第26話 大賢者、土下座する

 ミストたちが風呂に行っている間、俺と黒竜のおっさんはかつての決着をつけようとしていた。

 一瞬たりとも気を抜くことはできない。油断をすれば一瞬で食われる。へへっ、この感覚、ひさびさにひりつくぜ……。まるで、深海で息を止め続けているような気分だ。ふふふ、俺も末期だな。魂が悦びに震えているのを感じるぜ。


「……お風呂、出た」


 俺とおっさんが盤面を挟んで対峙していると、シロちゃんがお風呂から上がってきた。白い肌が赤みがかってほかほかしている。花柄の寝間着を着て、頭には三角帽子が載っている。うふふ、かわいいね。


「ヒツジ先生ー! シャワーすごかった!」


 ああ、メリスちゃんはシャワー初体験だったんだね。王都の銭湯に行けばよかったね。そういえば、王都は特急で通過してしまってろくに観光もしていない。帰ったらあちこち見て回ろうね。


 メリスちゃんの服装はシロちゃんとお揃いだ。

 寝間着の柄だけが違い、ヒツジさんが並んだデザインになっている。先生をリスペクトしてくれたのかな? うふふ、かわいいね。


「風呂ってのも気持ちいいもんだな。水浴びとはぜんぜんちげぇ!」

「そっすね、姐御。うちらの巣にも作れねえっすかねえ」


 続いて、真紅の長髪を艶やかにきらめかせる知らないお姉さんたちがやってきた。やや険のある鋭い瞳を、長いまつげが覆っている。いかにも強気そうだが、それがかえって媚びない美しさとなっていた。肌は健康的に日に焼けており、ゆったりとしたバスローブの胸元には黄金比を思わせる絶妙な谷間が、主張しすぎず、かといって遠慮しすぎず、存在感を放っていた。


 俺は電光石火の速度でテーブルからぴょこたんと飛び降り、知らないお姉様方に深々と一礼した。


「こ、これはこれは美しいお嬢様方。黒竜公にお仕えされている皆様でございましょうか。ゆったりとしたお召し物が大変お似合いで。私の名はセージ。恥ずかしながら《大賢者》の二つ名で通っておりまして、かつての友誼を頼り黒竜公の客人として――」

「あ゛? 何言ってんだ、ヒツジ野郎」

「姐御ぉ、やっぱこいつキモいっすよ」


 知らないお姉さんたちからいきなり罵倒された。俺は胸がときめいた。

 しかし、キモいと言われるのは本意ではない。俺はヒツジさんボディの可愛さをアピールするために、しゅばばばばっとどんぐりタップを決めた。


「あー、セージ。なにやらはしゃいでいるが、彼女らはピュイたちだぞ……」


 同じくバスローブを羽織ったミストが頭を拭きながらやってきた。

 その胸元の膨らみは、あまりに大きすぎた。 大きく、ぶ厚く、重く、そして洗練された曲線を描いていた。それは正におっぱいだった――って、パードゥン? いまなんつったの? もう一度お願いできますか?


「だから、彼女たちはハーピーで、魔土怒羅権マッドドラゴンの、ピュイたちだと言ってるんだ。風呂に入って見違えたことは否定せんがな」

「メェっ!?」


 ミストが真紅髪のお姉さんの袖を少しまくって見せると、そこにはたしかに翼があった。

 混乱した俺は、人間性を喪失した。


「マジかよこいつ。大賢者とか名乗ってるくせに人の見分けもつかねえのかよ」

「メェぇぇー」

「あんま賢くは見えないっすよね」

「メェぇぇー、メェぇぇー」


 俺は悲しく哭き続けるだけの獣となった。

 メェメェと哭きながらピュイと思しきお姉さんの前にふらふらと歩いていき、両手をついて土下座した。


「これまでのご無礼ッ! 大変失礼しましたッ! 今後は姐さんたちの舎弟としてやっていきたく存じる所存にてござりまして候! どうかお引けえなすって!」

「な、なあ、ミストさんよ。こいつが何言ってるかわかるか? すげえキモいってことだけはわかんだけど」

「雑音だ。気にするな。かまうとつけ上がるぞ」

「お、おう」


 お姉さんたちは、土下座する俺を地面に散らばった酔っぱらいの吐瀉物のごとく大回りで避けていった。

 なぜだ。こんな扱いに喜悦をおぼえる自分がどこかにいる。


「あー、セージはまあ放っておくとして……黒竜公閣下、食事だけでなく風呂の馳走まで痛み入ります。そしてこのような夜着まで用意いただき感謝にたえません。御礼を差し上げたいところですが、旅の身ゆえ何の準備もなく。ただ非礼をお詫びし、ご厚意に感謝するだけとなってしまうことをお許しください」

「はっはっはっ、気にする必要などないのであるよ。その夜着も暇にあかせて吾輩が縫ったものである。誰かに着られる機会が得られて吾輩こそ感謝したいのである。気に入ったのなら、ぜひ土産にもらって欲しいのである」

「こ、これを閣下が手ずから縫われたと……!?」

「あー、このおっさんね。めっちゃくちゃ多趣味なのよ」


 ミストが何やら混乱しているので人間性を取り戻した俺が説明をする。


「千年以上生きてっからね、暇で暇でしょうがなかったんだってさ」

「うむ、生まれてしばらくは闘争に明け暮れていたのであるがな。そんなものは百年、二百年で飽きるのである」

「おっさんが本気出したらまともに相手になるやつなんて《神》か《悪魔》くらいしかいねえだろうからなあ。それで、王国の建国王が『趣味を持て』ってアドバイスして、その通りにしたそうだ」

「うむ、あれはよい助言をもらったのである。二人で色々なことをして遊んでな。そのときに教わったもののひとつがこれなのである」


 おっさんが、俺と勝負をしていた盤面を指差す。

 白と黒の丸いコマが並ぶ、シンプルにして奥深い知的遊戯。俺とおっさんが百年の時を超えて、いよいよ決着の時を迎えようとするそれの名は――


「リバーシですか。王都でも愛好者は多いですよ」

「おお、そうであるか! 先ほど礼など要らぬと言った口で恥ずかしいが、よければ一局お相手願いたいのである」

「こちらこそ。かの黒竜公と対戦できたなど、千年先まで語り草になりましょう」

「……シロとも、やる」

「ミスト先生ー! りばーしってなあに?」

「おっ、遊ぶんならあーしらも混ぜてくれよ」


 というわけで、俺とおっさんの因縁の対決は、ゲスト多数を含む総当たり戦へとシフトした。

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