第三部 最後のその時に向かって。 第一章 走馬燈

【終わりを求める木葉は、自らを枯らすとも厭わず。 回想の道を行きては、約束の場所へ】



          1


遂に、木葉刑事が運命の掛かる三日間に入った。 これからの三日間は、木葉刑事の歩みと。 その周りが過ごす、運命の日にち。


天を覆う灰色の雲の下。 煙りの様に暗い叢雲が空を漂い始めた。 雲の重なる所は、時に人の苦悩する顔の様な模様に似たりて。 また、北風が何かの到来を告げる様に、都内を歩く人々に更なる寒さを突き付ける。


そして、事態は暗雲の如く降り坂を堕ちる。


四日目の朝を迎えた時、この事態にはどんな結末が待つか。 それは、退院した木葉刑事の行動次第と成るのだろう…。



2月 初旬 晴れ。


朝、9時過ぎ。


「先生、お世話に成りました」


診察室にて、スーツ姿の木葉刑事は太っ腹を揺する医師へ頭を下げる。


「いやぁ~、あの怪我がひと月半で、此処まで治るとはね」


木葉刑事の回復力に、太っ腹を揺する医師も感慨深いらしい。


然し、医師は、直ぐに顔を引き締めて。


「だけれども、木葉さん。 これからひと月か・・ふた月は、無理しては駄目だよ。 もし、次に同じ様な目に遭うならば、確実に死んでしまう。 其方の班長さんにも言ったが、無理だけは駄目だよ」


こう言ってくれた医師に、木葉刑事は深々と頭を下げた。


この医師が、この数日で何度も不思議がったのは、背骨や肋骨などのヒビや骨折が、痣が消えるのと同時に完治まで回復していた事。 くっ付き始めたぐらいなら解るが、損傷の痕が見えないぐらいに、完璧な再生をしていたのだ。


今、病院を出る木葉刑事は、筋肉痛と疲労感は有る。 然し、骨や関節や神経の痛みは、全く無いと言って良かった。


さて、退院したその足で、警視庁に戻った木葉刑事。


警視庁に入る木葉刑事は、一気に噂の的と成る。


(おい、あの木葉が帰ったぞ)


(マジか? あの怪我が治ったのか)


(てか、奴の顔を見たか?)


(あぁ。 なんか・・、凄く厳しい顔してたな)


先ず、木葉刑事の元に、美人女医の順子が来ていた事は、以前から小さな噂に成っていたが。 それを聴く余裕が彼の雰囲気には無い。 挨拶も普段からしない者が大半だ。 彼女の事を茶化す事も難しい中、1人2人と顔見知りが挨拶をした時だけ。 木葉刑事の表情が和らぐ。


或る大柄で太った年配の男性が、廊下で木葉刑事を見て。


「おぉ、木葉。 漸く退院したのか?」


「江森さん、おはようございます」


大柄で、相撲の関取みたいな体格の江森警部は、警視庁捜査三課の精鋭となる班を束ねる主任(班長)だ。 窃盗や盗難の専門となる部署が三課で。 強盗団や窃盗団から、名うてのスリ師を相手にして来た人物だ。 過去には、窃盗事件が殺人へ発展し。 木葉刑事とも2度、3度と捜査協力をした事が在る。 見た目は魯鈍な態度の人物だが、スリや盗みを見逃さない観察眼は‘超’の付く一流で在る。 古川刑事の奥さんとなる和世や、子供と一緒に轢かれて亡くなった女性の事件にて。 事故車両を引き取り素早く解体して売り飛ばすには、それなりのルートを経るのが普通と。 事故車両のパーツを捌いた闇ブローカーを割り出したのが、この江森警部率いる三課の刑事達。 古川刑事がこの情報を聴いたならば、涙を流して土下座で礼を言っただろう。


「おいおい、木葉ぁよ。 もうそろ昼だぜ。 ‘おはようございます’は、ちと遅かないか」


「あ、そうッスね」


「いやいや、まだ気を取り戻す前のお前を見舞ったが。 あの痣がキレイに取れたな。 回復力も、見た目に反して一流だな」


「いや、ひと月半も掛かりましたよ」


「で? 噂の美人さんとは、結婚も秒読みかい?」


「あ、いや…。 今は、そんな気に成れません。 事件がどうなって行くのか…」


「木葉よ」


「はい」


「あんな化け物の起こす事件に、心を満たすな。 時には、一時だけでも横に置け。 忘れる事は出来なくとも、少しだけでもな」


「・・はい。 では、主任や一課長に挨拶をして来ます」


「おう、まだ安静にしてろよ」


「はい。 あ、江森さん」


「ん?」


「解体された事故車両のパーツ探しに尽力して下さったとか。 古川さんや御家族に代わり、お礼を言わせて下さい。 ありがとうございます」


「あ、嗚呼。 そういや、お前は所轄の古川とは仲良かったのか」


「はい。 家族で仲良くして頂いてました」


「あんな酷い事故を起こして逃げる悪党をのさばらせたんじゃ、俺達って刑事は無能の税金泥棒になっちまう。 捜査、進展すると良いな」


「はい。 今度、何か差し入れしますね」


「おう。 なら、‘銀の斧と金の斧’の〘鉞・極〙(まさかり・きわみ)を頼む」


「江森さん。 また俺は、息子さんに叱られるンですか?」


「大丈夫だ。 お前から貰ったって言わないからよ」


「解りました。 サイズは、懐具合と相談ですよ」


「出来れば、デカい奴な」


「はいはい」


江森警部と別れた木葉刑事は、警視庁内の会議室へ向かった。


例の事件の捜査本部とな会議室にて、木葉刑事を見た篠田班長は、彼の退院を寧ろ喜んだ。


「おぉ、木葉っ。 良ぉく戻ったな。 一課長も、お前の復帰を待っていたよ」


木葉刑事が入院している間に、様々な事件が起こるのだが。 誰一人として、その犯人の影すら掴めない。 犯人とニアミスを起こした木葉刑事は、寧ろ必要な存在だと、今は首脳陣から密かに再認識されていた。


処が、木葉刑事を見て安心をした篠田班長は、ゆっくりと表情を平静のモノに変えると。


「木葉、んじゃ~ちょっとこっち来い」


彼を連れて廊下へ。 そして、敢えて班に宛てがわれた部屋の方に、木葉刑事を連れ出した。 二人のみの部屋となる処にて、篠田班長のデスクを挟みお互い対面に立つと。


「さて、木葉。 退院はしたが、医師の診断は聞いた通りだ。 だから、お前の正式な復帰は、明明後日の朝からだぞ。 いいな」


「はい」


「明明後日からまた捜査に戻るまでは、必要以外の遠出はせず。 身体、体力の復調に、その時間を使って勤めてくれ・・以上だ」


篠田班長の話に、正しく一礼して返した木葉刑事。


「篠田班長、長々とご迷惑を掛けました。 復帰致しましたからには、亡くなった佐貫さんの分まで、頑張らさせて頂きます」


「あぁ。 だがな、木葉よ。 お前は、絶対に死ぬなよ。 佐貫刑事の死亡の影響は、とても重い」


「はい。 では、失礼します」


廊下へと下がる木葉刑事だが、元より同僚との親交が薄い。 寧ろ、佐貫刑事との親交が特殊だった。


刑事課の誰とも話し合う事も無く。 また、雰囲気がガラッと変わった彼に、気軽と話し掛けられる者も居ない。 飯田刑事が居れば、それも可能だっただろうが。 彼は、本日は休みで家族と過ごしている。 メールにて、退院の祝い、無理をしない様とする旨の、両方の内容を綴ったモノが携帯に来ていた。


また、木葉刑事と仲の良い鑑識課の皆は、様々な事件へ駆り出されてしまい。 待機する一班は、新たに編成された班。 古株の鑑識員以外は、木葉刑事を知る者も少なく。 従って、ほぼ無言で警視庁を出る事になる。


一人、昼に警視庁を出た木葉刑事だった…。


さて、少し時を戻すが…。 木葉刑事が警視庁に入った頃か。 短めなソバージュヘアをした女性SPが、以前に三叉局長が来ていたあの部屋に、鵲参事官から呼ばれていた。 警察庁の‘閉ざされた部屋’と呼ばれている中の一部屋で在る。


1月末に鵲参事官は、‘長官官房付き’から、‘長官付き’に変わった。


「参事官、お呼びでしょうか」


警察病院にて、木葉刑事を警備していた女性SP。 彼女の名前は、茉莉 まり かすみと云う。 彼女は、その容姿を変えるべく、髪型と化粧を少し変え。 また、黒いスーツにサングラスをして、鵲参事官の前に立っていた。


三叉局長と対峙していたソファーにて、烏龍茶の小さいボトルを飲む鵲参事官が。


「ん・・茉莉。 来て貰って早々に悪いが、このまま木葉を監視しろ」


茉莉隊員は、身を正して。 以前と同じ任務の継続と理解し。


「は、引き続き彼をマルタイとして…」


と、言い掛けた茉莉隊員だったが。


「勘違いするな」


鵲参事官が、急に鋭い言葉で言うではないか。


自分の認識と、命令する鵲参事官の趣が違うと察した茉莉隊員だから。


「・・は?」


と、聞き返せば。


「木葉は、既にマルタイでは無いと云う事だ。 奴は、あの悪霊と云う存在を消す為の、云わば相殺要員。 お前には、奴を常に監視して、悪霊との接触やその結果を見届けて欲しい。 それだけだ」


監視、尾行、内偵捜査などの任務を、これまでに幾つか機械的に遂行して来た茉莉隊員。


然し、此処に来て急に‘相殺’とは…。


「‘相殺要員’ですか…」


ちょっと驚いた口調にて、こう反芻した茉莉隊員。


然し、前を見詰めながら、その目を鋭く研ぎ澄ました刃物の様に、一点を見詰め細める鵲参事官で在り。


「奴が、あの悪霊と相殺しなければ、更なる犠牲が増えて困る。 第一、既に古川なる刑事が、自分の身内を殺され。 その怨みを、あの悪霊で晴らそうなどと…」


やはり、国の役人が法律を超え、悪霊で怨みを晴らそうと云う行為を、鵲参事官は許したく無いのだろう。 然も、その怨む相手が悪過ぎる。


茉莉隊員へ、顔を正して向ける鵲参事官は。


「とにかく、茉莉。 君には、次の時に対処が出来る様、データを集めて欲しいだけだ。 最終的に死ぬ奴の保護など、・・この際は無用だ」


恐ろしい事を平然とした顔で言う鵲参事官だが。


見ている茉莉隊員は、


(流石に、鵲参事官にもそろそろ焦りが…)


と、鵲参事官の内心を推し量る。


どうやら、彼も切羽詰まっている様だった。 事件の処理と云うよりは、強大化する怨念に怯えている様で在る。


然し、内容がどうあれと茉莉隊員は、木葉刑事の事を捜すべく。


「了解しました。 では、彼を捜します」


一礼する茉莉隊員に、鵲参事官が念を押す様にこう言う。


「いいか。 捜査員の死は、時としてピンキリだ。 茉莉、木葉には絶対に肩入れするな。 佐貫の二の舞には、決して成るなよ」


釘を刺された茉莉隊員は、流石に鵲参事官をサングラス越しに見詰めた。


鵲参事官も、サングラスの奥に潜む茉莉の目を見る。


返事を遅らせた茉莉隊員は、言葉無く一礼して廊下へと下がった。


その様子を観る鵲参事官は、もう3ヶ月を超える観察となる為か。


(やはり、既に肩入れが始まっているな。 …仕方ない、か)


任務として木葉刑事を監視する茉莉隊員だが。 彼が不正をしているとか、何らかの隠し事をしているとしての内偵調査の任務ならば肩入れなど起こらない。 だが、実際は刑事として、この国の大変な危機に立ち向かう捜査員。 考え方の拡大解釈をすれば国の防衛にも近しい事で、同じ能力が備わるならば共に行動をしても可笑しくは無い。 本当の木葉刑事は、あの悪霊を鎮めるその目的1つで動いている。 その行動の全てを粗方知った茉莉隊員だ、肩入れをするなと言っても、彼がその目的に突き進むならば、手助けをする事も察せられる。 それは、嘗ては木葉刑事の叔父となる恭二に肩入れした鵲参事官の様に………。


さて、時が等しく流れる昼頃か。


(そうか、木葉の奴。 漸く退院したか…)


都内の或る交差点を渡った後。 着信を知って、歩道脇に避けてメールを見た古川刑事は、感慨深く一つ頷くと。 後ろに着く三住刑事へ。


「三住(みすみ)、飯でも食うか」


安物の縦縞柄物スーツ姿をした長身男性で、オールバックにした様子が暴力団員みたいな人物・・と云うか。 古川刑事以外には、猪突猛進で嫌われる三住刑事。 何時も、頭の上がらない古川刑事とコンビを組まされていた。


「はい。 では、今日は何にしましょうか」


すると、ギロっと三住刑事を視る古川刑事が。


「仕事中に、定食屋で暇作る気か?」


然し、本日の既に必要な聞き込みは、終わっている。 後は、被害者遺族の様子見や、事件に対する個人的な疑問点潰しのみ。 だから、ゆっくり食べても良いと、そう感じた三住刑事だった。


「あ゛っ、いえっ」


慌てて、直立不動の姿に成る三住刑事。


然し、古川刑事はニタッとして。


「ま、いいや。 今日は、‘カレハ’の退院祝い。 お前の希望で、ゆっくり昼にしようか」


こう言われた三住刑事は、退院したのが誰かは直ぐに解る。


「あ、あの一課の刑事さんが、退院したんですか」


「あぁ、らしいぞ。 捜一の篠田班長は、これでまた忙しく成る」


「はぁ?」


体力には、折り紙付きの自信を持つ三住刑事だが。 頭の回転は、イマイチらしい。


「古川さん。 何で、あの刑事が復帰すると、忙しく成るんですか?」


「いいから、何を食うんだ?」


「あっ、焼き肉」


思わず、本当に食いたいものを言ってしまった三住刑事。


‘大馬鹿野郎’


口に来たこの言葉を飲み込み。


「なら、店を決めろ」


と、短く言った古川刑事。


そして、店を選んだ三住刑事は、大衆的で腹一杯に食べれる店を選んだ。


二人して注文をして。 吐く息が臭くなるだろうに、焼き肉を頬張る三住刑事だが。


実は、その内心では、


(古川さん、やっぱり変だ)


と、切々に感じている。


三住刑事の知る古川刑事の家族想いは、身近に居た彼も良く良く知っている。 その奥さんを、あんな形で殺されてるのに。 こんなにも平静に居られる古川刑事が、全く信じられず。 寧ろ、虎視眈々と復讐でも考えているのでは・・と、勘ぐってしまいたく成る。


そして、


(あ゛、また…)


ふと見る古川刑事の眼。 その眼が時折に、ギラギラと床を睨んでいる。


“忘れてない。 怒りは、静まっていない。 犯人を殺してやるっ!”


そんな、たぎるほどの殺気と気迫。 それが混ざり迸る力の籠もった眼を、誰も居ない方へ、だが誰かを見てはするのだ。


三住刑事は、どちらかと云うまでも無く、叩き上げの警察官だ。 この若さで刑事に慣れたのも、昇進試験の面倒を古川刑事に見て貰ったからだ。 古川刑事は意外に法律には明るく、良き相談者で在る。


“古川さんを、犯人として捕らえるのは嫌だ”


この一念。 この念が強い三住刑事は、なるべく古川刑事の近くに居る。 何時も以上に足を引っ張ってもいいから、犯人逮捕の一報を待っている。


然し、既に委託殺人の依頼が、悪霊と古川刑事の間で成立していたとは・・。 幽霊が視えない三住刑事には、思いもしないだろう。


三住刑事のそんな想い。 おそらく普段の古川刑事ならば、直ぐに察して叱り飛ばしただろう。


だが・・、やはり古川刑事は、食事の遅い事には文句を言ったが。 三住刑事の心遣いには、全く触れなかった。


一方、昼下がりに。


警視庁の‘新宿舎’と成る目黒区のマンションにて。 木葉刑事の事を盗聴から探ろうとする者が在り。 関係者でないと停められない地下駐車場に、黒いマジックミラーのフィルムで窓を固めたワゴン車が在る。 その車内には、茉莉隊員の他。 男女の隊員が4人居るのだ。 その皆、盗聴からの音を聴くための特殊なイヤホンを耳へ差し込んでいる。


然し、


「………」


何も音がしない。


実は、木葉刑事のスーツのボタン、裾の中、捜査官バッチと、彼が身に付ける物には超小型マイクが密かに仕込まれている。


茉莉隊員をサポートするチームは、確かに木葉刑事がこのマンションに戻るまで、警視庁から見張り見届けている。


(可笑しい。 生活音も、寝息も聴こえない)


寝息すら聞こえて来ないことに、茉莉隊員が不安を抱く。


「此方、車内。 監視、マルタイを確認が出来る?」


と、声を出す。


新しい宿舎の窓が在る東側には、似たような高さの別棟が在る。 様々な試験や訓練や講習を行う場所だが…。


「此方、監視。 全く確認が出来ません。 それ以前に、リビングに動きすら…」


車内に居た茉莉隊員は、退院を急いでいた木葉刑事の内心には、何か企みが在ると感じていたから。


「いけない、既に躱されてる。 彼は、部屋に居ない」


車内に居たチームは、一同が。


‘まさかっ’


と、黙る事に成る。


ま、それもそうか。 刑事として、他の刑事から馬鹿にされる木葉刑事。 マイクもしっかりと仕込めたので、完全に補足は出来ると高を括っていたのが裏目に出た。


だが、裏口に居た張り込み役も、監視カメラを見ていた監視役も、全く抜け出る処を見て居ない。


一体、彼は…。


だが、今は彼の事は後回しにしよう。


さて、少し時を戻して、昼の聖凛学園にて。 友達と弁当を囲む古川詩織は、人前では決して涙を見せまいとしていた。 にこやかな顔をして、友達と今時の少女の一人として喋る。


この学園の昼は、案外緩い校風が在り。 廊下では、弾き語りをする生徒だったり、演劇の練習をする生徒も居たり。 調理実習室では串揚げを揚げるクラブが在ったり、具材を持ち寄り料理をするグループと、学園祭の様な光景が在る。


詩織のクラスでも、早速ホットプレートを使い。 男子数人が材料を持ち寄り、‘闇鍋’ならぬ‘闇焼きそば’を作っている。


そんな賑やかな中…。


「あ、メールが来てる」


メールに気付いた詩織に、机を寄せている5人の友達の内の1人が。


「あら、遂に彼氏?」


それに合わせて、細目の眼鏡を掛けた友達が。


「てか、詩織ってさ。 先週に、イケメンの先輩からの告白、断ったらしいね」


これには、白いヘアバンドをした私服の上着を着た友達が。


「いやいや、あれは断って正解だっての」


その話に、また他の友人が。


「なんで?」


「どぉ~してよぉ、あの先輩からの告白だよぉ~」


すると、その否定を入れた生徒が。


「あの先輩ってね。 既に、5股もしてんのよ」


「え゛っ!」


詩織以外の4人の女子生徒が、それぞれに驚く。


だが、メールを確認する為に操作する詩織は、何処かサバサバした物言いで。


「それは、関係ないよ。 今、私は、そんな事に気を向けられないってだけ」


こう言われては、5人の友達は直ぐに納得で在る。 母親を亡くした詩織で、恋愛なんて考える余裕すら無いと思えた。


すると、その仲間内の一人から、


「でも、それなら誰からのメール?」


と、気軽な仲間内の会話に入り。


‘木葉’


の、名前を見た詩織は、何処か安心した顔と成り。


「多分、お兄ちゃんと彼氏の間ぐらいの人」


と、言い。


それから態と、彼女には珍しくおどけ微笑むのだ。


然し、中高一貫のこの学園にて、詩織とは長い付き合いの同級生も混ざる友達。


「あ゛、あの刑事さんでしょう? 何時だか言ってた、警視庁の…」


以前、佐貫刑事と一緒に木葉刑事が、この学園に聞き込みへ来た時。 居間部 裕子いまべ ひろこと云う、女子生徒に出逢ったが。


校庭を歩いて出て行く姿を、進学科の放課後教室授業に出ていた詩織は、つい見つけたのだ。


「バレたか~」


と、メールを開いた詩織。


友達は、年上の刑事相手とは、とても関係がシブいと言い合う処。


然し…。



‐ 詩織ちゃん、本日に退院が出来ました。


入院中、何度もお見舞いありがとう。


和世さんに報告する事が出来ないが、唯一の残念だよ。


明明後日から仕事に復帰しますが。 出来ればそれまでに、連絡を取ってフルさんに会ってみようと思う。


詩織ちゃんは、とっても心配が在るだろうけど。 お父さんの事は、今回だけ俺に任せて欲しい。


        木葉より ‐


食事中にそのメールを見て、引き締めていた気持ちが緩んだ。 涙が溢れ掛けた詩織は、ガタンと音を立てて席を離れた。


「ごめっ、ん」


と、教室の出口に向かう。


焼きそばを作る音や廊下から聞こえる音楽に、机を寄せた友達以外は全く気付かない。


だが、トイレに駆け込んだ詩織は、個室に入ると膝を崩して。


「う゛っ、ううぅ・・、このはぁさぁん…」


と、搾り出す様に泣き始めた。


娘で在る詩織だ。 父親が、どれほどに家族を愛し、どれほどに強く母を愛していたのか。 言葉に表し尽くせぬほどに、良く知っている。


その詩織にとって、一番の不安は父親の事。 復讐をしやしないかと、毎日考えては心を痛めている。


詩織の不安を受け止めていたのは、古川刑事よりも、木葉刑事だった。


(木葉さんっ、お父さんをっ!!!!!!!!!!)


メールしても、電話をしても、全く応対してくれない父親。 無理やりに職場へ行けば、一度か二度は会えるだろうが。 その後、どうなるか…。


その事が怖くて、母親の死の悲しみすら素直に泣けない詩織。


其処へ。


「シォ・・」


「詩織・・大丈夫?」


と、心配に成って友人が来てくれる。


顔の涙を無理やり手で拭った詩織は、どんな顔をしていたのか解らない。


「だっ、大丈夫・・」


そう言って、ドアを開き出た詩織を見ると、一番派手な化粧をする女子生徒が。


「シォ、ツラいなら泣きなよ。 アンタ、無理し過ぎだってば」


と、抱きしめてくれる。


その瞬間だ。 木葉刑事に抱き付いた時を、詩織は思い出した。


「違うの・・、木葉さんが・や・・・やさし・・すぎるの…。 退院・・出来て良かった…」


呟く詩織が、抱きしめてくれる女子生徒に抱き付いた。


詩織とは、高等部からの付き合いだが。 2歳年上と成るその女子生徒は、こんな詩織を見る事は、これまででも初めてだ ったので。


「シォ、アンタってば、その刑事さんの事が好きなんだ」


頷く詩織だが、それだけじゃ無い。


「お母さんがね・・大好きだったの。 ‘息子みたい’って、‘不思議に温かい人’だって・・。 お母さんが、お父さん以外でそんな事云うの・・木葉さんだけだった…。 お父さんだって、‘アイツには、普通には視えないモノが見える、優しく強い刑事だ’って・・、他の誰にも使わない言葉を…」


詩織とは、長いと10年来の同級生と成る女子生徒も、この中に混じっている。 だが、こんな事を言うのは、詩織には珍しい。 それだけ、メールに何か意味が有ったのだと、感じていた…。




        2


さて、越智水医師を始めに、順子や詩織や古川刑事へとメールを送った木葉刑事は、一体、何処へ向かったのか。


警視庁を出た木葉刑事は一旦、目黒の新宿舎に帰った後。 入院中、密かに里谷刑事へお金を渡してはネットで買って貰った普段着に着替えると、直ぐに外出した。


だが、普通に出入りの可能な所は、全て監視の元。 だが、実は…。 そんな監視や防犯カメラに引っ掛からない逃げ道が、一つだけ在る。 既に、入院中から監視されていると解っていたが。 これから向かう所にだけは、迷惑を掛けたく無い。 その気持ちから、一時だけ尾行を撒きたかった。


黒いカーゴズボンに黒のコートを纏った彼は、珍しく野球帽なんてものを被って駅前の商業ビルのカフェへ。 そこで昼食をして、方々にメールをすると、その足で寡黙神主の元へ向かう事に。


退院に驚いたのは、医師でも在る順子。 彼女からは、今の身体では強引な退院だと。


‘会いたい’


と、云う内容ながら強い文面のメールが来たが。


(出来ませんよ。 もう、俺は死にますからね)


それより今、すべき事が他に在る。


既に、午前中の間に鵲参事官からは、古川刑事の行動の様子は情報を貰って在って。 それや、特別に篠田班長から貰った捜査状況を資料として眺めながら、電車を使って寡黙神主の元へ。


嘗て、あの連続殺人犯だった広縞も来た、烏神神社への道。 道路沿いを歩いて、竹林が途切れる右手に。 連なる鳥居と、点々と続く石畳が見えた。


(寡黙さんの居る神社は、この先か。 確かに、他の有名な神社に比べたら、参道も、鳥居も、ひっそりとしている)


こう、感ずるままに歩いて行けば。 ざわめく竹林の音、隠れて鎮座する地蔵の姿と、木葉刑事も懐かしさを覚えるものが在る。


東京都の中で、パワースポットでも無い場所ながら。 厳かな霊気を感じるままに、彼は一歩一歩を行くと。 途中で、鳥居の裏でうずくまる子供達の霊を視たり、竹林の中に昔の衣服の老人を視たり。


(厳かなこの場所は、霊の拠り所なんだな…)


こう思っていると、竹林の揺れ動く隙間に。 ほぼ薄くしか視えない女性の霊が、此方を睨んで来るではないか。


(あんな悪霊と繋がりが有る自分は、確かにいい客じゃないよな)


こう察する木葉刑事。


あの悪霊の持つ霊気は、既に幽霊個体の放つものとは違っていた。


幽霊の存在を感じて、怯えたり、寒気を感じるのが良くある反応だが。 あの悪霊の存在を解る者は、醜悪と云うべきか。 吐き気や頭痛を起こすほどに、怨みが偏執的な力を放っているのだ。


今、一歩・・一歩と、境内へと向かう木葉刑事。 だが、ふと視ると、その至る所に隠れる地蔵が目に入り。 一体一体をじっくり見れば、作られた年代が違うと、何となく解る。 縋っている幽霊の姿や、既に失われたハズの寄贈された前掛けが視えるのだ。


(忘れ去られた物、壊され掛かって移動させられた物、まだ道が整備される前に作られた物とかだな…)


まだ慕情と憎しみが混ざっていた時の母親の存在や、今の両親に受けた迫害から。 仕事をして幽霊に何度も遭ったとしても、神社や寺等の場所には行く気も無かった木葉刑事。 時折、幽霊の行きそう場所を求め、仕方無くと云う感じで訪れるぐらいだった。


以前に古川刑事が歩んだ時は、短い道だったのに。 木葉刑事には、長い道を歩む様な・・そんな気分で。 地蔵を見たり、鳥居を見たり、竹林を見たりする内に、或る記憶が蘇って来る。


“お兄ちゃん! ・・お兄ちゃんは、幽霊が視えるの?”


“幽霊なんて居ないよ。 お前は、幽霊なんて視たいのかよ!”


“うん、視たいっ”


“馬鹿じゃないか? 血みどろの姿とか、苦しむ顔の人が見たいった云うのと、一緒だぞ”


“そうなの? 幽霊って、そんなに怖いの?”


“テレビとか、観てみろよっ”


この会話は、ある時に弟と交わされたものだ。 木葉刑事の弟は、全く幽霊が視えない。 時々、自分が視た時に、まだ子供で免疫が無く。 冷や汗を掻いたり、顔を背けたりすると、そんな自分の様子に気付いた弟が興味津々に聴いて来た。


木葉刑事が、幽霊と向き合う様に成ったのは、叔父で在る恭二の影響が在ったからだが。 対処法や経験談を語り合っても、警察官に成るまで意志の疎通や観察はほぼして来なかった。


刑事に成る前の木葉刑事は、霊感の全てから逃げたかったのだ。


然し、それが逆転する切っ掛けが、遂に訪れる時が来る。


始まりは、新人の警察官として都内の派出所に配属となり。 警察官として初めて、殺人事件の現場の見張りをさせられた時で在る。


アパート前の見張りに立哨する自分の視界に、殺された中年男が常に視えていた。 ジッと、此方をただ凝視して…。


“チクショウ、視たくないのにっ。 何で居るんだっ! 俺は、犯人でも無いぞっ!!”


これだから、現場保存の立哨・警備はやる前から大嫌いだった。


然し、何日もそれをやらされる事に成って、常に霊が立って居る所が同じで。 そこは殺害現場では無い事に気付いた時。


(あの側溝の下に、何が…)


直感的に感じる。 それまでは、幽霊を視たくないと思っていたのだが。 視る事を強要されている状況に置かれる事で、自然と消える方向への対処を考えた結果の事となる。


この事件、その現場は車なんか通れない路地の曲がり角に在る、築50年を越えるボロアパート。 その入り口の前に立哨していた木葉巡査は、見られ続ける事への我慢が成らなくなって。


(クソっ、仕方ない)


意を決し、幽霊へと近付いた。


幽霊の立つ場所は、ステンレスのゴミ箱の前。 木葉巡査が近付けば、幽霊の男は足下に有る側溝を見下ろす。


(側溝? 側溝を見ているのか?)


頭の中で思えば、幽霊は死んだ時のままの顔ながらに、此方を向いて来る。


(チクショウっ、会話が成立してるよ)


亡くなった叔父のしてくれた意思疎通の話の様だと、仕方無く、嫌々だがその側溝を覗くと…。


(新しい側溝の手を入れる口の側面に、黒い・・・点って、これは・・血か?)


半信半疑のまま、帳場事件の捜査本部の立つ警察署に連絡を入れた。


当時、退官前の老練な班長の下にいた、今の班長の篠田刑事が。 その連絡を受けては、鑑識の一人を連れて来た。 これが、後の班長の1人となる鈴木と云うモアイみたいに面長の鑑識員だ。


殆ど、空振り有り気で来た篠田刑事に、敬礼をした木葉巡査は言った。


“御足労を掛けます。 実は、先ほどに野良猫が来ては、頻りにあの側溝の臭いを嗅いでいたので。 不思議に思って、手を入れる穴を覗くと。 何やら黒い跡が…。 汚れかも知れませんが、一応の報告をしました。 殺人事件の現場に立哨たつのは、今回が初めてなので。 自分の勘違いだったら、スイマセン”


丁寧に言う木葉巡査に、半笑いの篠田刑事が分かり易く軽い悪態と茶化しを入れて来たが…。


モアイみたいな顔の鈴木鑑識員が側溝を調べると、血液反応が出た。


まさかと、木葉巡査が篠田刑事の指示の下、側溝を持ち上げると…。 何と、ドブの中に落ちたゴミに乗っかる形で、凶器の果物ナイフが見つかった。


死体の在ったアパートと云う場所は、あくまでも遺棄現場。 殺害現場の特定を急いでいた本部は、鑑識作業を遺棄現場の部屋やアパート内に限定した。


と、云うのも。


通報から捜査員が向かった頃は、夜で雨が降る中だった。 然も、当時の其処には、ゴミが側溝の上にまで出ていたから。 ゴミ袋は見ても、側溝は見落としたのだろう。 それに、血痕は微量も微量だった。


さて、凶器発見が濃厚と成り。 見つかった両刃のナイフは、直ぐに鑑定へ向かった。 調べた結果、やはり凶器で。 被害者の他にも、血液反応が見つかったと云う。 勢い良く刺した時、犯人も指先に軽く怪我をしたらしい。


その凶器発見から、数日後。 ナイフの売られていたフリーマーケットが遂に特定された。 そして、その直ぐ後には、殺害現場も見つかった。 事件は、通報から一カ月もせず、犯人が捕まった。


亡くなった叔父の為していた事を、この一件で何となく感じた木葉巡査だが。 遺棄現場のアパートでは無く。 ナイフの見つかった場所に花を手向けたのは、其処に佇む微かな霊を解決後も視たからだった…。


その後、好んで遣った訳では無いが。 似たような事を繰り返し、警察官としては異例の二歩手前ぐらいのスピードで、所轄の刑事に成った木葉刑事。


その、事件解決に繋がる物証の発見、詳言を聴く経緯などへ至るまでの経過に対する言い訳が苦しく思われ無い限り。 一緒に組む刑事や現場の警察官に手柄を譲って来た木葉刑事なのだが。


処が。 所詮は、情報元が幽霊なのだ。 どうしても、苦しい言い訳を強いられる事も在れば、仲間に手柄を譲る名目が立たない時が、ままに出る。


然も、一見すると発見した物が、証拠として見られ無い物も在る。 その存在価値を解って居る木葉刑事と、解らない鑑識員や科捜研職員に隔たりが出来る事だって有る。


そんな時、事件解決を急ぐ木葉刑事が、その証拠を確認作業に当たり、目的を指定する。 するとやはり、其処には異端的な要素が滲み出て、‘変人’に見られる結果に成って終うのだ…。


また、これが周りの人間には、一番の不可解で在るが。 木葉刑事は、幼少から親より受けた格差の待遇の所為か、己の人間的価値を低く見る。 その、手柄を立てたりする一方で、譲ったり遜ったりするギャップは。 彼の生い立ちを知らない者からするならば、単純に何か気持ち悪いのだ。


そんな訳で、派出所勤務の頃、所轄の刑事時代から浮いていた木葉刑事。 そんな彼を警視庁へと引っ張ったのは、実は3人の関係者が絡んでいた。 1人は、当時は警視庁の公安部副部長となる〘桜花〙(おうか)警視と云う女性。 2人目と3人目は、色眼鏡の円尾一課長の下で事件を担当・指揮する‘管理官’と云う立場に在る2人。 1人は、とても美人な中年女性となる〘九龍〙(くりゅう)管理官と。 管理官の中でも事件解決率のトップを行く〘木田〙(きだ)と云う中年男性だ。 特に、桜花警視と九龍警視は、何故か木葉刑事を擁護して。 彼が所轄の刑事をしていた頃に、何度も手柄を挙げた。


さて、推挙も在り、警視庁に来た木葉刑事だが。 最初、捜査一課の刑事課で主任(班長)をする誰も彼を欲しいとは思わなかった。 それまでの噂が、本当の様に付き纏っていたからだ。 然し、最初に木葉刑事より手柄を貰った篠田警部補は、警部補の昇任試験等をクリアして繰り上がる様に班長と成ってから黒星を続け。 部下の一人が怪我を機に現役刑事から引退した時。 桜花警視と九龍管理官より木葉刑事の事を教えられる。


“木葉・・、あ!、アイツか。 そう言えば、俺が昇進する選考と成った手柄も、アイツと絡んだ時の事件が決め手だったな。 変な噂は付き纏うが、あの桜花警視と九龍管理官が警視庁に引っ張ったってなら、ダメな奴よりは役に立ちそうだ。 並みの刑事は、もう要らない”


こう思い立ち、自ら人事部に行ってお荷物の様な印象の木葉刑事を引っ張った。 すると、主任候補として有力だった飯田刑事が、家族の事を理由にそれを断り。 また、木葉刑事を引っ張るならば、ベテランの飯田刑事も付いてくると云う。


“よしっ、ツキが回って来たぁぁっ!!”


ベテランの飯田刑事は、警部補で主任に成れる立場だ。 刑事としても一流の中の一流捜査員。 彼が居れば、班として軸が出来ると篠田警部補は喜んだ。


さて、木葉刑事と篠田班長の関わり合いがこうして出来て。 木葉刑事と組めると飯田刑事すら右から左への流れ作業の様な人事で篠田班に2人が入った。 こうして、3年ほどする間に、篠田班は捜査一課の班でも稼ぎ頭的なエース班に成って行く。


また、この出来事と前後するのは、先に越智水医師と出会い。 そして、後から古川刑事との出会いで在る。


越智水医師とは、木葉刑事が既に所轄の刑事として働いていた時に、解剖に立ち会うと云う流れで出会った。


この時の木葉刑事は、幽霊が悲哀な存在とは認識をしていたが。 事件解決は、幽霊を長々と視たくないからやっていた。


まだ所轄の刑事で在った頃。 或る事件にて。 運ばれた解剖室の台の上に横たわる自分の遺体を、何故か見下ろす幽霊が居た。


それを、


“また、視てしまった”


と、面倒がる木葉刑事と。


“幽霊が、何か訴えかけてはいないか”


と、視た越智水医師が居て。


この二人は、同じ場所で視線を噛み合わせたのだ。


この時、目視による検死が終わった後から。 先に相手へと声を掛けたのは、越智水医師だ。 カップの飲料を販売する自動販売機前に居た木葉刑事へ近付き。


“君は、ひょっとして霊が視えるのかな?”


と、やや好意的に。


処が、この時の木葉刑事は、まだ視える事も、交霊し始めた事も、受け入れ切って居なかった所為か。


“さぁ”


と、距離を離す様に言うだけ。


越智水医師は、久しぶりに感じるだけではない。 視る事が出来ている人物を知っただけに。


“死者の姿が見えて、その声が聴けるなら。 何故に、その力を刑事の仕事へ活かそうとしないのかね?”


と、こう問うた。


だが、そんな越智水医師を煩わしいと無視して、木葉刑事は去った。


この後に行われる解剖では、胃の中から歪んだ指輪が現れる。


無念そうに指輪を睨む幽霊を視える越智水医師が、敢えて不審を言い病理解剖まで行えば。 なんと被害者は、軽度の砒素にも侵され初めていた。


司法解剖の報告がされる中、嫌々に近いながら。 被害者の無念を晴らし、幽霊を視る事から解放されようとする木葉刑事だが。


時折、平時でも視えるので。 まるで便利屋の様に頼られる全てが嫌で、休みは宿舎のマンションに閉じ隠っていた。


然し、署に出勤した時。 自分の元へ、越智水医師が来た。


“君が私を不快に想うのは、覚悟して来た。 実はね、まだ幽霊が視えるんだが。 私には、彼が何を言わんとしているのか、それが聞こえずに解らないんだ”


越智水医師が嫌だと、あしらおうとした木葉刑事だが。 嫌がる理由を聴かれては、本当の事など言える訳も無い。


“お前みたいなやる気の無い奴は、ウチの刑事課には要らねぇ!”


幽霊の事を見たくない木葉刑事の態度に、先輩の刑事が苛立ち。 こんな風にどやされていた事も屡々。


“仕方無い・・仕方無い”


もう半ば嫌々に、越智水医師の疑問を解く事に動く。


越智水医師の依頼にて、遺族に引き渡される遺体を見た木葉刑事は。 確かに現れた霊が奥さんを指差し、罵詈雑言を吐いて暴れているのを視る。


其処で、潰れた指輪を思い出した木葉刑事は、直ぐに本部に舞い戻った。


調べる事は、指輪の販売店では無く。 指輪の歪んだ意味を探すと、巷で‘離婚式’なるものが在り。 その時に、互いに指輪を潰す儀式も有るんだそうな。 亡くなった男性は、その儀式を真似たのか。 ハンマーで指輪を殴った形跡が被害者の自宅で見付かる。


また、自宅に現れた霊の様子から砒素の出所が、冷蔵庫に一個だけ残された裸の卵。 その卵の販売店を探して、購入者が元の奥さんだと解る。


愛人が出来た奥さんが、旦那を殺して遺産と保険金を独り占めしようと云う。 TVドラマみたいな殺意が、事件の原因だった。 殺害された旦那は、奥さんの殺意に薄々感づいていて。 離婚をしようとしていたが、相談役の年下となる弁護士が奥さんの愛人とは思わなかったらしい。


この後、木葉刑事と越智水医師は、深く語る事も無く別れた。 だが、視えるだけでは無い。 聴こえたり、意志の疎通が叶う事の辛さを越智水医師が察する事になり。 また、或る絶望的な事件を通して2人はまた出会い、その過程で少しずつお互いを知り合う事へ繋がって行くのだ。


この経緯を、当時に捜査本部で一緒に仕事をした篠田班長がふと思い出した事件の一つでも在り。 木葉刑事を自分の班に入れようと決める要因に成る。


そして、捜査一課の篠田班に配属されて、二回目の事件で。 木葉刑事は、古川刑事と出会う事に成る。


こんな木葉刑事が、自分の過去を語ったのは、これまでに3人だけ。


自分が家族扱いされて無かった、と少しだけ語ったのは越智水医師。


母親の事まで語ったのは、亡くなった佐貫刑事。


そして、粗方の全てを語ったのは、所属していた所轄の鑑識員をしていた‘三曽根’氏だけ。


60歳を過ぎて熟練鑑識員の一人を担う三曽根は、既に若者へ‘長’を譲ったが。 一鑑識員として、後輩に背中を見られるプロ中のプロだった。


この人物は、後々定年して指導員に回るのだが。 66歳で、心臓疾患にて亡くなる事に成る。


この三曽根鑑識員は、幽霊を視える訳では無いが、何となく感じる事が出来る様で。 木葉刑事がまだ巡査の頃から幽霊を視る事が出来ると、警察関係者では最初に気付いた人物でも在った。


だが、露骨に訪ねる様な事はせず。 木葉刑事が何を為したいのか、何を見て嫌がっているのか、その辺を見定めて協力をしてくれた。


そして、木葉刑事が巡査から刑事に成った後に、夜の河川敷の屋台にて出会い。 軽く食事をする中で、互いを語り知った。


木葉刑事には、古川刑事よりも、‘仮の父’と思えた人物だ。


一方、飲み屋の席にて。 木葉刑事の過去を聴いた三曽根鑑識員は、


“そうか・・。 だが、もうお前は自由だ。 余り、過去を言い訳にするな。 仕事にうち込み、結婚して、自分の世界と居場所を作れ”


と、頑固な性格から教えて来た。


処で、この三曽根鑑識員には、腹違いの妹が居て。 その女性は、40歳を過ぎてから離婚しホステスに成ったと云う。 不細工な顔に似合わず・・かは、解らないが。 雇われママをしていて、木葉刑事とも今だ親交が在る。


この三曽根鑑識員の妹さんは、元旦那が東北の人間で。 然も、5年以上も、北海道の札幌に居たと云う事から。 彼女の店では、東北や北海道の郷土料理を出してくれる。


懐かしさから、刑事に成って顔を出す様に成るのだが。 此処で、見ても冴えないホステスのリルと云う偽名の日系アジア人と知り合った。 お互いに静かな性格となる2人で、木葉刑事は彼女と恋愛関係に落ちた。


佐貫刑事の恋愛事情を理解したのは、木葉刑事も経験者だからだった。


然し、今の木葉刑事は、独り者。 リルは、彼女は生まれた国に帰った。 帰った・・は、適当だ。 正確には、強制送還されたのだ。


付き合った当初、木葉刑事の職業が警察関係者と知らなかった。 秘密にした木葉刑事が、先ず悪い。 処が、別れる最大の理由は、彼女も霊感が有った事。


“ワタシ、ユーレイの視える人は嫌いなの。 それに、刑事が風俗業の女と付き合うなんて、普通じゃないわ”


と、言われてしまった。


この恋愛は、ほぼ一方的に終わった。


だが、わざわざ普通に一夜を過ごしてから、別れを切り出したリルの様子からして。 彼女に、何かが在ったらしい。


然し、強制送還を受け入れたリルに何が有ったのか。 でも、彼女が望んでいたなら、恐らく刑事を辞めても結婚したかも知れない。


生まれて初めて男として女性に惚れたし、とことんまで甘えたのだから…。


大学を出てから最近までの短い間に在った事。 それを省みる木葉刑事は、ぼんやりと社を前にしていた。


(佐貫さんや、叔父さんや、みんなの元に良い土産話を持って逝きたいな…)


もし、あの世で逢えるなら、思いっ切り文句でも言おうと想ったが。


本心は、もう一度・・佐貫刑事と仕事がしたい。


そう想った時だ。 販売所も兼ねる脇の建物から白い衣を纏う寡黙神主が現れた。


「やはり、いらっしゃったか」


「はい。 寡黙さん、実は…」


夕方前から、寡黙神主と木葉刑事の交流が始まった。


先ず、互いにの意見交換から始まり。 木葉刑事は、まだ誰にも語らなかった事を語る。


そして、夜には始まった。 悪霊を鎮魂の途に導く為の、或る準備をする事が…。




        3


その日の夜。


TV通話にて、茉莉隊員達と鵲参事官が映像を介して話す。


黒いワゴン車の車内から、デスクを前にノートPCを見る鵲参事官へ。


「鵲参事官、申し訳御座いません。 行方不明と成った木葉刑事は、未だ見つからず」


あの三叉局長と話し合った部屋では無く。 内装も整った一室に居る鵲参事官は、自宅から聴いているらしい。 書斎と思われる部屋にて、スーツ姿の彼は。


「見失った・・か。 ま、いい。 アイツは、逃げる人間じゃない。 おそらく、対処の仕方を考えているのだろう」


すると、坊主頭にしてガタイの良い隊員が。


「然し、その様に楽観視は…」


と、意見を述べると。


鵲参事官は、その目を細めて。


「いいか。 特殊性の含まれる訓練まで受けて、SPにまで合格するお前達だが。 高が刑事一人にして遣られるのは、お前達が木葉ほど命懸けじゃ無いからだ」


この話には、茉莉隊員を含めたチーム全員が、全く反論も出来ない。


「木葉がこの事件から逃げ出すならば、‘怨霊’と木葉が呼んでいた前段階で。 奴は、この一件から手を引いている筈。 また、佐貫が死んだ時点で、身体を早く治そうなど想わないし。 古川なる刑事にも、自分が退院した事も云わない」


茉莉隊員達は、悪霊を倒す為の相殺要員と云う割には。 木葉刑事に対して、鵲参事官が全幅の信頼を寄せていると理解した。


その意見を理解する茉莉隊員は、返す言葉も無く黙っていたが。


別の女性隊員は、


「お言葉ですが鵲参事官。 それは、余りにも買い被り過ぎではないでしょうか。 所詮は、幽霊が視えるだけの人間です」


と、反論する。


すると、


「フッ」


画面の向こうに座る鵲参事官は、失笑を浮かべる。


チーム全員、その様子に驚いた。


鵲参事官はネクタイを緩めると。


「お前達には、資料を渡して有る。 木葉の叔父の恭二、佐貫のなれの果てを見せた。 任務として、結果がそうなったなら・・、お前達でもああ成るだろう。 だがな。 恭二は、既に警察を辞めた後で、自ら選んで成った。 佐貫も、木葉を救う為に、自ら選んで成った。 では、問う。 お前達の中で、自ら進んでバラバラに成りたい奴は、居るか?」


この問い掛けに、誰一人として動けない。


“答えは既に出ている”


さもそう言いたげな、そんな空気を出した鵲参事官は。


「木葉は、何れ現れる。 関係者の周辺と、新宿舎を見張れ。 それで、十分だ」


と、通信を終えた。


真っ暗に成ったモニター。 ワゴン車の車内では、遣り場の無い悔しさに黙るチームが居る。


ガタイの良い丸坊主の隊員は、茉莉隊員を睨む。


「茉莉、お前の情報提供不足だっ。 お前、あの男の内面が解らないのかっ!」


「………」


黙るしか無い茉莉隊員だが。


別の女性隊員は、先を考えて。


「そんな事が解るなら、SPなんて遣らず詐欺師に成った方が徳よ。 それより、早く網を張ろう。 任務が最重要よ」


「チッ! 高が、霊感が有るってだけの無能刑事を相手に、こんな大掛かりな事をっ」


すると、そこで漸く茉莉隊員が珍しく口を開き。


「其処まで言うのならば、任務を捨てても対象‘G’と戦ったらどうだ?」


茉莉隊員に言われたガタイの良い隊員は、目を鋭くして。


「何だとぉ?」


「貴様が苛立つのは、個人的なプライドを傷付けられたからに過ぎない。 木葉刑事を‘高が’と、言うならば。 貴様は、先の大学病院での一件で、佐貫刑事や木葉刑事を助け、自分で戦う事も可能だった。 任務が・・と、最後まで傍観した我々に、彼等を侮辱する資格すら無い」


彼女のはっきりした言葉に、ガタイの良い隊員は歯軋りする顔を見せる。


然し、彼女の言った事は、事実だ。 任務を優先して、監視をしていた彼等だが。 一切、手を出さなかった。


其処は、既に移動した潜伏先となるベース施設。 地下に小さい駐車場を備えた、雑居ビル。


車外へ出る茉莉隊員は、地下駐車場の出入り口付近に隠れ。 もう空は真っ暗なのに、交通量のかなり激しい四車線道路と、昼間の様に明るい道路沿いを見ながら。


«此方、ベースに居る茉莉。 各、監視。 監視対象者は、どうか»


‐ 此方、古川刑事の娘の監視。


今の処。 父親、被疑者側の接触者は無し。


但し、外国人の尾行と監視を確認。


一度、接触を図ろうとしましたが、此方が阻止。


その後、姿を隠しています ‐


«その外国人は、絶対に娘へ近付けるな。 某自治政府のエージェントは、元が反政府ゲリラ兵。 手荒な真似も十分に在りうる»


‐ 監視、了解 ‐


«他は?»


茉莉隊員が言うと。


‐ 此方、古川刑事の監視。


此方も、目立った事は在りません。


ですが、夕方に一度アパートに戻りましたが。 何故か、大量の荷物を引っ越し業者に運ばせた模様。


業者の行き先は、貸倉庫。


監視対象者は、風呂にだけ入ってまた外出。


今、9時半現在は、カプセルホテルに入ったままです。 ‐


引っ越し先が、貸倉庫の訳が無い。 茉莉隊員は、不審に思い。


«その監視対象者を絶対に見失わない様に。 もしかすると、他の対象者との接触も在りうる»


‐ 監視、了解 ‐


«他、何か»


‐ 報告します。 此方、医師の清水の監視。


先ほど、夜8時過ぎ。 帰宅した対象者が、何者かに接触を受け。 強引に車へ誘われた模様。 ‐


サングラスの奥に在った茉莉隊員の眼が、ガッと見開かれた。


‐ ですが、対象者自ら、撃退しました。 ‐


«相手は?»


‐ 警察関係者を装った者の話では、大学病院の関係者と。


去年末の、大学病院で医師が立て続けに亡くなった時より。 休場・離職者が10人を超える対象者の勤め先では、人事刷新に伴い。 新たな派閥の小競り合いが勃発。 監視対象者の医師は、役職を用意される立場となり。 その虜み合いで、各方面より勧誘や誘惑を持ち掛けられていると思われます。 ‐


順子の立場を知った茉莉隊員は、


(女性で美人と云うのも、時にはピンキリね)


と、感じつつ。


«其方も、決して見失わない様に。 此方の監視対象者が接触する可能性が在る»


‐ 監視、了解 ‐


«他は?»


‐ 此方、越智水准教授の監視。


監視対象者は、本日は夜勤勤務にて。 近場で発覚した警戒対象‘G’に因ると思われる、被害者の遺体解剖を行う模様。


また、その数、7体と多い為。 朝まで、その作業に追われるものと。 ‐


«報告は、解った。 其方も見失わない様に»


‐ 監視、了解 ‐


報告を聴いた茉莉隊員は、もう一人の謎の人物を想う。


(一度、見舞いに神主の様な服装の者が来た・・。 あの人物は、一体…)


寡黙神主が来た時、数時間もポッカリ音が聞こえなかった。 木葉刑事と神主が、一体、2人だけで何を話したのか。 病室の入り口は、常に里谷捜査員が見張り。 茉莉隊員がおいそれと聞き耳を立てる事が出来なかった。


(そう言えば、時々…)


木葉刑事が入院している間、動けない時から声がしない時が在った。 時々、里谷捜査員が入っては、直ぐに出て来ないで。 随分と経ってから出て来る事も在った。 聞き耳を立てようにも、病室の近くにはその階のナースセンターも在り。 流石に、茉莉隊員も頻繁には出にくかったが…。


(最初に病室から出た処で姿を見せたのが、返って悪かったみたい)


鵲参事官は、霞隊員に言って在る。


“木葉の警護は、署員に解らなければいい”


また、監視カメラを入れようと鵲参事官に言った隊員も居たが。


全く動けなかった彼が、痣も消えずして何も出来ないと。 他の隊員の高くくりで、それはしなかった。


(確かに、鵲参事官の言う通り。 私達は、木葉刑事を軽んじ過ぎた…)


そのまま、東京の街に消えて行く茉莉隊員。


木葉刑事の行きそうな処に、足を運んでみるつもりだった…。


さて、一方で。


その日の真夜中。 カプセルホテルに宿泊する古川刑事は、妻の遺品と成った手鏡を枕元に置いていた。


(おかしいな、渋谷のあの場所に向かわない)


不思議と、悪霊の動きが鈍った気さえする。


娘の詩織とは会わない様に、時々アパートへ戻っていた古川刑事だが。 遂に、アパートを引き払う事にした。 詩織の物は、詩織に全て送ったので。 倉庫には、妻の物を送った。


さて、去年に出た年末のボーナスだけを持ち。 他の権利書からカードを全て、詩織に渡した古川刑事。


詩織本人は、母親の管理していた物の一部と思っているが。 実は、一つ一つ何かと云う書き記しを添え、書籍と嘘の記名された荷物が明日には届く。


(さぁ、悪霊よ。 俺の方は、準備が出来ているぞ)


色々な準備を終えて、待ち構えるぐらいの古川刑事なのに。


然し、


(あ゛っ)


何と、渋谷区に入る手前ほどにて。 悪霊の姿が・・消えたのだ。


予想だにしない事で、古川刑事は何事かと身を上げる。


だが…。


‐うぅらぁぁめぇ・しやぁぁぁ…。 お・・まう・のぉぉぉ・・・にくぅぅい゛や・つは・・・どこ・・に・・・いるぅぅ…‐


悪霊の放つ声だけは、更に強くなり聞こえて来る。


手鏡の中を覗く古川刑事は、悪霊に何らかの支障が在ったのか・・、と云う考えを横に置いた。


(声が・・天に…)


悪霊から発せられていた怨みの呟きは、次第に叫び声の様に変わりながら。 何時しか、上から注ぐ様なものに変わったのだ。


(そういや・・、広縞が死んだ時。 アイツ、空の雲の中に顔が見えたって・・言ったな。 佐貫が死んだ時は、大学病院の敷地内を掌握したとも…)


明日がどうなるのか、その観察が必要だと思う古川刑事だった。


さて、一つ不思議な事は、古川刑事が珍しく、大きめの黒いスポーツバックを持っている事。 一体、何が入っているのだろうか…。




【見詰める者、捜し追う者、迫り狙う者の前哨戦。 そして・・、生贄は定まった】



        1


次の日の朝。


今日と云う重大な1日が始まる。


先ず。


「おはようさん」


普通の様子で、所属する警察署に出勤した古川刑事。


それを9時頃に見た署長は、溜め息と共に致し方ない様な顔付きにて在る場所へと連絡した。 上からの命令では、断る事も出来ないと仕方なしとして、だった。


一方、学園に登校した詩織は、模擬試験に向け同級生と授業に向かう為。 今日も学生らしい行動に追われている。


「詩織ちゃん、今日の選択授業ってさ、音楽取る? 創作取る?」


芸術選択授業なるカリキュラムは、4つの授業から受ける日に自由選択が可能なもの。


「私は、絶対に絵か、美術創作」


意外に、この見た目にして音痴な方の詩織で、芸術でも音楽は聴くしか出来ない。 ヘアバンドをする友人は、眼を細めて悪戯っぽく微笑むや。


「アンタ、そんなの当たり前じゃないの。 知らないなら、このシォ様の歌を聴いてご覧よ。 カラオケの機械が、失恋するかも」


口の悪い喩えに、詩織は頭を抑え。


「どーせ歌は下手ですよっ!」


と、教科書やノートをカッ浚う様に抱き上げる。


元気に授業へ向かう彼女の胸の内は、木葉刑事ぐらいしか解らないだろう。


さて、人は代わって。 午前10時前には、清水順子が大学病院へ。


その頃、越智水医師は7体もの遺体解剖に臨み。 かなり疲れた顔をして、途中から加わった解剖専門医と二人。 死因から何までと云う、死体検案調書の作成に向かう準備に入っていた。


越智水医師も、順子も、仕事をしていないと気持ちが落ち着かないので。 その仕業は、大したものだが…。


ちょっとした暇に、物思いへ耽ると。


“木葉刑事は、どうしているのか”


この思案に移ってしまう。


先日から、急に彼からもメールの返信や電話の応答も無く。 心配しか考えられなく成っていた。


昼間、遅い休憩を迫られる順子は、既に越智水医師が帰ったと聴いて。


(先生なら、木葉さんと連絡するんじゃないかしら)


こう察し、


“漸く退院したばかりの人が、何処で何をしているのか聴いて下さい!”


と、恩師へ圧力の強いメールする。


順子の威圧感に満ちたメールは、気が立って直ぐには眠れない越智水医師を‘面倒臭い’と萎えさせる。


だが、この越智水医師とて、木葉刑事からの連絡を待っていた。


家に帰った直後、12畳以上は在るリビングにて。 スマホを片手に、立派なL字ソファーへ凭れ掛かった越智水医師。


其処へ。


「あらまぁ、アナタ。 帰って来て、どう為さったの」


赤いカジュアルシャツに、白いセーターを着て。 下はロングスカートを穿く年配女性が、疲れ切った越智水医師を見る。


「いや・・、昨日からの勤務が身体に応えてね」


‘今日は休み’と云う越智水医師の奥様は、理知的な感じのする女性だが。 化粧や顔を窺うに、美容に気を使っている様子のあまり無い女性だ。 普段の越智水医師と並んだら、越智水医師の方が5歳から10歳は、若く見られるかも知れない。


「アナタ。 最近は、心配事が多そうね」


無造作に置かれたコートをテーブルに軽く折り、借り置きすると。 靴下やYシャツまで脱がせてくれる奥さん。


この様子を見知る周りの知人や友人の感覚からして、越智水医師は。


“この奥様無しには、生きられ無いのでは?”


と、思われる程の愛妻家にして、甘え亭主で在る。


然し、越智水医師の手に在るスマホに、女性的な文面をする言葉端を見て。


「何処かのお嬢さんとメールしているなら、もう少し元気になさいな」


などと、注意を受ける。


「いや、相手は清水君なんだがね…」


「‘清水’・・。 もしかして、大学でアナタの教え子だった、あの清水さん?」


「そうだよ」


すると、シワが増えて尚に凛々しい奥様が、妙に笑顔となり。


「あの方は、アナタの事が好きらしいものね」


と、言う。


「いやいや、順子君にはね。 去年の冬に、木葉君を紹介したのさ」


既に、着替えを用意していた奥様は、ウールが内側に入る暖かいトレーナーを夫に穿かせながら。


「木葉さんって・・、警視庁の刑事さんの?」


足を通す越智水医師は、何度も頷き。


「そう。 いや、相性は悪くないと、そう思ったんだ」


「あら。 じゃ、全然ダメだったの?」


「いやいやいやいや…。 その正反対だ」


「それなら、良かったじゃない」


奥様は、木葉刑事の事を知っている。 奥様自身は、少し頼りない刑事と思っていたが。 二人の愛娘は、意外にも木葉刑事を快く思っていた。 この夫妻の娘は、長女が東京の音楽大学へ。 生物学に夢を持つ次女は、中高一貫のロンドンの学校に留学している。 2人してそれぞれが才女で、越智水医師は次女も都内の大学へ通って欲しいと希望している。 可愛くて可愛くて仕方なく、偶に次女が日本へ帰るなら。 また学校へ戻るべく空港に送ると涙ぐむ程に別れるのが辛いらしい。


夫の教え子が木葉刑事と付き合うのも悪くないと、そう思った奥さんだが。 これから風呂に入るか、先に食事をするかと成る越智水医師が。 全く、嬉しそうな顔をせずに。


「然し、紹介したのは、失敗だったかも知れない」


と、落ち込んだ様子を現し。


直ぐに返して来る、その様子に。


「あら、どうして?」


と、興味をソソられた奥様。


「いや、ね。 順子君は、君にも以前に教えた通りのあの性格だ。 自分が好んだら、意外にイケイケでね。 だが、刑事の木葉君には、仕事柄から黙って見守って貰える環境が必要だ」


「なるほど。 性格からして清水さんには、それが出来ないのね?」


頷いた越智水医師は、奥様に抱き付いてしまう。


「一体、どう諭すべきか・・。 木葉君は、まだあの陰惨な事件に関わる必要が在るのだよ…」


甘えられた奥様は、痩せ形の身体にしては立派な胸に夫を受け入れ。 背中をさすりながら、困ったと悩む。


二人の娘は、この光景を幼い頃から当たり前の様に見ているが。 越智水医師は、家では第3の子供に近かった。


然し、その頃。


木葉刑事を捜していた茉莉隊員は、


‐ 報告。 此方、警視庁新宿舎より。 監視対象者、木葉刑事がマンションに戻りました。 ‐


と、報告を受ける。


茉莉隊員を始めに、チームがまた揃い。 例のワゴン車にて、また新宿舎の地下となる駐車場に入った。


それから望遠鏡と盗聴器の二つに因る、木葉刑事の監視が始まった。


処が、木葉刑事は軽く食事を済ませると。 そのまま、就寝してしまった。


この間。 木葉刑事の帰宅を知った鵲参事官は、警察庁の例の部屋から。


「今から寝るならば、今夜は動くかも知れんぞ」


と、注意する。


ガタイの良い坊主頭の隊員は、通信後に。


「動くって、トイレじゃないよな」


と、茶化したが…。


夜7時を過ぎる頃か。 刑事の衣服に着替えた木葉刑事は、冷える中で黒いコートを羽織ると。 まるで捜査にでも向かう様に外に出て来たのだ。


女性の隊員は、茉莉隊員へ。


「茉莉、出て来たぞ」


サングラスの下で、目を瞑って待っていた茉莉隊員。


「サポートを頼むわ。 私が出る」


と、ワゴン車の扉を開いた。


木葉刑事が向かったのは、夜の新宿二丁目。 雑居ビルの乱立する辺りを、何故か彼は歩いている。 女装した男性に声を掛けられたりしたが、目的は大きく違った。


(強い。 まだ、あの悪霊の放つ怨念が、この辺りに残ってる)


賑やかな通りから一本外れ、自転車が横向きに停められた裏路地に入ると。 中華料理屋やマッサージ店の入る雑居ビルの隣で、ラーメン屋の入った一階以外が真っ暗な雑居ビルの裏手に立ち止まった。


「・・・」


ビルの最上階を見上げた木葉刑事は、四階からまだ怨念の力が蟠るのを感じ。


(違う、居る訳じゃない。 が、以前に居たな。 この強力な念の残渣が蟠るって…)


嫌な推測が脳裏を過ぎり。 とにかく確かめようと決めた。


そして、ビルの側面から関係者用の狭い階段へと入る。 二階より上が入り口だから、其処は真っ暗闇。


処が、三階まで上がった彼だが。 其処で、何故か四階へ行かずに、立ち止まって居ると。 二階と三階の狭間と成る踊場に、影が蠢いた。


「鵲参事官は、何と言って其方を遣わしたんですか」


こう、木葉刑事が声を出すと。


「貴方が、あの正体不明の何かと刺し違えるかどうか、だ」


と、女性の声がする。


「貴女は、只の監視人ですか」


「そう受け取って貰って、構わない」


「なら・・。 この辺りまで漂う腐臭は、どうしますか? 自分は、悪霊を捜しているだけで、事件捜査は出来ないんですがね」


こう言った木葉刑事は、目的の四階まで向かって行く。


何時の間にか、木葉刑事に追従する形で茉莉隊員もその後ろに来ていた。


(何だ? 凄く臭い…)


四階に近付くと。 血腥い臭いが発酵して、悪臭に変わりつつ在る臭いに鼻を襲われた。


二人して、スーツにコートだが、今日は冷え込みがやや弱まっているのか。 息は白いが、遠くまで伸びず。 動いていれば、差ほどに寒いとは思わなかった。


四階の入り口は、簡素なアルミ戸に曇りの窓が付くだけ。 然も、入り口に立つだけで、更に血腥い異臭が鼻を突く。 下のラーメン屋はスタミナを謳うのか、ニンニクやニラの臭いがする。 豚骨の臭いもする為、3階まで上がらないとこの腐臭には気付かないらしいが。


茉莉隊員は、暗い中で眉を顰めつつ。


「此処は?」


と、木葉刑事に問うと。


「この中に、例の悪霊の力が蟠るんだ。 この血腥い臭いからして、もしかすると悪霊に因る殺人事件の現場じゃないかな」


想像を意見として答えた木葉刑事は、ドアノブを回してアルミ戸を開いた。 鍵が掛かってない。


途端に、更に籠もっていた悪臭が待ち構えていたとばかりに、2人へ一気に襲って来る。


「く・・」


小さく、顔を反らした茉莉隊員だが。


木葉刑事は、眉を顰めるも中へ入り。


「ライトぐらいは、自前で頼む」


と、小さい携帯ライトを点けて中を歩く。


茉莉隊員も、無言で片腕の一部を顔に当てがい。 携帯ライトを取り出して、点けた。


窓に向けて、散乱する様に床へ倒れるパイプ椅子。 折り畳める簡易テーブルを超えた先。 携帯電話やスマートホンが散乱する床の先に、首の無い人間の死体が三体ほど、固まった血に浸かって転がっていた。


「やっぱり・・。 まだ見つかってない遺体が、他にも在った」


すると、その遺体の在る場所から、書類か、資料を入れた本棚を挟んだ隣から。


「こっちにも一体、死体が転がってる」


と、茉莉隊員が言う。


木葉刑事は、部屋の様子を窺うと。


「計4体か…」


と、呟いてから。


「この遺体は、おそらくですが。 何れも振り込め詐欺グループの遺体ではないですかね。 スマホが無数に散らばってますし、机の上の束となる資料は固定電話のリストみたいです。 然し、この腐敗度からして新しい被害者のものじゃ~無いから、空振りです」


一人、こんな風に意見を付けて、遺体の脇から立ち上がり。 そして、振り返るとそのまま歩いて、階段の方へと向かう木葉刑事。


足音から彼が去ると解った茉莉隊員は、急ぎ足で彼の背中に迫り。


「何処に行く? この遺体は、一体どうする?」


階段への入り口で立ち止まった木葉刑事は、


「今、自分が捜すのは、獲物を捜している悪霊です。 ま、現場から離れたら、垂れ込みを掛けますよ」


然し、この付近の防犯カメラなどには、その姿が映っているだろうと思った茉莉隊員で。


「直ぐに、命令違反は解るぞ」


「解ってますよ。 ですが、もう猶予が無いんです。 早く見付けなければならない。 あの悪霊が、次の犯行を犯す前に…」


と、階段に向かう木葉刑事。


そして、その後ろに追従する茉莉隊員が。


「だけど、どうして此処に?」


「悪霊の通った後には、微かな力が蟠るんだ。 新宿に来たら、その力が感じられたんでね。 歩いて辿ってみたんだ」


「まるで、訓練された警察犬みたいね」


思わず、率直な意見を口にした茉莉隊員だが。


木葉刑事は、済ました顔をしたままに。


「‘犬’なのは、お互い様でしょ?」


このやり返しには、反論が出来ない茉莉隊員だった。


外に出た木葉刑事は、衣服を叩いて臭いを追い出しつつ。


「今日は、篠田班長が帰ったみたいですから。 一課長にでも、連絡してみます」


と、歩き出して言う。


然し、それでは後が面倒臭いと感じたのか。 先に、茉莉隊員がスマホを取り出して。


「もしもし、此方は茉莉です」


すると、直通回線にて応答に出た鵲参事官が。


「急に、どうした?」


「はい。 新宿二丁目○○番の雑居ビルにて。 例の振り込め詐欺グループの事案で、まだ未発見の遺体と思われる。 警戒対象の‘G’関与と思われる、首無し遺体を4体ほど発見しました」


「何だと?」


「直接に発見したのは、監視対象者ですが。 普通に捜査すれば、監視カメラ等から彼に辿られ。 例の対処が難航するかと・・。 失礼を承知ですが、其方から手を回せますか?」


「その話は解った。 で、木葉は?」


「既に、警戒対象‘G’を、また追い始めています」


「そうか。 遺体の方は、此方から手を回す」


「はい。 では、監視を続けます」


と、茉莉隊員が連絡を切る。


仕事用の携帯が壊れた為に、自身のスマホを取り出した木葉刑事だが。


「権力者は、話が早いね」


と、茉莉隊員に屈託無く笑う。


暗がりで木葉刑事を見た茉莉隊員は、既に入院からひと月以上も経過しているので。


「だが、追えるのか? ひと月半以上も入院していたんだ。 追うにしても、手掛かりは?」


と、問う。


「次の目標は、既に目星が付いてますよ」


木葉刑事の返しに、茉莉隊員が近付いた。


「まさか、感覚の覚醒から先回りが可能に成ったの?」


すると、歩き始めた木葉刑事。 オネェ言葉の二人が、此方に向かって来ていたからだ。


駅に向かって歩き始めた木葉刑事に追い付き、


「話を止めるな」


と、言う茉莉隊員。


だが、木葉刑事は人の往来を顔で示すと。


「人が周りに居るし、直に警察が来るでしょ」


「・・・」


明らかに自分が焦っていると、黙った茉莉隊員。


「着いて来るのは構いませんが。 ‘副線’(副都心線)まで歩きます」


その大した距離ではない道中だ。 人目を少しでも避けようと、大通りから建物の間を抜ける路地を歩く。


その途中に在る飲食店の裏側に差し掛かる木葉刑事は、反対側のアパートの駐輪場に向いて立ち止まり。


「おいおい、殺人かよ」


こう呟くではないか。


‘殺人’とは聞き捨てならないと、茉莉隊員が。


「どうした? 殺人だと」


然し、周りを見る木葉刑事で、今度は飲み屋か何かの飲食店の裏側の脇に向かう。


「木葉刑事、どうした?」


問う茉莉隊員を片手で制する木葉刑事は、少し汚い店の裏側なら見掛けられそうな青い大きな蓋付きのポリバケツに向かう。 手前に2つ並ぶポリバケツだが、ゴミ袋等に隠れる様に奥目に1つ汚れ方の違った。 然も、不自然に黒いテープで蓋の辺りをぐるぐる巻きにしてある。


「どうした、何を見付けたんだ?」


小声の茉莉隊員が問うと、木葉刑事はそのポリバケツを指差して。


「恐らく、この中には人が入ってる。 犯人は、この店の店主らしいよ」


唐突と感じられる中で言われた茉莉隊員は、唖然としかけて。


「本当に、か?」


「今から、あの取れ掛かってるテープを剥がすから」


その木葉刑事が遣ると、中には液状した何かの中に白骨が浮いていた。 凄い臭いで、直ぐに蓋を閉めたが…。


「う"っ、な、何で・・人が」


とてつもない悪臭に、息も吸えなかった2人。 通り掛かる他の人に怪しまれた木葉刑事だが、何でもないとジェスチャーしてから。


「この、店の店主と、ほ・ホストを、とり、合ったみた・い。 殴り合いのケンカで、転んだ所、打ち所が、わ、悪かったみたいだね。 ふぅ、ふぅ…」


直で少し嗅いでしまった茉莉隊員は、吐き気を抑える事に苦しみながら。


「なっ、何で、あの、あ、駐輪場を?」


実は、その場所に犯人が残した私物が在る。 木葉刑事がハンカチを使って拾い上げたモノは、粉々に外側が砕けていたボールペン。


茉莉隊員は、通報前に。


「どうして、この、ボールペンが、証拠と解る?」


息を整えながら木葉刑事に尋ねるならば。


「この、ボールペンの砕けた外側には、殺害した犯人の勤め先が印刷されているそうです」


「それは・・、証拠に成りうる…」


「砕けた破片を、犯人が放置自転車の下にバラまく様に蹴ったか・・投げてる。 破片には、鑑識さんも気付く筈ですが。 この夜ですし、もう半月は経過していそうな遺体。 日数の経過から考えても、破片が全て集まりそうも無いので、捜査は難航するかも…」


木葉刑事の意見は、茉莉隊員を困惑させる。 明らかに、霊から情報を得て言っている。 そうで無ければ、遺体など発見が出来ないだろう。


(なるほど、霊から情報を貰っているのか。 其処まで解って居ながらに、長引く捜査を捜査員として傍から見ていれば・・。 早める何等かの手を自分から講じたくなる。 だから、あんな噂が付き纏うと云う訳か)


この木葉刑事が変人扱いされる理由が、茉莉隊員にも解って来た。


解る側とまだ解らない側の隔たりは、中々に広い。 然も、解る経緯が明確で無いならば、それは天才と云うより変人か、解っていて出すタイミングを狙ったと。 そう思われても、仕方ない処。


霞隊員は、再度に渡り鵲参事官への直通回線を使い。


「参事官」


「どうした、茉莉。 木葉を見失ったか?」


「いえ・・、それが」


「何だ?」


「今、新宿二丁目付近にて、監視対象者がまた違う遺体を発見」


「何だってぇ?」


「然も、既に肉体は液状化、ほぼ白骨遺体ですから。 警戒対象‘G’の仕業では、ありません」


「そんな隠蔽された遺体の事まで、アイツは解るのか…」


「また、それだけでは無く。 犯人の残した物と思われる物として、踏み壊されたボールペンが在り。 そのボールペンは、犯人の勤め先が印字されていたと・・言ってます」


すると、少しの沈黙が流れてから。


「・・解った。 そっちは、此方に任せろ」


「では、詳細は簡略化してメール致します。 私は、引き続き監視対象者を追います」


「茉莉。 その様子では、‘追う’と云うよりは、既に‘同行’だな。 ま、見失うなよ」


「察して頂き、ありがとうございます。 では…」


鵲参事官との通話を終えた茉莉隊員。 スマホにて現状の写真を写し、自分達を監視・補足するあのワゴン車の所に送り。 出来る範囲内での考察や判断を添えて、別の者が鵲参事官へとメールする。


木葉刑事と茉莉隊員は、衣服を良く叩いて臭いを落とした。 コンビニで噴射式の脱臭剤まで買った。 タンパク質、特に肉の腐った臭いはとてつもない。 この寒い中ですら、確実に臭う。 その後に地下鉄乗り場へと向かい。 電車に乗る今に至る。


車内の入り口付近にて、混み合う電車内。 窓を見る木葉刑事は、静かに外を見詰めている。


優先席付近に立つ茉莉隊員は、たった3か月でガラッと変わった木葉刑事を視ていた。


(前は、本心を隠す為に、ヘラヘラした様に見せていたのに…。 ・・死ぬ覚悟が、あんなに真剣な顔をさせるのか)


自分達SPも、常に命を張る覚悟で仕事をしている。 然し、‘死ぬ’と言う目標では無い。 今の木葉刑事は、完全に死ぬ事を前提に動いている。


ま、でなければ、あんな悪霊だと云う化け物を、‘視える’だけで追わないだろう。


渋谷駅に着いて、木葉刑事を尾行する茉莉隊員なのに。


「ねぇ、其処のカッコイいお姉さん、何処行くの?」


突然、‘チャラい’と云う表現をそのまま形にした様な、そんな若者から声を掛けられた。


(気楽な奴等ばかりの街に来て、一体どうする?)


無視して去る茉莉隊員は、歩く木葉刑事を追った。


だが、何故か。


「?」


駅を出ると、また戻って来た彼。


「ずっと着いて来るのは、一向に構わないけど。 何か食べるよ」


と、宣言された。


歩き始めた木葉刑事が入ったのは、交差点を渡った向こうのファミレス。


(逃げる気が有るのか、無いのか…)


仕方ないと、直ぐに後を追って入り。


木葉刑事は、茉莉隊員が入って来たのを見ると。


「禁煙席二人。 奥の席を…」


リニューアルした店員の赤色の制服が、お客の不評を買っている店だ。 確かに、飲食店の接客係が着る感じには見えないと、ネットでも一時だけ論争が沸いた。


照明が効いた明るい店内にて。 観葉植物の植わったブロックの様な仕切りの裏手。 四人が座れる席に、向かい合って入る二人。


水とおしぼりとタッチパネルの機器を渡され、後は自由と成る。


女性にしては170センチ半ば近い背の茉莉隊員は、すくっと立ち上がると。


「トイレに失礼する」


「どうぞ、適当に頼んでおくよ」


「いや、私は…」


「メシぐらいは、一蓮托生でいいじゃない」


知られている以上、面倒は避けたい茉莉隊員。 だが、あの悪臭を嗅いでから何かを食べるとは…。


(全く・・男とは身勝手な)


勝手にしろと云う態度で、トイレに向かう茉莉隊員。 何故か木葉刑事は、知らずか、知って敢えてか。 GPSが着いているスーツを着ている。 恐らく、逃げても大した事では無い。 寧ろ、自分を撒くかどうか、それが知りたい茉莉隊員だった。


然し、手を洗って出た茉莉隊員は、


(居る)


座っている木葉刑事を確認した。


席に戻る茉莉隊員の視界の中では、木葉刑事は注文が出来る画像端末機にて、本日のニュースをチェックしつつ。


「そう言えば、まだ礼を言って無かったね」


水を手にする茉莉隊員が、サングラスを通して木葉刑事を観つつ。


「何の事?」


「いや、詩織ちゃんに、警護を着けてくれた事」


「それは・・仕事の一部だから」


「でも、助かった。 居なかった事を考えると、ちょっと怖かったよ」


そんな風に言う木葉刑事に、茉莉隊員も知りたい欲が出て。


「随分と、彼女に肩入れするのね」


問われた木葉刑事は、先程までの厳しい顔を内に仕舞い。


「まぁ、ね。 特にフルさんの家族には、一課の刑事に成り立ての頃から色々とお世話に成ったんだ。 奥さんの和世さんが亡くなって、詩織ちゃんにまで面倒が掛かるのは、ちょっと見たくない事態だった」


会話が交わされた事で、周りに客が居ない事も在り。


「処で。 次の悪霊が狙うターゲットへの目星が、本当に着いているの?」


すると、すんなり頷く木葉刑事。


「恐らく。 今夜で、確定するかもね」


「でも、どうして解る?」


「その前に、腹を満たそう。 じ・・いや、俺の死に水を取る可能性の高い貴女だからね。 理解するか、しないかは別に、教えるよ」


言った木葉刑事を見定める為、ジッと視る茉莉隊員だが。


ジュウジュウと音がして、ステーキと鳥肉の照り焼きが乗ったプレートと。 キーマカレーとサラダセットが台車によって運ばれて来た。


(どっちが…)


何を頼まれのか、そう思う茉莉隊員の前には、キーマカレーとサラダセットが出され。 木葉刑事の前には、そこそこ重たいステーキセットが出された。


運ばれた料理に、ウェイトレスが去る前から手を付け始めた木葉刑事。


茉莉隊員は、自分の分がまだ軽いと。


「復活したら、随分と食べるのね」


肉を切る木葉刑事は、焼き石に肉を付けながら。


「今日は、夜から歩き回ったからね。 昼間は軽くしか食べてないし、これぐらいは食わなきゃ~さ」


20分程で、二人して食べ切り。 伝票を取る木葉刑事は、


「さて、そろそろ‘逢魔が時’ならぬ、‘怨念が現る時’だ」


金を払った木葉刑事は、外に出ると。


「向こうか…」


と、明治通りに向かって歩き始めた。


まだ、タクシーやら車の往来も、十分に在る通りにて。


「木葉刑事。 今夜に、悪霊が此処を通るのか?」


「いや、既にこの辺り一帯には、悪霊の力の蟠りが立ち込めている。 その中でも強い力が漂い始めた気配からするに、標的が居るのは渋谷署の少し東かな」


「一体、誰が狙いだ?」


この質問を茉莉隊員から聴いた木葉刑事は、このSPらしき彼女にも情報が降りて無いのかと思いつつ。


「それは、フルさんの奥さんと、あの幼い二児の母親を轢いた犯人さ」


「では、やはり呪ったのは・・古川刑事か。 では、今夜にカタを?」


すると、何故か首を左右に動かした木葉刑事。


「これが、これまで追っていて、自分にも良く解らないんだけど。 悪霊は、狙った目標を襲う所まで来ないと、現実のモノに成らないんだ」


「・・言っている意味が、良く解らない」


茉莉隊員の言葉に、木葉刑事も苦い顔をして。


「貴女のその意見は、寧ろ自分も思っている処だよ。 詰まり、狙いを定めて襲うと成る前夜までは、触れられないんだ。 例えるなら、その時まで映像の中に居る様な・・。 そんな感じなんだよ」


全く以て、理解が出来ない茉莉隊員。


木葉刑事は、そんな茉莉隊員へ。


「悪霊とリンクした呪う側には、常に移動する悪霊が視える時が在る。 真夜中の0時から午前一時過ぎまでの間だと思う。 以前からそれに気付いた俺は、その時に移動して残る悪霊の気配を探して。 解れば先回りしようとして来た。 以前に、女性が病院で殺害されたけど。 その時は、彼女が事件の関係者だったから先回りが出来たんだ」


「では、あのドクター清水の大学病院では、どうして解ったの?」


「あの時は、偶々に順子さんから電話を貰った時に、彼女が居たのが例の殺人が起こった大学病院からで。 そこから悪霊の気配から起こる特有の音が聴こえてた。 まさかとは思ったンだけど、行ってあの事件に出会した」


「それで解るのか」


「ん。 俺は、悪霊と関わる度に、その感覚が磨かれるらしい。 あの時は、悪霊が襲い掛かる時が迫っていて、タイミングが合ってた。 だけど、今は何となく居る場所も解る様に成って来てる。 これも、一種の経験則か。 それとも、悪霊の怨みから出る瘴気を身体に受けたからか。 でも、何にせよ利用が出来るならば、利用しないとね」


それと、命を懸けられる事と、どうして1つに出来ようか。


「で? 死ぬ気なの? 同じ対処の仕方ならば、また貴方は生きていても痣だらけになるだけでしょ?」


「それは、遣り方を変えるよ。 行き当たりばったりでも、同じ対処法では成仏は見込めない」


「でも、普段は視えないのだろ? どうやって対処する?」


「目標に向かう間、呪われた相手、呪った相手へ見せる為に現れ視える様になる間は、約10分前後。 その時に向かう先を補足する事が出来れば、先ず追える。 でも、今はもう場所が解っているからね。 現れる場所さえ解れば、明日でケリを付けるべく、此方も準備が出来る」


JR渋谷駅の中を歩き、突き抜ける木葉刑事。 彼と横に並んで歩く茉莉隊員は。


「然し、私は理解が出来ないな」


「何が?」


「古川刑事は、奥さんを殺されたにしても、歴とした刑事。 犯人が確定しているならば、何故に通報しない? 何故、悪霊なんかを遣う真似を?」


彼女の話を聴いて、木葉刑事の顔が厳しいモノに戻る。


「それは・・こう言うと、貴女には驚かれるかも知れない。 だが、フルさん自身も、和世さんや若いお母さんを轢き逃げして奪った犯人の実状を、今も曖昧にしか知らない筈だよ」


「それ・・は、どうゆう?」


「恐らくだけど、ね。 あの悪霊は、また新たな領域に、その足を踏み込んだのさ」


「‘新たなる領域’?」


「そう。 佐貫さんが亡くなる時までは、一方的に近い人の怨みに、悪霊の方が勝手に反応してた」


「‘勝手’? それは、依頼者としてでは無く?」


「そう。 でも、それがあの時、俺と佐貫が二人して触れた後から、変化し始めた」


「変化・・って、何故に解る?」


「不思議に思われても、仕方ないよ。 だが、年末に起こった、女子高校のレイプ犯と思われた若者達と、被害者の母親が双方が亡くなった事案では。 母親が、容疑者を殺したくて、呪いの儀式をしていたらしい」


「確かに、捜査資料では、そうなっていた。 でも、その後に起こった振り込め詐欺グループと、高齢者達の事案だって、同じだと。 殺された高齢者は、振り込め詐欺グループを呪ったり、死ぬ事に願掛けをしたりとか」


頷く木葉刑事は、


「そこだよ」


と、言葉でタグを付けた。


「そこって・・・何が?」


「一見すると、微妙な違いだ。 然し、佐貫さんが亡くなる時まで、悪霊は怒りや憎しみを感じて、呪う側と呪われる側を狙ってた」


「ま、恐らく…」


と、あくまでも推定と茉莉隊員はする。


然し、頷いた木葉刑事は、


「だが、年末からの仕様は、ある種の、本当の委託。 ‘願い’が加わってるんだよ」


と、自分なりの分析を述べた。


「‘願い’? なら、神社やお寺で願掛けするみたな…」


こう言った茉莉隊員を、此処で木葉刑事が見返した。


「貴女が今、言った。 その通りに成ったんだよ」


「まさか、そ・そんな…」


思わず、‘馬鹿馬鹿しい’と、想い掛けた茉莉隊員。


だが、木葉刑事の顔は、非常に険しく。


「一見すると、有り得ない事さ。 だが、このまま悪霊の存在を超えると、最終的形態は〔祟り神〕とか、〔怨神〕と云う存在に変わるんだそうだ」


サングラスの中の目を、ギュッと凝らす茉莉隊員。


「‘神’に・・変わるのか?」


「・・らしい。 そうなれば、もう誰も手に負えない存在だそうだ。 これまでの、個人的な怨みや憎しみに反応して居た最初とは、大きく違い。 願いとして聞き届くと成ったら、更に被害は拡大化する」


全く霊など見えない茉莉隊員だから。


「まさかっ。 まだ、憶測でしょ?」


駅の反対側へ抜ける木葉刑事は、様々な者が交わる交差点を目にしつつ。


「それが、憶測の域を出たんだ」


「・・と、言うと?」


「次の殺人の依頼者は、恐らく貴女の言った通りにフルさん。 詩織ちゃんの父親、古川さんだ」


目を見開いた茉莉隊員が。


「それも憶測ではないのか? まだ、彼と接触もしてないのに、どうして解る?」


「実は、親交の在る越智水先生に、詩織ちゃんの居るアパートへ行って貰った時。 其処から電話を掛けて貰って、確定した」


「鵲参事官が、信じた話か」


「悪霊に呪われた人には、悪霊の放つ特有な存在を示す音や現象が在って。 繋がりの在るらしい自分には、それが解るんだ」


「貴方だけに、解る?」


「自分でも不思議だけど、佐貫さんが生きていた時から、そうだった」


自分の理解する思考力の範疇を超えると。


(まるで、ドラマや空想の世界の話の様だ…)


と、茉莉隊員は思う。


だが、彼女の黙る雰囲気から、彼女の思考の大凡を察した木葉刑事は。


「もっと、信じらんない事を云うと。 詩織ちゃんが、俺の見舞いに来た時。 彼女からも、微かに悪霊の気配がした」


「何で? 彼女は、関係ない筈」


「直接は、関係ないよ。 でも、呪われたフルさんと、一夜でも接触が有ったからさ。 然も、詩織ちゃんの背後で、亡くなった和世さんが嘆いていた。 本当は、フルさんの傍に居たかっただろうに…」


あの、詩織が一人して見舞いに来てくれた時に。 泣いた詩織を見た木葉刑事は、もう一人の嘆く女性を視ている。


‐ 木葉さんっ! あの人がっ、あの人がぁぁぁ…。 ‐


と、繰り返してた和世の霊で在る。


茉莉隊員は、その回想をする木葉刑事へ。


「それだけで、断定が出来るのか?」


すると、首で肯定して見せる木葉刑事。


「何よりも、その後のフルさんの行動が、その考えを肯定してますから」


「古川刑事の行動?」


「はい。 フルさんは、俺が悪霊の存在を知る事も。 そして、悪霊の居る場所から連絡をしたり、悪霊に関わった者が解る事も、佐貫さんの亡くなった後の話で知ってる。 俺からの連絡に一切出ないのも、それなら理由が解ります」


(そうか。 この木葉刑事が、古川刑事と如何なる接触をも取れないのは、その為か…)


茉莉隊員達のチームも、木葉刑事が古川刑事に対し、スマホを使って連絡を取ろうとしていた事は、既に知っていた。


その考える彼女の横で、木葉刑事はこうも言う。


「それに。 あの家族想いで、娘に対して甘過ぎるフルさんが。 本人の承諾無くして、いきなり詩織ちゃんを母方の実家に預けたりはしない。 寧ろ、普通ならば自分の傍に置く筈です」


此処で、スクランブル交差点で信号に捕まる二人。


茉莉隊員は、その意味が解らない。


「どうして、わざわざ娘さんを突け離す?」


「悪霊は、憎い相手を殺した後で、呪った本人も殺す。 フルさんの居るアパートは、狭いもの。 もし、悪霊に自身が殺される時に、詩織ちゃんが傍に居たらどうします?」


こう言って、変わった信号に従い、歩き始めた木葉刑事。


(安全確保・・。 詰まりは、捨て身か)


と、一歩遅れて歩き始めた茉莉隊員。


(然し、彼の言う事が本当ならば、幽霊を遣う委託殺人。 順番が何時巡って来るか以外を外せば、殺して欲しい相手を確実に殺せる!!!)


こんな事が確実ならば。 その内に、神頼みする様に殺人を願えば、悪霊の存在で叶う様に成る。 その話が、噂でも拡散したら…。


(冗談じゃないわっ!)


二人して交差点を渡って、渋谷警察署に近付くが。 木葉刑事の足は、その前を通り過ぎる。


学校が集中する東方向に歩く木葉刑事へ、追い縋る様に茉莉隊員は尋ねる。


「だが、どうする? 目標を見付けても、一人で立ち向かったら、また前の二の舞。 いや、相手が成長か、進化しているなら。 今度こそ、貴方が死ぬ」


「その対処は、或る人物と相談済みだよ。 問題は、古川さんの奥さん。 和世さんを轢き殺した犯人が、一体誰か。 その相手が、どの大使館に居るのかハッキリ解らない事には…」


六本木通りに入る木葉刑事だが、茉莉隊員は彼の前に出て。


「それを、先に言いなさい。 それなら、恐らく此方じゃ無い」


言われては、ビタッと立ち止まる木葉刑事。


「大使館が在るのは・・この辺りじゃないの? あの、新しく出来た大使館を、もしかして知ってるとか?」


「貴方の話の内容からして、新興国と成るべく、暫定政権が誕生したあの国の大使館は、此処よりもっと南。 渋谷川沿いに、新しく出来たもの」


高速道路と一般道の二段道路脇。 走る車のライトに、都度都度照らされた二人。


渋谷署の横を、少し先まで過ぎた辺りか。 木葉刑事は、情報を再確認しようと。


「貴女の所属する組織は、特別な重要人物を警護するSPじゃないの? 普通なら、其方が狙われた大使を警護していてもいい感じするけどな」


すると、自身の最新型のスマートフォンを取り出す茉莉隊員は、


「我々、特殊警備対策部は、新しく再編成された時に、全て部隊編成された。 鵲参事官に配属された我々は、彼の手足となり動くのみ。 要人警護は、別の部隊が担う筈」


と、自分の権限でアクセス可能な情報を、専用端末となるそのスマホで調べ。


「やっぱり、手が打たれたみたいね。 明日の真夜中に、その大使が一時帰国するらしいわ。 我々SP部隊にも、それらしい警護要請が有ったらしい」


「夜中? チッ、昼間でも良いだろうに…。 なんで、そんな逃げる様に?」


「解らない。 でも、警護要請の度合いが、かなり厳重な形を想定しているみたいだから。 下手すると、容疑者の人物を連れ出す為かも」


「その人物って、もう日本政府側に面が割れてるのかな」


「・・みたい。 実は、その要人は以前に麻薬を密輸入しようとしたと。  その時は、証拠が無かったか、嫌疑不十分で不問に成ったけど。 空港関係のブラックリストには、載ってた様よ」


「なぁる、それならば言ってしまえば、高飛びか。 だが、フルさんの命が助かるなら、今は一時なりとも消えて貰った方がいい。 飛行機で高飛びしたなら、流石に悪霊も…」


と、言い掛けた木葉刑事だが。


(いや、順子さんや越智水先生の居た大学病院では、一瞬で短い間を飛び抜けた)


この不安要素が在るだけに、腕時計を見る。


(12時を回った…。 大使館前は、流石にマズいけど。 近くの場所から、姿の確認だけでも…)


そう考えた木葉刑事は、茉莉隊員に。


「その確認が出来て無かった事が解って、大体の流れが解ったよ。 俺は、これから悪霊の行動を見定めるから。 尾行するなら、貴女は離れてしてくれ」


端末を仕舞う茉莉隊員は、この木葉刑事から気遣われたと。


「余計な心配は、しなくて結構」


「そう。 なら、手は出さないでよ。 知り合いの犠牲は、あんまり身体に良く無いんだ」


こう言って歩き始めた木葉刑事は、渋谷川方面に向かうべく。 茉莉隊員を追い越す。


車のライトに照らされた木葉刑事の背中は、不思議と孤独感が満ちている。


(無理して退院したのは、知り合いの刑事を死なせない為?)


或る意味、木葉刑事の事を良く知る者の一人には、この茉莉隊員も今なら入るだろう。


多分、木葉刑事はそれを否定する。


然し、盗聴器に因る追跡、素姓調査、入院していた間の張り込み。 木葉刑事を調べる為、命令としてやっていた事だけでも、この人物の性格の一部が垣間見れる。


後を行く茉莉隊員は、木葉刑事に不思議な親近感を抱いていた。 でなければ、わざわざ姿を現して協力などしない。 また、先程。 新宿で先に見つかった時。 あまり身を隠す事に執着しなかったのは、その所為だと思う。


さて、南へ直ぐに向かわず、そのまま東方向に行く木葉刑事。 八幡宮を過ぎて、稲荷神社を通り過ぎた所で、今度は南へと道に入る。


処が、だ。


人通りも少なく成ったその道を、氷川神社近くまで来た木葉刑事は、何故か交差点を渡らずに立ち止まった。


そして、空を少し眺めたと思ったら・・。 何と、来た道の方に振り返ったではないか。


ちょっと離れて尾行していた茉莉隊員は、その行動が変に思え。


(どうした? 何か有った?)


不思議と、曇った空を眺めたと思ったら。 その行動が、2分・・3分と続くき。 その直後、木葉刑事が明治通りに向かうではないか。


(違うっ、そっちじゃない)


早歩きで、彼の後を追う茉莉隊員だったが…。


(え?)


氷川神社とも面する通りに出れば、今度は木葉刑事が、此方に近付いて来るではないか。


「何をしてっ…」


声を掛けた瞬間、木葉刑事が茉莉隊員の腕に掴み掛かった。 そして、街灯の灯りで微かに見える、とても真剣な眼差しのままに。


「もしかして、大使館に居る容疑者は、今は警察に事情聴取を受けてる?」


「はぁ? そんな情報は、此方には入ってない」


すると、木葉刑事は視線を落とし。


「どうして・・どうして・・・あ゛っ」


この、彼の様子は、茉莉隊員へ嫌な予感を呼んだ。


「どうした、木葉刑事っ。 何が起こったの?」


「和世さんを轢いた車に、同乗者が居た可能は? 確か、車内の様子は、防犯カメラでも確認が出来なかったって…」


いきなり問われた茉莉隊員は、その問い掛けが考えられるまでに数秒間を要した。


「確かに、可能性は・・十分に有り得る。 降りてきた情報によれば、被疑者となる関係者には悪友と呼べる日本系外国人や日本人が何人か居たとか」


すると、その手を離して振り替える木葉刑事は、


「不味いっ! 先にそっちが狙われてるっ」


と、動き出す。


走り始めた木葉刑事の声に、慌てて走り始めた茉莉隊員が。


「馬鹿っ、捜査権の無い今にでしゃばればっ、明日は動けなく成るぞっ」


と、声を掛けたのだが…。


同時刻。


縦長な手拭いを縦にして広げた程度のガラス窓が在る、安いビジネスホテル。 その部屋に居た古川刑事は、悪霊が渋谷署に現れた事を知る。


(警察署・・? まさか、誰かが捕まえて・・・いや。 あれは、管轄が全然違う)


と、思案に耽る古川刑事だが。


やはり、其処は木葉刑事と同じく、刑事と云う生き物。


「そうか・・二人、同乗者が居たのか」


と、呟いた。


古川刑事が見る窓。 其処に映るのは、渋谷警察署の入り口で在る。 悪霊主観の映像にて、警察署に入って行く。


(同乗者だろうが、和世を殺した奴が死ぬ処は、必ず見届けてやる)


低いテーブルの上には、ワンカップの空瓶が在り。 スマホを手にする古川刑事は、見えた映像を説明する文章を書いていた。


さて、同時刻。 渋谷駅前の渋谷署にて。


渋谷警察署内では、丁度。 生活安全課の刑事が二人して、一階の受け付け裏に在る待合い場にて。 自販機から買ったコーヒーを飲んでいる。


一人は、やや草臥れた感の在る、四十代後半から五十歳前後の小柄な刑事。 もう一人は、まだ三十代と思しき、厳つい顔の長身刑事だ。


先に、まだ元気そうな長身刑事が、コーヒーを口に含む先輩刑事に。


「ゴロウさん、あの若い奴の脅しを聞きました?」


ゆっくりとネクタイを緩め、コーヒーを飲む小柄な年輩刑事も頷いた。


「あぁ。 何でも、エラ~い大使の知り合い、だったか?」


「はい」


「大使の知り合いだろうが、ビビる事は無いさ。 麻薬所持の現行犯に、新しい薬物の使用の痕も在る。 然も、暴れて人を殴った、傷害の現行犯逮捕。 これで無罪なら、俺達はこの世に必要ないさ」


‘ゴロウさん’と呼ばれた小柄な刑事の、実に最もらしい話に。 厳つい顔の長身刑事は頷いた。


「それも・・そぅですね」


だが、紙コップに入ったコーヒーを飲む小柄な刑事が。


「しっかしよぉ~、20過ぎの、仕事もロクにして無いガキが。 所持金300万超えたぁ~どんな生活だ? 買うだけじゃなく、売ってやがるかもな…」


「あ、その可能性は、十分に有りますね」


「ま、親に連絡はしたが。 今夜は、留置場に御一泊願うか。 明日、ゆったりと取り調べてやろうじゃ~ないの」


「はい」


然し、その時。 二人が居る奥の留置場では…。


「の゛ぶっ、ぐぐぐ…」


何か、ワサワサしたものに、首を絞められている若者が居る。 金髪を四方に乱した無造作ヘア、両耳には小さい装飾の付いたピアスをして、顎髭を整えて在り。 ハーフか、クォーターの顔は、ちょっと美男とも見てとれる。


だが、首に巻き付く髪の毛らしきものに、両手を掛けジタバタと暴れているその若者は、宙に浮かされ壁に足すら届かない。


そして、上向く顔は、充血し始めた目を限界まで開き、必死に呻く様子からして、殺され掛けているらしい。


(な゛んでぇっ! けけっ、警察署で・・おぞ・われる・・・だぁっ!!!)


先程、麻薬の代金について、顧客と喧嘩していた彼だが。 丁度、見回りをしていた刑事二人に見つかって、現行犯逮捕と成った。


然し、檻に入れられては、


‘困った’


どうしようかと悩み、留置場内を彷徨くうちに。 いきなり背後から、髪の毛に襲われた若者だった。


そして、その締め付ける力が、一定を超えた。


- ブチっ! -


と、云う不可解な音が留置場内に響いた。


その音と共に、何か勢い良く液体が噴き出す音がして。 壁にピシャッと吹き付ける音もする。


この留置場の一番奥では、別件で喧嘩をしたと云う中年男が、雑魚寝して床に寝そべっていて。


「おいっ、ウルセェぞっ!」


と、声を出し。


一方、留置場外に居る看守の警察官も。


「君、静かにしなさい」


と、言った。


だが、職務上の様子見は必要と。 金属製の格子が、廊下を挟んで対面に並ぶ、留置場へと踏み込んで来た。 其処で、湧き上がる警察官の絶叫。


その予想だにしない悲鳴に、何事かと喚く前に。 留置場の一番奥へと入れられた中年男も、漂って来る血の臭いに気付き。


「おいっ! すげぇ血の臭いがすンぞっ!!!!!」


異常を知らせる為に、金属製の格子飛び付いた。


さて、拘留中の者が死ぬなど、アクシデントと云う範囲の話では無い。 腰を抜かしそうな程に慌てて、留置場を飛び出して行く警察官に。 悲鳴を聞き付けた生活安全課の刑事二人が、慌ててやって来て。 また、首をもがれた死体が発見される事と成る。


そして、首を片手にして移動する悪霊の気配が、渋谷警察署から消える頃。


その渋谷警察署に、飛び込もうとしていた木葉刑事。


「頼むっ、行かせてくれっ」


吼える彼は、交差点近くで茉莉隊員に止められて。


「謹慎中に突っ込んでもっ、暴走と捉えられてしまう! 動きたい時に、自由に動けなく成るだけだっ」


「此方っ、茉莉だっ! ベース車っ、我々を回収してくれっ」


自身の耳に嵌めるコードレスの通信機にて、近くに待機する仲間の車両を呼んだ茉莉隊員。 救急車の到着や警察署の慌ただしさが、外にまで溢れ出ようとする前に。 茉莉捜査員が呼んだ黒いワゴン車で、木葉刑事と彼女は去る事に成る。


そして、明日に鵲参事官経由で、事件の話を聞く事と成るのだった。


一方、同時刻。


ビジネスホテルにて、全てを見届けた古川刑事が居る。


「やっぱり・・同乗者が居たか。 木葉の奴、これには驚きだろうよ」


だが、最愛の妻と、幼い子供二人から母親を奪った奴だ。 古川刑事に、後悔など微塵も無い。


いや、寧ろ。


(奴の眼ン玉を見りゃ、どんな輩かは解る。 安心しろ。 お仲間も、俺も地獄に逝くさ)


と、満足げなのだ。


然し、この日は、其処までだった。

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