第二部 集いて膨らみ襲“かさ”なる怨念の行方 第一章 蔓延
【呪いは、怨みの数だけ暴れる…】
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数多くの怨みの力は、最悪の結果を招くのか。
一人の殺人犯が生み出した怨霊は、無差別に怨みを引き受け人を殺す悪霊と云う存在に変わった。
その怒りと怨念を鎮め様とした木葉刑事だが。 自身の命を賭した行動も虚しく、同僚の佐貫刑事を巻き込み。 そして、失ってしまった。
木葉刑事には、何故か悪霊が視える。
視える為に、どうにかしようとする。
然し、彼が動けない間にも、怨霊の行動はエスカレートの一途を辿る。
鎮める手など、人に在るのだろうか…。
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十二月下旬、某日の夕方。
辺りが山陰で薄暗くなる中、雪化粧した林の中を抜ける黒いSUV型の車が在る。 今年は、例年より早くに纏まった雪が降った所為だろうか。 車の屋根にスキー板を備えたその車が、栃木県の温泉街にほど近い山荘のロッジへと遣って来た。
山荘前の庭に停車した車のドアが、ガラッと開かれ。 騒がしく出て来たのは、若者達。 顔にピアスを着けたり、黒く焼いた肌の男女8人で在る。
その集まりの中で、女性の方は何れもやや覚めた顔の四人だが。
黒いSUVの後を追って来たのか、山道を登って来た二台のワンボックスカーも山荘前に到着して。 その二台から降りた四人の若者の男性も、先に降りる男女の後に続く。
十二人と成った若者の集団は、二階建てらしきログハウス調のロッジへと、ゾロゾロと向かって行く。
その若者達の中で、有名スポーツメーカーのロゴが背中に入る、青いスキーウェアを羽織る若者が居る。 目つきがこの若者達の中でも最も鋭く、短い頭髪を何かの絵柄の様にした様なカットの男性だ。
さて、この彼が、ピンクのダウンジャケットを着たなかなか綺麗な女性のお尻を触り。
(お姉さん、これから三日間、たっぷり楽しませてよ)
と、耳打ちした。
その言葉に、苦笑いする小麦色の肌をした若い女性で。
「君達、まだ高校生ぐらいでしょ? 新車を乗り回して、風俗嬢のアタシ達を三日間チャーターって、どんな金回りしてる訳ぇ?」
荷物を車から出す仲間を見返した若者は、高校生と云われた割には既に悪い道に生き方を染めた様な、不気味で威圧的な笑みを浮かべ。
「金なんてサ、有る所には有るんだよ。 それにこっちは、オプション料金まで払ってるんだ。 姉さん、今更に大人ぶった言い方するな」
この若者の親の顔が今すぐ見てみたく成った女性だった。 然し、4人の女性を四日ほど借りるとして。 即金で、一千万近いギャラが発生したで在ろう。 アダルト映像に出演するセクシー女優となる彼女達で、人気も在る方の4人。 それを我儘にレンタルするとなれば、それなりの料金が発生するのも仕方ない。
さて、この男女等は山荘に入ると、荷物を置いて。
“先ずは、温泉に浸かろう”
と、云う流れに成る。
8人の若者達は、覚めた様子の女性達4人を連れて麓の温泉街に向かった。
スキーと温泉では、有名な街だ。 ボーリングやらゲーセンで遊び。 途中で、温泉やら食事と堪能してから、カラオケハウスに出向いた。
さて、一通り遊んだ彼等は、深夜前。 温泉街の暗く成った通りを、駐車場へと向かう途中にて。
絵の様なカットの入る短い頭をして、如何にも悪意が滲む目つきの鋭い若者は、何故か自分の周りに居る5人に目配せをした。
「………」
5人若者が、彼に頷きを返すと…。
目つきの鋭い若者は、軽い足取りにて前に走った。
彼は、自動販売機の在る建物の並びを、固まって行く女性達4人の前に行く。 眼鏡を掛けて、自分達とは雰囲気がまるで違う、真面目な印象の若者二人へと走り寄った。 そして、バッと二人の間に割り込んで肩を組むと。
「おい、川上と中西」
と、二人に声を掛ける。
どことなく、終始に渡ってオドオドした雰囲気の在る眼鏡の二人は、ビクンとして彼を見た。
目つきの鋭い若者は、そんな二人を交互に見て。
「お前等、免許持ってるし、酒を飲んでネェんだからよ。 山荘に戻る前に、車で何軒かコンビニに寄って、酒やつまみを買って来いや。 あの、後ろに居る女達も乗せて、品を選ばせていい。 先ずは、2日間は切れない様にしろよ」
と、命令すれば。
「う、うん」
「解った、きき・鬼頭君」
オドオドしながら了承する二人。
その二人に、目つきの鋭い‘鬼頭’と云う若者は、現金で5万円ずつ渡して。
「ツリは要らねえから、たらふく買え。 その代わり、ロッジに戻ったらサ。 あの女達の裸を、隅々まで拝ませてやるよ。 今夜で童貞も卒業だ。 キモチイイ事をたっぷりさせてやるからな」
と、二人の肩をグイグイ揉んだ。
買い出しを言い渡された二人が、ダラダラ歩く女性達に向かって行く。
二人に命令した目つきが鋭く短い頭髪の若者である鬼頭は、他の仲間達五人に目配せをして。 何故か、先に車でロッジへと戻ってしまった。
一体、女性達や眼鏡の若者二人を置き。 急いで先にロッジへ戻ったのは、何事だろうかと思うのだが…。
さて、日付の変わる12時を過ぎた夜中だ。
急いでロッジへ入った若者達は、10畳ぐらいのリビングの真ん中北側に在る、食卓テーブルの周りに集まり。 何やら白い粉を液体にし、注射器を使って腕に打ち始めたではないか。
蝋燭の灯り一本が、若者達を照らす中で。 薬を打ち終わった各々が、ニヤニヤと笑ってる。
そんな皆を見回した、鬼頭と云う若者が。
「コイツの効き目は、マジでスゲェぜ。 丸一日中セックスしてても、全然イチモツが萎えネェ~んだ。 今夜は、あの風俗嬢のバカ女達をヒィヒィ言わせてやるぜ」
と、悦に入る。
その輪の中から抜け出して、水を飲みにキッチンへと向かう若者が居る。 調理場と、シンクや収納棚の在る二列のキッチンへ入りながら。
「あ~、そういや~さ。 10月辺りに、良く行くゲーセンから帰る駅近くで見掛けたから、攫ってみんなで喰っちゃった女子高生が居たじゃんよ」
と、話題を振った。
すると、リズムを刻みながらソファーへと向かう、大柄なスキンヘッドの若者が。
「あ~、喰っちゃった後の始末に困って、ボコってから河川敷に埋めた女だろ?」
と、大した事でもなさげに云う。
然し、言っている意味は、
“人を生き埋めにした”
と、告白しているのも同じだった。
流しに立つ若者が、ガラスのコップを手にしつつ。
「そう、その女ぁ~。 だけどさ、あの女を攫う時に。 あの女の母親が運転してた車と、連れ去る俺達って、どうやらすれ違ったらしいんだよ」
と、会話が続く中。
リズムを刻んで歩くスキンヘッドの若者は、山荘横の森を望める、向かって左側のベランダに出る大窓が在るのだが。 その前に、テレビと対面する様に置かれた赤いソファーにどっかり座り。
「へぇ~、そぉっ、れっ、でっ?」
と、リズムを刻んで問い返した。
「昨日、その母親がウチまで来やがってさ~」
すると、鬼頭と云う若者は、その話に目を細め。
「イっちゃん、それでどうした?」
と、話に踏み込む。
コップを手にする‘市村’(イっちゃん)と云う若者は、半身を鬼頭へと向けて。
「シラばっくれたに、決まってんじゃんか」
と、半笑いで言った後。
「でも、サツが来たら、どうスッカな~って。 そ~うゆ~う相談」
と、また前を向く。
シンクに向いた市村以外の、この部屋に居る若者達が、リーダー格の鬼頭に注目する。
見られた鬼頭は、近場のテレビ脇に向かって歩き。 壁側のタンス台の上に在るオーディオ機器に触れ、今時のラップみたいな洋楽を掛けると。
「そんなの、決まってんだろ。 サツが来る前に、そのババァを殺しちまえよ」
然し、水道の蛇口を捻った市村は、コップに水を受けつつ。
「そりゃイイんだけどさ。 バレない遣り方って知ってる? 俺一人じゃ、ちょっとしんどい」
すると、両耳にピアスをした赤い髪の若者が、テレビの右脇に向かい。 まだ、中身が残るペットボトルをTVの脇から取り上げながら。
「カァ~、リョーちゃん達って、もう‘殺し’までやってんの? あの、サツが嗅ぎ回ってる事件って、みんながやったんだ」
と、キャップを回す。
然し、その殺人に関わって無い彼らしいが。 様子を窺うに、差して重大な事と感じて無い態度で在る。
そのピアスの若者へ、ソファーに座ったスキンヘッドの若者が、掛かった音楽にノりながら。
「そうっ、俺達ってマジで犯罪者っ。 でも~、サツも~、ババァも~、コワくない~」
と、ラップ調に歌って返す。
上着を脱ぐ鬼頭は、両耳にピアスをする若者に向かって。
「サト~ちゃんよ。 彼女が居るってのに、浮気旅行に来たら同罪だヨン」
音楽にノる若者も、また頷いて返す。
キャップを開けペットボトルの飲料を一気飲みしたピアスの若者が、ゴミ箱にボトルを投げて。 廊下に出るドアを開いて出て行きながら。
「お相手はプロのネ~サンだろ? 浮気じゃなくて、ただのお遊びだよ。 ま、あのミドリも、本命の彼女じゃ無ぇよ」
と、トイレに向かって歩いて行く。
さて、薬を打ったテーブルにて。 まだ灯る蝋燭でタバコに火を付けるのは、ニット帽に眼鏡の若者。 煙草を吹かした後に、
「で? そのババァを、どう始末すんの?」
と、鬼頭へ問い掛ける。
その問い掛けに、彼の近くに立つ太ったソフトモヒカンの若者が。
「ねぇ、ねぇ! その母親も拉致ってサ、あの娘と同様に喰っちゃってサ。 最後は、一緒の所に埋めるってのは?」
と、恐ろしい事を提案した。
コップで水を飲んだ市村は、
「それ、賛成1。 ちょっとやつれてたけど、ババァも胸はデカかったゼ。 案外、あの埋めた女と同様に、ママさんもアソコの具合は良かったりして」
と、もう一杯を注ぐ。
然し、此処で水道から出る水が、急にその勢いを弱める。 そして、水の出る蛇口より、スルスルっ、スルスルっと何か、黒い糸の様なものが…。
だが、若者達の恐ろしい話し合いは、尚も続き。
このメンバーの中ではリーダー格の鬼頭は、警察に捕まるぐらいなら父親の力を借りると。
「別に、足が着こうが構わねぇよ。 最悪なら、オヤジの力を借りるさ。 指定暴力団で、闇金の帝王と言われた自分の息子がよ。 高が殺人ぐらいで捕まったなんて、多分は恥だからよ」
と、言うと。
その場にいる若者達が、ドッと笑い。
ニヤニヤした市村は、コップに汲んだ水をもう一杯、一気に飲もうとしたのだったが…。
(ん゛っ?)
水を口に入れた瞬間。 水と共に生臭い異臭が口の中に広がり、突き抜ける様に鼻へ向かう。 然も、口の中には、糸くずみたいなものが残り。
「おえっ、ぺっ!」
と、口からそれを吐き出し。
「なぁんだっ、こりゃ」
と、口を拭う。
然し、音楽のボリュームを上げた鬼頭は、蝋燭の灯りしか無い部屋の中で。
「イっちゃん、なぁ~にしてんだぁ? あの薬は、まだラリる量じゃねぇぞ」
からかう様に笑ってリモコンを取ると、部屋の温度を更に上げるような調節をした。
然し、薬の所為か、話の所為かは解らないが。 興奮気味に堕ちる若者達の中で、水を飲んだ市村だけが。
「ちげぇ~よ。 何だ、この生臭いニオイはよぉ~。 ペッ」
と、水の出口を覗き込んだ。
薄暗い部屋の中で、既に水は出て無い筈の蛇口。 然し、不自然に黒い何かが蛇口から出てシンクの底にまで伸びているのが、市村には見える。
(なっ、何だ? この黒いのは…)
と、シンクの底に溜まる黒いものへもっと近づいて、マジマジと覗き込んだ。
その瞬間。 その黒い物体が、フワッと動いた。
「うっ、あ゛ぁ…」
市村の首から顔に掛けて、その黒い物体が包み込む様に素早く巻き付いて来て。 後ろに逃げようとした市村だが、逆にシンクの中へと頭を持って行かれてしまう。
さて、トイレに行った‘サトーちゃん’こと、佐藤は。 トイレから戻ると、リビングに入るドアの前。 玄関前とも成る場所にて、スマホを操作してメールを打っていた。
音楽にノるスキンヘッドの若者は、ソファーで既に上半身を裸となり。 鍛えた身体を動かして、歌を歌っている。
この市村に襲う異変に、他の若者は誰も気付かない。
一方、大型テレビの前で、ズボンまで脱いだ鬼頭。 上半身は、ネックレスのみと成った身体中に、様々な刺青を入れていて。 背中一面には、おどろおどろしいドクロを。 胸には、鎌を持ち上げる死神。 そして、腹周りには雷雲を駆ける竜の柄で在る。
刺青を見せびらかす鬼頭へと、テーブル周りに居た二人の仲間が近付いた。 太ったソフトモヒカンの若者とニット帽の眼鏡を掛けた若者は、リーダー格と成る鬼頭の刺青を蝋燭立てに刺さった蝋燭で照らす。
この時、黒い物体に頭を包まれた市村は、シンクの中に突っ込んだ頭を強力な力で右回りで捻られ、ジタバタと暴れていたが。 ボリュームを上げた音楽で、その音が聞こえない。
(だっ、だしげでぇっ!)
喉と顎まで固められた所為か。 それとも、口を覆う黒い物の所為か、助けを呼ぶ言葉が出せない市村。 必死に、その捻れに抵抗したのだが。 既に、人間が抵抗を出来る力の限界を、黒い物が及ぼす捻りは超えていた。
暴れる事すら出来なく成った市村は、ブルブルと震えて白眼を剥いてしまい。
ボディビルダーの様なポーズをキメる鬼頭は、暗がりの中でその市村の背中を見つけ。
「見ろよっ! イっちゃんが、もうラリってるぜっ! ヒャッハァッ!!!!」
と、嬉しそうに笑った。
だが、その時に。
‘ゴキッ’
っと、奇妙な音がして。 市村の首が、うつ伏せる身体とは逆に180℃回転して。 身体の背中の方に上向いた。
そして、更に首がグイ~っと回って、皮膚が千切れて血が滴り落ちる。 巻き付いた黒い物の力に因って、捻千切れる時。 シンクへ、首がゴトッと落ちる。 支えを失った身体は、ズルッとキッチンの前に崩れてしまった。
その音は、オーディオ機器から出る音とは明らかに異質な‘不協和音’だったのか。
音に反応してシンクの方を見た鬼頭は、市村の姿が見えないと知り。
「おいおい、イっちゃんよ。 せっかく金で買った女とヤる前に、もう気絶かよ」
と、やや気抜けしてしまう。
すると、蝋燭立てを持つニット帽に眼鏡の若者が。
「あちゃ~、マジか? ヤク中だから、救急車を呼べねぇってのによ~」
と、呆れた様子を現す。
鬼頭は、ニット帽を被った眼鏡の若者に。
「テル。 イっちゃんが生きてるかだけ、確認してみ」
‘テル’と呼ばれたニット帽に眼鏡の若者は、太ったソフトモヒカンの若者へ。
「ハセ。 イっちゃんが気絶ってたら、背負えよな」
太ったソフトモヒカンの‘ハセ’は、
「そりゃあ構わないが。 水でもぶっかけて、起こさなくていいのかね~」
と、意地悪く笑う。
“それは意地悪が過ぎる”
こう感じたニット帽のテルは、タバコの先を赤くして呆れた。
倒れた市村の様子を見に、キッチンの方へと向かって二人が歩き始めた時。
また、新たなる異変が起こっている。
シンクに向いてから左側を見た方の壁際。 洗濯機の排水溝にする塩ビニ官の切れた穴から、ワサワサとした黒いものがどんどん溢れ出ていた。
それは、動きからして水では無い。 黒く細い、モサモサしたもの。 市村の命を奪った物と同類の何かが、まるで生き物の様に噴き出していたのだ。
そうとは知らず、倒れた市村を見に向かった二人。
一方、排水溝用のパイプ口から溢れ出る黒い物体は、木目調の床や花柄の壁紙が張られた側面壁に着くや。 植物が根を張る様に入り込み、床や壁の表面を這いずり。 急速に、大窓も在る壁一面に広がって行く。
この怪異に、この時はまだ誰も気が付かない。
そんな事など知りもせず市村へと近付く二人で。 テルと云うニット帽の若者は、
「お~い、市村。 頼むから死ぬなよ~」
と、声を掛ける。
自分と子供の頃から一番に連(つる)んで来たのが、倒れた市村。 腐れ縁で在り、幼なじみ故に、彼なりに本心から心配していた。
また、パンツ一枚と成って刺青を入れた身体を見せる相手が蝋燭を持って行った為か。 暇に成る鬼頭も、キッチンへ向かおうと気にする。
(死なれたら、流石にヤバい。 生きてっかぐらいは、確かめるか)
明らかに怪しげな薬を持ち出した自分だけに、仕方無いと感じ。 見るだけと云う様な素振りにて、キッチンへ歩もうとした。
その時だ。
「あ?」
或る異変を感じた彼は、歩みを止めて左側の大窓を見た。
それは、この暗い部屋では驚くべき事だ。 急に、本当に急にだ。 ジワジワと、壁や床の四方八方に広がる、謎の黒い物体が。 遂に、月明かりを部屋へと迎え入れる大窓を撫で拭く様に覆って、漆黒の色に染め上げて行った。
蝋燭の火と月明かりで、刺青を入れた裸を見せていた鬼頭には、それが皆既月食でも起こったの様で。 月明かりが差し込む大窓へ、右上から左下へと斜めにジワジワとカーテンが掛かった様に見えた為に。 何事かと、歩みを止めたのだった。
大音量でこの部屋に響く音楽は、俄かに起こり始めた異変に恐怖心を煽る相乗効果を生むのか。 月明かりが遮られる事で皆が怖さを覚える。
また、ニット帽の若者が持つ蝋燭の、酷く脆弱な灯り。 それ以外に、この部屋を照らすものは何も無く。 反響する音楽と闇に、部屋が包まれた。
そして、ソファーに座り。 ノリノリで歌っていたスキンヘッドの若者も、この異変に気付いて席を立ち。
「おいっ、何のジョークだっ?」
と、大窓や辺りを見回す。
一方、キッチンに何歩か向かって止まった鬼頭は、窓に近いスキンヘッドの彼に。
「おいっ、シンゴっ! 窓で何が起こったんだっ?」
が、その時に‘シンゴ’と云う若者の手足と首に、シュルシュルっと空中を飛んだものが絡まり。
「う゛ぱっ! なん、だっ」
ハッキリとした言葉に成らず、苦しむ声を出した。 突然、理解不能なモノに背後から捕まった感覚で、暴れつつ後ろに倒れてソファーごと大窓の側へ転がった。
部屋が暗闇となる事で、彼が見えなかった鬼頭だが。 その倒れる大きな音に驚いた為に。
「今の音は何だっ? シンゴっ、何が起こったっ?!!」
と、更に問い掛ける。
ソファーの在った方の暗闇へ、鋭い目を凝らす鬼頭だが。 うっすら、本当に何となくシンゴの影が動いている様な、そんな感じがするのみ。 この時、シンゴは本当に苦しんで居たが。 それを伝えるのは、奇妙な呻き声と彼が暴れる為に倒れたソファーへぶつかる身体の音。
市村の間近まで来たニット帽の若者テルは、次々と起こる音に本気で驚き。
「何だっ? 何の音だっ? シンゴっ、一体どうしたっ! 何が起こってンだっ?」
倒れたスキンヘッドのシンゴへと向きを変え、蝋燭を持って問い掛けに合わせて近付いて行くテル。
灯りを持つテルが来た事で、鬼頭も一緒にソファーへ倒れたシンゴへ近付こうとする。
その時だ。 太ったソフトモヒカンの若者ハセは、シンク前へ倒れた市村の脇に立ち。 自分へ襲い来る、咽せ返る程の血の臭いに驚き。
「おいっ、イっちゃんもヤバいぜ。 多分、血を流してるみたいだぞっ」
と、キッチンに倒れた市村の脇に屈んだ。
処が。
蝋燭の灯りも届かない闇の中で。 市村の首が落ちたシンクから白い手がヌゥ~っと現れた。 一見すると、‘白い手’と言って良いのだが。 実際には、ボロボロの皮膚が覆う腕は、蝋燭のロウの様に白い。 診る者に知識が有るなら、死蝋化した死人の腕と解るだろう。
だが、異変はその手に留まらない。 手の後からは、黒い何かに包まれた白っぽい物が屈んだハセを覗き込む様に伸び上がる。
その、現れ出たものは、何と人だった。 白い手と同様に、青白く成った顔をして。 皮を剥いて出した葡萄の果肉の様な、赤い宝石のにも見えなくも無い眼球を飛び出させている。
今、巷を賑わせる怪事件。 首無し殺人事件とバラバラ殺人事件。 その犯人で在る悪霊が、何故か此処にも現れた。
血の臭いに焦り、仲間を見下ろすハセ。
「イっちゃんっ、返事をしろよ! どうしたんだよっ」
その彼に向かって、悪霊は白い手を伸ばし始める。
一方、背凭れが床に転げたソファーの裏で。 ジタバタと激しく暴れるのは、歌っていたスキンヘッドの若者シンゴだ。
蝋燭を持つニット帽のテルと鬼頭が、暴れる彼に近寄った。 蝋燭の灯りが、チラッとシンゴの今を照らした時。
「わ゛っ!」
声を出した所為でタバコを口から落としたテルだが。 何かに怯え、後ろに後退る。
(い、いま・・の、何だ?)
何か、長く黒い物体が、暴れるシンゴの足に絡み付いて行こうとする瞬間を、蝋燭の灯りでハッキリ見たのだ。 腕に薬を打った時に使ったテーブルまで、怯え始めながら後退るテル。
するとテルが驚いて身を引いた為。 急に視界が利かなく成った鬼頭だから。
「おいっ! 見えねぇだろうがっ!!」
と、怒鳴る。
ソファーを乗り越えて覗こうとした処だ。 テルに苛立って立ち上がり。 テルの引いた所まで歩こうとする鬼頭。
だが、此処でキッチンの方から。
「う゛ぐぐぐぅ…。 だぁ・・ずげぇ・・・で」
と、くぐもった感じの声がするではないか。
その声は、苦しむ為に籠もっているのだが。 確かに、太ったソフトモヒカンの若者ハセの声。
またそれが、後退りしたテルの耳へと入るものだから。
「え゛っ、ちょっと待てよっ!! ハセっ、どうしたっ?」
苦しむ彼の声に慌てたテルは、蝋燭を持ったままにハセが居るキッチンへと向かう。
テルに近付い鬼頭は、また何か起こったのだと察し。 玄関前に立っていた若者の佐藤へ、
「サトーっ、中に来てくれっ!!」
と、大声を掛けた。
然し、部屋の四方の壁一面にまで広がった黒い物体は、リビングと廊下を行き来するドアすら覆ってしまった。
その頃、玄関前にて。
「もしもし、ミドリかぁ? あ? 今、何処に居るかってぇ? 地方の山ン中。 仲間とスキーだよ」
嫌々ながら彼女となるミドリの電話に出た。
実は、夕方辺りからだが、執拗なメールを寄越した彼女。 何度、適当にはぐらかしても、繰り返し来るメールに苛立ち。 遂に佐藤は、外に近い玄関前に来て電話をした次第。
その時のリビングでは、鬼頭が、テルが、かなりの大声や喚き声を上げていたが。 玄関前に出ていた佐藤は、急に暗く成った廊下からもっと暗いリビングをチラッと見て。
(カーテン閉めて、女達を待ち伏せる気か? アイツ等も好きだねぇ)
と、思いつつ。
また、しつこく自分の居場所を聴いて来る、彼女のミドリに対しては。
(あ~、ミドリの電話が、超ウゼェ。 もう、コイツにも飽きて来たし。 仲間に裸を喰わせた処を録って、金蔓にスッカな~)
こんな酷い事を考えて、通話の為に外へ向かう。 女性達が戻った時に、ミドリに声を聴かせたく無いからだ。
だが、黒い何かに密閉されたリビングの中では、いよいよ事態が露骨に最悪の方向へ…。
「サトーぉぉっ!!!!!!!!」
何度も怒鳴る鬼頭が苛立ちに極まり。 リビングから廊下に出ようとした。
処が、
「気付け・・って、何だこの黒いのはっ!」
ドアノブを掴もうとすれば黒いワサワサした物に触れて、アッと驚く鬼頭。
また、それと同時に。
あのニット帽を被った若者テルが、手にする蝋燭の灯りを頼りに。 太ったソフトモヒカンの若者ハセを見に行くと…。
其処では、シンクを右側に面して跪いているハセが。 何と、ボロボロの皮膚をした白い腕に首を絞められていて。
「何じゃっ・・」
と、テルが驚き。
(どうなってンダよっ!!)
混乱する事ばかりで、何をすれば良いのか解らないが。 とにかくハセを助け様と、彼に近付こうとしたテル。 だが、彼が一歩を踏み出した一瞬、黒く闇の染まったシンクの中より、性別のつかない人間の上半身が生えて居るのを見てしまい。
「あ、・・うっ、うわ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
今度は、大絶叫を上げた。
その声を聴いた鬼頭は、ビクンとして。
(今度はっ、何だ?!)
声で反射的に、テルの方へと振り向いた彼だが。 鬼頭の視界に入って来たのは、ニット帽の若者テルが何かに驚いて蝋燭立てを放り出し。 背後の冷蔵庫が在る方に、腰砕けして倒れて行く様子だ。
放物線を描いて、宙に浮いた蝋燭の灯りに対し。 尻餅を突くテルが、闇の中へと消えて行く様で在った。
“何やってんだよっ!! 火事に成ったらっどうすんだっ!”
咄嗟に苛立ちを覚えた鬼頭だが。
其処で、
- ぶちんっ!!!!! -
と、滅多に耳にする事がない様な音がする。
(な、何だっ? 今度は、何なんだっ?)
その音は、スキンヘッドの若者のシンゴの居た、ソファー方から聞こえ来た。 廊下へ出るドアの前に居る鬼頭からすると、それは真後ろに成る。
血の臭いが床から上がり、あちこちで漂い始めた部屋の中で。 下半身の下着一枚と成る鬼頭は、その耳障りな音に敏感に反応。 その前の、テルを横に見る仕草から加えるなら、真後ろにまで振り向く事に成る。
その時、空中を落下した蝋燭が、フローリングの床に叩きつけられ。 一瞬だけ、衝撃を受けて消え掛けたが。 溶け出した蝋を零しつつも、また火を付けた。
その蝋燭から、少し離れた暗闇の中。
「あわわわわ・・、うでが・・うで………」
有り得ない姿の何かを見て、テルは闇を指差し。 呂律の回らない舌で、鬼頭にこう語り掛ける。
然し、鬼頭は鬼頭で。
(今の音は、何だっ? この黒いのは何だっ?! チッ、とにかく明かりを…)
と、思い立ち。
片手を伸ばしては部屋の電気を点け様と、壁に手を置いた。
だが、
「わっ、スイッチが無いぞ!」
一本一本が細く、ガサガサした触感の糸くずみたいなものに、スイッチを押そうとした指を阻まれてしまう。 それは、廊下に出ようとした時に触れた、ドアノブを覆っていた物と同じ触感だった。
幼少期と云うか、元々から。 粗野、粗暴と云うべきか。 凶暴な性格の若者で在る彼だから。
「チキショウっ!!!!! この壁に生えたのは、一体何なんだよぉぉぉっ!」
苛立ちを込めて、カーッと血が登ったままに喚き上げ。 スイッチを押すべくして、握った拳の側面を壁に叩き付ける。
だが、此処で。 真っ暗闇と成った流しの前で。
- ゴキッ -
と、何かが折れる鈍い音までする。
蝋燭を拾おうとしていたテルは、その嫌な音を耳にして。
(ま・・さか、くっくく・くびっ、首が・おれ・・た?)
音からそう想像し。 身体の中にて、爆発的に湧き上がる恐怖に支配された。
“とにかく外へ逃げて、助けを呼ぼう”
もうこれしか頭の中に浮かばず。
(蝋燭っ)
有りったけの力で、笑った膝を引き摺る様に。 前へ前へと、慌てて這って行くテル。 普段で歩けばその距離は、凡そ二歩。 直ぐに辿り着ける距離だった。
(灯りをっ)
渾身の力を以て、テルが蝋燭立てに手を伸ばした。
(よしっ、掴めた!)
蝋燭立てを床に立て、掴み直して取った彼だったが。 蝋燭立てを自分の元へ引き寄せると同時に、其処へ座ると…。
(え? ・・何だ、この床…)
身を起こそうとバランスと取る為、床に着いた手触りは、フローリングの床の感触とは明らかに違う。
「な゛、何なんだ?」
蝋燭を片手に、ハセが首を絞められていた方へ、床を見る為に前のめりに成ろうとするテル。 だが、炎の灯りで確かと成る狭い視界の中に、髪の毛を振り乱した何者かが居た。
(あっ)
テルの瞳に映った者は、この世の者とは思えない‘化け物’だった。 耳元まで異常に裂けた口。 瞳の輪郭が縦に裂けて、まるで‘狐目’の様に歪み。 瞳は、赤黒いビー玉の様で、皮を剥いた葡萄の果肉の様に飛び出している。 また、僅かに開かれたズタボロの皮膚に被われた唇からは、血の様な液体が流れた跡が見える。
「う゛ゎ゛」
その化け物の様な者の姿を見て、叫び上げ様としたテル。
然し、
「ぐっ・・・う゛ぷぷ…」
声を発しようとした時に、その見えた何者かに襲われ。 ハセと同様に、首を絞められる事に成った。
押し倒されたテルだから、その衝撃で持った蝋燭立てをまた床へ落とす。
違う音に首を動かした鬼頭だが。 其処に見えたのは、床に落ちて転がる蝋燭が近くの箪笥へと転がって行く様子と。 その蝋燭の幽かな灯りに因り、テルのものと思われた左足の先がバタバタと暴れ始めた事だ。
「テルっ、おいテルっ!!」
テルに声を掛けたつもりだが、反応は無く。
「チキショウッ、何だっ! 一体っ、何が起こってンだよっ! えっ?」
苛立ち混乱する視界の中で、唯一の視界を照らす物が目に映る。 だが、床を転がった蝋燭が不運にも、箪笥の縁に燃える芯の先を付けてしまい。
「あ゛っ」
一歩を踏み出した鬼頭の視界の中で、‘ジュ’と音を立て遂に灯りが消えた。
「チックショウぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
又しても、苛立ち喚き上げた彼。 その感情任せな行動から、廊下に出るドアに近寄ると。
「あ゛ぁぁっ! 気付けやっ、サトぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!」
喚く感情をぶちまける様に、ドアを踏み壊すぐらいの気持ちで力の限りに蹴ってみる。
然し、謎のものに覆われたドアは、びくともしなかった。
「何だこれっ!! 一体どぉ成ってんだよっ!!!!! 真っ暗で解んねぇっ! 何でっ、こんなに血の臭いがしてんだぁっ?!!!」
二月ほど前の事か。 駅から帰る女子高生を攫って、散々に犯してから生き埋めにしたと言った若者達。 また、その母親すら殺すかと、遊び感覚で言い合った彼等だが。
平気で人を殺せる鬼頭でも、流石にこの状況には恐怖心が煽られたのか。 感情のままに怒声を散らせば、或る事を思い出してハッとする。 脱いだ自分の衣服に、スマホが入っている事を思い出したのだ。
「スマホっ、何処だ服っ!」
真っ暗闇の中、テレビの明かりを頼りに衣服を探そうとし。 テレビラックの脇に置かれたリモコンを手に入れ、灯りなら何でもとテレビを点けた。
点灯する音がして、暗い中で黒く成るテレビが。 次第にじんわりと、仄かに明るく成って行く。
(よしっ! スマホだっ)
脱いだ服を探して、床に屈んだ彼だが。 自分が向いている先で、テルが苦しんでいるのか。 彼が立てるバタバタと暴れる音が、どんどん異常ほどに早く激しくなり。 鬼頭が、ズボンのポケットに入ったスマホへ手を伸ばして触り掛けた瞬間。
- グギッ -
と、云う骨が折れる音と共に、‘バンっ!’とテルの暴れる足音も止む。
その音に、思わずギョッとした鬼頭。
(おい・・、てっテル?)
テルの居た方に微かに震える顔を向けた鬼頭は、手にしたスマホをポケットから引き抜いて、同時に立ち上がる。
(おい、何だよ・・。 いきなり、しっ、し・・静か、だゼ?)
先程までとは一転して、無音となる静まり返った部屋の中。 これまで仲間が、部屋の彼方此方で立てていた音が。 何故か、リモコンの‘消音’でも押したかの様に、全くしなく成った。
(冗談・・だろ? みんな、しっ・・し、死んだのか?)
その静まり返った部屋には、闇と静寂と血の臭いしか無い。 テレビの灯りを頼ってみても、転がったソファーに隠れ、何の反応も示さないシンゴは、どうなったのか解らない。
「シンゴ、おいっシンゴっ! 返事でも何でもイイからよっ、何か返せよっ!!!」
怒鳴ってみても、何の返しも無い。
「テルっ! ハセっ! イっちゃんよっ!」
他の仲間に声を掛けても、同様に返事が無い。
鬼頭は、仲間からの返事が全く無い事で、
“自分以外の皆が、死んでしまったのではないか”
と、感じる。
然し、健康な自分達が、高が興奮剤の様な弱い麻薬でバタバタと死ぬ筈も無い。
そうなると…。 この部屋には、彼等を死に至らしめる何かが在る。 または居る、と云う事に成る。
何かに頼りたく、耳を澄ました鬼頭だが。 間近から聞こえて来るのは、ザーっと云うテレビの音のみ。 また、点灯したスマホの画面には、12時56分と表示が見える。
そして、切羽詰まってメールや電話をしようとしたが。
「何だよっ。 急に電波来てネェっ!」
通信の良し悪しを教えるマークには、‘×’と‘OFF’が並んでいた。
だが、この山荘近辺には二年前に電波塔が立てられ。 スキー場も含めて、携帯の電波は良好な筈だった。
(クソっ!! サトーと連絡がっ)
外に居る佐藤と、通話やメールが出来ない。 部屋の外と繋がる手段が無く、焦り慌てた鬼頭だったが…。
此処で、漸く別の異変に気付く事に成る。 ふと、その異変に気付いた為に、ゆっくりとザーザー云うテレビを見たのだ。
(おい。 此処は、関東だぞ? 何で・・深夜番組が、やってネェんだ?)
スキーをする名目で来たから、前日と成る来た時の夕方に一応は天気予報を観た。 その時には、ちゃんと放送がされるチャンネルに全て合わせて在った。 教育チャンネルを掛けていた訳では無いから、普通ならまだ深夜帯の放送が流れる筈だった。 電波放送だけでは無く、インターネットの有料放送も繋がっている筈だから…。
そして、此処で遂にテレビまでもがプツっと、電源を落としてしまう。
「き、きれ・た?」
電気のプラグが刺さっていた所にまで、黒い物体が及んだ為に、コンセントが抜け落ちたのだが。 テレビの裏側の事だから、鬼頭にも直ぐには解らない。
スマホのディスプレイが明るく光る中で。 彼は、更なる異変をテレビに見た。 何か、人の顔の様なものが、向かって左側から急に。 彼の背後へスライドして来たかの様に、ヌゥッと現れたのだ。
「う゛わ゛あっ!」
驚き、横を向こうとした彼だが。 彼の首へ、左側から鋭い何かが飛び込んで来る。
「ぶっ! ぶ・・ぷぷ」
喉笛へ、グサリと突き刺さった何か。 刺された彼は、ブッと黒い血を撒き散らしながら、意識を失ってしまう。 目を見開いたままに、床へと倒れて行く鬼頭だが。
一方、彼の喉に突き刺さった何かは、紐の様に成り。 受け止める様に彼の顔に巻き付いて、首を捻ってもぎ取った。
その時、玄関前から寒い外へと出て。 しつこい詮索をして来る彼女に、本気で怒鳴りつける佐藤は、まだ知らない。 今、世間を騒がす大事件が、こんな所でも起こった事を。
そして、やっと麓の方から上がって来る道より、車のエンジン音とライトが山道を上がって来るのを知り。
(あ、やっと戻って来たぜ)
と、ニヤニヤし始めた。
「いいか、土産ぐらい買うから、そっちで黙って待ってろ。 帰ったら、ベッドで何してたか話してやるからよ」
と、ミドリとの通話を切った佐藤。
然し、数分後。
買い込んだ物を手に、ロッジへ戻った佐藤や他の男女は、殺人鬼の現れた壮絶な現場を見て、悲鳴や絶叫を上げたのだった…。
今宵の月は、とても綺麗で。 リビングの壁を覆った黒いモノが、跡形もなく消えた後。 首の無い遺体達を照らす月明かりは、怨み呪われた彼等の実情を如実に照らし出していた。
そして、奪われた首は、一体何処へ…。
警察が呼ばれる。
首無し死体だと解る。
東京都で起こっていた事件が、県外に飛び火したと。 警視庁の捜査本部と、事件を知ったマスコミが来る。
騒がし過ぎる状況に追い込まれた温泉街だった。
だが、殺されたらしい若者達を含めて、客として来た彼等は東京都の住人。 捜査の主軸は、直ぐに東京へ。
死亡した彼等を調べると、使い古された布団から埃を叩き出すかの様に溢れ出るのは、亡くなった若者達の犯罪。 窃盗、恐喝、強姦、傷害や暴行、違法薬物の摂取と。 彼等の殺人事件で捜査をする刑事達だが、殺されても仕方ない様な事を普段からしていて。 その罪を親の権力、金、暴力に因る脅迫で封じ込めていたらしい。
捜査本部は、首無し殺人・首在り殺人の両面のみに絞って捜査するので。 彼等の起こした事件には、当然の様に別の刑事課が担当する訳だが…。
首を失った彼等の携帯電話(スマートホン)を調べる過程で、更に女子高生の強姦と生き埋め殺人事件が発覚。 この事で、警察官及びマスコミも。 そして、世論も含めて。
‘犯人よくやった’
‘正義の鉄槌が下った’
と、思う流れが沸く。
その事件が起こる前から、そして、その後も取材拒否を貫く、娘を殺された母親だが。
寧ろ、首を奪われた若者達の親が、年末の大晦日まで取材に応じ。 子供の起こした犯罪について大した謝罪も無い厚顔無恥な態度で、世間の非難やマスコミの報道に怒りのコメントをしていた。
そして、この事件を切っ掛けにしてSNSや巷の噂では、
‘首を奪われた奴は、みんな悪い奴ばっかりだ’
‘怨みを買う奴らが、首を奪われる’
‘犯人は、警察が出来ない事をやっているんだっ’
と、犯人の行いを肯定する意見が、急速に溢れて行く。
大晦日、警察庁の長官が、異例で捜査本部を訪れ。 ‘威令’の様な労いを置いて行った。 然し、咎めは少なく。 現場に残る捜査に必要な証拠の数が少ないとは、上層部も認めている現れだった…。
そして、時は刻まれて進み、一月元日。 新年を迎えた、良く晴れた昼間である。
東京都つつじヶ丘に在る小さな一軒家に、3人の男女が向かっていた。 何れも、40代から50代。 新年の挨拶回りか、片手に風呂敷に包んだ荷物を各自が持って居る。
その内、化粧の濃い小柄なパーマの中年女性が。
「はぁ、小坂さんも可哀想だわ~」
と、溜め息混じりに言えば。
頭が白く成りつつ在る年輩の長身男性も。
「本当に、だよ。 行方不明に成った愛娘の京香ちゃんが、あんな形で発見されるなんてね」
と、会話を繋ぐ。
二人の後ろを行く。 小太りで、汗を拭く眼鏡の中年男が。
「然し、その容疑者が、あの首無し殺人事件の犠牲に成るなんて。 何とも、微妙な話ですよね」
と、更に話を繋いだ。
つい前日、明らかに成った事だが。 これから、この三人が尋ねる中年女性の娘が、部活帰りの途中にて不良の若者達に拐され。 性的暴行を受けた後に、野川の河川敷に生き埋めにされたのだ。
然も、つい前日。 首無し殺人事件が起こった栃木県の山荘にて。 被害に遭った若者達5人のスマートホンを調べる事で、その生き埋め事件が発覚して娘の遺体が掘り返されたのだ。
然し、回収された女子高生の遺体は、遺族と成る小坂と云う母親の元にはまだ戻っていないとか。 別件として、首をもがれた少年達の事件の捜査で調べられている為で在る。
この話し合う三人は、小坂なる女性の職場の同僚で。 十二月下旬から、有給を使っている彼女を見舞う為。 挨拶回りの後に、此処まで遣って来たのだ。
それと云うのも…。
昨年の十月下旬に娘が行方不明に成ってからも、気丈にも仕事に出て来続けた彼女だった。 然し、十二月の中旬に入ると、急に休みがちとなり。 栃木の山荘で若者達5人の首無し遺体が出たクリスマス前には。 新年が明けてから仕事初めと成る五日まで、有給も使ってちょっと長く休むと成った次第。
その直後、若者達の持つ真実が暴かれ、娘さんが既に殺害されていたと解る。 結局、彼女の取った休暇は、この同僚達の気持ちからすると流れとしては善い事だったろうと話し合う。 家にマスコミが押し掛けたり、警察から呼ばれて事情聴取を受けたりしたのだから…。
そんな訳で、この三人は彼女が心配となり。 正月の挨拶回りを終えてから様子を窺う為に、此処までやって来た。
家の前の空き地には、まだ報道をする者の車が2・3台停まっていたが。
(あらヤダ。 カメラ持ってる人が居る)
(気にするな。 小坂さんに会えれば、それでイイんだ)
パーマの中年女性と、長身の初老男性が言い合った。
さて、住宅街の一角に在る、まだ新築と見れた四角い家。 土地は小さいが、親子二人で住むには正に丁度良い家とも言えた。
玄関に来た三人は、チャイムを鳴らせど、声を掛けてみれど、全く返事の無いので。 この家に住む小坂と云う女性の事が、更に心配に成った。
“何処か、出掛けたのかしら。 もしかして、初詣?”
と、中年女性が軽く言う。
だが、玄関の鍵は掛かりながらも、車は在る。
“娘さんが死んだばかりで、そんな訳が無いだろう?。 然も、見なさい。 ドライブ好きの彼女が、車を置いてるじゃないか”
こう言った長身の年輩男性は、彼女の性格と食い違う様子に、殊更慌て始めた。 新聞や郵便物がポストから溢れているし。 また玄関には、宅配業者の連絡先の掛かれた預かり用紙が、ぎっしり挟み込まれている。
“マスコミの所為で、外に出られなかったとか?。 病気に成ってたら、ヤバいですよね”
こう言った太った男性も、窓を叩いても反応が全く無い為に。 いよいよ違和感を強め。
“警察に連絡した方がいいんじゃ…”
と、二人に相談した。
年輩男性が警察に連絡して、地元の警察官がやって来た。 三人からの事情を聴く警察官も、‘生き埋め殺人の遺族’と踏まえた上で、流石に異常を認め。 緊急と認識し、裏手に回ってキッチンのガラス窓を開けば、微かにカビ臭く血腥い異臭を感じる。 二人の警察官は、サンルーフ前の窓を割って家に入り。 身体を握り潰された様に細くされた、小坂と云う女性を発見。 同時に、5つの生首を発見して、警視庁に連絡が飛んだ。
年末年始も無い警視庁では、生き埋め事件の被害者遺族が惨殺事件の被害者に成ったと。 半ば諦めムードで、現場に急行する事と成る。
この頃に成れば、一部の刑事の間では。 常に、現場に残る謎の髪の毛で、既にお蔵入りと決め付ける風潮が出始めた。
さて、小坂と云う女性宅を調べると、不思議な事が解る。
この、現場に散らばった若者達五人の首だが。
“小坂なる女性は、この五人の若者の内。 ‘市村’なる若者と、‘小平’なる若者を、娘を誘拐した犯人と決め付けていたらしい”
そんな素振りが在ると、家宅捜索で知る。
この、首が千切られた被害者と、首が置かれて殺される被害者には、怨恨を通じて関係が在ると。 再度、こう確信付ける事にした捜査本部は、‘委託殺人’、‘交換殺人’の線に絞って、捜査をする事に成った。
ま、真実を知れる者が居るのなら、ぶっちゃけてこの捜査方針は、遠からずも近からず、と。 そんな処。
だが、其処には。
〔悪霊〕
こう云う、不確定要素が入るのだ。
そう、誰しもが視える訳では無く。 そして、科学的では無い、実に不安定な要素が在る限り。 この捜査が、何処まで進むのか…。 甚だ疑問で在る。
また、更に付け加えると。 木葉刑事と佐貫刑事が命を懸けて悪霊を鎮め様とした意味は、この経過を見るに薄かった…。
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【動く事も出来ない日々の中で刻々と変わる状況。 そして、導きの手が差し伸べられる。】
1
新しい年に入り、10日程が過ぎた。
木葉刑事の或る頼みを聴いてくれた古川刑事だが。 其処は、仕事の都合も有るから、何時何時に神社へ行くとは言わなかったが。 この身体の痣が取れない事には、急ぐのも無理と思う木葉刑事。
然し、ぼんやりとする木葉刑事は、動かせない身体が恨めしい。
(今日も、外は晴れてるな…)
窓から見る外は、平和そのものの様に。 寒さを緩ませる小春日和と成っていた。
さて、木葉刑事の身体は、本当に砂粒砂粒を積んで行く様な勢いながら少しずつ良くなって来ていた。 漸く、痒みと痛みが治まり始めていて。 薬が無くとも、我慢が出来るぐらいに成った。
だが、体表を覆う痣の様な皮膚の色は、依然として変色したままで。 神経は回復し始めているのだが、筋肉や骨の状態が思ったよりも回復しない。
身動きの出来ない木葉刑事は、最後の微かなプライドも放棄しなければ成らない様な。 あらゆる世話を他人にして貰う事に成る。
(全身に怪我するって、色々と嫌なモンだな…)
然も、度々にやって来る順子は、女性ながら‘医者’。 患者で、肉体を診る事に慣れて居る訳だから、木葉刑事の世話も不快に思わない。
だが、其処は男の木葉刑事だ。 看護士を含めて、他人で女性から全ての世話を受けると云うのが、どうも歯痒い。
この日の長閑な午後に。 木葉刑事の居る病室のスライド式のドアがノックされてから開き。
「木葉さん、お邪魔しますね」
大人びた女性の声がする。 安心感を与えて来る、おっとりとした声音で。 少し低めの声が、実に印象的だ。
そして、その声で、誰が来たか解る木葉刑事。
「和世さん。 お見舞いに来てくれたンスか?」
と、首を動かして相手を見た。
病室に入って来たのは、あの古川刑事の妻で50歳に差し掛かる細身の女性。 紺色の、ちょっと大人の奥さんが着るスカートと上着は、優しげな微笑みを湛える和世には正に相応の服だった。
「ウチの人にね。 詩織が、木葉さんの事を重ねて聴くものだから、私もなんだか心配に成っちゃって」
何時も薄化粧で、飾った装飾品も身に付けない女性だが。 その言葉遣いや人柄の伝わる微笑が、装飾品以上の効果を発揮する。
過去に何度か、古川刑事のアパートに誘われた木葉刑事だが。 ある種の‘理想のお母さん’と、そう思える女性だと、和世の事を認識していた。
包みを開く和世は、肉じゃがと玉子焼きを持って来て。
「何か、栄養のつく物って思ってね。 これ、作って来たのよ」
双眸を穏やかにする木葉刑事は、和世の料理に文句を感じた試しが無い。 ま、幼少期に継母から与えられたのは、スーパーやコンビニ弁当のみで。 何時も一人で、二階の片隅か。 一階の土間の前で済ませていた。
そう、木葉刑事には、俗に云う“おふくろの味”は無い。 その点を踏まえるならば、この和世の料理がそれに当たるかも知れなかった。
「スイマセン、ご心配を掛けまして」
と、木葉刑事が言えば。
微笑みを浮かべた和世は、箸を用意しながら。
「いいの、いいの、気にしないでね。 私が、勝手にやるだけだから」
と、食べさせてくれる。
夫の古川刑事、曰わく。
“和世は、もう一人か二人、子供が欲しかったんだがな~。 子宮に癌が見つかって、摘出してるからよ。 お前みたいに刑事の面をしない奴は、子供みたいなんだろうよ”
と、教えてくれた事が在る。
然し、確かに和世の作る料理は、文句を付ける要素が無い。
(正直、これは有り難いな~。 順子さんは、確かに料理上手だけど。 時々、挑戦的な料理を持って来るから、気兼ねなく~とは行かない)
こう思う木葉刑事。 本当に良く訪れる順子は、お見舞いに…、と手料理を作って来るのだが。 時々、ネットで調べた‘新作挑戦’を味見も込めて持って来る。 身体の内も外もガタガタの木葉刑事だから、味付けの濃いものや、攻めた料理を持って来られても…。 健康時の様には、思いっ切り食べれないのだ。
さて、1時間半ほど世話を焼いてくれた和世は、変色した木葉刑事を不快にさせず。
「全部食べてくれて、有り難うね。 洗濯とか、着替えとか、必要なものが有ったら、言って頂戴ね」
と、こんな事まで。
子供の頃に味わえ無かった事を、今頃に知り。
「色々、有り難う御座います。 古川さんと詩織ちゃんに、宜しく言って下さい」
少しだけ首を動かして、ぎこちない礼を添えて言う。
こんな扱いすら、自分には過分だと思う木葉刑事。 相手の気持ちだけを頂ければ、それで十分なのだ。
昼間の3時を回って、和世が病室を去った。
その後、夕方に近付く頃に。 同僚の刑事二人が、遠回しの尋問の様に。
“何か、思い出した事はないか?”
と、聴きに来る。
だが、木葉刑事が相手にしたのは、“悪霊”と云う異質な存在。 それを視えない者に言っても仕方ない事だから、
‘無い’
と、しか言えないが…。
一通り、形式的に聴いた刑事の一人で、これまでの木葉刑事の手柄をやっかむ中年刑事が。
「処で、お前。 随分と綺麗な、‘カノジョ’が居るとか? 然も、女医だなんて、優雅な御身分だねぇ」
と、意味有り気に絡んで来た。
横に立つ後輩刑事は、その冴えない先輩刑事を脇見して。
(懲りないオッサンだな…。 木葉がどうこうじゃなく、アンタが結婚出来ないのは、自分のその性格だよ)
と、呆れ顔に変わり。
「さ、先輩、本庁に帰りますよ」
足を返して背を見せる。
必要な事以外は、誰にも喋らない木葉刑事。 もう今日は少し疲れて、眠りたかったので。
「お疲れ様。 班長と一課長に、ヨロシク」
と、珍しく作り笑いをした。
「チッ」
露骨に舌打ちした先輩刑事は、苛立ちを有り有りと態度に表す。
この刑事は、捜査一課の中でも別の班の刑事だが。 その態度の悪さには、班長も手を焼く事が在るとか、ないとか…。
二人の刑事が出て行った後は、夜の食事とトイレ介護を受けて寝る事に。 和世の料理の御陰様か、普段より早く眠れる。
然し、その夜中。
ふと、何かに気が付く木葉刑事は、辺りを見回す。
「あれ・・」
辺りを見回すと、其処は真っ暗闇だ。 ベットに寝ても居ないし、何処かに立っている。
(この感じは、夢・・か?)
事件の最中でも幽霊絡みと成ると時々、予知夢とも取れるものを見る事が在る木葉刑事。 関係が有るのか、無いのか。 それは、後に成らなければ解らないのだが…。
- バサッ、バサッ、バサッ -
ふと、間近で鳥の羽ばたく音がする。
「わ゛っ、ととっ、鳥ぃ?」
羽ばたく音の方を見ると、炯々と金色に光る眼が二つ。 此方を向いて、小さく揺れ動いていた。
「なんだ・・ろ」
ちょっと近付く様に、前のめりに成って観ると。
「汝、怨みを倒さん者か。 汝、憎しみを滅ぼす者か」
威厳漂う声がする。 言葉を発するから“声”と思うが、耳に届く雰囲気は奇妙な音で。 脳で言葉と認識する音と表現するのが近いと言えた。
「あっ、し・喋った」
その金色に光る眼は明らかに猛禽の眼で、人では無い。
すると、また。
「汝、怨みを倒さん者か。 汝、憎しみを滅ぼす者か」
その言葉に、木葉刑事は強い違和感を覚え、こう言い返す。
「憎しみや怨みを持っても、元は哀れな魂でしか無い。 御霊は、鎮ませるべきで、倒すべきでは無いかと…」
この、木葉刑事の言葉に、羽ばたく音を立てるものは、
「汝の行く道、我が、僅かながらに照らそう。 なれど、覚えておくが良い。 集まり、固まる御霊は、嘆き悲しむ者だけに非ず。 時には、怖れ怒れる御霊も在り」
その言葉を受けた木葉刑事は、なんだか説教を食らった様な気に…。
「あ、・・はぁ」
生返事をする木葉刑事に、羽ばたく音を出す金色の両目はクルリと背を向けて。 暗闇の中に、一条の光を表す。
「さ、行くがよい。 あの光の方へ、行くがよい」
だが、意味の解らない木葉刑事は、久しぶりに‘啓示・暗示’めいた夢の中に居ると感じた…。
(何のこっちゃ…)
と、その光の照らす道を行く。
真っ暗闇の中を歩く木葉刑事は、羽ばたきをした者の言う意味が良く解らない。
だが、こんな事は、幼少期より時々在る事。
例えば、まだ木葉刑事が小さい頃。 無き母親の面影を探して、蛍を見て夜道を歩いていた事が在る。
木葉刑事の幼少期に、実の母親の事を知るのは祖父か叔父の恭二だけだった。 二人から聴いた母親は、夏は蛍。 冬は、新雪が好きだったと。
だから、田んぼの周り、竹林の周り、小川の周りなど、蛍がいっぱい居た場所を歩いた。
さて、木葉刑事の育った場所は、古くから在る田舎の町。 だから、それこそ沼だの川だのと、子供が落ちたら危ない場所が幾らでも在った。
だが…。 蛍を追って歩く木葉刑事は、気付くと見えない手に引かれていた。 明らかにそれは、亡くなった者の手と思った。
然し、不思議な事に。
(あ、お家…)
神社の境内の裏に出る脇道を来たらしい。 木葉家代々の母屋が見えた。
夏の夕暮れ時だから、蚊にも喰われた木葉刑事だが…。
(あれ?)
母屋を見つけ出した瞬間、繋いでいた手がフッと切れた。
この経験は、幽霊を視る時より不思議な感覚だったと、木葉刑事は記憶している。
また、他にもこんな事が在った。 それは、木葉刑事がまだ中学生の頃の或る冬だ。
暖房設備など、竈しか無い場所。 そんな場所が、木葉刑事の子供の頃からの居場所。
父親他、弟と継母は、当時の新しいエアコンの効く部屋に居る。
木葉刑事の事を、唯一見守ってくれた祖父が居たが。 自分を‘屑’呼ばわりする親の事を、祖父に関わらせるのが怖く。
また、父親から、
“私が頭の上がらないあの父を頼るのは、卑怯者だぞっ”
と、脅されていた所為も在る。
さて、豪雪地帯の山側で在る町だ。 当然、雪が降る日は、雪下ろしが若い頃の木葉刑事の日課だった。 子供の頃からやらされていて、屋根から落ちた事は無い木葉刑事だったが。 中学校から帰宅して、雪下ろしをするその日は、風邪を引いて熱が在り。 頭痛と悪寒から、ちょっとフラフラしていた。
ま、これは余談だが。 雪下ろしには、その土地その土地にコツが在ると云う。 木葉刑事が、祖父より習ったのは。 完全に屋根から雪を剥がそうとすると、瓦を傷めたりする。 だから、初めに降って、瓦に凍り付いた部分を残し。 その上に積もった雪を、切り崩し落として行く。 雪の重みを利用すれば、屋根のギリギリ隅まで行く必要もないのである。
さて、その時に。
さっさと終わらせるべく、暗く成る前にまでにやる気だった木葉刑事だが。
(あ゛ぁ、関節が痛い…)
インフルエンザの様な症状に、一休みしようと屋根の真ん中に座って居ると。
(ん?)
もう、夕方が迫る3時過ぎと云うのに。 歳の離れた小学校に上がる前の弟が、一人で出て行く姿を見る。
(あれ、何処に?)
真面目で、物静かな子供の弟は、この家を継ぐ跡取りだった。 その扱いは、明らかに木葉刑事とは別格。
そんな弟が一人で出て行く姿に、強い違和感を覚えた木葉刑事は、屋根から降りる。
其処へ、祖父が遣って来て。
「ユギ掻きは、終わっだがぁ?」
と、声を寄越す。
軒先に積もった雪の上を慣れた動きで滑り降りた木葉刑事は、弟が出ていった方を指差し。
「爺ちゃん。 雅路が、一人で外サ歩いてった。 今日は、雅美さん(継母)の誕生日だぁ。 したから、外サ食べに行く筈だよ」
それを確かめに二人して継母に会えば。 継母が他人の様に、木葉刑事へ怒鳴る。
「お前っ! 何で呼び留めないのっ!! 屑っ、滓が!!」
祖父の前ながら心配から血が頭に登った継母は、鬼の形相で怒鳴った。
さて、中学生の木葉刑事が、真っ先に弟を捜しに出た。
顔を見知る人に弟の事を聴くが。 親からの木葉刑事の云われ様に、大概の者が彼を見下している。 からかわれ、無視され、嘘まで吐かれた…。
そして、日暮れ間近となり。 周りが、薄暗くなる頃。
夜まで捜し回った木葉刑事は、高熱をだしていた。 意識朦朧とする中では、何処を歩いて居るのかすら解らなくなり始めた時に…。
(こっち、・・こっち?)
ふと、誰かに呼ばれて居る様な気がして、その方に歩いて行くと…。
山側の竹林の中で、打ち捨てられた古い家が在るのだが。 噂話では、木葉刑事の継母と成った女性の家は、名士と云うか地主だったが。 その竹林を持っていた家の後妻を、彼女の父親が寝取ったと。
然し、その襤褸屋が意識が朦朧とする中でも、何故かはっきり見えた木葉刑事。 暗い中で、その家に飛び込めば、髪の毛を振り乱した年配の着物女性が、弟の首を絞めていた。
その時、どうなったのか、木葉刑事には解らない。 女性に体当たりして、咳き込む弟を逃がしたまでは朧気ながら記憶が在ったが…。
実際は、逃げ出した弟が泣き喚いて畦道を走り。 それを捜し回っていた青年団が発見。
弟は、青年団の若者達へ、逃げて来た竹林を指差し。
“おにぃちゃんが”
を、咳き込みつつ繰り返した。
青年団がその襤褸屋へと乗り込めば。 棒を持った年配の女性に、ボッコボコと殴られていた木葉刑事が居て…。
全身数ヶ所の打撲、骨折、風邪に因る肺炎で、木葉刑事は緊急入院する。
次男の子供が助かったと喜ぶ両親は、木葉刑事の事を気にもせず。
代わりに、祖父が面倒を看た。
今だに、あの時の事を思い返して、一人で不思議がる事が有った木葉刑事。 幽霊を視る事が、日常茶飯事だった彼だが。 子供の頃は、普通の人と幽霊の、その区別が付かない事も有ったが。 年々、ハッキリと解る。 ‘視れる’だけと、‘感じ視る’の違いを…。
また、中学生の頃のその一件で、死線も彷徨った所為か。 成長するにつれ、幽霊と意思の疎通も可能に成った。 子供の頃は、話し掛けられる一方通行だったが。 刑事に成る頃には、短い会話も出来た。
何故か、照らされた光を辿る中で。 そんな事をフツフツと思い出す。
(あれ・・、自分ってば、何でこんな事を思い返して…)
そう想う内に、スゥ~っと眼を開く。
(あ、朝か?)
朝陽に焼ける木が、窓の片側に見えている。 空調が効いているのに何となく寒いと感じるのは、体温が低いからだろうか。
不思議な夢を見たと、ぼんやりする木葉刑事。 白い天井を見上げる中で、フッと湧く想いは。
(和世さんの手料理、美味しかったな…)
そんな事を感じる内に木葉刑事が、フッとまた過去を思い返す。
記憶に深いのは、古川刑事の所属する所轄と二回目の合同捜査をした時の事だ。
突然の形で、仕事終わりに。
“木葉、用事が無いなら、今夜は家に来い”
と、古川刑事から誘われた事が在る。
古川刑事には、幽霊の件も含めてお世話にも成るし。 また、コンビを組まされた為に、空気感を考慮して、お邪魔した木葉刑事だが…。
木葉刑事の変人ぶりと云うか、刑事らしくない素振りや風貌を。 一緒に組んで仕事をする古川刑事から、愚痴の様に聴いた娘の詩織と妻の和世は、木葉刑事に逢いたいと言ったらしく。 古川刑事本人は、乗り気じゃない招待と後々に知る。
だが、奥さんの和世は、木葉刑事を一目見て気に入り。 風呂上がりの木葉刑事を捕まえて。
「ねぇ、木葉さん。 私って、東京生まれでね。 地方の御料理とか、あまり知らないの。 何でもイイから、何か教えてくれる?」
と、言われてしまった。
普通なら、ちょっと面倒くさい話だろう。 だが、和世の性格を察する木葉刑事は、自分を気遣ってくれていると解った。
が。 幼い頃から殆ど出来合いものしか食べさせて貰えなかった彼だ。 ‘おふくろの味’など、全く解らない。
(困ったな…)
何かないかと、思い返す木葉刑事だが…。
ハッと、祖父が作っていた物を思い出して。
「茄子の味噌炒めを、紫蘇に包んで炒めた物でいいッスか?」
「あら、お酒のお供に良さそうね」
喜ぶ和世に、料理の不得意な木葉刑事が、大まかな作り方を教えた。
この料理は、東北のみならず。 日本の各地に在る料理だ。 茄子を味噌味で炒める中に、地方に因っては一緒に豚肉を入れたり。 ゴーヤとか、ピーマンを入れる処も在る。
そして、先ず、木葉刑事の継母が作る物も、炒めた茄子に味噌ダレを入れて。 最後に風味として、刻んだ紫蘇を入れて一炒めし。 胡麻油を少したらし込むやり方だ。 これが、木葉刑事の周りで作られる普通の姿で在る。
だが。 神主と云う仕事を若い頃から背負った祖父は、やはり生まれが良かったのか。 自分の妻に先立たれてからは、一人で自炊する事も在り。 この料理だけは、自分で作ったものしか口にしない。 そして、その祖父の作り方は、他とは少し変わっていた。 先ず、茄子を細切りに近い形に切り。 油で炒めた後。 その数本を、味噌を塗った紫蘇の葉で包み。 もう一度、焼き目を付けると云う、或る意味で手間を掛けた上品な姿をする。 木葉刑事の知る茄子と紫蘇の味噌炒めは、数えるぐらいしか食べた事ないが。 ほぼほぼ祖父の作ったこれだった。
また、東北の人間なのか、納豆が大好きな木葉刑事。 ‘冷奴’にも納豆、カップヌードルにも納豆、カレーにも納豆を合わせる事が出来る。 特に、バターで炒めた豚肉に、納豆をいれて醤油で味付けしたものを適当に作る事が在る。
ま、それは見た目も悪いので、流石に和世へは教えられなかったが…。
さて、それから数日後。
犯人と目星を付けた人物を捜す中。 捜査中にも関わらずして、古川刑事が雑談とばかりに言って来た。
“木葉よぉ。 酒をあまり呑まねぇ割に、美味いもの知ってんじゃ~ねぇか。 和世の手料理で、また好きな品が増えたよ”
どうやら、教えた料理が良かったらしい。 元気の出た古川刑事と共に、この話の後に犯人を捕まえる事と成るが…。
さて、その時の事を思い出した木葉刑事は、
(あの時、お母さんってこんなものかな~って、思ったな…)
と、感じたままに思う。
今、身体が動けない為。 先の事と、昔の事ばかり考える木葉刑事だった。 然し、昨日に見た夢は、なんだったのか…。
2
元日に見つかった被害者遺族の惨殺死体だが。 先に山荘で殺された若者達の首が、その周りに散らばっている事で。 また、別の委託が行われ、怨まれた相手が殺される、と。 警察も警戒する。
だが、誰が殺人を委託し、誰が怨まれるのか…。
そんな事、警察とて解らないだろうから。 ネット、噂、事件の被害者遺族など、手分けされて調べられる。
然し、怨みを持たれる相手も、持つ相手も、人の数だけ有り得る。
元日に死体が見つかってから、一週間以上が過ぎた頃。 あの悪霊は、新たなる領域に踏み込もうとしていた。
また、変異をしようとしていたのだ。
東京の片隅。 河川敷に張られた、ブルーシートの中で。
「憎いっ、死ねっ!! 何でっ、何でっ、悪い奴がのさばるんだぁぁぁぁ…」
ブルーシートで作られたテントの中では、嗄れた老人の声がする。 真っ暗闇の中で、呪いの言葉を吐いている。 擦り切れた衣服の上下は泥で汚れ。 指貫の手袋は、靴下を切って強引に嵌めている物。
然し、そのテントの中には、目立って使い込んだものが無い。 新聞紙の束や、ビニール袋の結んだものが在るだけ。
すると…。 深夜、1時前。
テントの中の片隅に在る金バケツから、ホワ~っと鈍く仄かな光が出る。
闇の中で呻く様に怒鳴る老人は、その仄かな光を感じて。 バケツの方に振り向くと、パッと喜びを浮かべ。
「きっ、きき…」
声を上擦らせ、そのバケツへとにじり寄って行く。
仄かに光るバケツの表面には、何処かの映像が現れていた。
「いいぞっ! 殺れっ、悪い奴らを殺すんだっ!」
まるで、正義の味方を応援する役者にでも成った様に、老人は歓喜する。
その映像の中では、誰かの視点で移動している。 何処かの雑居ビルの中か、コンクリートで出来た階段を薄暗い中だが上へ上へと登って行く視点。
ジワジワと迫る視点の映像を、バケツを覗く老人は食い入る様に覗いていた。
さて、三階まで上がる視点は、アルミ戸の入り口に着く。
‘クリティカル金融’
知名度など皆無な企業名が、緑色のペイントで書いて在る。
然し、その曇りガラスの嵌った窓枠からは、まだ明かりが見えていた。
その視点は、スゥ~っと中にすり抜けた。
その部屋の中には、防音効果の在る板が壁に貼られ。 部屋の真ん中には、‘コの字’に組まれた簡易テーブルが在り。 ジーンズやカジュアルパンツ、ジャージまで穿いた若者達が、パイプ椅子に座って居る。
10人近い若者の内、髪を染めた者は内の半分も居ない。 また、その内の5人は、まだ大学生の様な風貌。 他内2人はスーツ姿で、一見するに会社員の様でも在る。
その集まりの中で一人だけ、30歳ぐらいの雰囲気を持つ男が居る。 唇にピアスを開け、ブランド物のジャケットを着て、革パンツを穿く。
その、如何にも堅気の人間とは思えない雰囲気を纏う男が、他の若者達を見回して。
「今日の成果は?」
と、中々のドスの利いた声で問う。
すると、ノートPCを前にした、小柄でスーツ姿の若者が。
「6件ですね」
これまた此方も、明らかな報告口調で言うと…。
トレーナーにジーンズを履く、大学生の様な歳、格好の若者が。
「うわぁ~、マジ? 先月より、ペースがガタ落ちてるよね」
長いテーブルの上に爪を擦りつつ、投げ遣り気味に呟いた。
もう一人、スーツ姿で眼鏡をする細身の若者は、リーダー格のドスの利いた声をする男性へ。
「先月の一斉検挙で捕まったザコが、色々とサツにくっ喋ってるんじゃないの~」
その、言われたピアスの男は、意見を述べる若者達を見回して。
「明日から、受け子と演者を入れ替える。 スーツを持ってる奴は、何人ぐらい居る?」
私服の若者の内、4人が手を上げた。
「よし、髪型を整えて来い。 一昨日、Lグループの‘受け子’や‘出し子’が、七人ほど警察にパクられた。 その筋から、同じやり方をしてたら足が付く」
すると、座っている若者の一人が。
「で、どうするんですか?」
然し、その質問がされた時だ。 突然、パッと電気が消えた。
それと同時に、唯一の出入り口となるアルミ戸から、ワサワサと黒い物体が壁を侵蝕して行く。
ドスの利いた声をするリーダー格の男は、天井のライトを見上げて。
「おい、停電か?」
と、言うのだが。
窓の外からは、街灯の明かりが差し込んで来るので。
「いや、窓の外に見える街灯は、まだ灯って…」
外を指差した若者がこう言ったが。 言っている途中から、窓にカーテンが引かれて行く様に、電灯の光が遮られてゆく。
「わ゛っ! な゛っ、何だよっ。 この事務所に、自動カーテンなんか有る訳ないよっ」
この驚きを皮切りに、若者達の様々な声が飛び交う中。 逃げ出そうとした一人が、先ず出入り口に走って行く。
然し、直ぐに。
「う゛わぁ! これっ、何だぁっ?」
「どうした?」
「どうしようっ、何かにドアが塞がれてるっ!! ドアノブがっ、全然掴めないよぉっ!!!!!」
すると、また別の若者が窓際から。
「わ゛っ、何だっ? おいっ、足下から何かがっ、わ゛!」
その大声の後、鈍く何かが倒れる音がして。
「だずっけ・で」
と、苦しむ声を発するではないか。
この時、次々と視界を確保しようとしてか、携帯ライトやスマートホンを持つ若者達。 然し、何が起こっているのか、点灯するディスプレイの光が大きく乱れ、投げ出されたかの様にスマートフォンが宙を飛ぶ。
「わぁっ」
「ぐっ、く・くるぢ・・ぃ」
次々と、部屋の彼方此方から悲鳴や呻き声が聞こえて。 あのリーダー格の男が、足下に転がって来た携帯ライトを見下ろした後。
「おいっ! 一体、何をしてるっ!」
と、間近に居た筈の若者へ問い掛ける。
然し、若者達からの返事は、一向に返って来ず。
(一体、どうした?)
何が起こっているのか解らず、話も出来ずに混乱する彼。 視界を確保する為に、足下へ来た携帯ライトを拾うべく、ゆっくりと辺りを警戒しながら屈むのだが…。
拾おうとした携帯ライトの光が伸びた先に、眼鏡を掛けた小太りの若者が‘ドン!’と、いきなり勢い良く倒れる。
「だいっ、じ? ・・あ?」
‘大丈夫か’
リーダー格の男は、こう云うつもりだったが。
その若者の首に、傷だらけの皮膚をした手が、絞める様に掛かって居た為。 言葉を最後まで言い切れ無かったのだ。
目を見張る、そのリーダー格の男。 ライトを取る手が止まり、一体、今此処で何が起こっているのかと、更に頭が混乱する。
(手っ? いや、何だ、あの手はっ。 あ゛、ありゃあっ、生きてる人間の手じゃねぇぞっ!)
その手の主の顔を確かめ様と、そのリーダー格の男は意を決してライトを拾う。
辺りで、呻き声やくぐもった悲鳴がする。 一体、何が起こっているのか。 度胸の座ったこの男でも、背筋に恐怖が走った。
さて、拾えば当たり前だが、持ち上がって行くライトだ。 だから、光の当たり方も変わる。 苦しむ眼鏡の若者から、その彼の頭部の後ろに光が当たると…。
「うわっ!」
ライトを持ったピアスの男は、ビー玉の様な赤黒い目を見ただけで、相手が化け物だと思う。
この男達が、首をねじ切る悪霊の存在を先に知って居たとしたら。 こんな場所に集まって居らずに、命懸けで日本国中を逃げ回っただろう。
そう、呪われた者達が、また悪霊に襲われ始めたのだ。
後退りする男の動きで、その手に持つライトが乱れる。
そのライトの中で、絞められていた小太りな若者の首が。
- ゴキぃっ! -
と、音を立てて折れた。
音が部屋に共鳴するほどに、高々と骨の折れる音がして。 そのまま、首が伸びてゆく。 首の皮が捻れながらに、ぐ~~~っと伸びるのだ。
(じょ、じ・・じょ、冗談だろっ?!!)
ライトを持った男が其処で更に狼狽え、目を限界まで見開きつつ、壁へ背を付けるまで下がって行く。
人の首が、50センチ以上も伸びて行くのは、もう異常事態の他に無い。
そして、光が届かなくなりそうな薄い闇の中にて。
- びしゃっ -
と、異様な音がする。
壁際まで下がった男は、何が起こったかは解る。 引きつる顔がグニャグニャ動くのは、恐怖と緊張に自分が支配されているからだろう。
だが、このリーダー格の男は、これまでの被害者とは一味違う。
(チッ、チキショウ…。 この世で、こんな化け物に遭うなんざ、俺の生き方が腐ってる所為か?)
手足が震えるものの、背中に手を回して、短刀の匕首を掴み取ると。
「化け物ぉぉっ! 最近、巷を騒がせる首切り殺人鬼は、お前かぁぁぁっ!」
怒声を吐く事で、恐怖心を振り払う男。 匕首(あいくち)の柄を握り締め、鞘を咥えて引き抜く。
「ぺっ」
鞘を吹き捨てると、辺りは静かに成っていた。 噎せ返る程に血の臭いも立ち込め、殺戮が起こった現場の様に成る。
リーダー格の男は、誰か一人でも生きて居ないものかと。
「おいっ、おいっ!!!!!」
と、鋭く声を上げる。
だが、不安が胸に満ちるまで待てども、誰の反応も返って来ない。
「けっ! 生きてるのは、もう俺だけかよっ!! チキショウめっ、それならそれでヤってやるぞっ! さぁ、化け物っ。 何処からでも来やがれっ!」
と、身構えた彼。
自分を奮い立たせる為の気合いを入れた声は、部屋に木霊する程に強いもの。
すると…。
声が反響した後の辺りは、水を打った様に静まり返ってゆく。
リーダー格の男は、手にする携帯ライトで、右、左、正面と警戒して見て。
(死体ばっかりだが…、もがれた首は・・何処いった?)
こう思う。
その時だ。 突如、彼の居る足下から水が噴き出すが様に。 黒い糸の様なものが溢れ、生き物の様に彼へ絡み付いて来る。
「何だぁっ?!!」
声を出すと同時にチラッと見て、それが髪の毛だと解った。
「こらぁ髪の毛かっ? チキショウめっ!」
匕首で、慌ててそれを切ろうとする男。
然し、今度は頭上より。 ヌゥ~っと、悪霊の手が現れ出て来る。
「来るな゛ぁっ! 止めろぉっ!」
黒い糸の様な髪の毛を斬る事に一心不乱と成りつつ在るリーダー格の男は、上に現れた異変に気付かない。
天井より現れ出た悪霊は、どんどん腕、顔、首と姿を現していて。
また、何時しか男の後ろの壁には。 もがれた若者達の生首が、動物の剥製でも飾るかの様に、不規則にぶら下がっていた。
足元から溢れ伸びる髪の毛は勢いを増し。 次第に腰周りまで伸びて来る髪の毛に絡み付かれた男。 その同時に。 背後の壁より、シャワーでも噴き出す様な勢いで。 また、髪の毛が男の身体に襲い掛かった。
「うっごけっ、あ゛っ! 何だっ、一体、この髪の毛はっ、何なんだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
喉が壊れんばかりに叫んでも、足腰が固定されては、振り向く事も出来ず。 一度、怒声を上げて振り払い掛けた恐怖心が、俄かに男の心から余裕を奪って行く。
「離せっ、痛デデっ! 締め付けるなっ! 止めろ゛ぉっ・・・、?」
絡み付いて来る髪の毛が、纏わり付くと同時に。 ジワジワと身体中を締め上げて来る。 痛みを感じて切羽詰まった処から、絶叫の様に叫び上げ様とした男。
だが…。
その、皮膚を捻る様な痛みで、叫び上げそうに成った口と喉を止めたのは他でもない。 頭上より垂れて来た、異様な腐臭のする液体の所為。
(上から・・何・が?)
と、想像すれば。
直ぐに頭へ思い浮かぶのは、あの化け物の顔。
(嘘・・だろ?)
完全に、震え上がった心と身体。 身動きの取れなくなった身体を以て死に直面したと男は、抗う気持ち全てを放棄した。
(ダメだ・・コイツは)
そう思った時、自分の首にまで髪の毛が絡み付いて。 そして、酷く冷たい何かが、両頬を触って来た。
(勝てる・・訳ねぇ)
匕首を離して思った直後。 自分の首に、異常な力が掛かった。
「ヴギャァ!!」
短く、滾る断末魔の声。
一方、同時刻。
テントの中に居る老人は、あのバケツに張った水で、その殺戮の現場を見続けていたのに。
「やったっ、うひ・・ひひひひ・・、やった。 やったぞぉぉっ」
声を押し殺しながらも、心身を狂わせる程に喜んでいた。
だが、この様子。 これまでの事と、何ら変わりない様に思える。 この老人を見る限りに、そうだろうが…。
悪霊は、雑居ビル三階の若者達を皆殺しにしたにも関わらず。 何故か、呪った相手の老人を狙う様な事を言わない。
まだ、他に標的が居るのか…。
だが、埼玉県の越谷市。 駅前から歩いて20分ほど離れた、トタン屋根の古い民家の中では。
「ナンマンダブ…ナンマンダブ…」
暗い中で畳の間に正座した老婆が、使い古した卓袱台の上に古い三面鏡を開き。 これまでの殺戮の様子を悪霊に手を合わせて見ていた。
「神様、仏様、仇を討って頂き、ありがとうございます…。 ナンマンダブ…ナンマンダブ」
殺戮が終わり、老婆は気が晴れたのか。 こう言って居るが。
三面鏡の中では。
‐ ひとぉぉ~のろわば・・あなふたつぅぅ。 のろったあいては・・・どこだろう… ‐
と、悪霊に自分が見られているとは、気付かない。
これは、悪霊の進化・変化なのか。 どうやら、複数の呪う者と、複数の呪われた者が居る。
以前、正月を過ぎるまでは、呪う対象者が何人で在れ。 呪いを掛ける側は、一人だった様だが…。
この変化は、数多くの憎しみと関わり始めた証なのだろうか…。
さて、あの雑居ビルの部屋を覆った黒い物が急速に消え失せて。 窓から街灯の明かりが差し込み、パッと天井の明かりが灯った。
その明かりが、たった数分間で起こった惨状の後を浮かび上がらせた。 首を千切られた、9体の遺体。 その身体から流れる血は、白い床を血の色に染めて行く。
そして、髪の毛に全身を巻き付かれたあの男は、服すらズタズタにされてしまい。 まるで、皮の剥がされた肉の塊と化していた。
さて、首を奪って消えた悪霊は、何処へ消えたのか…。
人間は、中々に自分勝手な生き物だ。 不思議と、時々に自分の都合の良い解釈をする。
例えば、呪いを行い、男等を悪霊に因って死に至らしめた老婆と老人だが。 あの後、悪霊が見せる映像にすら気付かずして、普通に貧しい生活を送っていた。
だが、ほぼほぼ都合の良い事には、意外な代償が付き纏う。
賭事や相場を見て儲け様と思えば、思わぬ損害を被り。 必要以上に安心を求め、何かを溜め込めば。 期間が過ぎる等して、使えなく成ったり。
だが、この呪いに関しては、命の遣り取り。 その成就の代償は、命。
10人の男等が殺されてから、四日後の深夜。
埼玉県越谷市。 あの三面鏡を卓袱台に置いていた同じ老婆の家にて。
「へぎぇぇぇ…」
奇声を発して、全身を捻り絞られた様に成る老婆が、血みどろに成りながら畳の間に落ちる。 グシャっと、潰れた様に落ちた老婆の周りには、4つの若者の首が落ちていた。
それから、三日後。
都内河辺のテントの中に居た老人が。
「ゲェっ! 何でっ、‘死に神’様が此処にぃっ?」
目の前に這いずり近寄って来た悪霊が居り。 その悪霊から三つの首を投げつけられた。
「うぎぁっ! こここ、こんなモノ要らないわっ!」
首を投げ捨てた老人だが、自分に飛び付いて来た悪霊に首を絞められながら。
‐ ひとぉぉのろわば・あなふたつぅ。 のろったひとぉもぉぉぉしにましょう… ‐
と、言われ。
死相を浮かべ苦しむ老人が、
(こ・れが・・げんじ・・つぅぅ…)
と、理解したかどうか。
同時に、身体中に巻き付いた髪の毛により、老人はバラバラにされて行く。
老人を殺した悪霊は、ニタリと口を歪めて消えて行った。
然し、これで事件は、終わりには成らなかった。
3
呪いの連鎖にて、新たな殺人が悪霊の手で成される。 警視庁も、所轄の警察も、殺人と云う犯罪を犯している犯人だが。 何処か、喧嘩両成敗と形を取り続ける犯行には、納得が行く部分を感じてしまう事。 そして、世間が何処か納得する風潮にて、捜査に対する士気が下がり気味となる。
そんな中、1月中旬の或る日。 本日は別の場所でも、事態が動く日だった。
都内の或る場所。 午前にと或る神社の参道前へとやって来た古川刑事は、
(石畳は、苔むした感が在って、そこそこ古いなぁ)
と、胸の中で呟いた時。
(ん?)
左側から、何か気配を感じる様な・・。 誰かから見られている様な・・、そんな雰囲気に囚われて、ふと目を遣ると。
参道に続く鳥居の陰に、小さなお地蔵様が在った。
(あ? 地蔵・・、神社の様だが。 何で、また地蔵が…)
神社と寺は、祀る像も違うし。 宗教としても、似て非なる処だが。 その両方が、此処には混在しているらしい。
古川刑事は、ゆっくりとした足取りで参道に踏み込み、石畳を歩き出した。
短い間に連なる鳥居。 そして、その裏に置かれた地蔵は、どれも同じ形が無い様な。 不揃いで、形や格好もちょっと違うものばかり。
そして、何十と並ぶ鳥居を潜り抜けると。 其処は、ブロック塀に囲まれながら、狭くも開けた敷地に成る。 石畳の伸びる正面先には、障子が新しい社が見え。 石畳が途中から右側に別れて続く先には、破魔矢などを売っている販売所が見えた。
(社は、小さいな・・。 然し、何の神を祀る神社だか。 ‘鳥’の‘神’って、なんだ?)
赤い屋根、赤い壁の社を見ている古川刑事に、販売所から出て近付く人物が在り。
「ようこそお越しに、‘トガミ神社’へ」
と、年配男性の声がする。
その声を聞いた古川刑事が、其方へと首を巡らせて見れば。
(この人物か…)
自身の右側には、袴に白い衣を着て、60代と見える神主らしき人物が居た。
古川刑事は、これは都合がいいと。
「どうも。 あの・・・参道の途中には、鳥居の裏側に地蔵が在ったが?」
目じりに皺を寄せ、初老の神主らしき男性はささやかに笑う。
「ご覧に為られましたか。 あれは全て、打ち捨てられた物です」
「‘捨てられた’…」
「左様。 または、‘忘れられた’と、言っても良いでしょうが・・。 本来、神社には無い物でしょうが。 この辺の古い昔は、ああしたものが多かったと。 江戸期より前には、神社も、仏殿も、等しく意味が在りましたから…」
「へぇ~」
古いものと、そう理解した古川刑事は、もう一つの疑問を解消しようと。
「・・処で。 今さっき、“トガミ”と、云った気がしたんだが…。 この社の御神体は、一体、何の神様で?」
こう聴きながら、社を見る。
神主の初老男性も、同じく社を見てから。
「はい。 古代の中国より知られる、四方を司る四聖獣の御一人、朱雀様と。 その昔に、天皇様の進む道を照らした、
「はぁ~」
完全に理解した訳では無い古川刑事だが。 一応の態度を示した後、本題に入ろうと…。
「あの、つかぬことを聴きたいんだがね。 私は、警察の者なんだ」
上着の内ポケットからライセンスを出し、しっかり見せる古川刑事。
すると、神主らしき人物は、何故か眉を軽く顰め。
「去年の、秋を前にした頃でしたか。 警視庁の刑事さんが、お尋ねにいらっしゃいましたが・・・。 まだ、私に何か?」
被疑者や容疑者を相手にする訳でも無く。 また、刑事の仕事から外れた事だけに。 古川刑事は、神主相手にどう説明していいか解らず。 先ずは、事件の事から入ろうと。
「昨年の夏。 連続強姦殺人事件の犯人と思われる人物、広縞が。 亡くなる前に、此処に来ましたよね?」
「えぇ、確かに。 前にも言いましたが、大量の御札を買われて行きましたが?」
頷いた古川刑事は、躊躇いをせずに。
「その時ですが。 貴方は、その広縞に、その理由を聞きましたか?」
すると、神主と思われる人物は、顔をやや厳しくして。 やや俯き加減な様子から、ゆっくりと左右に首を振った。
然し、古川刑事もプロ。 人の顔色を窺って、その内心を見抜く仕事をしているのだ。
「・・その顔、嘘だな」
刑事でなければ、悪人みたいな顔の古川刑事だが。 自分を見返してくる年配の神主に、更にこう言った。
「だって、そうだろうよ神主さん。 考えてもみな、31人も女性を殺すまで、神仏なんか頼らず。 寧ろ、神や仏の存在や教えを馬鹿にする様な、おぞましい行いをした奴が。 薬物中毒でも無く、自分の犯した罪を後悔した訳でも無いのに。 神頼みなんか、普通はしないさ。 そうでしょう?」
古川刑事の話は、確かに一理在るものだろう。
然し、神主の初老男性は、古川刑事を見定め様としてか、少しずつ目を凝らしながら。
「何を仰られても、此方の回答は変わりませんよ」
と、やや厳しい顔つきで、こう言った。
処が、赤い社を眺めた古川刑事は、腕組みし。
「先に言うが・・。 貴方が、事件と関わり合いたく無いのも、事件に関係して無いのも、此方は解ってる」
と、古川刑事が言えば。
“では、一体、何事で尋ねて来たのか”
そんな、戸惑いを表情に浮かべた神主の初老男性。
然し、依然として、社を見る古川刑事は。
「それを踏まえた上で、こっちも用が在って来た」
古川刑事は、此処で神主の男性を見ると。
「なぁ、神主さんよ。 確かに、広縞って奴は、殺されても仕方無い事を遣った人間だ。 だがよ、そんな罪人だって~身の回りでさ、不気味な事や不思議な事が起これば、神頼みもする・・。 ん? 神主さんよ、違わないか? あの広縞、何か見えないモノに怯えてた…。 そうじゃないのか?」
古川刑事の話が、実に変だと思う神主の男性。
「‘見えないモノ’と、言われましても・・」
其処へ、古川刑事がズバリ。
「例えるなら・・、そう。 ‘幽霊’、とか」
その、‘幽霊’と云う言葉が出た瞬間。 神主の眼が、ギュッと緊張して凝らされる。
一方、神主の顔色の変化を見抜く古川刑事は、確信して。
「やっぱり・・か。 お宅も、視えるんだな?」
然し、完全に主導権を古川刑事に握られてか。
「………」
黙りこくる、初老の神主。
すると、其処で古川刑事は、上着のコートから何か紙を取り出した。
「この話は、お宅にはちょっと困惑する話だろうが。 このメモに書かれた病院の病室に居る、‘木葉’って刑事がよ。 是非に、お宅に会いたいんだそうだ」
古川刑事から差し出された、四つ折りにされたメモ用紙。 それを見るだけで、手を伸ばさない神主。
「何故、私に?」
「それが~、奴が云うにはよ。 ‘灰に成った御札’・・だそうだ。 幽霊が見える上に、‘悪霊’だかに成った化け物を相手に、コイツが一人で喧嘩を売ってやがる」
その説明で驚く様に表情を変えてから、またメモ用紙を見詰める神主。
そんな彼に、古川刑事は更に言う。
「俺は、普段から幽霊なんか視えない方だが。 その悪霊の被害が、我々と云う警察組織の仲間にも被害が出て。 更に、一般人にも被害が拡大してやがる」
古川刑事の話を聴く神主は、じっとメモ一点を見つめていた。
「神主さん。 何も、一緒に捜査してくれとか。 悪霊を倒す為に、その命を張ってくれなど言うつもりは無い。 ただ、同じく視えるお宅ならば、助言や知識の一つや二つを、コイツに授けて遣れるかも知れない」
と、言った処で。
「・・いや」
何故か、否定に変わり。 顔を軽く背けた古川刑事は、更に。
「霊が視えない我々にでは、決して言えない愚痴や悩みが。 視えるお宅になら、アイツも言えるかも知れん」
と、遠くを見る様に言った。
一人で、苦難の道を行く木葉刑事。 その心情を想う古川刑事は、また顔を神主へ戻し。
「話を聴くだけでも、構わないからよ。 是非に、木葉に会ってやってくれ。 視えるが故にアイツは、自分の命と引き換えにでも、あの悪霊を成仏させたがっている」
こう言った古川刑事の話を全て聴いた黙る神主。 ちょっとの間を措いては、静かに手を伸ばし。 差し出されたメモ用紙を無言のままに受け取った。
礼を述べ、非礼を詫び頭を下げた古川刑事は、御守りと御札を買って参道を戻って行く。
その背中を見送る初老の神主は、
(あれほどに強力な悪霊を視れるなど、普通の者に居るのだろうか。 然し、木葉・・・木葉、な)
と、またメモの書かれた紙を見た。
古川刑事が、殺人犯の広縞に御札を売った年輩男性の神主に会った日。 この日は、木葉刑事の元でも人の動きが多い日で。
先ず、朝。 面会時間が開かれるや、木葉刑事が横になる病室へ新たな客が来ていた。
「おはよう、木葉」
低音の男らしい声音だが、心情も籠る。
横に成っていた木葉刑事は、誰が来たか解る。
「飯田さん、おはようございます」
だが、足音は2つ。 首を動かして横を見た木葉刑事は、ふっくらとした長身の女性が一緒に居るのを見た。
「あ、これは奥さんも…」
四十に入る飯田刑事だが、その見た目はイケメン俳優と変わらない。 顔立ちの良さに、刑事として磨かれた人間が渋みも加え。 今でも、警視庁では飯田刑事と関係を持ちたがる女性が居る。 本人は、この見た目にして、隣に立つ容姿は少し釣り合わない様な奥さんを溺愛していて。 間に産まれた一人娘は、もう溺愛に溺愛を掛けた様なもの。 彼は、木葉刑事と同じく警部補で、キャリアからすると篠田班長と同じ立場でも良い。 処が、家族が優先で、奥さんが才人の為。 無理してキャリアを上げる必要も無いからと、刑事の地位もままを貫いていた。
「飯田さん、御足労を」
椅子を2つ並べた飯田刑事は、差し入れにと持ってきたペットボトルの飲料をベット下に置いて。
「何が 、“足労”だ。 こっちも、もっと見舞いに来たいが。 例の事件が進展も無いままに、犠牲者が増えるものだからな。 忙しくて、こうして見舞いも中々だ」
「こんな姿になりまして、復帰もまだ。 ご迷惑を掛けます」
細い目つきの奥様だが、その性格はとても温和であり。
「木葉さん、本当に大丈夫? 顔色、まだ悪いのね」
「はい。 どうも、身体の復調が芳しく無い様なので」
飯田刑事は、変色した皮膚について質問をしてから、暖かいお茶を夫婦で作り。 木葉刑事に、少し飲ませてやったりして。
「妻が、何か身体に良いものをと云うからな。 お前、カレーが好きだろ? あまり多くても食べられないと思って、少なくして持ってきた」
「あ、助かります。 病院食のカレーって、どうも薄味で…」
奥さんが食べさせてくれる中、飯田刑事が近況を語る。 次々と遺体が見つかり、その捜査だけで手が足りなくなり。 応援を貰うが、現場の様子に精神を病む者が出始める事も。
食べ終えた木葉刑事に、飯田刑事が肩を落として。
「佐貫さんの事、本当に残念だったな」
「はい」
「あの人、周りはもうやる気の無い人と思ってたらしいが…。 お前と一緒に身体を張るとは、正直な処で複雑だ。 見直してしまう気持ち、惜しむ気持ち、色々が多すぎて… 」
「はい」
残念さでは、同じの2人。 同僚を亡くした刑事の2人に、飯田刑事の奥さんも涙を見せた。 見た目は、眼が細くて何を考えているのか解らない感じのこの女性だが、その本音はとても優しく才能豊な人物。
飯田刑事が、
“最高の美人妻だ”
と、称するが。 その気持ちに嘘や偽りは無い。 本当の意味の鴛鴦夫婦と云う処で。 この奥さんを馬鹿にされると、飯田刑事も穏やかでは居られない。
飯田夫妻を見る木葉刑事は、
(この人は、絶対に巻き込ませない。 絶対に、絶対に…)
と、心に決める。
そして、昼下がりの病室にて、飯田夫妻に続いて別の面会者が来ていた。 無造作に髪を後ろへと束ね、化粧もしてない女性だ。
「木葉さん。 まだ、身体も起こせないのね」
電動車椅子に座りこう言って来るのは、一緒に怪我した里谷捜査員だ。 すっぴんだが、目つきの鋭さや気の強そうな雰囲気は、まだ表情に残っている。
窓の外を見ている木葉刑事は。
「里谷さんも、まだ身体が元に戻りませんか…」
「えぇ。 内臓の損傷と、肋骨が一本粉々だったから。 見舞いに来た彼氏にも、見られた一瞬でビビられちゃったわ」
すると、ぎこちなく首を動かして、頭を下げる格好をする木葉刑事で在り。
「スイマセン。 自分一人で、何とかしたかったんですが…」
心身で苦しむ木葉刑事を見て、里谷捜査員は返って困った。
「ハァ・・、止めてよ。 別に遊んでた訳でも無いンだから…」
こう言った里谷捜査員だが。 直ぐに、事件当時の事を思い出し。
「でも、正直なトコロ、驚きだわ。 あの、結婚詐欺の男が殺された・・って言って入院した女性を、誰にも見付からずしてバラバラにしたのが、あんな化け物だなんてね。 通りで、貴方も他人に、犯人の存在を言えないし。 捜査したって、捕まらない訳よね」
仕事から離れた所為か、随分と言葉遣いがラフに成った彼女。
然し、話を聴いていた木葉刑事は、チラッと里谷捜査員を見て。
「里谷さんにも、アレが視えましたか」
「ハッキリと、ね。 貴方が触っていた所為か、黒い雷みたいなのが迸ってて…」
すると、また俯く木葉刑事。
「やっぱり、誰かが触れてないと、普通の人が視るのは無理・・・か」
そう理解して目を瞑る木葉刑事には、佐貫刑事の姿が浮かぶ。
そして、徐に。
「里谷さん…」
と、ポツリと呟く木葉刑事。
何か話が在るのかと、車椅子を横付けした里谷捜査員は、
「何?」
と、問う。
すると、顔を彼女に見せぬ木葉刑事が。
「佐貫さんは、あの悪霊が視えてしまった事で、俺なんかに手を貸してくれましたが。 貴女は、どうか無視を貫いて下さいね」
その話を聞いて、目を細めた里谷捜査員。 木葉刑事の様子を少しでも観察したいからだ。
「貴方は、どうするの?」
「それは・・身体、次第ですかね。 せめて、両手か・・・両足が治れば…」
里谷捜査員は、木葉刑事の覚悟を感じ取る。 動く事が出来たら、またあの悪霊に挑むつもりの様だ。
(この人は、まだあの化け物を追う気なの? こんなに成っても、班長や一課長や捜査員の一部に事件の関係者ではないかって、疑われてるのに?)
こう察する里谷捜査員だが。 実は、彼女もこの事件に関わるまでは、この木葉刑事とはいい加減な人間で。
“事件現場に臨場した際、証拠品を盗み取り。 捜査が行き詰まった時に、その証拠品を手柄の為に提出している”
と、一部の捜査員がやっかみで云う噂を、何となく信じていた。
だが、一緒に成って怪我をした里谷捜査員は、木葉刑事と云う男の内面を、朧気にだが理解し始めた。
(こんな・・真っ直ぐな‘ひと’だなんてね)
里谷捜査員の観る木葉刑事には、もう‘死ぬ’覚悟が座ってのではないかと察する。
そんな里谷捜査員は、
“佐貫刑事を見捨てて、木葉刑事が生き残ったのではないか”
こう言う入谷捜査員や盾内捜査員の感想を真っ向から否定していたが…。
順子が、半分憶測で証言した通り。 佐貫刑事が共倒れする前に、木葉刑事を引き剥がしたのだと理解した。
(バカな男…。 佐貫さんが死んだ事を、自分の責任として背負って、敢えて何も言わないのね。 嗚呼・・・、庇った佐貫さんは、彼に後を託したんだわ)
こう感じ取る里谷捜査員は、これまでの木葉刑事の行った流れが、何となく解り始めた。
最初の首無し事件で、容疑者にされ掛かった、あの女性患者。
他人は、
“狂った様に見せ掛けて、罪を逃れようとしている”
と、彼女を疑った。
だが、そんな彼女の話を信じて。 彼女が殺される夜中にあの化け物を止めようとし、木葉刑事は左腕を負傷したのだ。
また、佐貫刑事が死んだ夜。 大学病院で誰よりもまっしぐらに、化け物を追った木葉刑事。
その両方を見ていた里谷捜査員には、木葉刑事が他人が言う様な、小賢しい真似の出来る人間じゃないと思う。
そう成ると、里谷捜査員も情が出る。
「ま、・・私も死にたくないし、それはいいけど。 貴方が死に急いだら、こまめに見舞いに来る美人女医さんは、泣かないのかしら~」
「・・痛いとこ、突きますね。 生き恥じ晒して、無力感に打ちのめされてるのにな~」
その弱気な木葉刑事を見る里谷捜査員は、ふと疑問が浮かび上がった。
「ねぇ、木葉さん。 この際だから、敢えて聴くわ。 一体、何時から貴方は、あの化け物を追ってるの? あの、三鷹で起こった首無し事件の辺りから、どうもあの化け物の存在を知ってそうだったけど?」
この鋭い質問に、木葉刑事は顔を背けたままに。
「それは、多分言っても・・信じられませんよ」
「‘信じられない’って、・・どう云う意味? 私も視えたから、逆に解らない事だらけよ。 あの化け物は、何処から来たの? 首が無くなる事件と、首が置かれる事件は、私が警護したあの彼女から始まりだけど。 そもそもの発端は、其処なの?」
こう尋ねる里谷捜査員も、どうやら色々と調べ考えていたらしい。 だが、起源と云うか、発端が解らないから、理解が出来ずにモヤモヤする様だ。
然し、顔を動かさない木葉刑事は、淡々と…。
「それは、恐らく知らない方が・・、いいよ」
「何故?」
すると、少し黙った木葉刑事が、また静かな語りにて。
「それは、君も・・自分等と同じ、捜査員だからさ」
「え? どうゆう事よ。 同じ捜査員だから、知りたいのに」
突っ込まれた処で、ちょっと黙った木葉刑事。 だが、ゆっくりと顔を窓の上に向けた木葉刑事が。
「・・・貴女だって、病院で保護していた彼女が殺されて、悔しかったでしょう?」
その話は、警護課の捜査員として携わった里谷が、これまで経験した仕事でもかなり悔しいと苦しむ事件だ。
「当然でしょっ? 私、彼女の警護を任されたのよっ」
と、少し言葉が鋭くキツくなる。
だが、彼女の話に、微かに頷いて見せた木葉刑事。
「だから・・、貴女も或る意味で刑事だから・・・駄目だ。 知れば・・知るほどに、この仕事をしていると、なんて云うか・・何とかしたく成る。 佐貫さんの二の舞は、もう・・・嫌だ」
辿々しい木葉刑事の話を聞いた里谷捜査員は、目を見開き。
「もしかして、さ・佐貫さんは、全部知ってたの?」
その問い掛けに、また、軽く頷いた木葉刑事。
「実は、自分の叔父も、元刑事でした」
「あ、聞いた事が在るわ。 貴方みたいに、手柄を…」
都市伝説ならぬ、警察内の怪談みたいな。 そんな噂を聞いていた里谷捜査員は、途中まで口にしているうちに、或る事が思い浮かび。 憶測に驚いて、一瞬だけ木葉刑事が見えなく成る。 焦点がボヤける程に、頭の中に浮かび上がった事へ気が動いたのだ。
(ちょっと、まっ、待ってよ。 そんな・・うそ・・・嘘でしょ?)
今でこそ理解が出来る故に、不安となる憶測が在る。 そんな事が在るのかと、里谷捜査員は、木葉刑事をまた見つめて。
「まさか・・、貴方の叔父さんも、あんなのが視え・・てた・の?」
「はい…」
「どっ、どうしてっ?。 その能力って、遺伝っ?」
その辺りを解らない木葉刑事だから、頭を左右に振るのみ。
そして、
「ですが、叔父と甥が刑事に成って、やってる事まで似通ってますからね。 もしかしたら・・遺伝かも、知れませんね」
「‘やってる事’って?」
「はい。 叔父さんも、人の手に負えなく成った霊の存在に、刑事としての自分の限界を知って・・探偵に成りましたがね。 その存在を鎮める為に、佐貫さんと同じ状態に成りました」
この話に、里谷捜査員の顔が、また驚いた。
「まさ・・か、え?」
「実は、佐貫さんは、所轄の刑事の頃みたいですが。 嘗て、少し年上だった叔父さんとも、面識が有った様です。 一緒に組んで、捜査する事も在り。 幽霊を一・二度、視た事が有るみたいでした。 だから、思わず自分も・・・気が緩んだんでしょうか。 ある程度の全てを、佐貫さんには話しました…」
木葉刑事の話を聞く里谷捜査員は、
(もしかして、佐貫さんって…。 木葉さんの叔父さんの事も知ってて、また木葉さんを知ってしまったから、最後まで手伝おうとして死への一歩を踏み越えてしまった…)
と、理解する。
そして、木葉刑事も俯いて。
「あの人だって・・死ぬ羽目に成るのは・・・解ってた筈なのに。 うぅ・・、刑事だから・・・、自分の事を知り過ぎるから・・、あんな無茶してっ」
力無く布団を握り締め、小声で嘆く木葉刑事。
その姿を見て、里谷捜査員も、木葉刑事が危惧する理由が解り始めた。
(そっか、そ・そうよね。 刑事・・・だから。 犯人を見たら、捕まえ。 事件を解決に導きたくなる。 知れば、捜査がしたくなる…)
既に、こう思う里谷捜査員は、全てが知りたく。 身体が治ったら、刑事課に移動願いを出そうかと悩むほど。
然し、木葉刑事の気持ちも理解出来るが。 やはり、それと同じぐらいに、事件の経緯が知りたい。
だが、此処で。
(あ)
里谷捜査員が、俄に気を張る。
それは、廊下の外に誰か居ると気付いたからだ。
(聴かれてる…。 今日は、引き下がった方がいいかな)
不審な他者の存在に、そう感じる里谷捜査員。
「・・解ったわ。 私も、佐貫さんみたいに成りたくないし。 今のは、聞かなかった事にして」
と、電動車椅子を動かす里谷捜査員。
だが、その奇妙な引き方に、木葉刑事は内心で恐れた。
(嗚呼・・彼女は、また来る。 きっと、また…)
と。
さて、余計な情報を与えまいと、里谷捜査員が廊下に出でれば。
(あら、・・まさかSP?)
と、内心で驚く事に。
黒いスーツ姿のスタイリッシュな立ち姿をする女性が、其処には病室をさも探す様に立っていた。
政府機関に所属する、特別な警護を担当する者と知ったが。 其処は、里谷捜査員も、警察庁所属ながら警護課。 目を向ける事もせずに、自身の病室を目指して、大きな廊下の方へと曲がって行く。
(背を取ったら、こっちに振り返った。 でも、歩かないって事は・・間違いない。 あの人の‘マルタイ’は、木葉さんね)
廊下の床に映る影で、振り返った事を知る里谷捜査員は。
「しっかし、アイツったら何やってんのかしら。 マメに、見舞いにも来ないでさ。 ・・浮気してやがったら…」
ブツブツ文句を云う。 そして、文句を垂れるままにスマホを出して、メールの確認をするが…。
「来てないか~」
と、片手で背伸びをする。
だが、これが狙い。 背伸びするフリをして、カメラのムービー機能を使い。 その警護する人物をさり気なく撮影した。
一方。 里谷捜査員が曲がり角を過ぎて、姿が見えなく成った後。
木葉刑事の部屋が近い、少し狭い階段前の廊下に立つ黒いスーツ姿の女性に。
「ふぅ。 嗅ぎ回る犬は、行ったかな」
階段先の柱の影に居た人物が、黒いスーツ姿の女性の前に現れ出て、こう言うではないか。
「はい」
黒いスーツ姿にサングラスをする女性は、現れた男性へ返事をすれば。
「なら、入り口を頼むよ」
と、また言われて。
「はい」
短く返す黒いスーツ姿の女性。
現れ出た人物は、彼女の何なのか。 命令口調が霞む物言いでそう頼むと。 木葉刑事の病室へと進み、ドアを開いて入った。
その人物は、病室へ入るなりに。
「今回は、全身に怪我したらしいな」
その声を聞いた木葉刑事は、一緒だけガッと目を見開き。 それから、緩やかに目を細めながら。
「はい。 ですが、逝く順番を佐貫さんに、先を越されてしまいました。 スミマセン…」
こう言いながら、首を使い頭を下げる。
そんな木葉刑事のベッドの脇に来たのは、左手にコートを畳み掛ける鵲参事官だ。 色黒の肌に、手入れの行き届いた頭髪をし。 小柄ながらに、隙ない素振りは今も健在だ。
「君が、私に謝る事は無い。 私が、君の身に万一の事が有れば、どうにかして助けてやってくれ・・とな。 彼に頼んだのだから…」
こう言う鵲参事官だが。 何処かに、この結果に対する不満が在ったのだろう。 一歩の距離の間を空けては。
「ま、君と、君の叔父さんの事を少し知り過ぎた所為か。 彼が、個人的な意志を以て、頑張り過ぎたらしい」
その言い方は、木葉刑事には嫌な言い方だった。 だが、感情的に噛み付く性格でも無い、この木葉刑事だから…。
「また、悪霊に呪った所為で、一般の人にも犠牲者が出て居るんですよね?」
「ん、残念ながら・・な。 然も、年末年始の慌ただしさから、人の怨みを産む事件が多く。 また、その所為か。 君と佐貫刑事が奪った力でも取り戻すかの様に。 大学病院の一件以来、被害者がとても多いんだ。 怨みの強さに導かれて居るかの如く、犠牲者を多く作れる方に、あの霊の能力も変わっているみたいだ」
今の木葉刑事は、指先すら動かせない。 TVを観たくても、他人の手が必要なのだ。
「そんなに、犠牲者が?」
「あぁ、今日までに解った事だけでも、君が此処に運ばれるまでの比では無いぞ」
事態の重さに、木葉刑事も顔を引き締め。
「そんなに?」
と、鈍い動きにて鵲参事官を見た。
頷いた鵲参事官は、捜査資料の詳細なコピーを取り出すと。
「君の怪我以後の事件の経過は、テレビでやっている。 既に、大凡は知って居ると思うが…」
「去年末に、若者達が数名殺された事件ですね?」
「そうだ。 栃木の山荘で、若者達が5名殺された。 警視庁の捜査に因ると・・。 彼等は、去年の10月終わり頃。 部活帰りの女子高生を拉致して、寄って集って強姦した。 然し、事が終わった後に、女子高生の身柄の扱いに困って。 結局、生きたまま河川敷に埋めて殺したんだ」
語る鵲参事官を見ないで、布団の上に置かれた捜査資料を見る木葉刑事。
「何て、酷い…」
ベットの傍に在る丸い椅子を引き寄せ、木葉刑事の脇に並ぶ様に座った鵲参事官も、深く頷き。
「私も、この多忙な身なのに、四人も娘が居る。 正直、呪った母親の気持ちが良く解る」
珍しく同情する、素の鵲参事官だ。
一方、捜査資料から顔を上げた木葉刑事。
「鵲参事官」
「ん?」
「怨みを持った母親は、犯人の若者達を知っていたんですか?」
「どうだろうか。 決定的な特定に至る所までは、解らなかった筈だ。 然し、仕事帰りに、駅まで娘を車で迎えに行った時。 攫われたお嬢さんを乗せたと思われる少年達の車と、途中で擦れ違っていた様だ」
「なるほど…」
「一足違いで、夜にすれ違っただけだった所為かな。 母親の見た情報が、イマイチ不確かだったらしい」
「それは、そのお母さんも悔しい限りですね」
「だろうな。 ・・だが、通報を受けた所轄の刑事達も、若者達へ手の届きそうな処までは、調べが及んでいたし。 母親も、疑わしい少年の一人か二人には、目星が付いたとの情報も有る」
「調べが及んでいたのにそれでは、最悪・・ですね」
呟いた木葉刑事は、また捜査資料に眼を向けた。
その彼を見て、鵲参事官は顔を引き締めると。
「然し、木葉よ。 あの幽霊は、もう我々が手に負える存在では、無いかも知れないぞ」
その、もう諦めたかの様な言い方に。
「鵲参事官でも、弱気に成るんですね」
気を張った自分の裏を読まれた鵲参事官が。
「あぁ、ふぅ…」
と、深い溜め息まで。
何事かと、木葉刑事も気になり、また顔を上げて。
「どうか、したんですか?」
すると、鵲参事官も頷き返し。
「そうだ、どうかしてる」
「え?」
「此処最近のな、事件の成り立ちを知ると。 正直な処、そう思わざる得ないのだ。 実は、年明け早々から起こった事件は、これまでのパターンから逸脱している」
異変が出たと、そう感じた木葉刑事だから。
「まさか、呪いのパターンに、変化が出たんですか?」
「そうだ」
「詳しく教えて下さい」
「それが、な。 年末の書き入れ時とばかりに、例年通り。 ‘振り込め詐欺’が、都内でも横行したんだが。 年明け早々から捕まった組織末端の出し子、受け子が、首をもがれたんだ。 然も、その一部は、留置場や刑務所で・・だぞ?」
「もう捕まった犯人側に被害が…」
これは、情報の一部は伏せられている。 然し、留置場の中に居た者が、男性2人、女性1人、首を捻じ切られたのだ。 留置場の場合、捕まった者が多いと複数の者が入る事も在るが。 その同じ牢に入った者が、殺される所を見ていたから大変だ。 2人ほど、精神を錯乱して病院に入ったし。 刑務所では、強盗で捕まった者が首を捻じ切られた。 この人物から被害を受けた者の中に、まだ死んだ人が出て来ない。 余罪を含めて調べている所だが。
警察のテリトリー内での事件で、確かに大変だと思う木葉刑事。
「それは・・、鵲参事官も大変ですね」
然し、あっさり言われた感から、眉間に皺を寄せる鵲参事官で在り。
「君も、一応は刑事だろ? 人事みたく言わないでくれ」
だが、木葉刑事には、それ自体では異変とも思えず。
「スミマセン…」
と、心の篭もらない言葉だけを返す。
然し、鵲参事官は、更にまだ在ると話を続け。
「問題なのは、その後に三人の高齢者が殺された。 各現場に、複数の首が残され。 然も、殺された日が、非常に近い」
其処へ、異変の片鱗を感じ取った木葉刑事も。
「聴く限り・・確かに、年末の若者達の事件から変化が見られますね。 先ず、目星の付いた若者達のみとか。 振り込め詐欺でも、顔を見られる受け子が狙われるのは、良く解ります。 ですが、一緒に遊んでいたとは云えど、女子高生を生き埋めにした若者達全員や。 また、振り込め詐欺でも、被害者の前に顔を出さない出し子まで殺されるのは、第一の異変ですね」
「その通りだ。 明らかに、君と佐貫刑事が病院で接触した時までとは、大きく異なる部分だ」
更に、考える木葉刑事は。
「また、年明けの事件では、首の奪われた者と、怨む者が複数と云う。 呪い、呪われるこの相互関係が、複数に成っている処が、第二の異変…」
「あぁ、その通り」
肯定するべく頷く鵲参事官は、更に話を進め。
「然も、だ。 その後に、その振り込め詐欺グループのほぼ全員が、首をもがれて殺された。 そして、その後には8人もの高齢者が、連続して亡くなった」
「確かに、殺される者の数が、桁違いだ…」
「そうだ。 また、その高齢者8人のいずれも、詐欺の被害者で。 その首を持っていかれた詐欺グループの主犯から、企画・計画をするブレイン等。 幹部連中の情報など、老人達は全く知らなかった筈」
「なるほど…」
「余りの激変に、私も、捜査陣の皆も、頭が痛くて困っているよ」
鵲参事官は、珍しく厳しい顔をする。
処が、だ。 木葉刑事は、以前に越智水医師と話した事を思い出して。
「ですが、鵲参事官。 もしかすると、それは‘異変’と云うより。 寧ろ、“呪いの性質の幅が広がった”と。 こう表現するのが正しい、・・かも知れませんよ」
目を細めた鵲参事官。
「“呪いの性質が広がる”? 意味が良く解らないぞ、木葉」
すると、木葉刑事は、鵲参事官を見据えて。
「鵲参事官は、全ての発端となる〔広縞〕の事は知ってますよね?」
「あぁ、大体は…」
「あの、広縞に因って強姦された上に、殺された事への怨念から。 無念でこの世に留まる‘怨霊’と云う存在に変わった彼女は、広縞へ直接に手を下すべく。 被害者遺族に、‘呪い’の行為をさせていました」
「それは、被害者遺族の変死事案の事だな?」
「はい」
「それが、今回と関係しているのか?」
「では、少し話が逸れますが。 鵲参事官は、昔から伝わる呪いの儀式を、幾らかでも知っていますか?」
「君の叔父、恭二と知り合ってから、少しな」
「では、呪いたい相手が解らないとしても、最低二つの事を捨てる事で。 儀式を成立させる事が出来ると、知ってましたか?」
考える鵲参事官だが、そんな話は聞いたことが無いと。
「まさか、相手も解らないのに…」
然し、木葉刑事の知る限り。 あの広縞が亡くなる前に、遺族で亡くなった者達の存在は、明らかな異変だったと知っていた。
「鵲参事官。 広縞が殺される前に、‘呪い’の儀式をして亡くなった。 詰まり、変死した遺族達は、あの時点で広縞の存在など、誰一人として解らなかった筈ですよ」
その事は、今回の事件と符合すると気付いた鵲参事官は、
「んっ」
と、目を開き声を発する。
木葉刑事は、理解をした。 いよいよ悪霊が、誰か一人の限定を破り。
“狙いが一括りならば、同じ怨みを持つ者や、その怨みの対象者全員を襲える様に成った”
こう感じ取った。
そして、鵲参事官へ。
「実は、呪いを成立させる最低条件は、二つでいいんだそうです」
「たった‘二つ’だと?」
「はい」
「その二つとは、一体何だ?」
木葉刑事は、越智水医師から聴いた話を、この鵲参事官にもする。
“一つ、生きる事を放棄し、飲み食いから含めた生活を捨て。 呪う事に終始を捧げ、狂い切る事”
“二つ目は、死ぬ事”
「・・だそうです」
この話に、電撃に撃たれた様に愕然とした鵲参事官。
「いや・・そんな。 今回の事例に当てはまるが・・、そんな漠然とした事でっ」
衝撃を受ける鵲参事官は、目の焦点が掠れる。
然し、木葉刑事には、二つの懸念が在る。
一つは、今回の事件で、また広縞の事件が取りざたされて。 呪いの儀式のあれこれが、ネットでの遣り取りで熱い事。
憎しみや怨みに傾倒しつつも、犯人が解らない遣り場の無い怒りが捌け口を求め。 そうゆう行為に走らせる事に成る可能性が在ると、懸念するのだ。
二つ目。 怨んだ側として、もいだ首を代償にして殺される人々だが。 振り込め詐欺の被害に遭った老人達は、今しがた木葉刑事が言った様な。 一心不乱に寝食を忘れて死ぬまで呪うと云う行為に、生活を投げ捨てて居る素振りは無い。
もしかして、憎しみや怨みが強く、その怨む相手が複数ならば。 より強い怨みを、悪霊側が選択している事も考えられる。
詰まり、最悪の想定としては、ある種の‘祈願殺人’と呼べる流れが強化された可能性も在る。
その意見を聴いて、額に手をやり頭を抱えた鵲参事官。
「なぁ・・木葉よ。 このまま行ったら、最後は一体どう成る?」
「さぁ。 自分も、これほどのケースは、初めてです。 動ける様に成ったら、模索はしますが。 正直、どう転ぶか解りません」
その冷静と云うか、無駄に限定した事を言わない意見を聴く鵲参事官は、嘗ての同僚・部下にして、似た歳の同職業の人物を思い浮かべる。
「ふぅ…。 お前って奴は、日に日に恭二と似て来たな。 だが、ただ早まるなよ。 佐貫は、誰でも無く、お前に肩入れしたんだからな」
‘肩入れ’とは、木葉刑事も耳に痛い。
最初に、命令で組む事と成った時に見た佐貫刑事は、明らかに木葉刑事にくっ付いて、情報を得ようとしていた節が在った。 最初に、左腕を怪我した辺りまでは、命まで共に掛ける雰囲気は無かった。
だが、木葉刑事の代わりに、捜査に対して意見したり。 情報を入れたりする事に成っても、佐貫刑事が一人で先走る事は無かった。 入院していた木葉刑事だから、退院するまで電話さえ繋がる様にして。 時々の朝にでも、ちょっと顔見せするぐらいで、十分に良かった。
時間を気にして立ち上がった鵲参事官に。
「見舞い、ありがとうございます」
と、ボソッと言った木葉刑事。
そんな彼を見た鵲参事官は、何処か不思議と不安が過ぎる。
(ま、恨まれたり怒られても、仕方無い私だが…。 コイツも、色々と思い悩む処が在るだろうから、大声を出されても構わないと、・・覚悟して来たんだがな。 不満を言わない処を観ると・・・。 何か、考えでも在るのだろうか…)
木葉刑事の様子には、何処か殻に閉じ隠る様な。 そんな雰囲気を感じ見る鵲参事官。 作戦か、魂胆が既に有り。 それを知られない様に、そっと隠している様な…。
「・・では、本部で待っているぞ。 治るまでの間は、これでも暇つぶしに使え」
持って来た半透明なファイルを、ベッドに置く鵲参事官。
それは、これまでに解っている捜査資料だと云う事は、木葉刑事でも一目で解る。
すると、木葉刑事から。
「鵲参事官…」
と、声が出た。
まだ、何か話が在るのかと、返し掛けた踵を止めた鵲参事官で在り。
「どうした?」
其処には、顔を上げずして懺悔でもして居る様な、沈んだ木葉刑事が在り。
「どうか、戻った時の人選は、慎重に願います。 仲間や先輩が死ぬのは、もう・・・嫌です」
(木葉…)
その姿、話を受けて。 今、木葉刑事の心を圧迫しているのが、死の恐怖や自分の人生では無く。 一緒に捜査する相手の事だと解る、鵲参事官。
「ハンカクセェ事・・喋んな。 それよりも、退院サしたら、‘ジャンボ’サだけは行けよ」
鵲参事官の言葉に、鈍く頷くだけの木葉刑事。
実際、伸びた髪に囲まれた木葉刑事の顔は、フェンスに囲まれた物と言って良かった。
さて、一人に成った木葉刑事は、出来損ないのロボットの様に。 そこそこ伸ばせる様に成った腕を伸ばし、鵲参事官の置き土産を四苦八苦して引き寄せた。
鵲参事官が置いて行った捜査資料に因ると。
年末に、栃木県の山荘で見つかった若者達5人の遺体は、都内の高校に通う未成年達だ。
当初の発表で、5人とされていたが。 年明けにはもう一人、第一発見者の若者が死亡と書いて在る。 死因は、縊死。 自他殺不明との事。
さて、少年達の首が在ったのは、つつじヶ丘の分譲住宅に在住する女性会社員宅らしい。
無論、娘を少年達に殺害された母親の会社員は、身体を捻られ、酷い有り様で見つかったと。
また、外部へ伏せられた情報としては。 母親は12月に入ってから窓に向かって夜な夜なに、何かを言っていたと。 近所の住人からの証言が得られていた。
だが、問題なのは、年明け早々から起きた関連事件だ。
振り込め詐欺グループの末端にて、狙った高齢者や主婦に対面して、現金を受け取る‘受け子’。 電話を掛けて騙す‘掛け子’。 振り込ませた場合に、現金を引き出す‘出し子’と。 それぞれに役割分担が在るらしいが。
年末の一斉検挙にて、何十人と云う逮捕者の内。 掛け子も担う、受け子や出し子が数人殺された。 今の所、昨日までに留置場で亡くなったのが5人。 移された拘置所で、3人。 既に判決が決まって、刑務所に入った者が4人。
何れも、殺された直後に囚人が騒いで刑務官等が死体を発見して、迅速な捜査が為された。
その直後。 自身も惨殺される事と為った、呪った側の高齢者達の脇にその犯罪者の首が発見された。
然し、間に三日を空けずして、次々と殺害された4人の高齢者だが。 被害者の元に置かれた首の数と、警察で確認した犯罪者の遺体の数が、まだ一致せず。 その後、また遅れて発見された、追加4名の高齢者の遺体だが。 更に、この場所で未確認の首が増えた。
この事から捕まってない振り込め詐欺構成員の者の中で、殺されている者が居ると捜査陣も行方を捜している。
また、捻切られた首と、後に殺された高齢者との間にも、若干のタイムラグが在る為。 警察側も、非常に困惑している処だった。
その後、
“騙された高齢者達の呪いが、振り込め詐欺を仕切る暴力団や振り込め詐欺グループに届いた”
とする、ネットの意見が出される始末。
今、過熱しているネットのキーワードが、
«呪いのやり方»
と。
«犯罪者を呪い殺せ»
メディア、警察、各司法系列に携わる人々が様々な方法を使って、呪い行為を禁止しようと訴え掛けている。 だが、‘呪い’と云う行為に意味を視て、その行為を禁止していたのは明治や大正と云った戦前の法律だ。
法律に携わる人々の間では、科学的に〔呪い〕の効力を立証する事が出来ない以上は。
『闇雲に、“呪いは人に危害を加える”と主張して。 障害・暴行を超え、それこそ殺人等の罪には、絶対に問えないだろう』
と、云う意見や。
『以前の昔に在ったからと、歴史的な認識を呼び覚まし。 時代に逆行して法律を創るのは、タブーだ』
と、云う者。
また、
『〔呪い〕の行為そのものを危険視して、厳罰化する法律を作れば。 些細な事にも適用出来る為に、創るべきでは無い』
と、主張が出されている。
然し、呪いを煽るネット内の過熱感や、明らかに憎しみや怨みが関わる事件の様相だから。 怨まれる立場に居る者や、加害者家族や遺族の方からは、規制する法律を求める意見が出される訳で。
TVでは、連日に渡って学者と〔被害撲滅の会〕の弁護士や関係者が出演し、熾烈な論争を巻き起こしている。
さて、最も新しく起こった事件は、振り込め詐欺グループとそれを指揮する暴力団構成員が、皆殺しの様に殺された事だ。
転々と拠点を変える彼等だが。 今や、末端の者を遣う現場と、指揮や手口の立案をする本部は、別々に成っている事も多いらしいが。 その双方にて、首をもがれた遺体が大量に見つかった。
その発見に至った経緯も、実に本当に意外なもので。 振り込め詐欺グループを飼い慣らす暴力団構成員が、何か命の危険を感じたのか。 警察に連絡して来た事で発覚したのだ。
連絡を受けた警官が駆け付けた、と或る雑居ビルの四階。 飛び込んだ警官は、血の海と変わった現場を見て、悲鳴を上げてしまったのだが…。
さて、殺人は、一課の仕事だが。 暴力的絡みの振り込め詐欺グループの本部と捜査の過程で解り。 他の組織犯罪や詐欺などを捜査する、別の課まで出張る事に成った。
そして、押収した物を調べる事で、その本部から指図を受けていたと思われる支部的な隠れ家に行けば。 やはり、悲惨な現状へと踏み込む事と成ったのだ。
その後、ポツリポツリと更に、首が置かれた一人暮らしの高齢者の遺体が発見される。 然し、相手が悪霊だ。 調べ様の無い事件に、警察側が次第に疲弊する。 雲を掴む様な捜査や、異様な殺人事件の多発で警察官にも精神的に病む者が現れ始める。 地方への移動願いも出され。 警視庁や警察庁も対応に困る。
一方で、悪い人間が基本的な犠牲者で在る為に。 世間の意見には、この殺人に肯定的なものも少なくない。
“良くやった。 悪いヤツが死ぬなら何が悪い”
“どうせ悔い改めない人間だし。 税金だって払って無い輩ばっかりだろ? 刑務所に入れて、その生活費を国民の税金で賄うのがムカつくから。 この犯人には徹底的な浄化をして欲しいよね”
こんな意見が、«Good»だの«良いね»を数万と貰え。 海外では、«目に見えないスーパーヒーロー»と囃し立てる。
また、この数日では、犯罪者の片棒を担ぐ若者達が自首して来たり。 犯罪者を晒し者にして、集団で袋叩きにする現象まで起こる。 現実に、事件が事件を呼んでいて。 警察がフル稼働し過ぎて、警察官に過労死する者まで現れていた。
ニュースを観て、夜中まで起きて考え続ける木葉刑事。
(此処まで騒ぎが大きく成ったら、もう幕引きなんて誰にも無理だよな。 あの悪霊を成仏させて、時間の流れに任せるしかない…)
天井や窓を見て、こう考えていた…。
4
さて、鵲参事官と云う変わった客が来てから1日を置いて。
その日は、曇り空だった。
「おはよう」
里谷捜査員がまた来た。
「おはようございます」
やや淡白に、形式的な言葉を返す木葉刑事。
「こんな薄暗い日に、明かりも点けないんじゃ~滅入るわよ」
天井の照明に電源を入れた里谷捜査員。
「どうも」
首を動かして、小さく頭を下げる木葉刑事だが。
木葉刑事の寝るベッドに電動車椅子を横付けした里谷捜査員は、木葉刑事の膝の上に一枚のメモを置く。
‐ 貴方、SPに警護されてるの? ‐
誰の差し金か、木葉刑事は理解している。
「ええ。 其処の引き出しに在る情報をくれた方が、そうしてくれたみたいです」
ちょっと、変な物言いをした彼。
これを聴いた里谷捜査員は、フルーツバスケットの置かれた台の下。 引き出しを開いて、入っている捜査資料を見る。
(何コレ、捜査状況の詳細さは勿論、上層部じゃないと分からない様な事まで・・って。 あ゛っ)
現場で採取されながらに、何時も何時も証拠能力無しとされる不審な髪の毛の情報。 また、佐貫刑事の死因についての考察まで在るので、里谷捜査員も誰が来たか直ぐに解る。
“鵲参事官だ”
1つ、疑問が消えた里谷捜査員は、まだ話が在ると。 また、ベッドに近付いて、もう一枚の紙を置く。
‐ 此処。 完全に、盗聴されてるわよ。 ‐
「ナルホド…」
と、納得の木葉刑事。
すると、木葉刑事が目配せをする。
「?」
里谷捜査員は木葉刑事の脇に来て、顔と顔を突き付け合ったのだった…。
さて、その日の午前11時頃。
里谷捜査員の去った後、一人で居た木葉刑事の病室へ。
「木葉さん、お元気でしたか?」
と、順子が入って来る。
「何時も何時も、順子さん、ご面倒を掛けますね」
度々にやって来る順子に、木葉刑事は余計な事を言わない様に成った。
「頼まれていたお着替えと、お弁当も持って来たの」
「すいません」
「気にしないで、好きでやってる事だから」
専用の衣装ケースに着替えを畳んで入れる順子は、もう奥さんの様で在る。
着替えを仕舞い、部屋の鍵をスーツに仕舞う順子は、木葉刑事のベッド脇に座ると。
「今日は、ウチの叔母様がね。 お店の〔幸朔〕の板長さんにお願いして、お弁当を作って頂いたの」
「え゛・・」
驚く木葉刑事の眼がギョッとしたままに固まる。 築地に在る料亭〔幸朔〕は、都内に在る高級料亭として有名だ。 その店の女将をするのが、順子の叔母らしいのたが…。
(おいおい…、どんな話の経緯で、そんな話に至るのさっ)
恐縮した木葉刑事。 然し、動けない身分の自分だ。 ある種の、“まな板の上の鯉”と云う状態。 食べない訳にいかない展開で、味も分からない様な、上品な料理を食べさせられる。
(これなら味がヘンでもいいから、順子さんの料理の方が気楽だ)
そこそこ、内臓は復調した木葉刑事で。 順子が用意する食べ物には、少食ながらに口にする。 然し、まだ思う様に手が使えない木葉刑事だから、彼女に食べさせて貰う事と成る。 その様子たるや、只のカップルか、新婚夫婦の様で在る。
食事を食べさせ終えた順子は、午後の回診まで居て。 医師の診察にまで付き合い、医師として、親しい者として、経過観察を聞いて行く。
その後、看護師さんと一緒に身体を拭いたりとしてくれる順子は、最近の不満を口にする。 死人が出た事で、大学病院も大変な事態に成ったと。
「順子さん」
「なぁに?」
「その後。 事件の影響から大学病院でのお立場は、悪く成りませんか?」
すると、順子の表情が明らかに呆れたものに変わり。
「それ処じゃ無いわよ」
「と、仰いますと?」
「周りが自分達の面子を保つ為だけに、私を准教授に推して来てね。 地位を上げるからと、バカみたいに結婚を促すの。 理事の息子だの、自分の息子だの、挙げ句には愛人から妻に成れだなんて…」
「それは、また勝手ですね」
「ホントよっ! 独立して、開業医にでも成ろうかしら…」
手伝う看護師の女性がクスクスと笑っている。
「順子さんなら、地元のイイお医者さんに成れそうですね」
すると、ニコニコする順子。
「そぉ? これでもね、内科や産婦人科や小児科医もイけるのよ。 ま、そう成ったら1年か2年は、越智水先生の奥様の病院で研修させて頂くわ」
「あぁ、確か・・越智水先生の奥さんは、開業医でしたね」
「そう。 産婦人科と小児科のお医者さんとしては、知る人ぞ知る権威なんだから」
「なるほど。 だから忙しくて、デートも出来ないとボヤいてたのか…」
他愛ない話は、意外と時間を遣うもの。 あっという間に夕方へと変わり。 荷物を纏めた順子は、
「木葉さんの近くが、一番落ち着いてられるわ~。 この病室に、引っ越ししたい処ね。 じゃ、また来ます」
と、去って行く。
その順子の気持ちは、家に居てもしつこい誘いが在り。 他人が知らない場所に、避難したいと云うものが混じる。
この心情を理解する木葉刑事だが。
「今日は、ありがとうございます」
と、だけ。
去り行く順子を、あまり自分の身の回りに置きたく無い。 彼には、まだ諦められない事が在るからだ。
さて、その次の日。
朝っぱら、一課長と篠田班長が来る。 事情聴取と云うよりは、本当に見舞いの格好で。 捜査の事を話すべきでは無いのに、色々と話してくれた。
その二人の疲労感は、もう限界に来ていると。 話し相手に成る木葉刑事は、観て察した。 木葉刑事が怪我をしても事件は無くならず、更に悪化する様に死人が出る。 何よりも辛いのは、拘置所や刑務所で犠牲が出る事。 収監された悪党でも、間近で首無し殺人事件が起これば、次は自分の番じゃないかと落ち着きを無くし。 時に脱獄をしようとする者も現れる。 本当ならば、異常事態の時に治安維持として動く機動隊が応援で刑務所に来たりしたが。 全く犯人も解らないまま、収監された者がまた殺された。
「木葉ぁ、早く良く成ってくれよ。 犯人とニアミスしたのは、お前ぐらいだ。 何でも良い、事件を解決出来るよう、手を貸してくれ」
あの色眼鏡を掛けた円尾一課長が、ほとほと弱って頭を下げて来た。
(これは、相当に参ってるよ…)
身体が動かせない事が恨めしく。 頭を下げるしか出来なかった。
二人が去ると、曇り空から雪と成る。 冷めざめとした外の虚無感は、木葉刑事の気持ちを凍らせる。
その直後、昼前か。
木葉刑事の元に、里谷捜査員がやって来た。
二人の会話は、非常に軽いもの。 暇な里谷捜査員が、遊びに来た感じだったが…。
意外に、長く雑談をする二人。 昼の食事が来る頃を越えて、昼下がりまで里谷捜査員は居た。
会話だけでは解らないが、2人は何をしていたか…。
さて、その次の日。
まだ、雪が降る。 本日は客が来ない一日と成りそうな、とてもとても静かな病院の部屋。
黙って窓の外を見る木葉刑事は、佐貫刑事の事や、叔父の過去の事。 そして、悪霊に変異してしまった彼女の事を、深々と降る雪の中を眺め考えていた。
だが、その心の求むる先は、一点だ。 そして、あの人物が面会に来るのを待つ。
黙り、動かないまま、今日の午前に来る回診も終わり。 昼の食事も終えた。
そして、廊下を行く人の足音が一段落する頃か。
(はぁっ…)
何か、心待ちにしていた事が訪れると云うか。 背中に知らせが走る様な、不思議な感覚を受ける木葉刑事。
そして、木葉刑事の病室を前にして、紋付き袴の初老男性が見舞いにやって来た。
双方が、内と外で顔をドアの方へ動かした。
先ず、ドアに有る曇りガラスに、影を見つけた木葉刑事が。
(来てくれた)
思う。 または、痣に染まった身体でも感じた・・とも言える。
木葉刑事は、此処で奇妙な行動に出た。 全面の虚空を見上げて。
「始めます」
小さな声、呟く様な小さな声を出したのだ。 その意味は、真意は何か。
さて、その彼の病室の前では…。
(何と・・・、強き怨念の
中を視ずに何かを感じ、察して驚いた着物姿の初老男性が。
“ノックしようか”
軽く作った拳を構えたが、行為をせずに躊躇う時。
「どうぞ、中に入って下さい」
木葉刑事が部屋の中から
(む。 ん、会って、話すだけ。 話すのみだ…)
察せられてしまったと。 仕方ないと。 気持ちに整理を着けた初老男性は、開閉スイッチを押してドアを開いた。
今時に珍しく着物の姿をした年輩男性と、電動ベットに身を起こす木葉刑事が、互いに互いを視た。
やや白みが多い髪を後ろに流し、骨太ながらに締まった身体の小柄な初老男性は。
「私を呼んだ変わった刑事さんは、貴方ですか」
と、言うと。
ゆっくり部屋に入り。 入り口のドアをボタンで閉めた。
木葉刑事は、こう言って来た年輩の男性へ。
「神主さん、初めまして。 警視庁の刑事をして居ます、木葉と言います。 本来は、此方から出向くのが礼儀ですが、この通りにベッドから動く事も出来ず。 先輩の古川刑事に、ご足労を願う旨を頼みました」
一方、木葉刑事の前まで来た年輩男性は、雰囲気が少し変わっているのだが。 確かに、あの神社の神主で在り。
「私は、
軽く一礼の挨拶した後に。
「嗚呼、なんと云う事か・・。 その変色した皮膚は、怨みの瘴気に中てられたもの」
と、木葉刑事の顔や手を見て言うのだ。
「寡黙さん、突然のお話ですみません。 ですが、私はあの悪霊を成仏させてあげたい。 どうか、お知恵を頂けませんか?」
頼む木葉刑事を見て、その全体から何かを悟る寡黙神主。
「何とも、困ったお人だ。 あの、強烈なる“怨念”の所為で、“悪霊”に変わったものを、生身一つで相手にするとは・・。 悪霊は、俗に云う“祟りの思念”ともいうべき存在。 その上は、‘祟り神’と云うのに…」
こう言っては、間近に在った丸い椅子をベッドに寄せて、其処に座った寡黙神主。
その人物より視線を外し、少し俯く木葉刑事は、
「次の変貌する姿は、神?。 と云う事は、やはり怨念の柵など、当に超えてしまったのか…」
と、力無く呟く。
そんな木葉刑事を、間近にてまじまじと良く見る寡黙神主が。
「あの言伝を受けた刑事さんは、貴方が“幽霊を視える”と仰った。 ですが、貴方のその言動を窺うに、視えるだけでは無いでしょう?」
其処を隠す気が無い木葉刑事だから、素直に頷いた。
「えぇ・・、まぁ。 でも、視ただけでお解りに成られますか?」
「はい。 貴方の霊的な感受性の波長は、既に霊能力者、その特有のもの。 失礼だが、霊体と交信じみた事も、陰ながらされて居ますな?」
更に、踏み込んで言い当てられた木葉刑事は、ゆっくり頷いて。
「確かに。 これまで、事件の情報を霊から貰う事は、何回も有りました。 困るのは、幽霊からの情報は他人に知られては困る。 証拠能力が無いので、裁判に成れば余計な事を疑われますから…」
そう語る木葉刑事の顔を、椅子へ座った体勢から微動だにせず、真っ直ぐに見詰める寡黙神主。 ジッと見つめ、少しの間をそのままに成る。
「・・・。 何か?」
問い掛ける木葉刑事へ、寡黙神主は首を左右へ動かすと。
「いやいや、いけませんな」
「はぁ?」
「貴方の背中におわす、まだ若い女性が、首を振っていらっしゃる。 関わるな・・関わるな・・・と」
だが、木葉刑事は、
「刑事の性質から、事件を見知らぬ素振りをするのは、苦手でしてね。 それに、悪霊と成った女性の魂だけは、どうしても成仏させたいんですよ。 元は、無慈悲に命を奪われた、可哀想な被害者です。 もう、怨みを晴らす事に狂っている…」
覚悟を決めている木葉刑事を見て、益々困った顔をする寡黙神主。 だが、色々と疑問も在り。
「然し、どうして貴方は、私の事を頼ったのでしょうか」
問われた木葉刑事は、テレビの置かれた収納棚を見て。
「あの引き出しの一番上の、右側を開けて見て下さい」
立ち上がった寡黙神主は、その棚の前まで行くと。
「このテレビが置かれた収納棚の一番上で、右側ですな」
木葉刑事が頷く。
その様子を確かめた寡黙神主が、その淡いグリーンの引き出しを開いた。
木葉刑事は、其処で導く様に。
「色々なものが入ってますが、ビニールに入った灰が見えますか?」
「仰られているのは、これでしょうか?」
言った寡黙神主が持ち上げたのは、二重に口が閉まるビニール袋。
それを見て、また頷く木葉刑事。
「その袋に入っているのは、〔広縞〕と云う、或る事件の犯人の部屋で見つかったもの。 然も、壁に残っていた物でした。 あの広縞の部屋に、壁一面に貼られた御札と解り。 まだ、怨霊だった時に幽霊が触れ、そう成ったのだと…」
御札の四隅の残りを見る寡黙神主は、木葉刑事の説明に。
「嗚呼…。 成り立ての自縛霊ぐらいなら、この御札でも十分に防げたでしょうがね・・。 あの、‘七人ミサキ’の様な怨霊と化しては、この程度の御札などは、行く手を阻むフェンスにも成らない」
気落ちする様な・・、そんな雰囲気にて呟く寡黙神主の姿に、木葉刑事は気を惹かれる。
「それは、寡黙さん。 有名な近畿圏の悪霊の事ですよね?」
「はい」
ビニール袋を仕舞った寡黙神主は、席に戻るなり。
「良いかな、刑事さん。 実は、神と云うものはね。 元々から居る、“威霊”と呼ばれし力在る霊体が、多数の人に崇め祭られて。 その存在が、恩恵と反感のみの部分を抜き出された、力の一部なのですよ」
「では・・、その元々の姿は、悪霊などと全く変わらないと云う事ですか?」
木葉刑事の解釈に、寡黙神主は頷きを返して。
「左様。 信仰される八百万の神は、善しも、悪しも、在る。 そして、その大元を正せば、祟りを引き起こすまでに力を持った、言わば霊体と言って良い」
「では、あの悪霊も、その霊体に成ろうと云うのですか?」
「この事件の流れを考えまするに、その可能性は過分に在りますな」
「あ・・では、寡黙さん。 あの怨念は、同じ犯人に殺された被害者の遺族に、呪いを遣らせたりしたのも・・その所為なんですか?」
「如何にも、如何にも。 人々が素養で持つ霊感の強弱に全く関わらず。 悪霊が何かで他人と繋がり、被害者の家族を巻き込んだとするなら。 その実態が、既に変わりつつ有る証だったのですよ。 昔から、“七人ミサキ”だの、怨霊だの騒ぐのもその類。 天皇家に伝わる伝説も、またそうなのです」
木葉刑事は、寡黙神主の話す意味がイマイチ良く解らず。
「あの・・、もう少し、詳しく説明して頂けませんか?」
ゆっくり頷いた寡黙神主は、木葉刑事の代わりにと。 自分と木葉刑事のお茶を入れると。 自分は、湯のみ。 木葉刑事には、急須の様な物に入れて落ち着くと。
「その古来より、人と云う生き物は、自然の全てに神が宿ると考えました。 思念と云っても良いような霊体の存在を、神とか精霊として、畏れ敬い崇めてきたのですよ」
「目には見えずとも、時に感じる事が出来るモノ、そんな全てを畏敬した。 ・・こう云う訳ですね」
「はい。 実に、昔の人の良さとは、其処でした。 其処に尽きると思います。 科学などが発達する前は、人知を超えたものを恐れ、崇め、祀り。 そして、可哀想な霊体、恐ろしい霊体をも供養して、信じた。 故に、悪い霊体も、その信心の念を受けて、長い年月の中で徐々に浄化され。 それぞれが鎮まって、神や精霊と成って行った」
「つまり、それが世界中に古来から伝わる、所謂の神様ですか?」
大きく一つ頷いた寡黙神主は、潤いを求めてお茶を啜ってから。
「ですが。 人は、人知を磨くと同時に、今度は目に見えぬものを蔑ろにし始めた」
「“蔑ろ”・・ですかぁ?」
「木葉さんが、この表現に違和感を持たれるのは、当然かも知れませんな。 ですが、これは時代が新しく変わって行くから、そうかも知れませんが。 確かに、昔からパワースポットの様な感覚だったり、家族や知人の死を悼む事は為されて来ました。 然し、今では、特別な御利益で有名だったり、歴史や謂われが古く在るとされる寺や杜を訪れないと、深々と手を合わせないでしょう?」
「なるほど・・。 確かに、そうゆう意味では、我々はゲンキンに成ったのかも知れませんね。 御参りと云うか・・参詣は、御利益有りきの思考が前に在り、ですよね。 他に、供養とか鎮魂とかも、特定の人や場合や期間のみの。 所謂の、行事や個人とか、家族の事に成ってしまっている…」
「はい、其処です。 それこそ昔は、道端に在る粗末な道祖神にすら、御利益など関係無く。 感謝や畏敬を抱き、熱心に手を合わせた人が、所々にちゃんと居ました」
「そう言われると、田舎に居た頃には、そうゆう方が朝晩に見掛けられましたね」
「ん。 ですが、今ではその歴史の価値や経た年数だけを見たり、新しい事故や事件に目や耳が向く。 常に其処に在り、無名ながらも霊体が宿るモノが在るのに、無視されてしまう現代です」
「ま、価値観と云う意味では、極端に変わったかも知れません。 ですが、この東京だってまだまだいっぱい、そうゆうモノが在るじゃないですか」
「左様、仰る通りですな。 ですが、それは遺されつつも、忘れ去られて残して在るに過ぎないモノとて、多数在りましょう?」
有名な神社や寺だったり、悲しいと感じた出来事を思い返して、寡黙神主と話している自分に気付く木葉刑事は…。
「そう言われて終えば、確かに・・これからはもっと、そうなるかも知れませんね」
と、思慮に更ける。
雪の降る外を見た寡黙神主は、
「えぇ。 見えぬからも有り。 また、薬や商品の様に、効果を実感する事が出来る訳でも無い。 こうゆう時代に変わったのですから、それも仕方ないのでしょうが・・。 然し、長年に亘って、何処かの石仏や形代に落ち着き。 そして、鎮まって来た神や仏と云うべき無名の霊を、或る意味では見捨てている為に。 名も知らぬ人であろうが、人に崇められなく成った威霊は。 新たなる居場所を求め、その辺を彷徨っている事も在る・・・そんな今なのですよ」
目に見えぬ威霊を悼む様な、そんな口調でこう言った。
だが、それが何と繋がるのか、木葉刑事には解らず。
「ですが、寡黙さん。 それが、今回の事件の悪霊と、どう関わって来るのでしょうか」
木葉刑事の問い掛けに、寡黙神主はやや困った顔を見せて。
「それが、実に大有りなのですよ、木葉さん」
「と・・仰られますと?」
「それはですな。 古今東西として、似通った意味に成りますが、な。 平和な時だからこその、人を人と見ない様な殺人が多い事が、また原因の一つなのですよ」
「現代の様な・・今がですか?」
「左様。 戦の在る時代とは、この平和な時代は裏表の様でして。 戦の在る頃や不穏な時代は、誰もが何時に死ぬか解らず。 死に対する思考や意識が高まります。 詰まり、それと無く覚悟が出来上がる・・。 こう言えば近いと思います」
「では、今は?」
「今は、女性から子供まで、その気に成れば夜中まで歩ける時代。 平和で在るが故に、殺されるなど何処か他人の事の様に成ります。 然し、それ故に。 殺められた犠牲者がその死ぬ間際に、理不尽なこと故か、狂う程の怨念を持ってしまう。 匆々には起こらないとか、自分には何処か関係ない様気がするだけに。 いざ、降りかかった時の絶望感や怨念は、また違う意味で深く成る。 そんな霊魂こそが、時には近くを彷徨う威霊を呼び寄せてしまうのですよ」
「では、犯人に殺されてしまった彼女は、その‘威霊’と云うものを取り込んだのですか?」
すると、軽く考える寡黙神主が。
「ふむ。 恐らく、“同化”・・と云う方が、正しいかも知れませんな。 威霊とは、非常に強い霊体だが。 反面、その思念は無に近い。 人に崇め奉られて、凝り固まった感情と云うべき部分が、既に浄化されて居るのだから…」
「あ・・え?」
「詰まりです。 威霊とは、例えるなら水と思って良い。 そして、怨念は、だ。 紅茶やお茶の茶葉と、例えて良い。 怨みの念を取り込んだ威霊は、恨みが浄化されるまで暴れるのです」
「では、それが被害者の家族を陥れた・・と?」
「左様。 普通はね、木葉さん。 霊の持つ波長を感じる事が出来にくい者は、その辺に居る幽霊すらも視えない。 時々、感情の激しい起伏や同じ想いの同調から、偶々波長の合った人に視えたり。 また、家族などの親近者と波長が合って、幽かな一瞬だけ視えると云うだけなのです」
「それが、一般的な視え方なのですか」
「その通り。 だが、そんな中でも極一部には、私や貴方の様に、感じる波長の幅を多く持って居るとか。 見て貰いたいとやって来る霊体と、素早く同調して視える者が居る。 それぐらいなのですよ」
「では、あらゆる霊体を視る事は、不可能なんですか?」
「いや、そうゆう方も、確かに居らっしゃますよ。 ですが、自分から視ようとして、全ての霊体が見えるのは、それこそ時代でも数人しか居ない。 偶然性と天性に選ばれた、真の逸材でしょうな」
「は・はぁ」
木葉刑事が、解った様な、否な様な、中途半端な生返事をすると。
寡黙神主は、じっくりと考える様に俯き加減と成り。
「だが・・ね、木葉さん。 18の頃から神職をさせて頂く私も、この様に強力な悪霊を知るのは、初めてに近いのですが…。 その、連続した殺人犯の被害者に成るご家族には、かの怨霊が現れてから、急に視えてた」
「おそらく…」
「ふむ・・。 それは、言い換えるならば、霊体の方から視える様に、波長を自由に変えられた・・、という事でもある」
この考えには、木葉刑事も理解が行く気がして。
「・・確かに、そうですね。 その辺に居る思念の強い霊とは、質が違って居る様な…」
「はい、其処です。 其処が、普通の霊とは違う。 思い図るに。 もしかすると、其処に特徴を持つ威霊、なのかも知れませんな」
こう聴いた木葉刑事だが、その話を鵜呑みまでは出来ないと。
「そう・・でしょうか?」
「えぇ。 普通の霊は、全ての人に自分を見せるなどと云う芸当は、絶対に出来ません。 ですが、その霊体は出来た。 然も、自分の力を高める為に、呪いまでさせて・・遺族を死に至らしめている。 恐らく、共通点が有るんです。 その呪いをして死んだ方々と、その怨念の間に。 その共通点を結び付け、怨念は念願を達成した」
だが、それは広縞を殺した事で終わったと、そう感じる木葉刑事だから。
「それ、それですよ寡黙さん。 普通の怨念は、それで終わる筈でしょ?。 ですが、悪霊と変わるまで新たな獲物を狙って彷徨い、呪いを成就させつつどんどん成長している。 その目的は、一体…」
木葉の言葉に、寡黙神主はやや考えて・・。
「もしかしたら、既に目的と呼べるものが変わっている・・、のかも知れませんね」
「え?」
「木葉さん。 貴方も、それなりに霊と関わって来たのなら。 古来から人に祟る霊の話は、数多くご存知でしょう?」
「あ・・はい」
「大抵の場合は、憎い相手を憑き殺すぐらいですが。 中には、関係の無い人にまで害を及ぼす事が有ります」
「えぇ、そんな話も様々に在りますね」
そう言った木葉刑事へ、寡黙神主は落ち着いた姿勢から。
「では、それは何故だと、思われますか?」
問われた木葉刑事だが。 正直な処、霊は見えるが、その手の事に精通している訳でも無かったので。
「あ・・・いやぁ。 そんな原理なんて・・」
すると、寡黙神主は、お茶をまた啜ってから。
「原理・・と、申し上げましたが。 実質上は、もっと単純な事ですよ」
と、またお茶を飲む。
「“単純”・・なんですか?」
「はい、そうです。 問題なのは、憎しみや怨みの方向性です」
「‘方向性’・・ですか」
「えぇ。 もっと簡単に言ってしまえば、個人を憎むか。 もしくは、全てを憎むか・・、でしょうか」
怨む対象が、随分と対照的だとは思うが。 鵲参事官との話の中で、その可能性の臭いを嗅いだ木葉刑事。
「そんな事が、可能に成るんですか?」
と、聴く気を改に問い返す。
すると、寡黙神主の声も、心なしか重くなり。
「そうです。 個人を怨んだ霊は、当然に恨みが晴れると、貴方も言った通りに消える。 思念の強さが弱まり、見えなくなるのです」
「なるほど」
「ですが、後者はとても、とても厄介です。 何人もの人に取り憑き。 そして殺しては、憎しみの部分と同化する怨念は、憎み怨む相手が漠然としても存続し続ける、“怨霊”や‘悪霊’に変わる」
「それが、‘怨霊’や‘悪霊’の姿ですか」
「左様。 霊の意識が、生きる人などの全てを呪っている。 ですから最終的には、自分をどうこうした憎い相手が死のうが、関係が無くなってしまう」
「何て、横暴な…」
「いやいや・・、その後に起こる事態は、もっと悪いですぞ。 狙う相手が消えた御蔭で、新たに繋がりを持てる全ての人に、この霊体は祟る事が出来るのですからな」
漠然としながらも、それは恐ろしい話だった。 背中に悪寒を覚える木葉。
「“繋がりを持てる”とは・・、どうゆう意味なんですか?」
「ん~、そうですな」
考える寡黙神主は、顔を戻し。
「‘繋がり’は、とても簡単な事でもいいのです。 例えば、私が霊体として、貴方に聞くとする」
“死にたいか?”
「と、云う事にしましょうか」
既に死にかけた木葉刑事なだけに、ちょっと顔を困惑させて。
「なんだか、怖い・・質問ですね」
この意見に対して、一つ頷いた寡黙神主。
「本当に、文句は何でもいいのですよ。 目的に添った内容で有れば。 そして、その返事が…」
“イエス”
「ならば、貴方を殺せるのです。 そして、返事が…」
“ノー”
「ならば、殺害は無理です。 つまりは、何でも良い。 目的を達成すべく、契約を交わせる様な、思念的やりとりが出来れば…」
今時、こんな簡単な契約の交わし方、詐欺師でも使わないと思う木葉刑事。
「本当に、そんな簡単でいいのですか?」
「恐らくは…。 但し問題は、今の話に例えた程に、お互いにフェアなやりとりでは無いかも知れない」
「まさか…、一方的でも構わない?」
既にそれは経験済みと、木葉刑事は確かめる様に、問う。
「その可能性も、無くは無い」
「やっぱり…」
だが、寡黙神主は、こうも言う。
「然し、木葉さん、良く考えてみなさい。 “死にたい”だなんて言葉は、今の御時世に於いて、テレビや本は勿論。 最も普及するネットの中でも、平気で出て来ます」
「ま、そうですね」
「ですから。 霊体が意識を伝えられる事に、もしそれらが繋がったら。 被害者は、幾らでも出てしまうんです」
「なるほど…。 でも、繋がりに特化した力が在るならば、いずれ…」
木葉は、あの悪霊がそんな風になったらと、考えるのも怖い。
お茶を飲みきった寡黙神主は、木葉刑事の危惧や想像を読んでか。
「だが、そうなったならば、事は全て世間に明るみに成っているでしょう。 今、まだそうゆう事実が無いのなら、彷徨う怨霊・悪霊に成ったその霊との交信も。 今、例えにした然程には、簡単な物では無いのだと思います」
「・・・」
黙った木葉刑事だが。 何よりも聴きたい事が在るのを思い出し。
「それでは、寡黙さん。 単刀直入にお聴きします。 あの悪霊を成仏させるには、どうすればいいんですか? もっと犠牲を重ねて、崇め祀れとでは困ります。 この、自分の命と引き換えにしても、成仏させたいんです」
いきなり、ド直球で難しい事を尋ねられ。
「そう・・言われましても…」
困った寡黙神主だった。 そんな簡単な事では無いと、答えを探す。
だが、言った木葉刑事の眼は、もう刺し違える覚悟が滲んでいた。 この身体を見れば、悪霊と触れ合ったのだろうと、寡黙神主には直ぐ解る。 そんな危険を冒したのは、捕まえる為だとも見えるが…。
「木葉さん、まぁ落ち着きなさい。 また立ち向かうならば、今度は本当に死んでしまいますよ」
と、言った。
在り来たりな事を言ったのは、考える時間が欲しかったからだ。
然し、既にその覚悟が有り。 また、自分の為に犠牲を払い、生き恥じを晒している木葉刑事だからか。
目を鋭くして前を見る木葉刑事は、
「元より、その覚悟でしたよ。 ですが、協力者と二人掛かりで悪霊に触れ、怨みの力を解放しようとしても。 全くっ、力が及ばなかった…」
話で様相を想像する事が出来た寡黙神主には、それは自殺行為に等しいと思いつつ。
「失礼ですが、もう一人の方は?」
問われた木葉刑事だが、佐貫刑事の最後の事を思い出せずに。
「二人、触れたままでは事切れると、向こうは悟ったみたいです。 視る事が出来る自分を、悪霊から剥がし。 身代わりの様に・・、バラバラとなりました」
“バラバラに成った”
と、寡黙神主は聴いて。
(あ!)
或るニュースが、パッと思い浮かんだ。
「嗚呼・・・、嗚呼。 昨年の年末中頃に、何処かの大学病院で起こった。 刑事さんと犯人との格闘とは…」
木葉刑事は、黙って頷いた。
「そうでしたか・・そうでしたか」
俯いた木葉刑事は、眼が覚める時の事だけは鮮明に覚えていた。
「亡くなった協力者の佐貫さんは、自分の身代わりなんかする為に、仕事に就いた訳では無かった。 でも、自分と一緒に居て、色々と知り過ぎてしまったから・・。 寡黙さん、これ以上の犠牲者は、少なく済ませたいんです」
荒げない物言いだが、自分の本音を込めた木葉刑事。
寡黙神主も、その木葉刑事の想いが、様子からだけでも見て取れるだけに。
「木葉さん。 その助かった命を、また捨てる気なのですか。 所詮は、人を呪った本人が悪い。 何も…」
木葉刑事の凝り固まった考えを、寡黙神主も柔らかくしたく為った。
然し、言い掛けた寡黙神主に。 とても強く激しい気持ちを込め、木葉刑事が眼を剥いた。
「寡黙さんっ。 既に事態は、そんな責任問題とかっ、善悪の判断で語れる処には無いんですよっ」
「木葉さん。 どうして・・そう言い切れるのですか?」
すると、今までに溜まった何かを、此処で吐き出すかの様に。 大声は上げないが、語り出す木葉刑事。
「女性ばかりを狙う殺人鬼だった広縞は、殺されて致し方ないにしても。 呪った御家族は、広縞の逮捕を心待ちにしていた・・、もう一人の被害者でしたっ」
その話からして木葉刑事が、連続強姦殺人事件の捜査に加わっていたと。 そう感じる寡黙神主。
「貴方も、その捜査を為さってたのですか?」
「えぇ、そうですよ・・。 広縞に因って、惨い仕打ちの上に殺害された、あの被害者の彼女なのにっ。 怨念から幽霊となり、遺族を巻き込んでまで怨霊へと変わり、広縞を殺した…」
「・・・」
黙って聴く寡黙神主は直ぐに、
“木葉刑事の中には、何か。 悪霊と成った女性に対して、特別な感情が在るのではないか”
と、すら思った。
だが、掻い摘んで話す木葉刑事の声を聴く内に。
‘違う’
と、思い直す。
事件を捜査する上で、その被害者から遺族に至るまでを知り。 彼の中に湧いた同情と刑事としての信念が、深く霊への哀れさを抱き。 何とかして助けるべく、寄り添おうとしていると、感じて来る。
(幽霊が来る訳だ・・。 本人すら自覚して居ないかも知れないが。 この若さで、不思議な慈しみを持っている)
と、察した。
その目の前で語る木葉刑事は、怨念が遂に悪霊に変わりながら、新たな行動に出た事が悲しいとすら言った。
そして…。
「寡黙さん、自分はね。 広縞の死から2ヶ月経ち。 何も起こらなかった間が、途轍もなく不安で在るの同時に。 このまま、このまま・・何事も無くと、願ってましたよ」
「その最中に、新たな姿へと変貌したのですね?」
こう聴かれ、悔しそうに俯いた木葉刑事。
「突然に、首無し・バラバラ殺人が始まりました」
と、言う木葉刑事だが。
次の瞬間、苦しそうにしながらも、寡黙神主へと身を乗り出し掛ける彼で在り。
「で、ですが、ね、寡黙さんっ。 最初の、一人目の被害者は、呪いの儀式もして居ない・・。 何処にでも居る、只の会社員の女性だったんですっ」
そう聴いた寡黙神主の眼は、変化の兆しを見て細まる。
「それは・・本当に?」
「えぇ・・。 病気で入院する父親に、早く晴れ姿を見せたいと願い。 その焦りを突かれ、結婚詐欺師に騙された。 多額の大切な金を持ち逃げされた、あの状況ならっ。 誰だって・・誰だって怨みの言葉ぐらい思うのも、当然でしょう? なのに・・、それだけであの悪霊がっ、彼女の憎しみに反応したんです!」
こう聴いた寡黙神主は、眼を広げて木葉刑事を見つめては。
「本当に・・そんな事で、‘繋がり’が出来てしまったのですか?」
「はい、そうです。 それからは、ニュースでやっていた通りです。 次の繋がりは、イジメを受けていた少年が、相手に呪いの儀式をしている最中に反応したと思われ。 その次は、大学病院で起こった事件。 然し、周りの話を総合するに、個人的に腹立たしいと恨んだそれだけで、あの悪霊が反応したと思われます」
その、呪われる‘繋がり’に至る経緯が、既に無差別に近いと知る寡黙神主。
「厳密な法則は、ハッキリしていませんが。 ‘激しい憎しみ’を持っただけで、‘繋がり’を持てる訳ですね。 ・・ふむ。 それは、もう‘悪霊’の域ですな・・。 然も、怨霊から変化する期間も短く、急成長していると云って良い。 いけない、このままでは何れ近い内に、‘祟り神’に変わりますな」
腕組みをして、断言した寡黙神主。
怪我するまで、この事件にずっと関わって来た木葉刑事。 もう、その変化までの時間すら、余り無いと感じていて。
「寡黙さん、教えて下さい。 ‘祟り神’と云う処まで行くと、どうなるんですか?」
「はぁ…」
俯き返事をした寡黙神主だが。 悩む様に、被りを振りつつ。
「恐ろしや、恐ろしや・・。 ‘祟り神’とは、怪談話に出る幽霊より、更に強力なもの。 また、悪霊までの様な霊体単体として、誰かを呪うのでは無く。 その土地に蟠り、悪運や狂気を振り撒くのです。 予想される悪夢が、時として天変地異として降り罹る」
「てっ‘天変地異’・・って、ま・まさかそんな…」
だが、持ち上がる寡黙神主の顔は、実に真剣そのもの。
「木葉さん。 ‘祟り神’は、本当に恐ろしいのですよ。 あの今の悪霊には、まだ出来ない事が。 ‘祟り神’には、簡単に出来てしまう」
「そんなに、強力な力が有るんですか? だっだけど、天変地異とかなんて、普通じゃ…」
「いや、嘘では有りませんよ。 悪霊が祟り神に変わる時は、その地に蟠る怨みの念が一点に集まる。 そして、必ず何処かの地が呪われる」
「な・・何て事だ。 寡黙さん、一体どうすれば?」
木葉刑事に問われる寡黙神主の顔は、難解な問題を前にした様に厳しい。
「だが、これまでに‘祟り神’を鎮めた者は、限りなく少ない。 然し、確かに今の内に、何等かの手を打たなければ成らない様だ…」
絶望に近い雰囲気を見せる寡黙神主に、木葉刑事は縋る様に。
「寡黙さん。 どうすれば良いのでしょうか? 何か・・、何か方法を教えて頂きたい」
問われた寡黙神主は、今度は自分から木葉刑事を鋭く見返すと。
「先ず、その霊体を追うならば、貴方が適任者でしょうな。 それでは木葉さん、この際だから聴きますが」
「はい」
「貴方は、悪霊の居る場所に行くと。 ある程度の範囲で、その居場所が解るのでは在りませんか?」
「あ、それは、大体で解りますよ。 どうやら、感覚が鋭く成っているみたいなんで」
すると、頭を左右に振る寡黙神主。
「それは、全く違いますぞ」
「ち・‘違う’?」
「そうです。 貴方の感覚が、鋭く成っているのではない。 貴方が、怨念と常に接して来た事で、貴方と怨念の彼女とは、不思議な繋がりが生まれいるのです。 ですから、悪霊と化したあの霊体の行動が、繋がりから感じる事が出来る」
「そう・・なんですか?」
「左様。 貴方の、その身体に出来た痣の様なその変色は、呪いの力で受けた‘障’《さわり》の証。 普通、其処まで変色したならば、再生など不可能だ。 だが、貴方が回復をするのは、何かが助けている。 もしかすると、何故かは解りませんがね。 貴方にだけは、悪霊も手加減したのかも知れませんな」
寡黙神主の言葉に、唖然とする木葉刑事。 亡くなった佐貫刑事の事を思えば、そんな訳が無いと、否定が心に噴き出す訳で。
「・・・て、手加減・・って。 一緒に手伝った佐貫さんは、バラバラに成ったんですよ? 有り得ない、そんな事は有り得ないっ!」
こう否定した木葉刑事だが。
彼を窺い観る寡黙神主は、更にこう聴く。
「では、お訊ねしますが。 悪霊に触れたのは、お亡くなり成った刑事さんが、先ですか?」
「そんな、まさかっ。 先に触れた自分の覚悟を知った佐貫さんが、後からですよ」
すると、納得の頷きを見せた寡黙神主。
「木葉さん。 ならば、やはり手加減された様だ」
「え? あ、いや・・そんな事はない・・。 うそ、嘘だっ」
信じられないと、木葉刑事は云うが。
「いやいや、木葉さん。 失礼だが、勘違いを為されては困りますよ」
「何をですかっ?」
「良いですかな。 ‘霊体が視える’、と云う事はです。 裏を返すと、それだけ霊からの影響も受けやすい、と、こう云う事です。 それだけの霊感が備わっているのなら。 先に触れた貴方が確実に、亡くなった方と同じ事に成っていた筈ですよ」
「そんな・・、まさかそんな…」
予想もしない話に、木葉刑事が強く混乱する。 眼が泳ぎ、動揺が顔に溢れ出た。
そんな木葉刑事を、傍から見る寡黙神主は、
「木葉さん。 今日、貴方とは初めて会う形に成りましたが。 お話しを窺うに、酷くその霊体に同情している様だが。 悪霊に触れていた時、何かを見たり、感じませんでしたか?」
「それは・・、嘆きが聞こえてました。 煙りの様に立ち込める黒い力の中、深い深い奥から・・・、あ」
俯いて思い出す姿から、急に顔を上げた木葉刑事。
「そうだ・・夢の中で、佐貫さんは言った。 ‘どうしようも無い悲しみ’と…」
「それは、悪霊の中に居る魂の叫びですな?」
然し、木葉刑事は、何故か虚空を見詰める様に成り。
「はい。 ですが、自分には・・何か別の声も届いていた様な…」
「それは、どんな声ですか?」
その重要な部分を導こうとする寡黙神主。
一方、記憶の彼方へと消えたその言葉を、思い出そうとする木葉刑事。
怪我した時の事は、いまいち思い出せなかった木葉刑事なのに。 一緒に立ち向かって、亡くなった佐貫刑事の事を想い。
そして、亡くなった遺族や、知り合った関係者を想い。
その後には、二度も触れた悪霊の女性の事を想う。
そうする内に、悪霊の彼女に触れた時の記憶が、鮮明に脳裏へと蘇って来て。 悪霊の中から、嘆く無数の声が溢れていたと思い出した。
そして、その直後。
深い深海の底とも云える、頭の中の意識の奥底の方から、或る言葉がフワ~っと。 鮮明に聴いた事の様に、呼び起こされた瞬間。
「・・・‘助けて’」
無意識に口を出た様な、その言葉と共に。 木葉刑事と寡黙神主が、自然と見合っていた。
そして、木葉刑事を見据える寡黙神主から。
「木葉さん。 やはり、貴方と霊体の女性との間には、絆にも似た繋がりが御在りの様だ」
「・・自分の中に?」
「左様。 今の貴方ならば、御自分から霊体を捜せるでしょう」
すると、まともに動かない己の身体を見る木葉刑事。
「然し、今の自分では…」
「では、先ずはその‘呪詛’が暗闇の力と変わった、‘怨念’の根元に触れた身体を、元に戻さねば成りませんな」
処が、立つ事は疎か、寝返りも出来ない身体だ。 木葉刑事は、無力に俯き。
「回復までには、長く掛かりますよ」
すると此処で、寡黙神主が懐から何かを取り出した。
「これは、私が清めた御札です。 寝る前に、これを密かに巻くと宜しい」
その幅は、市販される御札だが。 縦の長さが一メートル程の、長い御札の束が差し出された。 その表面には、筆の文字にて細かな文字に囲まれた中に、大きく文字が書き込まれている。
「寡黙さん。 これは、神道の言葉ですね」
「左様。 囲む言葉は、‘祓い詞’。 真ん中のは、‘呪詛封じ’の文字です」
「なるほど」
流石に、祖父は宮司の修行を修め。 また、神主として代々生きる家に生まれた木葉刑事だ。 難しい字体や古い文章で書かれたその祝詞を、直ぐに理解した。
寡黙神主は立ち上がって、その御札を一枚取ると。
「先ずは、じれったいでしょうが。 一人で巻く事も考慮して、利き腕からしましょう。 全身を包んでしまうと、一気に‘怨念’の力が抜けて。 その身に宿る生気が駆け巡る代わりに、気を持てない程に衰弱し、昏睡状態まで落ち込みますから。 長い目で考えますに、返って回復が遅れてしまう」
左腕へ巻いて貰う木葉刑事は、
「“段階を踏め”、と云うのですね」
と、確かめるべく聞き返す。
「はい。 もし、昏睡まで陥ってしまっては、目覚めるまでひと月以上を必要とするかも知れませんぞ」
「部分的に段階を踏めば、半月ほどでしょうか」
「さぁ、どうでしょうか。 それは、今の全身に及ぶ障りの程度と。 木葉さん、貴方の現状の生命力に因りますな」
指すらまだ思うように柔らかく動かせない木葉刑事だから、確かに未知の事と思い。
「直ぐに回復ってのは、やっぱり無理ですよね」
「左様です」
肯定した寡黙神主は、更に。
「それから、御札を巻く場所も考慮なさい」
「‘巻く場所’・・ですか?」
左手が自由に成ったら、適当に足から巻いて行こうと考えた彼だが。
寡黙神主は、自身で巻いた左腕を見て。
「貴方の身体に於いて、最も瘴気の障りを受けているのは、左腕から胸部に掛けてと見受けます。 ですから、左腕、右腕、胸部、腹部と、少しずつ下に巻いて行くのが良い」
早く歩ける様に成りたい木葉刑事は、
「足は、後回しですか?」
と、足を見る。
木葉刑事の逸る気持ちを、その話から察した寡黙神主。
「それは、絶対にいけません」
「どうして・・」
「瘴気は、強く障った場所から、身体の四方へ侵蝕します。 最も、強く障る場所から吸い出して行かなければ、悪戯に瘴気を引き伸ばす結果となり。 何度も同じ場所を吸い出す事に成れば、部分的に障害すら残ります」
「え゛っ?」
驚く木葉刑事に、寡黙神主は念を押す様に。
「焦っては、直ぐに追えませんぞ。 それから、時間が無いにしても、上半身が終わったならば。 1日・・、いや。 2日程は、吸い出すのをお止めなさい」
「それは・・ど、どうしてですか?」
「部分的に瘴気を吸い出すにしても。 その瘴気が抜けた後には、急速な‘回復’と云う作業が、身体に待ち受ける。 今、健康な時に比べるならば、僅かな活動で肉体を生かして居ますが。 回復すると為ったら為ったで、酷い疲労感を伴って肉体が再生する」
「何だか、マンガの話みたいッスね」
普段の口調が零れ出た木葉刑事だが。
寡黙神主は、先を見越しているらしく。
「甘く考えては、決していけませんぞ。 回復する為に肉体が負う疲労感は、全く運動をして無い者がいきなりフルマラソンを走る以上。 おそらく、毎日が生き地獄に変わる」
脅しでは無いと、真剣な眼差しにて言う寡黙神主。
木葉刑事は、己の言う我が儘の代償と捉え。
「なるほど…。 無理をさせるのだから、・・・なるほど」
寡黙神主は、木葉刑事が漸く理解したと見て。
「上半身が終わったならば、必ず肉体の為に休息を。 それから、明日からは病院の食事などでは、栄養が足らなくなると思いなさい。 血、筋肉、神経が回復する傍ら、身体が食事を欲する」
「そんなに・・ですか?」
間違いないと、体現する様に頷いた寡黙神主。
少し、俯いて考えた木葉刑事だが。 顔を上げると。
「では、退院する事が出来たならば、自分から寡黙さんの元へ伺います」
巻き終えてから、残りの御札をベッドの下に挟む寡黙神主。
「はい、承知致しました。 それでは私も、鎮める為の手段を模索して、準備をしておきましょう。 但し、再度の繰り返しますが。 部分的に瘴気を抜こうとしても、最低で10日は楽に掛かります。 確実に、あの悪霊を追って行ける様に、無理せず回復に努めて頂きたい」
今度は、しっかり頷いた木葉刑事。 これ以上の犠牲は、出したくは無いし。 佐貫刑事の犠牲も、無駄にはしたく無かった。
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