第62話 大賢者、最上階につく

 YADOBASHIビル2048階。

 そこはこれまでの階に比べて明らかに柱の数が少なく、広々としたドーム状になっていた。四方どころか天井までもガラス張りだ。雲は眼下にしかない。まるで青空に浮かぶ半球のようだった。


 そして、ドームの中央には巨大な黒い柱が立っていた。もしかして、あれ丸ごと魔石かな? 濃密な魔力の気配が漂っている。

 柱の前には祭壇が設けられ、そこには無数の魚の頭に囲まれた黒い像があった。絡み合った無数の蛇が人型を為しているそれは、禍々しい雰囲気とともに耐えきれない異臭を放っている。

 ……な、生臭い。魚の頭が生臭いんですよ。腐ってませんかそれ?


「くくく……よく来たなジャスティスイレブン。たった2人でこの斬殺怪人キルレインに勝てるつもりか?」


 祭壇の影から、人影が現れた。

 流れる黒い長髪を後ろでひとつにまとめている。抜けるような白い肌に、酷薄さを感じさせる鋭い双眸。腰には1本の刀。逆巻く荒波を大胆に描いた着流しを崩して羽織り、その胸元にはさらしで巻いた谷間が見事に存在感を主張していた。


「ふふ、たった2人ではありませんよ。この《大賢者》セージをお忘れでは? 六鬼将との戦いはどこかからご覧になっていたのでしょう。ところで、いまはちょっとゴツめの装備をしてますけどね、本当はもこもこふわふわがウリなんです。ほら、この背中のあたりとか、ちょっともふもふしたくなってきませんか?」


 谷間の引力に負けた俺は、トテトテとどんぐりの蹄を鳴らしてお姉さんに吸い込まれていった。あっ、さらしとかよくないですよ。形が崩れるのが早くなるとかなんか聞いたことがあるっす。取るんならお手伝いしますよ。あっ、ぼくヒツジなんで、下心とかそういうのは一切――


「有象無象は数には入らん。六鬼将もただの余興よ」


 その言葉とともに、お姉さんの右手が消えた。

 続けて、チンと鍔鳴りの音がする。

 すると、俺の装備が微塵に分割され、ガラガラと音を立てて床に落ちた。

 えっ、なにそれ? 神速の居合抜きみたいなこと……? これミスリル入りなんですけど? ものすんっごい硬いんですけど!? 普通斬れるようなものじゃないんですけど!?


「我と愛刀 《人喰い雄呂血》の前に斬れぬものなし。だが、この貴様の如き下衆を斬っては刀がけがれる。さがれ、下郎め!」


 俺はお姉さんに蹴り飛ばされ、ぽてんぽてんとメリスちゃんの足元に転がった。

 美女に足蹴にされたにもかかわらず、いつもの昏いトキメキがない。俺は俺が開きつつある新たな扉の正体に指をかけつつあった。


「ヒツジ先生ー、だいじょうぶ?」

「うん、メリスちゃんありがとう。なんともないよぐえー。だから傷がないかとか調べなくてもだいじょうぶだよぐえー」


 メリスちゃんは俺を拾い上げると、こねこねしながら全身をチェックしはじめた。心配はうれしいんだけど、首がね、それにあちこちがね、ぎゅーっと締まってるんだよメリスちゃん。


「あの一瞬で20回も斬りつけるなんてなッ! やるじゃねえか、キルレインッ!」

「ふっ、我が神速の居合を目で追えるとはな。ジャスティスレッド、貴様もなかなかではないか」


 俺と入れ替わりでヒロトがキルレインの前に進み出る。

 なんだか好敵手っぽい雰囲気をかもしだしているけれども、戦ったことがあるんだろうか?

 ふとした疑問に、ツカサが答えてくれた。


「うん、キルレインとは何度かやり合ったよ。毎回勝負つかずの引き分けだった。でも、やっぱり雰囲気がおかしいね。あんな喋り方だったっけ?」

「違うっす! 普段のキルレインさんは一人称は『それがし』だし、語尾は『ござる』調だったっす!」


 なるほど、やっぱり精神干渉系の魔法の影響下にありそうだ。

 俺はキルレインの注意がヒロトに向いている間に、こっそりと魔力の触手を伸ばす。術式の解析は充分じゃあないが、これは緊急事態だろう。数日昏睡することになるかもしれないが、強引に解呪させてもらうことにする。

 無色透明、質量さえない触手がキルレインの頭までもう少しというところで――


「む、殺気!」


 再びキルレインの右手が消え、魔力の触手が斬り飛ばされた。げえっ、物理で魔力を斬るとかどういう原理だよっ!? こんなことは俺もはじめてだぞ!?


「面妖な術を使う毛玉だな。やはり斬っておくべきだったか?」

「キルレイン、お前の相手は俺だッ! この世に太陽ある限り、闇の栄える試しなし! 変ッ! 身ッ!!」

「悪いけど、きみが相手じゃ余裕は見せてられないよ。今日も見せよう横綱相撲。あとに残るは電車道――変身ッ!」

「ハハハハ! 全員でかかってこい! 我の力を見せてくれよう。邪神招来――変身ッ!」


 ヒロトの身体が炎に包まれ、赤いスーツをまとった姿に変身する。

 ツカサのまばゆい光で包まれ、黄色のスーツをまとった姿に変身する。

 そしてキルレインは――全身を黒い靄で覆い隠され、それがぐるぐると渦巻いたかと思うと、ばっと靄が飛び散った! 靄の中から現れたのは、さながら漆黒の鎧武者のような姿だ。ところどころに逆巻く荒波の意匠が施され、六鬼将には感じなかった圧倒的なプレッシャーがびしびしと伝わってきた。


「……シロも、変身する?」

「いや、シロ殿は少し様子を見ていてくれ。ドラゴンの姿は強いが的が大きくなる。キルレインとやらがどんな攻撃をするのか見極めてからにしよう」

「メリスはどうするのー?」

「メリス君は《疲労回復》の術式をいつでも発動できるよう準備していてくれ。《魔弾》程度では何千発叩き込もうが効果がなさそうだ」


 ミストがテキパキと指示をしていく。

 ええー、そういう司令塔って大賢者のポジションだと思うんですけど……。まあ、百年前もミストが軍師キャラだったが。


「俺は隙を見て精神干渉の解呪を試みる、でいいか?」

「ああ、頼む。お前にしかできんからな」

「はっはっはっ、大賢者様の真価を見せるときが来たようだなっ!」

「また調子に乗って……とにかく、焦って魔法を使うなよ」

「はいはい、わかってるって」


 俺たちが作戦会議をしている間も、キルレインは刀を鞘に収めたまま動かない。

 強者の余裕ってやつか? あんまり舐めてると足元をすくっちゃうぞ!


 なんて思っていると、キルレインが刀を鞘ごと腰から引き抜き、水平に構えた。


「まずは目障りな雑魚に消えてもらおう。邪刃解放リベレイション――邪刃一閃!」

「みんな、伏せるっす!」


 マサヨシ君がミストたちに飛びかかり、メリス、シロとまとめて床に押し倒す。

 反応が遅れた俺の頭上を、キルレインの刀から生じた黒い閃光が凄まじい速度でかすめていく。閃光は壁面のガラスを何の抵抗もなく貫通し、雲海に刺さって巨大な亀裂を生じさせた。


「相変わらずすげえ威力だなッ!」

「ふう、直撃したらひとたまりもないよ」


 ヒロトとツカサはそれぞれ自分の力でちゃんと避けたようだ。

 俺やミストのような後衛タイプとは反射神経の出来が違う。


「ほう、裏切り者の手助けがあったとはいえ、我が奥義でひとりも欠けぬとはな。思ったよりも楽しめそうではないか。では、斬殺怪人キルレイン、推して参る!」


 漆黒の刃を閃かせながら、キルレインがヒロトに向かって躍りかかった!

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