第10話 〈アワ〉視点(糸の塊)
部屋に帰り着くと、〈ナルゴ〉が悩みだした。
丸い物を取ると、隙間が無くなってしまうのを、どう解決するか考えているようだ。
〈ナルゴ〉は、あまり頭が良くないみたい。
「あのう、代わりに石を置いたらどうですか」
「おぉ、〈アワ〉は賢いな」
「たいしたことじゃないです」
ここには、石しか無いので当たり前だ。
褒められるような事じゃないけど、他人に褒められたのは、いつ以来だろう。
思い出せないくらい、昔のように思う。
悪い気はしないな。
石を代わりにしても、問題が無いことが分かったので、もう
「少し離れていてもらえませんか。お願いします」
早く、《命の泉》の水を浴(あ)びたい。
久ぶりにワクワクする。
でも、〈ナルゴ〉の前で裸になるわけにはいかない。
〈ナルゴ〉は男で、私はハレンチな女じゃない。
裸を見せるのは、好きになった人だけと決めている。
今はむなしいけど、決めたことは守りたい。
常識でもある。
病んでいる私の裸なんか、見たく無いと思うけど、〈ナルゴ〉は邪魔だ。
「そう。分かったよ」
〈ナルゴ〉は、何の迷いも無く、素直に離れていってくれた。
ありがたい。
私の裸には、興味が無いのだろう。
丸い物に《命の泉》の水をくんで、身体にかける。
皮膚から、命の水がしみ込んでいくみたいだ。
私の身体が、癒されていくように錯覚する。
清らかな水は、すごいな。
気分まで、洗ってくれる。
心も、落ち着いていく。
服を濡らして、身体を拭いた。
何日振りだろう。
いいえ、何日では無いわ。
何月だわ。
気持ちが良い。
身体に付いていた、汚いものが落ちていくのが分かる。
これからは、いつでも身体を拭けるのが、とっても嬉しい。
少し前までは、思いもしなかった贅沢だ。
この《命の泉》のほとりで、死ねたら本望だわ。
道の上で死ぬより、百倍良い。
ここには、静寂と清らかさがあるもの。
私をさらった〈ナルゴ〉に感謝だよ。
ひと通り拭けたから、今日はこれで終わりにしよう。
いつでも来れるし、弱っている身体に無理させるのも良くない。
手拭き代わりに、使っていた服を両手で絞ると、マズイことが分かった。
服が、もう服じゃ無くなってしまった。
限界だった服が、濡れたことによって、限界を超えたみたい。
繊維がボロボロになって、絡まって、ただ糸の塊になってしまった。
困ったわ。
下着もボロボロだし、これじゃ、色々見えてしまう。
どうしよう。
「〈アワ〉、大変だ。骨があったよ。人が死んでるよ」
「キャー、こっちを見ないで」
コイツは何よ。
いきなり近づいて、バカなの。
離れたところから、声をかける頭が無いの。
「ああ、そうだったな。ごめん。後ろを向いているよ」
私は、好きになった人にしか見せないの。
もっと、気を使いなさいよ。
それにしても、ここに人骨か。
こんなところに。
本当かな。
「人骨が、あったのですか」
「そうなんだ」
「少し待ってください。服をちゃんと着ますから」
こんな糸の塊では、どうしようも無い。
自分で言っておいて何だけど、ちゃんと着れるわけが無い。
「ふー、どうしようもないです」
ため息と愚痴が出てしまう。
これが限界だわ。しょうがない。
「もう、こっちを見ても良いですけど、あまり見ないでください」
胸は何とか隠したけど、代わりに下半身が隠しきれなかった。
足はもうあきらめるとして、お尻が隠れていると良いのだけど。
〈ナルゴ〉を見ると、こっちを見てはいない。
それは、良いのだけど。
目を背けるような態度が、気にいらないな。
私の病気の身体を、汚いと思っているんだわ。
しょうがないけど、ムッとする。
「こっちだ。案内するよ。歩ける」
「水を飲んで、ましになりました。何とか歩けます」
私は、何とか歩けるようになった。
やっぱり、水はすごい。
こんな服の状態で、〈ナルゴ〉に負ぶってもらうのも嫌だ。
頑張って歩こう。
しばらく歩くと、緑の物が見えた。
教わったことがあるコケだ。
やった、食べ物だ。
「あっ、苦汁苔(にがしるごけ)と酢汁苔(すじるごけ)がありますね。これ食べられますよ」
「本当」
「苦いのと酸っぱくて、美味しくはないですが、我慢すれば食べられます。
緊急時の食料と学んだことがあります」
「そうなんだ。これで少しだけ寿命が延びたな」
「少しだけですね」
〈ナルゴ〉の言う意味は、私も分かる。
少し生き延びたとしてどうなるの、と言いたいのだろう。
でも、出来る限りあがき続けるしか無いんだよ。
あなたも、死ぬのが怖いはず。
「人骨は、そこの窪みにあるんだ」
私は、〈ナルゴ〉が指し示した窪みを覗き込んだ。
「本当に人骨みたいですね。窪みから引き出してあげましょう」
本当にあった。
この人は、なぜこんなところで死んだんだろう。
こんな岩しかないところで。
この人を、このままにしては置けない。
霊魂が、現世に彷徨(さまよ)ってしまう。
「えっ、引き出すの」
〈ナルゴ〉が嫌がっている。
なぜ。奴隷なら人が死ぬことに、慣れているはず。
骨が怖いの。
骨を忌避(きひ)する宗教があるのかしら。
「野ざらしは可哀そうです。埋葬してあげたいです」
私が説得すると、〈ナルゴ〉は渋々ながら、骨をスコップで引っ張り出した。
骨を忌避する宗教を、信仰しているわけじゃ無いみたい。
単に骨が怖いの。
不思議な人だ。
〈ナルゴ〉が、埋葬のための穴を掘っているうちに、私は祝詞をあげてあげよう。
見習い巫女の祝詞でも、無いよりは百倍ましのはずだ。
この人のために、心を込めて唱えよう。
この人が安らかに眠り、霊魂が清められ、聖なる高みに昇って行けるように。
「今唱えていたのは、何なの」
「死者を送る祝詞(のりと)です。私は見習い巫女だったのですよ」
〈ナルゴ〉に聞かれて答えた「だった」が切ない。
もう、私は見習い巫女じゃないんだ。
仲間の元へは、帰れないんだ。
固い石に当たって、〈ナルゴ〉は浅い穴しか掘れなかったようだ。
でも、もう骨になっているのから十分だ。
骨を埋めてあげて、見えなくするのが重要なんだよ。
埋葬した人の前に立って、〈ナルゴ〉と2人で昇天を願った。
埋葬を終えて、私はこの人の上着を使うことにした。
私には大き過ぎるけど、今着ているのは、もう服じゃない。
「〈アワ〉、服とかはぎ取っても良いのかな」
「はぎ取ってはいません。有効に使わさせて頂いているのです。全然違います」
〈ナルゴ〉が変なことを聞いてくる。
「はぎ取る」のは、強盗や盗賊団のすることだ。
亡くなった人から譲り受けるのとは、全く違う。
〈ナルゴ〉の考えは、良く分からない。
〈ナルゴ〉はどこの国に生まれて、どんな育ち方をしたのだろう。
私とは、全く違う気がする。
「たたられたりしない」
もっと、訳が分からないことを聞いてきた。
たたられるのは、非道なことをした時だけだよ。
見ず知らずの人を、埋葬してあげたのに、やっぱりバカなの。
「しません。私達、ちゃんと埋葬してあげました。感謝されているはずです」
この人の着ていたズボンも、使わせて頂くことにした。
私は上着を使うから、ズボンは〈ナルゴ〉が使えば良い。
シャツと下着は、残念ながら、ボロボロで形がもう無かった。
それから、剣、針、コップも使わせて頂く。
全部錆びているけど、錆びを落とせば使えるだろう。
絶対あるはずと、探していた火打石も見つけることが出来た。
泉も見つけたし、服や剣とかも手に入った。
地獄で神と言うけれど、本当にあることなのね。
神様に、感謝の祝詞を捧げなくちゃいけないわ。
〈ナルゴ〉は、奴隷から抜け出して、あの部屋を見つけた。
泉も見つけたのも彼だし、コケや服や剣とかも、見つけたのも彼だ。
〈ナルゴ〉は、今、運のめぐりが良いのかも知れない。
しばらくは、〈ナルゴ〉の尻馬に乗るのも、ありかも知れないな。
もう一度、埋葬した人を祈って、あの部屋に帰った。
歩けないことは無いけど、〈ナルゴ〉に負ぶってもらった。
厚手で大きな上着を着ているから、恥かしさはあまり無い。
丈も長過ぎるのが幸いして、私の膝近くまでを隠してくれている。
〈ナルゴ〉は、埋葬した人の荷物を取りに行って、コケもスコップで採集しに行っている。
私はその間に、錆びを落とす砥石になる石を探しておこう。
硬くて粒子が細かい石が、良いと思う。
中々良い石を見つけた時に、〈ナルゴ〉が帰ってきた。
スコップは、こんもりと緑色だ。
あまり美味しそうには、見えないな。
コケは。
〈ナルゴ〉が、パンを一切れと、肉を千切って渡してくれた。
良く噛んで食べた。
これも、もう無くなるのね。
次はコケか。
私は「ごちそうさま」と礼を言った。
「どういたしまして。疲れたから、俺はもう寝るよ」
と〈ナルゴ〉はもう寝るようだ。
〈ナルゴ〉は、夜だと思っているようだ。
私も、何となくそう思う。
私も疲れているから、もう寝よう。
〈ナルゴ〉から離れるのは、当然だ。
まだ、信用は出来ない。
相手は若い男だ。
二人切りでいるのは、オオカミといるのと同じだ。
襲ってきたオオカミを、どうにか出来るかは疑問だけど。
今日は、泉の水を飲めたし、身体を拭けたから、気分良く寝られる。
唯一の汚点は、〈ナルゴ〉に半分裸を見られたことかな。
ああ、眠い。
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