺々しいと、口を止めた里谷捜査員だが。
「・・ホントだよ。 自分の背負った業は、自分一人に背負わせて欲しいのにさ…」
里谷捜査員の言わない言葉を、木葉刑事は察してしまった。 然し、怒らないでこんな風に、自虐的に見せて来る。
(木葉さんって、妙に深く優しい人だから…。 つい、何でも言わせてくれそうに想えちゃうわ。 少しは、慎まなきゃ・・ね)
こう思う里谷捜査員だが。 ついつい、木葉刑事の独特な緩い雰囲気に毒され、思った事が口を出ようとする。
然し、真に一番に傷付き、誰よりも重荷を一番に背負っているのは、この木葉刑事だ。 それだけは、里谷捜査員もしっかり理解していた。
さて、本日に木葉刑事を訪ねた里谷捜査員には、或る思惑が有ってだ。
「・・ね、処で」
「ん?」
「御札って・・まだ在るの?」
不思議な質問が来たと、里谷捜査員の方に寝返る木葉刑事だが。 まだ、車椅子の彼女を見て。
「そう云えば、里谷さんもまだ、腹部の損傷が治らないんだよね。 ・・確かに、使えるかな」
目論見がバレたと、頷く里谷捜査員。
すると木葉刑事は、ベッドの間に隠した御札を一枚引き抜き。
「ものは試し。 夜に、使ってみたら?」
差し出される御札を、まじまじと見た里谷捜査員。
(意外に、すんなりね)
そして、片手で受け取ると。
「肌に、直に巻くのよね?」
「そう。 服の上からより、直に巻く方が効くと思うよ」
「・・・」
ジッと、御札を見詰める里谷捜査員。
「試してみたら? ダメ元でも」
「解ってる。 湿布みたいに思いたいだけで、ちょっと巻いてる自分の想像が湧かないだけ」
「早く治して、彼氏と旅行にでも行ったら?」
その、木葉刑事の投げ槍な言い方に、里谷捜査員が目を細めて。
「プライベートに口出さないで、セクハラっ」
すると、また窓の方に寝返りをして、怖い視線から逃げる木葉刑事が。
「ハァ。 自分には、人権が無いみたい。 怖い怖い」
その、如何にも頼りない背を見る里谷捜査員は、自分が虐めているみたいに感じ。
「フン・・・、コーヒーとみかんと御札、アリガト」
御札を服の中に隠して、出口に方向を変える。
出て行く里谷捜査員を見送らず、
「はいはい」
と、声だけを返す木葉刑事。
然し、それから直ぐにウトウトと眠る木葉刑事。 身体に血が駆け巡っては、貧血みたいな症状が時折に来るのだ。
さて、小一時間ほど眠った木葉刑事は、起き抜けに冷めた病院食を食べたが。 血が足りないのか、非常に物足りない。
(あ~、コンビニに行ければな~)
と、ぼんやり思う。
実際、寡黙神主が来るまでは、缶コーヒーの一本でも在れば。 その日1日の空腹は凌げたのに。 御札のお陰で、身体が使える様に成るに従って、今は。 毎日毎日、とにかく腹が減って仕方がない。
然し、そんな事を思う時に、フワッと思い出されるのが…。
(ははは、まるで佐貫さんみたいだな・・)
何かと、重たい食事ばかり欲していた佐貫刑事。 今は、自分がそんな食事をしたい。
さて、空腹感に苛みながら、ぼんやりするまま。 午後2時過ぎか。
- コンコン -
と、ノックがされた。
「どうぞ」
声を掛ければ、スイッチ一つで自動開閉する白いドアが開かれて…。
「木葉さん、お邪魔します」
詩織が、制服姿のままに入って来た。
「いらっしゃい、詩織ちゃん」
身を起こして、詩織を出迎える木葉刑事。
その姿を見る詩織は、紙袋を持ったままに木葉刑事へ近付くと。
「凄いっ。 木葉さん、もう殆ど痣が…」
顔や首や手に、不気味な色合いの痣が既に無く。 前に見た、痣だらけで身体も起こせなかった頃に比べるなら劇的な回復だと。 詩織にすら見えた。
「随分、良く成ったでしょ?」
と、言う木葉刑事に対して。
詩織も、とても嬉しそうな顔をして見せて。
「うん。 退院したら、一緒にデート出来るね」
と、お菓子の包みを出す。
「‘デート’って、ヤバいよ詩織ちゃん。 フルさんに、自分が殺されるよ~」
箱詰めされた‘かりんとう’を開く詩織は、
「お父さんは、刑事なのよ。 幾ら何でも、無害な木葉さんを殺す訳ないでしょう? ま、首を絞められるぐらいよ」
と、笑って言い。
わざわざ、お菓子を差し出して、包みも開けてくれる。 その甲斐甲斐しい様子は、確かに和世とよく似ている。
「うわ~、美味しそう」
太めのゴツゴツした‘かりんとう’を見て、本気の欲求が湧いた木葉刑事。 受け取るなりに、ガリガリポリポリと、食べる始末。
「ん・・・いや~、・・美味い」
空腹の欲求から止められないままに、どんどん食べる木葉刑事へ。 お茶まで用意して、湯のみを出す詩織は。
「お父さんが仕事ばっかりするんじゃ、私の保護者代理は木葉さんですからね。 大学に合格したら、遊園地とか行きたいの。 だから、早く元気に成って」
確かに、かなり美味しい‘かりんとう’。 一袋を食べ切る勢いの木葉刑事は、それぐらいならお安い御用と。
「ハイハイ、付き添いならば喜んで」
と、言って於きながら。
「でも、来年の話をすると、鬼が笑うってから。 大学に合格する様に、勉強はバッチリ頑張ってよ」
と、蛇足を付ける。
母親の死から、まだ10日も経って無い。 詩織の目の充血具合や薄いメイクの乱れから見ても。 おそらくは、人の居ない所で泣いてしまうのだろう。
木葉刑事には、それが解った。 だが、悲しませて悲しむだけが、悼む遣り方では無い。
詩織は、ちょっと胸を張る様にして。
「勉強の方は、木葉さんに言われるまでも有りませんよ~」
「へいへい、全国テストで常に10位内の秀才に、これ以上の文句は言いません。 かりんとうの御礼は、健康に成り次第に、必ずさせて頂きます」
「良い返答ですね。 宜しい」
確実に勝てる要素で在るからと、格好を付ける詩織だが。
食べる木葉刑事は、越智水医師の持って来た高級果物の盛り合わせを見て。
「あ、詩織ちゃん。 あの籠台に在る果物は、好きに食べていいよ」
振り返って詩織は、その果物の入る籠を見て。
「うわぁ~、‘満挽屋’のフルーツバスケットじゃない。 木葉さんっ! 贅沢ぅ~」
「いやいや、買ったのは自分じゃないッス。 越智水先生が、差し入れしてくれたんですよ」
大好きな林檎を貰う詩織は、引き出しからナイフと皿を出しつつ。
「昨日、訪ねて来てくれた、カッコイい紳士的な先生ね? 木葉さんって刑事なのに、あんな偉いお医者さんとも御知り合いなのね」
一袋を食べきった後、まだ物足りないと。 かりんとうの、新しい袋に手を伸ばす木葉刑事。 細く黄色いもので、砂糖のいっぱい掛かった奴を選び取りながら。
「先生には、或る事件で捜査協力をして貰ったんだよ。 ホラ、お医者さんにはさ。 死体の変な所とか、意外な殺害方法の相談とか、色々と出来るからね~」
「そっか、確かに。 そうゆう事を明らかにしなきゃいけない刑事さんって、大変な仕事だね」
詩織が、こう言ってくれるのだが。 或る意味、本当は大嘘だ。 霊的な事のアドバイザーとは、とても言えたものではない。
然し、嘘は吐くなら、吐き通すしか無い。
「でも、越智水先生とは、年齢に結構な差が在るんだけどね。 何て云うか、ウマが合うのかな。 妙に、相談したり・・されたりって、長く親交が続いてるんだ」
林檎の皮を剥く詩織は、話を聞きながら穏やかにしている。
それから、木葉刑事と詩織の雑談は、午後4時近くまで続いた。
処が、夕方。
静かに為った部屋では、木葉刑事に抱き付いている詩織が居る。
「木葉さん…。 私ね、ホントは怖いの」
詩織の頭を触る木葉刑事。
「フルさんの事・・だね」
涙を流す詩織が、弱く頷いた。
「お父さんが、ヘンなの…。 電話を掛けても、全然出ないし。 お母さんの通帳やカードを、全部私に渡して。 お給料の振り込まれる自分のカードまで、渡して来て…。 それなのに、昨日だって帰って来ない…」
鼻水を啜りながら、詩織がこう言えば。
(嗚呼、フルさん。 和世さんの仇を取ろうと、悪霊と繋がったから…。 自分が死ぬと、もう解っているから…)
と、古川刑事の事を悟った。
だが、こう成った以上は、もう古川刑事も只では済まされ無い。
木葉刑事は、少しでも情報を得ようと。
「それは…、詩織ちゃん。 フルさんが仕事に出た日、からかな?」
尋ねられた詩織は、木葉刑事の腕の中で、顔を縦に動かした。
「うん・・。 仕事に出た日・・・、何故か忙しく為ったみたいで…。 次の日、凄く憔悴した顔なのに・・・、物凄く・・優しい顔したお父さんが居て。 いきなり…」
“詩織。 お前は、お祖父さんの所で、勉強を頑張ってくれ。 年末に成ったら、合格祈願をしよう。 合格したら、一緒にお母さんに報告しよう”
「って。 でも…」
泣く詩織には、父親の放つ不穏な空気を読み取ってしまった。 まだ、犯人も捕まってないのに、古川刑事の気性からして穏やかで居られる訳が無い。 然し、父親の顔が、何故か穏やかなのだ。 それは裏返せば、確実に穏やかに成れる理由が有る。 そうゆう事。
その不気味な空気を感じた詩織は、帰って来ない時に父親が、
“何か、尋常では無い事を起こすのではないか・・”
と、危惧しているのだ。
その気持ちの乱れが、手に取る様に解る木葉刑事。
「解った・・。 早く治して、フルさんを説得するよ」
「ごめんなさい・・ごめんなさいっ!」
嘆く詩織も、自分を大切に思ってくれる父親まで亡くすのは、怖いだろう。 不安で、寂しいだろう。 まだ高校生の少女が、その心に抱える問題として。 その不安は、とても重過ぎる。
然し。 今日、詩織と会う木葉刑事は、その眼に別の人物を見ていた。 娘の背後にて、嘆き悲しむもう一人の女性が居る。
もし、詩織がその姿を視たならば。 学校を休んででも、父親を捜し回るかも知れない。
詩織の吐く不安と悲しみ。 その全てを聴いた木葉刑事は、薄暗く成る中で灯りを点けて貰い。
「一人で、帰りは大丈夫かい?」
涙も拭いた詩織は、赤い眼をして居ながらに。
「うん。 アパートに帰るだけだし」
すると、詩織の持ったスポーツバックに、赤い鳳と黒い鳥の刺繍が入った。 真新しい御守りを見る木葉刑事。
「あ、コレって‘烏神神社’の御守り。 新しいね」
その、変わった御守りを見る詩織が。
「お父さんが、‘魔除け’だって…。 お母さんにも、せっかく買ったのに。 あの日、お母さんは持って行かなかったの。 普段のバックとは違うバックを持って行ったから…」
あの、寡黙神主の居る神社だと、既に知っていた木葉刑事だから。
「この御守りは、魔除けには最強なんだ。 自分も、買ったのに持たなかったから、こんな怪我をしたのかも」
その話に、驚く詩織。
「え? 木葉さんも?」
木葉刑事は、枕の下に入れて在る小さい御札を出すと。
「自分の実家は、神社の神主の系列なんだけどね。 この御守りの中に収められてる御札の文字は、〔魂鎮め〕の文言と、〔穢祓い〕の文言なんだ。 祝詞って云う、神事にも使う言葉なんだよ」
母親の分と、二つ持つ詩織は。
「お父さん、そんな事も考えてくれてたんだ…」
笑顔を見せる木葉刑事は、詩織に向け。
「刑事って仕事は、危険も在れは、妙に不思議な事と遭遇する事だって在るよ。 幽霊を信じてなくても、見えない神頼みぐらいは、したくなる時も在るのさ」
「大変な仕事だもんね」
「まぁ、ね」
すると、笑顔を取り戻した詩織が。
「木葉さん。 後、数年・・待っててね。 何れは私も、木葉さんの近くに行くから」
「へぇ? ま、まさか、警察官に成るの?」
出口に向かう詩織は、
「ううん。 検事に成りたいの」
言いながら部屋を出て、廊下から振り返ると。
「じゃ、ね。 早く元気に成ってね」
と、ドアを閉めて行く。
見送る木葉刑事は、眼を細めて。
「マジかよ…」
と、呻く。
詩織に、警察へ捜査の指揮権を持つ検事なんかに成られては、様々な意味で遣りように困るだけだと、苦虫を噛むのだが…。
その後。
「彼女を家まで、見送って欲しいな~。 事件被害者のお嬢さんだし、古川刑事の娘さんだから~」
と、やや大きい声で云う。
すると、ドアに備わる細い曇りガラスの先に、黒服の影が見えた。
(や~っぱり、盗み聴きされてるのね)
だが、昨夜からの木葉刑事の機転は、確かに効を奏した。
その夜、午後6時半を回った頃か。
詩織から電話が在り。
«木葉さん、連絡ありがとう。 アパートからの最寄り駅に出た所で、記者って云う男二人に、しつこく言い寄られたの。 でも、警察の人が、不審者の連絡を受けたからって、見張ってたみたいで…»
«今、例の事件で、警察もピリピリしてるからね»
一応、こう話に応えたが。
実際の処は、詩織を尾行していた特殊警護のプロが。 詩織には、その事実がバレない様にと警察官を装って、記者なる者を追い払ったのだ。
“想定された危険は回避された”、と内心に安堵した木葉刑事。
«それから、木葉さん。 今日も、アパートに戻ったら、昨日も来た外国人の人が居てね。 私を食事に招待したいって…。 でも、家まで送ってくれた警察官が、相手の身元や確認しようとしたら。 何故か言い逃れする様に、逃げちゃったわ»
この話を聴いた木葉刑事は。
(香典を拒否された事で焦って、強行手段に切り替えたかな)
と、感じつつも。
«それは、ちょっとヤバかったかもね。 フルさんが居ない事を知った上で、確実に狙って来てたんだよ»
詩織も。
«私も、そう思うの»
木葉刑事は、今の詩織が気になって。
«詩織ちゃん、今は・・アパート?»
«うん。 お風呂に入りたいんだけど、ちょっとビビってます»
«あ~、多分は、もう大丈夫だな。 刑事の警護が着いてるって、向こうも判ったはずだから»
«なるほど…»
と、言った詩織だが。
«あ、それでね。 刑事さんにちょっと事情を話したら、週末に祖父の家に行く予定を、明日に繰り上げた方が良いって…»
これは、木葉刑事もそれが望ましいと。
«詩織ちゃん、その提案には、自分も賛成だ»
然し、詩織にはそれ以前に、疑問が有るといいたげに。
«って云うか・・、木葉さん。 あの警察官さんって、本庁の方なの? タダの高校生の私なんかに、警護してくれた訳?»
此処で、木葉刑事としては、態とらしい事に成るが。
«あ~、そう云えば、昨日。 あの詩織ちゃんからの話を聞いた後、見舞いに来た上司にその事を相談したの忘れてた。 そうか、なるほど。 流石に、ウチ《警視庁》のお偉方は、遣ることが素早いね~»
“忘れてた”
には、詩織も呆れたが。
«でも、日昼は、見なかったわ。 木葉さんの処から、警護されてたのかな»
«かもね。 自分が犯人に襲われて、先輩が亡くなってるし。 もしかすると、警察官が狙われたとも言える事件だし。 あの事件に関わった人間には、上が配慮して警護を付けてくれてるみたいなんだ»
«そう・・なの?»
«それに、自分は・・ほら。 去年の11月頃に怪我した時も含めて、犯人を見てる可能性が有るからね~»
«そうなんだ…。 木葉さんって、大変なんだね»
«いやいや、真っ暗闇の中だったから、見てないんだけどさ。 上は、目撃者でも在るから、心配してくれてる»
«はぁぁぁ…。 木葉さん、それは幾ら何でもノーテンキ過ぎるわよ。 それならば、私でも心配するわ»
«そっかな~。 でも、こうなると、昨日に上司へ相談して良かった。 なぁ~んとなく嫌な予感がしたけど、バッチリ的中した»
すると、電話の向こうが、静かに成る様な感じに成り。
«やっぱり木葉さんって・・、お父さんの言う通りね»
«ん?»
“普通の人が視えないものが視える、優秀な刑事だ。 人の心が、アイツには解る”
«って、お父さんが言ってたの。 お母さんも、木葉さんは立派で頭の良い人って…»
古川刑事が、自分の見えない所でどう言っていたか。 それが、今更に解る木葉刑事。 だから、困った顔ながらに、口を歪ませると。
«それは・・・困ったなぁ。 出来れば、女性の服の中とかが視れる能力なんか、是非に欲しいんだけどねぇ»
«ん゛~もうっ! 乙女との電話で、何を言うのっ! セクハラっ»
«アハハハ、スイマセン。 入院が長引いての禁欲が続く故に、禁断症状がぁ~»
«もうっ! 次のお見舞いは、差し入れ無しですからねーーっだ!»
男性の欲望には、まだ潔癖な年頃だろうから。 詩織が怒るのも、無理はないが。
笑った木葉刑事は、その後に。
«でも、もう大丈夫だよ。 警察官に、詩織ちゃんへの接触を見られた以上は、ウチの上もその外国人を調べる。 相手も、詩織ちゃんに構う暇が無くなるよ»
«あ、そうかな。 一応、あの警察官の人にも、昨日の事を言ったんだけど»
«なら、もうバッチリだよ。 でも、一応は念の為に、明日からお祖父さんの所に行って。 フルさんには、自分からもメール打っておくよ»
“ハヤクカエレ、タコボウズ”
«って、ね»
«わぁ~、木葉さん。 それ、スゴく怒られるわよ。 お父さん、頭の事だけは言われたくないって、部下の刑事さんにも言ったみたいだから»
«リョ~カイ»
軽いノリで言う木葉刑事に、詩織が。
«木葉さん、今日は・・本当にありがとうございます。 早く、退院してね»
と、妙に女らしく言った。
«はいッス»
と、それを解らないフリで、詩織との電話を終えた木葉刑事だが。
彼は、直ぐに鵲参事官へ連絡を入れる。
«もしもし、木葉か»
«鵲参事官。 フルさんのお嬢さんについて、さっきの件。 既に、聴いてますよね»
«当然だ。 此方も、手を打った所だ»
«そうですか…、ありがとうございます»
«古川捜査員の奥さんの件は、非常に気の毒としか言えないが。 だが、加害者側の親も、息子を犯罪者にしたくないらしくてな。 そこそこ、躍起に成っているみたいだ»
«そうですか。 処で、鵲参事官。 フルさんには、既に見張りが?»
«あぁ、葬儀の日から、な»
«早いですね»
«警視庁捜査一課の担当班には、古川捜査員の知人も居る。 また、嘗ては同じ所轄で同僚だった者も捜査一課に居る。 情報を幾ら隠しても、人の繋がりから必ず漏れるものだ。 行動を監視する側からすると、それも当然だ»
«じゃ、フルさんの補足は出来て居るんですね»
«それが、どうかしたか?»
«それが・・鵲参事官。 フルさんは、佐貫さんとは違う意味で、刑事らしい人です。 家に帰らず、澄ましているのが怖い»
«どうゆう意味だ?»
«フルさんは、自分が悪霊を視える事も知っています»
«それは、知っている»
«明日からは、その特権に守られた相手の周りも、誰か見張りを。 但し、誰も見れないかも知れませんよ»
«解った・・。 だが、警備をする理由は、どうすれば良いか? 此方も、理由無きに警備をする事は、非常に難しいぞ»
«なら、一部の捜査情報をマスコミに落とせばイイのでは? あの国でしたら、最近に国境で大規模な爆発事件も有って。 捜査情報が一部でも流れたら、面倒臭い事に成ると…»
«何? 態と、騒がせるのか? おいおい、木葉…»
«ほぅ、ですが…。 フルさんのお嬢さんには、心の傷に塩を塗る様な取材を許し。 加害者側には、平穏無事を・・ですか?»
«んん"っ、耳に痛いぞ!»
«でも、現実と云うか、事実でしょ?»
«・・くっ、解った解った。 理由は、此方で考える»
鵲参事官との電話を終えた木葉刑事は、自分でも切羽詰まって居て。 随分と大胆な事を打診したと思うが…。
(責任は、自分持ちでも構いませんがね。 フルさん、奇跡的にでも助かったなら、後で恨み節を言いますよ)
覚悟を決めた木葉刑事は、思い切って両足に御札を巻いた。 古川刑事と詩織の事を思えば、脱力だの朦朧だのと、甘い事を言ってられない。
だから、病院食を食べた後に。 詩織の持って来た‘かりんとう’と、買い置きのペットボトルのお茶を、一気に食べてはがぶ飲みした木葉刑事。
(何時までも、横に成ってられっか! 佐貫さん、其方に行くまでは、もうちょっと・・気張ります)
木葉刑事にとって、やはり古川刑事の一家は特別な存在だった。 古川刑事に然り、和世に然り、詩織も、だ。
横に成った木葉刑事は、そのまま深い深い眠りへと沈んで行く。
一方、その日の夜中だ。
ネットカフェに泊まる古川刑事だが。 電源を消したはずのモニターに映る、謎の映像を見ている。
そして、
- 本日、深夜に映像が視える様に成り、三日目。 やはり、悪霊は例の大使館に向けてか、その歩みを渋谷方面に続ける。 初日に比べると、視える映像の様なものは、はっきりとして。 髪を振り乱し、足を引き摺る様な歩みだと解る -
映像が終わるまで観察記録を付ける古川刑事は、鋭い眼光をモニターに向けた。
(木葉よ。 俺は、幽霊なんぞ視えないし、お前のなんも助けにならねぇが。 あの、神主さんの助力が在れば、もう俺は必要無いだろう。 悪いが、詩織にだけは、気を掛けてやってくれよ)
映像が終わった後。 こう想う古川刑事は、妻の写真を抱いてチェアに寝ていた。
詩織は、木葉刑事に。
“ウチのお父さんも、月並みに田舎暮らしへ憧れてるみたい”
と、自分と妻の前で言った事が在る。
然し、実際に憧れていたのは、寧ろ妻の和世だった。 和世は、働き過ぎの古川刑事を心配してか。 最近は、帰って軽く話をし合えば、良くその話をしていた。 古川刑事だってクタクタに疲れていても、それが一番の楽しい一時だった。
さて、悪霊が視える様子を、詳細にスマホのデータに書き残す古川刑事。 木葉刑事にこの事を教えれば、何らかの機会を与えられると思うからだ。
(木葉・・、早く良く成ってくれ。 お前には、俺の死に水を…)
携帯に届く様々なメールを見て、時に涙を流す古川刑事。 悪霊に恨みを託した事に未練は無いが、自分の死で、この事件を食い止めたいと切に想う。
人は、時として矛盾を持つ。 だが、そのどちらかを選べずに苦しむのも、また人らしい。
これまで、様々な矛盾に直面して来た古川刑事だが。 自分が被害者遺族と成った時。 その心に噴き出した怒りと矛盾に、強引な答えを出した。
‘呪う’
単純にて、非現実的な行為。
然し、悪霊の存在が、それに意味を持たせてしまう。
まさか、こんな事が…。
然し、眼を瞑る古川は、‘幽霊が視える’と云う事を少しだけ理解する。
(木葉の奴、こんなのが普段から視えてやがったのか…。 事件が終わったら、幽霊の元に花なんか手向けやがってよぉ)
この能力を手柄を挙げる手段と割り切れば。 今頃は、もっと居心地の良い扱いも受けた筈だ。 頼られ、信頼されると云う明るい存在…。
だが、その行動に欲が無い木葉刑事。
また、一度だけ。 木葉刑事の身の上を、さわりだけ聴いた古川刑事だが。 大学生活から以前に遡る辺りで、何故か急に口を噤んだ木葉刑事。 その様子を見て、親に愛され無い犯罪者の様だと、感じた事が在る。
木葉刑事の過去、田舎時代の頃の事は、古川刑事は何も知らない。 大学時代から、妙に変わっていたらしいが…。
木葉刑事の何処か修験者の様な生活は、朧気に古川刑事も気付いていた。 若者達が求める様なものを買わず、食事や異性に対しても淡白。 口こそ、軽口を叩くのだが。 捜査の仕方は、まるで玄人の様だ。 若い刑事特有の先走りなど殆ど無いし、先入観に頼る見込み捜査も無く。 被害者遺族や被害者の霊に、常に寄り添っている行動をする。
(木葉・・。 お前、佐貫には、何処まで話したんだ? 佐貫とは、何処まで語り合った? 佐貫の名前を叫んで、長い眠りから起きた時のお前は。 まるで、長年の相棒を失った様だったな…)
木葉刑事へ古川刑事が悪態を吐くのは、ある種の‘認識’を持つからだ。 三住刑事など、足元にも及ばない存在感と云うか。 一課で長年一線を張る刑事にも引けを取らない、敢然とした行動を知る故に。 返って、生意気に見えてしまう。
然も、一番に不思議だった事は…。
妻の和世に、木葉刑事を紹介した時。 まだ詩織は中学生だったが。 二人して、木葉刑事とすんなり仲良く成った。
“いい部下サンね”
と、和世に言われて。
“部下じゃ無いさ。 警視庁の一課に入ったばかりの、青臭い刑事さ”
と、言い返した。
然し、和世は笑顔を崩さずして。
“あら、意外。 でも、イイ刑事さんに成るわ。 とっても、優しいもの”
和世が、確信的に言ったのだ。
妻と娘の溶け込み具合から、奇妙な嫉妬を覚えた古川刑事だが。 今に思えば、木葉刑事の持つ雰囲気を二人は素早く感じ取ったのだろう。
(和世・・、直にそっちへ逝くよ)
目を瞑る古川刑事は、携帯の電源を切って眠った…。
[カウントダウン:その日まで、残り5日]
‐ 次の日 ‐
朝の9時頃。
‘美少女’の事を茶化しながら、御札の効果を教えようと。 木葉刑事の病室に来た里谷捜査員は、息もゆっくりと死んだ様に眠る木葉刑事を見て。
(あら・・、揺すっても反応しない)
自分も、脇腹の一部に軽く残る痣の様な瘴気を吸い出しただけで。 今、気怠く空腹感を覚えている。
(今度は、下半身に御札を巻いたのね)
と、解り。
ものは確認と、車椅子ながらに足元の布団を捲った。
「うわ、足の裏まで御札…」
片足の真裏にまで御札が来ているのを見つけ。 足元から巻いたのだと、里谷捜査員は思う時。 チラッと、バスローブの様な病院の服が、膝までズレていて。 脹ら脛辺りまで、御札が巻いて有ると見えた。
(ちょっと・・、御札をどうやって巻いてるの?)
妙に、御札が長い様な気がしたと。 里谷捜査員が、木葉刑事の腰辺りまで布団を捲ると。
「あっ」
太ももから腰まで、御札がビッシリと巻いて在り。 その御札全てが、使い古した湿布の様にふやけていた。
木葉刑事が、何をしたのか。 里谷捜査員も、理解が行く。
(バカっ、一気に吸い出したら気絶して昏睡するって、自分で言ってたじゃないっ)
昨日の今日で、この様子は異変と言える。
また、
“御札を巻いている事を看護士や医者に知られては、色々と面倒に成る”
と、言ったのは、この木葉刑事だ。
不味い事に成ったと、自分のスマホを取る里谷捜査員。 そのまま、彼の部屋から出て。 ソファーみたいな椅子に座って団欒も出来る、廊下の階段前に在るスペースに車椅子で来ると。
(全くっ、男って何なのよ゛っ)
と、順子へ連絡を入れた。
折しも、夜勤明けの順子は、理事の息子からの執拗な誘いを断った直後。
「もしもし、どなた?」
ちょっと不機嫌そうに、通話に対応した。
「もしもし、私。 里谷だけど、今、電話は大丈夫?」
里谷捜査員からの電話に、意外性を感じた順子で。
「寧ろ、歓迎するわ。 色々と…」
その、順子の話を遮る様に。
「ねっ、今からこっちに来れる?」
と、鋭く問う里谷捜査員。
順子も、異変の香りを察知して。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも…。 木葉さんのバカったら、腰辺りから足元まで、一気に御札を巻いたらしいのっ!」
「え゛っ、えっ?!!」
「一気に広範囲を使ったモンだから、昏睡してるみたいに起きないのよっ。 御札なんか巻いてるの、看護士さんに見られたら…」
「わ゛っ、解ったわ。 今から向かう。 1時間在れば、行けると思う」
「了解。 それまで、バカを見張っとく」
大学病院の新しい女医用更衣室を出る順子は、新たに声を掛けて来た理事の中年男性を無視気味にやり過ごし。 慌てて外に向かった。
10時半頃。
駆け付けた順子は、まだ回診が来てない事を良いことに。 木葉刑事の巻いた御札を全て取り除いた。
(皮膚の痣が取れて、湯気すら上がってる…。 急速に血が巡って、身体が再生し始めてるんだわ)
御札を剥がした直後を、初めて見る事と成った順子。 高熱に近い体温を持つ皮膚は、汗でしっとりと湿っていた。
様子を伺いに来た看護士は、里谷捜査員がやり過ごしたが。 回診の頃に成ると、流石に今の状態は誤魔化せない。
順子は、顔見知りとなる医師へ。
「先生、また昏睡している様に見えますが…」
と、訴えかけ。
警察病院の担当医師も、木葉刑事の全身を診ては、痣が綺麗に消えているのを確かめた。
太った大柄の医師は、
「身体は、完全に回復傾向に在りますな。 おそらく、回復に栄養や血液が追っ付いてないと…。 点滴を打って、経過を看ましょう」
と、云う。
女性二人が協力して、今日の回診をやり過ごしたが。
「ハァ…」
溜め息を吐いた順子は、眠ったままの木葉刑事を見て。
「何で、こんな無茶するのかしら…」
困った子供の様だと、順子は呆れてしまう。
お見舞いの品を物色する里谷捜査員は、まだ黄色いバナナを貰いつつ。
「昨日、‘美少女’が来た所為かもね」
「‘美少女’?」
「そ。 古川さんのお嬢さんとか」
「あ~、詩織ちゃんね」
この順子が納得するのだ。 見て無い里谷捜査員も、‘口だけじゃ無い’と解る。
「知ってるの?」
「見掛けた事が有るわ。 本当に、綺麗な娘さんだわね・・って。 あれ、古川さんって、確かのこの間の事件で…」
順子も事件に気付いて、里谷捜査員を見返す。
「そう、他に信頼の出来る大人が居ないから、この人を頼って来たんじゃない?」
「木葉さんと古川さんって、家族で付き合いが数年に成るって。 亡くなった奥様の和世さんが、一番に木葉さんを気に入ってくれたみたいだし」
バナナの皮を剥く里谷捜査員は、
「人畜無害そうな顔してるクセに、年上キラー?」
と、眠る彼を示した。
口の悪い里谷捜査員に、順子は苦笑い。 然し、木葉刑事の顔を見ると、何処か物静かと成り行き。
「木葉さんの背中は、普通の男性より小さいのに。 何処か、寂しげで、何となぁ~く温かいの。 多分、好かれる時には、どっぷり好かれるタイプよ」
呟く様に言う順子に、里谷捜査員は脇から離れて見て。
「貴女も、どっぷり?」
すると、木葉刑事を眺め出した順子。 不思議そうに、ぼんやりと見詰める。
里谷捜査員が、バナナの二本目に手を伸ばすと。
「木葉さんって・・」
唐突にして、普通の語り方で順子が言う。
「ん?」
「木葉さんって、何で人と幽霊の為に、命を懸けられるんだろう…」
二本目のバナナを半分食べた里谷捜査員だが、
(確かに…)
と、手を止めて木葉刑事を見詰める。
不思議なこの男性の存在に、二人の女性が頭を悩ませた。 まだ、木葉刑事の人生の表面しか知らない二人。 それでも、情の在る温かい人物とは思えた。
さて、昼間と成る頃か。 順子と里谷捜査員が、木葉刑事の病室にまだ居た時で在る。
順子も務める大学の自室にて、書類の整理をする越智水医師。
然し、突然にドアがノックされ、越智水医師の反応より先にドアが開いた。
「失礼。 准教授、お話が在ります」
不躾な訪問をするのは、鼻の下に四角いチョビ髭を有する長身男性だ。 黒と赤の色のストライプスーツを着て、如何にも見た形は立派で在る。
椅子に座っていた越智水医師は、訪問客にちょっと驚きながら。
「
理事8人の内、医学研究所の所長でも在る勅使河原と云う理事が。 何故か、越智水医師の部屋を訪れる。
そして、立ち上がった越智水医師と対面した彼は、腕を後ろに組んで直立不動の立ち位置に着くと。
「准教授、清水先生の事で、少々お話が在ります」
「はぁ・・。 理事、順子クンが、どうかしましたか?」
越智水医師が‘順子’と名前で呼んだだけで、顔にピクリと反応をする勅使河原理事。
「いえ、ね。 清水先生も、もう良いお年頃と思いまして。 私が、良い縁談を見つけましてな。 然し、彼女の方は、誰か他に交際する男性が居るとか」
いきなり順子の結婚の話に越智水医師は、
“鳩に豆鉄砲”
と、ポカ~ンで在る。
「あ・・あぁ、それは彼女の自由で有ってですな。 他人が、どうこう云う事では無いと…」
すると、勅使河原理事は、ギョッと目を見開き。
「准教授っ! 清水先生はっ、この大学の宝ですぞっ。 何処の馬の骨とも解らぬ、普通の男や。 素行の悪い男に捕まっては、彼女の将来が台無しだっ」
50歳手前ながら、未だ未婚のこの人物。 結婚まで行かないのは、正に親直伝のこの性格と云うが…。
(順子クンが、大学内に好きな人が出来ないと言った理由、何となく解らんでもない)
言い掛かりに困った越智水医師だが。
「然し、理事」
「何でしょうかっ」
「いや・・、その・・・。 順子クンが、自分から付き合いたいと云う人物が居たならば、それこそ運命でしょう。 彼女は大学の家畜では無いのですから、他人が自分達の勝手で、望まない相手を用意するのは…」
大学病院の中でも1位か2位と勝手に順位を付けられて、幸せな結婚をしたと噂される越智水医師。 然も、奥様は在野の開業医ながら、その人ぞ知る人物なので。 理事や他の医師からも、理想にされる。
然し、ぶっちゃけて越智水准教授の奥さんも元は、別の大学病院の医師だった。 越智水医師とは、それこそ大恋愛だったが。 大学の派閥だの合理主義等といった良さと悪さを天秤に掛け、自分としては大学の職員は性に合わないと去った口で在る。
然し、勅使河原理事は、越智水医師の結婚を引き合いに出して、色々と言って来た。 この人物に何をされた訳でも無く、大学を去る者を見下す様な認識しかしない人物なのに…。
(ハァ、面倒な事に成ったな)
木葉刑事を紹介した手前で、順子に余計な口出しなどしたくない。 越智水医師は、どうでも良い話に痛む頭に堪えて。 無駄な時間を過ごしたので在った。
さて、渦中の人として最大の関係者と成った古川刑事と詩織はどうしていたか。
この日、古川刑事は一日中を仕事で外回りをして。 またしても、アパートに帰る事は無く。
一方、夕方。 祖父の家に荷物を置きに来た詩織は、年老いて孫には緩い祖父と一時を過ごしてアパートに戻る。
祖父は、
“今日から過ごしても良いのだぞ? 部屋の片付けなど、日を改めれば手伝いを雇う”
等と言って来る。
だが、何よりも心配なのは、父親の事。 詩織は、まだ父親を待ちたくて帰った。
だが、深夜に成れば悪霊は古川刑事の視界に現れ、また渋谷方面への歩みを続ける。 こんな映像が視えているのに、娘の元へなど帰れる訳も無い。 無惨に殺害される、呪った相手と呪った側。 詩織の見ている前で、自分を無惨に殺させるのは避けたいのが親心だろう。
(この悪霊が存在し続ける限り、必ず誰かが死ぬ。 誰かが止めなければ、誰かが倒さなければ…)
今日と云う平穏無事が、永く続く事は無いらしい。 それを理解する古川刑事だからこそ、身勝手な事でも一石二鳥を狙ったのだ。 和世の仇を討ち、悪霊を倒す機会を得ると云う事を………。
[カウントダウン:運命のその日まで、残り4日]
‐ 次の日 ‐
警察病院で一泊した順子は、朝に起きて木葉刑事の身の回りを世話する。
(ハァ、此処に住めないかしら…)
最近、自分のマンションにまで、珍妙な誘いが来るので困っていた。 セキュリティーは万全だが、インターホンを押す相手がこれまた理事の息子だの、同僚だのと気持ち悪い。 1度、少し前に引っ越したのだが。 探偵でも遣ったのか、調べられていた。
だが、ふと木葉刑事の顔を見ると…。
(もし、この人と一緒に成ったら、変なものとかと一緒なのかな…。 でも、一番変わった意味で、退屈はしなそうよね)
と、未来を想像したりする順子。
順子は、見ての通りに行動力としての馬力は有る。 一々、結婚までを粛々と・・なんて、性格でも無い。 木葉刑事がその気ならば、肉体関係で子供を作る方からでも構わない。 生きる術は、そこそこに身に付けているのだから。
処で。 木葉刑事が昏睡しているこの日は、存外に客が多い日と成る。
先ず、午前中に見舞いに来たのは、一課長と篠田班長で在る。
「あら」
一課長は、順子の様な美人を前にして、驚いた顔をする。
「貴女は・・木葉のお知り合いで?」
「はい。 友人で、○○大学病院の医師をしています。 昨日から急に眠ってしまったままで、体調が心配で…」
篠田班長は、‘眠ったまま’と聴いて。
「まさかっ、容態が急変したんですかっ?」
と、木葉刑事を見て慌てる。
順子は、木葉刑事を見続けながら。
「どう説明をして良いか、少し困りますが。 身体は順調より早いペースで回復はしています。 既に、全身の痣は消えました」
一課長と篠田班長は、あの酷い痣が消えたと聞いて。 二人して、驚き見合う。
順子は、更に。
「然し、あの痣が無くなって肉体の回復が津波の様に襲って来たのか。 意識がはっきりしない様な、ある種の眠りに陥ってしまっていると考えられます…。 次に目を覚ませば、退院まで直ぐだと思うのですが…」
一課長は、色の入る眼鏡から木葉刑事を見て。
「犯人を追える可能性が在る木葉だから、早い復帰を望みたいが。 もう少し、待つ必要が有るわな」
と、言うと。
「あ、これ」
と、東京駅でも買える菓子を差し出し。
「詰まらないものですが、どうぞ」
と、順子に渡した。
受け取った順子だが、その眼は一課長の下心の雰囲気も見抜いた。
(この人は信用の出来ないタイプだわ。 多分、木葉さんをダシに遣うタイプだわ、きっと…)
と、察して解った。
然し、篠田班長は、
「思えば、木葉の奴は。 広縞の事件から、色々と大変だった。 起きないのは、佐貫が死んだ事とか、要因が色々有りそうです。 つい先日には、親しくしていた古川刑事の奥さんも、あんな惨い事に成ったし…」
こう木葉刑事の内面を察して言った。
順子にして見れば、此方の篠田班長の方が。 一課長の人物よりも、人間が出来ていると解った。
さて、この二人が退室してから、30分ほどか。
午前11時前。
「おはよう」
里谷捜査員が、病室へと入って来る。
然し、その姿を見て。
「あれ、里谷さん。 車椅子は?」
松葉杖に似た杖を両手に歩いて来た姿の里谷捜査員。
「あの御札の効果、どんな薬より強力よ」
と、順子の横まで来る。
「その様子からして、確かに凄そうね…。 でも、内臓は?」
「それ、そっちの回復が、加速的に進んでるの。 でも、人工肋骨の定着と、内臓の復調も看て。 木葉さんと、退院は同じぐらいかもね。 まだ、二・三日の入院は、絶対に必要だって…」
こう言った里谷捜査員は、唐突に。
「ねぇ、順子さん。 悪いんだけど、下の食堂まで一緒して」
「はぁ?」
すると、順子に手を合わせて来る里谷捜査員。
「怪我の治りが加速したのは、凄くイイんだけど。 お腹が空いて、しょうがないの。 一人で二人分を、然も患者が変でしょう?」
魂胆が分かる順子は、目を細めては里谷捜査員を見返し。
「あら、医師の前で暴飲暴食?」
「お姉様、どうか哀れな女を助けると思って…」
すると、自身も空腹の順子は、先を見越して。
「いいわ。 でも、デザートは、あげない」
「それは、オッケー。 今日は、特別にケーキの移動販売が来てるの」
「まぁ。 目当ては、それ?」
「4割5割は、ね」
「ほぼ、半分じゃない」
女性らしい会話をしながら、二人して出て行く順子と里谷捜査員。
だが、順子の腹の据わり具合を里谷捜査員が知るのは此処だった。
階段を使う二人だが、物陰に居る黒服のサングラスをした女性に。 人目を気にはした順子が、
「木葉さん、お願いね」
と、わざわざ言った。
その光景を見た里谷捜査員は、階段を踏み外し損なうほどに慌てるのだが。
陰ながらに、
「元より。 此方も仕事だから」
と、声が返って来る。
それを聞いた順子は、堂々と階段を降りて行く。
里谷捜査員は、その背を見て。
(正直、この彼女と結婚なんかしたら、木葉さんには勝ち目無いわ)
と、思うのだった。
だが、一人に成った木葉刑事の元に、今度はまた変わった客が来た。
それは、男女の二人。
「失礼しま~す」
先に自動のドアを開いて入ったのは、黄色いダウンジャケットに、黒いズボンを穿く若い女性。
そして、後から入るのは、短い頭髪ながら180センチを優に超える長身の、スリムな格闘家の様に見える男性だ。 青いスーツの上に、ダークブラウンのコートを羽織っている。
木葉刑事が横に成るベット。 その横に立つ二人は、明かりも点けないままで。
少し鋭い印象を受ける切れ長い眼、黒い髪に肌色の瑞々しい肌をした綺麗な娘が。
「兄さん。 木葉さんは、生きてるんだよね?」
スポーツ刈りが少し伸びたぐらいの頭をして、切れ長い目を細める若い男性も、同じく木葉刑事を見下ろしていて。
「
持参した花を枕元の台に置く娘は、年の頃20歳どうか。 だが、木葉刑事を知っているらしい。
また、長身の凛々しい立派な男性も、椅子を二つ用意して若い娘と一緒に座ると。
「この間は、起きてるって聞いたのにな。 木葉先輩、同僚を失った事が響いているのかも」
この長身男性を、‘兄’と言った若い娘は、
「やっぱり、相棒を亡くすって・・想像以上に辛いんだね」
と、云うと。
長身男性も、木葉刑事を見詰めて。
「先輩がこうなるだけで、こんなに心苦しいんだ。 亡くすと成ったら、想像を絶するよ」
「兄さん、あの事件ってさ。 もしかして、誰も関わっちゃいけないんじゃない? 明らかに、起こってる事の全てがおかしいよ」
「裕子、それはな。 現場に出る刑事が、一番に感じてるさ」
短い頭髪の長身男性は、少し間を空けてから更に。
「でも、な。 刑事に成ったら、事件を追わずには居れないんだ。 解決する事が出来なければ、こうして拡大化する」
「でも、こんな風に拡大化って、普通ならテロだよ…」
「だが、基本的に犯罪者が、被害者に変わる。 悪人を暗殺しているみたいだから、誰もテロとは言わないな」
「でも、何で依頼者まで殺すの? 普通なら、対価はお金でしょ?」
「さぁ、其処が一番の謎だ。 一課の知り合いは、そうゆう相手を殺す‘シリアルキラー’じゃないかって云う。 首を置くのは、恨みを晴らした事の罪と罰の表現じゃないか・・ってね」
「兄さん。 でも、犯人は・・複数? 幾ら何でも、警察も行方を追うのが難しい、振り込め詐欺のグループよ。 それを壊滅させるなんて、単独で出来る? それに、拘置所や留置場に入って居る人まで…」
「だが、実際に起こっているからな。 然も、被害は服役を終えて出所した者や、服役中の刑務所でも…」
若い女性は、木葉刑事を見て。
「私、木葉さんが死ぬのは、イヤだ…。 兄さんと同じくらい、イヤだよ」
「裕子…」
二人して、昏々と眠る木葉刑事を見て、心配から募る言葉を重ねて行く。
そして、正午。
「ハァ~、食べた~食べた」
と、里谷捜査員が言い。
「ねぇ、本当に腹部の臓器を損傷してるの? 食べた量が尋常じゃ無かったわ」
順子が返す流れで、二人が病室に戻る。
木葉刑事の病室に入った二人は、座っている二人の男女を見る事に成る。
「あら、お客様」
里谷捜査員は、二人が窓から入る光と、外の薄曇りの影響で良く見えない。
一方、順子と裕子と云う娘が、互いにぎこちなく会釈を交わした。
その後、長身男性が。
「木葉先輩のお知り合いですか?」
と、女性二人に声掛けた。
ベットに近付く順子が、
「はい」
と、短く返すと…。
長身男性は、順子に軽く頭を下げてから。
「私は、警視庁組織対策室に所属します。 居間部
と、自己紹介をしてから、若い娘の肩に触れ。
「此方は、妹の裕子です」
すると、互いに顔を見れる形と成って、順子と裕子が挨拶を再度交わした。
だが、里谷捜査員は、
「居間部・・あ! 組対課に入ったスーパーエース」
迅を見て、思わずそう言う。
誰よりも先に順子が反応し。
「‘スーパーエース’?」
と、問い返すと…。
妹の裕子が。
「兄さんは、27歳で生え抜きや学歴のイイ人材が集まる、組織対策課に配属されたから。 一応、公務員試験の1種と司法試験も突破してるし」
何となく理解して順子は、迅と云う青年を見返して。
「あ、それで…」
と、‘スーパーエース’の意味を納得する。
順子の側にまで来た里谷捜査員は、迅を見て。
「あら~、噂以上にイケてる…」
と、小さい声で言った。
確かに、短い頭髪の迅だが。 その顔は、中々に精悍な感じも在る、整った顔立ちをしていた。 警視庁内でも、密かに複数の女性警官が狙うと噂されるだけ在る。
迅は、順子の顔を見詰めて。
「お二人は?」
先に、順子が。
「私は、大学病院で神経内科の医師をします。 清水 順子と申します。 木葉さんとは、今回の事件を切っ掛けで知り合いまして…」
の、後を奪うに近く。
「私、警視庁警護課の里谷です。 清水さんの大学病院にて、木葉刑事と一緒に負傷しました」
二人の話を聴いて、迅は直ぐに二人の事を理解する。
「あぁ。 現場に居た女性医師と、協力で現場に来ていた警護の…」
順子は、裕子を見返して。
「残念ね。 一昨日なら、木葉さんも起きていたのに…」
迅は、眠る木葉刑事を軽く見ては。
「自分も、先輩が起きて居ると聴いて、妹と見舞いに来たのですが…。 先輩は、まだ復調して居ないみたいですね」
「いえ、回復はしています。 この最近の短い間で痣がもう消えたから。 眼が覚めれば、退院も近く成るのにね」
‘医師’と聴いた手前か、裕子が順子へ。
「木葉さんの身体は、元に戻るんですか?」
「それは、もう大丈夫よ。 身体を見れば解るけれど、顔から足まで痣も取れて、肉体も急速に回復はして来てる。 けど、筋肉や神経の損傷が大きかったから、退院しても直ぐに刑事さんの仕事へ復帰が出来るかは・・微妙ね」
「そうですか…」
気落ちする裕子だが。
順子は、木葉刑事の寝顔を見ては、何処か確信を持つ様にして。
「でも、木葉さんは絶対に復帰するわ。 まだ、あの事件は解決してないもの…」
そんな順子から、一度として視線を外さない迅。
イケメンと噂の迅に眼を向けていた里谷捜査員は、その静かな雰囲気に何か在ると。
(あら、もしかして・・一目惚れした?)
仕事の時と、オフの性格がちょっと違う里谷捜査員だが。 男女の色恋を見抜く眼は、中々に鋭い方で。 迅と云う人物が、木葉刑事を見る順子の姿をジッと見詰めていた事に下心を察知した。
こんな新たな人々の邂逅も在るのだが。 然し、まだ木葉刑事は目覚めない。
小一時間は話していた居間部兄弟が帰り。 その後、夕方には食事をしようと里谷捜査員も病室へ帰る。
順子からすれば、
“あれだけ食べたのに、夕食も食べるの?”
本当に呆れと驚きを見せた。
そして、この日の夜だ。
そこは、木葉刑事が一人寝るだけの病室。 夕方まで順子は居たが。 明日は仕事が有るので、仕方なく帰った。
既に、人気の無くなり始めた夜8時。 介助作業に動く職員以外は、病人も彷徨い歩いて居らず。 昼間の賑やかな廊下は、静かなものへと変わっていた。
だが、木葉刑事の病室へ、コートを片手にするスーツ姿の者が二人。 靴音も小さく入って来た。
閉まったドアの前には、あのSPと思われる黒いスーツ姿の女性が蓋をする様に立つ。
さて、病室内に来た一人は、他でもなく鵲参事官で在る。 相変わらずの色黒な顔だが、事件収拾の目処が立たないので。 幾分、疲れた様子で在る。
一方、その鵲参事官の脇に立つのは、スラッと見えるも堂々とした体躯の60絡みと見える人物だ。 細身の眼鏡をした顔は、一見するに学者の様な雰囲気も在る。 然し、鋭い眼光といい、シワが刻まれながらも引き締まった面構えといい、中々の人物と見て取れる。
その一廉の人物と思える年配者の男性は、眠り続ける木葉刑事を見下ろして。
「この青年か、恭二の甥っ子と云うのは」
その人物の脇に立つ鵲参事官は、身を正して軽く礼をすると。
「はい、長官」
‘長官’と呼ばれた男性は、更に目を細めると。
「鵲」
「はい」
「お前は、この甥っ子まで殺す気か?」
問われた鵲参事官は、珍しく黙った。
然し、長官と呼ばれた男性は、更に。
「何時までも、‘視える’だけの能力者を相殺要員にしても、だ。 今回の様な強力な‘G’には、対処が無理かもしれないぞ。 戦前は、あの様な化け物に対処する者が、国の抱える者の中に居たが。 様々な事から、その者達は犠牲にされ。 今では、政府の組織下にその対処する能力者は、組されていない。 科学的なものとして、証明されないからだ」
「は・・、ですが長官。 このまま、あの‘G’を放置すれば、‘怨神’《おんがみ》に変わります。 そうなれば、最早…」
「東京都が呪われる・・か」
「はい。 過去の事例に照らし合わせても、天変地異が起きれば、我が国は未曽有の恐怖に包まれましょう。 今の内に、今の内にあの悪霊をどんな手段、犠牲を払ってでも始末しなければ…」
「ふむぅ…」
唸る、‘長官’と云う人物は、やはり犠牲者有りきの遣り方が、その気持ちにそぐわないらしい。
然し、鵲参事官は完全に木葉刑事を駒として、相殺要員の様に考えている。
だが、廊下にて。 立正して警備するSPの女性は、その話を聴きながら。
(相殺しか、対処が無い? あの木葉刑事とは、既に死が前提に在るの? 視えると云うだけで、凶悪犯より恐ろしい存在へ嗾けられる・・。 モデルガンが使えるから、本物の機関銃を持って戦地に出される様なもの。 矛盾だわ…)
と、感じていた。
さて、‘長官’なる人物と鵲参事官の二人が、木葉刑事の病室から去った後。
夜の9時過ぎ。
SPらしき女性は、何故か病室に入り。 そして、弱い間接照明が一角に灯るのみの、薄暗い病室にて。 昏々と眠る木葉刑事を見下ろす。
(どうして佐貫刑事は、彼を助けたのか・・。 最初、参事官に事を頼まれた時、非常に嫌々だった。 でも、途中からは、明らかに変わっていった…。 そして、最後のあの言葉………)
“木葉っ! 俺も、地獄まで付き合ってやるっ!!!!!!! お前一人、全部を背負わせて堪るかっ!”
盗聴器から微かに聞こえた録音を聴いて、女性SPも不思議に思った。
実は、木葉刑事の見張りを言い渡された時、佐貫刑事は1度断った程に嫌々だった。 だが、この彼と捜査する内に、佐貫刑事の方が積極的に協力をしてゆく様に成る。
SPと成るこの女性も、二人が一緒に居る間の会話の全てを聴いた訳では無いが。 佐貫刑事のやる気が無ければ相棒を変えるとさえ鵲参事官は考えていたのに。 自分の想像とは真逆の様相として、佐貫刑事は命まで擲ち。 そして、木葉刑事を助けた。
“人の織り成す関わり合いは、時に想定を超える。 そして、この人物も………”
これだけ酷い身体に成っても、木葉刑事は事件を、悪霊を追う事を止めては居ないらしい。 死に掛けた恐怖よりも、信念や意欲が勝っていると見える。 どうして、其処まで出来るのか、それが解らない。
“回復して動ける様に成ったら、また追うのだろうか”
こう思いながら、彼女も部屋から消える。
然し、この夜も、木葉刑事は目を覚まさない。
そして、或る意味で、木葉刑事とは対極に居るのは古川刑事だろうか。 真夜中に古川刑事はカプセルホテルにて、標的に向かう悪霊の動きを見ている。
その映像が見えている間、隣のベットに入った誰ががブツブツと何かを呟いていた。 霊感が在るのか、怯えていた。
(和世・・和世…)
小さい遺影を抱く古川刑事は、映像が消えるまで見詰めていた。
[カウントダウン:その日まで、残り3日]
‐ 次の日 ‐
“木葉ぁっ! 何時まで寝てる気だっ!!!!!! テメェは、何処までも甘ったるい奴だな!”
もしかすると佐貫刑事が、こう叱り飛ばしたのだろうか。 早朝、ガバッと目を覚ました木葉刑事は、
「だれ・・かっ、だ・・だ、誰か…」
と、声を出す。
そのか細い声でも、部屋を盗聴していた女性SPが気付き。
「起きた?」
こう呟いて非常階段の影から現れると、木葉刑事の部屋に入る。
「おいっ、大丈夫か!」
押し殺した声ながら、目を開いた木葉刑事に問うと…。
「あ・・あぁ・・・漏れるぅぅぅ」
何の事か、女性SPは解らずに。
「何が‘漏れる’?!!」
すると、手を伸ばす木葉刑事で。
「と・・とと…」
「‘と’? と、何だ?」
「・・とと・とい・れ」
「………」
女性SPは、焦った自分が損した気分になり。 看護士を呼ぶボタンブザーを押す。
そのまま、黙って立ち去ろうとする女性SPだが。
「た・たのむ・・べんと・・う・・・5~6個」
掠れた木葉刑事の声を聴いて。
「バカな、それは過剰摂取だ。 死んでしまう…」
こう呟いて、廊下に消えた。
それから午前中、検査したり点滴したりする忙しい木葉刑事。 里谷捜査員が様子を見に来た事で、順子にも目覚めたと連絡が行くのだが…。
この午前中、ほぼ誰にも気付かれずして人の蠢きが在る。 その場所は、警察庁の或る部屋にて。 鵲参事官が、訪問者を相手にする事と成る。
その部屋は、木目調の壁に南北を挟まれ、東側が窓の並びとなる至ってシンプルな部屋だ。 役職に就く人物などに与えられる私室の、オーソドックスなタイプとなるだろう。
然し、その部屋は、他の一般的職員及び、既存の役職に就く者からすると…。
‘伏魔殿’
と、云われる。
一体、何の為に存在しているのか、殆どの者が知らないのだ。
然し、そんな部屋に、あの鵲参事官が入って居た。 応接の用意が在る部屋の奥にて、黒い一人用のソファーチェアに座る鵲参事官は。 灰皿も無いのに、白い乳白色の‘璧’《へき》が置かれたテーブルを挟み。 或る第三者と対峙して座っていた。
然し、此処で小さな小さな問題なのは、その鵲参事官の眼が。 昨夜の‘長官’と云う人物に対してや、他のどの者に会う時より鋭く。 そして、威圧的な印象を受けると云う事。
鵲参事官と対面するのは、大柄にてガッチリした体型ながら、何処か恰幅ともした丸みの有る身体に。 黒のスーツを着る、薄毛の中年男性で在る。
だが、その人物もまた、何処か食えない目をして。 相手を軽んずる様な、そんな態度が窺える。
さて、大柄で恰幅な中年男性は、やや前屈みに成り。
「鵲参事官。 そろそろあの案件は、ピリオドを打たないと大変だぞ」
鵲参事官も小さく頷いて。
「承知している」
と、だけ。
処が、相手の中年男性は、急に苦々しい顔をすると。
「然しながら、彼処まで育った‘G’は、戦後でも三例目。 以前は、あの君が知り合った駒で、何とか事足りたとか。 今回も、その動かしている駒で、早く始末したまえよ」
どっしり座った鵲参事官は、普段以上に鋭い視線を崩さず。
「三叉局長。 今回の事例は、戦後の枠に当て填まらない。 あの‘G’領域は、戦後の警察機構が出来てから初の脅威。 確実に追える駒を悪戯に潰しては、しくじった後が大変だ」
大柄で恰幅な“三叉局長”と呼ばれた人物が、その話に目を細める。
「‘確実に追える’だと? フン、随分な買い被りだ。 高が、ちょっと視えるだけではないのか?」
「いや。 あの木葉は、我々の想像を超えた、次の領域へと踏み入った。 電話などの通話の先に対象の‘G’が居れば、其処で。 また、‘G’の通った現場で存在を確認が出来れば、次に現れる現場を追える」
と、真剣に言う鵲参事官。
対し、軽んじた笑いを浮かべる三叉局長が。
「そんな逸材、居る訳が無い」
木葉刑事を見知らずして、彼はこう言い切った。
だが、鵲参事官は、
「‘居る’とは、適切じゃないな」
と。
その、絶対的な自信すら持って言う鵲参事官の様子に、三叉局長は興味をそそられたのか。
「何だと?」
と、聴く態度を窺わせた。
「何度も、対象の‘G’に触れて、‘G’との間に関わりが出来た様だ。 その繋がりを持った木葉は、確実に解る様に成ったのさ。 寧ろ、君の様に、ちょっとばかり感じるだけで、見る事も出来ない曖昧な素材より。 木葉の場合は、生まれつきの素養も含めて、まだまだ伸びしろが在る。 私の本音は、貴方の後任を彼にしたいぐらいだ」
この鵲参事官の言葉に、明らかな棘を感じてか。 視線を鋭くする三叉局長。
「だが、‘怨神’の域に入れば、大昔から語られる祟り同様に成るぞ。 それまでに、あの化け物を潰せるのか?」
「三叉局長。 その可能性については、我々では測りかねない事などは、貴方も既に十分ご承知の筈と思うが?」
「鵲。 不確定だから、わざわざ聴いているのだ。 我々の局だって、強みは公開する事が出来ないデータが在る、それだけだ。 素材を集めて、兵隊を創る域に無い。 それに、今や宮司だ、僧侶だ、神主と云う職は、昔の陰陽師や退魔師の様なエクソシストの能力は無いのだ」
すると、鵲参事官も視線を逸らし。
「確かに。 科学的根拠の無いものは、法の規律が及ぶ範疇に留めて於けない。 そんな御時世だからな…」
「そうだ。 我々は、‘G’の存在に脆弱なのだ。 信じる者が少なく成る分だけ、対処する意味も霞む」
「確かに、そうだが。 然し、今回の例外的存在まで成長する個体まで、遂に現れた訳だ。 いい加減に、少数精鋭の組織化はすべきじゃないか? ん? 三叉局長。 何時までも、素質が在る人間で相殺するやり方が通用する時代じゃない」
鵲参事官の意見に、三叉局長も頭を抱え始めた。
「然し、それはどうすればいい? 一体、どんな選別で組織しろと云うんだ? SATやSPの様には…」
「いや、存在を出す組織は、必要は無いだろう。 素材を、警察内の各部署に配置して置き。 必要な場合にのみ、召集を掛ければいいのでは?」
「それは…」
鵲参事官とこの三叉局長の話は、外に漏れず。 そして、明らかに木葉刑事を捨て駒と、そう見ていると感じられた。
ま、木葉刑事は、言われずも捨て駒に成るだろうし。 それは、鵲参事官や三叉局長の為でも無い。
さて、昼間の事。
軽い病院食を食べた木葉刑事は、看護士が消えた瞬間にベットから身を起こして、
「お~~~~い、何でもいいから、食べ物をくれぇ」
と、声を出す。
すると・・数分後。
あの、この部屋を監視している女性SPは、コンビニの弁当が二つ入った袋を持ち込み。
「これでいいのか」
と、差し出せば。
「ありがとう・・」
か細い声を出した木葉刑事が、その震える手で弁当を受け取る。 そして、まるで弱りながらも貪る様に、弁当を二つ食べる事に。
その傍らに立つ女性SPは、台の下の引き戸の中に在るペットボトルのお茶も出してやり。
「そんなに急いで、何をどうする気?」
と、尋ねると。
開ききらない目ながら、その虚ろな眼を前にする木葉刑事は。
「時間・・」
「ん?」
「・・ない」
「‘時間が無い’?」
女性SPが聴くと、頷いて弁当に向かう木葉刑事。
少し考える女性SPは、直ぐに思い当たる1人の人物が居て。
「まさか、古川と云う刑事の事?」
一つ目の弁当を、漬け物まで食べた木葉刑事は頷いて。 それから、カツカレーの弁当に手を付ける。
ボロボロの身体の木葉刑事を見る女性SPは、まだ歩ける身体でも無いと。
「その身体では、間に合う訳が無い」
と、思わずに呟いた。
だが、木葉刑事は、
「間に・・合わす。 佐貫さんとの・や・・やく・そ・・くだから」
こう言って、弁当を全て食べきった。
この弱った身体で、チキン照り焼き弁当と、カツカレー弁当を食べる事すら異常だが。
「ね・・る」
木葉刑事は、お茶で無理やりに流し込み、ベットに潜り込んだ。
女性SPは、前々から尾行をしていて不思議な人物と感じていたが。
(今だ、良く解らない刑事だ…)
こう思いながら。 そして、自分が居た証拠を持って、廊下に出て行く。
一方。 順子の居る大学病院では。
(あ゛、里谷さんからだ)
休憩室にて遅い昼間を過ごす時。 自分のスマホを見て里谷捜査員からのメールを知り、慌てて開けばまた木葉刑事が目覚めたと知る。
(ハァ・・、良かった)
スマホを抱き締める様に、順子は安堵する。
(痣も消えたし、10日もすれば退院できそう)
明日は、日昼に余裕が在るので。 その時間を利用して、見舞いに行こうと決めた。
順子も、木葉刑事の自分に対する熱量ぐらいは、まぁそれとなく解っているつもりだ。 然し、自分の気持ちを貫かなければ、自分が自分で無くなる。
或る意味、
‘面倒臭い女’
かも知れなかった。
食事を済ませる順子は、仕事に必要な知識や準備をしながら。 他の先生や看護士との雑談に応じる。 恋愛の話を振られようが、自分に強要されない限りは、他人とも上手く付き合える。
そして、仕事に没頭すれば、理事の戯言の様な見合いも軽くあしらえる。 木葉刑事が目を覚ました事は、今日の彼女の追い風となった。
然し、夕方。
(あのバカ、何をしてるのよ)
御札をもう一枚貰ってみようかと、木葉刑事の部屋に行った里谷捜査員。 然し、其処に木葉刑事は居らず、リハビリにと病院内を歩き回っていた。
特別病棟から手摺りを使って、呻き声を出しながら階段を下り。 転びそこなったり、滑ったりと。 その不格好な姿は、生まれたての四つ脚動物の様で。 看護士に見付かると、連れ戻されそうに成るのだが…。
「だい・じょ・ぶ、だい・・じょぶ…」
と、絶対に云う事を聞かない。
その木葉刑事を追い掛けてみる里谷捜査員だが、バカらしくて途中で引き返す。
夕方6時過ぎに。 病室に這って戻る木葉刑事は、看護士にどやされていた。
「あら、やっと戻ったの?」
見舞いの品をパクパクと食べていた里谷捜査員は、白く柔らかい床を這って来る木葉刑事に言う。
「き・きて・・た」
「えぇ、ちょっと用が有ってね」
然し、後から来る看護士の女性は、ガッシリした体格を慌てさせ。
「木葉さん、早くベットに…」
「はい…」
戻った木葉刑事は、ヘロヘロのグロッキー状態で。
それでも、看護士の女性が出て行くと。
「さい・ご、2枚は・・ベット…」
里谷捜査員は、椅子に座りサブレを食べながら。
「あら、察しがイイわねぇ。 じゃ~それ一枚は、若者に使うわ」
もう一人、重傷を負った者が居る事を、木葉刑事は解っていた。
「おねが・・・す」
うつ伏せで、そう呟いたままに眠る木葉刑事。
その顔を覗く里谷捜査員は、
「気合い、空回りね」
と、言って。
「で~は、頂きますか」
ベットの下に挟まる御札を勝手に引き抜いて貰って行く。
その夜、里谷捜査員が、もう一人の怪我をした入谷捜査員の元に行き。 押し売りの如く言いくるめて御札を巻かせた事は、木葉刑事も知らない。
その夜は、去年から比べ殆ど事故や事件も無く。 警視庁は、返って臆病なほどに構えた。
だが、ビジネスホテルに宿泊する古川刑事は、窓に映る映像を見ている。 悪霊が、四ッ谷麹町付近を歩いて居る。
木葉刑事は、古川刑事の呪いを止められるのだろうか…。
[カウントダウン:運命のその日まで、残り2日]
‐ 次の日 ‐
朝、目を覚ました木葉刑事は、全身に熱を帯びているのが分かる。 最低気温の1℃と云う中、外よりは空調が利いているが。 それでも、起きた彼は湯気を纏っていた。
(身体が・・あつ・い)
声がまともに出ないほど、喉が乾いていた木葉刑事。
朝9時頃。 看護士が木葉刑事の様子を見に行けば。 500ミリリットルのペットボトルに入ったお茶の空容器が、なんと4本も台の上に並ぶ。
然し、其処には病人本人がまた居ない。
「あらっ、木葉さんが居ない!」
驚いて病室を出て行く看護士は、
‐ 身体を動かして来ます ‐
の紙切れを見たのみ。
そして、中庭にて。 様に成らない不格好な動きながら、筋トレやランニングをする木葉刑事。
彼を捜しに来た看護士もこれを見ては呆れ、動ける様に成るまで元気に成ったのだからと近くに居ない。
さて、やはり下半身とは云え、全てを一気に吸い取った荒療治の代償は、寡黙神主の言う通りだったが…。
(クソッ、クソッ! もっ、朦朧が・・何だっ! バラバラに成った・・佐貫さんにくら・・べたら)
走るのは得意だったのに。 今は直ぐに息が上がり、身体が重い。
「ハァハァハァ…」
四つん這いに成る木葉刑事が、小春日和の日差しを受ける中。
「あら、凄い。 もう、運動できる様に成ったみたいね」
聞き覚えの在るその声に、顔を上げる木葉刑事が。
「御札の・・効果・・・どう・でした?」
立て膝の木葉刑事の前に、松葉杖も使わなく成った里谷捜査員が来る。 半目の呆れ顔ながら、
「どんな原理か解らないけど、この通り特効薬並みよ。 昨日、どうしても欲しかったけど、貰って大正解。 入谷君も、痣が消えたわ」
と、言って来る。
理解した様に頷いた木葉刑事で。
「残り・にっ2枚・・・あげて・・正解でしたね」
腕組みも、もう器用にする里谷捜査員で。
「お金出してでも、良かったくらいよ」
その感想を受けた木葉刑事は、一つ大きく深呼吸をすると。
「・・・」
何となく見合う木葉刑事と、里谷捜査員だが。
木葉刑事が、ちょっと真面目に。
「因みに・・一枚、お幾らで?」
すると、腕組みを解いては、その手を拳にして振り上げた里谷捜査員。
「貰ったんでしょっ」
と、もう元気な様子を窺わせた。
さて、全身を筋肉疲労に襲われた木葉刑事は、病院食だけじゃ物足りなくて。 10時頃に来た越智水医師の持って来た弁当も食べれば、10時半頃に来た順子の持って来た弁当まで食べた。
良く晴れ渡る空の下で、ストレッチに身体を動かす木葉刑事に。 ベンチに座った越智水医師が。
「なぁ、木葉クン。 あの詩織さんの事なんだがね。 彼女は、安全だろうか」
アキレス腱を伸ばしてから、一息着いた木葉刑事は。
「大丈夫ですよ。 既に、警視庁の警護課がそれとなく着いてますし。 訪ねてきた相手の身元まで、実は判明してますからね。 向こうも、自分達の動きを知られては、詩織ちゃんに手を出す訳にも行かなくなりましたでしょう」
「そ・そうか。 それは良かった…」
「昨夜に確認したメールでは、お祖父さんの自宅と言う場所に、仮住まいと云う形で移ったそうで。 和世さんの捜査も、徐々に進展し始めているとか。 問題は、寧ろ連絡を貰えないフルさんです」
然し、それはおかしいと、そう思う越智水医師。
「古川さん、仕事の方は?」
「してます」
「家には?」
「詩織ちゃんが居ない今は、どうだか」
「う~ん」
困ってしまう越智水医師と、黙る木葉刑事。
越智水医師の横に座る順子は、二人の危惧や心配が良く解らない。
「どうして・・、それが心配なんですか?」
すると、彼女にやや甘い越智水医師が。
「古川さんは、悪霊に対する情報を豊富に知っているし。 存在に対する認識が、ハッキリ在る」
「でも、それは木葉さんを通じて・・ですよね?」
「そう。 だから、もしも古川さんが、悪霊を利用して奥さんの仇を取る事を選んだら?」
「あっ」
「古川さんは、木葉クンが悪霊の存在を知る事も。 悪霊が夜な夜なに視える事も。 そして、悪霊の存在が他に影響を及ぼす事も、既に知っている」
二人が、古川刑事の心配したり、相談し合う意味を理解し始めて、順子は顔を強ばらせた。 遂に、親しい者にまで、悪霊の影響が出る事に成るのだ。
「先生。 木葉さんからの連絡を取らないのは、もしかして・・それを悟られない為? アパートに戻らないのは、お嬢さんに映像を視られない為と。 悪霊に因る影響を…」
他人にでも、それを口に出されたら尚更に、古川刑事への心配が募る。
中庭から、外の敷地と成る。 垣根代わりの欅の先の道路を走る車。 それを見る木葉刑事は、明日には自分から病院を出る気だった。
さて、同日同時刻。
昼間。
(木葉・・お前って奴は、俺の意識を読んでるのか?)
コンビニの前で、弁当をかっこむ三住刑事を脇にし。 おにぎりを一つ食べる古川刑事は、木葉刑事からのムービーメールを見ている。
‐ フルさん
俺が退院したならば、悪霊は止めますよ。
詩織ちゃんを、親無しになんかしません。
悪霊を遣う事を選んだフルさんを、和世さんが誉めるとでも?
時、既に遅いですが。
フルさんに、詩織ちゃんの背中で泣く和世さんの姿、見せてやりたい。
憎しみで、悪霊を遣う限り。 悪霊は、力を増すんです。
自分は、佐貫さんとの約束を果たす為、詩織ちゃんを守る為。 差し違えても、悪霊を鎮めます。
フルさんは、バカッスよ。 死んだ和世さんを、また泣かすンスから。 ‐
このメールを見た古川刑事は、若造扱いしたい木葉刑事から叱られ。 やはり自分が間違って居たのかと、痛烈に感じる。
然し…。
(木葉、だがな。 間違いを犯したからには、もう止められねぇんだ。 詩織と和世が泣いていたなら、俺もヤキが回ったかも知れねぇ。 だが、和世を殺して逃げる犯人を裁けるならば、俺は鬼でも悪魔にでもならぁ)
既に、地獄へ堕ちると覚悟した古川刑事。
(木葉っ、俺と詩織を助けたいなら! あの化けモン、止めてみろぉ!!)
コンビニ前に立つ古川刑事の鬼気迫る顔に、白い息を吐く通行人が驚いた顔をして見る。 刑事で無いなら、悪い組織の組頭とも見えるだろうが。
その横に屈んだ三住刑事が、その妄想を助長させる。
そして、チラホラ見られる三住刑事は、スパゲティを口から垂らしながら、漸く古川刑事を見上げて気付き。
(な゛っ、なんだぁ?)
スマホの画面をギラギラと睨む古川刑事だが。 それを見上げ、
(ヤベェっ、古川さんが怒ってる゛っ)
と、残りを一気に頬張る三住刑事。
口が閉まらないままに、グチャグチャと噛む三住刑事は、空容器をゴミ箱に入れた。
さて、自分の罪を再認識する古川刑事は、青い空を見上げてから目を凝らす。
そして、何かを諦める様に。
「三住、終わっ・・あ?」
‘食事を終えたのか’と、見ると…。 直立不動に突っ立つ三住刑事が、前を向いてモゴモゴと口を動かすのみ。
「お前・・あの大盛りをもう食ったのか?」
「あう・・ぐぅまいあ」
「食いきってから喋れ。 何言ってんのか、解らねぇよ」
「はう゛」
「んじゃ、仕事に戻るぞ」
と、歩き始める古川刑事。
処が。 この古川刑事の姿を、二つの方向から監視する目が在る。
一つは、コンビニの中から。
(此方、監視班。 ターゲット、また仕事に動きます)
背の高い背広姿の若者が、立ち読みするベタな姿からこう襟裏に呟いて店を出る。
だが。
‐ 監視班、気を付けろ。 交差点の対岸に在る歩道橋に、スコープを持った外国人が居る。 ‐
店を出た背広姿の人物は、
(一旦、路地裏に回ります)
‐ 了解。 追跡にサポートをする。 ‐
どうやら、鵲参事官の手が回っているらしい。
だが、歩道橋の上には、カジュアルな冬服にロングコートを羽織る白人男性が居る。
サングラスを掛けているが、その耳には。
‐ リュード、そのまま尾行しろ。 もし、この国の当該機関に出会す様なら、逃げる事を優先しろ。 確保されては、手が足りなくなる。 ‐
どこからその様子を見ているのか、彼も解らないだろうが。 明らかに、チームで古川刑事を監視しているらしい。
その二つの尾行は、何時から始まったのか。
恐らくは、和世が死んだ後からか…。
ただ、どちらも直接的に干渉しないのは、古川刑事が仕事しかして居ないからだろうが。
この日。 血腥い異臭騒ぎから、雑居ビルの一つに警察の手が入り。 また、15人の首が無い死体が発見される。
その何れも振り込め詐欺か。 組織的に麻薬を売るグループの遺体らしいとの事。
また、報道陣が押し寄せたが。
“いい加減、この手のニュースは腹一杯”
と、云う様な。 疲労感が、カメラマンやリポーターに見える。
然も、ネットも、街角の噂話も、死んだのが悪人なので。 同情など少なく、寧ろ清々しているぐらいにしか、意見が無い。 テレビでやってもこれだけの事件なのに視聴率が取れないので、最近はゴシップネタの方が時間を多く取り始めた。
それに加えて、首の置かれた者の事件が明らかと成る。 首の持ち主は、拘置所に居た2人、既に刑期を終えた者が1人。 刑務所に居た3人だ。 先に、犯罪者が殺害された訳だが。 呪った相手が今頃に解る。 一人暮らしとなる者は、死んでいる事が解るまでに日数を要する。 この死の連鎖は、呪いの方程式を示す事と変わらないと言えた。
この流れからSNSの一部では、殺人鬼に対するファンクラブが出来たり。 次に殺すのは、どんな事件の犯人かと云うランキング項目が生まれ。 トップ5の中には、和世さんと若い母親を轢いた事件が入った。
悪霊の仕業をある種の英雄視する事に。 佐貫刑事が死ぬ処まで掘り下げて考える人は、絶対に違うと言うのだが…。
然し、TVで犯人を非難すると、世論は其処に疑問を呈す。
悪霊と云う存在を解らない者は、自由勝手にアレコレ云う。
中には、悪霊の映り込む映像を見て、気分を害すると云う。 能力の片鱗を現す人も居るらしい。
賛否両論を含め、見えない悪霊が、人々の意識の中に存在しようとしている。
このままいったら…。
そして、悪霊は更に今日も歩みを進める。
[カウントダウン:その日まで、残り1日]
‐ 次の日 ‐
身体検査、MRI、血液検査など。 朝から検査に入る木葉刑事と、里谷捜査員。
木葉刑事は、全身筋肉痛と慢性疲労。 背骨や上腕の骨も心配された。
里谷捜査員は、人工肋骨の定着化や、左上腕骨のヒビが心配された。
然し、木葉刑事の筋肉疲労。 里谷捜査員の肋骨の安定感に、医師はちょっと考えたが。
夕方には、二人の退院が許可された。 明けた次の日には、退院して構わないと云う。
二人して夕方には自由となり、病院の一階から行ける外のアーケードとなる新設されたフードコートにて。 まだ本日までは入院患者で在りながら、立派な食堂に入る二人。
「しっかし、このレストランって、警察病院の1部となる一階に在るとは思えないッスよ」
明るく高い天井は、何処かショッピングモールのフードコートの様。
席に座って待つ里谷捜査員は、初めて来たと云う木葉刑事に。
「木葉さん、前にも左手の怪我で入院したじゃない。 何で、此処を知らないのよ」
夕日の差し込む庭を見れる透明な窓越しに、外を眺める木葉刑事。
「知らなかった…」
呟く木葉刑事だが、何処までも普通の人間に見える。 幽霊を視る力なんか無ければ、叔父さんの事さえ無ければ、こんな事件に関わる事もなかっただろう。
そんな木葉刑事を里谷捜査員は前にする。
そして、食事を終えた二人は、動物的な本能で襲って来る眠気を感じ。 それぞれ、病室へと戻った。
この日の木葉刑事の生活の流れは、こんなものだったが。 表裏で暗躍する或る動きには、或る大きな攻防が有った。
先ず、表となるのは警察で在る。
少し、時間を戻す事、昼間。
古川刑事の奥さんの和世と子供が二人いた母親を、雪の降る中で轢き逃げしたと思われる高級車。 その持ち主と思われる人物が、茨城空港で搭乗しようとしたと通報が有った。
古川刑事の後輩で、刑事に成った後に警視庁捜査一課へ移動した諸方刑事。 彼女の所属する班が居る警察署に設置された捜査本部に、その一報が入る。
所轄の刑事課が、覆面車両にて二台。 警視庁捜査一課の刑事も四人が確保に向かった。
空港の新しい搭乗手続きは、指紋と網膜のダブルチェックに変わり。 近年では、顔認識システム内蔵の、‘警備ロボット’なるものまで導入されていた。
さて、刑事達が空港に到着すると、空港警備員と空港警察官が刑事達を迎えた。
被疑者が国外逃亡を図ったと、駆けつけた刑事達は緊張した。
だが、空港警察官の捜査員から、
“チェックに引っ掛かった人物は、搭乗手続き後に飛行機の乗り込みゲートへ来なかった模様”
こう聴けば。
‘搭乗口に来なかった’
とは、刑事達も驚きだが。
チェックに引っ掛かった人物の姿は、瞬時に防犯カメラにて映像が出され。 ゲートに立つ警備の情報端末に送信、警備室の捜査員と警備員には、写真が出される。
黒いサングラスと、女性用ウィックで変装していたその人物は、搭乗手続き後に変装を変えたらしいが。 その映像も追跡システムにヒットして、警備員に情報が回った。
また、飛行機の機内では、その影響からCAに因る再チェックが機内にて行われ。 遂に、引っ掛かった人物は飛行機に乗る事無く。 刑事達が来る前に、外へ消えていた事が判明する。
捜査する側は、身柄を押さえられなかった事に歯軋りをしたが。 情報の集積から事件経過を観察すると、被疑者は確実に国内に潜伏すると認識した。
そして、この日。
夕方の4時過ぎか。 東京都広尾に在る、或る大使館の中で。
グレーヘアをして、金縁眼鏡を掛ける白人男性の外国人が居る。 落ち着いた青い色のスーツ姿で、立派な造りのデスクを前にしては、高そうなデザイン性の有る椅子に座っていた。
スマートホンを手にしたその人物は、誰かと通話をしていた。
「では、息子の轢いた女性の娘とは、もう接触が出来ないんだな?」
と、かなり困った声音で電話をしている。
また、彼のスマホからは、
「はい。 先日に、此方が一方的に接触した事で、危険と判断されたのでしょう。 当該機関により、監視・保護されています。 此方から近付こうものなら、恐らく警察から人員が…」
「ぐっ。 それでっ、父親はっ? あの刑事は、どうしてる?!」
「それが…、驚く程に冷静な様子で、仕事の業務をこなしています」
「何だとぉっ?!! いいか、自分の妻が、無惨にも轢かれたんだっ! 担当する警察署だって、息子の事を陰ながらに、根掘り葉掘り嗅ぎ回っているんだぞっ!!!! そんな冷静な態度は、普通じゃないっ」
白人の紳士風体な外国人男性に、電話越しながら怒鳴られた相手も。
「は・はい、ごもっともです…」
と、納得する。
大声を荒げた紳士風体の外国人は、額に手を遣り悩ましげに。
「いいか、息子は絶対に警察にやらんっ! 本国に詳細な連絡が行く前に、とにかくどんな手を使ってでも国外へ出すんだ」
「は・はい、それは解っています」
「それならっ。 前に、成田で見付かりそこなり。 その後は、千歳空港にまで情報が行ったとか。 今日は、茨城空港で変装を3度も変えたのに、何故こう成ったっ?」
「それが、以前に御子息がですね。 覚醒剤密輸が発覚した時には、嫌疑不十分でしたが。 その情報が、ブラックリストに乗っていたそうで。 また、お車の所有者としても、ご友人と乱交騒ぎをして載せたブログ等からして、密かに指名手配が為されいる様です」
「指名手配っ?! 指名手配だとっ?!! そっそんな事はっ、ニュースではやって無いぞっ!」
「其処は、まだはっきりとした証拠が無く。 当該機関が空港や港など限られた出国の可能な場所のみに、情報提供を求めているからだと…」
この話で、外国人男性は更に、顔を厳しくさせてゆく。
「だが、まだ息子のやった事と、ハッキリした証拠は挙がって無いハズだろう?」
「いえ。 それが事故後、直ぐに廃棄処分へ出した車ですが。 バラバラにしたパーツの一部が、外国船に乗る前に当該機関に発見され。 他のパーツも、行方を追われています。 日本の当該機関の組織力からすれば、後一週間も無く集められてしまいます」
絶望的な状況だと、頭を抱えた外国人。
「とにかくだっ。 どうにかして、息子を海外に出せないか? 偽造のパスポートを手に入れて…」
「然し、大使。 奥様も、御子息も、バラバラに成るのは嫌だと仰いますし。 また、国のお父上は、さっさと警察へ突き出せと…」
すると、激しく机を叩く外国人紳士で。
「おぉぉまぁぁぁえぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!!」
怒声を吐く外国人紳士だが。 実はこの状況、昨日や今日の話では無い。 自分の秘書からメイドまで、一部を除いた者が全て。 妻と義父の用意した人員で在るから、仕方の無い処が在る。
「旦那様、とにかくもう少しっ。 もう少し、お待ち下さい! 奥様が御納得されて、お金が引き出せれば、如何様にも仕様が…」
入り婿で在る外国人紳士は、財布の紐を妻に握られている現状に苛立った。
(なんて云う事だ。 こんな事件で、息子が逮捕でもされたら・・。 地位が危うく成るのは、私だぞっ! 息子も、妻も、所詮は将軍の血族だが。 私は…)
経済的な手腕を買われ、後継者と云う言葉に載せられ今の妻と結婚したが。 バカを甘やかす妻の所為で、芯まで腐った息子が出来上がった。
若者が溺れる、実にシンプルな物。 酒、女、金、薬に、息子は躊躇する事も無く次々と手を出し。 甘やかす妻を通じて、父親なのか、使い勝手の良い使用人と云う感じに、自分に尻拭いをさせる。
だが、まさか外国にて人殺しとは…。 ドラッグ中毒の身で飲酒をして、スピードの出し過ぎの上に、信号無視。
これで、先進国の中で許されるなら、法律もクソ喰らえで在る。
茨城空港から逃げ帰った息子は、妻と大使館内の秘密の部屋に居るが。 妻は、助けを乞う息子を誰にも絶対に明け渡さないと言い。 何処にも遣らないと、さっき決めた。
父親で在る外国人紳士は、このまま行くとまた尻拭いをする事に成る。 無駄で、意味の無い尻拭いだ。
然も、彼の望む未来からすると、この尻拭いで被る汚点はとんでもない痛手と成る物だ。
然し、頭を抱える外国人紳士は、何よりも不思議で、恐ろしい事が在る。 それは、妻を轢き殺された、古川刑事の真意。
普通、妻が轢き殺されたら、犯人に怒りを向けるのは当然だろう。 然も、自分自身が刑事。 調べ回る事も出来るし、この公邸を張り込むぐらいしてもいい筈だ。
だが、その素行は、至って普通で在り。 齎される情報からでは、彼の本心が解らずに困った。
更に、息子を取り巻く当該機関の捜査状況は、確実に外堀を埋められて来ていた。
この緊迫した状況が、何時まで続くのか。 外国人紳士には、身を摘まれる想いしかしなかった。
そして、その夜。
警察庁の或る部屋では、与党の政治家や警察庁長官。 外務省の大臣も集まり、話し合いが行われていた。
三角に組まれた、横に長いテーブルとパイプ椅子に腰掛ける6人の男女。
外務大臣に成った60代の年輩女性は、紺色のレディスーツを着ているのだが。 その顔は、落ち着き払ったものでは無い。 目つきが尖り、不満が顔に現れていた。
「警察庁長官の太原さん。 貴方は、国益と云う言葉を御存知ないの? あの御子息を刑事捜査で追い込んで、一大プロジェクトとなるインフラ整備事業が頓挫したら、如何するつもりなの?」
その問う声には、明らか過ぎる非難が籠もる。
だが、背筋を正す警察庁長官の太原は、その枯れ始めた厳格な顔を引き締め。
「我々は、大使に対しての捜査は、一切行っていないのですよ、外務大臣。 こうゆう場合に於いても、しっかり影響を与える部分と、そうでは無い部分を外交的に説くのも。 其方の都合では、有りませんか?」
この二人の遣り取りに、細身の中年男性が。
「二人して、正論を言っている様だが。 政治は、そんな真四角では成り立たない。 太原長官、犯人の息子は、必ず逮捕させる。 石川大臣、外務大臣としても、向こうにその説明を入れてくれたまえ」
其処に、まだ若そうな顔立ちながら、短めの黒髪からして、中々に凛々しい雰囲気の女性の議員が。
「波風を少なくするならば、やはり一度はそのバカ息子を国外への逃亡を許すべきです。 泳がせて、海外で逮捕させましょう。 工事さえ着工してしまえば、後は国の規律に問えばいいです」
先ず、言い合う二人にこう言ってから、現在の捜査状況や情報の報告書を見ると。
「大体、既に挙がって来ている証拠を見ても。 あの国の大使の子供として、全く話に成らないゴミでしょう? 外交として、大使に向かう責任を緩めてやればいいだけだわ」
と、続けて云うではないか。
法務大臣を務めるこの中では1番に老いて見える老人も、重々しく頷き。
「神崎議員の仰る通りですな。 解体された車の内装を調べ、覚醒剤の反応が出たとか。 アルコールに、精液や多数の血液反応まで…。 然も、人を二人も轢き逃げして殺め。 交通法も、多数違反。 こんな人物をのさばらせたのでは、法治国家は骨抜きですよ」
すると、最近か。 スキャンダルで引責辞任した幹事長に代わり、新しく与党第一党の幹事長に座った中年女性が。
「石川大臣。 向こうの大使に接触して、それとなく国外退去を仄めかして下さい。 それから、太原長官。 向こうの出方次第ですが、国外逃亡を図った場合は、必ず逃がして下さい。 春先の工事着工後。 指名手配して、何時でも捕まえる態勢を取ります。 こんなクズでも、扱い方を間違えると後々に大変ですからね」
外務大臣と警察庁長官は、二人して納得したと頭を下げる。
すると、若い女性の神崎議員が某国の大使の息子の顔写真を棄てる様に遠ざけてから見下し。。
「ぶっちゃけ、首をモぐ例の連続殺人鬼。 コイツを葬ってくれないかしら。 生身の扱い方は、確かに難しいけど。 でも、絶対に赦せる相手でもないわ」
法務大臣は、その発言について。
「神崎議員、それは世間で言うと失言ですよ」
すると、神崎なる女性が。
「誰が、此処以外で言いますか」
と、反論する。
中年女性の幹事長は、大使の息子の詳細なデータを見ながら。
「でも、私の私的な本音を云うならば、例の悪霊に殺して欲しいものだわ。 法で裁くのも、どうあれ遺恨が残りそう…。 個人の恨みから、呪った相手も相殺されたならば、世間の同情から言い訳も出来るしね」
だが、細身の中年男性の議員は、太原長官へ。
「然し、太原長官。 これまで、此処まで強力な‘G’は、嘗て無い。 兵器や何かに利用できれば、心強いがね。 そうもゆかない今、本当に祓えるか? 此処に集まった6人の内、半分の者には存在を感じる事が出来る。 然し、映像を見るだけで、吐き気を起こす程の個体は、後先に初めてだ」
すると、法務大臣の老人も。
「いやいや、過去の古い昔には、これ以上に成長した個体も居たらしい。 だが、‘怨神’に成られては、また遷都を余儀無くされる事も在る。 出来るならば、今の内に潰して頂きたい」
と、話を繋ぐ。
どうやらこの場に集まった6人は、あの悪霊の存在も。 また、幽霊の存在も認識している様だ。
外務大臣の年配女性は、神崎議員や法務大臣を見て。
「私は、全く感じませんが。 本当に、悪霊だのと云う存在が?」
その場に出された様な質問だが。
肩を竦める神崎議員は、
「視えない事に、越した事無いわ。 あんなの、寧ろ視えない方が清々する。 視えたって、良いことなんか一つも無い」
と、極端に霊の事を嫌うではないか。
若い女性の代弁者とか言われ、少々ばかり気の強過ぎる神崎議員だが。 その彼女が、怯える様に毛嫌いするのだ。 外務大臣の女性も、嘘と笑い飛ばす事が出来ないで居る。
すると、法務大臣の老人が。
「外務大臣、視えない者が、視えない部分に目を当てる必要は、些か愚行です。 寧ろ、見える部分を見れば、それだけで十分に存在を理解するに足りる」
見えない外務大臣は、
「‘見える部分’?」
と、首を捻る。
「如何にも。 一連のあの事件の現場には、表沙汰に出来ない証拠が在る。 連続強姦殺人鬼として、死んだ広縞に。 最後の犠牲者として殺められた女性の毛髪、指紋、劣化した血液が残るのだよ」
「法務大臣。 それならば、警察の誰かが。 若しくは、遺体を発見した誰かが。 その遺体から一部を持ち出し、今の事件に使っているのでは?」
「では、監視カメラに映らずして、どうやって鍵の掛かった病室の女性をバラバラに出来るのだね?」
「それは…」
「それだけでは無い。 大学病院の地下駐車場で、医師を一人殺した後。 一キロ近く離れた別棟に居る別の医師を、僅か2分足らずで移動して殺す。 最悪は、その大学病院内の敷地に於いて、捜査員一人を粉微塵にした。 爆薬も、機械も使わずしてな」
「・・・」
黙った外務大臣の彼女だが。
やはり、全く見えない幹事長の女性が。
「私も、最初は信じる気は無かったわ。 家の子供や夫が怯えて、映像の映っていたテレビを壊すまでは・・・ね」
と、前置きし。
「でも、ネットの過剰な盛り上がりは、今すぐにでも鎮静化させたいの。 今の事件の流れから言っても、完全に‘怨み’と云う祈願を、視えない存在が成就している。 このまま行けば、神崎議員の話じゃ無いけども。 TVで取り上げられただけで、憎まれる対象に成るだけで、悪霊に狙われる可能性が出て来るわ。 それが、過去でも服役を終えた者に及んでしまっている。 とにかく、連鎖を止めないと大変な事に成る。 我々の様に人目へ晒される者は、例外でも無いしね」
幹事長の話で、6人の間には沈黙へ落ちる。
然し、自分達で何とかしようとしないのは、やはりその術を知らないからか。 若しくは、その危機感が近く無いからだろうか…。
さて、明日には木葉刑事が退院する。
まだその事を知らない古川刑事は、ビジネスホテルで真夜中に悪霊を見る。 声か大きく聴こえ、歩みながらも時折に此方を視る様な事が増える。
(俺の死も近いか…)
内心で、娘や亡くなった妻に謝る彼で。 覚悟をまた噛み締めた。
[カウントダウン:その日まで、残り0日]
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