第63話 大賢者、活躍する

 黒い甲冑の怪人が縦横無尽に漆黒の刀を振るう。

 赤と黄の人型が空間を刻む無数の斬撃をかわす。

 黒、赤、黄が目まぐるしく入れ代わり立ち代わり、動く抽象画のような光景を眼前に表出させていた。その名状しがたい混沌とした色の暴風が通り過ぎたあとには、床が切り裂かれ、柱が砕かれ、すさまじい破壊痕が残されていく。


「うわー、たまんねえなこれ」

「とても割って入れる隙がないな……」


 せめて弾除けにでもなれば、と開戦直後は俺もキルレインの近くでぴょこたんぴょこたんしていたのだが、どういう理屈かやつの斬撃は間合いの外まで飛んでくる。狙われなくても流れ弾……流れ斬り? でまっぷたつにされかねなかった。


 俺の反射神経じゃとてもかわし続けられないので、ミストが展開している《多重障壁》のうしろまで避難してきた次第だ。半透明の無数の壁を生み出し、破壊されたら次々に新しい壁を再生していく。設置型の術式を得意とするミストの十八番のひとつだった。


「……シロも、出る?」

「いや、シロ殿は後詰めだ。ここぞというときまで待ってくれ」

「……わかった」


 シロちゃんは巨大なメイスを手にうずうずしているようだ。

 ミストが上手いこと止めてくれたからよかったが……実際、あの戦いの中にはシロちゃんでも入り込めないだろう。ヒロトとツカサの連携を崩す弱点にもなりかねない。


 パワーだけならシロちゃんが圧倒的だろうが、実戦経験が違いすぎる。とくにシロちゃんには強者と戦った経験はほとんどない。黒龍のおっさんから訓練くらいは受けてるだろうが……おっさん、親バカだからなあ。厳しい修行なんてさせてないだろう。


「ミスト先生ー、あたしはどうする?」

「メリス君はそのまま《疲労回復》の準備をしていてくれ。ヒロトかツカサが交代で退いてくるかもしれん。そのときにかけてやってくれ」

「わかったー!」


 メリスちゃんは細い腕を組んで、いつになく真剣な様子で戦いを見守っている。いつもお気楽元気なメリスちゃんだが、いまのシリアスな状況はさすがに察したようだ。俺をぐえーすることもぶんぶんすることもなく、青い瞳で懸命に人外たちの動きを追っていた。


「それでセージ、お前の方はどうだ?」

「悪りぃ、まるでスピードに追いつけねえ。しかもあの斬撃はどういうわけか俺の魔力を斬ってくる。数十秒……いや、数秒でも動きを止められればなんとかできると思うんだが……」

「あの化け物を足止めか……」

「解呪じゃなく、違う方向も考えた方がいいかもしれないな」


 変身したヒロトとツカサとここまで拮抗する相手は、百年前の旅でもそうそういなかった。邪神復活の儀式を守っていた牛頭人身の魔物以来か。あのときは、二人が時間を稼いでいる間に、俺とミストが協力して大魔法を練ってふっ飛ばしたんだった。


 もし俺が生身なら、自由に魔力が使えたのなら同じ作戦も使えるが……俺の視線がドームの中央にそそり立つ黒い柱に引き寄せられる。あれは十中八九、魔石の塊だ。あれから魔力を引き出せれば、制限なしに魔法を使えるはず。どうにかしてアレに接近し、経絡を接続できれば――


「数秒、止めればいけるんすか?」

「ん? まあ、できれば10秒」


 同じく障壁内に避難していたマサヨシ君が口を開いた。

 いや、マサヨシ君が強いのはヒロトとの戦いでわかってるけど、あれは変身してない素の戦いだったからだ。とてもいま目の前で繰り広げられている戦いに関われるレベルじゃない。


「自分に任せてほしいっす」

「命がけでなんとかしようってか? 無駄死には認められねえよ」

「そのとおりだ。そもそも君が命を張ったところでまばたき程度も止められまい」


 マスク越しのマサヨシ君の目には、悲壮な覚悟が灯っていた。

 ダメだろ、そんなんは。理屈じゃなく、そういうのはダメだ。命がけとか、自己犠牲とか、くっだらないナルシスト野郎のやることだ。全員が生き残ってスマートに勝つ。それが大賢者様の心意気だぜっ!


「それをお前が言うか、馬鹿者め。少しは私たちの気持ちがわかったか? ああ、それからお前もだぞ。一か八か、残った魔力で魔法を使ってなんとかしようなんて考えるなよ?」

「い、いえすまむっ!」

「誰がマムだ……」


 ミストがジト目で俺を見てくる。

 えへへ、ありがとうございます。なんだか背筋がぞくぞくしちゃうね。


 ま、さすがに俺も馬鹿じゃない。一か八かをやるのは……まあ、まだ戦況には余裕がある。そんなギリギリの状況まで想定するにはちと早い。魔石へのアクセス手段を考えるのがまずは良策か?


「いや、ちゃんと策はあるっす。切り札を使うんで、セージさんは解呪の準備をお願いするっす」

「おいっ! 待てっ!」


 止める間もなく、マサヨシ君が障壁の外に飛び出した。

 そして致命の暴風が吹き荒れる戦場に仁王立ちになる。黒い全身タイツのあちこちが瞬く間に切り刻まれ、そこから血が吹き出し……いや、血じゃない? 煙? 白い蒸気のようなものが吹き出している。


「キルレインさんっ! いやっ、霧子! 俺の話を聞けっ!」

「誰だ霧子とは? 雑魚が我が愉悦闘争の邪魔をするな」


 黒い斬撃が放たれ、マサヨシ君の身体を袈裟懸けに切り裂く。

 しかし、そこからあふれるのも真っ赤な鮮血ではなく、白い蒸気だった。


「自分の本名もわからなくなっちまったのか! やっぱりお前は霧子じゃないんだな!」

「ハッ! いまさら気がついたか! 貴様らがキルレインと呼んでいたものは、とっくのとうに我が呑み込んだ!」

「霧子っ! わかるか! 俺の声が届いているか! お前は悪者なんかに負けるやつじゃない! 気をしっかりたもて!」

「カカカカカッ! 馬鹿め我が精神支配の前に……お兄……ちゃん?」


 暴風が止んだ。

 黒い武者が足を止め、その場でよろよろと足踏みをする。

 ヒロトとツカサは一旦距離を取り、油断なくかまえながら様子を見ている。


「ぐぬぅ、忌々しい。まだ魂が死んでおらなんだか。邪魔をするなっ!」

「霧子、ちょっとだけ踏ん張れ! いま兄ちゃんが助けてやるからな!」

「……わかっ……た……」

「うおおおおお! 変身っ! 《幕間のワンミニット道化師ファントム》」


 雄叫びとともに、マサヨシ君の全身から蒸気が噴き出し白い雲を作る。

 次の瞬間、雲から弾丸のように巨体が飛び出す。緑の皮膚が分厚い筋肉ではち切れんばかりに膨れ上がり、あちこちから生えた管が蒸気を噴き出している。それ・・がキルレインに組み付き、流れるような動きで足を絡めて地面に倒す。

 この低空タックルからの見事なテイクダウンは――マサヨシ君!?


「セージさんっ! 俺の変身は1分ももたないっす! いまのうちに!」

「任せとけっ!」


 マサヨシ君の男気に応えるべく、俺は魔力の触手を伸ばす。

 キルレインの脳内に侵入し、経絡の異常を探す。ハッ! がっちがちに侵食されてやがるが、魂の殻はなんとか守られているようだ。俺は触手をメス状に変化させ、殻にこびりついたドス黒い何かを全力で引き剥がしていく。

 ちょっと乱暴だが、命に別状はない。悪いが緊急事態だ。我慢してくれよ!


「んんンっ! あっ! ひゃァんっ! あふ……あっあンっ……らめっ! らめぇ! んぁぁぁあああ!!」


 キルレインの悲鳴とともに、変身が解けて元のサムライ美人の姿に戻った。

 白い頬が紅潮し、ほとんど白目になりかけてハァハァと荒い息をついている。時折びくんびくんと痙攣しているが、これならしばらくすれば意識を取り戻すだろう。


「あ、あの、セージさん。助けてくれたのはうれしいんすけど……他にやりようはなかったんすかね?」

「えっ、なんか問題あった?」


 同じく変身が解けたマサヨシ君が、なんだか微妙な視線をこちらに向けてくる。

 すると、ミストが頭をかきながらつぶやく。


「問題はない。仕方がなかったし、問題はない、はずなのだがな……」

「問題ないならいいじゃん。大賢者的なスマートでパーフェクトな解決だっただろ? ほらほら、もっと褒めてくれたっていいんだぜ。ビバ大賢者! ブラボー大賢者!」

「うるさい、馬鹿者」


 ヒツジさんヘッドをミストの理不尽チョップが襲った。

 えへへ、ありがとうございます。

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