第3話 彼らが夢に見たものは……
沖田総司は、浅葱と白のだんだら羽織を纏って、京の町を見回っていた。途中、見事に咲き誇る桜の木を見掛けたため、より近くで眺めたいと考えたのである。
水面が緑を帯びた池の、朱色の太鼓橋に、彼は立った。
「おのれ、新選組!」
太鼓橋の両側から、不逞の輩が抜刀して押し寄せた。だんだら羽織の隊服ゆえ、一目瞭然だったのだろう。
沖田もまた、すらりと刀を抜くや、斬り結んだ。
袈裟懸けに、まずは一人。振り向きざまに、もう一人。沖田に斬られた男たちは、もんどり打って池に落ちたのである。
ふと見れば、相撲取りのごとき大男が、沖田の前に立ちはだかったではないか。沖田はすかさず、その足元に一撃を加える。
大男は、「
沖田が、仕上げに大男の腹に前蹴りをくれてやると、大男は、後方の味方全員を巻き込みながら、橋の袂へと転げ落ちていった。
「おのれ……かくなる上は!」
反対側の袂に現れた男が、短筒を取り出し、沖田の背に狙いを定める。
ところが、その銃口には桜が咲いた。沖田が、桜の小枝を手折って、棒手裏剣でも投げるように命中させたのだ。
沖田は、次の一太刀で、短筒の銃身をスパリと半分ばかり切り落とし、すかさず短筒使いの喉元に、切っ先を突き付けたのだった。
「つ、強い……」
不逞の輩は、退却を余儀無くされたのだった——そういうシーンを、本日は撮影する予定だったのである。
藍紗は独り、倉庫へと逃げ込んだ。
沖田総司役での映画デビューが決まって撮影もスタートしたというのに、彼女の演技が監督の要求する水準に到達せず、撮り直しを前提に休憩することとなってしまったのだ。
ここは京都の映画村だ。そもそもは、時代劇を主体とする映画の撮影所だったが、現在では、撮影も行いつつ映画のセットを公開して、イベントやアトラクションも盛りだくさんのテーマパークとなっているのである。
泣きたい時には場所を選ばなければ、入場者の目に触れてしまう。
沖田総司は、新選組の一番隊組長を勤めた剣術の天才である。結核に蝕まれ夭折した美青年とされることから、女優が演じることもそう珍しくはない。
藍紗は、生まれは雪国だ。祇園の舞妓として二年ほど修行した後、京都を拠点とするアイドルへと転身した。そして、努力を重ねて、女優として活動する足掛かりとして、沖田総司役に選ばれるまでになったのだ。
もっとも、戦隊ヒーローが幕末にタイムスリップしたという設定の、ある種の低予算映画の脇役ではあるのだが。
藍紗は、殺陣の段取りを思い描きながら、練習用の木刀を握り締めた。
沖田総司は、独り逃げるようにして、倉庫が立ち並ぶ一画へと向かった。人目につきやすいテーマパークの中、男は、慎重に尾行する。浅葱と白のだんだら羽織は、目印としてはうってつけだった。
男は、紙袋を携えていた。そこに仕舞われた自作の銃は、袋の上から操作しても発砲可能だ。その一方で、一度きりしか発砲できない、もとい、一度撃つごとに改めて装填しなければならないのである。
機材を搬入する大型トラックが視界を過り、男は舌打ちした。お陰でだんだら羽織を見失ってしまったではないか!
しかし、倉庫群に足を踏み入れ、暫く歩き回るうちに、男は、通路を歩くだんだら羽織の後ろ姿を見つけ出すことができたのだった。
もしも、台車を押したスタッフたちが、曲がり角から現れたりしなければ、男は沖田のその背中を銃撃していたろうに……
沖田は角を曲がった。その先にはスタッフ用のトイレがあるはずだ。
男は啓示を得た。沖田は女だから、トイレでは必ず個室を使うはず。手狭な個室に入ったところを狙えば、確実に仕留められるはずではないかと。
目論見通り、沖田は女子トイレの個室に消えた。男は、他には利用者がいないらしいことを幸いに、その後を追い、すぐさま個室の扉の取手に足を掛けたのだ。扉の上方と天井の間に存在する隙間から狙撃しようと考えたのである。
ところが、「うぉりゃーっ!」という野太い雄叫びが、突如、女子トイレに反響したかと思うと、扉は勢い良く開かれた。取手に片足立ちとなっていた男は、その勢いのままに転倒したのである。
「撃ってみい! どないした! 撃たんかい!」
沖田総司は、威勢良く吠え立てた。だんだら羽織の中身は、裏切り者の女だったはずが、いつの間にやら、小柄な男とすり替わっていたのである。
男二人が女子トイレで揉み合ううちに、ついに一発の銃声が轟いた。それは、白石議員銃撃犯の弟の所在を、周囲に知らしめることになったのである。
「おい、土井。今日のところは見逃したるけど、あんまりほたえ回って、親父さんに迷惑掛けるんちゃうで?」
銃声を聞き付け駆け付けた人々の中には、彼の顔見知りの刑事もいた。土井は、女子トイレに侵入したことや、貸衣装を破損したことなどを不問に付してもらう代わりに、犯人の身柄も、その逮捕に貢献した手柄も、警察に没収されたのである。
警察は、白石議員を銃撃した犯人が、弟と同居していることや、その弟が、映画村にて、撮影用の火薬を扱う職を得ていることを、既に突き止めていた。そして、弟の所在を映画村に確認したところ、勤務中でありながら無断で持ち場を離れていることが判明したため、現地に人員を派遣して、彼の行方を追っていたのである。
一方、土井は、告天子に背中を押された後、一般客として映画村に入場した。そして、陰ながら藍紗を見守っていたのだ。彼女のスケジュールについては、藤崎が調べ上げてくれたのである。
やがて土井は、倉庫で一人、涙ながらに殺陣の稽古をしていた藍紗に接触した。彼女の身に危険が迫っているかもしれないことを一生懸命説明して、周囲の様子をうかがってくるからじっと隠れていてほしいと伝えたところ、藍紗は頷き、「行っといでやす」と見送ってくれたのである。
土井は、映画村の貸衣装コーナーで誂えた「沖田総司なりきりセット」に身を固めて、跡をつけてくる怪しい男を女子トイレへと誘導したのだった。
男二人が揉み合う過程で発射された銃弾は、土井の胸部に命中したが、血は流れなかった。土井は、一点豪華主義よろしく、レンタルのだんだら羽織の下に、自前の防弾チョッキを着込んでいたからである。
「あの……」
刑事たちが犯人を連行して立ち去った後、土井の元に藍紗が現れた。
「あいしゃん……もう大丈夫やで!」
精一杯の笑顔で告げた土井の胸は熱かった。それはもちろん、推しのアイドルを守れて感無量だったからなのだが、チョッキ越しとはいえ被弾して肋骨にひびが入ったらしいせいでもあった。
「あの……せめて、お名前を」
藍紗は、苦い笑みを浮かべて尋ねた。彼女は実は、この男が倉庫に警告のために現れた時、恐怖しか感じなかったのである。何やら一方的に陰謀論のようなものを捲し立てた彼が、自分から偵察を買って出て立ち去ってくれた時には、嬉しさのあまり「行っといでやす」などという言葉が口を突いて出たほどだった。まさかその後、本当に銃声が轟くなんて思ってもみなかった。
「俺は……俺の名前は、土井
彼は、胸を張って名乗った後、「いてて」とその胸を押さえたのだった。
「ドラクエはん?……それはなんとも、楽しげで、勇ましゅうて、ほんのり京都らしさも香る、ええお名前どすな!」
藍紗は、アイドルとして、それ以前には舞妓として、メンタルやトークスキルを鍛えてきたのだ。こんな時に恩人を傷つけるような物言いをするはずが無かった。
「ドラクエはん、ほんまにおおきに。お陰様で、結婚前としては最後の、節目のお仕事、とことんやり遂げる勇気を頂戴しましたえ!」
そうやった……土井は、白目を剥いた。暫し気合いで記憶を封印していたが、藍紗には先月、熱愛報道が出ていたのだった……
花火教団は偶像崇拝だった。その偶像が消滅した後、花火師の兄弟は、外の世界で新たな偶像と邂逅した。
兄弟はその偶像に惚れ抜き、花火師としての知識を応用して銃まで自作して、彼女を守る騎士なぞ気取っていたのだ。
しかし、
兄弟が想定する銃の使い道は、それ以前とは反転した。
そして、プロフィールに血液型を掲載した国会議員が、京都を訪れた。
兄弟の真のターゲットは、あくまで彼らを裏切った
蜷川教授は、記者会見にて、白石議員は来院時には既に死亡していたと明言し、死亡の確認を先延ばしにしがちな日本の虚礼を糾弾した。それは、上層部との打ち合わせとはあからさまに異なる発言だった。
渡辺事務長が乱入して、「医者の分際で、冬月大臣閣下を
プロレスのマイクパフォーマンスやあらへんにゃから……
冬月文科相、何をした!?
自国の閣僚に閣下という敬称を用いるべきではありません。人前に出る前に、まずは日本語を習得すべきです。
結局、舞台裏の力学により、渡辺事務長は辞職した。蜷川教授もまた、教授在任期間の最短記録を打ち立てることとなったのである。
告天子は、夏休みを自宅で過ごしていた。かの銃撃事件から、早くも一ヶ月が経とうとしていた。
藤崎は、お嬢と親父さんに手料理を食べて頂きたいからと、張り切って食材の買い出しに出掛けたのである。
父子二人切りとなったタイミングで、父は、一通の封書を取り出したのだ。
「せや、京都府警本部長……いや、前本部長さんから、儂に挨拶状が届いたんや。天下り先が決まったらしいで」
自分宛の封書であるのに、彼はそれを娘に差し出したのだ。
「警備会社の相談役にならはるの? 警備をしくじった責任を問われて、辞任に追い込まれはったお人が!」
告天子は、まずは眉間に皺を寄せた。しかし……
「お父さん、せっかくのお休みやさかい、腎臓を片っぽ切り出したげよか? 無料かつ無麻酔で。売ったら、ええお小遣いになるよって」
「ええなあ! そのお小遣いで、フィリピンにでも遊びに行こか……って、アホかいな!
無麻酔やなんて、一泊で帰ってくるどころか、二度と目え覚まされへんところへ行ってまうわ!」
彼は、かの銃撃事件が発生した際には、京都府警が手配してくれた宿で一泊してから帰宅したのだった。
彼は、娘が咄嗟に物騒な冗談を口にした心情を察していた。挨拶状を最後まで読んだのだろう。
末筆ながら、愚息の人生は、愚息自身のものでありましょう。最早、私ごときが口出しすべきものではないと心得ております。
そこには、そんな文言があったのだ。
「アホかいな!」
彼はもう一度、愛情を込めて言った。
告天子が、そっぽを向いて庭を眺めるふりをしながら、一筋の涙を流したからだった。
告天子先生は安楽椅子に座りたい 如月姫蝶 @k-kiss
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます