第一部、理で開かれる呪の連鎖 第2章:侵蝕
【獲物を求める飢えた魂、新たなる領域へ】
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[引き続きまして、病院での重要参考人バラバラ事件の続報です。
○○大学病院に入院して居りました、三鷹の首無し変死事件の関係者と思われた女性が。 病院に侵入した何者かに因り、バラバラにされた事件ですが…。
本日の夕方。 その亡くなった女性の父親が、心不全で亡くなりました。
これについて、警視庁前から中継が繋がってます]
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其処は、何処かの真っ暗闇な部屋の中で。 唯一の光源とも言えるTVからは、夜10時台のニュースが流れている。
規格のサイズが50インチは超えそうな大型テレビ。 それが置かれた壁側のテレビラックの真ん中には、DVD機器を入れられる戸棚を備えるが。 当然、テレビに似合う性能の良い新型のDVDレコーダーが収まっていた。
テレビの光で見えるが、テレビラックの左右に伸びる組み立て型の大きな棚には、本からディスクからと用途自由に使える上、相当な量を仕舞える容量の物で。 その収納棚には、様々な本だのDVDだの、ぎっしりと集められた物が仕舞って在った。
「クソっ」
その近くで、小さな声でこう呟いた者が居る。
立派なテレビに収納棚を前にするのは、床に座って毛布を被って座る何者か、だ。
“明かりぐらい点けたら良いものを”
と、思ってしまいたくなる様子だが…。
柄物の毛布から覗けるのは、オーソドックスと云うべきか、今時にしてはデザイン性が乏しい黒縁の眼鏡。 そして、その奥の瞳に宿るのは、怒りの情と思われる光。 何故か、体育座りをして、膝の上に置いた腕に顔を乗せるその人物は、恐らくは男性らしく。 然も、見える服装や様子からして、まだ若い雰囲気が在る。
今の様子を見るに彼は、心身共に不健康そうな人物だが。 部屋を見回せば、それ以上に不気味さを感じてしまう。
先ず、ベランダに出る大窓に目を遣れば。 黒く見える暗幕が掛かり、星を象った六亡星だけが描かれている。 占い師や霊媒師などが遣うインテリア物だろうが、部屋にこんな物を飾るのはかなり物好きとしか思えない。
だが、余裕に八畳を超える部屋の広い床を見れば。 赤いカーペットが敷かれ、その表面には読むに難しい呪文か、経文の様な文字が書かれた白い紙が所狭しと落ちて散らばっていた。
更に、横窓を見れば。 窓前の棚には、奇妙な形をした様々な人形が在る。 泥人形・・紙人形・・野菜や肉で作った人形まで在る。 泥人形には、髪の毛の様なものが埋めて在り。 紙人形には、‘禁’と書かれた心臓を模した場所が在り。 生物“なまもの”で作られた人形には、カビの生えた黒い液体が掛かっていて。 既に、食べられない程に干からびつつ在った。
さて、こんな怪しい部屋だ。 最後に、もう一度、収納棚を見れば。 仕舞われた本のタイトルの下に髑髏の書かれた魔術の本。 日本の神道や陰陽道などで相手を呪う術の内容の本。 昔話から、民俗性の強い本が沢山在り。 DVDなどには、ホラーものから、寺や神社、世界の宗教の祭事や儀式を映像にしたものが並んでいた。
こんな部屋に居る彼は、一体何をしているのか。
彼の目の前の床、部屋の中央を上から見れば。 床に散らばった紙の文字が、幾重にも書かれた魔法陣の様で在り。 その陣の中心には、今時に珍しい藁で出来た人形が厚めの枕の上に在る。
‘沢村’
と、名前の書かれた紙が顔に貼られ。 片手で握れる人形の全身には、‘呪い’と書かれた紙がいっぱい巻かれていた。 まるで、呪いの服を着ているかの様で在る。
今、壁掛けの時計は深夜1時を差して、テレビの番組が深夜番組に変わる頃。
徐に、毛布から抜け出た若者が、藁人形に覆い被った。 ヒョロヒョロとした体格の若者は、長い釘に木槌を持っていて。 その枕の上に置かれた藁人形へ、静かな動作で釘を打ち込み始めた。
(沢村っ! 死ねっ、死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!)
釘や木の金槌は布を遣って巻かれ、打っても出る音は少ないが。 カチ、カチと一撃一撃に念を込める彼の顔は、鬼気迫る不気味さに染まる。
(畠山もっ、嶋津もっ、死ねっ! 死ねぇっ!!)
木の金槌を打つ度に怨みを込めた若者に、この呪いの仕様などはどうでも良かった。 ただ、この身に溢れ狂う怒りと憎しみが相手へ届く事を願えるなら、何でも…。
そう、それで良かった筈なのに…。
若者も気付かない内に、深夜番組を映すテレビにノイズが走る。
(チクショッ! 何時も、何時もっ、何時も何時も何時も何時も何時も何時も何時もっ!!!!! 俺をバカにしやがってぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!!)
どんどん釘を殴る様子が荒々しく成り。 そして、人形の身体を貫いた釘に、木槌を思い切って振り上げた若者だったが。
“にく・・し・や・・・”
狙いを定めて見開いた若者の眼が、人形から視点を外して横を見た。
(誰だ?)
頭の中で、そう思うと・・。
“にくらしや・・にく・ら・しやぁ……。 おまえ・・のに・いあいて・・は、どこに・・・る。 のろい・・ころ・してし・・・か”
若者の頭の中に、こんな声が響いた。
(わっ)
不気味な声の出所を探る為、部屋を見回す若者だが…。
「い・・ない?」
殴る気持ちの勢いを殺がれた若者は、ノイズで乱れたテレビの映像が元に戻るのを見た。
(ハァ、幻聴かな? 疲れた………今日は・・・寝るか)
もぞもぞと動く若者は、辺りを何度も見ながら毛布を持ち上げ。 乱れた布団の中に、逃げ込む様に向かった。
どうやら、この若者も。 呪いへ身を染める事の扉を開いてしまったらしい。
さて、それから日が過ぎた…。
木葉刑事が入院してから、9日目。
「いや~、若い分だけ回復も早い。 骨の癒着は、始まってますな。 もう少し経てば、通院も可能ですよ」
年輩の肥えた医師は、木葉刑事に言う。
入院患者の着る衣服の袖に、そっと気を付け左腕を通す木葉刑事だが。 顰める顔からも窺えるが、かなり痛いらしい。
「処で、先生。 この左手は、どうですか?」
カルテに何かを書き込んでいる肥えた年輩の医師は。
「その痛みが、回復の証拠。 回復が駄目なら、腕や手に痛みが繋がらないから…」
「あ・・なるほど」
だが、次に医師は、木葉刑事を見て。
「でも、完全に元へ戻るとは、限らないよ。 こんな怪我、私も初めて診るからね」
まだ、浮腫んで変色した腕を気遣い、立ち上がる木葉刑事。
「お大事に。 身体を張った刑事さん」
頭を下げて廊下に出た後、トボトボと病室に戻る木葉刑事。
(佐貫さんが言ったが、黒い稲妻が迸った様だった・・と。 溜まる憎しみの念が、あの悪霊を作ってるみたいだ。 彼女に触れた瞬間、生者を拒む様な思念が、力と一緒に感じられた)
こう毎日、あの悪霊の事を考えている。
一つ結論が出ているのは、確実に新たな獲物を求めると云う事。 あの二人だけを殺して、終わる理由が見当たらない。 何より、広縞とは何の関係も無い人が関わりを持った事が、既に新たなる災難の始まりを告げていた。
考えるままに彼が病室に戻ると。
「よぉ」
佐貫刑事が来ていた。
「佐貫さん。 毎日、有り難とうございます」
「お前を暴走させるなって、上から命令を受けてるし。 お前の病室に来れば、差し入れを物色デキる。 所轄の古川も、来たみたいだな」
「えぇ。 自分とフルさんは、腐れ縁が在りますから」
「そうか」
と、果物の盛り合わせを物色する佐貫刑事だが。
ベッドに戻る木葉刑事へ、背を見せた体勢から佐貫刑事が。
「処で、お前の腕と背中は、どうなんだ?」
「順調には、回復してるらしいッスよ」
「ほぉ~、それは良かったな」
ベッドの袂に来た木葉刑事は、まだ変色した腕を見ては。
「でも、この腕は・・完治するかどうか判らないと」
木葉刑事の話に、まだ痣の塊と云って良い彼の左腕を脇目にチラッと見た佐貫刑事で。
「そうなると・・。 その程度で済んだのが、逆にラッキーだったのかもな」
「かも・・知れません」
すると佐貫刑事は、贈り物の果物を他の大きな籠の物まで物色し出しながら。
「お前、刑事課に居られなく成っても、サツカンは辞めるなよ。 叔父さんの二の舞じゃ、頭が悪過ぎるぞ」
ベッドに座り掛けた木葉刑事だが、
「佐貫さんは、其処まで知ってるんですか? 叔父の死は、表向きに危険な薬品を過って使った事故死扱いなのに……」
「フンっ、色々と、な。 刑事も長いと、色んな情報の伝わる配線を持つ」
座る木葉刑事へ、バナナを取る佐貫刑事が。
「半分は、仕事の為。 半分は、テメェの安全の為よ」
と、木葉刑事に一本を投げると、更に。
「凄いな、これ。 一本で何百円の高級品だぞ」
高がバナナと思っていたのに、値段を聴いた木葉刑事は、目を丸くして。
「さっ、佐貫さん。 メロンと桃は、食べずに残して下さいよ。 それ、越智水先生って云うお医者さんで、ブルジョアな方からの差し入れ何ですから」
一際に高い果物の盛り合わせが入った、籐籠のバスケットに書かれた店のロゴマーク。 それを見る佐貫刑事は、軽く笑って。
「六本木‘漫挽屋’の果物盛り合わせたぁ~な。 確かに、ブルジョアにしか買えねぇ~や」
「それぐらいだと、一盛り合わせ5000円ぐらいしますよね」
軽く高めに見積もって言った木葉刑事だが…。
俄に、眉にシワを寄せた佐貫刑事が彼を見返し。
「なぁ~にをトンチンカンな事を言ってやがるっ、この若造!」
「はぁ?」
呆けた木葉刑事へ、手提げ付きバスケット毎持ち上げた佐貫刑事が。
「あの店で、この大きさなら5000円じゃなく。 50000円は楽に超える代物だっ」
「え゛っ!」
目を丸くした木葉刑事は、慌てふためいて指を指し。
「さっ佐貫さんっ、桃とリンゴとメロンはっ」
「この病人っ! 一個ダメな奴が増えてるぞっ」
「だって、ごっ、50000円でしょっ?!」
葡萄好きの佐貫刑事の強権発動により、最高級マスカットは諦めた木葉刑事だが。 最高級の桃とメロンだけは、治り始めた右手で奪った。 左腕が使えていたら・・・と、入院から一番に悔やまれた。
木葉刑事に毎日の経過情報となる捜査内容を話す佐貫刑事。 あの病院で殺害された女性患者の件を含め、捜査は完全に暗礁へと乗り上げたと。 ま、幽霊が犯す殺人を、誰が捜査する事が出来るか。 ただ、木葉刑事ほどでは無いにしても、霊感の鋭い者は何人か居て。 気味悪がる刑事もちょいちょい居ると語る。
そして、これは鵲参事官が握る情報だが。 結婚詐欺師の被害者、病院で殺害された女性患者には、あの幽霊と成った女性の指紋が体表に付着していて。 その指紋データは、全て鵲参事官の預かる特別な部署に管理されており。 誰彼と閲覧が出来ない事に成っているとか。
「全く、雲を掴む様な捜査が過去にも有ったが、それが秘密の部署で扱われるとは、な。 俺も、今回で初めて知ったよ」
こうボヤく佐貫刑事。
然し、バナナを片手に考え込む木葉刑事て。
(誰か、別の人も調べているのかな。 俺や、叔父さんの様な人が…)
と、思案に堕ちていた。
*
さて、その夜の事。
道路をひっきりなしに通る車のライトが、クルクルと回るネオンの様に巡る場所が在る。
既に、外観も、内装も取り除かれ。 コンクリートの建物枠だけと成った。 改装中か、取り壊し中の工事現場にて。
外側に貼られた半透明のシートをくぐり抜け、二人の人間が工事現場と成る廃ビルに入って来る。
「ハタ。 もう終電もネェぞ」
「最初の店で酒を買えずに、他店を回ったからだ、シマ」
暗い中で言い合う二人の声は明らかに若く。 青年と言って良いものだ。
深夜に差し掛かる今。 工事現場の入り口には、‘注意’を促すポールライトが在るが。 このシートを潜った中は、暗がりとなり。 車のライトが差し込む時のみ、中がぼんやり窺える。
二人の若者が、ビルの三階まで上がって。 無機質で、だだっ広く成った場所に入って来た。 近くの通りに在る街灯の明かりがシートを弱々しく貫き。 二人が入って来た当たりを薄ら照らすが、明らかに暗がりと言った方が良い。 そして、時折にクルマのライトが届く、壊された壁際と成る場所は、何かの為に使うのか。 折り畳み梯子が二つ壁際に立てて在った。
漸くこの時、或る角度より差し込んだクルマのライトに因って照らされた二人は、ブレザーの学生服に柄物のハーフジャンパーを羽織る学生の男子二人だった。
‘ハタ’と、相手を呼んだ若者は、鼻と耳にピアスを付けた黒髪の長髪をした姿の男性で。
‘シマ’と、相手を呼んだのは、赤毛に染めた髪を後ろに流す骨張った顔の色黒男性で在る。
二人は、その立てられたままの脚立を近寄せ、アルコール類の入った袋を持って足場二段目に座る。 3階まで上がれば、街灯の明かりがシートからでも少し明るくなる。 視界は、シート側に向く限り悪い訳ではなかった。
黒髪の‘シマ’は、スマホに灯りを付けてコンクリートの床に置き。 瓶のアルコール類の蓋を開けると。
「なぁ、最近の沢村さんサ、何かヤバくないか? あっちこっちのグループの頭と、何かの取引をしてるってぞ」
すると、‘ハタ’と呼ばれた赤毛の若者も、ツマミ代わりのお菓子の袋を取り出しつつ。
「あぁ、それってマジマジ。 噂に因ると、なんか普通じゃない脱法ハーブを売ってるらしいぜ。 然も、ウチの学園のオンナには手を出さない代わりに、ヤク中のオンナとかをアダルト動画のカモにしてるってサ」
「ソレ、かなりヤバくないか?」
「ヤバいなんてモンじゃネェよ。 先月に俺たちが抱いたあのネーチャン、それの為かも知れねぇぞ」
「え"ーっ、バレたらサツにパクられるじゃんか」
「多分な、パクられるならガッコ出た後にして欲しいゼ。 流石に、卒業前でパクられたら親が俺を見捨てる」
「俺もだぁ。 話が美味すぎるって思ったけど、そんな裏かよ」
アルコールを呑む二人は、女性を強姦した様な事を言っているが。 その様子からしてさして大変そうでも無い。
だが、シマと呼ばれた若者が。
「そういや、知ってるか?」
「何を、よ」
「去年、ダブってた永正さんが警察にパクられて、ムショに入れられただろ?」
「おう、来年に出所とか。 沢村さん、酔っ払って言ってたな」
「アレ、実は沢村さんの罪を被ったってサ」
「はぁ? 何で、沢村さんの罪をあの人が被るンだよ」
「沢村さんのオヤジさんだよ」
「沢村さんのオヤジが、どうしたってよ」
「あの人のオヤジさんが、永正さんに金で被らせたんだよ。 5000万円は出したんじゃないかって」
「カァ〜~、マジかよ。 あの人の親って、資産家の悪徳不動産会社社長だろ? 金は有りそうだが、噂だとしても信じられるナ」
「いや、間違いないゼ。 永正さんのダチから聴いたけど、あの事件の時に永正さんってそのダチの家に居たってさ」
「うぇぇ〜〜〜。 ンじゃ、俺達もイザって時は挿げ替えの駒ってことか?」
「かもな」
「しっかし、5000万円? そんなに金が有るの? あの人、将来はオヤジさんの跡継ぎとかスンのかね」
「当たり前だろ? 何せ、今の沢村さんが住むマンションは、億単位の一室だってよ。 毎日、女の所をコロコロと、代わる代わる回って泊まる父親に代わって。 高校生なのに、もう‘家主’だもんよ」
「へぇ~。 未成年で、家主かよ。 遊ぶ金に困らないあの人なのに、何で脱法ハーブのバイヤーだの、無修正の違法動画とかに関わってンだぁ?」
「知らねぇ。 根っからの悪党だもの、あの人。 悪い事をするしか知らねぇンじゃねぇの」
ハタと呼ばれた若者が言う。 自分達を仲間とする沢村が時々に金を与えて来るが、本当に仲間として遣っているとは思えない。 面倒事が迫れば、何かとんでもない事を頼むのではないかと思える。
この時がちょうど、深夜1時前後と成る。
実は、喋る二人が気付かない周囲にて、或る異変が起こっていた。
それは、影か。 ユラユラと動く黒いモノが、壁や床に動いている。 その動きは、コンクリートの中を蠢いているのか。 それとも、表面を這いずっているのか。
だが、その影らしき黒いモノの向かう先は、どうやら若者二人に目掛けてらしい。 この階の彼方此方から黒いモノは現れては、四方八方から若者二人へ、ジワジワと向かって行く。
然し、それをまだ知らない学生の男子二人。 何台もの車が通り、二人を隠す半透明のシートが常に明るい。
「なぁ、ハタよ」
「ん?」
「お前、ガッコ卒業後も沢村さんとツルむか?」
「シマ、そりゃあ無理だろ~よ。 あんな悪い人とツルんでたら、その内にこっちが自滅すンぜ?」
「だよな」
話し合う二人は酒を呑んで、近付く何かが間近に来ても気付かない。
然し、ユラユラと揺らめく黒い影は、遂に脚立へと到達。 すると、黒い糸の様なものがワサワサした動きで、脚立に纏わりつく様にして登って行く。
「なぁ、シマよ」
「ん?」
「卒業したらサ、芸人に成らねぇ? 二人で、コンビ組んでよ」
「え゛~、マジで言ってンのかぁ? 芸人って上下関係とか、エラく大変だぞ?」
「なぁに言ってんだよ。 沢村さんで、俺達も鍛えられてんべさ」
「だけどよ。 万が一売れたら売れたで、沢村さんに目を付けられそうじゃね?」
「まぁ、ワリぃ事は結構遣ってるかんなぁ〜。 でも、族の頭でも改心すりゃあバックボーンに成るじゃんか」
「まぁな。 だけど、俺達の場合は過去形に成るかぁ?」
もう時期は冬。 気温が下がり、二人して仄かに白い息を吐いて喋っているのだが。
赤毛の若者が、もう一本の瓶を取ろうと。 今、持っている瓶を投げた。
「ハタよ。 芸人に成るなら、ゴミも捨てられねぇぞ。 アハハハ」
「おい、まだ卒業して………」
赤毛の若者は、言い掛けた所で口を止める。
残りの酒を呷る黒髪の若者は、こっちを向いて喋るのを止める赤毛の友人を見る。
「んっ・・、どうした?」
瓶を取ろうとして、レジ袋に手を突っ込んだ赤毛の若者だが。
「いや、お前の足元の、その黒いの・・何だ?」
黒髪の若者の左側を指差した、赤毛の若者だが。
「何を言ってんだぁ? 今時、虫でも跳んでるってか?」
黒髪のシマは、そう言って腰を上げながら左側を見た。
その瞬間だ。 彼の肩まで脚立を這い上った黒い糸の様な影が、ワァっと彼の顔に襲い掛かる。
「おあ゛っ」
細い糸・・。 いや、それは黒い髪の毛だ。
「シマっ」
酒瓶の入ったビニール袋を落とし、赤毛のハタと呼ばれた若者が脚立から離れ、その場へ急ぎ立つ時。
ワサワサした髪の毛に襲われ突き飛ばされて、脚立から宙に飛んだシマが。 ‘ガツン’と鈍くも危うい音を立てて、コンクリートの床に頭から落ちた。
その様子に、驚く赤毛のハタだが。
次の瞬間。 ヌッと、辺り一面黒い床から現れたモノに、
「い゛ぇぇぇっ!!!!!」
と、場違いな声を上げる彼“ハタ”。
その声をハタと云う若者に上げさせたのは、シマと云う黒髪の若者の脇からヌッと現れた。 ボロボロの皮膚をして、乾いた汚い爪を伸ばした人の手。
「手っ! て・・がぁ? あ゛ぁっ?」
ハタと云う若者は、瞬きを激しく繰り返した。 車のライトに照らされる度に、闇で黒い筈の床が蠢いている事に気付いたからだ。
(何だっ、何だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!!! 何で床がっ、ななな・波打って動いてるぅっ!!!!!!!!!!!)
ハタと云う若者が驚く最中に、倒れたシマの傍で湧き上がって出た手は、床を埋め尽くした髪の毛の海から伸び出て来る。
「あ゛っ、あ゛あっ」
驚き退いては、脚立を突き飛ばした赤毛のハタ。 理解の出来ない目の前の出来事に、動物としての本能から恐怖を感じ。 逃げたい気持ちと、仲間のシマを見捨てられない気持ちがせめぎ合う。
処が。
- うらぁみを・・はらすぞぉぉぉ。 -
不気味な声を上げて、手の後から湧き上がる頭らしきもの。
「わ゛ぁーーーーっ!!!!! わ゛ぁぁぁぁぁぁぁっ」
余りの恐怖に膝が笑ってしまい、大声を上げならもその場へとヘタり込むハタ。
近場の道路では、夜間と云う事で大型車両が次々と通る。 その驚きの声すらも描き消す。
そして、ハタが床に着いた手。 その手に触る事で伝わるものは、糸の様なものの束の感触だった。
「あ・・あ?」
モゾモゾとする手触りに、ガバッと横を見るハタ。 然し、直ぐには暗くて見えない。
だが、車のライトが照らす時。 細かい糸の様な髪の毛が、ハタの手に絡もうとしているのが見えた。
「うわ゛ぁっ、何だこりぁっ!!」
辺り一面が髪の毛の海と感じたハタは、思わず立ち上がろうとする。
然し、彼が立とうとする中で、ヒュルっと伸びた何かが、ハタの首に巻き付いた。
「う゛がっ!!」
いきなり後ろへと引き倒され。 激しく背中から床に倒れるハタ。
「ぐぅ・・イデ・げぇぇぇぇぇぇ…」
痛みを訴えた一瞬、強く首を締めるものが有る。 ハタがその首に絡まったモノに手を掛けると、髪の毛の束らしきものに触る。
(ぐっ、ぐるぢぃぃぃ。 シ・・マ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ)
ギリギリと締まって行く紐の様な髪の毛らしき何か。 もがき、髪の毛の海と化した床に爪を立て、ガリガリと掻き毟ったハタだったが。
然し、
- ぶちっ! -
と、これまでに聞いた事の無い。 然し、強烈に不快にて印象的な音が聞こえ。 苦しむ中で、ハタが見たシマは………。
(うぞっ・だろぉぉ…)
充血する目をひん剥いて、友人のシマを見ると。 既に、其処に彼の首が無い。 いや、既に人としての形を成して居なかった。
そして、暴れ、もがこうとするハタの手足に、床を這う髪の毛らしきモノが絡んで張り付けられた。
(くぞぉっ! 何だぁっ、こ・・)
身を持ち上げ様と見上げる空中には、化け物の様な者の顔が在り。 その者の右手には、滴る血を垂れ流すシマの頭が。 また、左手には、ハタの知る、或る人物の頭が見えた。
(さわ・・や゛っ・べぇぇぇ…)
追い詰められたと感じたハタは、不思議とこうなった意味が、薄れる意識の中で解った気がした。 自業自得なのか、そう問い掛ける思考は一瞬だけである。
その後に、彼が何かを想う事など出来る訳が無い。 何故なら、首に食い込む髪の毛らしきモノが更に深く絞まり。 ギリギリと皮膚を裂いて血が吹き出し始めたのだから…。
「う゛ぅぅ…」
白眼を剥いて、震え出すハタ。 激しい出血は、ハタの顔にも飛び散る程で。 彼の下と成る髪の毛の海に、黒い液体が広がり滲んで行く。
異形の化け物と成った悪霊が、彼の顔をもっと近くで覗き込もうとする時。 絞まった髪の毛が深々と首の肉に食い込んでは、骨肉を圧し千切り。 ハタの首を切断したのだった。
同時に、髪の毛が捕まえる様に絞める手首足首、胴や大腿部も同様になる。 ‘人間のぶつ切り’とは、こう成るものか。
二人の若者がこの悪霊に襲われたのは、それなりに理由が在ったらしい。 悪霊は、髪の毛を身体に戻しつつ。 髪の毛の一部にハタの顔を絡めて左手に寄せると。 右手に一つ、左手に髪の毛を掴んでは二つの頭を持ち。 闇の中へと動き出した。
どうやら、悪霊の行う呪いは、まだ続くらしい。 そして、やはり木葉刑事や越智水医師の心配は当たった。
また、木葉刑事は、佐貫刑事にも言った。
“首を千切られた男性の事件と、病院でバラバラにされた女性の事件が、一つに繋がっているのなら。 これで事件が終わらずに、また新たな事件が起きる”
と、予言した。
今、それが現実に成ってしまうのだった。
陽が上がり始めた早朝。 渋谷の工事現場中と成っている廃ビルにて。 バラバラに成った若者二人の遺体が、出勤した作業員により見つかった。 ただ、人が死んでいるだけでも、普通の人間が見たら驚くだろうに。 バラバラにされた姿を見たら……。
作業員の上げるとんでもない悲鳴を、間近の通りを歩く何人もの人が聴いた。
朝、8時過ぎ。 木葉刑事は、面会時間前に関わらず血相を変えて遣って来た佐貫刑事からその事件を聴いて。
「佐貫さん。 その遺体に、首は?」
「な、無かった。 然も、2人分も」
新たな犠牲者の元に悪霊が向かったと。 その様子から事態を察した木葉刑事。
だが、それから1日を経て。 捜査会議に出た佐貫刑事は、会議後に木葉刑事の病室に来て。
「今日、不思議な事が解ったぞ」
病人として休む木葉刑事は、朝からリハビリに筋トレをしていた最中で。 軽くスクワットをしていた木葉刑事は、軟弱にもヘバりつつ。
「なぁ、何です?」
と、腰砕けに成りながら問い返す。
佐貫刑事の聞いた鑑識の報告では。 現場に残る血液の中に、これまでの被害者に該当しない血が少量だが混じると云うらしい。 然も、既に血液が若干酸化、詰まりは微かに腐敗していたとか。
考えながら寝間着を着た木葉刑事だが。 殺害の現場から想像する内に。
「あ゛っ、もしかして…」
と、何かを思い付いた。
朝飯代わりにと、惣菜パンを食べる佐貫刑事は、コロッケパンの後に焼そばパンを半分食べる最中。
「どう・・した? ん?」
「佐貫さん。 見つかった被害者が、不良なら。 他に仲間が居る可能性、有りますよね?」
「ま、かもな」
「もしかしたら、昨日に2人が殺害される前に。 先に別の仲間が殺されたのでは?」
「あ゛ぁ、そうかっ。 昨夜に二人を殺す前から既に、誰かの首を持ってたって事か?」
「はい」
「よし、俺の案として、捜査本部に打診するか」
「お願いします。 自分は、班長と一課長に呆れられ、管理官には煙たがられてますから」
「おう」
殺害現場に別の被害者が居た、と捜査本部は考えていたのだが。 佐貫刑事の提案から、亡くなった二人の在籍する学校に深く聞き込めば。 亡くなった若者二人のボス的な同級生で、学校へ出席にすら来なくなった者が居ると判明。
そのボス的な若者は、‘沢村’と云う若者だった。 普段なら朝の出席を取る時ぐらいは、卒業資格を取る為に顔を見せると云うのに。 仲間二人が殺された事件が起こった日を含め、かれこれ3日も来て居らず。
担任のカバに似た初老教師が云うに。
「携帯に掛けても不通でして、彼等の友人がメールアプリと云うもので呼び掛けても全く、会話を読んで無いとか…」
と、汗かきながら教えてくれた。
調べに因ると。 資産家のドラ息子と云う沢村は、不動産仲介をする悪い噂の絶えない社長の息子にて。 豪勢にも、世田谷の一等地に在るマンションの一室を自宅にしていたが。 聴き込みから挙がる彼の悪党ぶりは、未成年にしても刑事が呆れる。
“彼も容疑者ではないか”
と、捜査陣営は感じつつ。 捜査員を、彼のマンションに向かわせた。
然し、落ち合った管理人と共にマンションの部屋に入った捜査員が、その壮絶な惨状に目眩を起こした程。 沢村と云う学生は、身体の内部から爆発したかの様に、リビングにてバラバラにされていた。 一体、値段は幾らするのか。 そう思えるほど大きなテレビの置かれた大理石のリビングで、テレビと観葉植物の鉢植えが内臓やら血肉を浴びて赤黒く染まっていた。
惨状を目の当たりにして口を押さえた管理人の老人が、シンクでゲェーゲェーと吐く。
然し、その血まみれの部屋に、何故か頭部だけが無かった。 頭も同じ目に遭って居たならば、毛髪は見つかるだろうが。 そう思うに似合う毛量が無いのだ。
読みが当たったと、一課長を含めて捜査員から誉められた佐貫刑事。 その彼から経由で、木葉刑事もその事を知る。
(三人が殺され、首だけが無い。 詰まり、その三人を呪った者の元へ、悪霊が今は向かっているのか)
無論、木葉刑事が云うまでも無く。 その三人の若者を恨んでいそうな容疑者を片っ端から調べる事に成る捜査本部。
だが。 高が中高一貫の学園の生徒なれど。 一年留年する17歳の三人には、恨んで居る生徒も相当に居るし。 沢村と悶着を起こしたと聴ける他の不良グループも、多数に居る。
また、不良とはいえ学生相手の捜査に、刑事達も配慮が必要で。 気を揉む事と成った。
そして、雲を掴む様な、手応えの無い捜査が続く中。 入院から20日して、左腕を包帯で巻かれた木葉刑事が退院した。
然し、その日。 出迎えに来た佐貫刑事が、車の車中で言った。
「どうやら、不良の三人を呪った相手が解ったぞ」
驚く木葉刑事だが、それは後の祭りだ。
新たな被害者は、‘横川’と云う若者だ。 異臭のする息子の部屋に母親が気付いて入れば、部屋中に血腥い臭いが立ち込め。 横川と云う若者は、全身の骨を握り潰されたかの様にぐしゃぐしゃにされ。 ベッドの上には、腐乱した三人分の生首が在ったそうな。
この男子生徒の遺体が見付かったのは、昨夜だが。 臨場した検死官の話では、死後1日か、下手すると2日は経っているとの事。 息子が引き籠もりで、中々に顔を合わせなかった両親らしい。
車中の助手席にて、無力感に打ちのめされた木葉刑事。
「なんて事だ。 既に、越智水先生の云う通り。 幾つもの柵“しがらみ”を超えて来てる」
運転する佐貫刑事は、‘柵’などとは人間くさいと思いつつ。
「木葉、そりゃあどうゆう事だ?」
「あの悪霊が、まだ‘広縞’を殺す前の怨霊だった時。 手を出せたのは、広縞に殺された被害者の遺族だけでした」
「おう、同じ憎しみって云う共通点から…、だったな」
「ですが、悪霊と変わった今。 広縞に強姦され殺害された女性と、同じ憎しみを持つ。 あの結婚詐欺の被害に遭った彼女が、悪霊とシンクロしたのだと考えました」
「ん? ん、おい、それって・・まさか」
「はい。 今回は、異性の怨恨でも無い。 多分は、昨日の深夜に遺体が見付かった横川と云う学生が、何かの怨恨から先に殺された三人を呪い。 先に死んだ三人が、呪われた側なのでしょう」
「チッ。 それならお前ぇ、殺したいぐらいの怨みや怒りになら。 あの化け物は、誰にでも同調しちまうんじゃないか?」
「多分…」
推測の届く範囲で想定する事態に、既に悪霊の居場所を特定化する要素が無い。
今。 この時点で既に、誰かが呪い。 誰かが、呪われたのかも知れない。
困る佐貫刑事は、気落ちした木葉刑事を連れて、桜田門の本庁に向かった。
*
一方、その頃。
越智水医師と、神経内科の医師で在る順子は、越智水の私室に居た。
木葉刑事の入院で、久しぶりに冷や汗を掻いた越智水だが。 今は、平静の落ち着きを取り戻していた。
そして、今日は、これまで学会だのと忙しかった順子が、漸く少し暇になり。
“大学病院で殺害された女性の事について話を聴きたい”
と、越智水准教授は詰め寄られたのだ。
順子の煎れた紅茶をストレートで仕事の合間に戴く越智水は、ゆっくりと気を落ち着かせる。
「先生、教えて下さい。 一体あの映像には、何が映っていたんです?」
“今日こそは、問い質す…”
こう云う意気込みの順子に対し。 ゆったりとデスク前に就く越智水は、この女性の気性は大学生の頃から教え子だから幾らか知りえている。 言わなければしつこく聴いてくるとは解っていた。
だから……。
「うん・・そうだね。 だが、どう言えば良いか…」
「ハッキリ言って下さい。 あの女性患者を殺害したのは、何なんですか」
「ふむ・・視えない君に、こう言って信じて貰えるかは、解らない。 だが、世間的に解り易い一言で言うなら、‘悪霊’だね」
いきなり出てきた言葉が、非科学的で返す言葉が無い順子。
彼女が何も言わない姿を察した越智水は、順子の持ってきたディスクの入ったフィルムケースをデスクの上に見下ろして。
「君が何も言えなくなるのも無理は無い。 霊を視えない人には、まず理解不能だろう。 然し、それが返って視えるとなると、これまた逆に強烈だよ。 だが、実に困った。 まさか、あの怨念から生まれた怨霊がこんな事に成るとは…」
と、深いため息を吐いた。
さて、此処まで聴いた順子は、
(先生って、どうもその‘幽霊’の正体を知っている様な…)
と、云う気がして成らない。
「あの先生・・。 先生は、その悪霊と云うものを・・・以前からご存知とか?」
問われた越智水は、コップの中の緋色の紅茶を傾けたりして見つめる。
そして、幾らか間を空けては、徐に。
「・・・今から、3・4ヶ月前か。 或る連続した事件を引き起こしていた犯人が、突然に死んだ」
「犯人が?」
「君も女性だから、犯人が死ぬまでは漠然とした恐怖を覚えたりして知っていると思うが。 2年半に渡って‘広縞’と云う男が、何人もの女性を強姦して殺した事件は、当然に知っているだろう?」
「えぇ・・。 私の住むマンションの近くにいた方も被害者に成ってますから。 確か、犯人がマンションから飛び降り自殺して死んだ・・アレですよね?」
この事件は、当然に順子も知っている。 広縞の狙う女性は、何も美人と決まっていた訳では無い。 広縞が死ぬ前までは、順子も周りから気を付ける様に言われたし。 看護師や事務職の職員の女性も、誰もが帰りを独り歩きにならない様な事を意識していた。
「あぁ。 だが、ね。 その犯人の死因は、発表記事の通りが正解・・・では無いんだよ」
その事件の記者会見は、この病院でたまたま休憩の時にTVで見ていた順子。 警察が、被疑者の自殺を確認して。 被疑者死亡に成ったと発表した。
「え?、先生。 本当は、違うんですか?」
かなりの驚きからか、越智水の脇にまで来た順子。
「飛び降りたのは、確かにそうかも知れない。 だが、少なくとも本人の意思では無い。 推測でしか無いが、彼は追い詰められたのかもしれない」
「はぁ? “追い詰められた”って、誰にです?」
意味が解らず、曖昧な返答をした順子。 あの時点まで、警察は広縞の事を知らない筈で。 誰に追い詰められたのか、解らないのも当然だ。
越智水は、そんな彼女に。
「では、順子君。 君に聴こう」
「はい?」
「仮に、犯人が飛び降りしたとして。 落下する真下に電線も、他に何も無く。 落ちた遺体が首・胴・腕・下半身と千切れて落下する原因が、君に解るかね?」
この質問を受けて、順子は意味が解らずに返答が出来ない。
越智水は、そんな順子を見て。
「ん、混乱させて済まない。 だが、それが現実なんだよ」
「先生は、そんな詳しい捜査情報を、どうして知っているんです?」
「ふむ。 それは、この前の時に君を病院に残して飛び出した事に直結する」
すると、順子の脳裏に浮かぶのは、友人の大学病院で起こったバラバラ事件だ。
「あ・、怪我をした捜査員は、先生の・・お知り合い?」
それを肯定すべく、一つ、頷いた越智水。
「あの連続した事件の犯人で在った広縞は、確かにマンションの最上階から飛び降りた。 地上100メートル以上は、優に超えると思われる高さだ」
「とんでもない高さ…」
順子の呟きに、カップを持つ越智水医師は、空いた手の指を向け。
「だがね。 さっきも言ったけど、彼が飛び降りた空間には、身体がバラバラに成る要因が何も無いんだ」
「そんな…」
「それに、もっと驚くべき事に。 司法解剖の結果では、彼の首や腕には、非常に強い力で引き千切られた形跡が有り。 然も、ハッキリと人間の手形らしき圧迫痕も、ね」
その異様さに、順子は目を見張る。
「先生、それは偶発的な何かが…」
「偶発的な・・。 なら、風が彼を掴んだ・・とでも?」
「それは…」
「ま、それを除いても。 異様さは、既に現場に在った。 彼が飛び降りたベランダには、内側ではなく、外側に血痕が飛び散っていたのだから」
高層マンションの外側と聞いた順子は、尋常じゃ無いと驚いて。
「ちょ・ちょっと待って下さい。 じゃあ・・その犯人は、ベランダから飛び落ちるた後に、死んだ? そうゆう事ですか?」
木葉刑事から見せて貰った捜査資料を思い出しながら、また頷く越智水。
「飛び降りた犯人の血痕は、本人の部屋のベランダの外側に。 出血した瞬間の勢いで吹き付けられた様に、飛び散って付着していてとか。 空中に撒き散らされた血液が、遺体の落ちたベランダの外側を中心に落下したと思う場所に着いていたらしい」
「詰まり、その犯人の広縞は、空中で・・バラバラにされた」
「そうだ。 然も、その男性の落下したのは、真下は真下でもね。 マンションから50メートル以上は幅を開いた、幅の狭い路上に落下した。 ジェット噴射的な動力を持たない人が、高く飛んでもその場所に落下するのは難しいらしい」
「あの、科捜研は・・・何と?」
「うん。 高層マンションの外側と云う、原因が探り難い場所の為。 その完全な真相は解らないから、自殺で終わった」
「じゃ、自殺の真相は解って無いんですか」
順子の話に、越智水は頷くが。
「だが、ね。 私の知り合いで、科捜研に勤めている者が言うには。 信じられない事だが、何か強い力で、犯人の彼は放り出されたのでは無いか・・と。 当時、雨が強く降り始めた処で。 瞬間的に、強烈な突風が吹いたのではないか・・、と」
順子は、不可解な怖さと興味で、越智水医師の語り終わりに被せる様に。
「では、突風が吹いた?」
然し、越智水は、首を左右に。
「先生、風は・・・吹いてないんですか?」
「気象庁のデータ、マンションの住人、近くの住人、通行人。 誰に聞いても、その仮説を裏付けるだけの強さに値する風は、マンションの至近には吹いてないと」
「じゃ、解ってる事って云うのは、犯人が飛び降りてバラバラになり死んだ。 その事実だけじゃないですか。 それにあの事件って確か、犯人とは係わり合いの無い被害者の遺族まで、あ・・相次いで六人も、急死しましたよね? 然も、変死扱いで、事件になってないし」
すると、越智水はコップの中の紅茶をコップを傾けて、軽く回しながら。
「これは・・・、私と極身近な友人の話で。 決して、科学的な根拠を得られない話だ」
実に落ち着き払って、神妙な口調で言った越智水。
その彼を見た順子は、間近ながらに姿勢を正して。
「あ、ハイ」
「実は、あの広縞と云う犯人が、最後の犠牲者に選んだ女性が居る。 推定で、31人目の被害者だ」
「嗚呼、確か・・・遺体が見つかったのって、埼玉の河川敷ですよね。 そして、司法解剖の担当医は、確か先生では?」
「うん。 その時から、あの遺体と関わった最初から、全てが奇妙だった。 夏の暑い日差しが注ぐ川に流された遺体が、3日・4日して引き上げられたのにも関わらず。 その身体の内も、外も、殆ど腐食せず。 然も、緩むはずの筋肉も、或る一部が全く緩まずに在り。 そして、胎内からは犯人の体液がほぼそのままの状態で、摘出できた」
越智水の話に、耳を疑った順子。
「え? あ・・・胎内に、残っていた? ・・・犯人の体液が・汚れずに劣化もしないで・・そのままに?」
「うん」
「先生、御冗談を。 菌に因る腐食も、しないままで・・・ですか?」
「そうだよ」
此処まで聞いた順子は、それこそが異変と思う。 体液は、高たんぱくで、雑菌などには凄い栄養だろう。 況して、川に流れている水は、お世辞にも蒸留水などの綺麗な水では無い。 降った雨や浄化槽を通って来た、所謂の下水などだ。 然も、外を流れるから、その含まれる雑菌の数たるや、計り知れない筈で在る。
また、夏の暑さが始まる頃だから、遺体共々に1日もすれば、‘死臭’と云う異臭を放つ筈だ。 更に、遺体も死後硬直をするが。 早ければ、1日も経てば筋肉組織が壊れ始めて、死後硬直は解け始めるだろう。 日に日に、全身の筋肉が緩み、閉じた口や肛門とて開くだろう。 暑さで腐乱が加速すれば、その日数とて早まる。 なのに、発見された女性の遺体の一部の硬直は存続し、水すら漬かった胎内に入れないとは…。
紅茶を口に含んだ越智水は、緩やかな間を開けてから続けて。
「そして、怪事件が起こった」
「‘怪事件’?」
「そうだ。 君が、さっき言った。 ほら、例の遺族の変死だよ」
「嗚呼。 聞いた話では、どの遺体も司法解剖が出来なかった・・と」
「知っていたか・・。 そう、その通りだ。 解剖に回された遺体の一つは、僅か15分の間に。 閉じられた遺体を包むシートの中で、無数の虫に食い尽くされた」
「む・し。 ハエとか、蟻の・・虫ですか?」
「そう、その虫だよ。 また、別の遺体は、解剖前に、燃えた」
「嗚呼・・・、知ってます。 別の病院で起ったって云う、不審火ですね?」
「うん。 だが、不思議な事に、だ。 どの遺体にも、或る共通点が有った」
すると順子は、答えを急いで聞き返して来る
「なっ、なんですっ?」
其処で、越智水は徐に、何故か順子を鋭く見返した。
(あっ)
その目に驚いて、息を飲んだ順子。 今まで嘗て無い程に、越智水が怖く成ったと思った。
然し、越智水は、順子から視線を逸らさずに。
「実は、ね。 不審死を遂げた6体の遺体全てに共通するのは・・・。 死ぬ直前まで、“呪い”をしていた事だ」
「の・・呪い?」
耳に慣れない言葉だからか、順子は一瞬考えてから。
「それは・・あの、‘コックリさん’とか、‘丑の刻参り’の様な儀式の事ですか?」
「そう。 そして、今回の事件を知り、君は気付かないかね?」
「えっ?」
越智水は、テーブルの上のディスクを指差し。
「コレだ」
然し、順子は意味が解らずに。
「はぁ? あ・・・いえ」
越智水は、ディスクの表面を指で触れながら。
「君の知人が勤務する病院で死んだ患者の彼女は、最初に病院に駆け込んだ後。 君の友人と云う医師との初期診断で、告白していたろ? お金を騙し取った彼を、思わず会社帰りに恨んだ・・・と。 憎んだり、恨んだりしていたら、声が聞こえた。 “憎いのか? 恨みを晴らしたいのか?”、と」
「あっ、………」
この補足の話で順子は、6体の変死体との共通点が見えたと感じた。
越智水は、残りの紅茶を一気に飲み干して。
「これは、非公式の話だがね。 私と友人で追っていたのは、あの連続強姦殺人犯に殺されて、憎しみと怒りと云う怨念から怨霊と化した女性の霊でね。 正しく、この前に見せて貰った画面に映っていた」
「えっ、このディスクに?」
「うん。 殺害された彼女が見ていた窓の映像の中に、確かに映っている。 映像は、病院に来てからのだけしか撮れて無いが。 最初は、彼女の働く仕事場から、駅に向かう通りに始まり。 会社の最寄り駅。 彼女の住まいからの通勤に使う最寄り駅。 彼女のアパートを経由して、最後の時は、入院していた病院の前…」
「ちょ・ちょちょ・・ちょっと待って下さい、先生っ!!! じゃ・・、その強姦殺人で殺された女性が、怨念になって未だに殺人をしているんですか? 殺された彼女と、何か接点でもっ?!!!」
明らかに動揺し、事態の意味が飲み込めずに混乱し出す順子。
だが、これも当然かも知れない。 突然に、見えない何かを呪いだの、怨念だの言われても、現実の感覚で認識など出来る事ではない。 オカルトなどとは、科学とは対極にある物だからだ。
越智水は、念のためにと。 順子に、怨霊の姿に変貌した女性の、検死の時に撮った死体の写真を見せた。
「これが、怨霊に変わった女性を私が検死解剖した時の、ご遺体を写した写真だ」
「え"っ?! こっ、こんな・・顔になる・の?」
確かに、異変としか言えない変わり様に、順子も口を閉ざした。
また、越智水が密かに預かっていた資料として、変死体と成った被害者遺族の一部の様子も見せた。
神経内科の医師としての他、精神科の症状にも詳しく。 知識として、人の狂気も見て来た経験が在る順子だから、その証拠を直視も出来たのだろうが。 病院に入院して、殺された彼女の事も知った以上。 順子も、真剣に悪霊の話を信じる。
そして、携帯のメール着信をバイブレーションで察した越智水は、その画面を確認すると。
「ちょっと、失礼。 木葉刑事からメールだ」
「あ、先生同様に、霊が見える?」
「うん。 視る力と云う事なら、彼は私よりずっと上だよ」
と、メールを見た越智水は、急激に辛そうな顔で手を口に遣る。
「先生? どうしました?」
「順子君。 この前に、渋谷で見つかったバラバラ遺体の事は知っているかね」
「え? 渋谷・・嗚呼、若者二人が亡くなったあの事件ですか?」
「ん。 そして、どうやら悪霊に因る新しい被害者の様だ」
「バラバラ・・あ゛っ!」
以前に、病院へ順子を残した越智水は、木葉刑事と会った後にメールだけで順子に知らせて在った。
“順子君。 どうやらこの事件は、まだ終わりじゃないかも知れない”
その暗示を証明するかの様に。 若者二人が。 そして、その仲間が死亡した。 大阪、京都と学会に出ていた順子は、ニュースで知って驚いたのだが…。
「先生っ、また・・被害が?」
「あぁ。 それも、呪った者も既に殺されたらしい。 その人物の殺害現場には、先に亡くなった三人の若者の頭部が・・有ったとね」
“呪われた相手が、先に殺され。 次に、呪った者が殺される。 成就の証は、その呪われた相手の生首です”
木葉刑事と越智水が見いだした法則は、やはり現実の‘理’と成った様だ。
現実に事件が起こっている。 順子は、これは容易な事態では無いと。
「先生。 一体この悪霊は、どうすれば?」
すると、携帯を持ちながら、ガックリ俯く越智水で。
「効果を見込める手立ては、今の処で何一つ無い」
“対処のしようが無い”
と、越智水が云っている様で、順子は愕然とする想いだ。
「そ・そん・・な」
然し、暗く成った携帯の画面を見詰める越智水から。
「ただ、ね。 メールをくれた木葉刑事が一つ、‘可能性’を教えてくれた」
この事件を止める手立ての可能性と聴いて、越智水を素早く見た順子だが。 その顔は、頗るに厳しく。
「先生?」
「いいかね、順子クン。 私もあんな経験が無いが。 木葉刑事は、あの君の友人が居た大学病院にて。 悪霊を病院に入れまいと、その肩を掴んだのだよ」
それは、週刊誌の記事や越智水のメールにて聞いた話だと。
「その所為で、車に轢かれたみたいに、弾き飛ばされた・・と」
「そうだ」
「それが、どんな可能性に?」
「うん。 木葉刑事が云うには、触った瞬間に凄い反発の力を感じた様だ、と」
「触った時に、‘反発’・・ですか」
「うん。 そして、弾き飛ばされた木葉刑事を助けた、別の刑事さんが云うには、だ。 木葉刑事が、悪霊の肩を触った一瞬。 暗い稲妻の様な光を見て、霊体を視れないはずの彼すらも、悪霊の姿を見たらしい」
「それは、誰かが触れる事が出来たなら、私達も悪霊が視える・・と?」
「うん。 そしてこれは、一つの結果に過ぎないが、ね」
「なるほど、見る事を可能にする‘可能性’ですね」
と、順子も納得する。
だが、越智水は、頭を左右に振り。
「それが、木葉刑事が云うには、だ」
“怨みの力の集合体と悪霊を仮定した場合。 その怨みの矛先は、憎む対象と成る人ではないか? もし、それが事実なら、人から悪霊に触れて。 蟠るその怨みの力を受け止められないか?”
その木葉刑事の考えを聞いた順子は、触れる事が出来て。 触れた刑事が、反発する力に弾き飛ばされた事を考え。
「その、木葉さんと云う刑事さんは、触って・・弾き飛ばされた。 確かに、何らかの力が放たれたとも・・、言えなくもないですね」
「うん。 木葉刑事は、触れた瞬間に」
“腕を引き千切られるか、と思う程の痛みが走った”
「と、云っている」
「‘痛み’。 では、物理的には、何らかのエネルギーみたいですね」
その意見に、肯定する様に頷いた越智水は、そこから少し声の重みを増した声音にて。
「そして、これは木葉刑事の予想・・、あくまでも予想だが。 反発する力が無くなるまで、悪霊を触り続ける事が出来るなら、悪霊の持つ怨みの力を無くせるのではないか・・・、ともな」
そのエネルギーを電力や風圧の様な‘力’と受け取った順子。
「確かに、それは理解が出来ますが・・。 一瞬に触れただけで、そんなに弾き飛ばされるんでしょう? 力が無くなるまでなんて、触る側が死んでしまうのでは?」
すると、この素直な疑問を投げ掛けられた越智水は…。
「………」
俯いて黙る。
少し、その様子を見ていた順子は、パッと何かが閃いて。
「せっ、先生・・、それはダメっ。 ダメですよっ! その木葉さんにも、そんな事っ」
すると、俯く越智水は…。
「木葉刑事の・・叔父さんも、な。 彼同様に刑事をしていて、で、その・・視えて居たらしい」
「叔父さんも? 霊を視る能力は、‘遺伝’するんですか?」
「それは、解らないね。 只、木葉刑事の一族は、東北地方で既に名も廃れたらしいが。 永く続く神社の神主をしていたとか。 だから、そうゆう素養が在るのかも知れないね」
「な・るほど。 で・でもっ、命懸けなんてっ」
と、強く言った順子だが。
弱い動きで前を見た越智水が、云う。
「彼の叔父さんも、過去に人を殺す様に成った霊体を鎮める為に、亡くなったとか」
「え゛っ?」
「誰が止めようとも、木葉刑事は動ける様に成ったらまた探すだろうよ。 あの・・悪霊と変わった女性を、な」
‘命懸け’をする理由が解らない順子は、刑事が命を投げ出すなどドラマの見過ぎと思い。
「理解が出来ません。 そんな、他人の事ですよ? 幾ら刑事だからって…」
「順子君。 彼は、木葉刑事とは、ね。 人の心の傷みが解る、優しい男だ。 恐らくだが、心の何処かで親しかった叔父さんを想いながら。 一方では、悪霊の女性に、同情しているのかも知れない」
「そそっ、そん・な」
すると、越智水はこうも云う。
「実は、悪霊を視る為には、木葉刑事が見つけた以外にも。 厳密に言えば、二つの方法も在る」
順子は、興味とどうにかしたいと云う想いから。
「それは、・・どんな?」
すると、越智水がギュッと目を凝らして、前を見ながら。
「自分が、誰かを呪って悪霊を呼ぶか。 誰かに呪われ、悪霊にやって来させるか、その何れか・・・だ」
(あ"っ。 でも、そんな…)
絶句・・、順子には、絶句しか無い。 それもまた、‘死’を引き換えにしなければ成らない遣り方で在る。
(視えるとか、視えないって、そんなに辛い事なの?)
振って湧いた霊界と云う異世界への扉だが。 直面した事実は、順子の予想から大きく外れていた。
2
復帰した木葉刑事に、班長の篠田は事件を自由に調べて良いとした。 正し、鵲参事官よりの命令をそのままに佐貫刑事と一緒を条件とし。 犯人に繋がる様なら、確実に捕まえる為に応援を呼べと。
怪我人で、木葉刑事の勝手な行動を全て把握していた鵲参事官からも一言が在ったが。 ほぼお飾りの管理官は、全く何も言わないし。 また、署長など警視庁の捜査本部に顔も出さなくなっていた。
同席していた円尾一課長も、木葉刑事には過去の手柄が在るからと、見て見ぬ振りをする。 この人物は、権力に尻尾を振る性格で、鵲参事官の言いなりと成っていた。
然し、木葉刑事が解放されるや、中年の美男な男性捜査員が木葉刑事の元に来る。
「木葉、怪我は大丈夫なのか?」
高身長にして、明らかに女性からモテそうなインテリ風なイケメン男性の捜査員を見た木葉刑事。
「飯田さん、心配を掛けまして」
「全くだ。 勝手に内定捜査をして、犯人に怪我をさせられるなんて…。 俺でも呼べば良かっただろうに・・バカ」
間近に居て、この言動を見聞きする佐貫刑事は…。
(コイツ、全く皆から見放されてる訳でも無いンだな。 刑事として優秀な飯田が、こんな親身な物言いをするのか)
他の、篠田班の捜査員は、木葉刑事の事を見下げているか、仕事として一緒に居るだけの人物と感じる対応しかしない。 だが、噂にも聴いていたが。 この飯田刑事だけは、木葉刑事が居るからと篠田班に入ったと噂が有った。 かなり優秀な捜査員となる飯田刑事は、他の班を預かる班長“主任”が欲したと人事での噂を聴いたが。 本人の強い希望により、木葉刑事の居る篠田班に入ったとか。 既婚者の飯田刑事だが、彼を今でも狙う女性職員は多いらしい。 その辺りからも愚痴が聴こえる。
“何で、飯田さんはあんな木葉みたいなグズの居る班に居るのかしら。 飯田さん、いっつもアイツの尻拭いをしてるってよ”
“イカサマをする木葉なんて、早く警察から消えればイイのにね”
女性職員は、他の捜査員が陰口にする噂を信じている者が多い。 然し、実際は、木葉刑事の捨てる手柄を他の捜査員が貰っているのが現状だ。 飯田刑事ですら、時に木葉刑事の捨てる手柄を肩代わりして貰って居る。 然し、一部の捜査員、一部の管理職の者、それに鑑識員の古株な年配者は、木葉刑事をとてつもなく買っていて。 木葉刑事の能力を肯定する者と、それを否定する者。 認識は正確では無いが、その線引きで彼をどう捉えるか変わっているのが現実だ。
ま、幽霊の存在は、ほぼ誰も認識していない。 所轄の古川刑事や、この場から去った鵲参事官が知るぐらいで在ろう。
飯田刑事に叱られ、心配された木葉刑事。 そんな飯田刑事も、与えられた仕事に出て行く。
後から出ようとする木葉刑事に、佐貫刑事は肩を並べるや。
「お前、あの飯田も信用してないのか?」
すると、頭を左右に振った木葉刑事。
「飯田さんは、大切な家族が居ます。 目に入れても痛くない娘さんも幼く、優しい奥さんも大切になさってる。 この一件に巻き込めば、命に関わります」
本音を聴いた佐貫刑事は、木葉刑事が他者を犠牲にする事は出来ない性格と確信した。
(この大バカ野郎は……)
腕の怪我も在るので、運転などは佐貫刑事がするとなり。 関係者への聴き込みに出るが、もう幽霊の行方をどう探すか。 佐貫刑事と木葉刑事の捜査は、生きた人間を追うものでは無くなっていた。
だだ…、復帰2日目。
空振りばかりの中身が無い捜査会議が終わって、大方の捜査員が出払った後から廊下に出ようと席を立ちかけた時だ。
「あの、木葉さん」
呼ばれた木葉刑事と、隣に座る佐貫刑事が声の方を見れば。 其処には、某大学病院で入院していた被害者の女性の警護をしていた、あの女性捜査員が居た。
頭を下げる木葉刑事へ、里谷なる女性捜査員は顔を曇らせながら。
「貴方の事、誤解してました」
「はぁ?」
呆ける木葉刑事へ。 彼女は、云う。
「あの先の病院で亡くなった女性は、確かに助けを求めていました。 私には、それが狂って嘘を言っているとしか・・見えなかった」
木葉刑事と佐貫刑事は、見合ってから彼女を見れば。
「犯人の事を思い出したら、絶対に捕まえて下さい。 泣き叫んで助けを求めていた彼女を私は・・護れなかった。 警護課、失格です」
と、一礼して下がる。
佐貫刑事は、里谷捜査員が廊下に消えてから。
「だとさ、木葉ちゃん」
立ち去る彼女の後を見ていた木葉刑事は、真面目な顔に変わっていた。
「逮捕できるなら、今直ぐにでもしたいですよ」
そんな木葉刑事の横顔を見る佐貫刑事。
(捕まえられるなら、先に俺が捕まえてやるさ)
そう思う佐貫刑事だが。 廊下に二人で出た所で。
「処で、木葉よぉ。 何処に行く? 昨日は、死んだ若い奴らの学校に行ったが?」
「完全に、振り出しですからね。 餌は撒きますが、当てもない」
「チッ、犠牲者頼りとは、警察も使えないな」
車を借りずして外に出た木葉刑事は、
「ですが、怨みや憎しみの強い人は、いっぱい居る筈ですよね。 何せ、この大都会ッスから」
と、言う。
佐貫刑事も、其処は気に成っていた。
「さいでよ~。 然し、普通ならばよ、ボッコボコと誰彼が死んでなきゃおかしいな。 そうじゃないって云う今の感じからして、まだ何か切欠が必要なのかもな」
「そうッスよね」
呟く様に言った木葉刑事。
だが、意外にも悪霊に因る犠牲者は、何と木葉刑事の身近に迫っていようとは…。
その日。
海外に出掛けた越智水医師が、木葉刑事にメールを送ってくれた。
[木葉君。
私は、妻と二人して医学学会に出る用事と成り。 今夜には、ハワイに発つ。
娘も連れてだから、旅行の色合いも拭えないが。 ハワイからその後に、シンガポールまで行かなければ成らない。
正直、行きたく無いのだが。 大学で然るべき職に席を置く以上は、学会に出る事も仕事の一つだから仕方ない。
私一人で、先に日本へ帰ろうかと思っているが。 向こうでのスケジュールは、短縮する調整が難しいので、一週間・・いや。 10日は掛かろうか。
其処で、私の教え子ながら、私に例の事件の詳細を教えてくれた順子君を紹介する。 本人の許可も取ったから、携帯の電話番号とメールアドレスを添付しておくよ。
木葉君。 順子君は、かなりの美人だ。 口説くのは構わないが、傷付けないでくれよ。
越智水より]
このメールを昼間に見た木葉刑事。 昼食と佐貫刑事の指定で、ウェイトレスの制服が可愛いファミレスに入って居たが。
「佐貫さん。 今日は、定時で上がりましょうか」
「ん? 何だ、用でも有るのか?」
メールの内容を教えて貰った佐貫刑事は、半眼でニヤリとして。
「木葉ちゃん、美人は気を付けろよ~。 妙な間合いで、心に絡み付いて来る。 ホレたら、厄介だぞぉ~」
「イイッスね。 まだ、其処までの恋愛をしたこと無いッスよ」
メールアドレスに、挨拶の文章を載せたメールを送った木葉刑事。
(ま、いきなりの食事の誘いなんて、先ずは受けないだろうな~)
こう思って遣り取りをし始めたのだが。 思いの外に早く返信が来て。
[木葉さん。
先生より、貴方の事も。 そして、不幸な事件の犠牲者と成り。 悪霊と云うモノに変わってしまった女性の事・・知りました。
出来れば、今夜にでも一度。 何処かで逢えませんか?
食事をしながら、お話をしたいのですが…。
清水 順子]
メールを見て、ファミレスの席に居た木葉刑事は、食べ掛けのサラダを持て余しながら。
「ど~しましょ、佐貫さん。 向こうから食事したいって…」
と、思わず言ってしまった。
「何だ、お前。 いきなり目の前でカノジョなんか作りやがってっ」
「違いますよ。 只の意見交換です。 飛躍させますねぇ」
「バカっ、いきなり飛躍するのが恋愛だろうがよっ」
「そうッスか?」
佐貫刑事ほどの乗り気では無い木葉刑事だが。
普段通りと云うべきか。 食欲旺盛にカツカレーを注文した佐貫刑事が、その食べる手を完全に止め。
「お前は、恋愛の経験が無いのか? 飛躍しなかったらっ、‘お友達’以下で終わるんだよっ」
サラダにフォークを突き刺した木葉刑事は、携帯片手に。
「自分は、今回の事件をどうにかするまで、そんな気には成らないと思いますよ」
すると、明らかに仏頂面と成る佐貫刑事。
「お前ぇ、そんな気が無かったのに、そう成っちまうのが男と女の仲だろうがよっ。 まさか木葉ぁ、その歳でチェリーボーイじゃ在るめぇな?」
「ふぅ、佐貫さん。 何で、そ~なるンスかぁ?」
すると今度は、警察手帳を取り出す佐貫刑事で。
「おい、木葉。 これから、事情聴取だ」
「はぁ?」
「お前の初体験を事細かく、俺に説明しろ」
急にバカらしく成る木葉刑事。 話が、変な方向に向かっているとばかりに。
「佐貫さん、今は仕事中ですよ」
「るっせぇっ。 飯の間は、ホテルと同じく‘休憩中’だっ」
短い間だから、確かにそうだと思った木葉刑事。
「あ、何となく上手い感じの言い回しッスね」
「そんなのは、どうでもイイっ」
佐貫刑事の気合いに、呆れるしか無い木葉刑事だが。
「内容がショボかったら、ど~する気ですか?」
「そん時は、家に呼べる安全な番号を教える」
「さ、佐貫さん。 刑事が、出張フーゾクでヌくんスか?」
「なぁ~にを言ってやがるよ。 サツカンだって、制服を脱げば只の野郎だ。 こんな面倒な仕事を毎日してるのに、偶の息抜きぐらい人間臭くてイイじゃねぇ~かっ」
(なんて言い草・・。 生臭坊主ならぬ、生臭刑事だこりゃ)
そう思う木葉刑事は、野菜を食べつつ。
「はいはい。 出来たら、今夜にチェリーボーイを卒業して、オッサンボーイに成って来ますよ」
佐貫刑事は、急に更なるやる気を出す様に。
「イイかっ、酔わせて口説け。 酒の力は、万能だぞっ」
半笑いした木葉刑事。
(佐貫さん・・。 それで佐貫さんは、チェリーボーイを卒業したんスか)
と、想像してしまう木葉刑事だった。
さて、夕暮れ時に、
「最初だっ、ゴムは忘れるなよぉぉ」
と、訳の解らないアドバイスを貰っては、佐貫刑事と別れた木葉刑事。
場所は任せると送った手前、返信が来ていると見た。 代官山などのオシャレな店かと思い、メールを確かめると。
[築地 ‘幸朔’にて]
超有名な老舗料亭を指定された木葉刑事は、
(げぇっ! ごっ、ゴム処じゃねぇ! かっ・かか、金を持って行かなきゃ)
越智水医師の教え子は、どんな生き方をしているのかと。 会いに行くのが急に怖く成った木葉刑事。
さて、夜の7時過ぎ。 築地の一画に敷地を構え、粋な黒塗りの塀に囲まれた料亭に来た木葉刑事。
“東京の海沿いに、こんな奥座敷の様な庭と店が在るのか…”
と。 目眩がしそうな緊張感を強いられる事と成って、木葉刑事は予約を女将に確かめる。
接客に現れた50近い大らかそうな美人女将は、とても柔らかい笑みを現しては迎えてくれて。
「はいはい、ようこそ。 順子ちゃんの予約なら、しかと承って居りますとも」
(じ、順子・・ちゃん?)
その親しげな物言いに、何だか嫌な予感が背中に走る木葉刑事。
「あの・・こうゆう場所は、自分は初めてなんですが。 清水さんは、良くいらっしゃるとか?」
案内に庭を先導する女将は、着物の袂で口を隠し。
「おほほ…。 このお店の裏手に、今は使ってない離れが御座います。 順子ちゃんは其処を下宿先にして、大学に通っていたのです」
(こっ・この店の一部を・・離れぇぇ? ヤバい、ヤバいヤバいヤバいそぉぉっ!)
益々、彼女と逢うのが怖く成った木葉刑事。
初対面の二人で逢うにしては、何故か庭園を行き過ぎて奥座敷に案内されたと、悶々と思う木葉刑事。
‘蜻蛉庵’
と、木の看板が掛かる。 八畳の床の間、書斎風の四畳半に、風呂付きと云う。 明らかに、訳ありの男女や会合が行われそうな、そんな離れへと案内された木葉刑事。 茅葺き屋根に、漆喰の壁とは風流な趣の離れだ。
鹿威しの音を聞きつつ、先に部屋で待たされる事に成った木葉刑事は、内心に。
(さ・佐貫さん、助けて下さいッス)
然も、‘清水 順子’なる女性から、既に一通りの注文が在った様で。 お茶と共に、先付けが出される始末。
(クッソぉぉっ。 侭よっ)
普段から殆ど飲まない酒は辞めつつ、食べる木葉刑事。
そして、木葉刑事が到着してから、遅れる事20分ほどして。
「すみません。 此方から指定して起きながら、遅れて仕舞いまして」
赤いロングコートを片手に、黄色いスーツの上着にスカート姿で現れた順子。
「あ゛っ、初めて・・お目にかかります」
恐縮して慌て箸を置き、挨拶を返した木葉刑事だった。
さて、書斎にて黒いセーターに上を着替えた順子は、木葉刑事と向かい合って。
「木葉さん。 今夜は、此処に泊まって頂けますか? 実は、越智水先生から聴いたお話を、貴方と確認したいの」
「いや…。 泊まる必要は・・」
明日は、珍しく非番。 怪我人の木葉刑事は、まだ窮屈なスケジュールに入れて貰えない。
然し、何故か順子は、人懐っこい感じに。
「大丈夫よ。 私は、自室の書斎で寝るし。 この広間は、私の居間みたいなものだから」
簡単に言ってくれる順子に、酷く困った木葉刑事。
然も、トラフグのお造りだの、越前ガニのお造りだのと、恐ろしく高級な料理を出され。 財布を開くのが、恐ろしく思える。
食べ方すらぎこち無い木葉刑事に、パクパクと食べる順子が笑い。
「木葉さん、安心して召し上がって。 この料亭は、母の弟妹が営んでるの。 今日の分は、全部タダですから」
その一言に、恐れ多いやら、安心やらの木葉刑事。
(金・・心配が要らなかった…。 良かった、良かったぁ………)
然し、最後の甘味まで終わり。 夜の9時を大きく回る頃。 女中さんの出入りも、すっかり終わってから。
「木葉さん。 悪霊に触れたとは、本当に?」
漸く、相手が医師と思い出した木葉刑事。
「清水さん。 越智水先生に聞きましたが、貴女も神経内科の医師とか。 困って居るんですが、この怪我・・治りますかね」
と、上着を脱ぎだした。
いきなり脱ぐので、目を丸くした順子だが。 その青黒く変色した皮膚が、半分以上を占める左腕を診ると。
「これって・・」
「神経は、だいぶ元に戻っているみたいです。 只、この外側の皮膚が、妙にチクチクと痒みを帯びて痛むのです」
「これが、怨みの力を受けた怪我…。 左腕の中身が、衝撃波を受けた様ですね」
「この痣は、内出血の痕らしいッスね」
警察病院の医師の診断を云う木葉刑事に対して。
「そうね・・。 確かに、完治は難しいかもしれない」
と、云う順子。
「そうか…」
Yシャツを着る木葉刑事へ、今度は順子から。
「ねぇ、木葉さん。 越智水先生から・・聞いたんですけど」
「はい?」
「あの・・あ、悪霊を相手に。 貴方が指し違える覚悟って、本気ですか?」
上着を着るまで黙っていた木葉刑事だったが。
「越智水先生は、清水さんに其処までお話に成ったんですか」
「えぇ・・、私がね。 大学病院で亡くなった女性の事について、先生に意見を求めたの。 だから、先生は・・・その・・一蓮托生の様に…」
すると、順子に背を向けたままの木葉刑事で。
「マンガや映画の様に、魔法や超能力を遣えたら楽なんだけど・・。 視る事は出来ても、退治は無理なんですよ」
「でも、きっと何か方法がっ」
命懸けなど、無意味と思う順子で在る。 確証の無い遣り方なんて…。
すると、木葉刑事が。 ちょっとだけ脇を向いては。
「遣って見なければ解らないけど。 霊が怨念で狂い犠牲者を出し続けているのは、刑事として辛い。 あの悪霊に変わった彼女だって、警察が早く広縞を捕まえてたら、少しは変わったかも知れない」
すると、順子が対面に座って。
「でも、変わらなかったかも知れないわ」
堂々巡りの話に成ると感じる木葉刑事で。
「仕方ないですよ。 刑事なんて、そんな生き物ですから」
「何でも、叔父さんも・・刑事を為されていて。 貴方と同じく、幽霊が見えていたとか?」
「どこで・・それを?」
「越智水先生は、一緒に対象を考える私も、視えてはいませんが既に関係者と・・。 もしもの時には、貴方に協力しても構わないと、全てを教えてくれました」
「・・そっスか」
木葉刑事は、越智水医師の配慮を感じた。 自分で引き留められないから、代わりにこの順子を寄越したと感じる。
「木葉さんは、小さい頃からその・・霊が視えていたんですか?」
順子の問い掛けに、やや余所余所しい木葉刑事。
「ふっ、厳格そうだ…」
と、ポツリ。
「は?」
問い返した順子を、脇目に見た木葉刑事で。
「小柄だが、何時も和服着て。 頭は真っ白に成っても、堅い真一文字に結ばれた口。 貴女と同じく涙黒子が在る奥さんと二人、孫の事を見守っている。 今も、俺を睨んでますよ」
その話に、驚く順子は辺りを見てから、木葉刑事を見て。
「し・信じられないわ。 わた・私の祖父母の事?」
頷いた木葉刑事。
「悪霊に触れて、身の危険を知ってか。 自分の霊視する能力が、高まって来ているらしいンですよ」
「そうゆうもの・・なんですか?」
すると、木葉刑事は、頭を左右に振り。
「他の同じ能力を持つ方をあまり知らないので、ハッキリとした事は言えませんが。 個人的な感覚を思えば、個人差が在るみたいです。 鏡とか、水とか、何かを介さなきゃ視えない人も居るし。 霊の方から意識して近付いて来た時のみ、ぼんやり視える人も居る」
「そうなんですか」
「自分の叔父が、まだ自分が子供の頃に言ってました」
“俺は、強い怨みの念を持った霊しか、視えないんだ。 視る力が強く成っても、他人を守る霊なんか殆ど見えない。 基本的に、人を守る霊は視られたく無いからな。 それがハッキリ視える様に成ったら、いよいよ面倒だぞ”
「・・ってね。 視ない様にしているけど、貴女の後ろの方は場合は違う。 自分か、何かは解らないけど。 明らかに何かを嫌がって、御祖父母は視える様に出て来たみたいだ」
「どうして? 何で、祖父母が貴方を嫌がるの?」
木葉刑事は、渋めのお茶を啜り。
「恐らく、理由は一つ。 貴女が知ろうとする悪霊が、余りに危険で恐ろしいからだ。 越智水先生のお亡くなりに成った祖母ですら、自分に諦めなさいと言って来た程。 自分の孫が可愛いのは、どの御祖父母も同じですよ」
「そんな事・・」
然し、不思議なのは、木葉刑事も同じだ。 知ろうとしなかったから、視て来なかったが。 順子を見ると、視える霊から他の事まで解る。
「清水さん、貴女…」
「はい?」
「お祖父さんが大切に為さったモノを、一つ。 お祖母さんが大切に為さったモノも、一つ。 受け継いでらっしゃいますね」
その木葉刑事の話を聞く順子の顔は、
“何で解ったの?”
と、驚きの表情へ。
一方の木葉刑事は、それが朧気に見えた。
「お祖父さんの大切な物とは、貴女が今もお使いの立派な座椅子の様だ。 そして、お祖母さんの大切な物とは、貴女が大学の入学式や成人式に着た・・振り袖と、帯留めや簪みたいだ」
木葉刑事の見ているものに驚く順子は、自分の背中を見たり、木葉刑事を見たりして。
「そんな事まで、み・視えるんですか?」
「いや、違う・・。 そうじゃないんです」
「あ・・え?」
「貴女が、御二人からして如何に大切か。 祖父母が、そうして守ろうとしている」
「そ・・そんな」
「それだけじゃない。 清水さんは、お父さんが病弱で・・寝たり起きたりの生活みたいだ。 祖父母のお二人は、自分達の大切な記憶を留めたモノを見せて、此方に訴えています。 孫を巻き込むな・・・、とね」
言った木葉刑事は、不思議な程に穏やかに笑うと。
「貴女には、手を出さないに限る。 おっかない祟りが、在りそうだ」
と、席を立ち。
「悪霊の事は、視えない貴女に・・。 捜査をする仕事に、権限の無い貴女には、関係が無いと思います。 生きて事件を解決したら、越智水先生を介して後日談で教えますよ」
と、離れを出て行った。
立ち去る木葉刑事を見る順子。 これまで、言い出したら聞かない性格の自分だったのに。
(お祖父様とお祖母様を出されたら…。 何で、何でお父さんの事まで解るのよ…)
だが、今日の順子は、同い年に近い男性に初めて心惹かれた気がした。 今までは、自分と越智水医師ぐらいの年齢差で、人格者的な雰囲気の人物にのみ、何時も心惹かれるのに。
一方、廊下で出逢った女将さんの見送りを貰って、木葉刑事も外に出た。
「ハァ、流石に12月となると東京でも寒いな~。 いい加減にコート出そう」
12月初旬の寒さに、背中を丸めて最寄り駅に向かった。
木葉刑事の予想からして、順子と二人きりで逢うのは、これで最後だと思った。
処が…。
木葉刑事と順子が出逢ったのは、何らかの運命的な糸が在ったのかも知れぬ。
その真夜中の事だ。
と或る大きな施設の中。 彼方此方の何処かにだけ、ポツン・・ポツンと明かりが灯るだけ。
その灯りが点く中でも、“資料室第6号”と札の在る部屋から、明かりが廊下に漏れていて。
「チキショウ…。 誰が、俺の順子を誘いやがった?」
灰色の簡易机の上に、何か資料のまとめた紙の束を置き。 軍用サバイバルナイフを片手にして、苛立つ言葉と共にその紙をナイフで刺す人物が居るのだ。
「順子・・・俺の順子っ」
こう呟いているのは、ちょっと見ても解るイイ男だ。 長すぎない髪型だが、キチンと整髪されているし。 細面で鼻筋も通っている。 嫌にしつこそうな眼光だが、身体も均等の取れたスポーツマンタイプだ。
「誰だっ? 誰が誘った? 越智水のジジぃは、最近は急に親密だが。 今は、海外に出張の筈。 同じ課のオタクとウスノロは、今日は仕事だ」
資料の束の裏手。 白い背表紙に、人の名前を書き出す端正な顔の医師。 白衣を羽織り、胸のネームプレートには‘志賀貴 雅史’(しがき まさふみ)と在る。
看護士の女性に人気の志賀貴だが。 同い年には‘難攻不落’と云われる順子を狙う。
さて、何か閃いたのか。 サバイバルナイフをガッと、音がする程に突き立てた志賀貴医師。
「あ゛っ、もしかして坂下のオッサンか? 去年に奥さんを亡くしてから、愛人だけじゃ満足が出来なく成りやがったな」
然し、そんな事を独りで言う自分を覗いて居る者が居ようとは、露にも気付かない。 少しだけ開いたドアの隙間より、何者かが志賀貴医師の様子を窺っていた。
夜も更けて、必要最小限の明かりのみが灯る薄暗い中。 足音も微かに、廊下を去りゆく何者か。 階段を下りて、施設三階の暗い部屋に入るなり、鍵を掛けて奥に向かった。
この人物、奥に向かいながら。
(やっぱり・・志賀貴の野郎も、僕の順子を狙っていたっ! だぁれがっ、誰がっ、あの色魔なんかに順子をっ!)
奥に来て、デスクの表面を下の内側から照らすライトを点けた何者かは、机の上に在るファイルを開いた。 其処には、A5サイズにプリントアウトされた清水順子の顔が印刷されて在る。
(順子は・・・僕のモノさ。 順子・・順子ぉぉぉぉぉ……)
どんな妄想をしているのか。 影となるその人物は、プリントアウトされた順子の顔をべロリと舐め始めた。
そして、一時ばかり写真を舐めていると、その写真を離して。
(然し、どいつもこいつも色ぼけして。 僕の順子を、あの坂下までが狙ってるのか。 何よりも、愛人が居る分際なのにっ! 順子を食事に誘っただとぉぉっ?! 殺してやる、坂下もっ、志賀貴もっ、殺してやるっ!!!!!!)
明かりの点いたデスクにドカッと座るのは、30半ばはとうに過ぎた感じの太った男だった。 短髪、肥えた腹、丸顔、眼鏡、何処にでも居そうな人物だが。
(順子をずっと、ずぅ〜〜っと見て来たのは、この僕だっ。 あの92センチFカップのおっぱいも、キュッと上がった形のイイお尻だって。 全部、ぜぇ~~んぶ、僕のモノだぁぁぁ…)
太った中年男は、デスクの引き出しを開け。 其処から写真の束を取り出す。 見ればそれは、順子と歩く男のツーショットばかり。
(順子が好んで居ても、ずっと手を出さない越智水先生は、違う。 え~~っと、志賀貴に。 エロジジぃの坂下か)
男性が順子に言い寄る処を、彼はばっちり盗撮していた。
すると、太った人物は今度はスマホを取り出して、何かの動画を再生し始め。 専用の、充電して立て掛けるプレートに置いた。
(順子…)
その立て掛けたスマホの画面では、何故だろうか。 女性専用の更衣室にて着替えをする、清水順子の映像が流れている。
(うはぁ~、昨日は上下の下着は白だったのに。 今日はっ、透けた紫色っ!! これはお宝だっ!)
ズームアップして、繰り返し再生にする太った中年男は、歓喜にニタニタしながら。 次は、違う引き出しから何やらを取り出した。
(さぁ~~~~て、これより‘僕式裁判所’の開廷だ。 極悪人、前へぇ~)
先ずは、と。 色男の志賀貴の写真を目前に持って来た、その太った中年男。
(僕の順子を狙った罪、何人もの看護士や医師の女を付き合っては、捨てて泣かせた罪で、死刑っ!)
徐に、縫い針を志賀貴の写真へと、笑いながら突き刺したその中年男。 ブスリ、ブスリと、不気味な笑みを浮かべてつつ、ギラギラ光る眼に殺意を込めて刺す。 目、口、心臓の辺りに、何本も・・・何本も刺す。
スマホに流れる画像には、別の女性医師の着替えも入る、過去の順子の着替え映像が流れていた。
女性の下着姿の映像と、妄想で人を殺す事を考えた太った中年男。 坂下と言う初老の医師の写真にも、力を込めて縫い針を刺す。
(憎いっ! 恨めしいぃぃっ!! 坂下ぁぁぁっ、エロジジぃめ!! 死ね、死ねぇ、死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!)
彼の脳裏には、順子と絡む以外にも何等かの憎悪が在ったらしい。 志賀貴医師と、順子の上司に当たる坂下医師に対し、その向ける怒りの顔は異常だ。 何処となく、ヘラヘラした様子も含みながらも殺意が顔に現れていて。 一刺し一刺しに、憎しみや怨みを込めていた。
さて、個人的な裁判が始まって、突き刺す写真が20枚を超えていた。
時は、既に真夜中の3時を過ぎた。
「ハァ、ハァ、志賀貴ぃ~、坂下ぁっ! これで解ったかぁ~?」
飲まず食わずで、二時間は同じ事を繰り返していた彼。 こんな事に、それだけの時間を費やす以上は、かなりの想いが在ったのは確かだった。
幾らか気が晴れたのか、汗ばむ額を腕で拭う太った中年男だが。 その耳に。
“にぃぃぃぃくぅぅぅぅぅいぃぃぃぃぃのぉぉぉぉぉかぁぁぁぁぁぁ”
中年男の耳元・・・、いや。 後頭部の中に声が響いた感じだった。
「ひぃっ!」
驚き吸った息が、そのまま悲鳴の様に成り。 恐る恐る、後ろを振り返った中年男だが…。
「ふっ・・ふぅぅぅぅ、空耳かよ」
と、安心して前へ向き返した時で在る。
“にくらしや・・。 おまえ・・のに・いあいて・・は、どこにいる。 のろい・・ころしてしま・・か”
また、不気味な声が、頭の中に響いた。
太った中年男は、ギョッと目を開いた瞬間。
(も・もしかして、僕の隠された能力が・・)
マンガやアニメの見過ぎ・・・。 いや、こういうのは、他の愛好家には侮辱だろう。 寧ろ、こんな行為に神経を費やす事が、おかしいのだ。
だが…。
また、あの呪いに因る死への扉が開かれてしまった。
そして、無為に日は過ぎる。
さて、新たなる出逢いには、良し悪しは別に、新たな展開が開かれる事が在る。
順子と出逢ってから3日後。 木葉刑事は、奇妙な事に気付いた。
(あっ)
世田谷の住宅街の中を歩いて、聴き込みとなる地取り捜査をする中で。 何故だろうか、順子の背後に居た祖父母を見る。 非常に険しい顔をしていて、何故かふっと見る視界に入っている事が有るのだ。
(今日は、これで二度目・・だな)
殺害された若者三人への怨恨の線で、不良から友人にまで。 何か手掛かりを・・と、聴き込みを繰り返す捜査員の刑事達。 こんな恐ろしい事件は早々と終わって欲しいと、皆が何とかモチベーションを保って頑張っていた。
木葉刑事と佐貫刑事も、今はその捜査に加わっている。 年末で、別件の殺人事件も在り、人手が足りない中だから。 この二人ですら、捜査陣営には有り難い筈で在る。
幽霊の所為か、ボヤっとした木葉刑事の元に、公園のトイレから戻って来た佐貫刑事が。
「うぃ~、待たせたな」
「あ、あぁ・・はい」
「何をボ~っとしてんだよ。 そんなこったから、美人女医を料亭に置いて帰って来るんだ」
順子との話を聞いてから、何か在るごとにこう繰り返す佐貫刑事。
「佐貫さん、無精ヒゲ。 それに、ちょっと汗臭いし」
やり返せば、ムッとする顔を見せる佐貫刑事。
「お前っ、俺の女房かっ」
駅に戻る二人は、朝の会議で一課長に、聴き込み先の指定を言われていたので。
「さて、次は・・狛江だな」
と、佐貫刑事が言い。
「聖稟学園ッスね。 もう3時過ぎてますから、生徒に話は聞けそう」
「おう。 お前、先に園長に会えよ」
「許可を取って来ますよ」
「頼む」
狛江の駅で降りた二人は、バスに揺られて‘聖稟学園’へ。
学園の外から佐貫刑事が、通行人へ軽く聴き込みを掛ける。 木葉刑事が許可を取るまでは、生徒に絞らずして話を聴いたりする。
木葉刑事は、佐貫刑事の話が警察へ飛ぶ前に園長へ面会した。
この聖稟学園は、この20年程で一気に有名に成って来た、中高一貫の私立校だ。 変わる前は、所謂の‘お金持ち’学園だったこの中に、‘運動’・‘進学’・‘技術’の三大コースの特別学級を作り上げ。 才能の在る者には、家の収入に関係なく門戸を開放した。
今では、その三コースに標準進学級を足した四コースは、有名大学進学率の高さだったり。 スポーツの各種に、突出した学生を出す為に。 受験生や親からも、人気の的に成っていた。 また、この学園には、申請制度の留年も可能で。 身体の弱い者は、通院や手術も視野に入れながらの通学が可能だったり。 ボランティア活動、留学等でも、留年しながら学位を取る事も出来る。 そして、進学科には《法律研修課》と云う選択授業課目が有り。 大学に行く前より法律の勉強も可能なのだ。
さて、先に亡くなった不良グループの三人は、エスカレーター式の付属学級で。 進学科や他の科が有る校舎とは別の校舎に通う者だとか。 中間・期末テストを点数の関門無くこなし、出席日数さえ指定された日数パスすれば、卒業が出来る立場に居た。
だが、あの三人は、まだ中等部で一度、留年をしていて。 学生として遊ぶ為に、今年か来年でまた留年するのでは・・と、先生から見られていた。
佐貫刑事は、以前の聞き込みにて。
“後に亡くなった横川と言う若者と、先に亡くなった三人は、中等部の1年の時に一緒のクラスだったらしく。 あの三人から、恐喝やイジメを受けていた”
と、関係を聴き込んでいた。
(この分だと、他にもカモにされた奴が居そうだな)
そう感じた佐貫刑事は、本部に報告する情報と供に。 実際に、他の憎しみを持つ事例を聴き込みで探す。
手当たり次第だが、身近な別の憎しみに悪霊が反応しないとも限らないと思って…。
一方。
進学級の校舎とエスカレーター式の校舎は、学園の中でも離れた別。 その間に在るタワー型の建物は、先生が居る管理棟で在る。
制服に私服を重ね着する若者を見つつ、エスカレーター式の学級が在る。 白い建物に入った木葉刑事は、其処で園長室に向かうと云う、若い新任の女性教師と会った。
新任の案内により、やって来た園長室。 中で会った女性の園長は、まだ若い40代。 学園のイメージの為にも、警察が彷徨くのは好ましくない筈だ。
(嫌われない様にしないとな)
面会した木葉刑事は、捜査陣営の一人として。 今回の事件を解決したい旨から伝え、許可を申し上げた。
計四人もの死人を出した学園側は、犯人が学園の生徒を狙っているのか・・と非常に心配していたので。
「どうぞ、配慮をお願いしますが、御存分に」
と、此方へ頭を下げて来た。
「許可を頂き、ありがとうございます。 犯人の逮捕まで、長い道のりになるかも知れませんが。 此方も、労を惜しまず費やします」
木葉刑事の態度に、園長は何か感じるものが有ったのか。
「はい。 生徒に、これ以上は傷付いて欲しくはないので、どうか対応だけは慎重に」
「はい。 それは、最大限に配慮致します」
退室の一礼を以て、廊下に下がった木葉刑事。
歩き始めた彼は、先に面倒な不良グループの居たクラスに向かい。 カバに似た初老の担任と共に、居残る生徒へ事情聴取をする事に。
ま、良くある事だが。 有益とも、無益とも解らぬ情報を聴いた。
次は、横川と言う生徒の居た特別学科校舎に。
進学科1年生の横川と言う若者は、クラスでも成績は中ほどの地味な生徒。 また、中等部の頃の最初は、先に亡くなった不良グループと成績が変わらないぐらいだったらしい。
恐らく、イジメられる環境から抜け出す為に、彼なりの努力はしたのだろう。
その辺りを含め、一通りに話を聴いた木葉刑事は、廊下から裏門に回って。 もう少し、他の生徒へ話を聞こうとしたのだが。
生徒が多い、クラブの行われる新校舎に向かう途中で。
「あら、木葉さんっ」
と、声を掛けられた。
「ん?」
振り向いて見れば、ボブを少し超えた髪型の女子生徒がいる。
「あれ・・もしかして、迅の妹さんかい?」
少し鋭い印象を受ける切れ長い眼、黒い髪に肌色の瑞々しい肌をした綺麗な娘で在る。 最近の女子高生は、昔に比べて大人びていると云うが。 正に、大学生ぐらいの雰囲気が在る、目の前に来た彼女だが。
「その手・・凄い」
まだ、肌の色が元に戻らず、痛痒い左手を庇っている木葉刑事。
「あ、ちょっとね。 って、知ってた?」
「うん。 木葉さんが怪我したって、兄さんから聞いたの。 でも、大丈夫そうで良かった」
「迅に、聞いたのかい?」
「うん。 ウチの兄さんは、組織対策課だから。 心配してたわ、先輩のコ・ト」
妙に親しげに、木葉刑事へ言葉を投げるこの女子生徒。
一方の木葉刑事も、それが馴れた様に。
「あのスーパーエリートに、離れた処から心配されてもねぇ~。 ま、アイツが管理系の上に行ったら、寝てても給料貰える部署に入れて欲しいと、こっそり頼もうかな」
木葉刑事の不甲斐ない言葉に、呆れ顔をする女子生徒で在り。
「何よ、それ。 木葉さん、税金泥棒になっちゃうわよ」
「ははは~」
然し、女子生徒は、顔を真面目にし。
「一課の刑事さんが来たって事は、例の事件でしょ?」
「ま、解っちゃうよな」
「でも、聴き込み大変でしょ?」
「まぁね」
「当然だよ。 ウチの学園って、見た目に寛大そうだけど。 校則の一部は、凄く厳しいの。 学園の中で、先生に暴力を振るったり。 生徒同士でも、恐喝とか万引きとかしてバレたら、一発で退学に成るわ。 だから、悪い生徒は大概、学園の外で遣るの」
と、言ったが。
此処で、何故か木葉刑事に近寄ると、女子生徒は小声にて。
「まぁ、先に亡くなった三人は、退学スレスレを寄附金で何とか回避してたみたいだけど~」
と、告げてから身を戻す。
「ナルホドねぇ」
どの世界にも、裏事情が在ると感心した木葉刑事へ。 女子生徒は、ちょっと苦笑いを浮かべ。
「私、新聞部だから、この事件を記事にしようと思ったんだけどネ~」
「その渋い顔からして、止められたのかい?」
「うん。 園長も嫌がったけど、父兄会からも非難が来ちゃって」
「それは~難しくなるね」
「う~ん、友達からも頼まれて、流石に折れたわ」
「でも、イイ事を聴けた。 外・・か」
すると、その女子生徒が。
「木葉さん。 コレをあげる」
「なんだい?」
鞄から取り出されて差し出されたのは、青い表紙の小さい手帳。
「これは?」
問う木葉刑事に、女子生徒はニッコリして。
「私が聴き込んだ、今回の事件のネタ帳」
「え~・・、イイのかい?」
「イイですよ。 どうせ、家に在る自分のノートパソコンには、全部入ってますし。 今回は、大学受験に集中したいので~」
手帳を受け取る木葉刑事は、女子生徒へ苦笑いし。
「そっか、もうそんな年頃か。 目指してる学部は?」
「‘総合社会’です」
「あ~、最近に出来た学部だね。 確か・・経済学部と社会人文学部と、情報学部だかの融合だよね?」
「はい」
「じゃ、迅と同じく、警察には来ない訳ね」
すると女子生徒は、笑顔を返して来て。
「私、父と同じく記者に成りたいんです」
‘記者’と聞いた木葉刑事は、困った笑みを浮かべると。
「えぇ? 君・・ブン屋に成るの?」
「はい。 木葉さん、覚悟して下さいね。 数年したら・・・付き纏いますよぉ~」
そう聞いて、ガックリと俯く木葉刑事。
「おいおい、その頃にはさぁ~。 兄貴の迅も、幹部候補として警察庁に行ってるんじゃないか? うわぁ~、嫌な兄妹の組み合わせだな~」
「そ・れ・よ・りっ、木葉さん。 犯人が居るなら、早く捕まえてね。 学園がピリピリしてて、なんか落ち着かないから」
近寄って来た女子生徒に、仕方無さそうな頷きを返した木葉刑事。
「嗚呼、頑張るよ。 それじゃ、外に居る先輩と合流するから。 手帳、ありがとうな」
「はい」
「受験ガンバレ~、出来たらブン屋以外を頼む~」
「い~や」
廊下で別れた女子生徒へ、別の女子生徒が近寄る。
「裕子、あの刑事さんと、知り合いなの?」
「うん。 兄の大学の先輩でね。 中学生の頃に、知ったの。 刑事さんの割に、柔らかい感じの優しい人」
「ふぅ~ん。 でも、頼りなさそ~」
「かもね~」
さて、知り合いの女子生徒と別れた木葉刑事は、校門に向かおうとしたのだが。
(ん・・また)
下駄箱代わりのロッカーが並ぶ、一般玄関にて。 持って歩いていた靴を置き、管理棟の関係者通用口から外に出ようとした時。 また、順子の背後に居た祖父が現れた。
靴を履いて、過ぎ去る間に見合った霊と木葉刑事。
(もしかして、解釈が違ったかな。 ‘嫌う・怒る’以外には、ん~・・・)
考えながらグランドを突っ切って正門を出れば、帰宅する生徒に話を聴いていた佐貫刑事を見る。
「おっ、遅かったな。 何か、言われたか?」
「いえいえ、亡くなった生徒達の教室にも、聞き込みに行きまして」
「そうか」
「然し、中に知り合いが居ましてね」
「先生にか?」
「生徒ですよ」
「誰かの娘か」
「あの、佐貫さん。 4課・・じゃなくて、マル暴取り締まりの部署に居る捜査員で、‘居間部 迅’って知ってます?」
すると、彼の名前を知っていた佐貫刑事は、また喋りくる生徒達が出て来たので。 歩道の端に寄りつつ。
「確か・・・、お前と同じく国立の大学を出た奴で。 公務1と司法試験を取って来た奴だろう?」
「はい。 迅は、自分より二つ下の後輩なんですよ」
驚く様な素振りに至る佐貫刑事で。
「なんだよ、お前。 今の時点で、もう後輩に抜かれてるじゃねぇ~か」
苦笑する木葉刑事で、車道を見つつも。
「お互いに警察官に成った時点で、既に負けてますよ」
「はっ、なっさけねぇ」
「はい」
「んで?」
「それが、迅には妹さんが居ましてね。 ‘裕子’(ひろこ)ちゃんと云うんですが、中々の美人に為ってましたよ」
「そ~か、そ~か」
「でも、成りたい職業が父親と同じ‘ブン屋’は、止めて欲しい」
と、バス停に歩き出す木葉刑事。
頷いて理解する佐貫刑事だが、面倒くさい事に成ると気付くや。
「ほう~、ブン屋にねぇ・・・な゛、ブン屋ぁ?」
記者やライターの俗名を口走る佐貫刑事は、時折に情報収集の為に来るしつこいブン屋を思い出す。
(じょっ・冗談じゃねぇぞ。 兄貴が偉く成ったら、こっちがあしらい難くなるじゃねぇかっ)
「お、おいっ、木葉っ。 お前が、その妹を口説いてしまえっ」
「止めて下さい。 あんな出来た彼女なんか、恐ろしくて付き合えないッスよ」
「お前なぁっ、捜査状況の進展を欲しがるブン屋のしつこさは、クソ面倒臭いって知ってるだろうがっ」
「でも、此方よりずっと賢い娘ですからね。 兄貴も、組織対策課のエースだし。 無理、諦めましょ」
「何を弱気なっ。 十幾つも歳の差がありゃ、お前にも年の功が在るだろうがっ」
「佐貫さん」
「なんだっ」
「自分、まだ30過ぎッス」
「相手は、女子高生だろうがよっ」
なんだかんだと、相性が合って来た二人。 裕子からの情報と、手帳の内容を伝える木葉刑事。
佐貫刑事は、本部に戻って報告しようと云う事となり。 まだ歩みの遅い木葉刑事を、バスや電車でも座らせた。 くっ付いたばかりの骨や痛めた腕を、満員に成る電車内で揉ませる訳に行かなかったからだ。
さて。
裕子のくれた手帳に、目を落とす佐貫刑事だが。
座る木葉刑事は、悩ましい。
(どうして、自分の目の前に現れるんだろう・・。 嫌なら、逢わなければいいだけだ。 怒っているなら、同じ事…)
順子の祖父母が現れた事に、木葉刑事は次第に不安を感じる様に成る。
(困ったな~。 越智水先生が、早く海外から戻ってくれるといいんだが。 あんな風に別れた手前、こっちから連絡すると角が立ちそうだし)
全く、この不安が外れてくれれば良い。 祖父母は、自分に、これ以上順子へ近付くなと警告しているならば、それで良いのだ。
新しい不安に、木葉刑事は頭を悩ませた。
3
木葉刑事が順子と出逢い、今日で8日が過ぎた。 そんな折に、越智水医師よりメールが届いた。
[木葉君。 越智水だ。
済まないが、帰りが遅れそうだ。 シンガポールでの学会から、急遽スウェーデンに向かう事に成った。
処で、順子君に連絡をしたかい?
彼女から、
“どうやら嫌われたらしい”
と、メールが来たが?
何か、嫌な事でも在ったかな?
忙しい最中だろうが、夜にでもメールをくれると助かるよ
では、越智水より]
越智水医師よりのメールを見た木葉刑事は、丁度また彼女の祖母の霊を目の前にしていた。
其処は、渋谷で。 不良グループが時折に溜まっていた、或る裏路地。
「おいっ! お前等っ、傷害で逃げ回るなんざぁな、セコ過ぎるんだよっ」
と、言って居る佐貫刑事が、傷害を起こして逃げ出した若者二人をとっちめた処で在る。
「佐貫さん、手錠~」
二人の金髪不良は、佐貫刑事の護身術でへばっていて。
「おうっ、木葉。 コイツ等を捜してる所轄の刑事に、連絡しろよ~」
と、手錠を受け取る佐貫刑事が居る。
正に、その捕まった不良の間の片隅に、順子の祖母が佇んでいる。
不良を捜している署員へ、連絡する木葉刑事だが。 この祖父母の霊を見る事、既に50回近く。 嫌な気配に、やや面食らっていた処で在る。
(連絡ねぇ~)
仕事優先で、若者達の事を所轄の刑事課に告げれば。 所轄の課長から礼を受けた。
二人の不良の迎えが到着する暫しの間。 幽霊を見ては、また考え中と成る木葉刑事だった。
さて。 一方、所変わって…。
越智水医師の在籍する大学にて、その日の夕方。 更衣室に入った順子。
(はぁ~、越智水先生は居ないしな~。 木葉さんからでも、何かヘルプ的な連絡が来ないかしら)
事件の事を話し合いたいのか、木葉刑事の事をもっと知りたいのか。 その辺りを深く考えない様にしている順子は、上着に着替えるべく白衣を脱いだ。
広い大学だが。 女医の更衣室は、他に比べて狭い。 人数が少ない影響も在るだろうが、少数派部活の部室みたいなもの。
其処へ、ノックが入る。 更衣室と掛かれたドアが開かれ、更衣室の横に沿う内廊下をヒールの音がする。
更衣室の中に居た順子は、更衣室に入って来た女医を見て。
「真山先生、お帰りですか?」
と、声を掛けたのだった。
「はい」
順子の三つ隣のロッカーに立つのは、儚げな印象の漂う女医で在る。 順子より、5つは年上で在るのは間違いない感じで。 白衣を無くせば、クラブのママさんの様な、しっとりした雰囲気が漂う。
「清水先生も、このままお帰りですか?」
そう問い掛けて来る真山女医は、後頭部に結わいだ髪を解き。 少し襟周りを開いたブラウスの周りに乱した。
「はい。 今日は、築地の叔母の元で呑もうかと」
空元気で云う順子だが。
順子程に美しくも無く、順子程に胸やお尻が立派でも無い真山女医だが。
「あらあら。 この大学病院一の美人が、一人でお酒? この間、何方かとデートだったと、若い医師達が噂してましたわよ」
それは、間違い無く木葉刑事との事と思い。
「ちっ、違いますよ。 越智水先生のご友人で、刑事さんですよ。 ほら、例のバラバラにされた、別の病院の患者さんの事件。 あれを担当されてるので、お話しが聴けたらな~・・なんて」
すると、制服の用に置いているスカートと、普段着のスカートを穿き替えた真山女医が。
「あら、そうなんですか。 お噂だと、本当の御相手は坂下先生か、志賀貴先生じゃないか・・って」
真山女医の話に、順子の顔が一気に落ち込む。
「え゛ぇ・・なんで、そんな方向に行くのよ。 どっちも、タイプじゃ有りません」
順子の話に、真山女医は何故か優しく微笑む。
「でも、清水先生は、その刑事さんが好みなのね」
いきなりの一言に、ビックリする順子だが。
「清水先生は、そう云う感情を隠すのが下手ですね。 その方の事を話した時、越智水准教授の事を話される時と、同じ顔をしましたよ」
「えっ、え゛?」
ロッカーの内側に在る鏡にて、自分の顔を慌て見る順子だが。 自分の顔を見つつも、出て来る感想は、あの出逢った夜の事で。
「でも、真山先生・・。 相手に私は、好かれて居ない感じでしたよ」
と、つい愚痴る様な言葉が出てしまった。
女性用の黒いトレンチコートをロッカーより取り出す真山女医だが。
「それは多分、清水先生が心から女性に為って無いから・・、では在りませんか?」
上半身を下着姿と云うままの順子は、ふっと真山女医を見る。
「え?」
コートを羽織った真山女医は、ブランドのバックを足元に出しながら。
「清水先生は、既に見た目がお美しいから、その見た目を気に入られた男性が寄って来ます。 ですが、内面も見る男性は、女性の女らしさまで見る気がしますの」
「真山先生・・・素敵」
変な言葉が返って来たと、順子を正面に見た真山女医。
一方の順子は、珍しく医師ではない彼女の、困った顔に変わり。
「医師として、自分でもソツなくは出来ますが。 女性としては、私は自信が無いんです。 患者さんを励ませても、女として男性を励ますのが苦手です」
弱音を吐く順子の姿。 それを見た真山女医は、明らかに順子の女性としての内面が、その刑事の男性に惹かれ始めていると観た。
また、実際。 相談する順子の目からして、この真山女医を常に綺麗と感じていた。 女性として、医師としてが両立していると感じる。
「私には、真山先生が羨ましいです」
「どおして?」
「だって先生は、恋愛と仕事を見事に両立してらっしゃる。 私、恋愛をしたら、恋愛に。 仕事なら、仕事に傾くばかりで。 バランスなんて、とても取れなそう…」
この時、人生経験も左右するのか。 真山女医の眼に、順子の未熟な若さが見えた気がした。
(この娘には、坂下先生と通じ合うのは無理だわ)
こう感じた真山女医は、スッと自然に順子へ近寄り。
「両立は、慣れよ。 お付き合いして、仕事と恋愛を両方してみない事には、ね。 その感覚は、解らないのよ」
張りの豊かな胸元をそのままに、順子は真山女医を見返し。
「真山先生。 其処に、素養が必要では?」
「駄目ですよ。 ‘素養’なんて言葉を、経験も無い人が持ち出すのは、タダの逃げですね」
優しく窘められた順子は、負けたと感じて俯く。 この手の話では、真山女医に勝てる気がしない。
真山女医は、順子の顔を覗くと。
「清水先生。 清水先生は、恋愛から逃げているだけだと、私は思いますわ。 そんな事じゃ、結婚や子供に慌て始めると、変な男性に騙されちゃうわ。 好きな男性には、感じてしまうのが女の性」
いきなりの大人的な話に、順子はまた驚く。
「さが‘性’って・・先生」
「だって、異性を好いてしまうのも、当然の事ですし。 また、愛し合いたいと、肉体を交わらすのも当然の事。 人間も、理性と云う力を持った、タダの生き物に過ぎないのだから」
「それは、た・確かに…」
「私から見て、清水先生はその刑事さんと云う方とお付き合いすべきね」
「え?」
真山女医に、眼を釘付けにされた順子。
一方の真山女医は、珍しくニッコリして。
「だって、清水先生をそんな風にさせた男性を、私は見たことが無いもの。 この大学にも、立派な男性が沢山いらっしゃるのに。 清水先生は、好かれても素っ気なかったわ」
「まぁ・・、好きと思ったのは、越智水先生ぐらいと…」
「でも、越智水先生は、既に結婚して奥様一筋の男性よ。 それに、今。 引き合いに出されるのは、その思いが過去形に変わりつつ在るからです」
ズバリ言われた順子は、返答にも困ってしまった。 何故なら、最近にふと考えるのが、木葉刑事の事だからだ。
そんな順子を見る真山女医は、少し離れて。
「私からしたら、清水先生が羨ましい」
「え?」
「そんな、まるで初恋みたいな瑞々しい恋愛をして・・。 願えるなら、若い時みたいに恋心に焦がれてみたいわ」
「まぁ、真山先生…。 からかわないで下さいよ」
「まさか、からかってなんか。 私だって、もう直ぐ40よ。 結婚だってしたいですし、子供も産みたく成りましたわ。 でも、大人過ぎる恋愛は、結婚に至るまでの道が大変な場合も在ります。 素直で、純粋な恋愛が出来たら、それが一番です」
大人の女性らしい真山女医に、完全に負けた順子だが。
(真山先生が云うなら、もう一度、木葉さんと逢ってみようかな…)
と、想いつつ。 着替えの赤いブラウスを出した順子。
「先生、ありがとうございます」
帰り支度を整えた真山女医は、順子に向き。
「ん?」
赤いシルク地のブラウスを着る順子は、真山女医に会えて良かったと。
「こんな話を出来る人、なんか少ないから。 張ってた意地みたいなの、外されちゃったみたいに気楽に成れました」
すると、ニコリと微笑む真山女医。
「それは、良かったわ」
「はい。 先生も、今の好きな方と上手く行くと、イイですね」
言われた真山女医は、何故か儚げに笑う。
「えぇ。 その時は、祝福してくれる?」
「絶対します」
薄く笑って返した真山女医に対して、ちゃんと笑った順子。
然し…。
「じゃ、お疲れ様ね」
「はい」
と、順子に言って出て行く真山女医の内心は…。
(この娘に、私は何を言ってるの? 本当なら、悪い男にでも騙されて。 ボロボロにでもなって、この病院から出て行けばイイのにって・・、思ってるのにっ!)
廊下へ出た真山女医は、辺りを窺ってから。 自身のスマホを縋る様に見る。
(着てない…)
メールを送る相手が、明らかに自分を無視し始めたと解った。
(新しい小娘を手に入れるからって・・。 アレだけ、私の身体を自由にして於きながら…)
相手の心変わりが解り。 求めて欲しい想いと、避けられた事に対する悲しみや憤りが溢れ。 激しいジレンマを齎す。
足早に廊下を歩き出した真山 結子は、38歳に成った。 そして、実は。 今年で52歳になる神経内科の教授、坂下の愛人だ。
順子の上司と成る坂下教授は、まだインターンなどから戻ったばかりの頃に。 年上と成る大学理事の娘と、半ば政略的な意味合いも含んで結婚した。
だが。 坂下とは歳の差が15も上で在る妻で、その性格は我が儘で奔放。 2人の間に出来た子供が小学校に上がる頃には、互いに異性としての存在に飽きていた。
さて、10年近く前。
当時、この大学病院で講師として働き始めた真山女医は、付き合っていた彼が別の若い学生と浮気した事で。
(嘘・・嘘っ、嘘ばっかりよっ! 男なんてっ)
と、仕事場の片隅で泣いた事が在った。
そんな自分を見掛けた坂下教授に、真山女医は優しく言い寄られた。 その後、慰められた夜に酔わされ、坂下教授と肉体関係を持ってしまった。
だが、この坂下教授と云う人物には、異性に対してある種の変わった性癖を持っていた。 それは、メイド服だの、アニメのキャラクター衣装で、女性を従順に縛る事だ。 己を丸で絶対者的な立場に置き、女性をその支配下に置ける従順な性の奴隷としたがる。
それから長年、その関係が続いた所為か。 坂下教授の愛奴隷の様な仕様を許す、そんな性格が結子の中に在る。 精神的に縛られ、毎日その支配者の傍に居たいと願うのだ。
それなのに。 漸く、坂下教授が絶対に逆らえない妻が、病気で死んだのに…。
自由を得た坂下教授自身は、支配に堕ちた従順な結子に飽きた。 そして、新たな牝の奴隷を求め、順子や看護士の女性に狙いを定めている。
結子は、今や完全に坂下教授の性処理の道具。 坂下教授が相手を見つけれずのまま、盛った時だけ呼び出される。
車に向かった結子は、女性にしては大きなSVRの黒い車に乗った。
(この車だって…)
この車の後部シートにて、これまで坂下教授にどんな事をされただろうか。 外から車内が見えない様に、窓へ黒いシールを貼り付け。 夜の繁華街の彼方此方で、駐車場に入っては車を停めて。 結子は、坂下教授に言われるがまま、口に妙な拘束具を着けられる。 その後は、相手の為すがままに、辱められながら抱かれるのだ。
今、病院の関係者専用駐車場にて、結子の車は明かりの入らないスペースに停めて在る。
(何で・・、此処まで躾てから捨てるのよっ)
地獄で燃え盛る炎獄の様な欲情と愛情に恋い焦がれ灼かれているのは、この結子の身体と心。
(ダメ・・嗚呼っ、ダメだわ。 私ったら、ダメよ……)
フッと、湧き上がった欲情に、理性を持って抵抗する結子なのだが。 坂下教授に教えられた躾が、胸の内に噴き出した。
(嗚呼っ! 此処じゃダメぇぇぇ…)
常に倒して在る助手席に手を掛け、中間シートへと這って移り行く結子。 全てのドアを閉め、前列との境に掛けた車内を仕切るカーテンをも閉めた。
(こんな事、ダメなのに……。 嗚呼、ダメよ、私っ)
暗く成った後部シートに身を預け、中腰でお尻を上げた結子は・・。 スカートの中へ手を入れるや、下着をスルスルと脱ぎ始める。
(坂下様・・何故にお慰め下さりませんの。 こんなに従順な私より、あの子供の様な女達が良いのですか?)
坂下教授が、自分に様々な事を命令すると妄想し。 下着を降ろした後に股へ手を伸ばし、妄想を激しく想像して自慰に堕ちる結子。
結子の車は、一時ただ止まっていた。 時折、微かに揺れたりして…。
*
さて、順子が帰宅すべく病院から去り。
その日の夜7時過ぎ。
麻酔医師の‘七海 魁’(ななみ いさお)は、太い身体を揺すって手を洗っていた。 緑色の制服にマスクとキャップをする姿は、オペに臨んだからだろう。
タイル張りの部屋の一部で、スライド式の自動扉が開かれ、細めた眼をする志賀貴医師も出て来た。
「優秀な麻酔医師が居る所為か、今日は早く終わったよ」
然し、頻りに首を回す志賀貴医師は、後から出てくる看護士に労いの言葉も無い。
手を洗い終えた七海医師は、志賀貴医師を脇目に手を拭きつつ。
「君の腕は、今日も良かったが・・。 見た処、お疲れ気味かい? オペの間に終始、そうやって首を回してたみたいだが?」
手を洗い始めた志賀貴医師は、ややぞんざいな口調から。
「全く、この数日は肩凝りが酷いんだ。 誰か、私の悪口ばかり云う所為かもな」
「ふっ。 多分は、夜にお盛ん過ぎるからじゃないかね? 余り女性を泣かせるから、祟られたりしてね」
と、先に歩いてオペ室から去る七海医師。
太い身体の七海医師。 その広い背中を睨んだ志賀貴医師は、七海医師が自動扉の向こうに消えてから。
「煩ぇ、キモデブがっ」
と、手をまた洗い始めた。
一方。 外廊下に出た七海医師は、脇目に閉まったドアを見るなり、ニヤリとほくそ笑む。
(お前も、坂下のジジィも、もう直ぐ危なく成るゼぇ。 僕の生み出した死神君が、お迎えに行くんだからな)
患者がオペ室を出て行くのも見ない七海医師は、ノソノソと関係者用の廊下を歩いて行く。
後から出て来た志賀貴医師は、去って行く七海医師の背に唾を吐く仕草をした。
だが、今日の志賀貴医師は、これで上がりだった。 患者の様子を窺ってから、看護士や交代の医師に引き継ぎをするだけで在る。
その日の日付が替わって、深夜の1時前後。
日課の様に、順子の盗撮動画を見る七海医師は、真山女医と順子の遣り取りを聴く事と成る。
デスク脇の壁に備わるガラス窓には、足を引き摺る様な姿のあの悪霊が映る。 その至る場は、既にこの病院内。 坂下教授の私室前で。
“うらみを・・はらすぞぉぉぉぉ”
と、己の顔をさらけ出した時だ。
だが、呪った本人で在る七海医師は、それ処ではなかった。
「順子ぉぉっ。 僕の順子がぁぁぁっ、刑事とデートだとぉっ?!」
スマホの画面へ食い付く様に覗き込む七海医師は、スマホを持つ手に食いしばる口をわなわなと震えさせている。
「く、クソっ。 どいつもこいつもっ、俺の順子を勝手に誘惑しくサってからにっ!」
肩を揺すり、苛立ち捲る彼は、既に消えたが映像の映っていた窓を睨み付け。
「志賀貴のバカと、坂下のジジィが痛め付けられたら。 今度は、越智水のジジィと、その刑事の番だっ!」
と、言ってから。
「あ゛っ! 後はっ、コイツもかっ」
と、画面の中の真山女医を見る。
「真山のクソババァめっ! 順子は、僕のモノなのにっ、ウゼェ事を言いやがるっ! この盗撮映像を抜き取って、ネットにバラまいて遣ろうかっ?!!!」
本気で、それをやろうと思ったのだが。 コレが問題に成ると、隠しカメラで盗撮している事がバレる。 順子の下着姿を見るのが、今の生き甲斐の七海医師には、カメラがバレる方が嫌だった。
「ふぅ~、ふぅ~。 僕の死神は、漸く病院に来たぁ~。 明日こそ・・明日こそはっ、どっちかが痛い目に遭うんだ。 明日こそ…」
ニタニタと笑う七海医師は、妄想に取り憑かれる様に呟き。 そして、順子の着替え動画に食い付くのだった…。
然し、まさかこの大学にまで、悪霊が来てしまうとは………。
越智水医師も、木葉刑事も、予想だにしない結果だろう。
そして、明くる朝を迎えた。
その日は、木葉刑事が佐貫刑事と二人して、バラバラ事件としての関連性を捜すべく。 密かに、広縞の事件から現場に出て、見落としが無いか見回る事をしていた。 鵲参事官に話した処、それも捜査と手を回してくれた。
あの広縞が住んでいたマンションは、最上階が今も封鎖されていた。 押収された物もまだ返さずに在るのは、発見されてない遺体の事が有るからで。 また、広縞の親族もこの物件を相続する気が無いとか。
「決着した事件を掘り返すなんざ、嫌な役回りなんだゼぇ~」
手袋をする佐貫刑事は、ドカドカと部屋の中を見回っている。
後から入る木葉刑事は…。
(今回の事件の発端は、正に此処から始まった。 何か、何でもいいから、見つからないかな)
何回も来た部屋だ。 優雅な寝室となるロフトルームから、大型テレビまで置かれた18畳以上のリビング。 流石に億ションだけ在り、最上階の間取りは立派なものだった。
「一度は鑑識が、隈無く調べたんだ。 な~んも、残っちゃねぇ~よな」
ロフトルームを見回す佐貫刑事が、いい加減な口調で云う。
だが、ゆっくりと見回していた木葉刑事は、ふと廊下の壁に目が止まる。
(こんな黒い壁にまでベタベタと御札……)
黒い壁のちょっと高い位置の一部に、壁紙が剥がれ掛けている様な物を発見。
(人の住まない家は、直ぐに駄目に成るって云うけど。 マンションも同じかな?)
そんな事を考えつつ。 携帯ライトを使って照らし、ピンセットを用い切れ端の様な物を抓み取る。
(なんだ、コレ)
歪だが、三角に近い切れ端。 四角い何かの四隅の一つとも、思えた時。
(ん? まさか、これって?)
ライトで何度も透かして見ると、黒く焦げ付いた様な紙で在り。 細い線が、微かに縁取る様に見えた。
その切れ端を動かし、別の御札の四隅に合わせて見れば。 上の左側隅と符合する。
(これも御札か。 然し、こんな黒くなるまで変色した・・。 怨念の強さが如実に現れている)
その御札と思しき切れ端は、木葉刑事の視線より少し上に在った。 その高さより上を見ようと、椅子を動かす木葉刑事。
一方、ベランダに出て寒空の暗雲を見上げた佐貫刑事は、誰も見てないからとタバコをプカプカし始め。
(この高さから飛び降りね~。 勇気が有ったのか、追われて投げ出されたのか。 然し、外側に血痕が残ってやがるから、空中でバラされたのは・・間違いないよなぁ)
各捜査員のペアに、一台ずつ配布されしタブレット端末にて。 広縞の事件の詳細な情報を見る佐貫刑事は、広縞がベランダに置いた高そうな椅子に腰掛けては、指でページを捲る。
その最中。 壁を見ていた木葉刑事は、黒い壁が石材の色で黒いので在り。 壁紙が貼られて居る訳では無いと理解する。
(何だ? 壁の所々に、手形みたいな黒ずみが在るぞ)
光を側面から当てる木葉刑事の眼に、質感の違う黒い粉の様な物が見えた。
(人に殺されたと思ったから、この高さは調べられなかったのかな?)
指で軽く擦ると、灰の様な粉で在り。 その粉を辿ると、玄関に続いていた。
(何だろう。 所々は、結構間の途切れる黒い粉だけど。 全体的に見て辿るなら、太い何かが壁を這いずった様な感じだ。 然も、黒ずんだ御札の一部が、少量見つかった)
見つかった物質の一部を別の袋に入れ、残りは証拠品を入れるビニールに入れた。
だが、この現場となるマンションで採取された全ての証拠資料を木葉刑事が知れば、凡そ何が起こったのか判る筈だった。 鵲参事官の与る部署に情報が集められて隠匿されてしまったから、木葉刑事も全てを知れない。 実は、採取された指紋は、霊の1人では無い。 亡くなった被害者遺族のものも含まれていた。 その鑑定結果が出ると同時に、警察庁のシークレットデータベースに移動し、鵲参事官の部下が実情を調べ。 幽霊の仕業と判るや、例の木葉刑事が所轄の鑑識員に調べて貰った時の様に。
- ???? -
と、現れるのだ。
一通り見て回り、目新しい証拠などは出なかったが。
「よし、次はあの葛西の死んだネーチャンの部屋だな」
手袋を外す佐貫刑事が、部屋を見ていた木葉刑事に言うと。
大きな80インチぐらいのテレビを見ていた木葉刑事が。
「はい」
と、答えながらその画面を触る。
「どうした、木葉。 お前、テレビだ、ロフトの床だ、室内の階段だの見て回ってよ」
「いえ、今・・何となく、ですが。 広縞がどう殺されたのか、朧気に解って来ました」
「何だとっ、・・って。 広縞は、あの幽霊に殺されたんだろ?」
「はい」
「じゃ、今更に何が解ったって云うんだよ」
「佐貫さん、この部屋で採取された指紋は、凡そ10ほど。 そして、あの鵲参事官の居る部署に7つほど移されました」
「あ? だが、このタブレットPCで視ると、大半はもう判別の出来ない欠損した指紋だって……」
「なら、コレを」
テレビを指差す木葉刑事。
「あ?」
テレビに近付いて行く佐貫刑事は、木葉刑事が指差す辺りを見る。 すると、そこにはハッキリとした指紋が。
「これは、確実に使える指紋だな」
「これだけじゃ有りませんよ。 証拠資料では、テレビわ床やベランダ等、広縞以外の殆どの指紋が欠損と有ります」
タブレットPCで資料と部屋を付き合わせて見る佐貫刑事は、木葉刑事の言っている事が本当だと解る。
「なんてこった。 じゃ、殆どの指紋が悪霊に成った女のモノってか」
「いえ、違います」
「あ? だって、欠損がこんなに……」
「佐貫さん、採取された指紋は、ちゃんと識別されていたんです」
「あ、あ? あ・・どうゆう事だ、木葉よ」
タブレットPCの画面の情報と、木葉刑事を交互に何度も見た佐貫刑事。
一方、部屋を見回す木葉刑事は、だんだんと強くなる霊感からか。 指紋の色に微かな変化を見ていて。
「同じ死者の指紋でも、そこから小さな想いの念が感じられます。 この部屋には、恐らく七体の幽霊が居たんです」
「な、七体っ?」
「はい。 広縞に直接殺された彼女を除くと、その他の六体は被害者遺族の怨念。 テレビから、その窓から、玄関から、トイレから……」
「まっ、まさかよっ。 鵲参事官の部署に大方の指紋が押収されたってのは、全部が幽霊だからってか」
「恐らく」
こう言った木葉刑事は、幽霊が広縞に迫った事を感じて部屋を眺める。
「広縞は、呪いを行い死んだ被害者遺族から責められた。 広縞の指紋が、廊下だの階段だのにベタベタと残っていたのは、迫り来る幽霊が逃げ回った為かと」
その様子を、解らないなりに想像した佐貫刑事だが。 背筋に走る悪寒と、指先が冷たくなる緊張感で疑似体験をした気分に。
「そ、そりゃ、誰でもおっかないわな。 それでベランダに追い詰められたら、俺でも飛び降りる」
「はい。 通りで、幾つもの指紋が採取されたのに、殆どが判別不能の欠損と出た訳ですよ。 鑑識のスズさんが言ってました」
“木葉ッチ、あの部屋の指紋は幽霊みたいだぁ。 広縞の指紋や他に1つか2つ以外は、全て灰の様な脂の無い指紋なんだぁ。 然も、ベランダの外から採取された指紋は、何でか部屋に1つも無い。 広縞をバラバラにしたのは、何なのか分からないが。 身体に残る指紋は、ベランダの外側で採取されたモノだけ。 こんな事件、どう解決したらイイんだぁ〜〜〜”
鑑識員の鈴木班長は、横顔がモアイに酷似した大柄の中年男性だ。 間延びした物言いや、大柄で動きが鈍く見えるからバカにされがちだが。 その実直で見落としを簡単には許さない鑑識作業は、他の先輩鑑識員も褒めるほど。 その彼が、あの広縞の死亡時に班を率いて臨場した。 だが、真夜中まで掛かった鑑識作業の後、木葉刑事と警視庁で会うやこう言った。 鈴木鑑識員が、最初から難事件となると頭を抱えたのだ。
想像だが、幽霊の犯した犯行が解り。 佐貫刑事は、ロフトを見上げた。
「って事は、この部屋で広縞を追い詰めたのは、被害者遺族の霊ってか」
「そうです。 俺が、古川さんとこのマンションに来た時、このマンションの空にはあの悪霊と成った彼女の巨大な顔が浮かんでました」
「何だとぉっ? それじゃ、お前は最初から犯人が解ってたってのか?」
「そうです」
佐貫刑事は、やり切れない想いを雰囲気から醸す木葉刑事を見て。
(コイツ……。 そういや、コイツの叔父の恭二さんも、時々にこんな感じをしていたな。 ・・・嗚呼、そうゆう事が……)
木葉刑事の叔父となる恭二氏は、普段からとてもニヒルで感情を表に出さない人物だった。 それ故に、周りから。
“スカして、何だアイツはよ”
とか。
“手柄泥棒は、ニヒルに決めるのが好きなんだろうよ”
と、陰口を叩かれていた。
だが、幽霊から情報を得ていては、時に誰にも手柄など譲れない時も出て来るだろう。 鑑識員や捜査員が拾った、一見すると何でもない物や詳言がその情報と結びついた場合。 どう説明しても、普通では解らない筈の場面では、1人ないし相方の誰かと逸脱したと思われても仕方の無い捜査も有るだろう。 だから、その捜査に関われない周りは、手柄を泥棒されたと勘違いする。
(そうか、そうか……。 恭二さんも、コイツも、幽霊の訴えと現実の人間関係の軋轢を乗り越えて……。
嗚呼、嗚呼っ。 解らない側は、見えてる事しか判断の材料にならないから、この2人を勝手に責めるのか)
解ってしまえば、何と馬鹿らしい事をしているのかと思う。 だが、幽霊の事を誰が解ろうか。
黙ってしまう佐貫刑事に、木葉刑事が戸締りの確認にロフトへ上がりながら。
「佐貫さん、そろそろ三鷹や葛西の被害者の住まいに行きましょう。 余り時間を掛けては、また変な勘ぐりをされますよね」
「・・おう。 途中のコンビニで、新商品のデザートでも買おうや。 頭を使い過ぎで、甘いモノが欲しく成ったよ」
「佐貫さぁん、昨日はアイスとミルフィーユを食べてたじゃないっスか」
「ふん。 オジサンは、糖分が必要なんだよ」
「え"〜、糖尿病になりませんか?」
「うるせぇ! 少し予備軍だわいっ」
「カロリーオフの飴で我慢しませんか?」
「お前ぇっ、ダイエット中の女みたいな事を言うなっ」
歳の差が出る2人の話に、木葉刑事の付ける備品に仕掛けられた盗聴器で聴く何者かはどう思ったか。
さて、広縞のマンションを後にした木葉刑事と佐貫刑事だが。 佐貫刑事は、自分が車を運転するからと本当にコンビニへ。 木葉刑事にも奢りで新商品のスィーツをやり、自身は悠々と食べて。
「夏でも冬でも、甘い物は幸せの食べ物だ。 木葉、味わって食えよぉ」
助手席でゆっくり食べる木葉刑事は、自分より早く食べる佐貫刑事を横目にし。
(其方は、味わってますか?)
と、内心にツッコんだ。
さて、次は三鷹のマンションからだ。 結婚詐欺を働いていた男性の部屋を先にする。
然し、幽霊が殺人を犯すとは、現代の認識ては有り得ない事だ。 正直な処。 病院でバラバラにされた彼女が企んだならば、寧ろ、それで決着させたいぐらいに捜査本部も頭を悩ませている。
管理人に事情を話し、裏口からこれまた立派なマンションの中に入った二人。 現場と成る部屋へ、二人は入った。
「結婚詐欺ねぇ~。 異性を騙して、ベッドで言いくるめたのか知らないが。 俺からすると、何を言われても金を預ける方が、どうかしてる気がする」
と、在る意味の正論の様な事を言う佐貫刑事。
(好きで結婚するから、信じたんでしょ~よ)
こう思う木葉刑事だが。 金を払うその時までは、確かに全て預ける必要は無かった・・と、思う節も在る。
さて、一通り調べたが、表向きにめぼしいモノは何も見つからなかった。 だが、木葉刑事には見えざるものが見える。 強い念の蟠る大きな置物時計の中に隠されたカギと、宝石類を発見。 タブレットPCで、動画を警視庁の本部に送る。
本部に居た管理官の男性は、鑑識員の班長を呼び出しては叱責。 回収に向かわせると、メールを寄越して来た。
だが、木葉刑事は時計を見て。
「隠し金庫の意味合いが在る時計なんスよ。 鑑識員を怒ったって、仕方ないのにな」
横に並ぶ佐貫刑事も。
「簡単に解るなら、隠し金庫の意味も成さない。 ま、性能は証明されたって所か」
「佐貫さん、買います?」
「はっ、馬鹿らしい。 大体、隠す財産が無ぇよ」
「ネットで値段を調べたら、防犯グッズのカテゴリーで11万円だそうですよ」
「要らん。 タバコと酒代が消えるゼ」
そのうち、鑑識員のワゴン車が到着。 “歯抜けタヌキ”と隠れた渾名の付く年輩の《進藤》班長と部下の鑑識員が到着する。
眼鏡で少し小柄な進藤鑑識員は、木葉刑事と会うなりに。
「木葉ちゃぁん、最初の家宅捜索の時に教えてよぉ」
「進藤さん、スイマセン。 あの時は、自分は最初っから地取りに回されてたんで」
「あの管理官、仕事が出来ないクセして不満をこっちに持ってくるのさ。 木葉ちゃんから動画を送られるや、怒鳴って呼び出すんだよ」
「居眠りしてる時に、マジックで悪戯描きしたいッスね」
「何て描いてやろうか」
捜査員の刑事からは、悪態を吐かれる木葉刑事だが。 こと鑑識員の古株職員とは、仲の良いこと。 悪口の相性が仲の良さを現すと言うが、その辺の相性も良いらしい。
「で、進藤さん。 コレなんですけど」
「宝石に、指輪、ネックレス。 うわ、どれも天然石を使った高級品じゃないか」
「結婚詐欺の被害かも」
「かもね」
「高そうな」
「高いよ。 指輪は、どれも結婚や婚約指輪だと思うし。 ネックレスは、被害届が出ていた奴かも」
「進藤さん、イケメンは得ですね」
「全くだぁ。 私も、イケメンだったらなぁ」
「あら、奥様以外の誰かとアバンチュールですか」
「アバンチュールって。 木葉ちゃん、古いぜよ」
「お、龍馬」
小説を書くのが趣味と言う進藤鑑識員は、木葉刑事と話し合いながら鑑識作業をする。 周りで手伝う鑑識員は、笑いながら手伝っていた。
その間を縫う様に、佐貫刑事が。
「そのカギ、何だと思う?」
木葉刑事から鑑識員に渡るカギを見て、
「車や何かのカギじゃ無いね」
と、進藤鑑識員が言えば。
木葉刑事が。
「形状からして、貸金庫やロッカーのカギみたいな。 死んだイケメン詐欺師さんには、まだ解らない金の事が情報にありましたでしょ? 何処かに、隠し財宝が在ったりして……」
言い方が古いと感じた佐貫刑事。
「お前、最新の流行りには着いていけないタイプか? ま、何処かに財テクとして、金を隠しているかもな」
「あんなに手当り次第に詐欺をしてるンですからね。 然も、この部屋の名前も変えて無かったし」
頷く進藤鑑識員も。
「捕まる覚悟も在ったりして。 金を返さない気だったから、捕まって刑務所を出所した後の貯蓄も見越してたとか」
「酷い奴ですね」
「ホントだよ」
証拠品を押収した進藤班と下で別れる。
今日は、車の移動と成る二人。
太陽が真上を越したと、佐貫刑事は辺りを見て。
「さぁて、昼でも食べるか」
「佐貫さん、さっきはコンビニで……」
「アレは、アレ。 昼は、昼」
「生臭刑事だ」
「聴こえてるぞ」
近場のスーパーに寄って、遅い食事をパンと珈琲で済ます木葉刑事に対し。 ガッツリと弁当を食べる佐貫刑事は、グビグビとお茶まで飲み干す。
「さ~て、木葉よ。 この先は、葛西に行くか。 それとも病院に行くか?」
「はい、どちらでも構いませんよ」
木葉刑事の無機質な物言いに、佐貫刑事も反応する。
「他の現場としちゃ、あの若い奴二人が死んだ工場現場近くの廃ビルが、近いな」
「どっちも周りますから、佐貫さんの好きな・・・あ。 メールが着てる」
助手席に座る木葉刑事は、タブレットPCでメールを見る。
「ど~せ、本部からだろう?」
「ですね~。 三鷹の現場の再調査報告は、視たそうで。 今日は、最低でも後二つは回れと、本部からの御命令でさぁ~」
ボタンを押してエンジンを掛けた佐貫刑事は。
「アイアイサ~」
だが、やはり病院に向かった佐貫刑事。 若者二人が亡くなった現場は、夜でも回れ様が。 他の現場は、夜には回り難い。
バラバラにされた女性が入院した病院の隔離病室を視た二人は、まだ壁に残る夥しい血の痕を見て。 悪霊に殺害された彼女を偲ぶ。
「彼女を信じてやれたのは、お前だけだったな」
「仕方ないですよ。 事が、事ですし」
現場の映像と関係者への聴き込みを終えて。 次に、横川と云う若者の家に行く。 凄惨など生温い現状を目の当たりにした母親は、もう精神を患って入院した。 父親が必死に生きて居るが、息子のバラバラ殺人を受け入れられずに苦悩していた。 聴き込みが無意味であり、木葉刑事が手短に済ませる。
夕方を過ぎて、殺された若者三人の中で、リーダー的な男子生徒の‘沢村’が住んでいたマンションを回る。 父親は、どうやらこの事件を切っ掛けにして、これまでのワンマン&反社会的組織との繋がりが表沙汰となり。 愛人の元を点々としているらしい。 電話にも出ないし、居所を掴ませない様に逃げ回っているとか。 捜査2課の刑事も行方を追っていて、本日は管理人の立ち合いだが。
あの年配者となる管理人が、靑ざめた顔をまだしていて。 あの遺体発見の時から一回りは痩せた姿にて。
「どうも、ご苦労さまです」
対面した佐貫刑事は、管理人の様子を見て心配になり。
「大丈夫ですか?」
「あ、あ・・もうダメかも知れません。 年内で、違う方と交代して、別のマンションの管理人に成ろうかと……」
木葉刑事も、違う環境に行く事は良い事と感じ。
「そうですね。 その方が良いと思います」
そして、現場の捜査をするのだが……。
「ん〜〜。 この現場は、ヤバいな」
呟く木葉刑事は、一室なのに2階が在るこの部屋にて。 勝手に内装を変えられた場所を特定する。 沢村なる被害者は、どうも様々な人物から恨まれていたらしい。 生霊が何人も居たり、死んだ知らない関係者が居たり。 その霊の訴えから、2階の狭い部屋の壁を調べると、折り畳みが可能な仕切りが有り。 その先には、金属のラック棚が3列以上は並び。 最初のラック棚には、注射器や吸引器に加えて、大量の薬物やら脱法ハーブらしき物が在った。
「木葉! これは、何だっ?!」
「明らかに、違法な薬物ではないかと。 密封の袋詰めされてますが、その機械や袋が見当たりません」
「注射器や吸引器が、業者並に在るぞ。 このDVDの大量さは、一体……」
明かりを点けて、本部に連絡をする為に動画を撮る。
動画とメールを観た篠田班長が連絡して来て。
«木葉っ、その部屋は何だっ?»
«解りませんが、2階の部屋を勝手に改装していたみたいです。 組織対策課に連絡を。 父親の人間関係からして、息子もあちら関係と接点が有ったのでは?»
«解った! 組対課の奴らが行くまで、現場を保存してくれ。 もう一度、進藤さんの班も回す»
«了解しました»
この秘密の部屋をタンスだのラック棚で隠していた被害者で。 然も、簡単に押したり引いたりでは偽の壁が折り畳まない様にロックを掛けていた。
地元の警察署から警察官と捜査員が来て、発見の経緯を話している間に、警視庁より進藤鑑識員の班と暴力団関係を相手にする組織対策課の班が来た。
先ず、進藤鑑識員が、2度目の対面に。
「木葉ちゃん、全部の現場に臨場してっ」
「知らないっスよ。 この現場の時は、病院で死んでましたし」
「もう怪我しないで! 後から来るの面倒くさいンだからっ」
一緒に2階へ上がると、隠された壁の説明をする。
其処へ、
「先輩、薬物が出たとか?」
と、若い男性の声がする。
皆が見れば、目つきの鋭い男女の捜査員の中に、男らしさと美男が合わさる長身の男性捜査員が居て。 木葉刑事は、彼を見るなり。
「迅、見てくれよこの量を」
と、ラック棚を指差す。
夕方の6時を回ると、部屋の捜査に大変となる。 大量のDVDは、薬物で動けなくした女性をレイプしてアダルト動画にしたもので。 焼き増ししたモノが大量に有った。 少なくても、20人は被害者居る。 また、麻薬中毒者の連絡先なども有り。 この部屋の被害者は、薬物で荒稼ぎをしていた様だ。
さて、様々な情報を押収する迅は、大学の先輩となる木葉刑事に近寄り。
「先輩、ありがとうございます。 どうやら、薬物の半分はマル暴関係の組織に流れていたみたいです。 この情報は、助かります」
「それより、あの薬物や脱法ハーブの原料って何処からだよ。 学生の扱う量じゃないぜ」
「実は、被害者の父親は、組関係と深い繋がりが有りまして。 もしかすると、倉庫役を息子に遣らせていたかも知れませんね」
「マフィアか」
「あ、今度、何かの折に奢ります」
「それなら迅」
「はい?」
「裕子ちゃんのブン屋に成るのを止めさせてよ」
妹の話に、驚く迅で。
「先輩、どうして裕子の事を?」
「聴き込みで、学園に行ったら会ったのさ」
「あぁ、被害者が……」
「それより、裕子ちゃんに付き纏われたら、俺も困るって。 何とか、ブン屋以外になって貰う様に頼めない?」
すると、迅も困った顔になり。
「それが、父親の代わりに成るって聴かなくて……」
「お前が偉く成ったら、俺は兄妹で板挟みだぜ? な、何とか説得してくれ」
「はぁ、まぁ・・やってみますよ」
「頼むぞ、迅。 あんなに出来のイイ娘にブン屋になられては、俺たち下っ端の捜査員は大変だ。 重ねて頼むぞ、な」
傍で聴く佐貫刑事も、ウンウンと頷く。
2時間ほど作業に付き合って、後を鑑識と組織対策課に任せた二人。
外に出れば、もう木枯らしの吹く寒い夜空が広がって。
「木葉、どうするよ」
「面倒くさいですから、渋谷の現場も回りますか」
「おいおい、怪我人のクセにタフだなぁ。 メシでも食おうぜ」
「別に、あの現場は見るだけでしょ。 亡くなった少年二人が潜り込んだ時間帯は、誰も居なかったんですから」
「はいはい、行くよ」
「税金泥棒に成らない様に、少しは上にゴマすりしましょ」
「なぁにを言うっ。 鑑識が見つけなかった貴金属と薬物を見つけてやっただろうが」
駐車場の車に乗る佐貫刑事と木葉刑事は、それから帰り前に渋谷の現場に向かった。
夜の9時過ぎ。 最後として、渋谷の廃ビルにやって来た。 工事は進んで居るのだが。 廃ビルの取り壊しは、待って貰っている。
窓も、内装も、何も無い。 冷たいコンクリートが剥き出しと成った、ある種の廃墟に踏み込んだ二人。 保護のビニールが仕切る現場内には、寒さの中でも薄らカビの臭いが微かに湧いていた。
現場に来て、血の飛び散った広い痕を見回す佐貫刑事。
「然し、悪霊ってのは、何でこんなに惨い殺し方をするのかねぇ。 沢村だかさっきの野郎といい、八つ裂きを超えてもうミンチだぞ」
底冷えのする床に屈む木葉刑事は、悪霊の殺害の仕方を幾らか想定していて。
「恐らく、髪の毛を使っているからじゃ~ないでしょうか」
「そういや、鵲参事官が言ってやがったな」
“現場が混乱するから、事実上の情報は伏せて在るが。 どの現場からも、広縞に殺された最後の被害者の者と判明した髪の毛が、確実に発見されている”
自分で言いながら武者震いをする佐貫刑事は、確かに発表は出来ないと理解。
「言える訳が無いよな。 あの遺体と成った被害者に近付けたのは、犯人以外なら極少数。 その発表をするなら、発見者から同業者まで疑う必要が出て来る」
木葉刑事も、その後を繋いで。
「飛躍させれば、広縞の意志を受け継いだ真犯人説まで、唱えられますよ」
「だが、この力は尋常じゃない。 今頃、悪霊は何処に居るのやらな」
「さぁ・・。 只、呪った側となる横川と云う生徒が亡くなってから、10日近く経ちます。 次の呪いを受けたなら、そろそろ被害者が出そうな…」
「チッ。 日昼に姿が見えないんじゃ、遣り様が無い」
「ですね。 一応、ネットにも、夜中に映像が見える…的な書き込みを求め。 サークルとか作りましたが。 コレと云う書き込みが、今だに無いんですよ」
「嗚呼、何時か言ってた、‘餌’的な話しだな?」
「はい。 ですが、捜査情報を深く書けませんから、オカルトサークルに成ってますよ」
「ま、検索からヒットを神頼みだな」
「はい」
現場を調べる時間は、1、2時間掛ける二人。 今は仕事用のスマホしか持たない木葉刑事は、車に戻るまで順子からのメールに気が付かなかった。
「はぁ~寒い寒い。 さて、調べた~調べた~。 腹も減ったし、ラーメンでも食うか?」
車に乗り込んだ木葉は、重たい食事が好きな佐貫刑事へ。
「そんなヘビーな奴ばっかり食べてると、次の人間ドックで引っ掛かりますよ」
エンジンを掛ける佐貫刑事は、ふんぞり返った犯人の如く。
「ルッセェ、飯しか楽しみがネェ~のさ」
警視庁のジャンパーを脱いだ木葉刑事は、シートベルトをして後部シートのコートを手繰る。
「お前、仕事用と私用の携帯を使い分けるなんざ、結婚詐欺師と変わらねぇな」
妙な言い掛かりだと、自分用スマホを取る木葉刑事。
「大抵の奴は、このスタイルですよ。 公私を一つにすると、余計な事が入って…」
と、メールの受信記録を見ては。
[あの…]
と、件名が入る順子からのメールを見て。
「ホラ、佐貫さん」
と、画面を見せる。
「ん? ‘シミズ’・・もしやこれは?」
「佐貫さんが、要らないアドバイスをくれた彼女」
すると、ハンドルを握った筈の佐貫刑事は、発進を止めて木葉刑事に掴み掛かり。
「木葉っ! 今すぐに、返事しろっ」
「え゛っ、はぁ?」
「脈が無ぇならメールなんか来るかっ! 明日は、早く上げてやらぁっ! 一発、ベットインを決めて来いっ!」
佐貫刑事の下世話な計らいに、呆れ果てる木葉刑事。
「何を馬鹿な事を…」
と、メールを後回しにして、本部に戻ろうと言おうとした時だ。
「はっ!」
身近に幽霊を感じる時に、必ずゾクゾクと来る悪寒。 それが突然に走ったのだ。
「おいっ、この・・は?」
激変する様に厳しい表情をする木葉刑事を見て、佐貫刑事も異変を感じる。
道路を前にした更地の駐車場にて、木葉刑事の巡る視線がビタッと止まった。
「木葉、どうした?」
肩を揺すり聞いて来た佐貫刑事へ、木葉刑事はバックミラーを凝視しながら。
「さぬ・・きさん」
「ん?」
「何なんでしょうかね…」
「何がっ?」
急に怖く成る佐貫刑事は、木葉刑事の視線でミラーを見ていると解り。
「後ろか? あ・・・」
問う様に、‘あ?’と言い掛けた佐貫刑事だが。 後部シートに、うっすらと老人と老婆が居るのを視た。
「うわぁぁっ!!!!!!!」
前に向き直した佐貫刑事。 木葉刑事の顔が怖く成った理由が解り、ガタガタと震えながら。
「こっ、ここ・こ…」
後ろに指だけ向けた佐貫刑事に、彼も見えたのだと解った木葉刑事が言う。
「佐貫さん。 実は、前に清水さんと会ってからずっと、時々に彼女の祖父母が視えるんです」
「あ゛っ?」
また驚く佐貫刑事だが。 この数日、気付くと誰も居ない方を木葉刑事が見ている事が度々に在り。 一体、何を見ているのか、疑問を抱く事が増えていたので。
「おまっ、お前っ、これが見えて、時々に呆けてたのか?」
「はい」
「ブァカァ野郎っ! 早く言えよっ!!!!!!!!」
怒鳴り散らした佐貫刑事へ、冷静さを取り戻す木葉刑事が。
「すいません。 ですが、自分の事を霊が嫌ったのだと、あの顰めた顔から感じたんですが…」
呼吸を落ち着け始める佐貫刑事は、それはちと妙だと。
「だっ・だったら、何でこんな風に・・お前の前に出て来るんだよっ! まさかお前っ、もう彼女と一発ヤっちまってたんじゃ無いのかっ?」
感情的に言ってから、今の発言はまずかったとバックミラーを見る。 確かに、幽かな感じでまだ見えている。
「自分は、彼女に何も…」
「ルッセェっ! とととっ、とにかくっ!! なんとかしろいっ!」
「‘何とか’って、言われましても」
木葉刑事が返事に困ると、佐貫刑事はその様子が鈍臭いとイラッとして。
「お前に用が在るんならっ! その彼女に電話して聴いてみろっ!!!!!!! 孫に心配が在るからっ、こうして居座ってるかも知れねぇだろがっ!」
「あ、なるほど」
木葉刑事の普通な返事に、何だか苛立つ佐貫刑事。 ハンドルを叩きつけ。
「け・い・じっ! お前は刑事だろっ!!!!!!! 何でそんなこと…」
怒鳴る佐貫刑事へ、スマホで電話を掛けた木葉刑事が、その腕を掴んで合図する。
もう、深夜の11時過ぎ。 こんな時間に電話など失礼だが、慌てていたから掛けた次第。 処が、ワンコールで電話が繋がる。
「もしもし、木葉さん?」
順子の声だ。
「はい、メールを…」
と、言い掛ければ。
「あっ、はい。 実は、私…」
順子が話す声を聴く木葉刑事の顔が、新たなる異変を知り青ざめる。
- ガリ・ガガリガガ… -
不気味なノイズが、順子の声に混じる。 何かが、辺りを這いずり回っている様な音がするのだ。
(こっ、ここ・・、この音って。 そんな・・まさかっ)
木葉刑事の身体に、ビリビリと感じる悪寒と不気味さ。 広縞を追う時から悪霊に変わるまで、例の彼女の怨みの霊気を都度都度に感じて来た木葉刑事だ。 先日は病院で、悪霊に触れる前にも感じたあらゆる経験。 それが、云っている。
“彼女の近くに、悪霊と成った彼女が居る”
「もしもし? 木葉さん?」
スマホの向こうで、順子が問う。
同時に、
「おい、どうしたんだ木葉?」
佐貫刑事に問われ、微かに震えながら木葉刑事は、言う。
「佐貫さん・・○○病院へ、お願いします。 車を…」
「あ? ○○病院って、埼玉との県境だぞっ?」
すると、これまでに無いぐらいの木葉刑事の強い声で。
「其処にっ、あの霊が居るんですよぉぉぉっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
怒り、心配、焦り、戸惑い、全ての感情的な要素が、口と云う狭い穴に集まって、今の言葉を吐いた。
佐貫刑事が目を見開いて、木葉刑事の言葉を理解する時間は…。 刹那だが、永い一瞬でも在った。
「解ったぁっ!」
慌てて車を出す佐貫刑事に対し、木葉刑事もスマホをまた耳にあてがい。
「もしもし、順子さん?」
すると、順子が。
「う・嘘…ですよね?」
その声を聴いて、木葉刑事も腹を決める。
「もしもし、自分の話を・・聴いて頂けますか?」
「はい」
「順子さんは、今は何処に?」
「あ・・職員の共同休憩室です」
「其処には、他に誰か居ませんか?」
「あ・・女医の先輩や、警備員さんが」
「では、良く聴いて下さい。 実は…」
木葉刑事から、祖父母の霊が度々に現れ。 その顔の様子から、彼女に近付くなとの警告と受けた思った木葉刑事だが。
「今、先輩刑事と乗る車にまで、お二人で現れまして」
「祖父と祖母が・・ですか?」
「はい。 ですから、今に貴女へ電話を」
「な・・なるほど」
「ですが、今も貴女の声にノイズが混じり。 バラバラ事件が有った、別の病院で見たのと同様に。 あの悪霊の女性の周りで感じられた、何か這いずり回る音がしています」
「木葉さん。 わた・私は、どうすれば?」
「悪霊に因る犯行の時間は、常にほぼ一定しています。 出来たら、病院から離れて下さい。 誰が標的なのか、通り抜けるだけなのか、自分にも解らない」
「時間は、いつ頃なんですか?」
「大体、深夜1時前後」
「今、木葉さんは、何処に?」
「渋谷周辺です。 混雑するタクシーの事を考えると、1時間ぐらいは確実に掛かります」
「来て・・頂けるんですね?」
「越智水先生のお知り合いの貴女を、放って置けませんから」
「分かりました。 なら、ギリギリまで待ちます」
何を言い出すかと、木葉刑事は慌てて。
「早く其処からっ!」
「大丈夫。 独りきりには、成りませんから」
云う事を聞かないと、困る木葉刑事。
一方、誰かから呼ばれた順子で。
「まだ、仕事が残ってますから、それを終わらせてしまいますね」
「あ゛っ! じゅ…」
電話を切られた木葉刑事は、
「どうしてっ!」
と、彼にして珍しく苛立った。
その様子を、運転手の佐貫刑事が脇目に窺ってから。
「木葉。 現行犯か、事件でも無いなら、サイレンは遣えないぞ」
「はいっ、解ってます…」
返事を得た佐貫刑事は、木葉刑事の様子から何かを悟る。
スマホを仕舞った木葉刑事が、黙り込んで腹を括る頃。
大学病院の敷地内で、明かりが煌々と点ると或る一室。 木造校舎の様な、レトロ感の在る休憩室にて。 黒いソファーに座って、コーヒーをテーブルに置いて。 木葉刑事との電話を終えた順子は、白衣姿のままに右側を見上げる。
「一ノ瀬さん、何か?」
パンツタイプの制服に、後ろに纏めた黒髪の上にキャップを被る女性が。
「清水先生は、今日はこれでお帰りですよね?」
と、尋ねて来た。
少し厚ぼったい唇ながら透明感の在る30歳どうか・・・と、云うこの女性は看護士で在り、シフトリーダーを預かる‘一ノ瀬 美雪’で在る。
「えぇ、引き継ぎ報告を出してから帰るわ。 今日は、車だから」
順子の返しに、しっとりとした雰囲気の一ノ瀬看護士が、どことなくホッとした顔を見せて。
「良かった。 坂下教授が、今夜は夜勤番として来ています。 1時ぐらいまでに、出して頂ければ・・」
「大丈夫よ。 20分ぐらいで書き上がるわ」
「では、私が教授に渡します。 いきなり頼まれたので、心配だったんです」
「了解。 でも、坂下教授が夜勤番だなんて、珍しいですね」
「はい。 事務長は、清水先生にお願いする予定だったのですが。 坂下教授が事務に連絡を入れて、急遽シフト変更されまして」
「何か在ったの?」
「と・・言いましょうか。 新任の石垣先生の奥様が、予定日を押して破水を為されたり。 日勤の山田先生は、明日から出張だとか。 三澤先生は、既に自宅で深酒為されたりと・・・色々」
「そう、悪い時には、面倒が重なるものね。 では、私も書いちゃいますか。 一階のみんなが居る詰め所で、書かせて貰うわね」
「はい。 坂下教授は先に所用を終えてから、仕事に入られるそうです」
コーヒーを持って立つ順子は、一ノ瀬看護士と歩き始めつつ。
「こんな時間に?」
「はい…。 何故か、日勤の真山先生も居てらっしゃって…」
以前から、真山女医と坂下教授の親密さは、噂に成っていた。 男女の関係を知りたがらない順子ですら、耳に挟んだほど。
(真山先生のお相手って、坂下教授…)
順子の知る坂下教授は、人に応じて依怙贔屓が見える人物。 医師としての腕も、歳の所為かやや翳りが見えていて。 越智水医師の様には、長く居て欲しく無い人物と思っていただけに。
(もしかして、怨まれたのは…)
事件の仕業が悪霊の所為なら、坂下教授は殺されるので在る。
(引き継ぎ報告を書いたら、私も一緒に逢ってみよう)
木葉刑事が来た時の為に、出来る限りの情報は集めようと、密かに思う順子だった。
そして、一方で。
順子が居るのは、救急外来を受ける別棟と、一般患者を入れる入院病棟の狭間だ。
だが、入院病棟を越えて、講義を行うホールが入る施設の脇に。 黒い煉瓦の外壁をした研究棟が在る。 この研究棟は、一階部分が講義会館の側面に当たり。 隣り合う施設ながら段差が在る様な造りをしている。
だから、白昼の間は、この研究棟一階から西側の窓を見ると。 側面通路を通る学生の足元が見える。 部屋から通路を見る角度が、丁度斜め上。 短いスカートを穿いた場合は、確実に中が見えるのだ。 その為に、中を覗かれない様にと女性の学生は、ノートなどで隠したりするのだが…。
然し、深夜に入れば。 この通路を歩くのは、巡回する警備員ぐらい。 防音設備も整った施設だから、カーテンと暗幕を閉めてしまえば、それこそ何をしているかなど解らないのである。
そして、その研究棟一階の右隅に、坂下教授の私室が在った。
「ハァ・・ハァ…」
少し息を乱す真山女医が、乱れた黒い女性用Yシャツを直している。 木目調の床には、黒いヒールも転がり。 黒く透けた紐タイプの下着と、黒いスーツスカートが落ちていた。
「さ、結子。 下着とスカートを着けて、家にお帰り」
木製の大きなデスクを前に。 背もたれが高く、木彫りの流暢なデザインをした椅子に座る人物が、こう言った。 Yシャツの前を腹まで開き、ベルトも外したままのスラックスを穿いている。
「はい、坂下様」
真山女医が下着とスカートを拾いに動くのを、ニタニタと見ている男。 総髪をやや乱し、面長ながらに目つきが垂れ、小さい眼の目尻にシワの多い。 医師と云うより、中小企業の社長の様な雰囲気を持つこの人物が。 順子が好まない、神経内科教授の坂下だった。
真山女医が、下着を着け様とする前に。 花瓶が中央に置かれた円卓の上に在る、坂下教授が出したティッシュの箱に目を遣った時。
その真山女医をギラギラと見据えながら、何かを思い付いてか。 妖しくほくそ笑んだ坂下教授で在り。
「・・但し。 自宅に帰るまで下を拭うのは、ダメだ。 浴室でソコを洗う時、その証拠を映像にしないと・・・。 解るな?」
ティッシュに手を出そうとした処で、意地悪くこう言われた真山女医。 伸ばし掛ける手が、戻る事を何故か躊躇した。
当然だろう。 数分前まで、情事に及んでいた真山女医と坂下教授。 今も、真山女医の胎内には、まだ男性の体液が残っている。 更には、膝に垂れたモノまでそのままに、車を運転して帰れと云うのだ。
途中で何処にも寄れないし、もし検問にでも遭ったらどうするか。 だが、それを理解した彼女。
「・・はい、仰せのままに」
精神的に支配される側の真山女医は、気持ち悪く成るのもそのままに。 下着を身に着け、ストッキングを履いて、スカートを穿いた。
結子が従うのを見ていた坂下教授は、座った体勢から結子の服装が整うまで陰部や胸をジロジロと見ていた。
「坂下様。 今夜はお慰め頂き、ありがとうございます。 どうか、言い付け通りに動画を残しますので、近いウチに御覧下さいませ」
従順な真山女医の姿に、頷く坂下教授も満足感を得た。
「あぁ、安心なさい。 君は、私の忠実な奴隷だからね」
50過ぎと云う坂下教授だが、見た目は更に5つは老けて見える。 言葉は可愛がっている様に言うが、手をヒラヒラさせて‘出ていけ’と真山女医に合図した。
真山女医が部屋から消えると。
「ふぅ~、然し・・従順過ぎるのも、苛め甲斐が少ないな。 ハァ…。 早く、初々しいペットを手に入れたいものだ」
と、口走っては。 健康法の一つとして愛飲している乳酸菌飲料を黒いカバンから出し、グビグビと飲み干した坂下教授。
(さて、・・・今は?)
アンティークの置き時計を見る坂下教授は、既に12時半を大きく回っているので。
(チッ、一ノ瀬の奴、中々に遅いな。 仕方ない、早めに病棟に詰めて。 看護士のバカ共でも顎で遣って、暇を潰すか)
穏やかな見た目に反し、ネチネチと小言を積み重ねる時の坂下教授には、これまで何人もの医師や看護士が泣かされた。 気に入った者と、そうで無い者への対応が、驚くほどに激変するのがこの人物の精神的な闇と云えた。
だが、それも今夜で終わるらしい。
まだ、男女が淫らな行為に至った臭いが、部屋に残る。 特に、真山女医は、‘飲む香油’を愛飲して、他の女性が使わない高い香水を着けて来ている所為か。 セックスをすると、その部屋に薔薇の香りが強く残る。
(結子め、わざわざこんな真似をしてまで、私を独占しようと云うらしい。 前に、トイレでした時に、バレそうに成ったからな)
こう思いつつ立ち上がると、日頃から思う鬱憤も連鎖反応で思い出され。
(朝に、清掃の馬鹿共が来る前に、換気でもしておくか。 最も地位が低い割には、噂を撒き散らす悪の中枢だからなっ! ゴミクズのクセに、口を慎む事も出来んとはなっ)
と、内側の黄色いカーテンを開き始める。
12時50分を回る頃。 外側の窓と面する暗幕が開かれた。 それは、死への扉が開かれた事と同じだった。 黒い暗幕と云う死への扉を開けば、その窓の先に見えるのは、死神を誘(いざな)う夜の闇。
「さ・・」
窓に自分を写して、ネクタイやYシャツを直し。
‘さて、行くか’
と、言いたかった坂下教授だが。
(な・・?)
窓の外にぶら下がる異形の物体に、視線が釘付けと成った。
(これは、誰かのイタズラ・・・か?)
赤いビー玉の様な目が、窓を挟んで此方を見ている。 医師だからこそ、その相手の皮膚や肉が蝋の如く変わる、‘屍蝋化現象’に至っていると判った。
(水が滴り落ちるのに、髪の毛が・・・濡れていない。 この人形は、一体誰が・・・あ゛っ)
分析をする中で、微かに窓の向こうの眼がギョッと、見開いたと感じ。 良く見ようと、窓を覗き込もうとするのだが。
「あ」
既にその異形の物体は、窓をすり抜けて。 そして、坂下教授の目の前に来ていた。
その頃、順子の勤める病院の外側を囲う様に造られた道路を来ている車には、木葉刑事と佐貫刑事が乗っている。
だが、それも一歩遅かった。
「清水先生。 一緒に来て下さって、ありがとうございます」
研究棟の左端から暗い夜の廊下を歩くのは、女性の二人。 一ノ瀬看護士と、順子だった。
「いいのよ。 でも、仕事には熱心な一ノ瀬さんが、行きたく無いって顔をするのは、ちょっと珍しいわね」
「はい。 此処だけの話ですが、最近の坂下教授が・・怖くて」
「何か、言われたの?」
「いえ。 でも、呼びつける度に、態とご自分の私生活を見せ付けて来る様な…。 私、坂下教授には、何の感情も無いので。 返って気持ち悪くて…」
「それは・・確かに嫌ね」
順子が、彼女に同調し掛けた時に。
「ぐぇぇぇぇぇぇぇっ」
くぐもった様な、籠もる声が廊下に漏れ聞こえた。
「先生? 今・・」
と、言った一ノ瀬看護士が、廊下の先を見るのだが。
(やっぱりっ)
予感的中とばかりに、反射的に走り始めた順子。 高校生までは、バスケットで青春を過ごし。 最近は、ランニングが趣味の一つに加わった。
「あっ、先生まっ・・」
仕事は速いのに、運動は余り得意では無い一ノ瀬看護士は、パタパタと足音を立てて順子の後を追う。
「坂下教授っ、大丈夫ですか? 今、変な声がしましたが?」
廊下から牽制のつもりで声を出す順子が坂下教授の私室前に到着して、勢い良くドアを開いた。
「さかっ・ぎゃ!」
ドアを開いて、視界が開けた時。 目に飛び込んで来たモノに、医師の順子も思わず驚いた。
(くくく・・首が)
絶叫を上げたままの形相をした坂下教授の首が、デスクの上に浮かんでいた。
そして、噎せ返る様な血の臭いに抱かれた順子は、確かに見た。 半透明の様に薄く見えた蝋人形の様な手が、坂下教授の首を持って窓に消える所を。
「どっ、どうしました、せんっ・・ぎゃぁぁっ!!!!!!!!!!!!!!!!」
順子に追い付いた一ノ瀬看護士が、血の臭い溢れる教授の部屋を見て。 千切られた遺体を目にするなり、廊下に響く絶叫を上げた。
廊下にへたり込んで、指差し退く一ノ瀬看護士。
一方、まだ少し冷静さを持っていた順子は、
「げっ、現場・・ほぞん」
と、部屋の扉を閉めてから。 震える手でスマホを取り出した順子は、木葉刑事に連絡をした。
10分もせずして、木葉刑事と佐貫刑事がこの現場に到着。
「木葉っ、正に奴だ」
五体を千切られた坂下教授の身体だが、その首が無い。
「順子さん、見ましたか?」
部屋の中から、廊下に立つ順子を見る木葉刑事。
一ノ瀬看護士に、人と警察の応援の案内を頼み行かせた順子は、此処に木葉刑事と佐貫刑事しか居ないので。
「う・うっ・・すら、見たわ。 さか・ささ・坂下教授の・・・頭を持ってた」
返事を聴いては遺体に目を向けた木葉刑事。
「呪いの標的が、この人物だけなら。 次は、呪った本人だ」
と、鋭い目を遺体に向ける。
さて、とんでもない事件が起こった事で、大学の彼方此方で明かりが点いた。 警察の車両が続々と到着して、鑑識やら他の刑事がやって来る。
木葉刑事と佐貫刑事は、順子と口裏を合わせて。 知り合いの誼から、ストーカーの相談をするために呼んだ事にした。
適当な嘘だったが。 後に、鑑識が入る事で、女医と女性看護士の更衣室から、盗撮用と思われる隠しカメラも発見。 医療用ゴム手袋の跡しか無かったが、ストーカーの存在は濃厚と成った。
一ノ瀬看護士と順子の事情聴取を佐貫刑事に任せた木葉刑事は、地球の裏側に居る様な越智水医師に電話した。
折しも、越智水医師は電話に出てくれた。
「あぁ、木葉君。 電話を貰え…」
と、云う越智水医師の話を遮る様に。
「先生っ、事態は最悪に近いです」
「ん? どうしたのかね?」
木葉刑事から今少し前に起こった出来事を聴いた越智水医師は、滞在先のホテルのラウンジにて、目眩に似たものを感じる。
「なんたる・・何たる事だ」
だが、一足速い冬の寒波に見まわれたこの現地では、もう二日間は足留めされると解っていた越智水医師。
窓から斜めに見上げる様に、隣の建物の影を観る木葉刑事。
「先生。 一番の懸念は、まだこの大学に強い怨念の霊気が残っている事ですよ。 呪った相手が、まだ居るのか。 呪いを掛けた本人が居るのかは、定かでは在りませんが。 もし、自分がダメだったら、先生…」
と、言う電話の向こうで、越智水医師が黙る。
木葉刑事は、越智水医師に家族が居る事を思い。
「いえ。 自分で終わらせますよ。 何か、自分でも怪我した所為か、弱気過ぎますよね。 では、仕事に戻ります」
と、一方的に電話を切る。
通話が切れた音を聴く越智水医師は、大型テレビでニュースを観る妻と娘を見た。
(早く・・・帰らねば)
だが、天候を左右する力の無い人間に、寒波と猛烈な吹雪はどうしようも無かった。
さて、順子の勤める病院では、事件と警察に配慮し。 本日の救急外来は、縮小化された。
流石に、人の生死と身体を扱うのが生業の一ノ瀬看護士に、医師の順子。 事情聴取もこなし、一ノ瀬看護士は仕事に戻る。
一方の木葉刑事は、佐貫刑事と本庁に戻り。 一課長と篠田班長と、管理官の代わりに鵲参事官の前に立ち。 経過報告をした。
一課長は、木葉刑事が事件に関わっている様に思えて来て。
「木葉っ! 本当にっ、犯人に心当たりが無いんだなっ?!!!」
然し、木葉刑事より先に、鵲参事官が。
「同じ事件を追っている以上。 犯人と同調する事は稀に在る」
腕組みした鵲参事官は、一課長と篠田班長に見られながらも続けて。
「一番の問題は、だ。 これまでの事件に準えるなら、首がまた何処かの現場に落ちるだろう。 その現場が何処か、突き止められなければ………」
“また死人が出る”
これで在る。
鵲参事官は、木葉刑事へ。
「木葉刑事。 捜査員の手が足りない今、君も佐貫刑事と夕方からまた捜査に出て貰うぞ。 以前に犯人を見たのは、夜分とは云え君だけだ。 もう一度見れば、その記憶も戻る可能性も在る。 何よりも、これ以上の犯罪は阻止しなければならん」
その鵲参事官の意見に、一課長と篠田班長も従った。
休憩に入った木葉刑事は、佐貫刑事とも話さずして仮眠する。 その人殺しも厭わないぐらいに厳しい顔は、これまでの木葉刑事には無かった。
(コイツ・・、悪霊と差し違えて死ぬ気だな)
佐貫刑事は、そんな表情をする木葉刑事の腹を探った。 越智水医師と話してから顔の厳しさが尋常ではなくなった彼の内面を想像するのは、刑事でなくとも慮れるほど。
その直後に佐貫刑事は、鵲参事官の隠し携帯からのメールも見た。
[木葉刑事の身に何か有るなら、引きずってでも阻止しろ。
だが。
木葉刑事と相手が相殺に至るなら最悪、それは仕方無し。
何より、この事件を終いにする事を、第一に]
メールの内容を見た佐貫刑事は、鵲参事官が幕引きを用意していると解った。
(この手の事件に必要な駒だが。 事件を終いにさせる為には、駒を切るのも仕方無い・・ってか。 ・・管理職ってのは、恐ろしい職業だな。 アイツに、俺を付けて護らせたクセによ)
暗い仮眠室に入った佐貫刑事は、
“鵲参事官は、もう事件が過渡期に来ていると理解したらしい”
と、推察する。
警察の威信に掛け、そろそろ幕引きをしなければならないのだろう。
(常に、‘視える’奴だけが犠牲に・・な。 なるほど…)
佐貫刑事は、その事実を身を持って知り。 八割の不満・憤慨・心配で心を染める傍ら、二割の羨望と別の不満を持った。
“何故、自分にも木葉を護らせる為、犠牲を強いらない”
“手柄なんて言って、自分を釣りながら。 どうして、木葉だけを信じるのか”
“木葉も、木葉の叔父も切って、何が解決するのか。 その幕引き後、自分にだけ普通に戻れと云うのか”
暗い仮眠室にて、休む佐貫刑事だが。 その脳裏に回るのは、木葉刑事の存在だ。
‘知り過ぎた’
鵲参事官なら、こう云う筈だ。
然し、短い間でも、1日の大半を一緒に過ごせば…。 人となり、好き嫌い、癖・・、その人間が見えて来る。
更に、佐貫も刑事だ。
これまで、捜査を共にした相棒も居た。 張り込みで培った人間観察眼も在る。
経験…。
刑事として培った経験から、返って仲間を知る早さは、人一倍に早い。
“木葉には、視える。 コイツが生きるなら、他の幽霊が関わる事件だって、他の未解決事件(お蔵入りしたヤマ)だって…。 今、死ぬべきが、視えるだけで木葉(コイツ)か? 犯人を逮捕する事が出来なくても、解決するだけなら俺だって…”
‘手柄’を理由に、鵲参事官から担ぎ出された佐貫刑事だが。 同じ刑事なのに、前途も可能性も在る若い木葉刑事が。 まだ、若く青二才の木葉刑事が。 鵲参事官に見込まれ、捨て駒にされるのが・・嫌で、悔しく、忍びない。
鵲参事官は、木葉刑事が突き進む理由を二つで現す。
1つは。
“正義感と、視える故に感じる責任や義務感”
然し、一緒に居る佐貫刑事は、更に付け加えられる。
2つめは。
“優しさ、人情、哀愁”
木葉刑事が、朧気ながらに被害者の女性に同情して。 人間として、魂や心だけでも救ってやりたいと想い。 そして、何処か自分を無条件で、蔑んで居る様な気さえしてしていると感じる。
(あれだけの手柄を挙げた奴が、何を理由に自分を蔑むのか? 霊に頼っているからか?)
休む二人の刑事は、それぞれに何かを決めた。
そして、時は過ぎる。
さて、朝に成って捜査員が動く。 坂下教授の事を調べる為に、医師や看護士にまで調べが入り。 直ぐに、愛人と噂の真山女医にも、捜査の手が及んだ。
儚げな成熟した女性の真山女医が、坂下教授と肉体関係に在った事が解る反面。 聴き込みが進むに従い。 坂下教授は、別の方向からも怨みを買って居ることも、捜査の進みから判明し始めた。 イビられた職員、点数をご機嫌取りにチラつかされた学生も。 中には、点数が合格ラインを超えていたのに、反抗的で課題などを受け取り拒否とし。 留年に追い込まれた学生も居た。
それから、真山女医の他にも、もう一人の従順なペットにされそうになった女子大生が居た。 彼女は、まだ肉体関係を迫られていただけだが。 カンニングをした事を坂下教授に掴まれ、際どい衣装のコスプレをさせられては、身体を触られたりしていた。
その後、同日の午後。
仮眠から起きた二人へ、鵲参事官のお蔭か。 捜査員として動く許可が出た。 タブレット端末にて、事件の経過報告を確かめた二人。
夕方に異例となる捜査会議が開かれる広い会場にて。 最後列に座る佐貫刑事は、木葉刑事に。
(木葉、これからどうする)
(はい。 昼間に、何人か参考人が連れて来られた様ですが。 その中に、悪霊と関わる者は居ない気がします)
(なら、他の関係者か)
(はい)
(なぁ、それだと昨夜に居た職員を、片っ端から調べてみるしかないぞ)
すると、黙る木葉刑事。
会議が終わると、捜査員の出入りが激しく成った。 飯田刑事は、娘さんの顔を見たいと帰った。 篠田班の他の面々は、木葉刑事に挨拶もしない。
「よし、行くか」
「はい」
佐貫刑事の一言で、腰を上げた木葉刑事。 捜査に出ようと廊下に出れば、見たことの在る二人の黒服姿となる男女の職員が。
佐貫刑事と二人、視聴覚室に誘われると。
「木葉刑事、捜査に出るか」
夕暮れが川に映る窓辺に立つ鵲参事官が、振り返らずして言った。
入り口が閉まったと見てから。
「鵲参事官、捜査員として当然じゃないですか?」
「・・確かにな」
「鵲参事官。 我々は、捜査に出ては不味いのですか?」
すると、振り返った鵲参事官は。
「お前の面構え、前に会った時と違う」
「失礼ながら、どう違いますか?」
すると、木葉刑事の目を見抜く鵲参事官。
「俺に、何時か見せたか。 死ぬ前の叔父にそっくりだ」
佐貫刑事は、やはり鵲参事官も見抜いていたか、と。
然し、木葉刑事の顔は、全く崩れもしない。
木葉刑事と鵲参事官が見合って、そして鵲参事官から身を躱した。
「‘覚悟’が出来上がっているのか。 俺は、また亡くすみたいだな」
「他に手段が無いんです。 それだけです」
「そう・・か」
「では、失礼します」
「・・早まるな。 お前が命を捨てても結果がとちれば、今は代わりが居ない」
感情を隠して言う鵲参事官だが、木葉刑事は只。
「今回で、終わらせます。 幕引きは、お任せします」
言った木葉刑事は、ドアに向かう。
木葉刑事が出て行くと、佐貫刑事が。
「もう、覚悟してるみたいです」
頷く鵲参事官は、何も言わなかった。
木枯らしが吹く夕暮れ時。 警視庁から車で出ては、街中へと流す運転手の佐貫刑事。
不気味な暗雲を北東の空に見る木葉刑事は、直感的に思う。
(下手をすると、今夜も有る)
警視庁に連れて調べられた者を除外して、残った者の名前を見る木葉刑事。
(あんな深夜でも、職員だけで150人近く。 入院患者を入れたら、500を超える・・。 自分の力では、感じる事は出来ても、現れる前からの特定は難しい)
考え込む木葉刑事に、運転手の佐貫刑事が。
「処で、木葉よ」
「はい?」
「例の彼女に、一報を入れなくてイイのか?」
順子の話はどうでもいいと、タブレット端末の画面に目を戻す木葉刑事で。
「その場に居てくれって言ったって、勝手に様子を視に行きましたしね。 連絡して、余計な情報を与えないか。 返って心配なんですよ」
「ま・・、そう言われると、確かにな」
「もう、彼女の祖父母の姿も視えませんし、大丈夫の様な気がします」
昨夜に視た幽霊を思い出し、背筋が一瞬震えた佐貫刑事。
「お前、話は代わるが」
「何です?」
「他に、幽霊は視てないんだろうな。 まだ、何か視てるなら、前もって容姿やなんか云えよ」
少しぼんやり気味になり、佐貫刑事を見る木葉刑事で。
「昨夜のは、怖かったですか?」
普通の声音で聴く木葉刑事だが、目を睨ませる佐貫刑事で在り。
「アッタリまえだっ! あんなハッキリ視たのは、初めてだぜっ」
「それはそれは、スイマセンねぇ」
「ふんっ! 処で、腹減った。 どっかでメシにしよう」
「佐貫さん、それなら本庁で…」
「メシぐらいは、好きなモン食わせろ」
「はいはい」
「よし」
「それなら、自分はイタリアンとか、イイですがね」
木葉刑事のリクエストに、苦虫を噛み潰す顔に変わる佐貫刑事。
「なぁにがイタリアンだっ! ‘エイリアン’みたいなメシが食えるか」
食い違い過ぎて、思いっきり引いた木葉刑事。
「全然、違うと想いますが」
「うるへぇっ! 鰻か、寿司だ」
「うわ、どっちも出て来るまで時間が掛かりそう~」
木葉刑事の意見に、佐貫刑事は堂々としたもので。
「犯人が判明して、狙う時刻も決まってやがる。 ンなら、どっしりとして行くのが、王道ってモンだろうがよ」
然し、肩身を狭く窓側に寄せる木葉刑事で。
「自分・・ショミンです。 王様の行く道なんか、知りませんよ」
急に謙虚に成る木葉刑事へ、詰まらないとばかりに佐貫刑事が。
「ショッペェ事を言う奴だな。 これから、あんな化け物を相手に戦うんだろうが。 ショミンの為に身体張るんだ、ちったぁ~イイ目を味わえよっ」
「佐貫さん、俺達は刑事ッスよ。 ‘公僕’なんじゃないッスか?」
すると、何処か詰まらなそうに目を細める佐貫刑事。
「デカだって、手帳とワッパを置けばただの人。 酒も呑みたきゃ、女も欲しい。 ‘公僕’なんてのは、不正だの怠慢をしない為の枷よ。 命を懸けるんだ、広く考えようぜ」
そんな佐貫刑事を見ていた木葉刑事は、ふと。
「佐貫さんは、結婚しなかったンスか?」
木葉刑事から人間くさい問いが出てか、普段の顔に変わる佐貫刑事。
「まぁ・・惚れた女は、確かに居たさ。 だが、相手が元はAVとかに出てた、ホステスでよ」
「それは・・また」
「フン、後にも先にも。 刑事を辞めようと思ったのは、その時だけだ」
佐貫刑事は、声色が静かに成った。
「もしかして、向こうが?」
「あぁ。 俺みたいな奴でも、仕事に差し障るからって、身を引きやがってよ」
「そうなんですか…」
「だが、身を引かれても、相手が幸せならイイが。 俺の場合は、もっと悪い」
「はぁ?」
「何処から仕入れて来たかは、知らねぇ~が。 その女と俺の関係をネタに脅して、捜査情報を引き出そうとした悪いヤクザ崩れにな。 アイツ、犯されそうに成って、抵抗する中で逆に殺っちまった」
「佐貫さん・・」
「最悪なのは、その現場から逃げる途中で、道路に飛び出した所をトラックに・・な」
「そう・・・ッスか」
「その後だ。 お前の叔父に会ったのは」
「じゃ、まだ若い頃なんですね」
投げ遣りに頷いた佐貫刑事で、暗い外を見ながら。
「へっ、お前ぐらいだった」
「鵲参事官とも、その頃に?」
「いや、もうちっと後だ」
と、言ってから間を空けた佐貫刑事が、更に。
「お前の叔父さんと・・上に言われて仕方なく組んでな。 捜査をしている内に、何となく幽霊の存在を感じてるって知った。 だが、俺の傍に誰も居ないって言われてから、信じられなくて・・腹が立った。 手柄だけ挙げる、特殊な人間みたいで、な」
「なるほど・・。 でもね、佐貫さん。 視えるからって、何でもかんでも全部、視える訳じゃ無いですよ。 相手が視られたく無ければ、視えないんですから」
「ほぅ、なるほど・・。 視られたくない、か」
「その女性って、奥ゆかしい女性(ひと)、だったんでしょ?」
「・・かもな」
「なら、俺にだって視えませんよ。 居たい人の傍に居られるなら、他人の眼に触れる必要なんか無いッスよ」
「・・・なるほどな、ヒトミの性格からしたら、そうかもな」
「処で、佐貫さん。 そのヒトミさんとは、どうやって知り合ったンスか? 飲み屋?」
「いや、新宿の回転すし屋」
「へぇ?」
「AVに出てた事をネタにな、アフターまで付き合えって、回転すし屋でアイツを脅してた会社員に。 手帳を隠し見せてから、ボディブロー一発でお帰り頂いた時」
その様子が目に浮かぶ木葉刑事は、何となく笑い。
「武勇伝じゃないですか」
「あぁ、俺とアイツだけの、な」
すると、何を想ったか木葉刑事が。
「なら、回転すし屋にしますか?」
この木葉刑事の話に、細めた睨み付けをする佐貫刑事。
「俺とアイツの想い出に、お前を加えるなど腹立たしい。 ‘立派な寿司屋’にしよう」
「え゛ぇっ! 今、財布に金が無いッスよ」
「コンビニで、下ろせばいいだろうが。 俺とお前がたらふくに食ったって、万札二・三枚だ」
「うわ、この間の彼女の誘いみたいだ。 自分の心の傷に、塩を塗られるみたいだし」
この意見に、今度は顔を顰める佐貫刑事。
「巨乳の美女にお泊まりまで誘われた後に、な~んもしないで帰る意気地無しなんぞ。 塩でも辛子でも塗り込んでっ、泣いて後悔すりゃいいんだっ。 ほらっ、金を下ろすぞ」
渋々に財布を持つ木葉刑事で。
「酷い先輩だな。 そのヒトミさんから、弱点を聴きたく成ってきた」
「ルッセェっ」
「お~い、ヒトミさ~ん」
「木葉ぁ・・、テメェ」
頭を叩かれ、コンビニに押し込まれた。 金を下ろす木葉刑事は、コンビニで何かこっそり買えばイイと思ったが。 佐貫刑事にケツ蹴りで阻止され、赤坂方面の寿司屋に連れ込まれた。
(チッ、鰻まで有るじゃないですか)
そんな店に入った二人が、今夜の目的地は大学病院の一カ所。
夜の8時頃。
「食った~食った」
駐車場に向かうべく、店を出て歩く二人。 車通りがひっきりなしとなる大通りにて、都内に長く住むなら大方の者が1度は見る大きな赤い門構えが在る。 比較的最近に、新しく作った鳥居型のモノだが、目新しかったのは、木葉刑事が田舎者丸出しだった二十代前半の頃。 今や、昼間に外国人が珍しがって写真を撮るぐらいで、日本人は素通りする。
夜の通りには、歩く会社員の姿も多く見えるが。 確かに、明らかに仕事中だと思った木葉刑事は、ボソリと。
「仕事中なのになぁ…」
「休憩中だ」
言い張る佐貫刑事に、
「仕事始めからですか?」
佐貫刑事は、木葉刑事の真面目さにをヒラヒラさせ。
「硬い、お前は硬い。 男で硬くてイイのは、下半身と義理だけだ」
「佐貫さん、‘カタい’の字が違う感じしますが?」
だが、着信を知る木葉刑事は、仕事用の携帯ではなく。 スマホに来たと画面を見て。
「ハァ~。 また、彼女からだ」
相手が順子だと知り、困る木葉刑事。
然し、佐貫刑事は、軽く振り返るなりに。
「羨ましい限りだ。 あんな胸の有る、超美人に絡まれてよ~」
だが、木葉刑事には、
(病院かどうかは、確かに知りたいな)
と、電話に出た。
「もしもし、木葉ですが」
「あっ、木葉さん?」
その声には、ノイズが聞こえなかった。
「順子さんは、もうお帰りに?」
「あ、はい。 医師の手が足りなかったの。 昨日の夜からそのまま、夕方まで」
「流石に、人の生き死にに関わる職業だけ有りますね。 あの事件に関わっても、まだ仕事が出来るとは」
「そう訓練していますから。 私はあまり携わりませんが、手術を前に眠いも許されませんし」
「確かに」
「あの、木葉さんは、今はどちらに?」
「自分と佐貫さんは、これから仕事ですよ」
「え? もう、8時を過ぎたのにですか?」
「はい。 昨夜の現場に、もう一度足を運んで。 それからは、気配を探ります。 おそらくは、まだ大学病院から近いと思うのでね」
そう言った木葉の耳に、急に変わった声の順子から。
「越智水先生が、木葉さんの事を心配してましたよ」
ちょっと言葉を見失った木葉刑事だが。
「・・視た、でしょ」
「え?」
「人を、あんな風にする相手を、順子さんも視たんですよね?」
「・・・はい」
「‘視える’以上は、何とかしなきゃいけないんですよ。 それに自分は、刑事ですからね」
大通りの赤い鳥居門で、そう言う木葉刑事。
「・・・」
タクシーや通行人を見る佐貫刑事も、既に刑事の顔だった。
電話を切る、タイミングを見計らった木葉刑事だったが…。
「・・・なら、私も付き合います。 明日は、また勤務ですし。 病院に行ったら、逢えますよね?」
困った話だと、木葉刑事は思う。 然し、前向きに動く人物とも、理解し始めたので。
「そうですね。 明日、逢えたら行きますよ。 病院には、まだ怪しい感じがしますから」
「はいっ。 では、今夜は気をつけて下さいね。 貴方の訃報は、聴きたく無い…」
順子の願いの様な話に、木葉刑事は返す言葉が見つからず。
「あ、本庁から連絡が…。 では、また明日」
「ごめんなさい。 ご迷惑をお掛けして」
「いえいえ、では切ります」
通話の遣り取りを終える木葉刑事は、マナーモードに切り替えた。
「こんな時に、知り合いは作りたく無いんですがね」
やや、ぶっきらぼうに言う木葉刑事だが。
夜の賑わいを視る佐貫刑事は、そんな木葉刑事がまだ青二才に見える。
「明日、命が終わろうが、生き物だから恋愛もするんだよ。 先がなきゃ人を愛せないなんて、まだまだガキの域を出てねぇ証拠」
言い返すだけの経験が無い木葉刑事だ。 佐貫刑事を見ていると、勝てる気がせずに。
「スイマセンね、ガキで」
子供の様に言った木葉刑事を、チラ見してから佐貫刑事が。
「お前、そんなにあの美人が嫌いか? 俺みたいなオッサンに比べたらよ、ちょっとボンクラ入ってるが。 お前なんか、随分とイイ男に見えるがな? それとも、そんなに早死にしてぇのか?」
「佐貫さん。 あんな築地に、料亭を構える家のお嬢さんッスよ? ガキの頃から‘カス’呼ばわりされた自分には、とてもとても…」
木葉刑事の話に、その全身を見た佐貫刑事が。
「だ~れが、‘カス’呼ばわりしたんだ?」
「親とか、同年代の同級生とか」
ジャンパーのポケットから、紙に包まれた爪楊枝を取り出した佐貫刑事。
「お前、ちゃんと国立の大学まで出て、立派に刑事を遣ってる奴で、‘カス’なのか」
「そうらしいです」
「それなら、お前ン家の親が、どうかしてやがるンだよ。 それとも、お前と叔父以外は、‘視えない’のか」
「あ~、隔世遺伝みたいッスね。 祖父さんとか、祖父さんの従兄妹には、視えてたみたいですが」
「よく解らん家族だ。 だが、お前で‘カス’なら、一族全部が‘カス’だな」
と、歩き始めた佐貫刑事。
後を追う木葉刑事は、子供の頃を思い出してしまう。
“お前は、たまたま出来ただけの子だ。 この家の跡を継げるとは、微塵にも思うな。 財産だって、びた一文も無いっ”
小さい頃から、両親に言われて来た事だ。
然し、
“各家庭には、色々と有る”
と。 ただ、それだけだと、言い聞かせて来た木葉刑事。 東京に出て来た時から、故郷は既に捨てた。
「佐貫さん家は、普通ですか?」
何となく、流れから聴きたく為った木葉刑事。
「あぁ。 ただ、九州のよ、山間の温泉宿だったからな。 ガキの頃からエロい事だけは、周りに有り余ってたな」
駐車場に入って、佐貫刑事が語る山野での遊びは、片田舎の町に生まれた木葉刑事よりも、伸び伸びとしていた。 然し、男女の駆け込み宿としての一面も有ったらしく。 訳ありの泊まり客も多かったとか。
「自然の中で育つって、イイ事ッスよね」
「イイね、実に」
缶コーヒーを片手に、二人して雑談をしたが…。
だが、車に乗り込む時の二人は、何故か無言に。 走り出した車は、ガソリンスタンドで給油を終えると一路埼玉方面に。 越智水医師と順子が勤める、昨夜に事件の起こった大学病院へ向かった。
4
日付の代わる本日深夜、殺人と思われるバラバラ事件が起こり。 明けた日昼は、部外者が騒がしく押し寄せた某大学病院。
車にてその病院に近付いた木葉刑事は、
「居ます。 間違い無く、大学病院の中に居ます」
と、真剣な眼差しを夜の外にチラッと向けた。
佐貫刑事も見たが、病院の敷地を照らす明かりが、まだ遠くにチラッと見えただけと。
「木葉、此処からでも感じるのか? まだ、敷地に入るだけでも、数分は掛かるぞ」
「・・解ります。 幽霊を視る時の比じゃなく、強い怨念の力を感じるんです」
「お前ぇ・・、まるで能力が高まってるみてぇだな」
思った事を口にする佐貫刑事に対し、首を左右に振った木葉刑事が。
「佐貫さん、それは違う」
「何だって?」
「向こうが、隠し切れない位に強く成ってるんです」
「はぁ…、なるほどな。 広縞を殺した後も、7人も殺ってる。 お前の言う通りに、怨みを得る為に人を殺してるなら。 結構な数に成って来てら~な」
助手席にて、俯くままに頷いた木葉刑事。 何処か、怯えている様な感じもする様子で。
「木葉、怖いのか?」
「いや、と・・言いますか。 恐らく、今夜も誰かを襲うと、思います」
「な・何ぃぃっ?」
「この渦巻く怨みの気配は…。 昨日や、以前に別の大学病院で殺された、患者の女性を襲う時の気配と同じです」
また犠牲者が出るのかと、いよいよ腹を括る佐貫刑事。
「全くっ、呪うぐれぇなら、別の事に気を向けろって~のによ」
だが、木葉刑事には、別の懸念も在る。
「佐貫さん。 心配は、それだけじゃないですよ」
「あ゛? まだ、何か在るのか?」
「こんな不気味な気配は、もう人に悪い作用をするかも知れません。 大学病院に入院している方々で、危篤状態の患者さんは・・ヤバいかも」
「はぁ?」
「以前に、今は学会の為に海外へ出張している越智水先生が、こんな事を言っていた事が在るんですよ。 怨みの力は、それだけで強い負の力を持つ・・と」
「意味が解らんっ」
「詰まり、運気とか、元気とか、生気とか、精気とか、‘気’と呼ばれるもので。 人間の身体に宿る意欲や生命を助ける力になるものは、‘正’の力で、追い風みたいなものらしいんですが…」
「その逆ってなら、足を引っ張れる力ってか?」
「はい」
木葉刑事の頷きを見る佐貫刑事は、流石に慌て始めて。
「そりぁ~どげんかせんと、イカンだろうがっ!」
と、方言丸出しでスピードを上げた。
然し、此処まで来るまでに、既に2時間を要している。 信号に必ず捕まり、近道には事故が在ったり。 酔っ払いが信号や歩道を無視して歩いて来たり。 巡り合わせが悪い。 まるで悪霊の力が、木葉刑事と佐貫刑事を退けている様だった。
さて、木葉刑事の予感は、正に的中していた。 惨殺事件の騒動が少し下火に成り掛けた、本日の夕方から。 入院患者の一部で重篤な者が、次々と容態悪化に至る。
あの容姿はイイ、外科医師の‘志賀貴’を含めたベテラン三人の医師が、その全力を傾け手を尽くしたのだが。 7人を相手に、全敗だった。
研究棟から、更に北側へ行けば。 新しく作られた施設が在る。 この施設は、若い医師達へと造られた部屋が並ぶ。 教授や准教授を始めとして、研究棟の新しい設備を備えた建物。
然し、この一階部分は、各医師の私室に宛行われた部屋が並ぶ。 廊下の壁が、各部屋ごとに彩って在り。 デザイン的にも、大学の建築家の卵達が関わったらしいのだが。
その新しい建物の真ん中より、西に向かった一室に。 まだ、明かりが点る部屋が並んでいた。
その部屋の一つで。 廊下には、開かれた本のページをイメージさせる様な。 そんな模様の壁を持つ部屋の中には、志賀貴医師が居る。
「チキショウっ!」
思いっ切り、空のゴミ箱を蹴飛ばした志賀貴医師。 つい1時間前までに、四回連続もオペが黒星と成り。 患者を救えなかった事に対して、相当苛立っていて。 デスクの周りを歩き回って、珍しくオペを振り返って反省点を探した。
(俺を含めたスタッフの対応は、ほぼ完璧だった。 悪化前から、意識は戻ってなかった患者ばかりだが。 こんなにポロポロと死ぬだなんてっ!)
これまで、手術の成功率には、かなりの自信が有った志賀貴医師。 二・三年したら、もっと成り上がれる場所に近付ける大学病院へ、引き抜きの話も有った。
(どの患者も、今日までは持ち直していた。 あの身体に、落ち込む要素が見当たらない。 坂下のボンクラが死ぬまでは、こんな事は有り得なかった。 あの疫病神めっ!)
この志賀貴医師にとって、オペの成功率から患者の生存は、己のステイタスを保つ背骨の様に大切なものだ。 彼の人間性としては、患者が病院を退院した後は、ぶっちゃけてどう為ろうが知った事では無いのだが。 然し、自分のオペを受けたからには、自分を満足させ達成感を得る道具として。 患者には元気で退院する義務が在る、と彼は考えていた。
(あ゛~っ! 腹が立つっ! 忙し過ぎて、順子をデートに誘え無いし。 今日の連敗で、俺の輝かしい経歴がくすみやがった。 真山のエロババァが、昼間に警察に呼ばれたらしいが。 犯人だったらぁぁぁぁぁ、どうしてくれようっ!)
自分の足を他人が引っ張るなど、到底に受け入れられないと。 苛立って仕方ない、この志賀貴医師。 取り返しの出来るミスならまだしも、悪い噂だの汚点は許せない。
白衣を揺らして歩く志賀貴医師だが、一番の大問題が在る。
(そう言えば・・。 女の看護士達が、ストーカーもどうとか言ってたな。 女医の更衣室と、女子看護士更衣室と、一部の女子トイレにも、盗撮用の隠しカメラが在ったと・・か)
麻酔医の七海医師が仕掛けた隠しカメラは、看護士や医師の女性達を不安にしていた。
(この大学病院で、そんなオタクな奴は…。 麻酔医師の七海のブタ野郎か、神経内科の若いあの二人・・。 いや、看護士の野郎にも、何人かオタクが居るって言ってやがったな)
成功者としての、自分のこれからの道。 それを危ぶませる犯人捜しに、志賀貴医師は頭を巡らせた。
既に、時は11時を回る頃。
その時。 頻発する緊急手術の助手として、麻酔医師の七海は、本日三人目の手術を終えた。
そして、一緒に手術室を出た、中年の女性医師が。
「嗚呼、厄日だわ。 坂下教授が亡くなられ事も、そうだけど。 こんなに頻発して、危篤状態の患者が出るなんて…」
プロ中のプロで在る熟練者の女性医師が、自信を喪失しそうな程に頭を抱えた。
「これからの麻酔の量は、もう少し減らして見ますか?」
元気付ける様な返す言葉無く、そう言った七海医師。
落ち込む女性医師は、頭を左右に振って。
「違うわ。 これは、既に七海先生がどうとかじゃないわよ。 こんな言い方をするのは、適切とは思えないけど。 まるで患者の身体が、生きる事を諦めた死体みたいだもの」
「え゛? そんな事が?」
彼女の表現に、驚く七海医師。
然し、女医は頭を抱え。
「だって、生活反応は有るけど、身体が生きようとして無いみたいに診えるの。 こんな調子だと、大学その物が医学部を辞めないといけないわ」
ちょっと老け顔だが、容姿は悪くないこの女性医師が。 まるで、10歳は老けて見える程に、憔悴している。
先に、休憩の為に廊下へと出た七海医師は、
(マジかよっ! マジでマジかよっ! 死神の奴は、やり過ぎで坂下を殺すし。 警察沙汰に成って、僕のカメラまで奪われちったじゃんかっ)
と、焦り苛立つ。
本日を振り返ると、先ずは今日の昼に成って。
職場に来た七海医師は、警察の調べから隠しカメラの存在に気付かれた事を知る。 まさか、坂下教授が死ぬとまでは、全く思わなかったし。 自分の頼みを聞いた筈の‘死神’が、殺人をする程に暴走するとは思わなかった。
(ヤバい・・ヤバいな。 まだ、この病院に居るのか? 死神に暴れられたら、それこそ困るぞ。 首が取られるだなんて、今ニュースでやってる有名な事件じゃないかっ!)
警察には捕まりたく無いのが、最優先事項。 第二に、怨みの無い他の職員には、迷惑を及ぼしたく無い。 特に、順子は以ての外だ。
これに合わせて、不思議なことがこの大学病院と大学に起こっていた。 朝から患者や看護師、または大学に務める職員等が怪奇現象に見舞われていた。 死んだはずの人物を視たり、屍人の声を聴いたりする。 日昼でも、霊感が強くない者ですらこの様な事に遭遇する。 本日は、病院の業務も、大学の講義や実験にも、この影響で混乱が起こった。
そして、夕方より勤務に入った七海医師は、その耳に時々、‘死神’と名付けた悪霊の声がボソボソと呪詛の様に聴こえて来て。 また、自分が勤務に入る前、本日に亡くなった者の霊まで視える事が何度も…。
この一連の全ては、悪霊の仕出かした事と頭を抱えたい心境の七海医師は、年配の麻酔医師と交代して休憩に入る。
あの殺された坂下教授の私室が在った、研究棟の三階。 最も左側の角部屋には、七海医師の私室が有る。
だが、私室と云っても。 膨大な研究資料と書籍を戸棚に入れつつ、その棚で錯覚を起こす様な壁を造り。 その先に、自分の居場所を作った七海医師には、‘オタク’・‘根暗’が渾名に近い。
然し、社会性は持つ彼だけに、人前では決して気性を荒立てたりしない。
(あ゛~ぁ、隠しカメラ取られたから、今日の順子は無しか。 過去の映像は、一応は保存して在るけど。 最近、新しい下着を買ったみたいだから、全部欲しいのにな…)
こんな子供じみた事を考える七海医師は、過去の順子の下着姿の映像をスマホに流しつつ。 夜食用に買った、コンビニ弁当を取り出した。
(坂下のジジィがバラバラにされた時、まさかとは思ったがな~。 だけど、この能力は何なんだろか)
と、考える七海医師だが。
唐揚げを一つ食べるうちに、フッと思い出すのは…。
(あ・・・、そう言えば。 今日は、志賀貴の奴も居たっけ? でもアイツは、もう勤務を終えた筈だ。 色魔のアイツの事だから、最近だったか口説いたって云う、理事の娘と一緒だな)
普段、誰が一緒の勤務とか、これまで余り気にしなかった七海医師。 遣るべき事は、自分の仕事のみと割り切っている。 彼にとっての病院は、盗撮の出来る仕事現場と云う事なだけだ。
然し、唐揚げ弁当を食べる七海医師は、考える内に色々な事が気になって来る。 志賀貴医師の勤務もそうだが、何よりも気に成るのは…。
(今日の映像は、何が映るんだ?)
これだ。 普段から意識して、ニュースを見ない七海医師だが。 流石に気になって、今日は休憩中に情報を漁ってみた。
“前代未聞の猟奇的な殺人事件”
“片方の現場では、遺体の一部が切り取られ。 片方の現場では、犯人の残した証が在り”
“現場を視たとされる目撃者の証言だと、人の顔を象った人形だった”
“首を奪う殺人鬼”
と、憶測や未確認情報を交えて、色々と書かれていた。
記憶力は良い七海医師は、そのゴシップ込みのネット記事を粗方見て覚え。
(最初は・・三鷹での事件が皮切りか)
と、個人的に事件を考えてみる事にするのだった。
その時、漸く木葉刑事と佐貫刑事が、大学病院の敷地へと入った。
“現場保存の確認と、捜査”
と、理由を付けて大学へと入ったのだが。
車を停めるべく、関係者専用の地下駐車場に向かって大学敷地内に入った佐貫刑事は、酷く徐行で車を動かしつつ。
「どうだ、何か感じるか? 木葉よ」
暗雲の下で、夜に城の様な建物群の影を見た木葉刑事は、ゆっくり一つだけ頷いた。
「・・居ますね。 然も、以前に別の大学病院で感じるより、もっと禍々しさが溢れている様な…。 この大学病院の敷地内と云う極まって狭い一帯が、悪霊の手中に在る様な感じを受けます」
「なら、各施設棟を回ってみるか。 今週中は、立哨警備に警官が並ぶ筈だ。 それとも、現場を先にするか?」
「いえ、歩いてみましょう。 上手く潜伏する場が解れば、今日で終わりに出来るかも」
声音が低く成った木葉刑事は、もう一点の事しか考えてないらしい。
さて、車を停めるべく、関係者専用の地下駐車場に入ると。 鈍い天井のライトが照らす視界の中で、別の捜査員らしき覆面車両を見つけた佐貫刑事。
「木葉、見ろ」
「多分は、鵲参事官が回した、警戒要員では?」
「鵲参事官が?」
「あの方は、幽霊の存在は信じている。 だが、それを公表したり、捜査員に含ませる事はしない」
「だろうな、相手が‘幽霊’じゃ」
「でも、事件のパターン化は、既に我々同様に読んでます。 新たな対象が死んだ以上、次は他の対象か。 呪った本人」
「それは、確かに確実視の出来る流れだ」
「だから、昨夜に死んだあの教授の愛人とか、怨みを抱いた可能性が在る人物。 そして、病院関係者がその範囲内なら、此処も見張らせるのは…」
「当然・・か」
「はい。 それに、‘第三者’の見届け人も居た方が・・、幕引きを考えるならいい様な気がしますし」
木葉刑事の勘ぐりには、佐貫刑事も十分に納得が出来る。
「なるほど・・。 お前が仮に、この事件を終わらせたとしても。 警察官が職務を遂行する上で殉職・大怪我したとするには、関係無い目撃者がいりゃ・・ま、幕引きも楽だよな」
頷いた木葉刑事は、後部座席を親指で指して。
「一応、買い溜めした差し入れでも、ね。 佐貫さん」
「おう、そろそろ12時に成るし。 ちょっくら行って、慌てさせるか」
コンビニの袋に、缶コーヒーとお茶の缶を2つずつ入れた佐貫刑事。 車を降りると、待つ木葉刑事に代わって、覆面車両に近付いて行く。 覆面車両と思しき、黒い車。 その運転席の外側に立ち、佐貫刑事が窓を叩けば。 静かに窓が降りる。
覗く佐貫刑事の其処に見えるのは、中年の厳つい顔の大男捜査員と。 その先の助手席には、真面目そうな感じで、まだ30歳どうかと云う感じの捜査員が居る。
「ご苦労様」
コンビニの袋を車内へ入れた佐貫刑事。
厳つい顔の大男の捜査員は、それを無表情で受け取り。 横のまだ若そうな捜査員へやりつつ。
「何をしに?」
大男の捜査員が問えば、佐貫刑事が腕時計を見せて。
「そろそろ、12時だ。 一連の犯人が出るなら、今夜の1時前後だろう? 首を持って行かれる対象は、一人と限らない。 現場保存を確認する前に、立哨の労いがてら見回る」
すると。
「盾内さん。 車で指揮を願います。 私と入谷さんで、お二人の見回りに同行します」
と、女性の声がする。
何と、後部座席には以前の事件で、此処とは別の大学病院にて女性の容疑者を保護していた警護課の里谷捜査員が居た。
声で誰か解った軽く驚いた佐貫刑事は、中腰から車内を覗き。
「あら、居たのかよ」
然し、済まして車から出た彼女で。
「犯人に狙われた対象者が判明した場合も、上層部が想定したからです」
と、捜査員らしい雰囲気を持って、木葉刑事に目を向ける。
その流れから、助手席の若そうな黒服捜査員も降りた。
運転席に居る大男は、耳に付けたイヤホンに似た通信機に手をやり。
「此方、大学病院班。 1200より、要警戒対象時刻0130まで。 捜査員二人に、病院の見回りを行わせる」
- 大学病院班。 提案を了解。 十分に、注意をする様に。 -
「大学病院班、了解」
大男の捜査員‘盾内’は、警護課の女性捜査員で在る‘里谷’へ向き。
「里谷、君はその二人に随時同行しろ。 それから、犯人発見時には、応援要請を第一に」
盾内捜査員へ、敬礼をする里谷捜査員で。
「了解しました。 里谷、これから見回りに同行します」
盾内捜査員は、次に鼻の高い細面の入谷捜査員に。
「入谷、お前も一緒に周りつつ、指定時刻まで制服警官に見回りを促せ」
「入谷、了解です」
指示を出す盾内捜査員に、顔を再度近付けた佐貫刑事は。
「容疑の在る奴には、み~んな着いてるんだろ?」
「・・・」
黙った盾内捜査員を見て、それを理解した佐貫刑事。
「今夜、な~んにも無い事を祈ろうや」
と、意味深な発言を残し。 木葉刑事の方に歩いて行く。
その佐貫刑事の背中を視る盾内捜査員は、培った経験から仄かに感じる。
(まさか・・この二人は、犯人を知っているのか? 何故、決め打つ様に此処へ来た?)
捜査本部は、まだ犯人特定に至る足掛かりの何も掴んでいない。 その最中で、木葉刑事と佐貫刑事のみが、犯人とニアミスを繰り返す。
(この見張りを計画したのは、鵲参事官か? 何故、保護・監視対象に、あの二人が入る?)
奇妙な命令と偶然の一致に、盾内捜査員は胸騒ぎを感じた。
さて、動き出す木葉刑事以下、四人の捜査員達は地上に出た。
最初に向かうのは、一番近い救急医療の施設。 木葉刑事と並ぶ佐貫刑事が、舗装された道路を行き。 それに付き従う様に、里谷・入谷捜査員が追従する。
すると、別の院内通路を通って救急車がやって来た。 病院の地下に入る救急車は、救急医療施設の専用口にて。 待ち受けていたスタッフ達の前に車を停めると、搬送して来た患者を預ける。
その施設へと近付いて行く木葉刑事は、並ぶ佐貫刑事に。
(此処じゃないッスね。 ですが、此処も手中です)
(この敷地は、向こうの端までえげつなく広い。 調べて回るのは、大変だな)
救急施設に向かった四人は、木葉刑事より若そうな入谷捜査員が、立哨警備をする警官に近付いた。
木葉刑事は、佐貫刑事と離れつつ。 手を回す。
“施設を見回りましょう”
別の大学病院で亡くなったあの女性は、窓に映像が見えたと云った。 建物の中や外で、不自然な様子で窓を見ている人物が居れば、気を付ける必要が在る訳だ。
‘解った’
と、ジェスチャーするだけの佐貫刑事。
さて、木葉刑事の後を行く里谷捜査員は、木葉刑事が窓や建物内を注視して見ているのを見て。 街灯から暗闇に向かう中、携帯ライトを取り出した。
だが、木葉刑事が、
「必要な時以外に、ライトは使わない様に。 病院で亡くなった女性は、映る物を怯えていました」
「あ、それで」
新たな犠牲者を出さない為に、大学病院を見回る木葉刑事達だが。
同時刻。 深夜12時を過ぎて、事件を考察していた七海医師は…。
「う~ん。 首が亡くなった事例と、首が残される事例が繋がっていたら。 あ、死神に狙われた側も、頼んだ側も…」
何となく、そう思い始めた七海医師。
(もしかして、事件と事件に間隔が在るのは、死神が移動する間?)
自分が関わってみて、解る事は多い。 七海医師は、この‘死神’が一連の事件の犯人だと解った気がした。
(マジか、マジかよ…)
悩む事に成る七海医師だが、事件の経過を考えても。
(明日からは、2日休みだ。 新人の麻酔医も、普通に勤務に組み込まれたし。 明明後日まで、休み入れようかな。 一旦、遠くまで逃げれば…)
自分なりに考えて、勝手に判断する。 恐らくは、志賀貴医師が殺される方が先だと、考えた。
だが、木葉刑事が感じる様に、強力な負の力を持つ悪霊の存在。
その予想は、やはり打ち砕かれてしまう。
木葉刑事と佐貫刑事が、里谷捜査員と入谷捜査員を連れて。 入院患者が多く居る、中央の病棟を見回っている時。
駐車場に居た盾内捜査員は、里谷・入谷の両捜査員から連絡を受けた。
「解った。 引き続き見回りを頼む」
と、言った時。
(これから帰るのか…)
前髪を掻き上げつつ歩く、白いコートの人物を見つける。 地下駐車場に入って来たのは、正に志賀貴医師だ。 入院患者全体に安定が見られたと、朝から居た彼はもういいと判断されたのだ。
(全く、イライラして仕方ない。 今夜は、香代を徹底的に抱いて、憂さ晴らしするかな)
センサーでドアロックを解除し、真っ白な高級車に乗り込む志賀貴医師。 七海医師にも噂に聞こえたが、大学病院の理事をする者の娘と付き合い始めた。 身持ちの堅い若い女性だったが、結婚の話をチラつかせて身体を開かせた。 今や自分を信じきっていて、やや世間知らずな処から志賀貴医師の言いなりに近い。 欲求不満を満たす道具としては最高で、この半月前からSMみたいなプレイを覚えさせている。
志賀貴医師が車に乗り込むそれを見守るのは、盾内捜査員だ。
「・・・」
天井のライトの影に入る覆面車両。 その車内に居る盾内捜査員は、安全に彼が出て行くのを見送る事にし。 身を、少しハンドル側へと乗り出した。
志賀貴医師が車内へと乗り込み、程なくエンジンが掛かった。 1000万円は下らない高級車の安定したエンジン音は、車の運転をする者には心地良ささえ感じるのだが。
盾内捜査員の視界の右側から車が走り出して来たならば、白線の道なりに覆面車両が停まる駐車スペースの前を通り。 すぐ先の門を右折して行けば、地上に向かうカーブの坂道へ入る訳だ。
志賀貴医師の運転する白い高級車が発進。 盾内捜査員の乗る車の方に向かって走って来た。 黒いフィルムで外から中を視られない覆面車両だが。 運転する志賀貴医師を見た盾内捜査員は、目を見開いて。
「ん?」
と、前に身を乗り出した。
運転する志賀貴医師の後ろに、不自然な赤い光が二つ。 不気味に浮かんで見えたのだ。
(今のは、何だ?)
すると、覆面車両の前を横切った高級車の車内で、何かが撒き散らされた。 高級車の窓が、何かの液体を塗布されたのか。 急に黒ずんでしまい、車の動き方までおかしくブレた。
(どうしたんだ?)
確認しよう盾内捜査員が、覆面車両から降りようとすると。 何故か高級車は、いきなりスピードを上げては、出口となる奥に向かってしまう。
この狭い駐車場で出すスピードでは無い為、盾内捜査員は驚き。
「おいっ、おっ!」
二回目の‘おい’と云う言葉は、地上に上がるカーブの壁に激突する高級車の音で掻き消された。
驚く盾内捜査員のインカムに、里谷捜査員からの声がする。
「盾内さんっ、何か在りましたかっ? 木葉刑事が、そっちに誰か行かなかったかとっ」
爆発して炎上する車を見て、赤々と燃え上がった炎に阿鼻叫喚する恐ろしい人の顔を見る盾内捜査員。
(何だ? な・・・何が起こった?)
叫ぶ里谷捜査員の声を聴きつつ、盾内捜査員が呆けてしまう時。
車の爆発音は、離れた場所に居た木葉刑事達にも聞こえた。 大学病院の建物と建物の狭間の院内通りから音のした方を四人が向いて。 里谷捜査員が盾内捜査員に様子を繰り返し聴く。 処が、坂下教授が亡くなった研究棟を臨み、木葉刑事が1人で歩き出した。
「おい、木葉?」
付随する佐貫刑事に、木葉刑事は研究棟の北側となる端を見て。
「居ますっ、向こうに移動しましたっ!」
「あっちかっ」
走り出した二人の刑事を見て、若い入谷捜査員が。
「里谷さんっ、あの二人が走りましたよっ」
「えっ?」
振り返る里谷捜査員は、
「何階だっ、木葉っ!」
「とにかく中へっ」
と、研究棟入り口に走る二人を見て。
「まさかっ、例の犯人っ」
と、慌てて後を追い始める。
「え゛っ、まさかっ」
驚くのは、入谷捜査員も同じだった。
実は。 多数の入院患者が居る中央病棟。 その見回りの途中で、木葉刑事は悪霊の気配がはっきりし、然も動き出したのを感じた。
一段と冷え出した夜の中、一陣の風の様にサァーっと気配が向かったのは、何故か地下駐車場の方。
これに焦った木葉刑事が、盾内捜査員に連絡する様にと里谷捜査員を説得する間に。 駐車場へ移動した悪霊は、志賀貴医師の影に入り込んだ。
その時、何を見たのか…。
意味が分からない説明をされた里谷捜査員は、盾内捜査員に連絡を取るより。 木葉刑事と佐貫刑事に、全く見当違いの事まで聴く。
その間に、車へ辿り着いた志賀貴医師の影から悪霊が現れた。 運転席に乗る志賀貴医師。 後部座席に入った悪霊は、その身体の全てを暗い車内へ現したのだ。
この瞬間に漸く。 木葉刑事の真剣な顔から、とにかく盾内捜査員に話をしようと云う事に成ったが。 志賀貴医師を殺した悪霊は、首だけ奪ってまた移動した。
そして、今。
”のろい・・はぁ・・おまえでじょうじゅ・・する。 いくぞぉぉぉぉ・・・これから・・おまえをむかえにいくぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!”
志賀貴医師が殺される様子を窓で見ていた麻酔医の七海医師の元へと、悪霊が移動したのだ。
「うわぁぁっ!」
窓に映るその悪霊のアップに、椅子を転ばせて後退りした彼。
(ヤバいよぉっ!!!!!!! 明日は、やっぱり僕だっ!)
と、確信した七海医師だが。
其処には、大きな間違いが一つ。
それは、‘明日’では無い事。
頭を抱え込んだ七海医師は、震えて立ち竦んだ。
すると、建物の中なのに、額に何かが・・・ポタリ。
「?」
居る事がバレないようにと。 夜中に、この部屋に居る場合は、明かりをなるべく点けない七海医師。 暗い中だが雨が降る筈は無いと額に手を遣れば、ヌメりを感じる液体が着く。
(嘘だろ・・・、このに・臭いは?)
医師の身故に、この臭いは嗅ぎ慣れている。 見て、それが‘血’だと理解した七海医師は、危険を感じて部屋から出ようと全力で振り返った。
(え・・・)
走り始める足が一歩まで伸びない距離で、柔らかい繊維質の束の様な物にぶつかった。
(何だコ・レ?)
顔に当たる繊維質は、何故か濡れていて。 然も、カビ臭い。
(あ・・・あぁ)
朧気に、それが髪の毛の様だと感じて。 スマホの画面が光るデスクの方に、身をそぉ~っと引いた七海医師だが。
(いっ、いいい・・居る)
拳一つか、二つ。 引いた所で左側に見えるのは、赤いビー玉の様な二つの目。
(あ、あぁ・・何で、今日? ちか・ちっ・近いから・・・ですか?)
胸の内で、‘死神’と名付けた悪霊へ問う時。 自分に髪の毛と人の手が、抱き付いて来た。
「ぐぅえ゛ぇぇ…」
絞まる首、身体。 全身が軋み、熾烈な痛みを感じた七海医師が、折り畳む様に左右の腕をくっつけて死ぬ。 背骨が背中の皮を伸ばして飛び出し、口から溢れ出た血が彼の折り畳まれた身体の間を流れて行った。
ドサッと床に倒れた七海医師の成れの果ての傍には、坂下教授と志賀貴医師の頭が無造作に落ちたまま転がる。
“ひとをのろわば・・あなふたつ。 ひとりは、あいて。 もひとつは、じぶん。 のろったひとも・・・しにましょう”
辿々しい語り口でこう呟く悪霊は、壁をすり抜け、外の闇に出て行く。
一方、各部屋を見回しながら、七海医師の死体が居る資料室へ来た木葉刑事。
「此処だっ! 血の臭いがするっ!」
と、明かりを点ける。
隣の部屋から飛び出して来た佐貫刑事や、後から警察官と警備員を伴って来る里谷・入谷捜査員の両名。
「何だっ、この部屋っ」
棚に阻まれ、向こうに行けないと焦る木葉刑事。
「木葉っ、お前の左端から行けないかっ?」
狭い部屋に、入谷捜査員と警備員が入って来て。
「棚を退かしましょう」
と、押し広げる。
然し、外を動く悪霊の気配。 それを察した木葉刑事は、入れ違いに廊下へ出た。
噎せ返る血の臭いに、また目と鼻の先で殺人事件が起こった、と流石に慌てる里谷捜査員が。
「木葉刑事っ、一体どうなってるのっ! 説明してっ」
と、廊下に出て空を向いている木葉刑事へ詰め寄るのだが。
悪霊の気配を探る木葉刑事で。
「外だっ」
と、手前の部屋の入り口と、廊下を隔てた反対側に在る非常用階段へ。
「えっ、何がっ?」
その時、入谷捜査員と佐貫刑事と警察官や警備員が壁の様に置かれた棚を退かすと。 そこには、身体を折り畳まれて姿の変わった七海麻酔医師と、殺害された二人の頭部を発見する。
「う"ぇっ!」
「わあ"っ!!」
「木葉っ、首が在るぞっ! 木葉っ?」
その心配する佐貫刑事の声が、焦る木葉刑事の耳には入らない。
(終わらせなきゃっ、此処で終わらせなきゃダメなんだっ!!!!!!!)
非常階段の古い型のノブに付いたロックを外した木葉刑事は、非常用の明かりのみが灯る薄暗い階段を駆け降りる。
「待ってっ!」
木葉刑事を追う里谷捜査員は、木葉刑事を呼ぶ佐貫刑事に気付いて。
「こっちっ、非常用階段ですっ!」
彼女の声で、木葉刑事が先走ったと知る佐貫刑事は、
「応援要請と、此処を頼むっ」
警備員や警察官に言って資料室を飛び出した。
(アイツっ! 意地でも死ぬ気かよっ)
出て行く佐貫刑事に、慌てて入谷捜査員も付いて行く。
飛ばし飛ばしで階段を駆け降りた木葉刑事は、一階廊下に出るドアでは無く。 外に出る為に廊下の窓を開き、自分の胸ぐらいの高さとなる窓から外へ飛び出した。
(何で・・、解る? 呪った相手をも殺した筈なのに、その気配が自分に解るんだっ?)
どうしてか、動いている悪霊の気配が解るのだ。 どうしてそれが解るのか、その意味を自分でも理解する事も出来ない。 だが、動揺しているが、この感覚を利用してでも呪いの連鎖を止めたい。
暗い外を足早に歩く木葉刑事は、背の低い躑躅の垣根に囲まれた芝生の庭を気配に向かって走り始めた。
(不味いっ。 何か、どす黒く蟠った場所に、悪霊が消えようとしてるっ)
慌てて走る木葉刑事の左側には、敷地内の通行路を照らす外灯が在るのだが。 その外灯の明かりが届かない闇の方に、何か近付く事を躊躇いたくなる様な。 とてつもない胸騒ぎを感じる場所が在るのだ。
一方で、途中の階段で足をもつれさせた分、出遅れてしまった里谷捜査員。 非常用出口から出た所で、微かな木葉刑事の足音を聴き。 ついに携帯ライトを使って、彼を追う。
(何を追ってるの? 犯人っ?)
走る里谷捜査員は、外灯の光が届かなくなり、暗くなる境を走る木葉刑事をフッと見つけるが。 直ぐにまた、暗い闇の中に入ってしまう彼を見て、走る速度を上げる。
さて、躑躅の垣根を飛び越えて、舗装された道路に飛び出した木葉刑事。 黒ずんで見える黒い光は、河川敷の方に在ると解り。
(逃がすか! 逃がしてたまるかっ!)
と、全力で走った。
大学の校舎と、病院を隔てる人工河川の少し手前。 朝に為れば、学生達が大勢歩く、歩行者用の並木道の入り口にて。
「待つんだっ!」
引き摺られる髪の毛の先を、伸ばした手で掴み上げた木葉刑事。
だが、掴んだ瞬間である。
(う゛っ!!!!!!!!)
まるでそれは、感電する様な痺れと激しい振動・・・いや。 危険を知る体が、悪霊の放つエネルギーを拒否する抵抗の様な。 吐き気似た、震えが身体を襲う。
「い゛ぃぃぃ…」
身体が激しく震えている様に感じられ、身体の中で痛みがモワモワと広がって来る。 それでも、この悪霊を鎮めなければと。 歯を食いしばって、髪の毛を手繰ろうとする木葉刑事。
其処へ、
「このは・・、あ゛?」
追い付いて来た里谷捜査員は、見たことも無い黒い稲妻の様な光を放ち。 木葉刑事の手から伸びる糸の様なものが、太い公孫樹の木の影に消えようとしているのを見た。
「な・何これ・・」
然し、見れば木葉刑事が、必死にその何かを手繰ろうとし。
(み・みえ・・る)
闇の中に向かう白っぽい衣服の様なものを、携帯ライトで照らせたので在る。
「止まりなさいっ!」
拳銃を抜いた里谷捜査員は、スパークする黒い稲妻が木葉刑事との間で走るその先に、銃口を向けた。
里谷捜査員の照らす携帯ライトの明かりの中で、既に木葉刑事の両手は痣の様に変色し始めていた。
「止まれっ、止まらないと撃つ」
銃口を向けて威嚇をしたが。 その闇に消えようとする‘何か’は、言う事を聴く気配すらしない。
闇夜の空に、遂に銃声が響いた。
「あっちか」
「向こうですっ」
どっちに行って良いのか。 先に行った二人を見失っていた入谷捜査員と。 闇雲に捜そうと走った佐貫刑事が、銃声で方向性を持った。
だが、その時。
「にげ・っろ」
苦し紛れで、里谷捜査員に言う木葉刑事だが。
確実に、銃弾がヒットしたと思った里谷捜査員に、何かが伸びた。
「ぎゃぁっ!!!!!!!!」
突然、夜の闇の中に響く彼女の悲鳴。 白い手が伸びて、振り回す様に振るわれた。 里谷捜査員の脇腹に当たる白い手は、一瞬だけ黒い雷を放つままに、彼女の肋の骨を砕いた音を立てた。
「ダメだっ・・これ以上・・・殺したらっ!」
見える悪霊の背に、髪の毛を持ったままの木葉刑事が飛び付いた。
瞬間。
「ぶーーーーーっ!!!!!!」
髪の毛を持った時の比では無い、凄まじい不快感と痺れ。 そして、黒い稲妻が放たれる中、全身に伝わる不可解な振動の様な波動で、肺の空気を全て吹き出した様な木葉刑事。
(こっ、こでが・・・にぐしみの・・ち・ぢがらぁ)
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーっ!!!!!!!」
堪え切れずに声が出て、震える身体が今にもバラバラに砕かれそうな悲鳴を上げる。 骨が軋む音、肉体が引き千切られそうな痛み。 木葉刑事の目が真っ赤に充血し、悪霊に密着した手の皮膚にも微かに亀裂が走り始めた。
其処へ、入谷捜査員が走って来た。
「木葉刑事っ、今っ!」
と、悪霊の正面から掴み掛かった入谷捜査員は、初めて悪霊に触った時の木葉刑事の様に、反発する力に弾き飛ばされた。
「う゛わぁーーーーーっ! ひぎゃぁ!!!!!!!!」
吹っ飛ばされた先に、何かポンプの様な物が在り。 それを囲うブロック塀に、背中から叩き付けられた入谷捜査員。
(アチメ・・オ………)
内心に、霊鎮の祝詞を唱え始めた木葉刑事。 生きる自分を通じて、この悪霊を存在させる怨みの力が少しずつ散っているのだと朧気に解った。 自分の命が尽くか、悪霊が只の幽霊まで鎮まるか。 その賭けをしようと云うのだ。
(天地に・・揺らかす・は さ・・・揺ゆっらか・・す…)
意識を保つ為、子供の頃に蔵に入って覚えた祝詞を想う。 自分の理解者だった叔父が、時折に教えてくれたものでも在った。
其処へ、
「このはぁーっ!」
と、駆け付けた佐貫刑事は、ぶるぶると震えて。 充血した目を白目にし、ブツブツと何かを口にする木葉刑事を見付ける。
その時、佐貫刑事は上着を脱ぎ捨て。
「木葉っ! 俺も、付き合ってやるっ!!!!!!! お前一人に、全部を背負わせて堪るかっ!」
佐貫刑事の目には、明らかに悪霊が暴れていると解った。 見方を変えれば、苦しんでいるとも言える。 木葉刑事の予想は、遠からずに当たっていたらしい。
前から手を避け、抱き締める様に悪霊と密着した佐貫刑事。
「げぼぉっ!!!!!!!」
一瞬で、弾き飛ばされそうな衝撃と、吐き気や痺れに襲われる。
「ご・の゛はぁぁぁぁぁぁぁっ! が・がんはれ゛ぇぇ…」
必死と云うべきか、苦し紛れと云うべきか。 言う佐貫刑事の言葉に、微かな頷きを返す木葉刑事。
自分で体験し、身体が至る所から裂けそうに感じる佐貫刑事。
(か・・さ・さ・・ぎ…)
こんな苦しみを、木葉刑事の叔父も味わったのか。 また、知らずに命令をする鵲参事官に、何かを伝えたかった佐貫刑事。
だが、二人しても、悪霊と化したこの化け物のエネルギーには、勝てないのか。 顔まで痣の様な色が浮く木葉刑事は、その手に入るヒビからは、皮が血を纏って剥がれ落ちる。
脳みそまで痺れ始めた佐貫刑事は、このままでは自分諸共に木葉刑事が死ぬと解る。
(このは・・ま・まだ・・・死ね・・・なぁ・・・ぁぁぁぁああああっ!)
佐貫刑事の右手が、木葉刑事の肩に掛かった。
その時。
「木葉さーーーんっ! 何処に居ますかぁぁぁぁぁっ!」
佐貫刑事にも解る、或る女性の声がする。
顔にピシッとヒビが入る佐貫刑事は、冷や汗塗れの苦しむ表情を一瞬、笑わせた。
(い・・ろお・と・・・こ)
その時、あらゆる自分の中の力を手に集める気持ちで、木葉刑事の肩を引いて悪霊から引き剥がした佐貫刑事。
木葉刑事を心配して、順子が現場に近付く最中。 フラッと倒れては、なだらかな、なだらかな坂道に転がる木葉刑事。
(この・は・・あ・あとは…)
佐貫刑事の脳裏に、その後の気持ちは思えなかった。
暗雲がまだ渦巻く夜の空に、
- バリバリバリバリっ! -
っと、生の木が裂ける様な轟音が、天高く吸い込まれる様に木霊した。
そして、刹那して。 何かが弾ける音が、また起こる。
4人の捜査員をもってして、悪霊を止める事は出来なかった。 自由になった悪霊が、ノソノソと闇の中に消える時。 都内にも、クリスマスを待たずして雪が・・降り始めた。
盾内捜査員と順子が、静まった其処へやって来た時。
その短い短い間だけ‘戦場’で在った場所には、意識不明の重体者三名と。 数千を超えるパズルのピースの様にされた者が・・・残された。
終
それは、クリスマスイブ前夜の夕方。
「う゛・・・うぅ」
微かな力を使い、木葉刑事は片目を開いた。 仄かに明るい何かを感じるが、開き切らない目には、それ以上は解らない。
「こ・は・・、この・・んっ!」
名前を呼ばれて居る様だったが、今は気が付いただけが精一杯の木葉刑事。 また、深い闇の様な眠りに、ズブズブと落ちるのだが。
(さぬ・き・・さん)
自分の肩に掛かった佐貫刑事の力は、覚えていると脳裏に過ぎった。
そして、今度はハッキリと目を覚ます木葉刑事は、一部が仄かに暗い部屋の中に居た。
(あれ、此処って・・寿司屋?)
座敷で寝ていたらしいと起きる木葉刑事は、場所を何となく理解した。 そして、暗い中でカウンター席に、誰か座って居るのが解る。
「アタタタ…」
頭がズキズキした木葉刑事は、スーツの上着を畳から拾って。
「佐貫さんッスか?」
と、カウンター席に声を掛けた。
「おう」
聞き慣れ過ぎた声の返しに、床へ立った木葉刑事は、佐貫刑事の左隣に座る。
「佐貫さん、俺に付き合ってくれたンスか?」
すると、見えない影の中に居る人物から、
「まぁ、な。 命懸けの仕事だって、思い出したからよ」
と、佐貫刑事の声が返って来た。
「そうッスね」
すると、仄かに暗い中で、目の前に何かが出された。
「冷めたアガり・・、湯のみで出されてもな」
困った苦笑いの木葉刑事に、
「なぁ、木葉よぉ」
と、佐貫刑事が。
「はい?」
「お前みたいな立派な奴が。 何で、親から‘クズ’呼ばわりされたんだ?」
「あ・・・嗚呼、ガキの頃からの話ッスか」
「おうよ」
頭を軽く掻いた木葉刑事は、まぁ佐貫刑事ならいいか、と。
「良く在る話・・・か、どうかは解らないンスがね。 自分の母親が、浮気してたらしいです」
「ほう、それはまた面倒な」
「駆け込み寺みたいに、父親の居た神社を利用して来たらしい母親に。 世話をした父親が惚れて、手を出したって・・伯母さんから言われました」
「ふん、男と女の仲なんて、そんなものじゃないのか?」
「ど~だか、自分には全く…」
「んで?」
「自分が3歳ぐらいの時に、その‘浮気’ってらしい逢い引きが、父親にバレたらしく。 父親に詰られた母親は、夜中に消えたとか」
「じゃ、兄弟は?」
「義理の母親に、弟が一人」
「後妻か」
「はい。 弟が生まれたら、もう自分は用無しだって、両親に言われましたよ」
「ふんっ。 随分と、露骨だなぁ」
「自分の家は、金は無いですが。 土地は、そこそこ在りましたから。 それを目当てにすると、自分が一番邪魔なんじゃ~ないですかね」
「それで、東京に・・か?」
「はい。 亡くなった恭二叔父さんが、世間体を考えても、大学を出るまでは面倒を看る様に、ってね。 義理の母親へ、言ってくれたらしいッス」
「その流れだと、財産権の放棄でも賭けたか」
「さぁ、自分には良く解らないんですよ」
「然し、惚れた女に裏切られた・・か」
「人の憎しみは、末代にまで・・ですよ」
「ふん、下らねぇな」
「まぁ、自分も死んだ事だし。 良かったんじゃ~ないですかね」
「・・・」
何故か、黙る佐貫刑事だが。
「正直ね、佐貫さん。 自分は、清々してますよ。 もう、余計な事に悩まなくていいって」
「そう・か」
「十年以上経ってるけど、叔父さんこっちに居るのかな」
と、冷めたアガりを飲む木葉刑事だが。
「それは、まだ叶わねぇ願いだぞ。 ん、木葉」
云われた木葉刑事は、顔が見えないシルエットの佐貫刑事に向いて。
「‘まだ’って、どうゆう事ですか?」
「そりゃあ、な」
と、肩を組まれた木葉刑事だが。 回された腕が、どうゆう訳か‘ベチャ’っと音を立てたので。
(何だ?)
と、見てみると…。
「さ、・・佐貫さん?」
Yシャツの袖が捲られた佐貫刑事の腕は、ヒビだらけの表面をしていた。
「木葉・・」
いきなり近くに聞こえた佐貫刑事の声に、顔を佐貫刑事の方に向けると・・。
「か・・顔が」
潰れた様な顔の佐貫刑事は、目、鼻、眉、口がズタズタに近く。 かろうじて、その形を形成しているに過ぎない。
「俺を見て、解らないか・・木葉」
木葉刑事の内面に湧くのは、自分と佐貫刑事の何かが、ハッキリ違うと云う。 違和感に対するぐちゃぐちゃしたもの。
「そんな・・佐貫さん。 お・おれ・・・自分だけ、生き恥を晒せって言うンですか?」
「おう、そうゆうこった」
「何でっ、自分を・・助けたりしたんですか」
俯く木葉は、自分の左肩に掛かった佐貫刑事の手の感触が、沸々と蘇るのを感じる。
だが、組んだ木葉刑事の肩を揺する佐貫刑事で在り。
「木葉・・、なぁ木葉よ。 まだ、あの化け物は、成仏してねぇぞ。 あの化け物に触れた時、怒りや憎しみの中にさ。 どうしようもならんぐらいの悲しみ、溢れてたろうが。 な」
俯き、肩を揺らし始めた木葉刑事は、泣き声となり。
「自分には、あ・あんな・・悲しみを受け止める・ど・・度量は、無いッスよ」
すると、更に組む腕に力を入れて、揺さぶる佐貫刑事。
「木葉っ、まだ逃げる時じゃねぇっ! 木葉、木葉よぉっ! あの可哀想な化け物を、何とかする方法を見つけろっ! このままじゃ、あの化け物はもっと怖く成る。 今なら、今ならまだ遣れるぞっ!!!!!!! ・・・それが、俺にあの化け物を見せた償いだ。 お前の叔父さんに、無駄な劣等感を抱いた俺だが。 お前を見て、それが無くなった」
佐貫刑事に、顔を上げる木葉刑事。 ‘劣等感’など、必要ない。 この人物は、誇れる男だと思う。
「佐貫さん無しで、・・自分・独りじゃ、あの悪霊なんか・・無理ですよ…」
「馬鹿っ! 無理でもやるしか無いだろうが。 お前で駄目なら、その道のプロを捜せ。 今更、辛気臭ぇ~面するなっ」
と、木葉刑事の肩から腕を外す佐貫刑事。
木葉刑事は、もう二度と佐貫刑事に会えないのかと想い。
「佐貫さん、もう逝くんですか? まだ、聴きたい事在りますよ…」
「フッ。 いずれ・・また・・・な」
闇に消えて行く佐貫刑事に、手を伸ばして留め様とした木葉刑事。
だが、その手は闇の中で空を切り。 闇の中まで追い掛け様とした木葉刑事の身体が、何かに引っ張られてしまう。
「佐貫さんっ! 待って下さいっ!!!! 自分は、佐貫さんの犠牲なんか………」
もがく様に、足掻く様に、佐貫刑事の後を追おうとした木葉刑事だが。 目に映る世界が真っ暗になり、酷く目蓋が重く成る。
「さぬ・き・・さん・・・さ・・さ」
自分が名前を呼べているのか。 それすら解らなく成る程に、目蓋が重く重くなり、そのまま完全に目を瞑った。
その次の瞬間だ。
「木葉さんっ!」
名前を自分が呼ばれて居ると木葉は気付いて。
「佐貫さんっ!!!!!!!!」
手を伸ばして目を覚ました時、視界は明るく鮮明だった。
「こ・・・此処は?」
見える視界の中に、知った顔が幾つも見えた。 右側に居るのは、清水順子。 左側に居るのは、越智水医師だ。 そして、足元の正面に居るのは、古川刑事だった。
「木葉さん、目覚めたのよ…」
と、順子が言って来る。
「木葉くん、気付いて良かった」
越智水医師が、珍しく涙を浮かべている。
木葉刑事は、微かに順子の声をあの修羅場で聴いたと。
「順子さん、佐貫さんはどうしました?」
問われた順子は、顔を強ばらせて。
「それは…」
と、口を動かす事を躊躇わせる。
動かない身体ながら、古川刑事に目を遣る木葉刑事。
「フルさんっ、自分はあの悪霊を成仏させる事が…」
言う短い間の中で、スキンヘッドの古川刑事の顔が険しいままに変わらないのを見て。
「やっぱり・・夢じゃなかったんだ…。 クソ・・・くそっくそっくそぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
動かない身体を揺らす木葉刑事。
その後、放心して脱力した木葉刑事は、担当医による検査となった。 全身に広がった痣の様なもの。 神経や骨が、全身域で損傷している事。 全治不明の入院を言い渡された。
ベッドで移動し、ベッドで病室に戻った木葉刑事。
順子、越智水医師、古川刑事から、事件の経過を聴く。
佐貫刑事は、散り散りバラバラに砕け散った。 その遺体は、何とか見つけられる範囲で捜された。 辺りを血で染め広がるほどで、骨すらも破片でしか残らなかったとか。
亡くなった佐貫刑事を除けば、木葉刑事が一番の重体だったが。 里谷捜査員、入谷捜査員も、重体だった。 二人して意識は戻っているのだが、身体が元に戻るかどうかは、微妙らしい。
「フルさん、今日は?」
「今日は、十二月三十日だ。 お前、寝過ぎだぞ」
「すいません。 死ぬ気で、悪霊を成仏させたかったんです…」
窓の外の晴れ空を見ている古川刑事は、そんな事など解り切っていて。
「ボロボロに成ったお前を見りゃ、それは解るさ。 然し、いけ好かない佐貫だったが。 まさか、お前を助けて命張るなんてな………」
「処で、フルさん。 その後、悪霊の犠牲はまた出てるんですか?」
「う~ん、らしき・・・のは、な。 お前と佐貫のお陰か、やや間隔は開いてだが。 クリスマスを過ぎた後、栃木の山荘で出た。 東京を飛び出した所為で、地元の警察も困ってるぞ~」
栃木県と聞いて。
「また・・遠くに行ったか。 後を追うにも、身体が動かなきゃ…」
と、悔やみ出す木葉刑事。
すると、席を立つ古川刑事。
「今夜は、オラぁ夜勤番だからよ。 これで失礼するぜ。 木葉よ、身体をちゃんと治すまでは、一旦落ち着け。 此処でどんなに焦っても、事態は変わらないからな」
昼間に、こうして古川刑事は病室を去った。
その彼と一緒に出て、トイレへ行った越智水医師。 部屋に残ったのは、順子だけで在る。
ぼんやり、外を見る木葉刑事は、千切れた小さい雲を目で追い。 見えなくなるまで追い掛けた後、緩やかな口調から。
「順子さんは、何であの夜に病院へ?」
と、尋ねる。
「あ・・それは、あの夜に頂いた電話での、木葉さんの様子が気に掛かって。 もしかしたら、あの夜に何か起こるんじゃないか・・って。 車で来て、地下駐車場に行ったら、志賀貴さんの車が炎上してるし。 研究棟に行こうとしたら、凄い悲鳴まで聞こえて…」
「じゃ、自分を助けてくれたのは?」
「私よ」
「………」
木葉刑事は、その後の言葉が出ない。
順子は、顔の半分を痣の様な色に染める、黙った木葉刑事を見たままに。
「怒って・・ます?」
「はい…。 感謝が1、怒りが9」
「怒ってます・・ね」
「当然じゃないですか。 厳しい護身術の訓練を受けた捜査員まで、手も足も出ず半殺しに成るのに。 貴女にもしもの事が在れば、また悔やみ切れない事が増える」
「・・ごめんなさい」
汐らしく謝られては、木葉もそれ以上の怒る言葉が出ず。
(済んだ事だから、仕方ないな)
こう思い。 そして、
「・・・処で。 あの夜は、二人が殺されたんですか?」
と、話を変えた。
尋ねられる話が変わって、順子はハッとする。
「あ・はい。 志賀貴さんと云う方と、七海さんと云う方が、相次いで亡くなりました」
「では、最後の亡くなった方の所には、二人分の首か…」
「そうです。 然も、志賀貴さんの頭部は、とても新しい物だと…」
「はぁ・・、犠牲者ばかりが殖える。 然も、佐貫さんまでを犠牲にして、自分だけ生き残ってしまった」
目を瞑ったままの木葉刑事は、後悔を口にする。
木葉刑事を見詰めた順子は、何となく悲しく成った。
「・・木葉さんは、生きて後悔されるんですか? 亡くなったら、御家族も悲しまれると思いますが…」
こう言われても、木葉刑事は、叔父の死んでいる今は、家族などもう居ないと思う手前。
「普通は・・、そうですよね」
「え? ‘普通’・・って?」
「自分の母親は、父親と自分を置いて、浮気相手と蒸発した様です」
「え?」
「驚く程でも無いみたいですよ。 母親は、男から逃げて来たらしいんで。 出て行く時も、似た様なものだった」
「そ・そうなんです・・・か」
「また、父親の新しい奥さんは、ウチの持つ土地や、神主の家と云う家柄を見込んで来た。 その土地一帯に名前の在る名士の娘でして。 弟が生まれたら、自分は用無しと云われました。 ですから、父親からは‘おい’。 義母からは、‘ちょっと’。 影で他人には、‘屑’でした」
順子は、普通と云う意味では、恵まれた方の自分の生まれとは全く違う。 この木葉刑事の生い立ちに、どう言葉を出して良いか解らない。
だが、木葉刑事は、何故か続けて。
「刑事に成っても、幽霊なんて見えるから・・・。 決定的な証拠を見つけても、その証拠に至る経過が曖昧だと。 時として、証拠に採用されない時が在る。 手柄は挙げても、本人が‘屑’だから。 その至る処は、ただの‘変人’ですよ…」
其処まで自分を卑下しても、何故に刑事を続けられるのか。 順子は、とても強く疑問に思い。
「それでも、刑事を続けてるんですね」
「えぇ。 まぁ、慣れた仕事ほど楽なものも無いですし。 ‘屑’でも命張って、やれる事が在りますからね。 別に帰る場所なんて無いし、捨て駒でも構わないし」
「………」
黙る順子に、木葉刑事が。
「医者からしたら、命を粗末にする人間は、大嫌いでしょう?」
「・・はい」
「自分もね、この仕事をしてると、そう想いますよ。 でも、呆れるぐらいに簡単な理由で、人を殺す者が居る。 また逆に、為す術無しに、追い詰められて・・追い詰められて。 絶望して、自分を殺す人も居る」
「木葉さんは、生きる気が無いんですか?」
すると、目を瞑るままに木葉刑事が。
「その辺は・・、自分にも解らないんですよ。 自分の人生に於いて・・、長生きしたい・・とか。 幸せな老後を迎えたい・・・とか。 また、夢や希望が有るとか、考えてない」
と、呟く様に言う。
「まさか…」
「・・でも、広縞に殺され悪霊に成った彼女は、何となく安やかにしてあげたい。 あのまま人の怨みを啜って・・・狂って行くのは、例え幽霊でも、・・哀れだ」
順子の目のに映る、少しもどかしくも喋る木葉刑事とは。 自分を大切に出来ないのに、幽霊さえ大切にする、優しく哀しい人間だった。
「でも、関係の無い人まで殺すなんて…」
順子の意見に、ゆっくり目を開く木葉刑事。
「多分、ね。 幽霊に成るって・・」
「え?」
「怨念を持って、怨霊に変わるって・・。 人間の精神的な病気に、似ていると思う」
「まっ、まさか」
「医者の君からして、理屈が通らないかも知れないけど。 ・・でも、心残りが有り過ぎて、幽霊とは生まれる。 そして、その心残りの中でも、‘怨み’の気持ちが・・凝り固まって。 死んでしまった中で蟠るから、ある種の‘執念’と成り。 幽霊と云う存在すら、暴走させる」
「それは、‘固執’みたいなもの?」
「多分、そう言っていいのかもね。 ・・幽霊は、言ってみると思念の塊・・・。 その満たされる思念が、憎しみや・・怨みなら。 相手に向かって、攻撃するみたいなんだ。 だが、あの思念には、犯人に対する複数の憎しみや・・怨みが、混じり合ってしまった」
「それは、もしかして・・、‘統合失調’みたいな事?」
「ん・・難しい病名は、自分には・・解らないけど。 古い言い方の‘分裂病’とか、‘多重人格’みたいだと・・・思うんだ」
「でも、は・犯人は、既に亡くなったわ」
鈍く、小さく頷く木葉刑事。
然し、怨念を身体で受けた木葉刑事は、何となく感じていた。
「広縞を殺した時、彼に対する憎しみや怨みは・・、他の蟠る憎しみや、怨みに反応し始めた。 その・・・広縞だけでは、決して晴らし切れない。 集まって、膨れ上がった怨念は・・、‘更なる解放’を求めて、動き回る様に成ったんじゃないか・・。 触れた時に、怨みの念が・・・この身体を突き抜けて、そして散った」
「それって、助けて欲しいから、態と犯罪を重ねるみたいな事よね?」
「確かに、そうかな。 怨みを・・晴らして、解放を願っているのに。 実は、憎しみや・・怨みを吸って、肥大化しているみたい・・なんだ。 そして、もう・その悪循環から・・逃れられないの、なら。 何とかしないと、・・益々犠牲が、殖える」
順子は、それをするのが、この木葉刑事でないと駄目なのかと。
「でも、貴方が犠牲に成る必要性は、何処にも無いわ。 ねっ? そっ、そうでしょう?」
だが、静かなる木葉刑事は、窓から昼下がりの空を見る。
「・・・存在の必要性が、少ない。 家族からも、・・見捨てられた人間がする。 一番、通りなんじゃ、ない・・かな」
この時、彼を見る順子は、木葉刑事がこのままでは、何処か遠くに逝ってしまう気がする。
強く心に踏み込みたくてか、木葉刑事の手を自分の手で包み、
「木葉さん、そっ・その・・・私が、貴方を・・必要としても・・・駄目ですか」
と、言う順子。
そして、そのまま…。 時計が、チクタクと時を刻む。
順子は、黙って答えを待ち続ける。
すると、木葉刑事の眼が、遠くを見る様に細くなる。
「泣いて・・たんですよ、実を言うと…」
「な・泣いていた?」
「あの悪霊の中の、誰もが…」
「泣くんですか、幽霊が?」
「はい・・、酷いものです。 憎しみや・・・怨みの裏側には、激しさに並ぶほどの、悲しみが在る。 その・・悲しみが在るから、嘆き・・・怒る。 憎しみと怨みに、押し潰されそうに成りながら、悲しみが・・声無き声を上げている…」
こう語る木葉刑事を見て、
「・・・」
言葉を失った順子。
順子の本音は、木葉刑事をこの事件から手を引かせたかった。 だが、この男には、何か見えない精神的な強さが在る。 その思いを自分が手折るなど、無理だと解った。
また、その話を廊下で聴いていた越智水医師は、誰も木葉刑事を止められないと知る。
(木葉くんを止めるのは、もう無理だな。 相棒となる刑事さんが、彼を庇って亡くなったのだからな)
だが、また悪霊を一から捜さなければならない。 何処に行けば良いか、それすら解らない。
それに、木葉刑事が身体を治さない事には、越智水医師も動き回る事など無理だった。
それが、何時に成るのだろうか…。
そして、新年を迎え、年明け早々の事。
[続きまして、連続惨殺事件の続報です]
病室でテレビを観る木葉刑事は、また首が置かれた惨殺事件が起こったと、知る事と成る。
今度は、戻ってまた都内。 つつじヶ丘の一軒家で、女性が殺害された。
年内最後の首無し事件は、東京都から外に出た栃木県にて。 五人の若者達が犠牲者だったが。 新年早々に起こった事件現場には、その若者達の首が五つ、殺害現場に残されていた。
この捜査は、始まったばかりだが。 警察も直ぐに、因果関係を調べ始めている。 直に、その関係が判明するのは確かだと、木葉刑事は思った。
さて、前回の時には、怪我が左腕だけだったが。 今度は、全身だ。 自分で食事する事も、用を足す事も出来ない。 少しずつ思う通りに、関節を動かせる様に成りつつあるが。 その様子は、滑稽でさえ在る。
また、皹割れて切れた皮膚が非常に痛痒いので。 黙って居ても、何とも気が落ち着かない日々を過ごす木葉刑事。
“三が日”の間は、順子、越智水医師の家族、古川刑事の家族が来てくれたが。
その三日間も過ぎると。 代わる代わるに、様々な客が来る様になる木葉刑事の病室。 ま、実の家族は、誰一人として見舞いには来ないのだが。
1月5日辺りに。 篠田班長と一課長が、揃って尋問含みの見舞いに来たり。
その後を追う様に、情報欲しさや佐貫刑事を偲んで同僚が来たり。 只、飯田刑事は、特に心配してくれた。 飯田刑事とは、自分が所轄の刑事だった頃に知り合った。 他の警視庁の刑事は、木葉刑事の事を侮蔑したりしたが。 この飯田刑事だけは、木葉刑事の事を素直に信じてくれた。 木葉刑事が警視庁に上がった時、一緒の班に成る様に篠田班へ来てくれた。 どうしてか、その事が解らないが。 木葉刑事が信用する数少ない人物の1人で在る。
また、所轄・警視庁の捜査員として、何人か信用する、される者が見舞いに来てくれた。
一方、仕事以外の時間は、マメに此処へ来る順子で。 別の刑事から、密かに携帯の番号を聴かれたりする事も在った。
また、警視庁の組織対策課に居る大学の後輩で、エリートコースを行く‘居間部 迅’が。 狛江の学園で木葉刑事の会った妹の裕子を連れて、わざわざ見舞いに来たりする。
だが、年明けから10日もせずして。 また、古川刑事が、個人で見舞いに来た時だ。
「おう、カレハ。 更に痩せて、変色した皮膚からして枯れ葉らしいじゃないか」
‘タコ坊主’と渾名してみたい様子をそのままに、見舞いへとやって来た古川刑事へ。
「フルさん、正月太りじゃないッスか? 身体が、達磨みたく成って来ましたよ」
「ふん、抜かせ怪我人め。 毎年、そうなんだよ」
と、丸い椅子に座ろうとする古川刑事に、何故か顔を引き締めた木葉刑事が。
「フルさん、ちょっと頼み事をいいですか?」
その声音だけで、古川も用が有ると気付くのだが。
「ん?」
と、敢えて普通に聴くと。
「あの、フルさん。 実は、折り入って御足労の頼みが在ります」
そう言った木葉刑事の眼。 強い力が宿る眼差しを見て、既に何かを探ろうとしていると、確信に至った古川刑事。
「おい、身体が治らない内から、捜査だなんて生意気だぞ」
と、軽く睨むのだが。
そう言った古川刑事を、真剣な眼差しで見返す木葉刑事が。
「これは、もう‘捜査’じゃ無いですよ。 それより、考えてみたんですが。 あの悪霊を成仏させられる方法が、もしかしたら解るかも知れないんです」
この話に因り。 古川刑事の眼が、俄かに大きく開かれた。
「お前・・、本当にか?」
「はい。 我々は、悪霊が見えるってだけです。 が、その悪霊の本質を知る人が居るなら、成仏のさせ方も解るかも」
椅子に座り、木葉刑事に近付いた古川刑事は。
「で? 誰に連絡をすりゃ~イイんだ?」
「実は…」
木葉刑事の考えでも、これはある種の‘切り札’と言える人物への接触だ。
話を聞いた古川刑事は、次の非番に行くと決める。
そして、二日後…。
冬の気配が濃くなった東京。 昨年の12月には、早々と雪が何度も降り。 また、年明けても北風が強く吹く中の空気は、酷く乾燥していた。
(今年の冬は、何だか昔みたいに冷め冷めしいな…)
コートの襟首を締めて思う古川刑事。 今、古川刑事が歩くのは、連続強姦殺人犯であった広縞のアパートからでも、徒歩で1時間を掛ければ行ける。 住宅密集地内を抜ける道路沿い。
今日は非番で、40分も家から電車で移動して来た。 欅の並木通りを、国道沿いで眺めながら。 スーパーや住宅が多い景色を進んだ。
すると、珍しく狭い間を緑色に染める竹林が在り。 コンビニとの境目となるブロック塀と、その竹林の間には、幾重にも続く赤い鳥居が見える。
(此処か)
其処は、広縞が買った御札の出所だ。 古い古い神社らしいく、鳥居やお堂は終戦後に新しく建てたのだが。 木材が足りない為に、小さく作られたとか言われる神社だ。
(藁にも縋る・・神頼み、かぁ? だが、相手が相手。 神様の力にでも、縋るしか無いやな~)
最初の鳥居を潜り。 左側にはブロック塀、右側には竹林と挟まれし参道を行く古川刑事。
木葉刑事は、古川刑事に言伝を頼んだ。
あの悪霊を、鎮魂の帰路へ着かせる為に…。
―上・完―
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