第一部、理で開かれる呪の連鎖 第1章:進展

【呪縛からの開放 そして、変異する新たなる呪詛】



        1


或る男のバラバラ死体が、高層マンションから落下した時。


その通報を受ける事に成る所轄警察署では、その時に丁度。 要件が有って別の所轄と成るこの場に来たベテランの古川刑事が、自身で呼び出した木葉刑事と一緒に居て。 要件を終わらせた後は、冷たいラーメンでも食って、事件について雑談しようかと話し合っていた。


小太りで、頭の禿げた年輩刑事で在る古川は、まだ若い好青年の様な木葉刑事と並んでは所轄の警察署にて、階段を下りて居る。


「全く、ぜ~んぶ、お前の責任だからな。 あれからも、あからさまに被害者遺族には異変が起こっていて。 こっちじゃ~手に負えないぜ」


こう不満たらたらに云う古川刑事に対して、苦笑いを浮かべた木葉刑事。 穏やかに見開かれた大きめの双眸から、ちょっと高い鼻筋の通ったと、顔の出来は悪くなく。 安物の2枚売スーツ姿も痩せた身体だからよく似合う、雰囲気も穏やかとした人物だ。 ま、髪型に寝癖が付いていたり、ネクタイが少しヨレヨレで草臥れているのは、本人の気性の現れなのだろ。


一方。 真新しい100均で売っている様な扇子を右手に、左手でスーツの上着を抱える古川刑事は。 元は、柔剣道で鍛えた身体がちょっと不摂生で弛んでいるのだが。 半袖のYシャツは襟首も折り目正しく、ネクタイの締まりもキチンとしていた。


この二人の服装などの違いは、恐らく‘妻帯者’と云う事に成るのだろう。 独身貴族の木葉刑事に対して、羨ましがられる家庭を持った古川刑事で在り。


“娘に対しては、鬼の古川も仏に変わる”


と、同僚に囁かれているのだ。


呼び出された形から古川刑事と一緒に階段を下りる木葉刑事は、此処でちょっと困り顔をすると。


「でも、フルさん。 出張先の所轄にまで、俺を呼ぶンすか?」


すると、階段の踊場にて立ち止まり、木葉刑事を睨む古川刑事。


「本来なら、誰も呼びたか無ぇ~よ。 だが、例の事件の被害者遺族が死んだとなりゃ、お前を呼ばなきゃならんだろうがっ」


一方、どうしても話し合いたいと、古川刑事から呼ばれた木葉刑事だが。 理由を聞いて、グッと眉を凝らした木葉刑事。


「またッスか」


最近、連続強姦殺人犯が殺害した被害者の遺族に、不審死を遂げて遺体となる事例が続出していて。 また新しく遺体が発見されて、古川が木葉を呼んだのである。


階段を上って来る別の警察官を交わし、背中でやり過ごして窓に向かった古川刑事は、開かれた窓辺に手を掛けると。


「それも・・、また奇妙な事をやってたらしいぞ」


(やっぱり、あの怨念が望む何かと関連が有るのかな)


こう思って窓辺に近づいた木葉刑事は、古川刑事の隣で開かれた窓から外を見る。 今にも雨が降りそうな黒い雲が、真夏の夕立を知らせていた。


隣り合う木葉刑事に近寄った古川刑事は、何故か目を鋭くさせると。


「おい、‘カレハ’。 こんな事件、俺達の様な‘生身’の警察官じゃ~どうにもならん。 お前は、奇跡的にも相手が視えるんだ。 本気で、本腰を入れて捜査しろよ」


‘カレハ’と、木葉刑事が古川刑事に呼ばれるのは、その特異体質の所為だ。 この木葉刑事は、言っても直ぐには信じられないだろうが。


“幽霊が視える”


らしいので在る。


木葉刑事との出会いの始めは、数年前の別の事件で組んだ古川刑事だが。 その時すら、到底に信じられない事だった。 最初は、周囲の云う噂を信じていて、木葉刑事はイカサマをする人物と思っていたほど。 然し、最初に組んだ事件で幽霊から重要な情報を貰って、決定的な物証を発見した木葉刑事と古川刑事。 この時に、何故に木葉刑事が変な噂を立てられるのか、その理由を知った古川刑事で在る。


そして、古川刑事は幽霊の存在を半信半疑としていた中で、二回目に木葉刑事と組んだ時には、自身もうっすらと幽霊を視てしまった。 まさか、死んだ被害者を視るとは…。 そして、また。 木葉刑事と2人で幽霊の詳言から事件解明となる捜査をする事になり。 木葉刑事の頼みで手柄を譲られた。


“クソっ! こんな非科学的な事ばっかり起きて堪るかっ”


と、事件解決後に苛立ったが。


実際に、それからも幾度か幽霊に頼って事件を解決した二人。


処が、今の木葉刑事自体も、本庁の捜査一課の刑事ながらこの度の奇っ怪な事件では、


“木葉刑事。 君は、少し班を離れて、待機や雑用に回って貰う”


と、円尾一課長から言われてしまっていた。


幽霊がなまじ視える木葉刑事が何とかしようと動き回る先々で、人知に於いて理解不能な事件が続けて起こったからだ。


これ以上の不審死は困ると、被害者遺族への聴き込み兼、様子見へ回されてしまったのだ。 班から一時なりとも外されて腐り始めていた矢先に、古川刑事に呼ばれたのだ。


さて、本日に見つかった遺体は、かなり高齢な老婆と云うが。 連続強姦殺人事件の被害者遺族の遺体なので、その現状を見るだけと云う事で、この所轄へと来た二人。


一応、現場へと案内をして貰うべく、二人して所轄を出ようとしたのだが。


其処へ、


「古川さーーーんっ! 一課の刑事さーーんっ! たった今っ、新しい不審死が出ましたっ!!!! もしかしたらっ、関連性が在るかも知れませんっ」


ゴロゴロと鳴る空から、雨粒が落ち始めた時。 傘を挿して外に出た二人へ、訪れた警察署の三階の窓から中年の刑事がそう言って来た。


慌てて署内に戻って話を聴けば、たった今に通報が入り。 飛び降り自殺らしき遺体が出たとの事だった。


二人が、広縞の転落死の現場と成る路地に到着したのは、夕暮れから夜の様に暗くなりかけた頃。 外は、土砂降りの大雨で。 雷まで鳴り出し、まだ少し降り続きそうな空模様だった。


転落死した人物の居たと思われた高層マンションと転落死した現場は、別々の警察署の管轄の狭間で違っていた。 管轄の狭間にて起こった事件故に、古川刑事の所属する警察署からベテランの鑑識員で在る矢沢氏が現場に来ていた。


転落して砕け散った遺体は、この土砂降りの雨で流され、路地を挟むコンクリート壁に沿って集まっていたが。 目撃者として、飛び降りた人物の姿を見た女子高生の二人は、余りのショックで話が聴けず。 遺体を回収した所轄から、古川刑事の所轄にも応援要請が来た次第。


さて、何故に古川刑事と木葉刑事に、違う所轄の中年刑事が声を掛けたのか。 それは、その飛び降りをした人物のマンションに、その答えが在った。 転落死の被害者、広縞(ひろじま)と云う人物の所有する部屋のは、高層マンションの最上階の一階全てだった。 其処へ、木葉刑事を連れ立った古川刑事が辿り着けば。 立哨・警備に立つ警察官が、敬礼してドアを開くのだが。 そのドアの内側にも、外側にも、無数の‘御札’と言える物が、ベタベタと貼り付いていたのだ。


「おいおい、なんだこの部屋・・。 ガイシャは、イカレてたのか?」


こうゆう物品に今は色々と敏感な古川刑事が、見るのも嫌気が差すと気味悪がったが。


「この部屋の中も、この紙切れがあちこちに貼られています。 先の不審死と似た現場ですので、私がお二人にも連絡しようと感じました」


まだ、20代半ばの警察官だが、なかなかの機転が利いている。 古川刑事は、彼の肩を軽く叩き。


「有り難うよ。 もしかすると、その読みは当たりかもな」


さて、白い手袋をした木葉刑事が先に中へ入り。


気味の悪い御札だらけの廊下やリビングに、文句を垂れ流すのは頻りに雨混じりの汗を拭く古川刑事。


丁度、古川刑事の管轄内に、あの広縞のアパートが在ったのである。


「フルさん、この部屋に貼られた御札見て下さい。 真新しいですよ。 買って来たのは、極々最近ですね。 で・・書かれているのは、清め祓いの文言みたいだから・・“神社”か」


木葉刑事は、御札に書かれた言霊を見ては、一人で頷く。 そして、何故か黒焦げの様に炭化した御札を観て。


(間違いない、これは怨念の力と浄めの力が反発したものだ。 とてつもなく強烈な怨念を持った誰かが、この部屋に侵入したんだ)


浄めの力を持つ御札を炭化させるなど、普通の怨念では難しい。 直接的に霊体が干渉力を持った証でも在る。 これほどの力を持った霊体は、木葉刑事も初めて視る。


一方、無数の御札を気味悪がって、一部が炭化した一枚を指で弾く古川刑事は、広縞の転落したロフトのベランダに向かう。 雨の中で見下ろす落下の現場は、隣り合う所轄の鑑識員がライトを使い、作業に入っている。 その使用するライトが、古川刑事には酷く小さく見えた。


雨の降る外から部屋に戻った古川は、開いたベランダからまた外を見て。 周りで鑑識の人が動いている中で、不満げに言い出す。


「全く、訳の解らない事件ばっかりだ。 どいつもこいつも、何してやがる」


だが其処に、鑑識の矢沢が。


「ん」


と、何かに目を付けた。


彼が目を付けたのは、古川の目の前に束となり積み上がった。 市販されているガムテープを見てだ。


「ヤっさん(矢沢)、コレがどうかしたかい?」


すると其処に、ロフトルームへと螺旋階段を上がって来た木葉刑事が来て。


「あ・・・、それってもしかして、犯人が使ってたガムテープと同じ奴なんじゃないですか?」


やや太った古川刑事は、鑑識の邪魔に成りそうで避けてから、スキンヘッドの頭を掻いて。


「おいおい木葉、似た様な物を見たから・・」


と、云う最中。


「いえ、古川さん。 これ、恐らくは同じ物ですよ」


と、鑑識の矢沢までが同調するではないか。


「ヤっさんまで・・。 って、まさかっ。 この部屋から転落した奴が、あの連続強姦殺人事件(ヤマ)の犯人だってか? いや、そんなまさか…。」


古川刑事が否定的に言うのだが。


事態が風雲急を告げる雰囲気からか、部屋中の鑑識員や刑事達が古川刑事と一緒に木葉刑事を見る。


実は、古川と共にマンションに入る前。 木葉刑事が空を見上げては、大声を出して驚いたのだ。 そして、飛び降りをして死んだ男が、連続強姦殺人事件の犯人かもしれないと慌てだした経緯が在る。


ガムテープを手にして見る木葉に対して。 鑑識の矢沢は、ロフトルームの収納扉を開き。 その奥に入っていた白い手袋を取り出してから。


「古川さん、一課の刑事さん。 中・・手袋や靴が」


と、収納扉の奥を指差した。


古川刑事と木葉刑事の見ている前で、鑑識の矢沢が収納棚から持ち出す手袋も、犯行に使われたと思われる物と同じ種類だったし。 押入れの透明な収納ケースの中に、透明なビニールに包れた靴の群れが在るのを見て。


「ああああ・・・、靴がっ、それぞれ別に入れてあって。 日付も…」


と、木葉刑事が驚く。


押入れとなる収納扉が開かれた中には、市販される透明な収納ケースが納められていて。 そのケースを取り出してみれば、スニーカーや作業靴の種類別に。 それぞれの靴が透明なビニールに入れられては、規則正しく並べられていた。


そして、そのケースに入った靴に添えられたメモ書きを見る木葉刑事は、強姦殺人の在ったと特定されている日付と同じ物ばかり。


「・・間違いないッスよ、フルさん。 この靴に添えられたメモの日付・・・犯行の日時です」


「げぇっ、ま・・マジかよ」


驚いた古川刑事が慌てて見るケースの中には、ビニール袋に入れられた靴と共に。 フランス料理に見られるソースを掛ける様な、洒落た文字で被害者の名前がローマ字で書かれ。 その他には、犯行の日付、犯行現場、見つけてからの犯行に及ぶまでの日数が、几帳面に書き込まれている書類も在った。


被疑者(ホンボシ)確定だと木葉刑事は、古川刑事に振り向いて。


「フルさん、確実に・・ホンボシ(犯人)ですっ!!!」


聞いた古川刑事は、とんでもない事に成ったと驚いて、


「まだ、何も捜査の手が及んでないのに・・。 何でコイツ、自殺をしたんだ?」


と、靴を見る。


だが、こう成っては、本庁の仕切る領域と思う木葉刑事は、大慌てで携帯を取り出しながら。


「自殺した遺体と、被害者の体内に残ってた体液のDNA鑑定が合えば、間違いないですっ!!!」


とても衝撃的な被疑者特定に、またとんでもない方面から事件の解決に至ったと感じた古川刑事は内心に、


(ふぅ、また・・か。 また、また………)


と、木葉刑事とのコンビに、何やら運命めいた物を感じた。


さて、所属する班長の篠田が居る捜査本部へと、慌てて連絡を入れた木葉刑事。


「もしもしっ、班長っ」


「ん? 木葉、お前は今、何をしているんだ?」


「それが、大変です。 例の連続強姦殺人のホンボシらしき人物を・・」


すると携帯の向こうで、椅子を突き飛ばす音がして。


「見つけたのかっ?!!!」


「はいっ」


「でかしたぁーーーーーっ!!!!!!」


喜ぶ篠田班長へ、発見に至るまでの経過を掻い摘んで報告をする木葉刑事。 犯人らしき人物の自殺には、篠田班長も驚いたが。


「詳細は、大体把握したぞ。 こっちから捜査員を出すから。 現場は、そのままにしろ。 それから、聴き込みは出来そうか? 木葉」


「いえ、外を見る限り、無理でしょうね」


「そっちは、そんなに雨が酷いのか?」


「はい、雷も酷くて…」


「んなら、目撃者は?」


「直接落下する遺体を見た女子高生二人と、帰宅途中の会社員は、所轄が抑えたみたいです。 ですが、女子高生の二人は、ショックがデカ過ぎた所為か…」


木葉刑事の連絡の最中に、古川刑事も自分の所属する警察署に連絡を入れた。


が。


刑事課の課長へと連絡を入れて、一課に任せる事に成ったので。 待つ事にする古川刑事は、木葉刑事を見て不思議に思う。


(然し、コイツ・・喜んでねぇな)


普通ならば、班から外され事件担当より半ば干された様な木葉刑事だ。 被疑者発見の今、喜びを見せても良い筈の木葉刑事が、今も何故か厳しい顔で。 その様子には、何処か憤っている様な雰囲気も混じっている。


(コイツ・・、一体)


木葉刑事の内面を探ろうと、彼を観察する古川刑事だった。


何はともあれ、こうしてこの事件は捜査一課が軸となる特別捜査本部に捜査権が渡る事に。


だが、木葉刑事は先程の電話にて、この死んだ被疑者がホンボシだったら、古川刑事の居た警察署も含め、広く協力を求めて欲しいと頼んだ。 被害者遺族が不審死を遂げている事実が在り。 それが自殺なら、捜査が及んだとして歯止めが掛かるかも知れないと、協力要請を申し込んだ。


「それは、円尾一課長に相談しよう。 関わった所轄にも、貸し借りを少なく出来る」


了承した班長の篠田は、そう言って電話を切った。


後から、本庁の捜査員が到着した。 本庁の刑事達は、証拠品を見るまでは信じて居なかったが。 広縞が使っていた変装の一式、犯行に及ぶまでの行動やミスの反省を綴ったノートを見て。


「また、アイツの大当たりかよ」


「チッ。 これで何度目だ?」


然し、古川刑事に頼み、一緒に雨が上がってから聴き込みに出る木葉刑事は、厳しい顔のままだった。


(コイツめ、まぁ〜だ嫌な面をしてやがる。 さては、人に言えない何かを見やがったな)


木葉刑事の事は、何度も顔を合わせる事で何となく理解し始めた古川刑事だ。 歳を重ねて培った勘で、そう見抜く。


捜査に携わる木葉刑事は、その後に篠田班へ復帰し。 毎日を裏付け捜査で忙しい日々を送る事になる。


近年稀に見る凶悪事件の為、やや慎重過ぎる程にゆっくりとした捜査が行われたが。 バラバラに成り転落死した広縞のDNAと、河川で殺された被害者の体内に残っていたDNA。 他の被害者の体内に残った物や、衣服に着いていた唾液のDNAとも一致。


また、見つかった証拠品も、犯行に使われた物と同一と確認。 更には、彼の直筆と成る犯行ノートから、まだ警察も知らない他の余罪と、遺棄された被害者の死体の発見が進み。 広縞が本件の被疑者だと、正式に決まった。


そして、9月の終わりに、被疑者死亡で書類のみの事後処理される手筈が整う。


然し、だ。


確かに、謎が多すぎる事件である。 広縞が犯人とは、関わる捜査員の誰もが認めたが。 彼本人の死因が、“自他殺不明”の域からどちらの判断にも出ない事に因り。 その後に繰り返された捜査会議が、どれも紛糾したのだ。


“広縞は、どうして死んだのか?”


“被害者の遺族の不審死と、広縞の関係は?”


“広縞の犯行に及んだ動機は?”


などなど、数え上げたら限りの無い謎。


実は、広縞は、最初の事件と成る従兄妹の殺害だけは、ノートに書き残してなかった。 仄めかす記述は在るのだが。


そんな中でも特に、一番の大問題は、


“広縞は、本当に自殺なのか? 他殺ではないのか?”


と、この問題で在る。


確かに、広縞は転落死した。


だが、その死は調べれば調べるほど、自殺とは思えない。


また、広縞が飛び降りをした空間に、彼をバラバラにする要因が無い。 然も、ベランダ付近でバラバラにされたらしいが。 血痕からすると、ベランダの外に落ちた瞬間に、バラバラと成ったらしい。


更に、謎はまだ在る。


飛び降りをした割には、その落下した地点がマンションから離れていすぎるのだ。


然も、広縞のマンションから、有り得ない物まで見つかっていた…。


釈然としないまま、被疑者死亡でこの件は片付くと諦めが捜査本部に漂う。


そして、少し時が過ぎた10月の初め。 秋晴れの爽やかな風が都内を吹き抜け。 広縞の事も、連続強姦殺人事件も、風化する様に世間の話題に上らなくなり始めた頃。


「木葉君。 亡くなった犯人の住んでいたのは、この部屋なのかい?」


年輩のナイスミドルと云うに相応しい男性が、木葉刑事、古川刑事と共に広縞のマンションを訪れていた。


あの被疑者特定後の捜査をしていた暑い真夏の陽気も今は和らぎ。 乾いた涼しい風が吹き抜ける、秋日和の昼過ぎで在った。


白いスラックスに、赤いポロシャツを着て。 ズボンに合ったクリーム色のジャケットを着た年輩の男性は、木葉刑事とは親しい仲の越智水医師だった。


現場保存で、まだそのままにされている広縞の部屋にて。 何時、誰に書かれたのか、玄関の酷い落書きを見てから入った古川刑事は、立派な部屋を観て。


「こんなイイ物件を持った奴が、何で大それた事件を起こしますかね」


すると、同じく部屋の内部を見回す越智水医師も。


「随分といい暮らしをしてた犯人だね。 だが、不思議だ。 この部屋には、怨念の気配すら・・・無い」


何度、この部屋に入っても不気味と思う古川刑事。 壁にはまだ御札がベタベタと貼ってある。 その御札の一部は、故意に焼いた様な黒い染みも見て取れた。 あの広縞が死亡した時に見た御札は、明らかに焼けて炭化した様子だったのに。 いまは不思議と湿気を含み、黒くなった紙が溶けている様にも見えるのだ。


部屋中を見回る越智水医師は、ロフトルームの方や、ベランダを見ても何も感じない。


一緒に行く古川刑事は、小声で。


「感じて欲しく無い…」


と、呟いた。


だが。 ロフトルームにて、収納スペースを開いて見る木葉が。


「先生、でもね。 自分は、あの日にハッキリ見たんですよ。 このマンションの真上に広がる空が、とても黒い暗雲で支配されていて。 その中心に巨大な、あの殺された被害者の怨念の顔が浮かんでいたんです」


この木葉刑事の話に、古川刑事も、漸くつっかえていた疑問が解けたと思う。


(そうか。 あの時に、このマンションに来たコイツは、空を見上げてはエラく厳しい顔をしてやがったが…)


木葉刑事は、ベランダに出て空を見上げてから。


「先生、何度考えても解らないンですがね。 あんなに強烈な怨念の所為で、‘怨霊’へと変わった彼女なのに。 広縞を殺しただけで、気が晴れて成仏したんですか?」


こう問われた越智水医師は、何とも言えない表情だ。


「ふむ・・。 普通は、怨念に縛られる霊は、自縛霊に変わる。 そうしたら、こうゆう場所や殺害現場には、その怨霊と化した霊体が留まる筈なんだが…。 然し、此処には全く気配すら無い。 居ないのだから、成仏したのかもしれないね」


古川刑事は、ベランダの窓から入る心地良い風を感じるままに。


「このマンションに駆け付けた時から、妙にヘンだと思ったが。 あの時にお前、そんなモンを見てたのかよ。 カァ~~全く、俺は見えなくて正解だった」


と、ボヤいた。


だが、越智水医師も、木葉刑事も、あの執拗なまでに広縞を追い詰めた怨念が、そう易々と成仏するとは思えなかった。


また、なにより。


木葉刑事は、広縞が死んで初めて理解した。 越智水医師の守護霊の様な存在の祖母が現れてまで、頻りに首を左右に振っていた意味が…。


“無駄、無駄だよ。 何もかも、もう無駄だよ”


そう言っていた気がして成らないだ。


(もし・・・、あの怨念が広縞を殺しただけでは成仏しきれず、この世に残って居たならば。 一体、何処に行ったのだろうか)


木葉刑事の疑問は、答えが見つからないままに。 この数日後には事件の幕引きが為される。


だが、不思議な事に。 この連続強姦殺人事件に関係する被害者は、後に更に増えた。


その一人は、広縞の遺体が落下した処を目撃した女子高生の一人。 マキと呼ばれていた女子高生が、数日後に親の目の前で首を切り。 自殺を図った事。


二人目は、チサと云う少女。 彼女もまた、精神的に不安定となり。 散歩に出た先で、フラフラと赤信号の交差点に侵入して、車にひかれた。


また、同じく広縞の死体を見た会社員の男性も、とある日までは問題なく生活していたのに、だ。 8月の下旬を迎えた或る朝に、家族から見ても普段通りの姿で出社したのに…。 帰宅の途中で線路に飛び込んで自殺した。


それだけではなく、これに加えて被疑者遺族の自殺も続いた。


そして………。


事件の真相は、誰も解らない闇に埋もれたのだった。





        2


ある日の事。


今年の夏も相変わらず暑かった都内だが。 11月に入れば、秋の乾いた涼しい風が冬が近い事を告げる様になっていた。


日差しが柔らかくなった週末の金曜日。 東京都内の或る会社で、女性社員が窓の外を眺めつつ。 同僚の二人と、社員食堂ランチをしていた最中に、だ。


「ね~、ワタシね。 最近、なんか幻聴がするのよね…。 夢かな~って、思ってるんだけどさ~」


黒髪が艶やかな美しく若い女性社員が、二人の同僚の間で呟いた。


彼女の右隣に座る。 痩せた木の棒みたいな女性社員が、


「大丈夫? ダイエットで、食事でも抜いてるとか?」


お尻辺りまで髪を流す真ん中の不安を吐露した若い女性社員は、カツ丼の乗るトレイを持つだけして。


「コレ、食べてるのに~?」


すると、この彼女の左隣に居る。 ちょっと年配の既婚女性社員は、彼女の不安など大した事も無いと感じてか。


「あのねぇ、お化けの季節は過ぎたわよ~。 もう、11月でしょ。 天高く、女太る秋よ」


と、あっけらかんとした物言いをしてから生姜焼き定食の肉を食べきった。


相談した女性は、ケタケタ笑って。


「アハハハ、やっだ~先輩ってば」


と、笑顔に。


こうして、同僚と共に昼食を楽しく終えた彼女。


だが、片付けてロッカー室に向かった彼女には、本当は人に言えない悩みが合った。


(嗚呼・・誰に相談したらイイんだろ。 こんな、犯罪の悩み…)


実は、この美人な会社員の女性には、本気で結婚を考えた男性が居た。 だが、結婚式の共同資金と溜めていたお金を、少し前に彼に持ち逃げされたのである。


確かに、数百万と云う大金だったが。 何よりも心苦しいのは、身体の悪い父親に安心を与える為にも、結婚式を見せてあげたいと願っていたのに…。 婚活に焦り、結婚詐欺師に騙されたのである。 何故に詐欺師かと解ったか、それは彼には他にも付き合っていた人が居た事を知ったからだ。


さて、夕方の5時を回り終業のチャイムが鳴る。


(ふ~・・。 終わった)


パソコンの電源を落とした彼女は、更衣室にて自分のロッカー前で上着を着替えて帰宅する事に。


「………」


満員電車に乗っていたり、ボンヤリ人ごみを歩いている時。 どうしても物思いに更けては、彼の事を恨んでしまう。 だが、今の心の内では、彼への恨み・・それだけでは無い。 違う不安が、恨みと同じ位に膨れ上がって来る。


何故、こうなったのか。 それは、昼間の不安の吐露に繋がるのだ。 今日から約1週間ぐらい前のある日。 雨の夜に残業して、帰宅が遅くなった事がある。 秋の長雨は、憂鬱を誘うのか。 最寄りの駅からアパートへと向かう、何時も歩き慣れた歩道を冷たい雨の中を傘を差してトボトボと歩けば。


(どうして、あんな男に…)


嫌でも思い出してしまうのは、資金を持って逃げた彼の事だ。


(私、なんてバカだったんだろう…)


当たり前かも知れないが。 どうしても、後悔と無念と憤りが胸中に溢れ出る。


然も、この日の前日に、身体の弱い父親から電話が有り。


“どうだ、変わりはないか? 仕事は、順調か”


と、随分と細く成った声音で、短い言葉を掛けてくれた。


彼女が社会人に成る前なら、その言葉だけで泣いてしまい。 全てを父親に話してしまっただろう。 だが、一人で社会へと出て働き。 自分で生きる強さを身に付け始めたからか。


“うん、大丈夫よ。 お父さんは、元気? 無理して、働かないでね”


と、悲しみを堪えて応えた彼女。


だが、持ち逃げされた結婚資金は、この父親から渡されたお金が含まれる。 大学を卒業するにあたり、珍しく父が故郷に帰って来いと言われた。 実家に帰れば、漁師の父親が床に寝ていて。 身を起こすや、とても真剣な顔で通帳を前に出して来て。


“いいか。 もう解っている事だが、父ちゃんは身体が弱いし。 母ちゃんは、もうこの世に居ない。 俺は親戚とも関係が切れてるから、お前は何事も一人で遣らねばならん。 社会人として働き始めたら無駄金を使わずにちゃんと貯えて、何かの時に備えろ”


と、渡してくれたお金が結婚資金には含まれていた。


雨の中。 それを思い出した彼女だから、持ち逃げした相手が憎くて、憎くて。 また、あっさりと騙された自分自身が情けなくて…。 込み上げて来る想いに、涙が零れそうになる日々だった。


処が、傘を差して駅を出て四車線道路沿いに、片側がビル並びに成る歩道を歩いて行き。 アパートが見えて来る辺りで変則のT地路と成る交差点に来た時だ。 斜めに右側へ曲がる道の先直ぐ、ゴミ捨て場の近くの闇から。


“にぃ・い・・のか、・・・にぃいくいのかぁぁぁぁぁぁぁ………”


突然、不気味な声が聞こえ来たので在る。


「えっ?!!」


いきなりの事で驚いた彼女は、その場で立ち止まってしまった。


(な・何? いま・の?)


女性なのか、男性なのか、いきなりで判別が着かないが、心底から怯えてしまう怖い声で。 耳に聞こえたと云うよりは、直接に心へ響く様な感じの声だった。


(今の・・だ・誰? 誰なの?)


急いで辺りを見回す。 コンビニの灯り、街灯の灯り、自動販売機の灯りと、明るい所を探して見れば…。 笑って並び、一つの傘に入って喋っている高校生の男女。 飲み屋に入るらしい、会社員風の男性。 スーパーからの買い物帰りらしき、ビニール袋を両手に下げる若者・・・と。 何処にも、声を出した様な人物は居なかった。


(あ、私の気の所為ね。 誰かの声が、聴き間違いになったんだわ)


その時は、既に夜9時を目前にしていた事も在り。 最近は、駅の近くでは物騒な強盗傷害事件も起こっていて。 女性として、そうした事がとても怖かった。 聴き間違いと、そう自分に言い聞かせる部分も多く。 心なしか足早に、アパートへ向かって帰宅した彼女。


だが・・。 それから数日後。


彼女も思いも因らぬ奇妙な現象が、突然として起こり始めた。 それは、或る日の深夜の1時を過ぎた頃である。


“・くらしや・・にくら・しや…。 おまえ・・どこに・・・おるのだろう…。 にくらしや・・・のろい・ころ・・して・しまおう・・か”


地の奥底より湧き上がる様な不気味な声が、何処と無しに眠る彼女へ聴こえてきた。


「う~ん・・ん・・んん・・あ・・え?」


ベットの上で寝返りを打った時に、その繰り返される声を耳にした彼女。


(え゛っ? 声? ハッ、誰か居るのっ?!!!)


声が聴こえたと感じて彼女が驚いて跳び起きた時には、その声は既に止んでいた。


(なに・・今の。 何なの?)


10月の終わり。 急に寒く成った頃なのに、寝汗で上着のシャツが濡れていた。 漠然としていたが、彼女の本能が危機を感じたのかも知れない。


だが、この異変が続く様になった。 毎日、決まって夜の1時近くに成ると。 あの恐怖を感じる声が、目を覚ますまで聞こえる様に成る。 早く寝ようが、遅く寝ようが、必ず聴こえる様になってしまった。


そんな夜が、それから数日続いた。


正直、その事が現在進行形の悩みに代わり。 騙された事すら時々忘れてしまう時も出て来る様に成る。


そして、幻聴の事を同僚に相談して、笑い飛ばされた日の深夜。 ちょっとした副業の仕事の残りを家で片付けていた彼女は、ベットのある寝室を背に。 キッチンの方を向いて、卓袱台で書き物をしていた。


すると…。


“にぃぃ・くぅ・・しやぁぁ…”


と、微かにだが、耳に不気味な声が聴こえた。


「ひぃっ」


不気味な響きの声は、心臓を冷たい手で握る様な感覚を与えて来る。 小さな悲鳴を短く上げた彼女は、急激にガタガタと震えが走る身体ながら。


(ベっ、ベベ・ト?)


確かに、身体の内部と云うよりは、背中の首筋近くから声がしたと感じた。 恐る恐る、身を捩って後ろを見ると…。


「はぁっ!」


息を呑む彼女の視界に、とんでもないモノが見えた。 ベット近くで、ベランダに出るガラス窓に何かが映っている。


「う、うそ…」


部屋を隔てる木のスライド式ドアに手を掛けて立って、恐る恐るベットの在る寝室に入れば。 その部屋の窓には、テレビ画面に映像が映し出された様な光景が見える。


無論。 窓の反対に、テレビやパソコンなどの映像を映す機器は無い。 また、テレビなどの画像が、窓に写り込む様な場所にも無い。


(ど・してぇ・・?)


何度も、テレビの在るリビングを見たが、スイッチを切っているので何も映っては無い。 そして、窓の映像に目を向ければ、ノイズが混じる現場中継の様な画像で在った。


「なっ・ナニ・・よ。 これ」


良く見るとその映像とは、暗い夜の外をバックに、何か夜の風景を生中継している様なのだ。 最初の驚きが収まりつつ在る中で、一歩を近付いてその映像を確認しようとした瞬間。 彼女の目が、ギョッと見開き。


「はぁぁぁっ!」


上がり切らない悲鳴と共に、後ろへ退きながら尻餅を着く。


(だっれ、誰っ?)


その映像の中には、明らかに人物が居た。 どんな衣服か判らないほどにボロボロの濡れた衣服を着て、長い頭髪を酷く乱した女性・・と思われる人物だ。


“に・く・・・い。 どこ・に・・・いるぅぅぅ”


喉に詰まる様な、苦しむ様な物言いで、ヒタ・・ヒタ・・と足音を立て。 都心から少し離れた郊外らしき場所で、アパートと一戸建てが密集する道路の上を歩いているのだ。


怖くなり、呼吸が早まり、冷や汗が全身から溢れた彼女。


(はっ、何ッ? こ、こっ・コレ…)


窓に映像が現れたと気付いてから、繰り返し思う同じ事だが。 ユラユラと揺らめく動きで、ヒタ・・ヒタと裸足で歩いて居るその人物の映った映像は、何故か次第に掠れて映らなく成った。


「はっ、はっ、ききえ・・た」


張り詰めた緊張感と恐怖が解けると共に、赤いカーペットの上に寝転ぶ彼女は、そのまま気を失う様に寝てしまった。


次の日は、振替休日を含めた三連休の初日と成る、土曜日。


布団も被らずして寝てしまった彼女は、


「ん゛っ、んん…」


と、目を覚ますや直ぐにハッと窓を見た。


眩しい日差しが差し込む窓には、何も映ってはいない。 乾燥からか、喉に違和感が有った。


(夢・・かしら。 もしかして、ネガティブに成り過ぎで、神経質に成ったのかな・・。 嗚呼、もう忘れてしまわなきゃ)


自分にこう言い聞かせた彼女は、喉が痛いので風邪薬を飲み。 窓を調べてみるも、何でも無い窓に飽きてしまい。 好きなテレビを観て、掃除して、趣味のゲームをして夜まで過ごした。


(風邪気味だし、早く寝よう)


インスタントのスープと白米を食べて、風邪薬を飲むと。 まだ夜の8時前だったが、とても眠く成っていたのでベッドに横に成る。


(何だか・・疲れちゃったな。 あの夢、また見るのかな……)


眠気に負けて布団を被れば。 妙に酷く疲れていてか、目蓋が直ぐに重く成る。 やがて、8時過ぎには、深く深く眠り込んだ彼女だった。


処が、深夜。


“にぃぃくぅぅら・し・・・やぁぁぁぁぁぁぁぁ”


眠りに入っていた彼女の耳元で、今夜はハッキリとその声が聴こえたのだ。


「ひゃぁっ!」


頭の中と云うか、身体の中に響く形でいきなり聴こえた事で、急激に目を覚まし驚く彼女。


(えっ? あ゛っ、嗚呼・・まっ、ままま・また?)


横を向いて、寝室からリビングを見ている体勢だ。 リビングが薄明かりなのは、安い照明器具の常夜灯(グローランプ)の所為だが。 この暗い部屋の東側。 ベランダに出る窓が、何故か奇妙に明るい。


(どっ、どうしよう・・。 また、な・ナニか映ってるの?)


昨日の見た映像が、まだ頭の中に残っている。 歩いていた何者かを、その目でハッキリと見ただけに…。


(あの人、あの後・・何処に向かってる・・の?)


ズタボロの衣服を乱し、長い髪の毛を振り乱したあの奇妙な人物。 彼女が、その姿を思い出した時で在る。


“こ・・こ・・・だぁぁぁぁぁ”


不気味な声が、確かにそう言った。


(こ・こ? 此処?)


“まさか、自分の居る場所を捜しているんじゃないか…”


そう思った彼女は、


“この部屋に来るなら警察に連絡をしなければ”


と、怖い気持ちを振り払う様に起き上がった。


だが、思い切って見た窓の映像は、オートロックの入り口をした。 外観からして中々に立派な、白いマンションで在る。


(あれ? これ、私のアパートじゃ・・ない)


その映像は、自然と誰かの見ている視線の映像と成る。


(あっ!)


オートロックの入り口なのに、ドアも開かずして視線と成る映像がスルリと、マンション内部に踏み込んだではないか。


(なん・で? コレって、一体なんなの?)


驚きと共に、この映像に一抹の興味が湧いた彼女。


進む先の階段を這う視点ながら、犬か猫が駆け上がる様に流れた映像。 四階まで上がった視点は、片側のやや高い位置に窓が並ぶ、落ち着いた雰囲気の廊下に向かう。


(私のアパートじゃないのに、なんで・・・こんなに胸騒ぎがするの?)


気付けば急に、心臓が早く鼓動を打っていた。 風邪とかではなく、胸騒ぎやら恐怖から鳥肌が立って緊張する。


(何で、でも、いや・・。 これ以上、見たくない)


何故か、漠然とそう感じた彼女。 生き物として宿る本能的な感覚が、研ぎ澄まされて拒絶反応を示している様なのだ。


だが、眼を逸らせないままに居る所へ。


“みぃ・・つ・けぇぇぇたぁぁぁぁぁぁぁぁ”


怖ろしさを呼び起こす声が響き。 視点となる映像が、何かを見た時。


彼女の目が、限界に成るまで見開かれた。


「嘘っ! 此処って・・・かっ、かか・彼の・すっ、住んでる…」


その映像に映し出された部屋の表札には、結婚資金を持ち逃げした彼の名前が在った。


「う・そ、うっ嘘、嘘・・ウソっ」


“何処に、このマンションがこの映像の中に在るのか”


思わず窓へと迫る様に近付いた時で在る。 映像が、ドア付近から引きずられる様に下がり、あの不気味な人物を左側に映し入れた。


彼女の眼が、ドアより寄った絵の人物に向かう時。 徐に、映像の中の女性が、見ている彼女の方に振り返る。


その直後、


「ヒィィィィィィィィっ!!!!!!!!!!!」


言葉に成らない声を出し、後ろの方に倒れ退く彼女。


「あ゛ぁぁぁ…」


ガクガクと震える彼女の口は、原始的な動物としての声を出す事しか出来ず。 何とかその映像の中の人物から逃げようとする身体すら、収納棚の戸にぶつかってしまった。


一方、窓に映る映像の中では。 ガサガサした感じの髪の毛の間から、瞳の無い窪みの様な右目だけが見えていたのだが。 映像が、その人物の顔へ更に寄る時、フワ~ッとその髪の毛が退いた。


「ヒィっ!」


驚きの余りに、目が飛び出てしまうのではないかと云う程に、限界にまで眼を見開きながら悲鳴の様な息を吸った彼女。 収納棚のドアに背を打ち付けつつも、反射的に両手を口に添えたのは、抑え切れない恐怖からだろう。


その映像の中の女性の髪の毛が、乾燥しきった様にガサガサなのに。 何故か、雫を纏ってびしょびしょに濡れているのに、今、彼女も気付いた。 青白い死人のような顔と肌をしたその人物は、確かに女性らしいのだが。 耳元まで、異常に裂けた口元。 また、眼が飛び出す様に、十字に抉れているかの様に歪み。 瞳は、赤黒いビー玉の様で。 僅かに開かれた口からは、腐った血の様な液体が流れた跡が見える。


(しし・しっ・・死んでる。 このっ、この人っ! 絶対に死んでるっ!!!!!!)


生まれてこれまで幽霊なんて見たことも無く。 信じてさえいない彼女だが。 この映像に映る人物が、確実に死んでいると思った。


映像の中の化け物の様な女性は、アップで映されているままに。


“おぉぉぉまえのぉぉ・・う・ら・・みぃ・・を・・・はぁ・らぁすぅ・・・ぞぉぉぉ…”


と、映像を見ている女性を凝視して云う。


「あっ、ああ・あ゛っ……」


脅え戦(おのの)く彼女の目の中で、映像の中の女性が玄関に向かった。


「まっ・・」


彼女が、思わず手を伸ばした時。 此処で、窓に現れた映像は切れる様に消えたのである。


(ど・どど・どっ、どうして・・・かっ・かれの・・部屋が………)


緊張感と恐怖が弛まると共に、その場にドサッと寝崩れた彼女。


映像の中の女性が一体、何処の誰で。 何で、彼の家の所在を突き止められたのか、全く判らない。 自分は、それが解らなくて。 探偵に頼もうか迷っていたのに……。


彼女は、今起こった全てが理解が出来ず。 ただ呆然と窓ガラスを眺めてしまった。


そして、明くる日曜日。


倒れてまた眠ったまま、昼遅く起きた彼女。 非常に気だるい気分で、何故か酷く疲れが残る。 鏡で顔を見れば、目の周りに隈が浮かんでいた。


(嗚呼、顔色・・悪い)


憂鬱だ。 昨夜に見た映像のほぼ全てを覚えていて、返ってイヤになる。 空腹だが気が重く、食べる気力も湧かず。 窓をベランダ側、部屋側から調べて疲れては、ミルクティーを飲んでボ~っとする彼女。


(私の想い・・誰かに知られたのかな。 でも、もう彼とは…)


木目調の卓袱台の上に在る携帯には、確かに金を持って逃げた彼の連絡先が登録されているが。 その連絡先は既に不通で、決まりきった音声案内が返って来るだけ。


(昨日の、あのマンション・・私は知らない)


何か、今日は買いに行く予定だったが。 買い物に行く気も無いので。 無意味に点けっぱなしで放置するテレビを、ボ~っと眺める彼女。


以前、持ち逃げされる直前に行った彼の家は、鉄筋コンクリートの古いアパートだった。


(あんなイイ感じのマンションに住んでたんだ…。 私から持ち逃げしたお金ぐらいじゃ・・・住めない。 もしかして、私が参加した時のお見合いとは別に、被害に遭った人も居るのかな)


自分が参加したお見合いパーティーで、自分より年上となる都内在住の女性と知り合った。 とても高そうな女性用のスーツを着た人物で。 この人物も、同じ彼と話していた。 自分が彼と付き合う様になり、ひと月ほどした頃か。 メールアドレスは交換した年上の彼女から連絡が来た。


“ねえ、〇〇さんと付き合ってないよね?”


急に来たメールで、驚いたが。 彼に聴けば。


“はっきり云うけど、食事を1回しただけだよ。 お見合いで声を掛けられたからさ、いきなり断ると悪いって思ったからね。 今は、君と付き合ってる。 彼女の誘いを受けるのは、したくない”


お見合いパーティーだから、知り合った異性とデートはするのも間違いじゃない。 彼は、今風にして容姿が良かったので、何人も女性と話をしていた。 自分以外ともデートをして、自分に決めてくれたと自分は思ったのだ。


然し、結婚資金を持ち逃げされた後だ。 この年輩の女性とメールをやり取りして見れば、相手の女性も指輪を持ち逃げされていた。 怒りでメールの内容がとても攻撃的に鋭い女性で、探偵を遣って調べた後に警察へ訴えるつもりと言っていた。


自分と恋愛関係に至るまでの流れがとても手馴れていた彼氏で。 騙す為に繰り返しているとしたら、自分や年輩の彼女の他にも被害者が居そうで。 あの映像に出ていたマンションに住んでいるとするなら、億位のお金を集めて居そうと感じられる。


住んでいるマンションが何となく解り、思い出したく無い筈の彼が脳裏を過ぎる。 だが、それよりも、もっと思い出したくない人物の顔が出来て、怖い顔を忘れる為に紛らわす様に彼の事を考える。


(嗚呼、今夜もあの映像・・出るのかな)


彼を忘れたいのだ。 それに、あんな怖い何かの姿などもう見たくない。 嫌気に、映像から逃げ出す事ばかり考えている内に。 ふと、同僚の部屋に泊めて貰おうかと、逃げ道を考えるのだが。


(でも・・、今日はどう成るんだろう。 それに、泊まった先で映像が映し出されたら…。 そんなことっ)


モヤモヤする内に、気付けば夜。 何か出前でも頼もうかと思ったのだが…。 結局、電話やサイトを利用する気力も無くて、インスタントの御粥で済ませてしまう。


心が落ち着かないので、普段はあまり観ないテレビを掛けたり。 手持ち無沙汰でネットゲームをして見ても、眠気は在るが何処か落ち着かない。 遅く流れる時計の針にイライラした気持ちで、そのまま深夜を迎えた。


逃げられないと感じてか、掛け布団を被り。 寝室の中央にての大きいクマのぬいぐるみを抱き締めた彼女。


(どうしよう・・また映ったら。 彼の顔とか見たら、嫌なのに)


前日は、結構な時間を寝ているだけに。 なんとも眠れないままに、変な姿の自分が映し出された窓を眺める。 そして、ぼんやりした彼女は、音声を低くしたテレビを点けっぱなしにし。 時計の針が、1時に近付くのを待った。 ぬいぐるみに凭れ掛かる様にして、うつらうつらと彼女がする頃。 時計の針が、深夜の1時近くに成る。


すると、突然にフワァ~っと窓側が仄かに明るくなる。 ノイズが走る映像が、また映し出された。


(ん・・んん)


明るさに気付いた彼女は、掛け布団の隙間から映像を観た。


その瞬間。


(えっ?!)


思わず掛け布団から抜け出る様に、前へ出た。


窓ガラスに映されたのは、ほぼ全額が自分の物と言える結婚資金を持ち逃げした彼だ。 彼が、明るい洗面台前の床に足を投げ出し、暗い浴室らしき方へと頭を向け。 汚い白濁とした皮膚をした腕に、髪の毛と首を掴まれては、浴室へと引きずり込まれそうに成っている。


(嘘っ、本当にサトルだわっ!!)


もがき暴れる必死の顔が、洗面台の在る明るい場の方に在り。 金を持ち逃げした彼だと、彼女が確認した時だ。


“助げてぐでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!”


間近の映像で見ているのに、遠くで叫ぶ幽かな声ながら彼が空間にそう言った様に聞こえる直後。 必死で、浴室入り口に手でつっかえてもがき耐えていた彼の上半身がズザッっと、浴室に引きずり込まれた。


「や、止めてっ!!」


思わず叫び、窓に飛び付く様に近付いた彼女だが。


浴室と思われる方へ引きずり込まれた彼の足が急に激しく暴れて出した。


「サ・サト・・ル?」


何が起こっているのか、解らない。 どうして暴れているのかと、殆ど無意識に更へ窓へ近付くと。 チカチカと点滅する洗面台前の脱衣所に横付けされた明かりが、微かに浴室の一部を照らす。 その影の様な光景を見た時、彼女はギョッと目を見開いた。


(あ"っ!!)


暗がりの中で、裂傷の痕が生々しく赤黒い、傷だらけの白い蝋人形の様な手が。 浴室らしき場所へ引き摺り込まれた彼の首をギリギリと、ミシミシ骨が軋むほどに締め付けている。 


“に゛ぃくぅいぃぃぃ・・お・まぁえがぁぁぁ・・・に・くぅ・・いぃぃ。 シねぇ・・ジねええぇぇぇ………”


男の顔の脇に、今、絞め殺そうとしている者の顔が見える。


(はあ゛っ! あ・・あれは、昨日のっ)


昨夜の映像で、金を持ち逃げした彼のマンション前に立っていた化け物の様な顔の女性が、其処には居るのである。 ビー玉の様な眼が鈍く赤く光っていて。 口からはダラダラと黒い液体を吐きながら、辿々しい言い方で呪詛の様に怨みを述べる。


「やっ・やめてっ!!! いやッ!! サトルっ!!!」


このままでは彼が死んでしまうと解り、感情のままに声を張り上げて窓ガラスに縋り付いた彼女。


然し、その目の前で。 


“ぎぇっ!!!!!!!!”


短く滾(たぎ)る絶叫と共に、呼吸が出来ずにもがいていた男の首がブツっと、捻じ切れた。 黒く夥しい液体が噴出して、辺りを黒く染め上げる。


「ひぃっ!!」


彼の首が切れた…。 目の前で彼が死んだと見えた。 絶句して彼女が窓を見ていると。 静寂が支配して行くバスルームの闇の領域から。


― シュル・・シュル…… ―


と、音がする。


その音は、液体に何かが一部を浸しながら、転がって行く様な音と思え。


二回り、三回りしたと思いきや。


― ゴツッ ―


と、硬い何かに転がった物が当たって、止まった様な音もする。


「はっ、はっ・・ごくっ」


信じられない事が起こった。 恐怖や緊張で呼吸が乱れ、生唾を呑む彼女は、窓に映る映像が薄れて行くと同時に、気を失った。


そして…。


次の日、朝の10時を回った頃。 何かに驚いては、飛び起きた彼女。


「サトルっ!!」


夜中に見たことを思い出して、慌ててテレビを見に向かう。


(死ん・・し・死んでない・・・よね)


月曜日の10時過ぎには、ニュースを流すチャンネルも限られていた。 彼が死んだ事を報じるニュースを探して、あちこちのチャンネルを何度も繰り返し変えてみる。


(スポーツなんかっ、どうでもいいって!)


地上波放送では埒が開かないと、ネット通信でビデオ映像も配信される多チャンネルの放送のニュース番組も、彼女は必死で観て回った。 ノートPCも付けて、それらしいニュースがないか見て回った。 それでも、昨日の夜中に見た出来事のニュースが見つからない為。 携帯とデータ放送のニュースまでを確認し、新聞にも彼の事が出ていない事を確かめた。


(はぁぁ…)


二時間以上も費やした後、ドッと疲れてしまう彼女で。


(夢・・あ・く夢? 嗚呼、こんな幻覚や幻聴が見えたりするなんて、身体の何処かが悪いんだわ。 明日・・、病院に行こうかな。 でも、今夜も夢が見えたら、悪戯だよね)


彼が本当に死んだと成ったら、それこそ怪奇現象だが。 死んで居ないなら、完璧に悪戯だと思う。


然し、見る原因ぐらいは探ってみて。 今夜もまだ見える様なら、精神的な病院に行こうと思う彼女。 有給が溜まっていて、会社からは計画的に消化して欲しいと、先月の末から云われていた。


寝汗か、脂汗か、身体がベタベタしている。 風呂に入ろうと思ったが、昨夜の夢で見た出来事からバスルームが怖くなる。


(サイアク・・・、完全に怖がってる。 はぁ・・私ったら…)


何か食べようと思ったが、もう何もない。 仕方なく、近くのスーパーに向かう。 だが、アレコレと思った物を買った上に、コンビニで新聞まで買ってしまった彼女。


(はぁ、はぁ、重っ。 何でこんなに買っちゃったンだろう)


両手に持ちきれるかどうかギリギリと云う荷物で、歩く疲労感から全部を投げ捨てたく成った。


部屋に戻った彼女は、呪われたんじゃないかと安い神棚を置いたり。 無駄に盗聴器を調べる機械を使って、部屋を調べて回ったりする。


(フルートが趣味だからって、防音の部屋なんか選ぶんじゃなかったかな…)


あんな映像を見る理由が解らず、何でもかんでもこじつけみたいに考えてみる。 騙されはしても、悪い事はしたつもりは無い彼女。 怨まれる理由は見つからないし。 悪戯されているとしか、次第に思えなく成って来た。


また、何誌も買った新聞を隅から隅まで見ても、男性が首をねじ切られて死んでいたなどと云う記事も。 男性の殺人事件すら何処にも見当たらない。


(今夜、あの映像を見なければ、忘れよう)


とにかく病院に行くことを考えた。 上司の親しい女性に電話をし、水曜日まで会社を休ませて欲しいと話した。 初夏から繁忙期の様に忙しく、休日返上も多かったので、休みの事は簡単に話が通った。


だが。


気怠さが手伝い、風邪薬を飲んだら夜の7時には寝てしまったのに…。


深夜になった頃。


“ひとをぉぉ~のろわばぁぁ・・あな・・・ふた~つぅ……”


耳元と云うか、頭の中に声が流し込まれているかの様に、不気味なアノ声が響いて来た。


(あ゛っ)


ぐっすり寝ていた筈なのに、彼女はパッと目を覚ます。 見えない何かに、危険を知らされて起こされたかのように飛び起きて。 そして、脅える顔のままに窓ガラスを見た彼女は。


「ひぃぃいっ!!!」


ベッドから落ちそうな程に退け反って、悲鳴を上げた。


それもそのはずで。 起きて見た瞬間、明るくなった窓には、血走った眼を見開き断末魔の叫びを上げた表情に固まった男の生首が映っていた。 だが、それだけでは終わらない。 暗がりの中から明るい場所へその生首が移動する。 その間に少しずつ生首が引いてゆくに合わせて、蝋人形の様な肌をした手に彼の生首は髪の毛を掴まれていた。 あの恐ろしい姿の女性が、昨日に殺した彼の頭を持って移動する映像が見えている。


「あわわわ・・は・はぁっ、はぁぁぁ…」


余りの衝撃で呂律も回らず身体が怯えて竦む彼女。


(ああ"っ、やっ、やっぱりっ、サトルはぁっ?!)


ニュースには成ってなかったが、やはり彼は殺害されたかも知れないと彼女は感じた。 然し、それをすんなり受け入れられる訳も無い。


「嘘よっ、こんなの絶対に嘘よっ!!」


これが誰かの悪戯なのだと、窓に張り付いては何か仕掛けが無いかと必死に探す。 もう何度も調べている、慌てて調べても何も無い。 ベランダに出てまで調べても、何も無いのだ。


「何でぇ? 何で、映るの?」


部屋に戻る彼女は、近所迷惑とか、何故に自分が泣いているのとか、そんな事にも疑問を持たない程に心が乱れた。


(どおして? こんな事、嘘・・。 創り物じゃなきゃ可笑しいでしょ?)


何もかもが、明らかに可笑しいのだ。 物理的に、この女性がマンションの入口となるドアをすり抜けるなど出来る訳が無い筈なのだ。 また、彼の部屋のドアを通り抜ける事も無理な事だ。 何より、この化け物の女性が彼を殺したとしても、その生首を掴んでいるのに。 どうして、ドアを開かずに外へ出れるのか。 女性が幽霊でも化け物でも何でも良い。 だが、彼の首は………。


彼女がこの現象を理解をする事が出来ず、精神が乱れて涙を流して映像を見ている。


一方、映像の中の首を持ったままにマンションの外へ出る女性は、其処で。


“ひとをぉぉ~のろわばぁぁ・・あな・ふたつぅ~。 のろった・・・ひとも・・ころ・ましょう・・。 のろったぁぁ・・ひとはぁ~どこだ・う・・。 のろったぁ~ひとは・ど・だろう…”


と、同じ文句を繰り返しながら、新たな場所へと歩き始めた。


(のっ・の呪った・・ひとぉぉ? それ、あ・・わた・し?)


その時、ふと思い出したのは…。 二週間ほど前か。 残業して帰ったあの夜の事を、ハッキリ思い出した彼女。


(そんなっ、あぁ・・か・かか、考えただけ・・・なのに?)


あの化け物の様な女性が、今度こそ自分の元に来るのでは・・と、漠然とした予想ながら感じた彼女だから…。


「いやっ、いゃ! 来ないで・・こっ、来ないでっ!」


もう映像を見たくないと恐怖し、這いつくばってまた窓の方へ行く彼女。


(いや・・いやよ。 イヤっ・・イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤーーーーーーっ!!!!!!!!!)


窓に這って縋り付くままに。


「来ないでっ! イヤっ! イヤーーーーっ!!」


窓を叩いた彼女だが、次第に映像へノイズが増えて行き。 あの女性の姿が掠れ、聞こえる声すら遠退き始める。


ガラス窓を叩く彼女の声が、何処まで届いたのかは解らない。 その後、映像が消えて暗くなった部屋に残された彼女だ。


(嘘よ、こ・こっ、こんなの作り物よ。 誰の悪戯よっ! サトル? それとも・・もしかしてっ!! サトルに騙された他の女の人? そう・・そうだわっ! きっとそうに決まってるっ!!)


恐ろしさに震える身体が在るのに、内心では苛立ちと疑問と憶測がグチャグチャに成る。 朝まで布団を被って、眠れない時間を過ごした彼女。


処が…。


頭の中がぼんわりして何を考えていいのかすら麻痺したまま生理現象を感じてトイレに起きた。 すると、点けっぱなしのテレビからニュースが始まった。


――――――――――


[今朝未明


東京都三鷹市のマンションにて。 男性の遺体が発見されました。


亡くなっていたのは、このマンションに在住の男性。 三谷 悟さん 31歳で。


発見者は、交際相手の女性だと云う事です。


三谷さんは、何者かに因って身体を酷く傷付けられており。 遺体の状況から、亡くなったのは昨日の深夜頃と見られており。 また、遺体の一部が見つかって居らず、警察の調べでは犯人が持ち去ったものと見て。 遺体の一部を探すと共に、調べを進めて行く方針との事です。


尚、現場から立ち去る怪しい人物の目撃情報は無く。 財布等の所持品も奪われていない事から、怨恨の可能性が強いと見ている模様です。


続きまして]


――――――――――


そのニュースを見て、その場で立ち尽くした彼女。


(ほ・・・ホント・に、サトルが・・しっ・しし…)


映像で見た事が現実だったと知り、トイレも忘れて他のチャンネルに回す。 だが、どのニュースでも同じ事をやっていて。 トップに近い扱いだから、紛れも無い事実。


「あの・・マンション」


現場を映す映像として、事件の起こったマンションを映す。 確かに、一昨日の夜と昨日の深夜に見た窓の映像に、ハッキリと映った建物の外観そのままで在った。


トイレに行く事すら忘れてしまった彼女。 金を持ち逃げした彼がどうやって殺されたか、窓に映る映像から全てを知っていた。 そして、だからこそ頭の中で繰り返されるのは…。


“ひとをぉぉ~のろわば、あな、ふたつ。 のろったひとも、ころしましょう。 のろったひとはぁ~、どこだろう。 のろったぁ~ひとは、どこだろう…”


あの不気味な女性が呟いていた言葉が、頭を廻る。


「嘘よ…」


茫然とした彼女だが、何時の間にか彼女の姿がアパートから消えた。


もう病院に行く事に、彼女も躊躇いは無かった。 受付で、予約無しの初外来なので待たされると知り、男性の職員に食い掛かった。


だが、病院で受けた診察では、過労以外の診断は出ず。 大学病院の精神科に行くように勧められて、寒い木枯らしの中を帰路に着く。 夕方、枯れ葉が舞う程に、寒い風が吹き始めていた。


アパートに戻って来た彼女は、何が起こったのか解らない。 然し、ただの幻覚ではない事は明らか。 完全に、彼は殺されてしまったのだから。


彼女は悩み、友人に相談したりしたが。 同じく精神科に行くように勧められたり、リラックスする健康法などを教わるばかりで、どうしようも無かった。


(サトルが・・死んだ。 あの女の人・・・呪った相手も殺すって…)


頭の中を支配するのは、既に殺された彼では無く。 死人と思しき、あの女性。


そして、本日の真夜中。 彼女の危惧した通り。 また、窓に映像が浮かんだ。 あの恐ろしき姿の女性は、サトルの頭を掴んだままに何処かの街中を歩いて居る。


(ねぇ、誰かぁ・・・教えてぇぇぇ…。 これが、幻覚? 私には、見えてるのに? しか・も、みっ、見つかってない・・サトルの首を・・・あの人が持ってるのに?)


映像が終わった後も、窓を見ていた彼女。 朝に成って電車が動くと同時に、病院から紹介の受けた大学病院に駆け込んだであった。




        3


三鷹で見つかった、首を切断され首無しの男性の死体が発見された事件。 凶悪な殺人事件として警視庁捜査一課の篠田班が担当として捜査に動いていた。


だが、この事件はとても珍しい事だが。 “特捜”に切り替わった訳では無いのに、昨日から捜査本部が警視庁に移された。 所轄の署長を始めに、所轄の捜査員を含めて数十名が此方に集まった朝の会議室にて。 経過報告並びに、捜査方針の確認などが行われたが…。


「一同、解散」


色眼鏡をした円尾一課長が言い渡した後。 何故か担当の役割を言い渡されず、一緒に動く所轄の刑事すら割り当てられなかった木葉刑事で。 不思議に思いながら会議室より出て行こうとすると。


「木葉、ちょっと待て」


と、班長の篠田が呼び止めた。


「はい?」


立ち止まった木葉刑事は、上司の篠田が渋い顔をしているのを見て。


(あら、また怒られるのかな?)


そんな事を感じて捜査本部の主任などが並ぶ席の前に立った。


すると、何もかも無視する様な素振りで所轄の署長が立ち去る。


基本的に、事件の捜査とは、事件の起こった所轄の警察署が担う。 ただ、重大性の大きい事件については、各県の県警本部の捜査各課が派遣される訳で。 そうなると、帳場と言われる捜査本部が立つ。 そして、東京の警察を束ねるのは、県警の中でもエリートが集まる警視庁だ。 この警視庁の捜査一課を預かる一課長が判断し、捜査本部を立てると決まれば警察署に捜査本部が立つ。 然し、その捜査本部は基本的に所轄に立つ訳だから、従って捜査本部の責任者は所轄の警察署を預かる署長だ。 警視庁から管理官だ、理事官が来て仕切るが、それは警視庁の刑事が携わるからだ。


処が、木葉刑事が前に出るや、本事件の担当をする中年の小太りな男性管理官が席を立って出てゆく。 そして、円尾一課長も何の干渉もしないとばかりに立ち去るのに。


「君が、木葉捜査員か」


出入口のドアの方から年輩と感じる声質で、男性の声が掛けられた。


(誰だろう? 知らない声だ)


声の方へ向く木葉刑事は、皺や顔の雰囲気から50代と思しき、細身の人物が此方へと来るのを見る。 生地からして高そうな紺色のスーツに身を包み、日焼けした顔がやや警察職員としてらしくないが。 胸に付くバッチが警察庁の職員と思われて。


(あ、まさか、ヤバい・・。 この人は、恐らくは警察庁の参事官か、誰かだ。 てか、テロや重要人物の拉致も起きてないのに、何で警察庁の人が来たんだろう)


後ろに警護か何かの黒服の部下を従えたこの男性は、警察庁から派遣された人物で。 警察関係の長官などの政府高官付きのエリートだと思った。 一応、敬礼した木葉刑事。


「はい、篠田班所属の木葉です」


すると、木葉刑事の前に来た男性は、


「私は、内閣官房長官及び警察庁長官付きの参事官で、鵲(かささぎ)と言います。 悪いが、ちょっと隣の部屋に来て貰えるかな?」


と、木葉刑事を廊下に誘う。


「は・・、私がですか?」


とんでもない高官の登場と、その誘いに驚いた木葉刑事だが。 誘った鵲参事官は、半身にして意味深に此方を見て来て。


「そう、君を呼んだんだよ」


と、身をドアに向けて廊下に出てゆく。


前列に一人残る班長の篠田を見れば、普段よりおっかない眼を向けられて。 尚且つ、顎で“行け”と、厄介払いをされた様に促される。


(す・スミマセン)


頭を下げ返した木葉刑事は、トボトボと鵲参事官の後を着いて行った。


(そう言えば、所轄の事件が昨日からいきなり警視庁で捜査会議だなんて、確かにおかしいよな。 現場は、三鷹なのに…)


何か、重大なミスでもしたのかと思う木葉刑事。


さて、鵲参事官の後を行けば、其処は視聴覚室。 映像機器が揃い、完全なる防音の部屋だった。


何時の間にか、ドア前に立つ木葉刑事の後ろに黒いスーツの男女二名が着き。


「さ、入りたまえ。 一応、大切な話なので。 出入り口は、見張りを立たせて貰うよ」


と、鵲参事官は言って来た。


(何で、こんな地位の人が? 何かヤバい・・ヤバ過ぎる様な気がする)


これまでの様々な事件の捜査の過程にて、何か重大なミスか、幽霊を視ていなければ解らないとしか無い事実が発覚し。 理解の出来ない事実に、自分が何か証拠や証言を捏造したと思われたのではないか。 そう感じた。 これまでも、警視庁の刑事になってから2度、それを疑われて調べられた事が在る。 その時は、監察官に取り調べられたが、今回は違う経緯から調べられたのではないか…。 そう思えた。 処分覚悟で緊張し、俯いて部屋の中に入った木葉刑事。


彼を部屋の中ほどに向かうのを見た鵲参事官は、扉を閉める前に。


「では、頼む」


と、見張りの黒いスーツ二人に言って合図を送り、扉を閉めた。


視聴覚室の入って右側には、簡易テーブルとパイプ椅子が集められていて。 左側には、プロジェクターを始めとした映像機器が彼方此方に。 部屋の中央付近に来た木葉刑事は、椅子やテーブル寄りに下がって待機。


すると、木葉刑事の近い前まで踏み込んで来た鵲参事官が。


「君は、昨日。 与えられた領域を超えた不当捜査をしたね? 記憶に無いとは、言わせないよ」


それは、扉を閉める前までの声音では無く、ガラッと声の雰囲気を変えて言って来た。


「あ・・スミマセン」


直ぐ、頭を下げた木葉刑事。 確実に、思い当たる処が在った。


すると、


「謝れと言ってはいない木葉警部補。 何故、あの捜査をしたか。 その動機を簡潔に答えなさい」


と、鵲参事官より単刀直入に聴かれて、仕方無く。


「はい…」


と、経緯を口にする。


実は、三鷹で起こった首を切断された遺体には、或る有力な物的証拠が残っていた。 それは、強い力で圧す様に千切られた首の痕を見て、現場に臨場した鑑識が調べると、被害者の肌に指紋が残っていた。 然し。 その指紋の照合結果は、測定不能として。 何故か、証拠から抹消されたのだ。


だが、木葉刑事は、“霊視”の能力が在る。 凄まじい怨念の力が蟠る指紋の写真に、誰の指紋か直ぐに理解が出来た。 だから再度、鑑識員に証拠の指紋照合領域をかなり絞った形で頼んだが…。 普段は気さくな知り合いの鑑識係が、急によそよそしく成って嫌がった。


その人物の嫌がり方に、権力的な雰囲気の臭いを嗅いだ。 これまでとは違う気味の悪い感覚に襲われた木葉刑事は、こっそりと知り合いの所轄に行き。 極秘に、鑑識員に頼み込んで指紋照合をして貰って。 そして、驚くべき結果を見た。


― ????行き。 抹消データ ―


所轄の鑑識の者も全く知らない照合結果となる答えが返って来て。 これは、権力層の誰かが握ったんじゃないかと、憶測で終わってしまった。


一応、こう経緯を語って、鵲参事官に察して貰おうとした木葉刑事だが。


手を後ろに組み、仁王立ちする鵲参事官は。


「私は、“経緯を語れ”、とは言っていないよ。 何故にあの指紋を調べさせたのか。 君が、人物を指定して調べさせるに根拠にした理由を述べなさい、と言っているのだが」


と、醒めた口調で問い掛けを繰り返す鵲参事官。


(ん゛~、しつこい)


そう感じる木葉刑事だ。 然し、今の時代で、


“幽霊の仕業”


とも、言えないので。


「……では、失礼ながらに言わせて頂きます」


「はい、どうぞ」


「先日、私が関わった事件にて。 犯人と後に断定された人物が、空中でバラバラにされた事件が在りました」


「知っているよ。 連続強姦殺人事件の犯人だったそうだね」


「はい」


「私も、娘が四人居る。 君等の活躍には、心底から喜んだ」


「それは、どうも。 ですが、その犯人の遺体も、刃物や機械を使った形跡も無い千切られ方で。 然も、遺体や現場に不確認と出る指紋が残って居ました」


「・・・」


鵲参事官から見られている木葉刑事だが、説明しなければ帰して貰えなそうなので。


「千切られ方が似通って、指紋まで付着する状況の合致。 万が一、同じ犯人だと困るので。 見込み捜査でしたが、所轄の彼へ強引に頼み込んでしました」


すると、木葉刑事の顔を覗き込む様に、顔をグィっと近づけて来た鵲参事官。 白髪の多い短い髪に、角張った顔が印象的な人物だ。 男性用の香水がフワッと香る。


「君は・・・、見えざるものが視えているのかね?」


唐突な質問に、目を凝らした木葉刑事。


「は・・い?」


すると、身を戻す鵲参事官。


「君の捜査員としての経歴を読ませて貰った。 君は、これまでに様々な事件に於いて、神懸かり的なタイミングで証拠や詳言を掴んだりしている。 だが・・その証拠は、捏造された物でもなければ。 消えたと認識された物でも無い。 だが、発見されたとしても、直ぐに証拠物件と理解するにも、明らかに難しい物も在った。 なのに…。 君は、それをすぐさまに鑑識へ、時には科捜研に持ち込んでいる。 然も、・・的確に調べる方向性の絞り込みを指示し。 事件に於ける有力な物証の存在価値を確信し。 事件解決の糸口と、ハッキリ明確な認識も為されている」


鵲参事官の分析に、木葉刑事は驚いた。


(俺の報告書から、其処まで読んだのか? いや…、ち、違う。 事件関係者の彼方此方に、誰かを遣って聴き込みをしたみたいだ)


と、理解する。


一方の鵲参事官は、目を細めて何一つとして見逃さないと、し。


「このケースが一度、もしくは二度ぐらいなら。 まぐれも在るし、君が被害者と知り合いだったと片付ける事も可能だ。 だが、五度も、六度も、・・それ以上となるとね」


「・・・」


答える言葉が見当たらず、これは黙るしか手が無くなった木葉刑事。


そんな木葉刑事に、鵲参事官は言う。


「報告書及び、関係者への聴き込みから察するに。 誰もが真っ先に考えつつも、現実的では無いと排除してしまう考察。 それは、君が亡くなった被害者と実は意見を交わしている・・・と云う事。 この現代にして馬鹿らしいと云われるが、最も合理的にして的を射る事実。 違うかね?」


本当の事を言われドキッとして、俯かせた目をギュッと凝らした木葉刑事。


鵲参事官は、更に。


「此処だけの話だが。 ‘????’と、?が四つ付くのは、一つしかないデータベース行きの物。 我々が、‘Gデータ’と呼ぶ領域の特別証拠物件だ」


その話に、木葉刑事の顔がフワッと上がった。


「‘G証拠物件’? もしかして、‘G’とは、‘ghost’の頭文字ですか?」


木葉刑事の思い付きだが、目を細めた鵲参事官で。


「何故、そう思った?」


その問い返しは、別に言い換えれば‘肯定’にと取れる。


「かっ鵲・・参事官、やはり・・あの指紋は、自殺とされた広縞の犯した事件の、最後の被害者の者のモノでは・・・有りませんか?」


じれったい話し合いから、木葉刑事が大きく一歩を踏み出した。


すると、頭を左右へと動かした鵲参事官で在り。


「ふぅ・・・やはり、視えてるのか。 叔父さんの恭二氏と、同じなのかな?」


いきなり、とんでもない話が出た。 木葉刑事の叔父で在る木葉恭二は、元刑事。 然し、40代で警察官を辞職。 何故か、探偵に転職した。 その後、たった2・3年で死に至る。 その死に様は、殆どの者が知らない事実だが。 壮絶の一言しかない、とても酷い有様のものだった。


幼少期より不遇の人生を歩む木葉刑事だが。 幼い頃から自分を可愛がってくれた叔父には、幽霊が視えてしまう事を伝えた。 すると、叔父は。


“お前の見たもの、感じた事を信じろ”


こう言って自分を励ましてくれた。 この時に、叔父も霊視の能力者と云う事実を知るのである。


だが、今はそれ処では無い。 奥歯を食いしばった木葉刑事は、自分の不安が現実に成った事を確信して。


「鵲参事官。 指紋の情報として、事実だけを教えて下さい。 ‘視える’かどうかなんて、誰にも証明が出来ません」


「事実・・か。 なら、此方も問う。 既に死んだ者が殺人を起こした事件に対し、我々はどう対処すれば良い?」


鵲参事官は遂に、木葉刑事の疑いに対して肯定を提示した。 完全に事件は続いていると感じた木葉刑事で。


(やっぱり…。 くっ、既に、段階を超えたんだ、‘自縛’から解き放たれた。 狙いも定まらず動き回る霊をどうするか?)


眉を凝らし、空を見て目を鋭くして考える木葉刑事。


そんな木葉刑事を見た鵲参事官は、


「木葉刑事」


と、呼ぶ。


フッと、顔を上げた木葉刑事は、


「はい、何でしょうか」


と、背を正す。


「私は、些かながらそうした事件を扱う超法規的措置を任されている。 霊が視えると解ったからには、君の行動は自由とする。 この事案の詳細を他言する事は許さないが、霊を追える所まで追ってみたまえ」


意外な言葉が聴けたと、驚いた木葉刑事。


「鵲参事官、自由でいいとは・・一体?」


言うべき事を言ったと、出入り口に向く鵲参事官。


「これまで、君を含めてだが。 ‘視える’だけの者は、何人か居た。 彼等は、交信した被害者の怨みを晴らす事で、事件を解決していた。 だが、怨念が実行力を持った存在に成るや、その先々で誰もが行き止まり、刑事を止めて行った。 そして、数年内に皆・・・、見るも無惨な遺体に変わった」


鵲参事官の話に、木葉刑事は叔父を思い浮かべた。


(ま・さ・・か……。 嗚呼、叔父さんも?)


なんとなくだが経過が解った木葉刑事。 いや、叔父が死んだ理由を、木葉刑事は知っていた。 警察を辞める時に、木葉刑事だけは叔父より理由を聴いていた。 然し、まだ木葉刑事が学生の時に、叔父は死んだ。 鵲参事官と会う事で、様々な事に何となくだが合点が行く木葉刑事。


そんな彼へ半身を向けて来た鵲参事官。


「‘視える’だけの側には、私にも解らないが限界が在る。 その限界を超えてしまった特定の存在に対し、‘視える’だけの側は、絶望的な無力を味わう。 そして…、‘視える’側は、無謀な挑戦を挑み。 結果、‘相討ち’と云う形で、尽く敗れて行く」


鵲参事官の意味深な物言いに、木葉刑事は縋り付く様に。


「鵲参事官。 貴方は、何処まで知っているんですか?」


すると…。 鵲参事官の表情に陰りが現れて。


「・・・私は、過去に君の叔父さんを含め、三度の‘視える’者と親交を持った。 内二人とは、共に捜査した事が在る」


「鵲参事官が・・ですか?」


「そうだ。 私は、生まれが青森。 君の叔父さんは、岩手県。 久しぶりに、方言を使って話せる人物が出来た・・と、思っていたのに、ある日突然の退職だった。  そして…恭二は、あの姿に成ってしまった」


「叔父の末路を知っていたんですか」


「・・そうだ。 一度か二度、捜査では限界の在る事例に対して、彼に秘匿的な依頼をした事も在る。 なのに・・、もうあの事件には、首を突っ込まないと言ったのに、だっ!」


言葉を激しくした鵲参事官。


彼を映す木葉刑事の双眸には、色黒の顔に鋭い目を宿す鵲参事官が居る。 そんな相手を見て、木葉刑事は理解する。


(叔父さんは、何かとてつもない霊を追ったんだ。 それは、もしかして・・これから自分の追う…)


何故か、色々と飲み込めた気がした木葉刑事で在り。 鵲参事官を見て、木葉刑事は思ったままに。


「自由に動ける許可を出して頂き、感謝致します。 今は、追うしか出来ませんが。 何が出来るか、考えてみます」


頭を下げた木葉刑事を見た鵲参事官は、目を緩めず。


「出来るなら、後の事も在る、死なない様に頼む」


「はい」


そして、ドアに向かって歩き、ドアへ手を掛けた鵲参事官だが。


顔だけ横に向け。


「一応、君には教えておこう。 一昨日、或る大学病院から連絡が入った。 あの首を切られた被害者に、結婚資金を持ち逃げされた女性が居るらしい。 だが、精神的に病んでいるらしくてね。 彼女の言っている事が妄想なのか、それとも事実なのか。 医師にすら良く解らないそうだ。 円尾一課長は、密かに捜査員を遣わして事情聴取をしたらしいが。 どうもその聴取からは、決定的と言える手掛かりが得られなかったらしい。 君なら、どうする? ま、君に相棒として佐貫捜査員を付ける。 二人で、遣れる所までやってみてくれ」


自分以外に、当該機関で霊の存在を認識する者が居ると解った木葉刑事。 自分がどうなろうと、後を引き継ぐ誰かが居ると知った。


そして、亡くなった叔父の最後の顛末を聴いて。


(そうか、叔父さんも……)


何故か、軽く後ろを視た木葉刑事だった。



          4



木葉刑事は、警視庁の車にて都内を病院へと走っている。 あの警察庁から来た鵲参事官は、木葉刑事を自分の手足として指名し、一課長に指示。 その結果、木葉刑事は個別捜査を許された。 基本的に捜査会議に出た後は、この事件捜査にだけ一緒に組む事となる年輩の男性刑事と一緒に、自由な捜査をしていいと云う。


鵲参事官からの情報として、とある女性が本件での重要人物として或る病院に入院していた。 被疑者として最も濃厚な人物な為、収監に近い形の入院だ。 だが、彼女には弁護士が既に付いていて、普通ならば退院をしていても可笑しく無いのだが。 女性本人の心身がかなり乱れていて、医師と本人の希望から入院を継続している状況だった。


晩秋の涼しい冷えた風が都内を吹く。 晴れているが、雲も目立つそんな空模様。 昼前に病院へ着いた木葉刑事は、助手席に座る人物へ。


「着きました。 此処です」


「ん〜〜」


ヨレヨレの黒いスーツの上着に、折り目も消えたズボンを穿き。 “警視庁”の文字が消え掛かった青いジャンパーを着る男が応えて車を降りた。 手をジャンパーの脇ポケットに入れ、無精髭を生やしたやや猫背な年輩男性は、木葉刑事と肩を並べてタワー型駐車場から院内通路を病院に向かって行く。


「ふぅ、然し驚いたよ。 いきなり待機番から呼び出されたと思ったら、お前と組まされるとは、な」


シワの深い目尻。 白髪の混じる艶の無い髪は、適当にオールバックしたもの。 うだつの上がらなそうな草臥れた年輩の男性は、並ぶ木葉刑事にこう言った。


「佐貫さん、面倒な俺と一緒でスイマセン」


「援護する待機番の筈だったのに、いきなりの命令だ。 全く、訳わからねぇぜ」


物言い、態度、表情、何処を見てもやる気の無さそうな佐貫刑事だが。


「で? これから訊ねるのは、何方様よ。 被疑者かい?」


「今の処、捜査本部が一番重要と見ている女性ですね」


「“被疑者”じゃねぇ〜〜か。 何で逮捕“パク”らねぇンだ?」


「容疑が曖昧だから、ですかね。 詳言だけ聴けば被疑者かも知れない人物ですが。 もしかすると、“一番重要でない人物の聞き込み”、かも知れないですよ」


「ふぅ〜ん」


この時に佐貫刑事は、横目で木葉刑事を確認した。 これから被疑者を問い詰める様な雰囲気は、彼から微塵も感じられない。


病院に入った二人は、警察に女性の事を通報して来た女性の精神科医師と面会した。 中年の女性医師は、短期間に何度も刑事と面会してか。 木葉刑事や佐貫刑事に対しての態度が少し協力的な様子が無くなって居る。


一緒に、背が高い老人の様な男性弁護士が同席していた。


木葉刑事は、女性医師へ。


「何度も来て、訊ねるのは此方の仕事なので、お手数をお掛けします。 さて、入院された関係者は、どうして通報される経緯と成ったのでしょうか」


すると、弁護士の男性が何かを言おうとするも。


「あの、尋問ではないので。 経緯の説明は、通報されたご本人から聴きたいのです。 すみませんが、先生ご本人からお聞かせ下さい」


木葉刑事が入るのを遮り、女性医師に手を向ける。


入院している関係者の女性とは、殺害された男性より結婚資金を持ち逃げされた女性だ。 首を捻って切られたあの男から金を持ち逃げされた被害者女性は、この病院を受診して、この女性医師に全てを打ち明け。 夜な夜なに近付いてくる恐ろしい女性から守って欲しいと訴えていた。


“私っ! 本当に見たんですっ!!!! サトルがっ、首をあの女性に絞められている所をっ”


今、その女性患者は毎夜毎夜を寝られず不眠から精神の衰弱が見られる為、眠剤を含む鎮静剤の効果で寝ているので。 この女性医師が証拠として撮ったビデオカメラの映像で、彼女の訴えを観せてくれた。 その訴える内容を見聴く木葉刑事と佐貫刑事。 夢で、では無く夜中に見て来た事の告白から始まり、続けて医師からの質問の最中、終始に亘り落ち着きが無く怯えている彼女。 人を殺した事の動揺と見えなくも無いが……。


(どう見ても、この女が犯人“ホシ”じゃねぇ〜のか?)


困った顔の佐貫刑事がビデオカメラの映像を見ている中で。


手帳を開く木葉刑事は、女性医師へ。


「先生。 彼女の供述から、その夜中に観えたとなる男性が殺害された映像が現れた時間は・・分かりますか?」


「患者の彼女が言うには、日曜日の夜中だと」


(殺害時刻と、重なるか)


メモを取る木葉刑事は、また。


「彼女は、何度も映像が現れたと言ってますが。 この映像は、何日間ほど?」


「患者の詳言が、精神の錯乱から少しハッキリしません。 ですが、少なくても1週間ほど前より観えていたか、聴こえていたと思われます」


「今の映像の中で、彼女は頻りに“窓”と繰り返していた様に見えました。 窓とは?」


「寝室に使っていた部屋の、ベランダに出れる大きな窓に映像が現れると言ってました」


「ベランダ・・ですね? それから彼女は、どうして今も鎮静剤を投与されているんですか?」


「あ、それは……」


女性医師が、弁護士の男性を見る。


木葉刑事は、何か個人的な事が関係しているのかと。


「関係者の人物は、何か病理的な疾患でも?」


見られた弁護士の老人男性は、少しムスッとしながに医師に頷く。


「実は、我々の判断で彼女を入院させているのには、理由が在ります」


「どんな?」


「それが、先程の映像の内容と一部被りますが。 真夜中の1時前後に成りますと、これまでに何度も詳言に出てくる不気味な女性が、殺害された男性の頭を持って動いていて。 然も、患者の彼女を捜している様子が観える、と云うんです」


「何処に見えるんでしょうか。 もう自宅のアパートでは無いですよね?」


「あ、それがですね。 ベットの金具とか、部屋の窓に……」


全く馬鹿らしいと感じる佐貫刑事は、呆れた気持ちをあからさまに顔へ出す。


木葉刑事は、まだ流れる関係者女性の詳言する様子の映像を横目にし。


「それは、先生の所見からして思い込みの・・妄想の中の事では?」


「・・はい。 だと、私は思いますよ。 刑事さん」


女性医師は、そう言った後に続けて。


「ですが。 精神科の医師として、色々と考える処は在りますが・・ね」 


「と・・申しますと?」


踏み込んだ木葉刑事へ、女性医師は不思議な点を上げる。


〇一つ、彼女が怯え始めるのは、必ず夜中の1時前後。 時計を常に見てい訳でも無く、また目覚ましを掛けている訳でも無いのに。 同じ時間に狂い無く繰り返す事から、再現性の有る経験や記憶が関わると思われる。


〇二つ、怯えているのは、必ず鏡や金具など映るものを見て、だ。 何かの姿が映り込むものに対して、とても恐怖を感じている。 また、第三者は解らないが、音も聴こえているらしい。 夜の薄明かりの中では気付き難い様な場所でも、映るものを察しているかの様に振舞っている。


〇三つ、彼女の観る映像の話は、非常に現実的で。 日時や頃合いが、妄想とは思えない。 この数日に語る話は、三鷹から彼女の生活圏となる場所に近付いていて。 ゆっくりとでも近付いている様を、刻刻と見ていたかの様に語っている。


これに加えてまた、日に日に彼女の怯えが酷くなり、精神的に追い詰められているらしい。 嘘や演技にしては、度が過ぎていると思えるとか。


粗方の話を聴いたと感じた佐貫刑事は、席を立とうかと思った。 処が、木葉刑事は医師の女性へ。


「あの・・、夜中に関係者が怯えている映像とかは、有りますかね」


「いえ、今は、其処までは・・。 どうしても必要なら、映像を残せる部屋に移しますが?」


「もしかして、殺した罪に苛(さいな)み。 罪を告白しているかも…」


この意見に、女性医師と男性弁護士の表情が別れて一変する。 そして、真っ先に弁護士が。


「それは、プライバシーを侵害します」


すると、木葉刑事はやんわりと。


「いえいえ、先生と関係者の同意は大前提です。 ですが、関係者が観ている様子は、後に裁判と成った時に必要と判断されるかも知れませんので。 其方も、潔白を示す為には必要かも」


「まだ、被疑者と成った訳では無い」


「では、どうして被害者の殺害時刻と関係者の詳言が一致するのでしょうか? 殺害現場の洗面台には、被害者が亡くなった事を示す時間の表示が残っていたとか」


「そ、それは……」


まだ解明はされていないが、関係者の詳言が被疑者と言われても仕方の無い情報が出て。 弁護士が口を濁す。


「ですが、不可解な状況や証拠も在ります。 此方も、彼女を本件の被疑者とは、まだしてませんよ」


こう言った木葉刑事は、佐貫刑事に。


「じゃ、行きますか」


「おう」


部屋を後にした木葉刑事に、ドアを閉めた佐貫刑事が。


「お前、事件の解決数はトップ3に入るって聴いたが、優しい対応だな」


「いやいや、彼女が入院して数日。 警察に通報が来ても既に2日、もう別の同僚が話を聴いてますからね。 犯行のあらましが彼女の仕業とすら解らない今、弁護士の前で下手に刺激する様な事は避けるべきかと」


「なるほど、関係者の上に弁護士が同席じゃないと話も聴けないしな」


「精神の乱れは、あの映像の通り。 こちら側の強引な容疑だけで確保したら、どんな理由でひっくり返されるか解らないッスよ」


「言えてらぁ。 だが、なぁよ」


「はい?」


「患者のあの女は、殺害された被害者の当時の様子を克明に語ってるって言うんだろう? それならその線で身柄を抑えちまえばイイんじゃないか?」


然し、詰めは慎重にする方の木葉刑事なので。


「いやいや、それは不味いですよ。 医師が判断で病院に入院する程に神経を患っているんですよ? 強引に逮捕して拘留中に、自殺みたいな面倒臭い事をされたり。 取り調べの繰り返しの最中に、錯乱や具合悪くされたら・・、どうします?」


「あ~、今はそ~ゆ~のに煩いからな。 なら、どうするよ」


「本部に連絡して、患者の女性に、女性捜査員の見張りを付けて貰いましょう」


「おう。 で、俺達は?」


「彼女のアリバイを確かめましょう。 事件の夜に居ないと証明が出来れば、逮捕に繋げられます」


「なぁる。 至ってセオリー・・だな」


「えぇ。 早く解決すれば、疲れも少ないですよ」


「確かに、な」


車に戻るや木葉刑事は、班長“主任”の篠田に連絡をした。


«もしもし、班長»


«おう、木葉。 お前、自由捜査に回されたが。 今は、何をしてる?»


«はい。 例の病院に入院した関係者について医師から話を聴けまして»


«なぁにぃぉぉぉっ!»


電話から飛び出して来る篠田班長の怒声。 何故ならば……。


«木葉、医師から話が聴けたってか? 弁護士が着いて細かい状況は無理だっただろ? 手が足りないと、新人を回してトラブったと聴いたぞ»


篠田班長が驚くのも無理は無い。 既に、捜査員が話を聴いたのは事実だ。 然し、関係者の女性が極度の緊張から錯乱に近い状態で、最初の聴き込みは本人の話が聴けず。 昨日に2度目となる聴き込みをした処、彼女の父親が医師を経由して頼んだあの弁護士が着き。 3人向かった捜査員の中で、30前の若い捜査員が女性の態度を嘘として怒鳴った。 これが弁護士に悪い印象を与え、何かの進展が無い限りは面会禁止と言われた。 木葉刑事が面会を許可されたのは、鵲参事官の手配が有ったからだろう。


さて、映像の事を含めて事情を説明する木葉刑事に、篠田班長も慎重な返事を返した。


«おう、おう、そうか。 よし、木葉ぁっ! 裏付けは慎重にやれよっ! こっちからも長山と里見を回すっ!!»


耳をツンザく声がして、パッと携帯を離した木葉刑事。 それでも、携帯からは。


«聴いてるのかぁぁぁっ!»


「あ・・はい」


最後だけ小さく返事をして切った木葉刑事。


シートベルトをする木葉刑事に、同じくのんびりとシートベルトをする佐貫刑事が。


「で? 次は、何処だ?」


「葛西です。 関係者のアパートが在るそうです」


「資料は? カーナビでスイスイと行こうぜ」


鵲参事官の手配か、専用タブレット端末を預けられていた。


「そのタブレット端末で、本件の資料をタップして下さい」


「ほっ、警察も今やハイテク、ハイテクの導入だ」


午前中に大学病院を訪れて。 病院を出たのが午後の1時前。 それから、彼女の住まいと成る葛西に向かう。 車で向かう2人は、途中でドライブインの出来るファストフード店に寄り、休憩の出来る公園付近のスーパーの駐車場にてハンバーガーで腹を満たしてから、また走り出して都内を東へ。


食べている休憩中、仕事の愚痴を言ったりしていた佐貫刑事だが。 走り出してより少し黙った後、赤信号待ちにて。


「なぁ、兄ちゃん」


「佐貫さん。 ‘木葉’と、呼び捨てでいいですよ。 経験も、経歴も、佐貫さんの方が、ずっと上なんスから」


「そうか……。 なら、木葉よぉ」


「はい?」


「お前は、入院してる女が犯人だと、ちっとも思ってねぇだろう?」


「ん・・さぁ、どうですかね。 俺は、見込みや思い込みは、あまり好きじゃ無いんですよ。 アリバイや物証や詳言を一通り調べてから、被疑者かどうか考えたいだけです」


今時の若い刑事にしては、随分としっかりしてると感じた佐貫刑事は。


「なら、今の状況では、あの入院してる女には、容疑を向けないってか?」


「と、言いましょうか。 被疑者として断定するには、急ぎ過ぎと思えるだけですかね」


「何でだ?」


「佐貫さん、そのタブレットで情報を確認してみて下さいよ」


佐貫刑事は、タブレット端末を起動して事件の情報を表情する。


「何が、引っかかってる?」


「全て、です。 入院した彼女の証言、検死報告、マンションの住民の詳言等を総合すると。 本件の事件が起こったのは、事件発覚の一日前。 日付が変わった、深夜1時過ぎだと考えられます」


「ん。 この情報からして、それは俺も同じだ」


佐貫刑事が、何故にこう言うのか。 実は、あの結婚詐欺を働いていた男性の殺害された現場のマンションの洗面台には、億ションならではの“ヘルスコンディションシステム”なるアプリが入っていて。 誰かが洗面台に立てば、センサーで反応してお湯の準備だの、体重計が起動すると在る。 事件発生の時刻には、不可解な数値の記録が残ってた。 被害者が風呂場に引きずり込まれた時に暴れた為と鑑識は考えているらしいが。 被害者が暴れたとなると、この不自然なデータと符号すると鑑識が報告している。 病院に入院した関係者の女性も、被害者の殺害時刻をかなり正確な時刻で詳言していて。 また、夜中に買い物へ出た同階の住人が、微かな異音を聴いている。 防犯映像からも、この住人の詳言の様子が報告されていて、死亡推定時刻はこの時と捜査本部は決めた。


「佐貫さん、死亡推定時刻より。 関係者の住まいと、被害者の住まいが問題です」


「入院した女が、葛西。 被害者は、三鷹・・な」


「そうです。 被害者の住まいが、三鷹。 入院した彼女が、葛西の近く。 東京でも、双方は結構な距離が離れてます。 時間に余裕を持たせても、バスの時間も考慮するに、関係者は到着にだけでも終電を利用する事が出来るかどうか解りませんし。 また、病院に入った彼女の所持品に、運転免許所が無い。 今の処、彼女が犯行時の前後数時間、移動したとの目撃詳言が全く有りません」


「・・本人が殺ったと考えると、これは…」


「えぇ。 彼女が犯人なら、電車やバスに頼らない移動手段か。 犯行時前後の間、現場に向かう前に潜伏する場所が必要です」


「まぁ、確かに、その通りだな」


「然も、此方側が納得の出来る殺害の手口がハッキリしてない」


「女の腕で人の首を潰して千切るなんて、まぁ超能力でもないと難しいわな」


「そうです。 寧ろ、病院に入院して貰えれば。 それを捜査員が見張っておけば、物証なり目撃詳言が出て来てからでも逮捕は確実に出来ます」


「居場所がハッキリしてれば、確保はしやすいよな」


「そうです。 寧ろ、自分が懸念するのは、共犯者が居るとか。 彼女を陥れる人物が居るとか。 その方が、コワいッスよ。 死んだ被害者は、前科20を超える結婚詐欺師。 彼を恨む人物は、何人も居ると見て間違い無いと思います」


「被害の解ってる額だけでも、3億。 1番高い被害額は、8000万。 結婚に、こんな金が必要かね」


「佐貫さん、お金だけじゃ無いッスよ。 或る男性は、漸く婚約までした女性を寝取られて、彼女が被害者に貢いだ金を用立ててたと言いますし。 生まれ持った障害で顔の作りが悪かった女性は、両親も纏めて騙されたと恥を描いてしまいました。 探偵を遣って調べさせていた女性も居ましたし。 被疑者を関係者の彼女に絞るのは、まだ勇み足ですよ」


薄目を開いて、木葉刑事を見る佐貫刑事。


「お前、若ぇ割に変わってンな~。 手柄を挙げる奴は、どっしりしてら~」


奇妙な半眼を向けられたと知る木葉刑事は、ヘラヘラした感じで。


「彼女を含めて人が首を締めたなら、遺体に着いていた指紋が照合でハッキリしますよ」


すると、佐貫刑事は。


「だが、聴くにその辺の調べを他人に任せるなんざ、手柄を欲しがってる様には見えねぇな。 処でお前、あのお偉方と何か在るのか?」


鵲参事官との親密な関係を勘ぐられた木葉刑事だが。 然し、何も無いので。


「手柄を欲した事は、一度だって無いッスよ。 偶々だったり、組んだ相手が良かっただけッス。 あの鵲参事官も、今回で初顔合わせですね。 何で、この事件に首を突っ込んで来たのか、自分には解らない事だらけです」


「ほぉ、初めて・・な」


「佐貫さんは、何だって鵲参事官と?」


「あの人がまだ理事官や管理官をしていた頃に、何度か顔を合わせたんだ。 俺は、直に正式に発足する継続捜査係に行くらしいから、それまでは応援の待機番に回された。 まぁ、暇人だから遣い易い下っ端なんだろうよ」


「じゃ、万が一に自分と一緒して事件を解決すれば、また一課の何処かの班に返り咲きしたりして」


木葉刑事の話に、目を瞑った佐貫刑事。


「はっ、そんな訳が或るかよ。 お前こそ、今回の組んだ相手はサイアクだぁ。 やる気が半分も無い、俺だからな」


その応えに、柔らかく笑った木葉刑事だったが…。 関係者のアパート近くにて、応援で来た捜査員と合流する。 新たに聴けた医師の用意した映像の情報も頼りにして、聴き込みや新たな防犯映像の回収に動いた。


それから三日後。


朝の捜査会議を終えた佐貫刑事は、目頭を揉みながら残って座る。


「あ゛~~、スライドやら映像を見るのに、眼鏡が辛い」


横で、仕事用のスマートホンに、会議で話された事を記録する木葉刑事。


「佐貫さん。 何だか、一筋縄では行かない事件ッスね」


そんな落ち着いた木葉刑事を脇で見る佐貫刑事で在り。


「なぁ、木葉よぉ」


「はい?」


「お前は、こ~なる事を予測してただろ?」


「いえいえ」


「ホ~ントかぁ? 他の刑事は、みんなピリピリしてやがるのに。 お前だけは、ま~るで余裕じゃないか」


「ま、余裕では無いですがね。 ただ、班長“主任”や一課長が言う様に、彼女が入院まで見越して殺した犯人なら。 複数の防犯カメラの何処にも映ってない辺りからしても、相当な計画殺人って事。 被疑者、被害者の何も知らない所から捜査するこっちは、それだけ労力を必要とするのは・・・当たり前なんじゃないですか」


「ふん・・、なるほどね」


そこで、記録する手を止めた木葉刑事は。


「でも、仮に彼女が犯人だとしても、あの怯え様は何なんデスかね。 心神耗弱や心神喪失を狙うにしては、日に日に酷くなる様子の演じ方が、神懸かり的に巧すぎる」


先程、病院から届いたこの三日間の彼女が怯える様子を観たのだが。 喚いて泣き、次第に怯える様子が尋常じゃなかった。 今にも‘発狂’しそうな様子が、誰の眼にも解る。


そして、彼女を犯人と絞ってみた捜査本部なのだが。 遺体に着いた指紋と、彼女の指紋は一致せずとなるし。 犯行当日やその前後の日まで調べを広げても、アパートから彼女が出て被害者の元に向かう様子は、全く何処の防犯映像にも映ってない。


有力な詳言は得られないまま、聴き込みは他の捜査員に任せるとなり。 監視カメラ、防犯カメラの映像を見る事ばかりに、2日間を費やした木葉刑事と佐貫刑事だが。 彼女が実行犯として繋がる行動が全く浮いて来ないのだ。


また、彼女のアリバイを詳言する者が複数現れた。 隣の部屋の住人に、下の部屋の住人。 そして、少し離れた部屋の住人である。


先ず、隣の部屋、下の部屋と成る住人は、被疑者の彼女が立てる物音や声を良く覚えていた。 然も、その詳言が、彼女が病院に来て映像が見える様に成った話とリンクする。


“隣の部屋の女があの日の夜中に部屋に居たのは、間違いないと思うゼ。 何か、スゲェ~悲鳴を上げてたから”


“この数年、寧ろウルサかったのはこっちだと思うけどね。 あの数日間は、ビックリするぐらいに小さな音がしてたわ。 彼女は、一人暮らしだから通報しなかったけど。 同棲相手が居たなら、完全にDVの域の物音よ”


下と隣の住人は、殺害の有った日だけでは無く。 数日に亘って、彼女の部屋から物音や声がしていたと、こう詳言する。 ‘防音’がウリの、彼女のアパートだったが。 その性能は、‘消音’と云うよりは、‘小音’の程度。 激しく動けば、ドタバタと小さい音がするし。 叫び声を上げたりすれば、それなりに小さくも聞こえる。


事件前後から入院した彼女が不審な行動をしていたのは、これで確かめられた。 弁護士は、彼女に犯行は無理で在り、結婚資金を持ち逃げされて心理的に追い詰められたから精神を患い、不審な行動や妄想から幻覚や幻聴を聴いたと。


そして、捜査本部を意気消沈させる詳言が昨日に齎された。 犯行の有った夜。 彼女の住むアパートに同じく暮らす住人で、ホステスをする女性二人が、夜の仕事から終電で戻って来た時。 アパートの側面に面して沿う、歩道を行く帰り道。 窓に縋り付いたり、何かを探してベランダの外へ出てきた関係者の彼女を、二人は見ていたのだ。 彼女は、何かに脅えて声まで出していたから、部屋に居た事は間違いないと言う。 然も、日曜日の夜中と、月曜日の夜中にも同じく見掛けた他の目撃者も現れた…。


彼女の存在を見た目撃詳言が多く、これで彼女のアリバイは確定した。 彼女のアリバイを証明する多数の詳言は、崩せるモノでは無い。 これが法廷で証言となれば、確実に彼女は無罪と判断されると検察も言って来た。 事実上、捜査はほぼ振り出しへ戻ったと見て良い。 これからは、被害者に騙された者、被害者と同棲していた自称“スーパーモデル”なる関係者の不在証明“アリバイ”を調べる捜査が主軸に成ると思われた。


この決定に、捜査員達も頭を悩ませている。 廊下に出た所に居る捜査員達は…。


「なぁ、あの入院した関係者は、真っ白なんだよな」


「当たり前だろう? 第三者に依頼した形跡も無いって云うんだ」


「大体、最初っから決め付け過ぎてないか? あの犯行を女がどうやると、あんな殺し方が出来るンだよ」


「広縞の事件で、前の方々も疲れ切ってるからな。 こんな事件が度々に発生されちゃ、指揮も大変だろうさ」


「さて、関係者の聴き込みに行こうぜ。 騙された被害者の数も、頭痛がしそうな位に居る」


「さぁ、こっちは死んだ被害者の裏を当たろう。 解って無い詐欺被害も、まだまだ在りそうだ」


この数日の捜査が無駄だったと、捜査員の気力が萎えている。 だが、解った事は多い。 彼女が犯行に及んだと思われる行動に関する詳言は、犯行当日を含め何一つ無い。 彼女が被害者の殺害についての情報を知ってさえ居なければ、こんな空振り捜査をする事は無かった。 彼女の携帯には、既に連絡番号の変わった被害者の連絡先しか無く。 彼女の供述を裏付ける様に、被害者のマンション周辺に於いて彼女が、被害者の住んでいるマンションを突き止めた形跡すらない。 PCの中身を調べても、この関係者が委託殺害はおろか、探偵に被害者の調査をした事実も無い。


何より、関係者の彼女の事を医師から聴いて篠田班長へ連絡した木葉刑事が。


“被疑者を彼女と決めつけるのは、早いと思います。 騙された被害者を全て、重要参考人と考えて捜査すべきです”


と、云った様に。


被害妄想で彼女が可笑しいのに、事件に関する決定的に情報を持っていた。 その為に、一課長も、管理官も、彼女を被疑者として徹底的に調べると決めたが。 アリバイがハッキリしてしまうと、もう被害者に騙された複数の女性へ視野を広げるしか無いとなるのも当然だ。 また、一からに近い捜査が始められた。


さて、本日も木葉刑事と自由捜査に成る佐貫刑事は、他の捜査員から少し遅れて駐車場に向かう木葉刑事を不思議そうに見て。


「お前の見込み、当たってたな」


「何処まで調べ掘り下げられたかは、解りませんが。 やはり、あの関係者の直接的犯行は無理と解りましたね」


さて、駐車場を行く佐貫刑事は、どうも体調が優れないのか。 首を揉んだり、顬を揉んだりしなから。


「しっかし、よ。 あの犯行時当日の現場の部屋前の廊下と、前日と後日のマンションの外観やオートロックの入り口だか」


「はい」


「あの防犯映像を見る度に、胸騒ぎや吐き気が来るんだわ。 もしかして、映像の中に幽霊でも映ってるんじゃないか?」


佐貫刑事の唐突な話に、木葉刑事は彼へ顔を向け。


「幽霊・・ですか。 犯人が幽霊なら、この事件は迷宮入りッスよ」


すると、佐貫刑事が前を向き。 


「木葉、お前も知ってるかも知れんが、幽霊ってのは確かに居るぞ」


と、小声で言うではないか。


不思議そうな眼をした木葉刑事が、佐貫刑事に横顔を合わせると。


「木葉よ。 お前の叔父さんは、確かに視えてたぞ」


この話には、本気でちょっと驚いた木葉刑事。


「佐貫さんは、恭二叔父さんの事を知ってたんですか」


「まぁ、な。 最初は、俺がまだ所轄の刑事時代に組んだ。 あの時、向こうは既に‘ソウイチ’(警視庁捜査一課)に居たが。 当時の俺は、まだ渋谷の警察署に居たからさ。 ‘ショカツ’と‘ソウイチ’の関係で、色々と在ったのよ。 その後も、俺がこの捜査一課にきてからも、何度か、な」


「はぁ、なるほど」


自分も警察官だ。 こう言われると、粗方の成り行きを理解した木葉刑事だが。


(恭二叔父さんと・・ね。 他にも知ってる人が居るけれど、捜査一課で面と向かって言われたのは、数日前の鵲参事官が久しぶりだった)


久しく叔父を思い出す木葉刑事は、まだ学生時代に叔父と何度か会った事を思い返していた。 中学生の頃からバイトをしていた木葉本人で、両親が学費以外は何もしてくれなかったが。 小遣い等は、叔父がくれていた。 また、同じく霊能力が在り、刑事の捜査に役立てて居る事も教えてくれた。


“舜。 霊感は、誰にでも在るのさ。 普通は、一瞬として繋がる時に感じたり、視えてしまうだけ。 私やお前の様な者は、警視庁でも1人か、2人だ”


郷里に戻った叔父が繁華街ファミレスに連れて行って、痩せた木葉刑事に色々と頼んで食べさせながら教えてくれた。 幽霊に纏わる、様々な話し。 だが、警視庁に来るまで木葉刑事は、幽霊と関わり合うのが嫌だった。 然し、視えてしまうし、幽霊が事件の解決に結ぶ何かを示して来る。 幽霊を早く視ないで済む様にしていた事が、何でか手柄に繋がってしまっていた。


そんな彼が、何故に変わり。 そして、警視庁に来て今の様に成ったのか。


だが、今はそんな事は横に置くべきだろう。 木葉刑事は、既に殺人を犯した者の姿を視ている。 勿論、病院に入院している彼女では無い。


実は・・・、佐貫刑事の感想が物語っている。 木葉刑事には、ハッキリと視えるのだ。 犯行の行われる前日に、被害者の住むマンションの入り口へと踏み込む不気味な姿の人物が。 ガサガサした髪の毛を振り乱した、足を引き摺る様な歩みの者。 だが、防犯用の厚いガラス扉を難なく擦り抜けて行くので、明らかに生きている者ではない。 被害者を殺した者とは、事件の四カ月ぐらい前には既に殺されていた女性で在る。


車に着いた木葉刑事は、


「流石、先輩ですね。 色々と知ってらっしゃる」


と、ロックを解除する。


ドアを開ける佐貫刑事は、ジロっと木葉刑事を見返すと。


「お前は、叔父さんよりタヌキだな」


「褒め言葉と聞いときます」


車に乗り込む佐貫刑事は、シートベルトを締めながら。


「で? 今日は、何処に行く?」


「先ずは、もう一度、関係者のアパートに」


「はぁ?」


佐貫刑事を連れ立った木葉刑事は、入院した彼女のアパートにまた向かう。 大家さんから鍵を借り、部屋の中を確かめる。 一度、既に家宅捜索‘ガサ入れ’は入っているから、何でもかんでも持ち去る事は出来ないのだが。


彼女が、連休前から毎夜に亘って、奇妙な映像を見ていたと云う窓。 昼前にその窓を見るのは、木葉刑事だ。


すると、軽く部屋を物色する佐貫刑事が。


「部屋の主の彼女よ。 病院に駆け込む前に、神棚だの、盗聴器発見器だの、盛り塩だの買ってたみたいだな。 何かに怯えてたのは、確かみたいだな」


黒いモヤモヤとした嫌な気配が蟠る窓。 それを見詰める木葉刑事は。


「何でしょうかね、それって。 少なくとも理由は、殺された被害者・・じゃ無いみたいですよ」


「だよな。 自分が殺したなら、怯えるのはヤった相手だ。 然し、あの女が怯えているのは、詳言からすると。 殺害された男の、行方不明と成った首を持つ何者か・・だ」


「彼女が犯人なら、殺した自分を言わない代わりに。 自分を投影した仮想的な闇の部分を、そう云う事も在る…。 お医者さんは、そう言ってましたがね」


廊下との狭間となるドアの内側に、半紙を折って置かれた盛り塩を見た佐貫刑事は。


「だが、アリバイが、南京錠より丈夫にガッチリしてる。 然も、現場に残ってた微物の報告書の内容は、お前だって聴いただろう?」


「はい」


もう見る場所が無いと、キッチン前の壁に備わるカウンター前にて。 女性用のストゥールに座った佐貫刑事で。


「廊下と風呂場に落ちていた水滴は、水質から河川の水。 然も、埼玉寄りの川の水だって云うし。 砂の異物も、マンション周辺の物だけじゃ無く。 都内数ヶ所の砂としか、鑑定が出来なかった。 入院した彼女の衣服、靴なんかに怪しい点は無いし。 犯行時も、その前後も、アリバイはハッキリしてる。  事件現場までの当日の防犯映像に姿は無く、タクシーやらレンタカーの使用も無い。 つまり、あの入院してる女に犯行は無理だ」


聴いて居る木葉刑事は、これまでの捜査経緯の総括と想うと。


「ですね。 所で、佐貫さん。 ・・この窓を佐貫さんは、どう見ます?」


木葉刑事の話に、佐貫刑事は嫌々な素振りで。


「俺は、この部屋で、その窓が一番嫌いだ。 薄気味悪いったら有りゃしねぇ」


こう言う佐貫刑事だが、本人も何故に気味悪いのか解らないと云う。


だが、木葉刑事の見ている窓には、或る‘異変’に近いものが存在していた。 部屋側の内側にはベタベタと指紋が付き。 更には、何かの液体が飛び散り乾燥した痕跡が残っている。


(この部屋側の窓の内側に見える痕跡は、科捜研からの連絡では、彼女の唾液や涙だった。 大量の指紋と唾液や涙から見て。 彼女が詳言する様に、窓に映像が浮かび上がって、その映像に対して感情をぶつけたと云う事が判る。 だが…)


木葉刑事が、実に不可解と思うのは、部屋の外のベランダ側。 詰まりは、窓の外側なのだ。


- カラカラカラ……。 -


窓を開く木葉刑事は、良く晴れた晩秋の風を受ける。


然し、其処へ佐貫刑事より。


「木葉よぉ。 処で、その外側の跡は何だぁ? その薄っ気味悪りぃ跡は、彼女のモノじゃ無いって言ってたな。 あの女、騙された男以外にも、ストーカー被害を受けていたんと違うかぁ? 写真で見た可笑しくなる前は、中々の美人だしよぉ」


胸くそ悪そうに佐貫刑事が言う話をそのままに。 窓の外側から覗く人影の様な、モヤっとした形の跡が在る。


「ですがね、佐貫さん。 このベランダに入るには、左の角部屋と成る以上は、非常用の梯子で登るか。 ベランダの間に在る、あの仕切りの壁を超えなきゃイケません」


「まぁ、な」


「このアパートに住む住人がストーカーって云うなら、まだ解りますが。 もし違うなら、住人でも無いストーカーが、どうやって侵入を? それに、恐怖を誘う映像を見せたり、被害者を殺す所を見せるって云うのも…」


久しぶりに、昨夜は帰ってシャワーを浴びた筈の佐貫刑事なのに。 オーデコロンを付けた頭を中指で掻きつつ。


「迷宮、もう迷宮だ」


と、投げ遣りに言う。


然し、まだ捜査開始から半月と時は経っていない。


「佐貫さん、諦め早いッスよ」


「ウルセェよ。 お前の叔父さんみたく、幽霊に話を聴けりゃ~いいのによ。 こんな不気味な変死事件、人間が解決を出来るかってんだ。 小説の中なら、幾らでもトリックだ~科学だ~っていちゃもん付けれるが。 現実は、そんな甘くねぇっ」


と、言い切る。


窓を閉めた木葉刑事は、寝室とリビングの戸締まりを確認してから。


「さて。 もう一度、入院している彼女に直接会ってみましょうか」


と、佐貫刑事の前に立つ、木葉刑事。


また、老けた渋い顔で、若い木葉刑事を見上げる佐貫刑事。


「あの狂い掛けた女に、事情聴取なんて……」


「でも、殺害現状の様子や殺害の様子を見た、唯一の人物かも知れません」


「はぁ? 木葉ぁ、お前は一体・・何を捜してる?」


「何って、犯人と証拠ッスよ」


木葉刑事に振り回されている感じの佐貫刑事は、無駄足をしていると困った。


同日、午後2時半頃。


某大学病院に来た木葉刑事と佐貫刑事は、見張りに付く女性捜査員に会った。 ポニーテールにした黒髪を背中に流す30歳前後の女性捜査員は、素っ気ない様子を二人に表し。


「誰の許可か、事情聴取の許可を取ったらしいけど。 あの様子じゃ、恐らく何も聴けないわよ。 最初は、嘘吐いて演技してるかと思ったケド。 あの怯え様は、異常だわ」


実は、2日前に一度。 厳しい表情のゴツい刑事二人が弁護士に掛け合って、また事情聴取に来たらしいが。 彼女の様子に手を焼いて、あれから誰も二度と来ない。 


「事情聴取する間は、弁護士さんと佐貫刑事が一緒だから。 其方は、トイレとか、自由にどうぞ」


木葉刑事の配慮に、女性の警護課刑事は手をクルクル回し。


「それは有り難いわぁ〜。 ゆ~っくりさせて貰うわよ」


この女性捜査員は、警護課に所属する人物で。 他の女性職員からの噂では、かなりイケメンの彼氏が居るらしい。 この休憩の間に、そのイケメンさんにでも電話でもする気なのだろう。


さて。 担当の准教授なる小太りの男性医師に、弁護士を同席して二人が案内されたのは、真っ白な部屋で。 内側の廊下に面した壁の間、1メートル程の間隔が格子扉と成る変わった部屋で。 入院患者でも、暴れる者を誰かと面会させる特別な部屋らしいが…。


担当の医師と弁護士が立ち会いの前で、看護助手に連れられて椅子に座った彼女が待つ部屋。 そこに入る木葉刑事は、彼女の窶れ具合が酷いのを見て。


(不味いな。 こんなに窶れちゃって…)


会社から借りた慰安旅行の写真とは、全くの別人に変わり果てた彼女を見る。 髪の毛に艶も無く、笑顔が良く似合いそうな綺麗系の顔が、とても痩せコケてしまい。 虚ろに宙を見る眼が、死人の様だった。


2人は部屋に入って、佐貫刑事は間近の壁に背を預ける。 部屋の中ほどまで入った所に在る椅子に座った木葉刑事。


「その御様子では、まだ夜中に怖いモノを見てるんですね?」


すると、彼女の顔が縦に動いた。


「貴女のアリバイは、既に証明されています。 自由に成れる筈なのに、心がその悪夢に囚われてしまっている」


すると、彼女が涙を流し始める。


「わ、わ、解らない・・の。 あの・・・幻覚の意味がぁぁぁぁ…」


さて、椅子ごと木葉刑事は、彼女に更に近付いた。 見ていた医師は、何度も掴み掛かられているからか、これには緊張をした。


「刑事さん、それ以上は……」


だが、木葉刑事は彼女を恐れる事も無く。


「‘映像’と喩えたモノが部屋の窓に見える様に成ったのは、事件が起こった時の連休前、金曜日と聴きましたが?」


ガクンと、宙を見る様子から頷いた彼女。 涙が頬で乱れて下に落ちる。


「では、その映像が視える様に成った原点は・・・そこですか?」


木葉刑事が、この話を聴いた途端に。


「ちっ、違うのぉっ!!」


恐怖や混乱から来る衝動的な意識の乱れをそのままに、彼女が立ち上がって木葉刑事へと掴み掛かって来た。


胸ぐらを掴まれた様に成る木葉刑事で、医師と弁護士と看護士等が一気に慌てた。


(ヤベぇっ)


見て焦る佐貫刑事も、木葉刑事に寄ろうと背中を壁から離そうとする。


だが、‘違う’と激しく繰り返した彼女の眼を、真剣な眼差しにて見抜く木葉刑事は、


「落ち着いて。 貴女が暴れると、これ以上の話が聴けない。 貴女には、この態度が訴えかけだが。 他の人には、暴れている様に見えるんだ」


と、彼女を宥めた。


「あっ! あ・・あぁぁ…、ごめ・ん・・・なさい」


彼女が木葉刑事の話を理解して、掴んだ手を震えながら離した。


「さ、椅子に座って下さい」


とても落ち着いた言葉で、柔らかく言って返す木葉刑事。 脅えているが、人が多い部屋の中で彼女も少し冷静に成った様だ。 佐貫刑事には、そう見えた。 彼女が椅子に戻ると。


「その映像が見える様に成った、そもそもの原点とは? 貴女のご記憶からして、何時の、何処からですか?」


手帳を取り出して、彼女の話を聴く体勢に入った木葉刑事。


頭を片手で抑えながら、涙ながらに素直に語り始める彼女。 あの、残業帰りの雨の夜に在った出来事を話し始めた。 そして、先に映像では無く、声だけが先に聞こえてきていたと話す。


そして、その話をし終えると。


「昨日の夜中・・・、私の会社に・あっ・あのヒトが行ったわ」


「“あの人”とは、映像の中に視える女性らしき何か、ですか?」


「は、はい……」


「解りました。 出来る限り、此方も柔軟に捜査します。 夜は、相当に怖いでしょうが。 視ない様にして、悪夢から逃げていて下さい」


まるで知っているかの様に木葉刑事が言えば。


「しっ、しし・・信じてくれる?」


彼女の眼に、明らかな意識の戻った力が宿る。


頷く木葉刑事で在り。


「今の貴女を見て、危険なドラッグを遣っている訳でも無いし。 また、病気で地方の病院に入院している父親から、過去に虐待されていた訳でも無いんですから。 こうなる原因が、必ず何処かに在る筈。 我々は、刑事と云う立場からでしか、協力は難しいですがね。 遣れる事は、遣ってみますよ」


こう言う木葉刑事は、この彼女を被疑者扱いもしていなければ。 また、頭の可笑しい奇人や変人扱いもしていない。 それが彼女にも伝わったのか。


「ありが・・あっ・ありか・・とう」


初めて、協力者を得た様に。 彼女は泣きながら頭を木葉刑事へ下げて来た。


彼女に、二声・三声を掛けた木葉刑事は、その特別な部屋を出た後。 彼女を担当する准教授となる小太りの男性医師に、何故か掛け合った。


「刑事さん、中々の経験ですね。 あの女性を宥めるなんぞ」


年配の医師に言われ、恐縮した木葉刑事だが。


「すいませんが。 彼女の内面を探る上で、診察時に彼女が表現したモノとか・・・、在りますかね。 絵とか、文字とかでもいいんですが」


木葉刑事を不思議がる医師は、


「精神科の診断を良くご存知で、それなら在りますよ。 あの患者の恐怖の正体を探ろうと、此方も思いまして。 普段の担当の女性医師が、夜に見る怖い人と云うモノを、彼女に絵にして貰った奴です」


と、資料として保存する絵を持ち出して来た。


もう、捜査本部の誰も、彼女の事なんか考えて居ない。 それなのに、彼女の恐怖の根源について調べる木葉刑事の熱の入り様に、佐貫刑事は困惑する。


(何で、あの女の恐れているモノなんかを調べる? コイツ・・何を知ってやがるのか?)


医師が持ってきた画用紙に描かれた、‘彼女へ迫る人物’の絵に。 木葉刑事のみならず。 後ろから覗いた佐貫刑事も、度肝を抜かれてしまった。


入院した彼女は、ウェブデザイナーの勉強をする傍ら、イラストレーターに成りたかったらしく。 乱れた精神状態でもかなり上手な絵を描いていた。


「こっ木葉よぉ、コイツは…」


彼女は、金曜日に見た映像から、土曜日、日曜日、月曜日、火曜日と。 映像で見た場面を描いていた。 然も、精神的に描けなくなるまで、何が起こったのか分かり易く、イラスト画にしていた。


それを見た佐貫刑事は、事件現場の様子からマンションの外観までリアルに描かれていると解り。


「おいっ、木葉よぉ。 こっ、これって証拠に成らないか? こんなにリアルって事はよ、現場を見て描いたハズだよな?」


一応、頷いた木葉刑事だが。


「彼女が、この絵に当たる場所に居たと詳言か、防犯映像に映る姿が取れれば…」


と、しながらも。


「ですが、佐貫さん。 この殺害された夜の絵は、非常に不可解ですね。 リアルに描かれて居るのに、浴室の中が不鮮明です。 まだ殺害の手口も立証が出来ない今。 手掛かりには、十分でしょうが……」


「ならっ、裏を取ろう。 な、な、裏が取れれば、あの女が犯人だ」


その絵をスマートフォンに取り込んだ木葉刑事は、班長や一課長が要らないと言ったが。 彼女の夜の映像は、必ず記録して欲しいと医師に頼んだ。


弁護士も立ち会っていたが、これには明らかに困ったと顔を変える。 大きく無罪に傾いていた流れが、逆へと引き戻される思いだろう。


木葉刑事と佐貫が部屋を出る時だ。 老人と成る弁護士の男性は、木葉刑事へ近寄り。


「彼女は、もう無罪でしょ? まだ、捜査をするのですか?」


佐貫刑事は、それを無視して外へ。 一応の報告と、捜査をする旨を一課長へ言うのだろう。


だが、木葉刑事は、彼女の部屋の在る出入口とは逆の廊下を見た。


「捜査は、無実か、有罪か、それを明らかにする為のものです。 余計な疑惑は、早く潰した方が彼女の為でもありますよ」


「それはそうですが……」


「あの彼女の精神を乱すものが犯人に繋がっているとしたら、これも避けては通れないかと」


「・・・ん」


口を噤んだ弁護士は、コートを腕に出入口へ向かう。 これからの対応を考えるのだろうか。


考える木葉刑事に、別の人物が近寄った。


「どうだった? 何か、進展は?」


警護課の里谷捜査員が来た。


「まぁ、何となく的なモノは、ね」


「あら、彼女って被疑者になるの?」


「そうとなれば、貴女の仕事もひと段落しますかね」


「そうね。 チームから離れての任務も、終わる。 年末年始の予定は、立て易いわ」


「もう少しで答えが出ますよ。 それまでは、彼女の警護をお願いします」


「命令だから、それは任せて〜〜」


入院している彼女を狙う誰か、その存在が全く見えて居ない。 脅える彼女の妄想と周りは認識しているので、この警護課の里谷捜査員も余裕の警護と思っているらしい。 木葉刑事から離れる里谷捜査員は、足取り軽やかに奥の方に向かう。


(もう時間が無い。 あの霊が彼女へ迫る前に、何とか鎮めないと…)


木葉刑事も、出入口に向かって歩いて行く。


佐貫刑事と木葉刑事は、彼女の描いた絵を手掛かりにして捜査に動いた。


それから、また2日間。 彼女が絵を描いた風景に、彼女が居たかどうかを調べた二人だった。 手の空いた捜査員も来て、徹底的に調べた木葉刑事と佐貫刑事だが。 彼女が、被害者の周辺に行った事実が、やはり見つからない。


それ処か、鑑識より挙がる報告は不思議な事ばかり。


先ず、やはり被害者の男性の首は、人の手で握り締められ圧迫から千切れたと、科捜研が断定。 然し、そんな怪力の持ち主も、人間に居ない事が解る。 もし、それをするとなるならば、機械や重機を持ち込まねば成らず。 また、殺害現状は明らかに浴室なのに、そんな機械を持ち込んだ跡など微塵も無い。 更に、殺して首だけを持ち去るにしても。 オートロックのドアを潜らず、各階の廊下に備わる防犯カメラに映らずして。 どうやって入り、どうやって逃げ出したのか。 その侵入・逃走経路が、全く解らない。


共犯説、ストーカー説、委託殺害説、自殺説まで飛び出した捜査会議は、無意味なオカルト論争に近付いていた。


その会議中、一番後ろの席に居る木葉刑事と佐貫刑事。


「ふわぁ~。 こりゃ~もう捜査会議じゃねぇ~や」


呆れ顔の佐貫刑事は、欠伸ばかりを繰り返す。


代わって、黙って座る木葉刑事は、これまでに集めた映像をスマートフォンで観ている。


その真剣さが気になる佐貫刑事は、その様子を視界に入れて。


「木葉ちゃんよ。 この期に及んで、熱心に携帯を観てるじゃないか」


「えぇ」


「どうだ、なぁ~んか解ったか?」


「ま、確かな事は、何も…」


「ふっ」


鼻で笑った佐貫刑事だったが…。


被疑者らしき人物も浮かばす。 各方面の捜査が行き詰まって。 頼りたい情報も挙がらず。 会議の内容に非現実的なモノが上る。 そんな迷走する捜査会議が終わり、10時半過ぎに警視庁を出た二人。


「な、木葉ちゃんよ。 悪りぃが、朝飯を食わしてくれるか?」


「なら、ファミレスでいいですか?」


「いいよ~。 可愛い娘の居る所なら、何処だってオッケ~」


「解りました。 では、ちょっと離れた店にしましょうか」


「な~んで?」


すると、微笑む木葉刑事は悪戯っ子の様で。


「11時を過ぎれば、何処のファミレスも朝のメニューから、普通の全メニューに切り替わります。 今日は、肉を食いたい気分なんで」


すると、佐貫刑事も。


「あ~、この3日間。 秋のフェアだか何だかで、野菜と魚が中心だったものな。 確かに、俺も肉が食いたいや」


と、同意する。


本日は車を借りず、地下鉄に乗り。 桜田門からやや離れた駅の場所に在る、制服に定評の在るファミレスに来た二人。 窓側で、然もちょっと入れ込みの、奥の席に座った二人。


だが、今やファミレスのスタイルは、ウェイトレスが水とお絞りを運んで来れば。 後は壁や席に備わるタッチパネルの、注文機器を案内される御時世。


キレ・カワイイ女性の店員が消えると、


“既に操作には慣れたが恨み節・・”


と、ばかりに。 佐貫刑事はメニューを見ながらページを指で捲りつつ。


「ファミレスとキッチャテン(喫茶店)だけは、女の子がタダで見放題のハズなのによ~。 人件費が掛かるからって、オッサンの夢は取らねぇ~で欲しいぜ」


と、厚切りステーキの300gのセットメニューを頼む。


「確かに、俺が子供の頃に比べると、制服が際どく無くなった様な」


木葉刑事も反応した。


注文を終えて、佐貫刑事はタッチパネルの画面にて。 今日のニュースや天気予報をチェックし出した。


だが、木葉刑事は水を片手に、またスマートフォンを観る。


「なぁ、木葉ちゃん、よ。 お前さんは、何がそんなに気に入らないんだ? あの女には、犯行は絶対に不可能だって解っただろ?」


すると、頷く木葉刑事は、目をスマートフォンに落としながら。


「ですが、彼女の見た映像の話は、起点が彼女の帰宅途中と云う。 ある種の不自然さが在ります」


「おう。 然も、結婚詐欺師の野郎を怨んでただけで、声が聞こえた~だなんて。 今時、子供でも言わねぇ嘘だな」


「そして、先日に彼女が言ったのは…」


“昨日の映像で、私の会社にアイツが来た”


「と」


2日前に病院に行った事を思い出した佐貫刑事。


「確かに、そんな事を言ってたな」


「その詳言を点と線にすると…。 始まりの最初は、彼女の帰宅途中から、首を切られた被害者の元に向かって行き。 また、彼女の職場に戻る・・。 彼女の詳言を踏まえると、映像に見える何者かが次に行くとしたならば…。 それは、彼女のアパートかも知れませんね」


「ふむ。 もしかして、ストーカーが変な事した所為か? 催眠術とか、洗脳とかよ」


「さて、それは相手が見えて居ないので解りませんが。 とにかく、彼女の詳言が嘘でも、事実でも。 其処には、何らかの手掛かりが在ると思います。 もう、捜査は暗礁に乗り上げ気味ですからね。 虱潰しにでも、何らかから捜査をしないと」


「・・・」


木葉刑事を見ている佐貫刑事は、画面にニュースを流しつつも彼を見ていた。


そして、その日の夜更けだ。


シャワーを浴びた木葉刑事が、警視庁の仮眠室にて休むと言い。 別れた佐貫刑事は、何故か非常階段を使って地下の駐車場へ。


覆面車両が並ぶ中、一台の黒い公用車に近付いた。


黒いテープが窓に貼られた車両の、何故か後部座席に入った佐貫刑事は、


「今日の報告をします」


先に来て、車両に乗っていた後部座席の人物は…。


「うん、頼む」


と、短く言った…。




      5



11月、下旬と成った某日。 都内には真冬らしい木枯らしが吹いている。 さいたま市と東京都の狭間に、趣有る姿の建物を構える某大学病院では。 晩秋の柔らかな日差しを受け、看護士達が歩く専用歩道が温かく見えた。  入院している患者さんが気分転換に外へと出れば、大抵が通る短い散歩コースが在るのだが。 色づいた公孫樹や葉の落ちた桜などが、緩やかに蛇行した散歩コースの通り沿いに並ぶ。


さて。 その庭内の歩道の途中にあるベンチに、風の影響からハラハラと枯葉が舞い落ちていた。


すると、其処へ。 老いが絶妙に味わい深く漂う、初老の男性が来る。


(どうやら、秋も終わりに近付いているね。 紅葉の見頃も、盛りを過ぎた様だ)


外科医の准教授・越智水医師は、前日からの夜勤勤務で病院に泊まり。 昼過ぎの今は帰宅するべく紺色のロングコートを羽織り、右手脇に書類の入ったファインダーケースを抱えていた。


(私は、後どのくらい。 この道で、四季を感じられるだろうかな)


この数年で徐々に年齢にはやはり勝てないと解り始めた。 そして、勝つ必要も無いと理解した。


“時代は、流れて変わる。 代わる。 替わる…”


様々に移ろう時代の中で、一人の人間が意固地に地位の席へと居座る事が、返って革新を遅らせる。 そんな自身の進退を考える今日この頃。


落ち葉を横に退けて、ベンチに座った越智水。 その視界の中で、枯れ葉が風に飛ばされて行く。


(さて、今日はどの道を帰ろうかな)


遠い目をして、リハビリをする若い患者とそれを支える看護士の様子を見た。


其処へ。


「先生っ、越智水先生っ」


一時の短い忘却の時を遮って、若々しい女性の声が彼を現実に呼び戻した。


越智水は、穏やかな動きで声の方に顔を返した。 すると、看護師に車椅子を押され、散歩に連れ出た患者を避け。 白衣姿の女性が、此方へ走ってくるのが見えた。


「おぉ、順子クンじゃないか」


やって来るのは、小柄な身体で白衣を羽織る女性だ。 名前を‘清水 順子’(しみず じゅんこ)と云う、若い医師である。 開かれた白衣の前では、青いニットセーターの胸元がたっぷりと揺れている。 女性らしさの部分だけはグラマラスな肉体を持つ女性で、彼女を好いている男性職員は多いと、越智水にも噂が耳に入っていた。 賢そうな印象を受ける大きな瞳で、髪は黒くポニーテール。 何時も、彼女はこの髪型だ。 目元に、涙の様に黒子が二つ流れて着く。 これがまた、とても男受けする理由らしい。


「はぁ、はぁ・・・よ・・よかった~。 ま・・まだ・・、お帰りでは・・なくて。 はぁ~」


越智水の座るベンチ脇まで遣って来た彼女は、息もそこそこ荒い。


越智水は、緩やかに笑って。


「どうしたのかな? 神経内科の美人エリートが、こんなおじさんに、デートの申し込みでも?」


すると、息を整えた順子は、越智水を斜めに見降ろして。


「あら、ご謙遜を。 先生なら大人の魅力が溢れてまして、十分に圏内ですわ。 私、同い年には興味少ないんで」


まんざらでも無い様子の順子。


だが、越智水には、妻子も有る。 そして、不倫を喜ぶ人間でも無かった。


「あははは。 じゃ~妻に捨てられたら、君にアタックするとしようかな。 処で、随分と急いでいたみたいだが。 何か?」


すると順子は、先ずは笑って。


「なるべく、私が若い内にお願いしますね」


と、冗談にして返してから、真顔に成り変わり。


「先生。 実は、私の友人が勤める病院で、昨夜にとんでもない事が起ったんです」


医師として、毎日忙しい身の越智水だが。 其処もまた毎日の日課で、新聞とニュースは欠かさず見る方だ。 直ぐに、脳裏に浮んだ事を口にする。


「もしかして、今朝の新聞に出ていた。 或る大学病院で起こった、女性患者のバラバラ遺体かね?」


すると、ベンチに屈む順子は、


「あっ、凄いっ」


と、頷いた。


その事件は、昨夜から日付が変わった深夜1時過ぎに起こったらしい。


都内の有名な精神科が在る大学病院内で。 入院患者の女性が、凄まじい絶叫を上げたとか。


その悲鳴を聞きつけ、その女性患者の元へと駆けつけたのは、深夜の見回りをしていた看護士と看護介助の職員。 だが、二人が目にしたのは、部屋中に撒き散らされた夥しい血で在り。 床などは、もう本物の血の海と喩えて違わぬ、そんな状況だったとか。


警察沙汰に成ったのは、云うまでも無い・・と、新聞では此処までだったが。


さて、順子が知人から聴いた話では。 病室内では、女性患者がバラバラの遺体と成って散乱していて。 更に、在るべきではない物がその病室に在ったらしい。


この話を聞く越智水は、不吉な胸騒ぎを感じてつつ。 木のベンチで座り語る順子を見返すと。


「順子クン。 君が、“在るべきではない物”と、言うので在れば。 それは、女性の死因とは関係が無い物・・と、云うべき物なのかな?」


「はい。 実は、10日以上も前に起こった別の事件で死んだ、男性の首です」


こう聴いた越智水の顔が、前を向き掛けピタリと止まった。 いや、固まったと云うべきか。


(ま、まさか?)


その様子は誰でも当たり前と感じた順子は、風に流れる通りの落ち葉を見ながら。


「先生が驚くのも、無理は無いです。 私ですら、耳を疑いましたから・・・。 でも、本当なんです。 患者で在った死んだ彼女は、病院を訪れた時から酷く何かに怯えていて。 そして、亡くなる数日前から隔離病棟に入っていました」


「“隔離病棟”・・。 それ程に、精神的に追い詰められたのだね」


「その様です」


「だが、隔離病室に入ると成れば、手荷物に他人の生首は・・無理だね」


「先生、それは当然です。 話では、彼女の方から入院を希望して来ましたが。 その荷物だって、容態が落ち着いたら直ぐに通院に切り替える、と云う話し合いだったので。 貴重品と言える、少量しか無かったらしいんです。 まさか、片手で持てるハンドバックのその中に、生首だなんて物が入れられる訳が…」


どれほどに異変なのかを、順子は越智水を見て訴えていた。


頷く越智水に、順子はグッと迫る様な雰囲気を見せて。


「でも先生、此処からがもっとヘンなんです」


「まだ・・、何か?」


「それが。 その入院した女性って云う方は、二週間ほど前に三鷹市で起こった。 あの首無し遺体の事件で死んだ男性から、結婚詐欺の被害を受けていたらしいんです」


「ふむ。 すると、入院した女性は、一応は容疑を掛けられた関係者だったのかね?」


「はい。 それで、何か悪夢の様な妄想に因って、日に日に精神的に追い詰められて行く状態だったので。 困った友人が、私に相談をして来まして」


「ほう、君が相談を受けた…」


「然も、警察が彼女を確認する前からの相談でした。 そして、実は・・警察に相談した方が良いと、彼女にアドバイスしたのは・・・」


と、言い掛けた処で。


越智水は、順子のやり切れない顔から察し。


「君なんだね?」


「・・はい。 彼女が、悪夢を告白する様子からして、犯人は彼女ではないか。 若しくは、彼女に好意を寄せる何者かではないか・・と」


「確かに、非常に興味深い話だね」


これまでの経緯を少しづつ越智水は理解して行くが、まだ解らないと思う疑問が在り。


「然しながら、何故に私へ協力を頼むのかね? その患者で在る彼女は亡くなり、調べる事は警察へ渡ったハズだろう?」


すると、困った顔の順子は頭に手をやり。


「実は、警察に押収される前に、彼女が夜な夜なに見る悪夢に怯える時の監視カメラの記録と。 面談診察をする様子の記録映像のコピーを密かに貰ってたんですが。 彼女の周辺、彼女自身に不可解な事が…。 明日、私も休みなので。 宜しければ、越智水先生にも、その・・一緒に観て意見を頂けませんか?」


越智水は、まだ望む答えが無い為か。 とても真剣な顔の順子を見て。


「何故、私なんだね? 私は、外科だ。 君の畑となる精神科や心療内科とは、畑違いも…」


すると、順子は俯いて。


「その・・あの・・・とっても非科学的な話に為るんですが」


と、口を濁し始めた。


だが、越智水は、非常に頭が柔軟な医師の人物だから。


「ふむ、然しね。 非科学も、科学も、全ては森羅万象の中にある。 言ってみたまえ、順子クン」


「・・はい。 では、越智水先生だから言いますね」


「ん」


「周りには内緒の話ですが。 同じ医師ながら精神科の友人は、今回の事は・その・・幽霊の仕業かも知れないと」


此処で、越智水は目を細め。


「‘幽霊’ね」


「はい。 精神科と神経内科の医師として、こんな結論は恥ずかしい事だと思います。 ですが、記録の一部を見た私も、だんだんとそう思えて来て…」


越智水は、嘗ての教え子となる順子を見て、この現実主義者の彼女が戸惑う事が起こっていると察した。


「神経内科、精神科の医師で在る君でも、かい?」


ガックリと、力を落として頷いた順子。


「言っている事は、非科学的もいい処なんですけども。 起っている現象は、もはや現実なんです。 それなのに、それ以外には、科学的に説明がつかないんです」


「ふむ。 優秀な精神・神経内科の医師が、二人も揃ってそう云うんだね?」


「はい・・。 友人の医師は、入院して来た彼女が首を持った幽霊を連れてきたんだ・・と、云うんです。 学生時代の知人に話したら、何でも越智水先生がその方面にもお詳しいとか。 ですから、御助力を…」


大学の准教授としての席も在る越智水医師だが。 非科学的な話でも、嘗ての教え子の頼みだ。


「解った。 では、明日に会おう。 大学でいいかな?」


順子は、済まなそうに頭を下げて。


「済みません。 たまの休みを取り上げまして」


すると、越智水は穏やかに笑い。


「ま、家で美女と過ごすか。 外で過ごすのかの違いなだけかな」


こう言った越智水の奥さんは、嘗て若かれし頃は非常に美貌が際立つ女性だったが。 一方では、小児医療の医師で在り。 医師不足の昨今の現状が在ってか、毎日、自分の病院に行っている。 だから明日が休みでも、夫婦としてのデートは期待できないのである。


そして、これはやや有名な噂だが。 この越智水は、自他が認める愛妻家であり。 意外に家庭では、奥さんに何でも遣って貰う甘え亭主らしい。


ま、彼についての余談はさて置いて。


こうして越智水は、順子と別れた。 話し込んだ上に、心当たりが在る所為か考える時間が欲しくなり。 今日は車ではなく、電車で帰る事にした。


(彼女の話が本当ならば、これはあの一件に関わる連続した恐ろしい事件かもしれない……)


帰路を駅に向かう越智水の内心に。 あの3ヶ月以上前の広縞の事件で死んだ、怨念の女性の姿がフラリと浮んだ。


だが。


(いやいや、まだ何も見ていないのに、いきなり結びつけるのも大胆と云うか。 無謀だね)


と、駅の改札を抜けて。 ホームにて電車の待ち時間の時にフッと思ったのは。


(万が一も、在る。 木葉君に連絡を取ろうか…)


と、思ったのだが。


(いや。 彼も、刑事と云う忙しい身。 彼を度々に引き込むのは、此方の勝手だ。 止めておこう。 映像を確かめて、その様子が関係在ると解るなら連絡しよう)


こう心に決めた。


この時、越智水は知らなかった。 既に、この事件には木葉刑事が深く関与していて。 そして、事件当夜に怪我をしていた事を…。


さて、次の日。 寒く暗い空は、曇天の蓋のされた様な。 何時、雨や雪に成ってもおかしく無いと思う。


越智水は、順子と大学で落ち合った。 先ず、越智水の医師・准教授として与えられている私室で、順子から亡くなった女性患者のカルテを見せられた。


「ふむ・・著しい幻覚や幻聴か。 然し、最初の診断では、分裂症状も出ていないね。 一応は、‘統合失調症’として在るけど、鬱病にでも為っていたのかな」


青い上着に、クリーム色のジーパンを穿いている順子は、応接用の椅子に座り。 自分のノートPCを開いて見ていて。


「メールで貰った詳細では、患者は駆け込んで来た時に、少し興奮した様子で。 体調や精神は、少し衰弱状態にあった様です」


「興奮しているのに、体調や精神的に衰弱か。 怖い目に遭ったとか、罪を犯して逃げ回っていたとか。 重大な秘密を知ってしまい、悩み抜いた末・・などかな?」


ノートPCを操る順子が。


「其方のカルテには、“知り合いの死亡で”と、原因が考えられていますが」


印刷された紙のカルテを眺める越智水は、その文章に目を戻し。


「ふむ、確かに」


「昨日もお伝えしましたが。 その死んだ相手って云うのは、患者の彼女の元交際相手で。 結婚資金を持ち逃げした、所謂に‘結婚詐欺’の常習犯だったらしいんです」


越智水は、犯罪者と聴いては軽く眉を顰めて。


「それは、亡くなった女性も災難な話だね」


すると話を逸る順子は、デスクに着いている越智水に対し。 彼女にしては、珍しく少し興奮の色を含んだ声で。


「越智水先生。 その、病院でバラバラにされて死んだ女性ですが。 その男性の殺される様子を、なんとアパートで見たって言うんです」


不可解な情報を聴いた越智水の顔色が、フッと驚きに変わって。


「そんな馬鹿な・・。 普通、それならば彼女が犯人ではないのかね?」


この予想の範囲内の返事に、もう理解不能と云った素振りで順子が首を左右に振り。


「知人からその話を聴いて、それで私が警察に通報する事を薦めたんです」


「なるほどね。 それで?」


「ですが、警察の捜査では。 三鷹で殺人が起こった時に、彼女は葛西に在るアパートの部屋に居て。 彼女がその様子を見て上げた悲鳴が、複数の住人に聞かれて居ましたし。 また、その男性が殺される時に、彼女が窓を叩いていたのですが。 その様子も、帰宅して来て路上を歩く二人のホステスさんにハッキリと見られてました」


アリバイが在ると解り、湧く疑問を口にするのは別にした越智水。


「詰まりは、その入院した彼女が犯行の時刻、殺害現状には居なかった。 ・・と云う、不在証明はされたのだね」


「その通りです」


「そうか。 ま、事件と考える要素は、多大に在るが・・。 事件の要素から離れても残る疑問だけ、君に聴こう」


すると、順子もそれは理解していた。


「はい。 では、彼女が異変を感じた事。 詰まりは、入院に至るまでの経緯を話しますね」


「はい。 お願いします」


一昨日の夜に、入院先の病院にて亡くなった彼女だが。 結婚詐欺を働いた男性を憎しみ。 そして、雨の日に残業をして、帰ろうした中で起こった事が話された。


次に、窓に映像が映る現象が見え、不気味な姿の女性らしき者が見えた・・と、聴いた越智水は。


(まっ、そんな、まさか?!)


もしかしたら・・・と想定した事がだんだんと現実になっている気がして心が恐怖に震えた。


そして、彼女が入院して直ぐに描いた絵。 それを見た越智水は、順子の目の前で頭を抱えた。


(なんて・・、なんて事だっ! 嗚呼っ、やはり木葉君の意見は正しかった。 あの怨霊は、成仏してなど居なかったっ!)


片手で顔を抑えた越智水の余る手に、彼女が映像で見たと云う者の絵が在る。 その姿は正に、あの広縞に殺されて怨恨から怨霊と変わった女性の霊で在った。


「先生? どうか・・されましたか」


すると、普段は冷静な越智水が、珍しく苦しむ表情を浮かべつつ。


「いや…。 それよりも、その映像を見せてくれないか?」


「はい。 では、資料室に行きましょう。 あそこなら、性能の良いプレイヤーが在りますし。 テレビサイズのモニターも、完備されてますから」


「解った。 だが、映像を誰にも見せたく無い。 噂を嫌うなら、君は支度だけして出てもいいよ」


「は? せ、先生?」


順子が見る越智水は、何か覚悟めいた怖さすら浮かぶ顔をしている。 こんな越智水は、誰も見た事が無いハズだ。


「さ、早く行こう」


急かされた順子と越智水は、共用のモニター室へ入った。 個室に、パソコンを基準として、映像機器が一揃いしている4畳半の部屋である。


その様子を、何人かの医師や看護師などが目撃している。 順子に好意を寄せる職員は多い為、噂になりそうなものだ。


だが、今の越智水に、そんな事を考える余裕が失われていた。 丸いテーブルへ、キャスターの付いた椅子で就いた越智水は、準備をする順子に。


「始められるなら、直ぐに始めていいよ」


その一言に、頷いた順子が初めに見せたのは、女性の医師との会話録からである。


「これが、友人の医師に患者の彼女が話した記録です」


簡素な白い部屋の中で、患者の女性と女性医師が対面している。 女性に配慮してか、記録する看護師も女性だった。 明るい部屋の中で、診断と為る会話が始まる。


紹介状を持って駆け込んで来た彼女は、幻覚が見えてしまったと思っていたのに。 実は、見た事が現実に起ったのだと、興奮して主張している。


また、夜の深夜1時前後に成ると。 寝室のベランダへと出れる窓ガラスに、何の反射も無く映像が出ては。 まるで化け物の様な女性が、自分を騙した彼の家を目指すというのである。


「今と為っては・・、信じざるえない。 現実に、人が死んでいるのなら…」


と、越智水は両手をテーブルに上げては、手と手を合わせて口に宛てながら映像を直視している。


「私には、今でも信じられません」


と、観せる順子も言う。


映像の中で、彼女が幻聴や幻覚について心当たりを話す。 その幻聴が始まったのは、声を聞いた残業帰りの夜から数日後。 然し、窓に映像が映る幻覚が始まったのは、連休前の金曜日の夜と、彼女は言い切った。


そして、土曜日。 映像には、見た事の無いマンションが映り。 そして、其処には不気味な姿の人物が現れた。 その不気味な人物は、オートロックの様なドアを素通りし、四階の或る部屋に向かったのだと。 然し、部屋の表札を見れば、なんと其処が自分を騙した彼の部屋だったと。 彼女は、医師に主張している。


また、その部屋の前に立つ。 その映像に映る不気味な人物は、始めて顔を曝し。


“恨みを晴らす”


と、云ったと、彼女は説明している。


そして、遂に犯行の有った日曜日の夜中、映像の中で見た時。 結婚資金を持ち逃げした男は、あの不気味な女性と思われる人物に因り、バスルームへと引きずり込まれそうに為っていた。 必死で、引きずり込まれない様にバスルームの入口を手で掴み、つっかえる様にして耐えていた彼だが・・。 その化け物の様な女性の方が力が凄かったのか、直ぐに引きずり込まれ、首を絞め捻じ切られて。 そのまま死んだと云う。


此処で、順子は自分のバックより何かを取り出して。


「一応、私でも集められるだけの資料は、買い集めて見ました」


と、新聞や雑誌の切り抜きをファイルから取り出してくれる。


現場の写真が無いのだが、記事を読む越智水医師は。


「人間の首を人間が絞めて殺す事は可能だがね。 警察の発表に在る様な、絞め千切るほどの腕力が在るとは…」


「ですが、先生。 友人へ、警察官が説明した様子からして。 そのバスルームに、人以外の機械や重機が持ち込まれた形跡が無いと」


「ふむ。 ま、とにかく・・では、続きを」


「はい」


戻る診察の記録の中で。


明けた、連休最後の月曜日。 自分は、何か幻覚を見ていると思った彼女。 明日、病院に行く為に、休みを貰ったと。 だが、夜中にまた映像が続き。 殺した男の首を持った不気味な人物が、こう言って歩き始めたらしい。


“人を呪わば、穴二つ。 呪った相手も、殺しましょう。 呪った相手は、何処に居る”


・・・と。


全てを話したと言う映像の中で、明らかに彼女は助けを求めていた。 自分を騙した男性が殺害されたと知った瞬間、自分も殺されると理解して病院に駆け込んで来たのだ。


映像を観る越智水には、そう解る。


火曜日に、彼女はこの病院へと入院を希望して来た。 慌て様といい、貧血や風邪気味や体調不良も見えた彼女。 幻覚を見ると云う訴えも在り、薬物中毒やら精神的な病を考え。 入院と為るのだが…。


「先生。 次の映像は、偶々に撮られたものです」


次のDVDに入っていたのは、警察が彼女に事情聴取した時の映像で在る。 医師の他に、弁護士と刑事が居る。


聴取をされている映像を見る越智水は、刑事の問い掛けがとても断定的と感じた。


「刑事の問い掛けは、明らかに彼女を容疑者と見ているね」


「はい。 ですが、この後。 調べが進んで、彼女のアリバイが証明されました」


「ふむ」


「では、先生。 次からは、刑事さんの薦めで始めた、夜の彼女の様子を映した映像を流します」


「あ・・、コーヒーを飲もうか」


新しいDVDを取り出す順子が、


「では、私が」


と、云うと。


「いや、気分を少し解したい。 私が自分で行こう」


何か思い詰めた顔をして立ち上がる越智水。


「え、あ・・先生?」


モニター室を出た越智水は、部屋の間近に居た若い医師に見られたにも関わらず。 彼への挨拶すら忘れて、考え込みながらロビーに出る。


(木葉君、我々はどうするべきかな。 何としても、あの怨霊を鎮めてやらねば…。 だが、視えるだけの存在の我々に、物理的な干渉力を持ってしまった幽霊に対抗しうる力が、果たして有るのだろうか)


自動販売機でコーヒーを二人分買った越智水。 そこで、携帯を取り出すや木葉刑事のアドレスを見た越智水だが。 先に順子から全ての情報を貰った上で、彼に協力を求める事に考え直した。


コーヒーを持って部屋に帰った越智水だが。 若い男性医師が、順子に何かを言っているのを見る。


(・・・さて。 情報提供者の彼女を、このまま何処まで巻き込むべきか)


男女の意味不明な遣り取りは、今の越智水には不毛な事でしか無い。


(だからっ! 大丈夫だってばっ)


(でもっ、准教授と二人きりってさぁ)


(越智水先生は、貴方みたいに酔わせてどうこうしようとする様な人じゃないわよ)


(ちっ、違う。 アレは誤解……)


(とにかく、医師としての仕事が先っ! 大学に用が無いなら、帰ってよっ)


2人の事など気にならないので、先に部屋に入った越智水は、順子の用意した雑誌の切り抜き等の資料に目を落とす。


(亡くなった彼女に、犯行は無理…。 だが、彼女の見た通りに、浴室のドア辺りにもがいた形跡が残り。 被害者の首は、握り千切ったかの様な断面だった・・か)


警察が考えていないあらゆる可能性を、自ら考える越智水。


(彼女が犯人では無く、あの女性の霊が犯人。 だが、接点が告白通りなのか? そんな希薄な怨恨の接点で、干渉力を持つのか?)


考える越智水の元へ、


「先生、お待たせしました」


謝りながら順子が部屋に入って来る。


「うん、では始めてくれないか」


「はい」


入院から程なくして隔離病室に移された彼女。 入院初日の夜中から何かに脅えて、他の患者を起こしたりして問題行動を示し。 警察に通報してからは、夜中になるとんでもない大声を上げては騒がれ、病院から逃げ出しを図った。 そんな彼女だから、鍵の掛かる部屋に仕方なく移された訳だが。


モニターに映し出されたのは、隔離病棟の部屋で眠る彼女だ。 簡素なベットの上で、薬が効いているのか、ぐっすりと寝ている。


越智水は、モニターの一部を指差して。


「この上窓を見るに、時刻は夜だね?」


「はい、夜中の1時前後だそうです。 そして、これは女性が死ぬ数日前の映像です」


普通なら、病人とは云え女性の就寝中を撮影するのも、どうかと思うが。 病院としては、本人の同意の上にやっているのだろう。


だが、そんな疑問も押し退ける様にして、異変は直ぐに起った。 あれだけぐっすり寝ていた彼女が、何かに気付いたかの様にガバッと起きたのである。 そして、辺りを激しく見回したと思えば、窓を見ては独りでに震え慄き始める。


“いや・・・、此処でもっ? 嘘でしょっ?!!”


いきなり何かに脅える彼女は、ベットの上から小窓を見上げている。


モニターの右上に、窓を正面から映した映像が小さく出ているが。 順子には、何も映っていないと見えるらしく。


「この彼女は、此方の上窓に脅えている様なんですが。 この映像から見るに、窓には・・・何も」


だが、食い入る様に見つめる越智水は、その表情を絶望的な無念の滲むものに変えて。


「恐らく彼女には、見えているのだよ。 窓に、何かが映っていると。 そして、その様子とは、何処かの会社の様な…。 ビルの出入り口みたいな場所だと、思う」


と、意味深に説明をした。


この時の順子の驚きは、恐らく計り知れない物だ。 普段は、冷静に覚めた物言いをする順子が、テーブルに噛み付く様な勢いで来て。


「せっ、先生っ!!! 何で、それが解ったんですかっ?!!」


然し、画面を見詰める越智水は、至って冷静を保つかの様に。


「いや、窓に映ってるのさ。 あの窓を映している映像を拡大か、メイン画面に変えて貰えるなら。 多分、もっとハッキリ解る」


慌てた順子は、マウスとキーボードを捜査して、画面の主を窓の映像に切り替えた。


そして、患者の彼女が脅え始める頃に戻して。


「もう一度、最初から流しますね」


もう一度、流し始めると……。


「ぐっ」


今度は、越智水が呻くと共に緊張して目を見張り。 飲みかけのコーヒーカップを握り締めた。


(や・・・やはりかっ!!!)


越智水の眼には、夜の何処かの会社の入り口から始まり、外へ出て車の通る道路の脇をヒタ・・ヒタ・・と歩いている、明らかに不気味な人物が見えていた。


亡くなった彼女が、医師から問われて描いた絵に表れた者の存在を、どうしても信じたく無かった越智水だが。 この映像を見ては、信じるしかなかった。 正に、木葉刑事と夏場の頃に追っていた、怨念と化した女性の幽霊。 その姿にそっくりな人物が、窓の中に映像として居る。


“ひぃとぉ~をのろあぁ・ば・・あな・ふたつ……”


ゆっくりと歩きながら、片手に何か人の生首のような物を持ち。 ボロボロでずぶ濡れた白いYシャツ姿で歩いている。


存在を確認した以上、分析をして出来る事はしなければ・・と。 越智水は、画面を見据えつつ。


「なぁ、順子クン…」


「は・・い?」


越智水に呼ばれた順子は、何か奇妙な寒気を覚た。


(先生・・・どうしたのかしら)


と、越智水の顔を覗き込むのだが。


「もしかして・・・だが。 彼女は、こう訴えていたのではないかな」


“自分を騙した男性を殺した人物が。 今度は、毎晩に少しずつ、自分の居た場所に向かって居て。 その殺した人物は、騙した男性を呪った自分を殺そうと探している”


「こんな感じの内容の事を、医師に言っていたのではないのかな?」


「あ"っ、せっ・・せんせ。 どうして、そこまで?」


越智水の言葉に、順子は驚くしか無い。 これは、超能力とか云うモノなのか。 これから順を追って説明する筈の話の内容を、越智水が今の話で総括してしまったのだ。


だが、越智水は、その後の彼女の映像も求めた。 毎夜、窓に怯えて泣き叫び。 映像の三日目には、窓を叩いて壊そうとする。


「この映像から亡くなるまでは、窓も無い拘束室に代わります」


頷くだけ、順子に返した越智水。


四方の四角壁の廊下に面した一辺が、まるで地下牢屋の様に、格子と成った部屋にて。 また、眠剤でも飲んでぐっすりと寝て居る彼女が、夜中のほぼ決まった時間になると慌てて跳ね起きる。


「窓も無くなったのに、まだ怯え…」


言い掛けた越智水だが。 何かに気付いては、顔を手で覆い。


「嗚呼・・そうか。 今度は、薄明かりを反射する床に見えているんだな。 映る物なら、何でも見えるのか」


と、また映像を観る。


この時に越智水は、知人から説明を聞いていた順子の説明を必要としなく為っていた。 そんな越智水を窺う順子は、内心で確信した。


(凄い。 やっぱり先生には、見えるんだわ。 彼女を脅かす・・・何かが、ハッキリと見えているんだわ)


そう、正にその通りだった。


入院した女性が、毎夜に渡って同じ時間に何かの映像を見ては、異常に怯える。 その話を聞き出した物を、担当の医師が記録したのだが。 順子が、映像に合わせて文面から説明する。


先程の隔離室の映像から説明して。 彼女の会社へと向かった、殺人を犯した謎の人物の様子だが。


次の日は、会社からの最寄駅まで歩いては、ホームに向かって電車待ちをしながら、同じ言葉を言っている。


三日目は、彼女のアパートの最寄駅となる葛西に来た。


四日目は、彼女のアパートの玄関前に来る。 そして、彼女が映像を見ていたと云う窓らしきベランダに現れた。 窓に手をペタペタと伸ばしては、部屋の中を窺っている。


この辺から、もう医師と話し合う彼女の精神は、破綻寸前で在り。 脅え、泣き喚き、日中でも窓を拳で叩いたりするようになった。


拘束室に移された時の彼女は、窓も、鏡も、水も無いからと。 病院に来てから一番に安心して落ち着きを見せたらしい。


然し、新しく移された部屋の床に、越智水の言う通りに映像が映り。 絶望感を身に溢れさせて、泣き喚いた彼女。


あの例の存在が視える越智水には、彼女の絶望感が痛いほどに解る。


(何て事だ・・。 相手が悪過ぎた。 くっ、これは恐ろしい相手になるぞ)


そして、五日目。 やはり同じ時間の深夜に、彼女にとっての異変は起きた。 格子から見下ろせる石の床に、続きを映像を見ている。


越智水は、此処で廊下の床を指し。


「あの、彼女が見て怯えている床。 あの映像も、在るのかな?」


順子はパソコンを操作しながら。


「はい。 これが、監視カメラの映像を拡大して、ノイズ処理したものです」


恐れ喚く彼女の映像をストップして。 床の部分的な映像を移すと。


「嗚呼………」


顔を撫でる様に隠した後。 越智水は、口を手で覆いながら、


「やはり見えているんだな・・・。 廊下の床に」


と、深い絶望を含んだ溜息を吐く。


「せ・・先生?」


「彼女の怖がっている相手は、どうやら最終電車も行ってしまった無人の駅に居る。 駅から男性の生首を持って、何処かへと歩いている。 あ゛っ・・嗚呼、この駅の出入り口を出た先に、街灯で見通せる並木通り。 恐らくこの先は、彼女の入院する大学病院ではなかったか?」


この説明の様な独り言に、順子は呆れと感歎の混じる声で。


「やっぱり・・先生には、彼女の脅えている何かが見えるんですね?」


さて、映像が切り替わり。 午前中に精神科医師と対面する彼女は、もう死に物狂いの様相で縋りつく。


「助けてッ!!! 先生っ、私はっ、わたしぃっ、死にたくないっ!!! 絶対に死にたくないぃぃっ!!!! いあああああ----っ!!!!!! 誰かああーーーっ!!!!! 刑事さぁぁぁぁぁぁぁぁんっ」


もはや錯乱状態の彼女に、医師が施せるのは薬と沈静ぐらい。


経過を診る余裕は、何処にも無かった。


六日目。 やはり床に映像を見る彼女は、笑い出している。


「あはっ、あ・ははははは・・・、死ぬんだわ。 わ・・わたし・わたしっ・・、もうじき死ぬんだわっ!!!!」


狂い行く人の様子には、医師ですら畏怖を感じる。 越智水は、脂汗がうっすら滲む顔を撫でながら。


「順子クン。 その、床の映像を頼む・・」


「はい」


そして、切り替わった床の映像に越智水が思わず仰け反った。 


「はぁっ!」


「あ? せっ、先生?」


その様子に驚く順子は、画面と越智水を何度も見交わした。


「だっ・大丈夫・・だ」


身を前に戻した越智水だが…。


映像の中では、アップの怨霊と化した女性を見据える形に為っていた。


”のろいはぁ・・おまえでじょうじゅ・・する。 いくぞぉぉぉぉ・・・これから・・おまえをむかえに・・いくぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!”


男性か、女性かの判別が出来ない濁った声。 不気味に心の奥底に沈む様な声が、動物としての本能で備わる恐怖心を煽る。 それは、死神に魅入られた者だけが聞こえる、呪いの声だったのか。


七日目の朝。 彼女は、精神に破壊の域に達した異常を来たしていた。 やや上を向いて、泣き笑っているだけ。


そして、呟く言葉は、


“私、死ぬんだわ”


と、これのみで在る。


見ている越智水も、順子も。 その変わり様に驚きを隠せない。


そして、七日目の深夜。


順子は、監視カメラの映像をモニター内で4つに分けて。


「左上・右上・右下・左下の順番で、彼女の部屋に向かう廊下の途中となります」


「・・うん」


「それで、先生。 此処なんですが…」


深夜1時過ぎに、隔離病棟内の廊下を映した画面。 先ず、左上に現れたのは、何か薄らとするモヤっとした黒い影。 それを指差した順子。


「な、何と、凄い・・。 ハッキリではないが、肉眼で視えているのか?」


驚く越智水は、もはや異常現象としか思えない。


「これから、この靄みたいなものがどんどん彼女の部屋に近づいていきます」


こう言う順子に見えているモノは、微かな煙りの様な黒いモヤなのだが。


一方の越智水には、確実に見えていた。 ヒタ・・ヒタ・・・と、ゆっくりした足取りで動き。 彼女の元を目指している、その人物の姿を。 


そして、殺した男性の首を片手にした怨霊の移動が、左下の画面の先に消えた時。 それまで見えていた画面が、一気に砂嵐に変わる。


「これはっ」


いきなりの事に、驚く越智水。


慌てる順子は、映像を切り替えて。 やはり、砂嵐のノイズで乱れた画面を映しながら。


「スイマセン。 此処から、映像が乱れてしまって・・」


だが、その映像を観る越智水医師は、震えが止まらない。


(あら・・現れたのか。 姿が現れた瞬間、どす黒い力が解放された様だった…)


画像を鮮明にしようと、キーボードを操作する順子だが。


「いぎゃあああああああああああああっ!!!!!!!!」


音声だけで、彼女の滾るような断末魔の悲鳴が聞こえる。


その後、


“ぶちっ・・・ばきぃっ・・・ぶつっ・・・”


と、何かを引き千切る音が、幾度と無く起る。


声に驚き、息を呑んで固まる順子。


「・・・」


「・・・」


黙る越智水は、順子の説明も必要が無い。 何が起っているかは、解っている。


二人して、暫く言葉が・・・出なかった。


さて、映像の一通りを見た越智水は、気持ちが落ち着いた処で、二つの気になった事を述べる。


「ふぅ……。 さて、順子君、尋ねたい事が在る」


「あ、は・はい。 何でしょうか」


「ちょっと不思議に思ったのは、入院する彼女が途中で、刑事に助けを求めていたね」


「あ、はい」


「然も、部屋を替わっただけで、随分と落ち着きを取り戻した様だが。 何か、彼女を安心させる事が、其処で起こったのかな」


越智水の話で、何かを思い出した順子。


「あ、そう云えば…」


「ん?」


「部屋を替わる頃に、一人の刑事さんと面会したとか。 その刑事さんは、彼女の言う事を信じていたみたいだ・・と。 先輩の医師から聞いた・・とか、友人が言ってましたね」


「ほう。 それは、女性の捜査員かね?」


「いえいえ。 あ、有った」


自身のノートPCを立ち上げて、メールを探した順子が。


「え~っと、彼女を見張る為に着いた女性刑事は、彼女の事を嘘吐きの様に見ていたと」


「ん」


「ですが、事情聴取の行われた後。 数日後に尋ねに来た、木葉刑事と云う方は、彼女の訴えに耳を貸した・・と」


(こ・のは…)


捜査一課が出張っているとは聞いていた越智水だから、警視庁の捜査員で《木葉》と呼べる刑事は、一人しか居ないと思う。 パッと、順子を見た越智水で。


「木葉君が、この事件に関わっているのかいっ?」


「えっ? その刑事さんは、先生・・の、お知り合いですか」


「嗚呼、そうか。 彼も…」


連絡を入れようと、上着を取る越智水だが。


其処へ順子が、後を繋ぐ様に。


「先生、その人ですよ」


と、言って来る。


「ん? 何がだい?」


「ほら、新聞にも有りましたでしょ? 彼女の事件で、犯人と格闘したと思われる捜査員が。 何かの拍子に突き飛ばされて、負傷したと」


次の瞬間、越智水が順子に迫った。


「それは、本当かねっ? 順子クンっ、本当にかねっ?」


「わっ、せっ先生っ」


肩を掴まれた順子だが、その越智水の顔は真剣そのもので。


「はっ、はい」


「こうしてられんっ」


慌てふためいた越智水は、上着を手にモニター室を飛び出した。


「わっ」


「どぉっ」


入り口に居た若い男性医師が、いきなり開かれた扉に押されてヨロめく。


「何だね、君達」


驚く越智水だが、二人の言い訳を聴く余裕も無く。


「済まない。 先を急ぐ」


と、何処かへ走って行く。


去る越智水を見送る二人の若い医師は、カーペットの上を這って、そぉ~っとモニター室を覗くと。


「はぁ~、情報だけ盗まれた気分だわ」


と、不満を身体から表し、後片付けをする順子を見た。



        6



その日の木葉刑事は、ぼんやりと天井を見つめて寝ている。 夜も更けているのか、暗い部屋の中で、カーテンも引かれていた。


(やっぱり・・、助けられなかった。 これまでに無い、無力感か…)


背中を強打して、脳震盪を起こした木葉刑事。 目覚めてみれば、其処は警察病院だった…。


実は、入院した彼女が夜な夜なに見る映像を観て聴いて、殺人の犯人は怨霊と変わった或る事件の被害者と知っていた。 その怨霊が起こす殺人の連鎖を断ち切るべく、夜に一人で密かに捜査していた木葉刑事。


最後の夜は、佐貫刑事に尾行されていたのを知らず。 怨霊と化したあの女性の行き先を突き止める。


実際には、その前日の夜には、既に怨霊を発見していたのだが。 彼女が映像を見ている時だけ、怨霊の歩く姿が現実でも見えるらしく。 然も、その映像と成る狭い領域には、何か近付きがたい。 恐怖心を煽る雰囲気が蟠っていた。 ギリギリまで怨霊に近付いたが、殺される前日の夜は、間一髪の間合いで逃がしてしまった木葉刑事。


然し、これで接触が可能だと思った最後の夜。 病院の入り口で一人、怨霊の女性を止めようとしたのだが。


鍵の閉められたら透明な自動ドアを、空気をやり過ごすかの如く透り抜ける様に入ろうとした怨霊。 病室に行かせまいと、怨霊のその肩を掴もうとした木葉刑事だが。 彼がその肩に触れた瞬間、見えない衝撃に弾き返されて、太い街路樹に激突したのだった。


その時の事を思い返す木葉刑事は、痛みが続く肩を触り。


(凄い力だった。 この力なら、人もバラバラに出来る。 結婚詐欺を働いた男を三鷹で殺し、彼女を大学病院で殺したのは、やはりあの女性だ)


極限に近い悩みだ。 殺人事件の被害者にして、道連れに多数の人を巻き込んで犯人を殺した幽霊。 その幽霊が、物理的な干渉力を持って、己の怨恨とは関係ない人間を襲い始めたのだ。


ぶるぶると、震える左手を布団から抜き。 打ち身の様に痣だらけと成った手を、ジッと見る木葉刑事。


(触れた。 だけど、障った。 感覚が麻痺してるのに、ピリピリと痛痒い感じもする。 こんなでは、何度立ちはだかっても…)


凶悪な犯人と捜査本部も認識はしていて、犯人確保の時には拳銃の携帯が許可されていた。


だが、使わなかったのは、叔父の言葉で過去に聴いたからだ。


“アレには、銃も刃物も通用しないんだ”


目を瞑る木葉刑事は、このままではまた犠牲者が増えると感じる。


(然し、解らない。 あの怨念から怨霊と化した女性を、亡くなった彼女が呼び寄せたのか? だが、以前は関係者のみ。 同じ憎しみを感じた者、それだけだったのに…)


考えるしか無い木葉刑事は、動ける様に成ったら、良き理解者の越智水医師と連絡を取ろうと思った。


その日は、入院していた女性が殺され。 警察に激震が走った、次の日だった。


真夜中に起きた木葉刑事が、人ならざる幽霊の犯す殺人をどう止めたら良いのか思案する頃。 夜中、警視庁よりこっそりと外に出た佐貫刑事は、日比谷公園を抜け出ていた。 向かったのは、或る駅前のファストフード店である。


「ハンバーガーと・・フィッシュバーガーを。 ポテトに、コーヒーのS一つ」


注文を受けた若い女性店員が。


「番号を持って、お席でお待ち下さい」


と、言って来る。


「二階に居るから」


「はい、畏まりました~」


二階の一人席が窓辺に並ぶ列に向かえば、周りに溶け込んで・・無い背広姿が見つかる。


(人目・・を忍んでないな)


その背広姿の人物の隣に、佐貫刑事は座った。


「参事官・・、木葉は無事です。 ですが、不可解な事が多過ぎて…」


「佐貫さん、頼んだものは車の中で食べなさい」


「はい?」


程なくして、トレイに乗せた品物が目の前に運ばれた佐貫刑事は、鵲参事官と一緒に外へ出た。 ハンバーガーを左右のポケットに入れ。 ポテトとコーヒーのカップを両手にして、だ。


地下駐車場に入る二人は、黒い公用車に乗り込んだ。


後部シートに座った鵲参事官は、隣に座った佐貫刑事に。


「佐貫さんは、木葉の叔父を嫌ってたな。 あの叔父に、手柄を持って行かれた・・とな」


「いや・・それは」


いきなりの昔話に、身じろぎをして驚いた佐貫刑事だが。


前を見ている鵲参事官は、彼の持つポテトを上から幾らか掴み取り。


「だが、今回で解っただろう?」


と、ポテトを食べた。


勝手に食われたポテトと、食べた鵲参事官を交互に見た佐貫刑事は、そのままの顔で鵲参事官を見た。


「はぁ?」


「・・んぐっ。 木葉は、いや叔父も、アイツも、我々に見えぬ者が視えている」


「あ・・、それは」


食べる事を忘れた佐貫刑事は、あの問題の夜に、木葉刑事が吹き飛ばされのを見た。 一瞬、黒い稲妻の様な光に撃たれた木葉刑事は、吹っ飛ばされて太い木にぶつかった。


尾行していた佐貫刑事は、人智を超えた存在に足元が竦み。


(な゛っ、あの化けモンはっ・・、一体なんだぁっ?!!!!)


一瞬だけ、黒い稲妻が走った時だけ、佐貫刑事は見た。 髪を振り乱し、片手に人の生首を持つ恐ろしい人影を。


だが、その人物は不思議な事に、ロックされた自動ドアを開く事も無く。 透り抜ける様に病院の中へと消えて行ったのだ。


さて、呻き声すら上げない木葉刑事を助ける事に、自身が忙しく為った佐貫刑事だが。


病院の一角に明かりが点き、その内に火事場の様な慌ただしさが響いて来る。


連絡を警察病院にして木葉刑事を搬送する手筈をした佐貫刑事は次に、院内の騒ぎが気になり。 捜査本部の待機番をする管理官を通じて、病院内に居る入院女性の見張りをする警護係をしていた里谷なる捜査員に連絡すれば。


“本部っ、大変ですっ! 入院していた彼女が・・病室でバラバラにされました”


管理官からの折り返しでその話を聴いて、携帯を落とし掛けた佐貫刑事だ。


(もしや、今しがたのあの不気味な・・)


そう思った時は、遅過ぎた。 入院していた彼女は五体をバラバラにされ。 その傍らには、結婚詐欺を働いた男の腐乱した生首が…。


現場となる病室に捜査一課の刑事達が来て。 その現状を見るなりに愕然としたのは、言うまでもない。


殺された彼女が病院へ持ち込んだ物、彼女に送られた物に、生首など有りはしない。 では、誰が持ち込んだのか。


木葉刑事が大怪我をした事も在り。 病院入り口を映す監視映像が確認されると、何かを言って病院の正面入口に向かう木葉刑事が瞬時に吹っ飛ばされた事も明らかに成った。


さて、明けた本日の朝に始まった捜査会議では、ハッキリしない犯人が木葉刑事を吹っ飛ばし。 病院へ侵入しては、彼女をバラバラにしたとした。


だが。 越智水医師が大学生で映像を見た通りに、犯人はカメラに映ってない。


雲を掴む様な捜査が、また始まったのだ。


さて、本日の朝となるその様子を思い出す佐貫刑事は、鵲参事官へ。


「確かに、自分も一瞬だけ見ましたよ。 犯人らしき・・者を。 でも、あれが犯人なら・・警察は、何も出来ないですよ」


と、自身もポテトを取って齧る。


佐貫刑事を見る鵲参事官は、


「佐貫さん。 君は、木葉の叔父さんがどうなったか、知らないのか?」


「……んぅ。 さぁ、死んだ…とは、聞きましたが」


「そうか。 だがな、只・・死んだのでは無い。 一昨日の病院で死んだ彼女同様に、いや、それよりも最も酷くバラバラにされたのだよ」


すると、驚く佐貫刑事が、ガバッと鵲参事官を見た。


「へぇっ?!」


「事実だ。 発端は、今から10年以上は前に成るが。 幽霊が犯人となる死因不明の事件が起こった」


「か・鵲参事官、過去にもあんな存在が事件を起こしていたンですか?」


「佐貫さん、年間にどれだけの凶悪事件が都内で起こると思う? 無慈悲に殺害された者は、誰でも怨みぐらいは持つさ」


「あ、でも、そんな簡単に幽霊が……」


「無論、今回の様な事は、確率としてはとても低い。 だが、過去に何度か在るのだよ」


「知らなかった。 じゃ、木葉はこれまでも?」


「木葉警部補も、叔父の恭二も、幽霊を視ていた。 捜査の助けとしていた様だが。 あの2人して、利用しようと云う気は薄い様だ。 特に、木葉警部補は手柄を周りにくれてやって、自分は捜査にのみ利用する事しか頭に無いらしい」


「何で、こんな力を利用しないんだ」


「それが、木葉や、叔父の恭二と云う人物だ。 だから、今回の様に命を捨てる」


「“捨てる”って、恭二さんも?」


「先程にも言ったが、10年以上前に幽霊が強い怨みから怨霊となり、怨んだ相手を殺すと云う事件が起こった。 その怨霊は、その後も成仏せずして無関係の第三者と言うべき他人にまで影響を及ぼした。 木葉の叔父・恭二は、その霊の一件に首を突っ込み警察を辞め。 探偵をしながら密かに霊を追い続けて、最後は怨みで人を殺す様に成った幽霊と差し違えた様だ。 それ以後、その怨霊に因る不審死はピタリと止んだが・・。 恭二も、死んだ」


鵲参事官を見る佐貫刑事は、口をもごもごしては慌ててコーヒーを飲み。


「そりゃあ・・ほっ、本当にですか?」


顔を窓に向かわせた鵲参事官。


「あぁ。 何せ、恭二の遺体を最初に発見者したのが、私だからな」


「そんな・どっ・・どおして…」


「恭二は、ある時に突然、私に連絡して来た。 相談した事件の捜査資料が是非に見たいとな」


「では、見せた?」


「そうだ。 そして、2ヶ月程してだ」


“鵲さん。 これから、不審死を招く怨霊と戦う。 俺は、死ぬかも知れないが、相手も成仏させるつもりだ。 後の事を、宜しく頼む”


「とな。 大急ぎで仕事を終え、密かに現場へと駆け付けた時には、もう手遅れだった。 打ち捨てられた廃屋で、細かく千切った紙の様にバラバラに成った木葉の叔父を見つけた」


「じゃ、木葉(アイツ)も…」


「さぁ、どうだろうか。 然し、霊を視えない人間からするなら‘視える’者は、憧れか・・妬みや偏見の対象だ。 だが、‘視える’者で真っ直ぐな奴は、その‘視える’事で使命感を背負う様だ。 木葉も、奴の叔父の恭二も・・、幽霊に因る犠牲を見捨てて置けない大馬鹿だ」


その話を知る佐貫刑事は、ふと考える。


(本当に、そうか? 俺達の様な刑事が、仮に殺人犯を見つけたとしたら。 焦ったり、戸惑ったり、逃げ出したりする奴の数と同じぐらい・・・、どうにかしたいと命を張っちまう馬鹿が居るんじゃないか?)


そう考えた佐貫刑事は、これまで亡くなった恭二に対しての感情が変わり始め。 また、木葉刑事に不思議な親近感を抱いた。


(そうか、アイツ・・あの馬鹿は。 あの入院した女を助けたいだけで・・・、あんな化けモンと…)


鵲参事官は冷えないウチにと、また勝手にポテトを毟り食べる。


「・・佐貫さん。 これからも・・・、木葉の見張りを頼みますよ」


「あ・・、はい」


「それから、どうやら木葉にも、理解者が一人や二人は居る様です。 アイツのネクタイピンと捜査員バッチに、盗聴器を仕込んで在りますから。 助ける為に、利用してやって下さい」


と、受信機とマイクを渡された。


「こんな・・事まで?」


「木葉の叔父には、私も色々と助けられた。 その事を踏まえると、アイツまで同じ最後にしたく無い」


「はい・・ですが。 幽霊だなんて、どうやって逮捕するんです?」


「・・・」


鵲参事官は、何故か黙った。


その沈黙には、何か意味が在ると感じた佐貫刑事。


だが、聞く間合いとも思えぬ雰囲気に合わせ、携帯が鳴った。


「不味い、一課長だな」


携帯を見て言った佐貫刑事。


「鵲参事官。 このポテト、良かったら食べます?」


すると、無言で入れ物に手を伸ばした鵲参事官。


(好きなんだな)


何となく解った佐貫刑事は、車から出て携帯に出ながら戻って行く。


すると、運転手が。


「参事官、御帰宅されますか?」


だが、ポテトをムシャムシャ食べる鵲参事官で。


「妻に・・コレがバレると、不味い……」


「確か・・脂肪肝とか?」


「・・言うな、それを」


「はい…」


運転手を黙らせる鵲参事官は、直ぐにポテトを食べきり。 満足し足りないのか、もう一度買いに行った。


さて、明けた次の日。


木葉刑事を見舞った佐貫刑事だが。 既に、捜査一課長と篠田班長が木葉刑事を見舞っては、取り調べの様な事をしていた。


ま、殺害現場で怪我をしたのだし。 然も、佐貫刑事が嘘とは言え、影の犯人と言ってしまった手前。 適当な嘘が通る訳も無い。


「おいっ、木葉っ! 犯人の顔ぐらい、見てないのかっ?」


篠田班長が、ガミガミと声を張って問う。


だが、怪我人の姿をフル活用する木葉刑事で。


「それが・・・その辺の記憶が、激突したショックで消えちゃったみたいなんで・・スイマセン」


その返事を聞いた色眼鏡の円尾一課長は、ガックリして。


「何で、応援を呼ばなかった?」


「あ~、多分は・・・確認してからしようと」


木葉刑事の話に、一課長が更に項垂れて。


「こりゃあ~駄目だ、篠田さん」


恐縮する篠田班長は、


「スイマセン、スイマセン。 一課長、誠にスイマセン」


と、平謝る。


無駄足だったと、班長と一課長が帰ったのは昼間近。


入れ代わって入室して来たのは、佐貫刑事。


「あ・・佐貫さん」


上半身に包帯を巻く木葉刑事へ、普段通りの適当な歩みで進む佐貫刑事。


「生きてて、良かったな」


「はい。 あの、その差し入れの果物は、好きに食べて下さい」


「あ、おう」


丸い椅子に座る佐貫刑事は、天候が悪い外を窓から見て。


「今日と明日は、天気が悪いとさ。 12月を目前にして、寒すぎる。 雪でも降らなきゃいいがな」


それから、沈黙が流れる。


木葉刑事は、窓の外の曇天を眺め。


佐貫刑事は、差し入れの果物を食べる。


そして、院内放送にて、医師の呼び出しが何度か流れた後で在る。


木葉刑事は、窓を見ながらに言う。


「佐貫さん。 あの夜は、俺を尾行してたンスか?」


すると、リンゴを剥かずに齧る佐貫刑事が。


「・・・あぁ。 俺は、一応のお目付け役だしよ」


「そう・・ですか」


「夜中に仮眠しようとしたら、お前が抜け出して行くのが見えた。 その日の朝から、具合悪そうにしてたのによ。 何処に行くのか・・とな」


「・・助かりました」


木葉刑事が、弱い声で言うと。


「礼は、要らねぇがよ。 お前をぶっ飛ばした奴を、俺も一瞬だけ見たが。 あんな人間じゃないのを、どうやって何とかする気だったんだ?」


「あ、佐貫さんにも、視えたんですか?」


「本当に、一瞬だけな。 お前があの化け物に触れた一瞬だけ、黒い稲妻みたいなのが光った一瞬だけ見えた。 あの化けモンみたいなのは、何者なんだ?」


すると、少し黙った木葉刑事が。


「怪我で頭がおかしく成った、病人の戯言・・ですよ」


連続強姦殺人事件の犯人の広縞と。 彼に殺され、怨念に変わった女性の話をする木葉刑事。


全てを聴いた佐貫刑事は、苦い顔をして。


「あの事件、被疑者死亡で終わったと思ったが。 そんな事に為ってやがったのか。 確かに、犯人の死因が不可解と、鑑識のヤツが愚痴ってたがな…」


「終わった事は・・仕方ないッスよ。 でも、これから起こると解って、無視も出来ないッス」


「そうか………」


それ以上に何を言えるか、言葉を見失った佐貫刑事は、木葉刑事が覚悟している様な感じを受ける。


(この事件、そんなに根深いのかよ。 然し、所轄のフルカワまで関わってたとは、驚きだ)


刑事生活が長い佐貫刑事は、所轄の古株刑事は大体知っていた。 古川刑事とは、気合いの入れ方が違う所為か。 挨拶も互いに浅く交わす程度だった。


さて、佐貫刑事は午後3時を過ぎて一度、様子見にと本庁に帰った。


だが、考える事に一人に成った木葉刑事の元へ、越智水医師が面会に来た。


「木葉クンっ、大丈夫かい?」


越智水の顔を見た木葉刑事は、一番逢いたい人が来たと。


「先生・・、良く来て下さいました」


と、普段の刑事の時とは違う、素直な顔をした。


「大変だったね。 君の関わっている事件の大体は、既に知っているよ」


二人っきりの病室だから、木葉刑事も驚きを隠さずに。


「せ・先生が?」


越智水は、順子を通して見聞きした事を教える。


経過を理解した木葉刑事。


「先生が、其処まで知っているなら、話は早い。 あの怨霊と化した被害者の女性は、最初の自縛霊の領域を超えました。 もはや、関係者のみを襲うという柵(しがらみ)すら、乗り越えてしまったんです」


木葉刑事の言わんとする事を、越智水も理解している。


「うん、確かにそうだ」


暗雲垂れ込める空を見る木葉刑事は、


「先生…」


と、悔しそうに言う。


「どうした?」


「あの怨霊と化した被害者の女性は、もう見境無しに人を襲う化け物です。 何とか・・何とかしないと」


木葉刑事の気持ちは、越智水も同じだった。


「木葉クン、私も同じ考えだ。 あの怨念から、怨霊へと化した彼女だが。 既に自縛霊の領域を超えて、誰にでも構わず障る悪霊に変わってしまった。 だが、木葉クン。 まだ、あの悪霊も、まだ柵の中で動いている筈だよ」


越智水の話に、木葉刑事が顔を合わせた。


「先生、それは…」


「うん。 此処に来るまでに、色々と考えてみたんだが」


「はい」


「某大学病院で、夜中に殺されてしまった入院した彼女は、もしかすると無作為に選ばれた訳では無い」


「そうなると・・原因は、結婚詐欺をしたあの被害者ですか?」


「そうだ。 あの先に殺された男性を怨んで、憎しんだ所為と思う」


「ですが、人を怨んだり憎んだりするのは、この世の何処でも…」


然し、髪をやや乱した越智水医師は、腕組みをして。


「其処だよ」


「え? 先生、何ですか?」


「まだ、例えにする事例が他に無いのだがね。 私が思うには、怨みや憎しみの強さ。 もしくは、‘質’に関わると思うのだよ」


「‘強さ’と‘質’ですか・・。 先生の分析は、どうですか?」


上着を持っていた事に気付き、簡易ハンガーに掛ける為に立った越智水。


「この世で、人に負の感情を抱く事は多い。 また、人も多い」


「自分は、ショッチュウですよ。 ‘良く解らないのに手柄を挙げた’、だの。 ‘年齢の割りに警部補昇進試験の打診が早い’、だの」


軽く笑って返し、椅子に座った越智水。


「だが、その程度では、あの悪霊とコネクトするのは、難しいと思う」


「では、もっと強く?」


「うん。 然も、あの広縞に殺された女性が、死ぬ間際に思った怒りや絶望や憎しみ、それに近い想いを持った時。 獲物を探し回る悪霊と、通じ合ってしまうんじゃないかな」


「つまり、先生。 無関係の相手でも、似通った思念を通じて、‘無’じゃない。 関係者に成るって事ですか?」


越智水は、正にその通りと頷いて。


「それに、病院で殺された彼女は、あの広縞に殺された女性と似通った共通点が在る。 ・・・、いや。 実に、多い」


「先せっ、あ゛っ」


身を起こそうとして、背中の骨にヒビが入っている事を思い出す木葉刑事。


「木葉君、そのままで。 レントゲン写真を見せて貰ったが、左の腕の上腕骨がヒビ割れ掛けていて。 背骨も、ダメージを負っている。 更に、何が在ったのかは知らないけど、左手から腕までの神経が全て、酷く傷付いている。 下手に動かすと、断裂してしまうよ」


「ぐっ・・、これからが、正念場なのに」


「半月は、安静にしなければ」


木葉刑事は、越智水に向いて。


「先生、話の続きを・御願いします」


「解った」


さて、越智水の考えでは。


悪霊と化した女性に、呪われた彼女だが。 病気の父親が居て、その父親を安心させる為に、花嫁姿を見せたいと思っていた。 そして、結婚詐欺の被害に因って奪われた資金は、病人と成った父親から受け取った大切な金で在る。


その事を再認識する木葉刑事は、天井を眺めつつ。


「騙されたら、腹も立ちますよね」


男でも、異性にそうされたら憤慨するだろう。 お金の額と、そのお金に纏わる重みや想いは、人それぞれに違って来るのも仕方がない。


そして、頷く越智水には、可愛がる娘が居るだけに。


「当然だ。 親の私からしても、娘が同じ境遇に至ったら、多分は相手を許せない」


「そうか・・、騙されて夢を壊された上に。 色々な想いの詰まった金を、あの男に持って行かれた。 異性に対した、強い怨みと憎しみ。 広縞に殺された被害者女性も、強姦された上に殺されている」


「そう、その通りだよ。 病院で殺害された彼女は、殺されたりはして居ない。 だが、犯人と云う異性に対する憎しみや怨みの強さやその質は、強く思う一瞬の比重は似たモノだと思う」


木葉刑事は、越智水の言わんとした事を知り。 呪いに至る一通りの流れを一括りに絞り込もうと。


「そう成ると、当面は女性が呪われる対象の起点に成りそうですね。 憎しみや怨みの強い…」


だが、顎に手を遣り考える越智水は。


「いや、そう絞り込もうとするのも、時既に遅し・・かも知れないよ」


「先生、どうしてですか?」


「‘異性’への憎しみは、時として男性にも言える。 性犯罪やストーカー行為は、女性より男性の方が圧倒的に多いからね」


「ですが、それとこれは…」


「木葉クン、考えても見たまえ。 広縞を殺す前の怨霊の時ですら、同じ憎しみを分かち合うからと被害者の遺族に手を伸ばしたのだ。 然も、こんな短期間で柵を幾つも飛び越えると云う、非常に力の在る悪霊に変わった。 その憎しみの深さや怨みの強さで、既に男女の区別無く引き寄せられる域に、向こうは踏み込んでいる可能性も在る」


「そんな・・、それじゃもう…」


絞り込む事すら為す術無しと、気落ちする木葉刑事。


だが、越智水には、まだ懸念が在る。


「それだけでは無いよ、木葉君。 一番の問題は、悪霊を見つけ出したとして。 それをどうするか・・だ」


だが、それに対しては、木葉刑事が越智水を見返し。


「先生、それなんですが…」


幾つか、考えが在った木葉刑事。 悪霊の姿を視える越智水には、打ち明けるべきと話した。

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