第25話 錬金術師、風呂に入る

 ミストはじたばたと暴れるセージを燭台に吊るし、シロのあとについて廊下を歩いて行く。

 黒竜公が突然人形劇をはじめたのには驚いたが、それ以前に想像の斜め上の事態が連続していてすっかり感覚が麻痺していた。この茶番はいつまで続くのか……と辟易していたところでの提案だったのだ。


「なあ、あーしらもなんとなく流れでついてきちまったけど、オフロって何だ?」


 ハーピーの総長、ピュイがミストに尋ねる。

 その赤い髪はぼさぼさで、なるほど、風呂を知らないのも納得できるとミストは思った。


「温かい水に浸かって、身体を洗う施設のことだな」

「へえ、そんなのがあるのかよ。川で水浴びすりゃいいじゃねえか」

「冷たい水ではいつまでも浸かれまい。湯であればじっくりと水浴びができる」

「なるほど、そんなもんかあ」


 ピュイを適当にあしらいながら進んでいくと、硫黄の臭いが漂いはじめた。

 なるほど、温泉というわけか。温泉に入るのはひさびさだ。ミストの心が、少し浮き立つ。


「……ここで、服、脱ぐ。向こう、お風呂場」


 シロの案内に従い、ミストたちは服を脱いだ。

 風呂場の前の部屋には大きな棚があり、着ていた服はそこにしまう。


「……ここ、お風呂」


 シロがガラス戸を引き開けると、もわっと湯気があふれてくる。

 湯気の向こうには広々とした浴場があった。手前に洗い場があり、その奥にはなみなみとした湯で満たされた大きな湯船がある。数十人が一度に入れる大きさで、王都の共同浴場並みに広い。


「へっへー、こいつが風呂ってやつか。一番乗りー! うぎゃっ」

「湯に浸かる前に体を洗え」


 湯船に向かって突進しようとするピュイの首根っこをつかんで止める。

 ハーピーたちはピュイさえ抑えれば言うことを聞くから、思ったよりも扱いやすかった。少なくとも、あの自由極まりないわたぐるみよりは。


「体を洗えって言われてもよう。水ん中に入らねえとはじまらねえだろうが」

「……シャワー、ある」

「シャワー? なんだそりゃ?」

「こっちに来い。使い方を教えてやる」


 洗い場に並ぶ椅子にハーピーたちを座らせ、蛇口をひねってみせる。

 据付のシャワーヘッドから温かい湯が流れ出した。


「おー、こりゃすげえな! 大雨みたいなのに、あったけえぞ!」

「シャワー、すごーい!」

「おっと、メリス君もシャワーははじめてか」


 ミストは色めき立つハーピーたちを一旦放置し、メリスを座らせる。


「……これ、石鹸。髪用、仕上げ用、身体用」

「石鹸が三種もあるのか。まるで貴族みたいじゃないか……いや、黒竜公は貴族だったな。ありがたくお借りしよう」


 もはや伝説に類する話だが、黒竜公は建国王に貴族位を与えられ、王国の西を守る役目を担っていると言われていた。

 ミストはそれを眉唾ものだと思っていたが、先ほどの黒竜公の話から察するに、どうやら真実だったようだ。


「ほら、頭を洗ってやる。目をつむらないと泡が目に入るぞ。かゆいところはないか?」

「ないー!」


 頭を洗ってやりながら、ミストはメリスの身体をしみじみと見た。

 農家の子だというのにほとんど日焼けもしていない、白くすべすべした肌。極上の絹糸のようにさらさらとした金髪。こんな細い身体のどこにあれだけ強大な魔力が秘められているのか。改めて魔法の不思議に心を馳せる。


「……次、私」

「なんだ、シロ殿も自分で洗えないのか?」

「……洗える。けど、洗って欲しい。父上、お風呂、一緒、しなくなった」

「はは、そういうことか。引き受けよう」


 黒竜公が一緒に風呂に入ってくれなくなり、頭を洗ってもらえなくなったのか。

 他人に洗髪してもらうのには独特の気持ちよさがある。ミスト自身も、床屋で頭を洗ってもらうのが好きなのでシロの気持ちはすぐに察せられた。


 メリスを片付けてから、ミストはシロの洗髪に取り掛かった。

 金と銀で髪色はまるで正反対だが、細くしなやかな髪質はメリスそっくりだ。肌はメリスよりも一層白く、高級な磁器のように透き通っている。メリスとシロはどことなく姉妹のようだ。二人の内に秘められた膨大な魔力が、そのような印象を抱かせるのだろうか。


「……んっ、あっ」

「む、すまない。くすぐったかったか?」

「……つの、くすぐったい」


 シロが突然嬌声を上げた。気が付かなかったが、こめかみの少し上あたりに小さな角が隠れていた。どうやらこれに触れるとくすぐったいようだ。


「この石鹸ってやつは面白えな! いくらでも泡立つぜ!」

「こら、風呂場で遊ぶな。転んで怪我をするぞ」


 はしゃいだ声に振り返ると、ハーピーたちが泡だらけになってバサバサと翼を羽ばたかせている。

 ミストはため息をついて全員を椅子に座らせた。


「ほら、髪を洗ってやるから大人しくしろ。メリス君、シロ殿も手伝ってくれるか?」

「はーい!」「……わかった」


 ピュイの赤い髪をたっぷり湯で濡らし、石鹸を泡立てる。……が、なかなか泡立たない。ハーピーに風呂の文化はない。長年染み付いた脂で髪がごわごわになっているのだ。


「これは厄介だな……。何度か流すぞ」

「えー、まだあっちの水たまりには入れないのかよ」

「髪も体もきれいにしてからだ」

「ちぇっ、風呂ってのは面倒なんだなあ」


 言葉とは裏腹に、ピュイの表情は上機嫌だった。どうやらハーピーでも洗髪は気持ちいいもののようだ。

 メリスとシロが担当しているハーピーたちもうっとりした表情で頭を洗われている。


「ほら、身体も洗ってやる。翼を上げろ」

「ひゃんっ、いや、身体は自分で洗えるって! やめろっ! くすぐったいだろ!」

「風呂ははじめてなのだろうが。大人しく言うことを聞け」


 泡立てたタオルでピュイの身体を洗いながら、ミストはハーピーの身体をまじまじと観察する。

 なるほど、翼の付け根はこのようになっているのか。胴はほとんど人間と変わらないが、鳥の姿とつながる少し手前から鳥肌になり、細かな羽毛が生えている。

 乾いているときは羽毛でわからなかったが、足は標準的な人間よりもずっと細い。これで我々を吊り上げながら飛んでいたのだから大したものだ。人間とは筋肉の質が違うのだろうか……。


「んぁっ! やめろっ! なんか手付きがやらしいぞっ! ひぅっ、そこっ、ダメっ!」

「ん? ああ、すまんな。少々夢中になってしまった」

「何にだよっ!?」


 全員を洗い終え、ようやく湯船に入ろうというときだった。


「おい、ミスト、お前はまだ洗ってねえじゃねえか」

「ああ、これはうっかりしていたな。先に湯につかっていてくれ」

「つれねえこと言うんじゃねえよ。あーしらがきれいに洗ってやっからさ」

「あたしも洗ったげるね!」

「……シロも」

「いや、だから大丈夫だと……きゃっ、どこを触ってるんだ!? ひんっ、こら、ふざけるんじゃない、あんっ! く、くすぐったいだろ……んぁっ」


 ミストの褐色の肌が、寄ってたかって泡まみれにされた。

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