第64話 大賢者、我を失う

「ん……ああ……あ、あれ……お兄ちゃん?」

「霧子、目を覚ましたんだな! 大丈夫か、痛いところはないか?」

「もう、いい加減子どもじゃないんだからそういうのは……って、あ……れ……?」


 よだれを垂らしてびくんびくんしていたサムライお姉さんは、メリスちゃんの《疲労回復》によって意識を取り戻した。《疲労回復》は新陳代謝を加速させ、全身の不調を改善させる魔法だ。ガンとか感染症には逆効果になることもあるが、基本的には何にでも効果を発揮する便利な治癒魔法である。


「お兄ちゃん、これ、どうなってるの?」

「霧子がよくわからないものに取り憑かれていたのをレッドたちが助けてくれたんだ。ほら、ちゃんとお礼を言いなさい」

「えっ、レッドが!? くっ……あ、ありがとうございます!」


 マサヨシ君に膝枕されていたサムライお姉さんが、しゅびっと正座になってヒロトに頭を下げた。三指をつく所作が実に優美だ。これが伝承に聞くヤマトナデシコというものか……。


「ハハハッ! 気にする必要なんてないぜッ! 決め手はマサヨシだったからな!」

「すごいパワーだったね。ヒロトが変身すると、あれを使わないとならないから六鬼将戦のときは素でやりあってたんだ」

「あはは……ほんの数十秒しかもたないっすけどね。上級怪人並みの力を出せる、自分の奥の手っす」


 マサヨシ君は黒タイツの頭をぽりぽりかいて照れている。

 ちょっと待てや、サムライお姉さんの洗脳を解いたのは俺なのだが!? この大賢者セージなのだが!? ……って主張したくなるが、まあ、いくら俺でもこの空気で手柄を主張したりはしない。


「んで、マサヨシ君とキルレインさん? はどういう関係なわけ? お兄ちゃんとか言ってますけど、兄妹なの?」

「いや、実の兄妹ってわけじゃないっす。一緒の孤児院にいただけで――」

「疑似お兄ちゃんポジションんんんん!?」


 俺はガガガガガガッと歯を打ち鳴らしてマサヨシ君を威嚇した。

 サムライお姉さんはびくっとなってマサヨシ君に抱きついた。マサヨシ君はマサヨシ君で、その細い体をかばうように抱き返す。なんやねん、このうえ当てつけを重ねるのかっ!?


「そ、そう言われたらそうっすけど。なんでそんな荒ぶってるんすか!?」

「そりゃ荒ぶるだろう!? 疑似妹! 疑似お兄ちゃん! そんな関係はなあ、人類史がはじまる前からアカシックレコードに刻まれた魂の性癖なんだよ!!」

「ちょ、ちょっとミストさん!? よくわかんないんで助けてもらえないっすか!?」

「すまんな、うちの馬鹿が迷惑をかけた。おい、落ち着け馬鹿者」


 ミストチョップにより、俺は精神の平衡を取り戻した。


「そんなことよりもだ、気になることがある。キルレイン、いや、霧子と呼んだ方がいいのか? 霧子は一体何に取り憑かれていたんだ? 精神干渉を受けていた間の記憶はあるのか?」

「霧子って呼んでいいのはお兄ちゃんだけ……」


 サムライお姉さんの瞳に、一瞬暗い炎が灯る。

 なっ、なんだ!? また精神系の魔法を食らったのか!?


「き、霧子落ち着け。あといまは二人っきりじゃないぞ。みんな見てるからな」

「みんな見てる? そんなわけないじゃない。私は世界の滅びを見届けて……って、あれ?」


 サムライお姉さんが、切れ長な目を急に丸くして、左右に首を振ってキョロキョロとした。


「えっ、何これどこ……!? いや、待って。わかった。なんとなくわかってきた。思い出してきた。……ごほん。それがしは斬殺怪人キルレインにござる。其方そのほうらは、弊社の戦闘員に連れられてここへ参ったということでよろしいか?」


 サムライお姉さんは、居住まいを正してこちらに向き直った。

 その頬は、真っ赤に染まっている。あ、あぐらをかきつつマサヨシ君からじりじり距離を離している。さっきはあんなにひしっと抱き合っていたのに。


「急に他人行儀だな、キルレインッ! 俺は天王寺ヒロト! お前とは何度も戦ったジャスティスレッドだぜッ!」

「いやー、ヒロト。それはわかってると思うよ。ヒロトのその性格は悪くないと思うけど、少しは空気を読んであげた方がいいと思うんだ。ほら、あの娘って普段はずっと質実剛健なサムライキャラだったじゃん」

「なるほどッ! サムライじゃなくなるのはマサヨシの前だけだったってことだなッ!」

「だからそういうことを口にするなっ! この無神経!」


 ツカサがヒロトの首をひっ捕まえてずりずりと引きずっていく。

 危ない、俺もヒロトと同じようなことを口にする寸前だった。まったく、女心とはむずかしいぜッ……!


「えー、それでだ。キルレインとやらよ、このビルをこちらの世界に転移させてきたり、2万人もの客たちを誘拐したのは本心ではないと思っていいのか?」

「ジャークダーは悪の組織とはいえ、武士の一分がござる。それがしが正気であったなら、このような蛮行は刀にかけて絶対にせん」

「なるほどな。マサヨシ、君からみてキルレインは正気に見えるか?」

「はい、見えるっす。無理に肩肘張って武士っぽくしゃべるところは霧子のまんまっす!」

「だからお兄ちゃん! 人前でそういうのはやめてっ!」

「わ、悪かった。悪かったっす! キルレインさん!」


 なーんだか人間関係がわからないので、マサヨシ君とサムライお姉さんの関係性を確認すると、もともと同じ孤児院で育ったらしい。それで、同じジャークダーに就職したのだが、怪人因子とやらの適合率の高かったキルレインがあっという間にマサヨシ君を追い抜いて出世し、いまでは上司部下の関係なんだそうだ。


 なんすかね、その取ってつけたような幼なじみ設定は。

 自分に言わせればですね、幼なじみなんてしょせん幻想なのですよ。そんな属性を持ったヒロインがいるなんて吟遊詩人の雑な恋愛歌の中にしか存在しないアレなんですよ。しかも仮にですね、そういう幼少期を一定期間一緒に過ごした相手がいたとしてですね、どうせあれですよ、お互いの進む道が変われば気持ちも離れていって、知らないイケメンと挙げる結婚式でですね、涙を飲みながら祝辞を述べるんですよ。俺は大賢者だからね、そういうの詳しいんだ!


「す、すんません、セージさん。ちょっと言いにくいんですけど……」

「そ、それがしたちは、すでに夫婦なんだ……」

「メェぇぇええええ!?」


 予想もつかない幼なじみエンドに、俺は人間性を喪失した。

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