十川眞代

 炎天下だというのにいつも通りのセーラー服を着た、考えられる限り最悪の来訪者。瞬きすること無く、ただじっとインターホンのカメラを見つめるその表情は、まるで全てを知っているかのようだ。


 どうする、どうすればいい? 眞代に白雪と詩歌さんが見つかるのは、大変まずい。どうなってしまうのか想像も出来ないほどに、だ。とにかく、二人に状況を伝えなければ……!


 「真尋さーん? どうかしたんで」


 「白雪……! 少し不味いことになったから、詩歌さんと一緒に隠れてくれ……! 妹にこの現場を見られるのは、絶対に回避しないと……!」


 「え? あ、え? 本当に妹さん来ちゃったんですか?」


 くつろいでいた詩歌さんも、インターホンに映し出されている眞代の姿と、僕の慌てた様子からなんとなく状況を理解したみたいだ。だが、時間が無いことに変わりは無い。すぐに応対をしなければ、眞代も不審がってしまうに違いない。


 2回目のチャイムが鳴り響く。その音はまるで、タイムリミットの経過を告げる合図のようだった。


 「一旦、ベランダに避難して下さい……! なんとかして眞代を外に連れ出すので、その間に脱出をお願いします……!」


 「しょうがねぇ。白雪、10秒で支度しろ」


 「きゅ、急にそんなこと言われましても……! あ、ちょ……! 待って下さい……!」


 二人が居た痕跡を出来るだけ消さなければ……! 出してあったコップを全て食器棚にぶち込み、小物類を渡して持っていって貰う。そうだ……! 二人の靴も隠さなければ……!


 そうやって焦りながらバタバタとしていると、不意に画面の眞代が動いた。その手にはきらりと輝く金属が握られていて、それを僕と彼女とを隔てる扉に差し込んだ。眞代の奴、実家においてきたここの合鍵を持ってきたのか……!


 がちゃりと音を立てて、ドアが開かれる。一室にはまだ、白雪と詩歌さんが居る。駄目だ、間に合わない……!


 ドアは開かれた。外の空気が入ってきて暑くなるはずなのに、体感温度は下がるばかりだ。眞代の眼は見開かれ、驚愕の表情で固まっていた。


 「……兄さん? これは一体、どういうことですか?」


 「あ……いや、これは眞代が想像していることとは違くてだな」


 「違う? 一人暮らしの家に女性を招いて、一体何が違うと言うのですか? 兄さんの嘘つき。仲の良い女の子なんて居ないって、そのままの兄さんで居てくれるって言ってたのに……!」


 完璧に怒っている。眞代には昔からこういうところがあった。僕が他人と仲良くしていると、それに嫉妬して機嫌が悪くなるのだ。しかも今回は異性である。それは眞代をキレさせるには、十分すぎるのだった。


 「へぇ……しかも、お泊まりですか? 私だって泊まれないのに、その人達は良いのですね兄さんは。やっぱり、兄さんはおかしくなってしまったようです。だから、私がちゃんと元の兄さんに戻してあげないといけまんせよね?」


 「ま、しろ……?」


 早口で捲し立てると、眞代は頭を抱え始めた。長い髪をだらりと下げ、息を荒げている。彼女の執着心と依存は離れることによって解消されるどころか、むしろ悪化している様に見える。また、僕は間違えたのだ。


 「あはは……最初から、こうしておけば良かったんだ。なのに、くだらない倫理観で悩んで苦しんで壊れて……馬鹿みたいっっ!!!」


 眞代の右手が振るわれる。その手には何も握られておらず、ただ空を切るだけのはずだ。だが、僕は直感的に彼女の手には何かが握られていると思った。ウエンの助けが無ければ幽霊一つ見えない僕ですら分かるほどの、禍々しさを内包した何か。それが、僕の体を一閃した。


 「…………!?」


 上手く立っていることが出来ない。息が詰まって、脳が体の動かし方を忘れた様にビクともしなくなる。ただ、視覚と聴覚だけは失われること無く、活動を続けるのだった。


 「まひ――」


 「そこを動かないで下さい、盗人共。私の兄さんに触れることは、絶対に許しません」


 「白雪っ! 後ろに隠れてろ!」


 詩歌さんは白雪を後ろに庇いながら、威圧感たっぷりの視線を眞代に送る。だが、当の本人は涼しい顔をしているのだから末恐ろしい。眞代は右手を向けながら、真っ暗な瞳で詩歌さんを見つめる。すると、たちまちその顔を憤怒に染めた。


 「どいつもこいつも兄さんを穢して……! お前みたいな化物に、兄さんを渡して堪るか!」


 「っ! てめぇ……!」


 その言葉は、あまりにも詩歌さんを傷つけた。一瞬我を忘れて、思わず眞代に襲いかかってしまうほどには。


 眞代の動きは速かった。僕を沈めたように同様に片手を振るい、不可視の何かが詩歌さんを襲う。しかし、詩歌さんは少し顔をしかめただけで、そのまま眞代に向かっていった。


 「やはり大して効きませんか……ですが、それまでです」


 「がぁっ……!」


 まるで踊っているかのように、その体はするりと詩歌さんの手をすり抜けた。そのまま、眞代の腕が詩歌さんに突き刺さる。鈍い音と共に、詩歌さんは短い悲鳴を上げて地に倒れたのだった。


 「ごほっごほっ……! く、そ……!」


 「し、詩歌さん……! あ、あぁ……!」


 「さて……貴女にもお灸を据えたいのですが、厄介なのがこっちに来てますね。だから、忠告だけで済ませておいてあげます」


 「…………ぅ」


 ふわりと、視界が上に持ち上がる。どこに僕を持ち上げる力があるのか、眞代は僕を軽々と手に収めたまま。外に出て行くのだった。


 「二度と、兄さんに関わらないで下さい。じゃないと……命の保証は、出来ませんから」


 高速道路を走っているような、風を切る音と風圧が頭に突き刺さる。


 「兄さん。これからは、ずっと一緒ですよ?」


 柔らかな手が、僕の頭の上に乗せられる。ゆっくりと、少しづつ意識が朦朧としてきて、僕はそのまま暗闇に落ちていくのだった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「う、うぅ……」


 膝から崩れ落ちる。ボロボロと、眼球から涙の粒が決壊する。せめてあの子の、真尋さんの妹さんの前だけでは泣かないと我慢していました。でも、やっぱり情けないです。私は、何も出来なかった。


 「ごほっごほっ……! し、らゆき」


 「詩歌さん……!? 大丈夫ですか!?」


 「手加減されてたからな……くそっ、不甲斐ねぇ」


 そんなことありません。詩歌さんは私を庇って、あんなに怖い妹さんへ真っ向から挑んでいました。私は、突然崩れ落ちた真尋さんみたいになるのが怖くて、足が竦んで、ただそこに突っ立ていただけです。


 そうやって無意味な一人反省会をしていると、一陣の風が吹きました。音も無く現れたそれは、見目麗しい服装をしている以外、見覚えのある人でした。


 「……どうしてドアを開けっぱにしているの? 流石に不用心すぎると思うのだけど」


 「あ……ウエンさん」


 「ちょっと、なんで泣いてるの? あ、もしかして真尋に泣かされたんでしょう!全く、あのロリコンは被虐趣味まで持ってるなんて……私が叱ってあげるわ!」


 快活に、機嫌が良さそうなウエンさんへこのことを告げるのは、自らの失態を報告するようで気が引けます。ですが、私だけではどうにも出来ないのも事実です。もはや、私の評価は地に落ちています。現状報告くらい出来なければ、ここに居る意味がありません。


 「ウエンさぁん……! 真尋さんが……妹さんに攫われちゃいました……!」


 「……へ? 妹? ……まさか、十川眞代が来たの?」


 「知ってんのか、死神」


 「えぇ……昨日、一度殺されたわ。その後は全身バラバラにされるわ、ゴミ袋に封印されるわ、エラい目に遭ったのよ」


 なるほどです。私がウエンさんを見つけた時、どうして袋詰めにされていたのか分かりました。しかし、死神を殺せるなんて……眞代さんは一体、何者なんでしょうか?


 「あの子は多分、先祖返りって奴よ。昔は今より、幽霊とか妖怪の存在がポピュラーだったから、それを見たり利用したりする力も結構一般的だったの。それにしたって、彼女はとびっきりのイレギュラーだけどね」


 「あいつ、変な力を使ってやがった。あたしには効かなかったが、真尋はそれでぶっ倒れちまうし……動きも人間離れしてたっつうかよ」


 その素早さは尋常ではありませんでした。その道の達人のような、肉体の限界まで研ぎ澄ました技術とはまた別種の、違う何か。そう、まるで……元々の体のスペックが違うみたいです。


 その推測は当たらずといえども遠からず、というものでした。


 「十川眞代は依り代を使ってるわ。前のおばりよんみたいなのを従えて、自分の力にしてるの。現代でそんなこと出来るなんて、絶滅危惧種もいいところだけどね」


 「じゃ、じゃあ……真尋さんが急に倒れたり、人間離れした動きをしたのも、その依り代を使って?」


 「そういうことね。でも、どうして急に真尋を? あの子は妹でしょ? 攫う理由なんて、無いじゃないの」


 真尋さんは、妹さんがブラコン気味だと言っていました。さらに、私たちを見てのあの反応。ここまでくれば、コミュ障の私でも流石に分かります。


 「嫉妬、じゃないでしょうか? 妹さんは真尋さんが大好きみたいですし、私たちと仲良くするのが気に食わないんでしょう」


 「けどよ……あいつ、あたしを見て真尋を穢したとか何とか、変なこと言ってたぞ。だから、理由はそれだけじゃあ無さそうだ」


 確かにそうです。穢す、とはどういう意味でしょう? 私達が真尋さんと……その、あれな関係になったと思ったのでしょうか?


 「おいムッツリ、すぐそういう方向に考えんな」


 「な……! だ、だってだって……! 私達流れでお泊まりしちゃいましたし、そういう風に見られても仕方無いんじゃないでしゅか!?」


 「そういう問題じゃねぇんだ。真尋妹にとっちゃ、そんな行為をしようとしてまいと、もうアウトなんだよ。そもそも、あたしらが真尋に近づいた時点で駄目なんだ」


 詩歌さんのその言い方は、まるで知っていたかのような口ぶりです。聞いているだけでも重くて、胃もたれしそうな欲望を。


 「まぁ良いわ。私は真尋を助けてくるから、二人はここで待ってなさい。そのためにとっておきも持ってきたのだから、今度こそ不覚は取らないわ」


 「え……?あっ……う……」


 私も行きます。そう言おうとして、私は言葉に詰まりました。その理由はもちろん、怖いからでした。


 「あたしは行くぞ。人手はあった方が良いだろうし、何より真尋をあいつにくれてやる気はねぇしな」


 「ふーん……私が居ない間に、随分入れ込むようになったのね」


 「あいつとは約束、したからな。たった数時間で破棄されちゃあ、困るんだよ」


 一言、私も詩歌さんに便乗して行くと言えば良いんです。でも、私は固まっていました。思っていたよりも、私は臆病だったのです。目に見えない幽霊なんかより、脅威が一瞬で分かる妹さんの方が怖くて、恐ろしくて……こんな自分が情けないです。


 「おい、白雪」


 「あ、はいぃ!? な、なななんでしょう!?」


 しょうもない堂々巡りをしていると、突然詩歌さんに呼びかけられました。詩歌さんは私の目線の高さにまで姿勢を持ってくると、柔らかな表情を浮かべながらこう言いました。


 「あたしは、白雪にも来てほしいと思ってる。お前の知識は、きっと役に立つだろうからな」


 「そ、そんなこと……私は、何も出来ません」


 ウエンさんみたいに、特別な存在じゃありません。真尋さんみたいに、何でも出来る訳じゃありません。詩歌さんみたいに、強くありません。


 私は知っているだけで、それ以外に何も出来ません。私は……役立たずなんです。


 「んな訳ねぇだろ。お前は凄ぇ、それだけは自信を持って言えるぞ」


 「で、でも……私は、現に何も出来なかったじゃないですか……! 真尋さんが目の前で倒れたときも、妹さんが怖くて動けませんでした……! 私は……! 無力です……!」


 何も、出来なかった。唯一の知識さえ使えず、ただ立っているだけ。どんどん溢れてくる負の感情で泣きそうになっていると、詩歌さんの体が近づいてきました。ふわりと、優しい感触が脳内に染み渡ります。


 「安心しろ、白雪は無力なんかじゃない。それに、あたしだってお前が居ないと、怖くて仕方ねぇんだぞ?」


 「詩歌さんが……怖い?」


 「そりゃあそうだろ。あたしも一回、実力の差を見せつけられたんだ。次もまた、なんも出来ねぇんじゃないかって、怖くもなるもんだ」


 そっか……詩歌さんにも、怖いことってあるんだ。私の中で勝手に、詩歌さんは強くてかっこよくて、何にも怖いことなんて無いんだと思ってた。


 「でも、白雪が傍に居てくれたらと思うと……ちっとも怖く無くなるんだ。幽霊が見えなくても、白雪が一緒に戦ってくれるなら、な。だから、お前は必要だよ」


 「く……ぅ」


 駄目だ……眼球が溶けてしまったみたいに滲んで、濁流のように涙が溢れてくる。詩歌さんの胸に顔を押しつけて、声を押し殺しても止まらない。


 あぁ、そうだ。私はすっかり忘れていた。真尋さんは、ウエンさんは、詩歌さんは……私の道標なんだ。私が進むべき道を指し示す、ようやく見つけた私だけの居場所。それには、皆揃っていないと意味がありません。誰が欠けても駄目なんです。


 「わ、わたひ……! わた、しも! い、行きまず!」


 「ありがとうな、白雪。一緒に真尋を持って帰るぞ」


 「はいぃぃ……! 頑張りまふぅ……!」


 時間なんて関係なかった。ここは居心地が良くて、手放したくなくて、ずっとこんな時間が続いていけば良いと思うなら……それだけで良かったんだ。


 「そう、二人とも行くのね。なら、準備してさっさと行くわよ」


 「ふぇ……? い、行くって何処にですか?」


 ウエンさんは手元に握ったナイフをくるくると回しながら、空を指さしました。


 「秋花トンネルよ。そこに、真尋の反応がある。あんな危険な場所なのに雑魚幽霊しか居ないから、何か理由があるのかと調査用の人形を置いておいて良かったわ」


 秋花トンネル。私と出会う前に、真尋さんとウエンさんが初めていった心霊スポット。ここからはかなりの距離がある場所です。


 「それは正確なのか? どうしたって、そんな場所に居るんだよ?」


 「あそこは幽霊が集まりやすい場所だから、十川眞代にとって最高の立地なのよ。依り代を使うのに必要なのは、何より人間の魂が一番だから。でも、そうなると少し不味いわね」


 「何が不味いんです?」


 「依り代は魂があればあるほど強力になるの。つまり、早く対処しないと指数関数的に手強くなっていくわ」


 ウエンさんが焦っているのが分かる。当然だろう、私たち全員が妹さんに負けている。自信家のウエンさんも、慢心や余裕が全く無いのは相当だろう。けど、だからってもう逃げたくないのです。


 「出る準備をしなさい。それともう一つ、私は十川眞代に全神経を集中させるから、二人を守ることは出来ないわ。きっと、あの子は殺す気で来る。ちゃんとそれは理解しておいて」


 「っ……!」


 正直、もう怖くないかと言われれば嘘になる。未だに妹さんの眼光を思い出すと、体の芯が冷えて泣きたくなる。けど……! 詩歌さんも一緒に戦ってくれるなら……!


 「だ、だいじょいぶでしゅう……!」


 「……本当に大丈夫なの? この子」


 「ま、まぁ……うん、行けるって」


 怖いものは怖いんですよ!? 仕方無いでしょう!?

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