第2話 安楽椅子に座るのは……

「不審な人物には、片っ端からを掛けろ!」——そんな命令が、仮に京都駅前で下されたとしたら、警察官たちは頭を抱えることになるかもしれない。

 何しろ、土産物の木刀で早速打ち合う少年たちやら、日本の伝統文化からオタク文化まで、独自の解釈を加えて体現している外国人観光客たちやら……何語で質問すれば良いのかすら定かではない、華々しきカオスがそこにはあるのだから。

 それは、世界的な観光都市の宿命かもしれない。

 そして、そんな中にあっては、作務衣を纏い、頭に手拭いを巻き、有名な和菓子屋の紙袋を携えた三十才前後の男など、全く悪目立ちすることは無いのだった。


 七月某日——

 国政選挙を間近に控えたその日、京都駅前の広場では、与党の新人候補が演説を行なっていた。

「皆さん、この京都は、明治の初期から教育に力を注いできた、素晴らしい土地柄です。当時から義務教育ばかりではなく、女子教育や、西洋の先進性を取り入れた教育に尽力してこられた先人たちを、私は大変にリスペクトしております」

 演台に立ち、声を張り上げる男性は若い。かつ、長身で彫りの深い顔立ちをしている。

 まずは足を止め、耳を傾けてもらわねばならないこうした演説にはうってつけの、華のある容姿だった。

「私どもは憲法改正を、そしてそこに教育の充実を盛り込むことを悲願としております。この京都という地で、その伝統に則り未来を切り拓くべく、京都市内の高校で二十年余にわたり教鞭をとってきたこの西村にしむら候補に、皆様のお力添えを賜わりたいのです!」

 若き演説者の白手袋が指し示した先には、かっちりとした背広姿の男性が畏まっていた。

 そう、若く華があるほうの男は、今回の選挙の立候補者ではない。その応援演説に駆け付けた、与党の国会議員——白石理仁しらいしりひとである。実は、京都は伝統的に、野党が選挙で善戦する土地柄でもあるため、与党が華も人気もある白石を応援演説に寄越したのだった。

 一見してSPだとわかる男が、白石や西村に背を向けて周囲を警戒しているすぐそばで、共白髪の老夫婦が演説を見物していた。

「やっぱりイケメンはええねえ。清少納言が、『坊主がイケメンやったら、話を聞く気になるし、教えも頭に入る』と書いたんもようわかるわ」

 妻は、頬を緩めながら言った。かの枕草子にそういった意味合いの記述があるのは事実である。

「あほくさ。あないに彫りの深い顔立ちは、平安時代やったら醜男ぶおとこの類いやで。それにしても長い足やな〜」

 夫のほうも、白石の容姿を認めていないわけではないのである。

「そろそろ行くで。せやないと、デパートに何を買いに来たんか忘れてまうわ」

 夫に促されて、妻も首肯した。そもそもは、駅前のデパートこそが夫婦の目的地だったのだ。

「しっかし、白石さんも、自分の孫が、あないにバタ臭い男前になるとはおもてへんだやろな〜」

 夫が去り際に触れた白石とは、理仁の祖父のことである。既に故人だが、総理大臣経験者なのだ。

 白石理仁は、容姿ばかりか血統にも恵まれており、与党内でも将来を嘱望されている若手議員なのだった。因みに、「リヒト」とは、ドイツ語で「光」を意味する言葉である。

 彼は、日独のハーフなのだ。

 老夫婦が立ち去った後の空間は、すぐさま一人の男に占められた。男は、左手でスマホを構えて、白石を撮影する。年齢は三十絡み。作務衣姿というのも、京都界隈で悪目立ちするほどのものではない。

 しかし次の刹那、男が右手で握り締めた和菓子屋の袋が火を噴いたではないか!

 辺りには、発砲音とも爆発音ともつかぬ音が轟いたのである。


「手術は成功したぞ!」

 蜷川にながわ教授は、高らかに宣言した。それと同時に、ベッドに仰向けに寝かされた白石議員への興味を失ったかのように背を向けた。

 

 白石理仁は、選挙の応援演説中に、京都駅前で銃撃された。男の単独犯で、犯人の身柄は、現場で警察によって確保された。凶器は、犯人が自作したと見られる銃であり、彼はそれを紙袋で包み隠したまま発砲したのである。

 理仁の搬送先に選ばれたのは、京都市立医科大学附属病院だ。同医大には、奇しくも米国帰りの銃創治療のエキスパートが、救急医学教室の教授として着任したばかりだったからである。

「警察の怠慢じゃないか!」

 それが蜷川教授の第一声だった。なるほど、警察の警備態勢に不備があったのかもしれない。

 しかし、蜷川はその救急搬送を受け入れ、腕をふるったのである。

 そして、手術の成功を宣言するに至ったのだった。


「……急に暇になってしもたね」

 告天子は、溜息交りに呟いた。

「せやな」

 桜児もまた溜息交りに、頭を抱えながら返した。

 白石議員が銃撃された事件について、警備を担当した京都府警が責任を追及されるのは目に見えている。

 告天子や桜児、他にも救急医学教室の主立ったメンバーは、新教授たる蜷川の指揮下で、理仁の開胸手術に携わった。しかし、それが終了した途端、医局にて軟禁状態に置かれてしまったのだ。

 蜷川は後ほど、マスコミ相手に会見を開くという。それまでの間、理仁に接した医療従事者たちから情報が漏洩することを防ぐべく、上層部が対策を講じたというわけだ。

 蜷川自身は上層部との打ち合わせが必要らしく、ここにはいなかった。

 告天子は、着席してスマホを操作し、銃撃事件に関する情報を漁っていた。とっくに伊達眼鏡は外していた。

「なるほどなるほど……あの犯人、花火教団の信者やったらしいで!」

 花火教団とは、もちろん俗称だ。かつて関西を拠点としていた新興宗教団体で、毎年夏には盛大なる花火大会を開催していたことが、俗称の由来となったのだ。

 もっとも、五年ほど前に、国からの解散命令を受けて、教団は消滅したのである。

 実の父たる教祖によって、後継者に指名された息子が、「宇宙飛行士になるという夢を潰されたから」と、両親を爆殺したのだ。爆殺に用いられた黒色火薬は、花火の材料として、教団内に豊富に貯蔵されていた。

 そして、爆殺事件だけではなく、信者を出家させるべく拉致監禁を行うことが常態化していたことも明るみに出て、教団はまさに打上げ花火のごとく空中分解したのである。

 白石議員を銃撃して逮捕された犯人は、元はかの教団に所属していた花火師で、教団解散後の生活苦を理由に、犯行に及んだと供述しているという。また、ハーフである白石理仁に愛国心なぞ期待できないとも述べていると報じられていた。

 理仁は、日本国籍だが、父親がドイツ人であることは事実である。


「それにしても、なんで白石理仁をターゲットにしたんやろ? 動機がぼんやりしてるように感じてしまうわ〜」

 報道を踏まえた上で、告天子は小首を傾げた。確かに花火教団に解散を命じたのは国であるが、五年も前となると、理仁は未だ国会議員ではなかったはずだ。

「そんなん、実は刑務所で衣食住を保証されたいとか、世界中からイケメンを一掃したいとかかもしれへんで?」

「それやったら、それこそ、ターゲットは館林先生とかでもかまへんわけやん?」

 桜児は、告天子のその返しを受けて、咄嗟に背筋を伸ばした。彼自身は以前から「それなりのイケメン」を自認しているが、告天子がそれを追認するような発言をしてくれたのは、初めてではないか!


 丸めた雑誌を通して二人を見物していた野田は、「青春やね〜」と呟いた。


「あの、えーっと……」

 桜児は、もうちょっと褒めてほしいとリクエストしたくて、口籠った。

 しかし、告天子は、既に彼を見ておらず、人差し指をこめかみに当てながら、考えを巡らせていた。

「どうせるなら、なるべく目立ちたかったかだけかい! それとも、やっぱり、血液型か〜?」

 彼女の口調は、些か物騒にギアチェンジしていた。

「血液型?」

 桜児は、小首を傾げる。

 理仁の血液型は、AB型かつRhマイナスである。日本では二千人に一人程度しか持ち合わせていない珍しい血液型なのだ。

 告天子は、またもや桜児を置き去りにするがごとく、どこかへ電話を架けたのである。

「ああ、藤崎ふじさきか。うちや。さっき依頼した件の進捗状況を報告せいや」

 小柄な女医にとんでもない貫禄が漲った。今の彼女には、白衣よりもド派手な和服でも着せたほうが映えそうである。

『お嬢、親父さんのことはご心配無く。先程、京都府警へとお連れしました。まるで自首するように神妙なご様子でしたよって』

(なんやて! 告天子ちゃんのお父さん、なんかやらかしたんかい!)

 漏れ聞こえた遣り取りに、桜児は勝手に涙目となったが、告天子は満足げに笑みを浮かべたではないか。

「おおきに。で、念のため調べといてと伝えたあの件は?」

『うちのシマを優先的に調べて、現状、該当者は一人です。藍紗あいしゃっちゅう名義で活動するご当地アイドルなんですけど、先月、熱愛報道が出てます。ファンに恨まれてる可能性もあるんやないかと』

「さすがは藤崎や! 他所さんのシマまで出張ってトラブルになってみい! 時間を浪費するだけやよって! それから、花火教団のこととか、白石議員へのヘイトとか、警察さんが既に掴んではる情報については、警察さんにお任せして捨ておきや?」

『はい!』

「そんで、そのアイドルの件やけど……誰や、ほたえ回ってんのは!」

 藤崎との通話の妨げとなるほどの泣き声に、告天子は尋ねずにはいられなかった。

土井どいです。藍紗のことを熱烈に推してるらしいんですが、彼女が狙われる可能性もあるんやないかと知って、ギャン泣きしてますわ』

「土井に代わって」

『はい。ただ、お嬢……俺の推しは、お嬢唯一人です。お嬢のためなら、死ねますよって』

「止めよし! うちは医者や! 命を救うんが本分や! そないなことかす男には絆されへんで!」

 告天子とフジサキとやらの会話を盗み聞く格好となって、桜児は、白目を剥きそうになった。

(お嬢のためなら、死ねますよって……やと?)

 音声のみの通話ゆえ、桜児にフジサキの見た目を知る術は無い。しかし、桜児の脳裏には、少女漫画に登場しそうな、憂いを含んだイケメンが咲き乱れたのである。

 その直後、告天子の切った啖呵に、桜児は、フグを食い倒れたかのように痺れたのだった。

「土井。泣きながらでかまへんから、聞きよし。

 うちは医者や。命を救うんが本分や。けど、救えへんだ命かてあるし、後悔したこともある。

 土井。今、京都市界隈では、特定の血液型の輸血が難しい状態や。あんたの推しのアイドルが、まさにその血液型やから、せめて今日一日くらいは無事に過ごしてもらうに越したことは無い。

 土井。あんたには、少なくとも二つの選択肢がある。何もせんまま後悔するか、全力を尽くしてから後悔するかや」

『お嬢……三つ目かてあるはずやないですか。この俺が、の笑顔を守ってみせたる!』

「良し! 土井、行きよし! 今は身動きとれへんうちのぶんまで、思う存分頑張ってくるんやで!」

 告天子が電話を切る頃には、桜児にも話が見えていた。

「高原先生のお父さんは……AB型のRhマイナスなん?」

「せやねん。あ、私は違うけどな。

 父は、若い頃は武闘派やったらしゅうて、怪我でもして病院に運ばれても、輸血できひんまま死ぬかもしれへんて覚悟してたらしい。

 そないな話を聞かされて育ったから、私は、白石議員の血液型を知った途端に、同じ血液型の誰かを狙う下準備かもしれへんとおもたんよ」

 つまり、予め輸血用の血液を枯渇させることにより、本命のターゲットに致命傷を与え損ねたとしても致死率を上げようと画策したのではと、告天子は疑ったのである。

「父は、まあええねん。今となっては、いざとなったら警察に守ってもらえるご身分やよって。警察さんも、父が襲われて、それが切っ掛けで抗争が勃発するようなことは望んではらへんみたいやし?……おおきにな」

 告天子は、京都府警本部長の息子に会釈した。現状、本人には会えるはずも無いからだ。

「輸血用の血液は、明日にもなれば、他府県からでも補充されるやろ? せやから、白石議員が銃撃された事件が、もしも前振りに過ぎひんのやとしたら、今日、京都界隈で同じ血液型の誰かが狙われるんやないかとおもて……」

 しかも、報道を見る限り、銃撃犯の動機がピンと来なかったこともあって、告天子は土井の背中を押したのである。

 もちろん、動機はどうあれ、事が単独犯による銃撃事件として既に完結しているのならば、そもそもこれ以上の犠牲者が出るはずもないというのであれば、それに越したことは無いのである。


「高原先生、見事なお説やな! 安楽椅子探偵の推理ショーみたいやったわ。まあ、探偵ディテクティブにして扇動者アジテイターのようでもあったんやけれども……

 どないや、安楽椅子としては物足りひんかもしれへんけど、こっちのソファに座らへんか?」

 野田がおどけて提案した。些か胡麻を擦っているようでもあった。

 他の医師たちも、ある種の貴婦人に礼を尽くすようにして、告天子に上座を勧めたのだ。

「ほな、今だけ、お言葉に甘えます。

 野田先生、私のセカンドキャリアに関する示唆に富んだご発言を、どうもありがとうございます」

 告天子は、やんごとなき笑みを湛えつつ、着座したのだった。

「お、高原先生、やる気か? 定年後にでも、あのミス・マープルのように、安楽椅子探偵を!?」

「ああ、定年後くらいがちょうどええかもしれませんね」

 告天子は、どこか飄々として応じた。

 桜児はまたも置き去りにされたが、彼にも言いたいことがあった。

 彼とて、ミス・マープルくらいは知っている。元祖安楽椅子探偵とも言うべきキャラクターであり、英国人の小柄なお婆ちゃんで、独身を通しているという設定だったはずだ。

 しかし、「定年後」とか、「独身を通す」とか、若い身空であれこれ素っ飛ばし過ぎやないんか、告天子ちゃん!

 未来の安楽椅子探偵は、またもスマホに目を遣った。

「駅員がAEDを持って来て使おうとしたのだが、なぜか作動せず。電池切れか?」

 銃撃事件の現場となった駅前広場に居合わせたという人物が、白石議員の救急搬送前の状況として、SNSにそんな投稿をしていた。

 違う。切れていたのは、自動体外式除細動器AEDの電池ではないのだ……


「警察の怠慢じゃないか!」

 白石議員の救急搬送を受け入れることを、大学上層部より決定事項として伝えられて、蜷川教授は激怒した。

 警察の怠慢——それはまず、警備態勢の不備を疑っての怒りだった。

「怠慢に……欺瞞と傲慢だ!」

 胸部を銃撃されて血の海に沈んだ人間に、銃創を塞ぐ処置を一切せぬままAEDを使おうとしたり——

(銃創による死は、失血死であることが多い)

(銃創から空気が入れば、肺を圧迫して窒息死することもある)

(心臓が完全に停止している場合、AEDが作動するはずもない)

 死亡の確認ならまだしも、あくまで「治療」を依頼して、「銃創のエキスパート」たる蜷川や部下たちを茶番に巻き込むなど……

 蜷川にとっては、日本に帰国したことを嫌と言うほど実感させてくれる虚礼の洗礼でしかなかった。


 銃撃事件の発生から一時間もせぬうちに、理仁が搬送された大学病院へと駆け付けたのは、冬月ふゆつきさやか文部科学大臣だった。彼女は、理仁の親類縁者ではないというのに。

 彼女は、応対した渡辺事務長に、涙ながらに訴えたのだ。

「どうか、理仁くんを生かしておいてあげて! お母様がこちらに到着されるまでの間だけでいいから、確実に。

 かつて、私の母は早逝しました。私は、その死をすぐには受け入れられなかったのだけど、母の主治医をはじめとする大勢のお医者様たちが、交代しながら必死になって心臓マッサージをしてくださって、それでも母が目を開けることはもう無かったから、漸く家族から遺族になる心の準備ができたんです。あの素晴らしい日本情緒を、是非とも白石大臣にも味わわせてあげてください!」

 冬月は、理仁が実質的には既に死亡したのだと理解していた。

 既に死亡した患者に長時間の心臓マッサージを施して、それを親族に見せつけることによって、もはや蘇生は有り得ないのだと納得してもらうことがある。また、親族の不在時に患者が死亡した場合、主立った親族が到着するまでは、あえて正式な死亡の確認をせずに心臓マッサージを継続して、形式的に患者を「生かして」おくこともあるのだ。

 もっとも、医師であれば、「長時間」といっても限度があることくらいは弁えているものだ。

 ところが、かつて歌劇団の娘役として名を馳せた、元女優たる冬月に握手されて、渡辺事務長はすっかりのぼせ上がってしまったらしい。

「はい! 医者どもを鞭打ってでも、やらせてご覧に入れます!」

 理仁の母たる白石真理まり厚生労働大臣が、事件発生の時点で東北地方に出向いていたことになどお構い無しに、渡辺は安請け合いしたのだった。

 冬月は、エレガントな笑みを浮かべて頷いた。もしも白石が彼女に感謝したなら、冬月に借りを作ったことになる。逆に、白石が彼女に対して批判がましければ、「過去に一度でも国際結婚したような女には、日本情緒も愛国心も期待できないのだ」と、攻撃材料とすることができるのだ。

 冬月と白石は、実は犬猿の仲なのである。


 蜷川教授は、私情を殺して、既に死んでいる男の開胸手術に着手した。

 その胸腔内もまた血の海だったが、蜷川はすぐに、心臓に突き刺さった、ひしゃげた弾丸を発見したのである。

「昔、日本の猟師は弾丸を手作りしていた。丸く形を整えただけの鉛の玉だ。それはしかし、獲物に命中すると、体内でちょうどこのように変形することで、獲物により大きなダメージを与えたのだ。この弾丸も銃撃犯の手作りだろうな。

 ダムダム弾を知っているか? 非人道的だからと戦場での使用を禁止された弾丸だが、あれも、命中後に茸の笠のような形に変形するんだよ。そして、非人道的だと縛りを掛けたところで、新たな創意工夫が行われただけだった」

 銃創に詳しいということは、銃にも銃弾にも精通しているということだ。

 蜷川は、せっかくの機会だからと、部下たちにレクチャーする間だけは笑顔だった。

 そこへ、理仁の母たる白石厚労相から電話が入り、蜷川に繋がれたのである。

「もしもし、あなたのご子息は、既に亡くなりました。そもそも医師であるあなたが、その事実を受け入れてさえくだされば、我々は立ち所に虚しい作業から解放されるでしょう」

 蜷川は、名乗ることすらせず、捲し立てた。どうやら、歯に衣着せということが、極端に苦手であるらしい。

『……冬月文科相が、そちらにお邪魔していませんか? 彼女の地元は、大阪府下ですから』

「ああ、うちの事務長の新しい茶飲み友達のことですね。今ももてなされていると思いますが。

 大阪方面からは、本当に碌なものが来ない!」

 蜷川の放言には、大いに八つ当たりが含まれていた。蜷川が米国に旅立つ前まで所属していた大阪の大学病院から、AB型、Rhマイナスの輸血用血液が、先程、少量ながら送られてきたのだ。ただし、「香典」などという一言を添えて……

『ひとまず冬月大臣の要望に従ってください。私も理仁も政治家なのです。

 今すぐにとはいきませんが、私がそちらに到着するよりも早く、あなた方は解放されることになるでしょう』

 謎めいた言葉を残して、白石大臣は電話を切ってしまった。

 訳がわからないし、儘ならない!——蜷川は、またもや荒れ狂った。

「どなたか大臣以外のご親族が、こちらに向かっておられるんやないでしょうか?」

 告天子は言った。それはどうやら、冬月には伏せておきたい人物であるらしいと、彼女は推理していた。


「手術は成功したぞ!」

 やがて、蜷川は高らかに宣言した。

 仰向けの物言わぬ理仁の心臓は、銃撃のせいで破けた袋さながらだったが、それをどうにか縫合することに成功したという意味だった。

 蜷川が、もうたくさんだとばかりに理仁に背を向けた時、渡辺にエスコートされた冬月が、救急室へと足を踏み入れたのだった。

「何これ……こんなの、情緒的じゃないわ!」

 冬月は、少なからず驚いたようだった。理仁の胸部には、自動で心臓マッサージを施す機械が設置されていたからだ。冬月は、母と死別した際の経験から、医師たちによる人海戦術を期待していたのだろう。

「最新式かつ合理的なんですよ。機械は疲れを知らず、虚しさを感じず、ただひたすらターゲットの心臓を動かし続ける。輸血は必要ですが、これなら、東北くんだりから人が来るのを待つことにも耐えられるでしょう!」

 蜷川は、刺々しく言い放った。

「なんやなんや! こないな機械はさっさと外して、温もりのある人の手で……」

 渡辺が医師相手に喧嘩腰なのは通常運転である。だが、そこへ……

「息子に会いに来ました。私は、ミハエル・カーン……理仁の父親です」

 なかなか達者な日本語を話しながら、ヨーロッパ系の男性が現れたのである。なるほど、理仁と面差しが似ていた。

「ああ……私たちの『リヒト』……」

 ミハエルは、床に膝をついて、息子の手を握り、頭を撫でた。

 彼は、誰にともなく語った。昔、理仁の母とは喧嘩別れしてしまったが、理仁もまた政治家として歩み始めたことから、近年、来日して子供たちにサッカーを教えながら、息子の奮闘を見守ってきたのだと。本日は、自宅から程近い和歌山県内の古刹に詣でて、理仁や真理の政治家としての栄達を祈願していたまさにその時、真理からの電話で凶事について知らされたのだと……

「選挙戦が終われば、一度一緒に飲もうと約束していた。理仁、それなのに……」

「まずは死亡の確認をさせてください。その後、霊安室にご案内しますから、繰言はそちらで、どうぞごゆっくり」

 蜷川は、笑顔で言った。なるほど、厚労相の到着を待つまでも無くけりが付いたと、機嫌を直したのだった。


 

 

 

 

 

 

 

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