日の出

 「全く、無茶ばかりするんだから……」


 私はボロボロになりながら眠る彼、真尋を見ながら思わず呟いた。


 私の鎌は特別製。死神が人の命を奪う時、まれに真尋のような特異な存在が現れることがある。そんな時、この鎌は使われるのだ。後は、十川眞代のような凶悪な存在を撃退するための、死神専用の兵装である。


 もちろん、十川眞代の命を奪うつもりは更々無かった。それくらいの手加減は出来るつもりだし、現にそれは上手くいった。でも、決して無傷という訳にはいかない。


 彼女には依り代がある。だから、私はそれを壊すことで命を奪わないようにした。すると、真尋は? 命の代わりに壊す物が無かった。だから、彼の異常性に期待するしか無かった。


 本来、触れれば死ぬはずの死神の実体を触れて、依り代持ちから強制的に魂を抜く魂抜きも効かない、不思議な体質。だが、死神の鎌は私以上の殺傷能力を持っている。というか、そもそもこれは人に使う物では無い。十川眞代が異例すぎるのだ。


 「まぁでも……心配は無さそうね」


 良かった。本当に良かった。私は膝の上で眠りこけている真尋の頭を撫でながら、心底そう思った。また彼と話せる。また彼と一緒に居れる。また彼に……触れられる。この感情が何なのかはよく分からないけど、嫌じゃ無かった。


 その温もりを感じながら、私は自分が随分と変わったことを思う。心が温かくて、幸せで、この時間がずっと続けば良いのに、なんて考えてしまう。


 「それも、一旦終わりにしなきゃね」


 十川眞代が所持していた依り代四点。鬼を切ったとされる名刀、女の嫉妬が形になった蛇帯、恨んだ相手を呪う蛇蠱、それと……一人の男を愛して、愛のあまりにその男を焼き殺した女の炎。


 それらの魂を回収したところ、全部で500を超える魂が回収できた。当初の目標である247人の魂を大幅に超える大収穫だ。雑魚幽霊とおばりよん、今回の回収分で私の目的は達成された。もはや彼と一緒に居る理由は無いのだ。


 それは喜ばしいことだ。嬉しいことのはずだ。なのに……どうしてか、私はまだ終わりたくないと思っている。真尋から離れたくないと、思っている。


 「あんまり人のこと言えないわ……私も、結局彼が欲しいのだから」


 彼女の気持ちは、よく分かる。私も同じようなものだから。


 今まで散々生まれ持った能力で苦しめられて、ようやく慣れてきたと思った頃に、それが一切効かない人が現れたら。彼女はその眼で見えた脅威から。私は自らの致死性によって、真尋が欲しくなってしまった。


 だって、こんなにも温かいのだ。人の温もりを知らなかった私に、こんなものを教えたのだ。ずっと触れていたい。ずっと感じていたい。ずっと私のものにしておきたい。


 けれど、それは駄目だ。これを全て独占してしまいたい気持ちは大いにある。だとしても、彼はそれを望まない。今回の件でそれは完全に理解できた。それに……


 「死神、あの箱埋め終わったぞ」


 「ご苦労様。貴女も少し休みなさい」


 「そうする。それで……真尋は、本当に大丈夫なんだろうな?」


 揺れる彼女の瞳を見て、私は内心ため息をつく。この子もまた、彼に魅入られている。きっと、まだ彼女すらもその感情がなんなのか分かっていないのだろうけど。


 未だ気絶したままの八尋白雪だってそうだ。彼女らが揃いも揃って、彼を助けるために命を賭したのは偶然なんかじゃない。彼を手放したくないから。誰かのものになるのが、耐えられなかったからだ。私はそうだと思っている。


 「真尋も罪な男ねぇ……こんなに厄介なのを引っかけちゃって」


 「全くだ」


 そこに貴女も含まれているし、もちろん私も含まれているのは内緒だ。


 まぁ、晴れて彼の命を奪う理由が無くなったのだ。これからは、毎日のように彼のところへ行ってやる。幸い、死神の仕事も幽霊の魂回収で補填出来るし、精々この幸せな気持ちを堪能させて貰おう。


 そんなことを考えていると、懐が振動し始めた。それは、現世に来る前に同僚から渡された連絡用の端末だった。さらに言えば、連絡をよこしたのもその同僚だった。


 「もしもし、ウゴウ? 急にどうしたの?」


 「どうしたの、じゃないわ!!! あんた、勝手に死神の鎌持ち出したでしょう!!! 一体どういうつもりよ!!!」


 あー……実は、死神の鎌を持ってくるときに一悶着あったのを思い出した。だって、許可証の発行まで3日かかるとか面倒なことを言ってきたから、時短をしたのだ。


 だが、どうしてそれを彼女が知っているのだろう? 無断で借りるのはこれが初めてじゃないが、いつもは全くバレないのに。しかもこの怒り様、尋常では無い。


 「あんたが勝手にそれ持ち出したせいで、他の現場が大混乱になったの!!! 現世にもう死神の鎌があるから、本来使う予定だった奴が持って行けなくなって、すっごい大変だったんだから!!!」


 あぁ、なるほど。事情は何となく分かった。現世に死神の鎌を持ち込む際は、またしても許可を取らないといけない。そしてそれは、数時間でなんとかなるものではないのだ。私が無断で持ち出した結果、その制度が邪魔をしたのだろう。


 完璧にやらかした。焦っていて、他の死神の使用予定をちゃんと確認して無かった私のミスだ。


 「あははー……その、ごめんなさい? いやでも、マイナス分は補填できるから……」


 「へー……? 本当に補填してくれるの?」


 「え、えぇもちろんよ! 私はきちんと約束を守る死神なのよ!」


  ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ここ最近、気絶することが多くなった。昨日もおばりよん騒ぎで倒れたし、今回も死神の鎌に貫かれるというもので意識を失った。そしてその度思うのだ、今度はもっと上手くやろうと。


 「全身が痛い……」


 「あ、起きた」


 見れば、僕は膝の上に頭を乗せていた。さっきもこんな風になっていた気がするが、今度はウエンがそれをしていた。白い髪が朝日に透けて、真っ白いカーテンのように揺れている。

 「おはよう、真尋。それとお疲れ様。十川眞代は無力化できたわ」


 「そうか……白雪と詩歌さんは無事か?」


 「もちろん、皆無事よ。よく頑張ったわね、特別に私が褒めてあげるわ」


 にこりと笑ったウエンが、僕の頭を撫でる。いつもなら払いのけるのだが、今はそんな体力すら惜しい。それに、案外ウエンの嬉しそうな顔を眺めているのも良いものだ。こいつは、黙っていれば絶世の美女である。普段の我が儘さを見ていると、それも台無しなのだが。


 「ねぇ、真尋。私ね? こうやって貴方の体に触れることが、凄く幸せなの。死神は普通、生きている人には触れないから」


 ウエンは僕を見つめて、そんなことを言い始めた。いつもの残念さは鳴りを潜め、今は儚さすら感じる。少しだけ、ドキッとしてしまった。


 「だから……その、私は……これからも、一緒に居たいの」


 「……!」


 「あ、いやもちろん! 真尋には真尋の事情があると思うから、すぐに結論を出さなくても良いと言うか何というか、その……」


 珍しくいつものウエンらしさが無いと思ったら、彼女に似合わない気遣いをしていたようだ。全く、そんなのエラそうに、「この私と一緒に居ても良いわよ!」とか何とか言えば良いだろうに。


 「そんなの、今更過ぎるだろ? むしろ、お前が居てくれないと困るぞ。白雪が居て、詩歌さんが居て、それでウエンが居て……これからもそんな関係を続けたいんだ」


 突然ウエンが現れて、幽霊が見えるようになって……あれよあれよとここまで来たが、そこに一度だって迷惑だとか不幸だとかと思ったことは無い。全てが大切な記憶で、大切な宝物だ。


 「後、魂集めもしないとだろ。死神の尻拭いをしないと、僕は殺されちゃうんだろ? 流石にまた死神の鎌でズバッとやられたくないし、ちゃんと最後まで手伝わないとな」


 「あ、あぁー……! そ、そそそうよね……! うんうん……」


 「? どうした急に? そんなに汗ダラダラ垂らして」


 急に、僕が魂集めの話を出した瞬間、ウエンの顔色が悪くなった。それはまるで、隠し事が見つかった子供のような。端的に言ってしまえば、いつものウエンの雰囲気だった。


 「そ、その……魂集めの件なのだけど、少し問題が起こったの……」


 「またやらかしたのか? はぁ……で、今度は何をやらかしたんだ?」


 「……言っても、怒らない?」


 「怒らない怒らない。ほら、早く言えって」


 何かをやらかすのがこいつだ。些末なことでいちいち腹を立てていては、話が進まない。だが、僕は全く分かっていなかった。いつもは開き直るウエンが萎縮するほどのやらかしが、どれほどのものなのかを。


 「そのね……十川眞代の持っていた依り代の魂を回収したら、全部で500人以上回収できたの。当初の目標の倍以上ね」


 「それは凄いな……けど、何が問題なんだ?」


 聞いている限り、ウエンがこんな風になる原因は全くない様に思える。むしろ調子に乗って、流石私! などと言いかねない。


 問題はその後、ウエンの口から飛び出したとあるトラブルだった。


 「え、えっとね? 私が持ってきた鎌あるでしょう? それを持ってくる時に色々あって……結局、無許可で持って来ちゃったの」


 「……それで?」


 絶賛、嫌な予感がバグり散らかしている。この先を聞きたくないような、聞いたら駄目なような……僕の第六感センサーが警告を吐き出し続けている。これは、かなりヤバいと。そんな直感の悲鳴を聞きつつも、僕はウエンの言葉を飲み込むのだった。


 「それで、無許可だから色々問題が起こって……色々あった結果、集めなきゃいけない魂が増えちゃったの」


 「その色々を問いただしたいところだが、今はとりあえず良い。一体、いくつ増えたんだ?」


 「……その、一万人分です、はい」


 ……は? 今、こいつはなんて言った? いち、まん? 一万というのは百が百個集まった、あの一万か? おばりよん一体ですら、魂百個分にならないと言うのに、それが一万個? 何かの冗談だろ。


 「冗談……だよな?」


 「冗談だったら良かったんだけどね……ふふ」


 「なーに笑ってんだよ……!」


 「ちょっ……! 痛い痛い!!! 怒んないって言ったじゃない! この嘘つき!!!」


 やらかすと言っても限度があるだろう。何がどうなれば、魂一万個分のやらかしが出来るのだ。折角、つつがなく終わるはずだったのに……!


 「そんなんどうやって集めんだよ! おまっ、馬鹿じゃねぇの!?」


 「何! 文句あるの! 私と一緒に居たいって言ったじゃ無いのよ! だったら、魂集めも付き合いなさいよ!」


 「任意で一緒に居るのと、一緒に居なきゃ行けないのは違うだろうが! そんなんいつになったら終わるんだよ!?」


 「あっ、そこは安心して。集め終わるまで帰ってこなくて良いって、大幅な休みを貰ったから。だから、今すぐに集めないと真尋を殺す、とかって訳じゃ無いの」


 死神の常識は分からないが、少なくとも魂一万人分というのは簡単では無い。今回だって死神の鎌があったから何とかなっただけでいつもならナイフ一本で何とかするしか無いのだ。

 つまり、それは事実上のクビ宣言なのでは無いだろうか。仕事もせず、挙げ句の果てにはミスを連発するウエンを体よく追い出した、ということだ。


 そう考えると、急にウエンが可愛そうに思えてきた。自分がクビになったことも知らずに、脳天気に小首を傾げている彼女が、5歳児のように見えてきた。


 「ね、ねぇ……? どうして、そんな幼児を見るような目で私を見つめるの? なんで、そんな可愛そうなもの憐れむような顔をしているの?」


 「いや……なんかごめんな?」


 「辞めてよぉ……なんで頭撫でるの? 急にそういうことされると、変な気分になる……」


 僕の中のウエンに対する認識が変わった。前々から子供みたいな奴だと思っていたが、彼女はみたい、ではなく子供そのものなのだ。確かに魂を一万個はとんでもないが、ここで声を荒げるのはあまりに大人げなさ過ぎる。


 「起きたのか、まひ……なんで死神の頭撫でてんだ?」


 一人で納得していると、両手に飲み物を持った詩歌さんが来た。彼女は僕に水を投げると、どかりと地面に腰を降ろした。心なしか、不機嫌そうである。


 「ありがとうございます。お金は後で払いますね」


 「それくらい良い。聞きたいことは色々とあるが、とりあえず体調は平気か?」


 「家に帰れるくらいには戻りました。眞代は何処に?」


 「トンネルの方に居る。白雪もそっちだ」


 立ち上がってトンネルに行く。眞代と白雪が並んで眠っていて、その姿はまるで姉妹のようだった。僕は眞代を背負って、おんぶをする。こんなことをするのは、本当に久しぶりである。


 「にい、さん……いっちゃ、やです」


 「がっ、ぐぅ……! 首、締まってるって……!」


 眞代は起きているのではと思うほど、力強くしがみついてきた。身体能力は元に戻っているはずなのに、僕を締め付けるその力はかなりのものである。そういえば、彼女はテニス部だった。素の運動能力もかなりのものである。


 「最近、色んな物を負ぶっているような気がする……」


 「これから数時間山下りするんだ。今日のために特訓してたと思えば良いだろ」


 「そうか……ここ秋花トンネルだった。最後まで体力持つかな……」


 「うふふっ……にい、さん……」


 相変わらず起きている様な寝言を話す眞代を背に、僕たちは秋花トンネルを後にした。今日も蝉は元気に合唱を続けている。雲一つ無い晴れ間から放たれる熱は、たとえ時刻が朝方と言えども汗が噴き出るものだ。


 だが、僕には全く不快感は無かった。やらなければいけないことは沢山ある。眞代のことや、ウエンの魂集め。白雪への誓いや、詩歌さんとの約束。


 もう、逃げることは出来ない。今まで逃げるばかりだった僕の人生は、今日から新しく立ち向かうことになるのだ。襲い来る物が、平和に見えたこの世界が、どんなに恐ろしかろうと。

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