おばりよん 前

 「あぁ~怖がっだぁー!!! あの人、ほんとに同じ人間ですか!?」


 「一応、人間なはずよ。ちょっと信じられないけどね」


 トンネルを抜けた先は人の営みを僅かにしか感じられない、自然に淘汰された人工物が姿を見せていた。もちろん、街灯なんて気の利いたものは存在せず、僕と八尋が持つ懐中電灯とスマホのライトだけが、辛うじて足下を照らしている。


 「何でそんなに言うのか、僕には良く分からん。確かに圧迫感あるけど、ゆうてそれだけじゃないか」


 「真尋はそうみたいなのよね。多分、体質の差異だと思うわ。私の力が効かないのと同じで、あの女の力に対応出来てるみたい」


 「へぇー! じゃあじゃあ、真尋さんは特異体質って奴なんですね! かぁーこっいー!」


 「馬鹿にしてんのか」


 すっかり元の調子を取り戻した八尋と軽口を交わしながら、僕たちは草木が生い茂る道を進む。道は荒れ果て、金属は錆び付き朽ち果て、自然と融和したかの様な構造物ばかりが辺りに散見される。その様子は何か、ノスタルジックな思いを起こすのだった。


 やがて、僕達は大きな一本道に入った。地面は石畳のようで、割れ目から雑草が生えながらも、今までの道と比べてさほど荒れていない。恐らく、ここが境界線なのだろう。トンネルと廃村とを繋ぐ、間の中間地点だ。


 「真尋さん真尋さん! 多分、ここですよ! 東寄橋の怪異が潜む、竹藪の道って言うのは!」


 「ウエン、幽霊っぽいのは居るか?」


 「……現時点では特に感じないわ。でも、直感だと多分居る。この独特の雰囲気は、あいつらにしか出せないものだもの」


 僕も同じ意見だ。ぼんやりと、なんとなくの形しか見えなくても、ここは明らかに空気が違っていた。ざわざわと揺れる木々、夏なのに少しブルッとする悪寒。極めつけは、がさがさと揺れる草の音だ。


 八尋は耳を澄ませても聞こえない様だが、僕とウエンには確かに聞こえていた。動物のものでは無い、それこそ人間が隠れているような物音。僕はゆっくりと、ポケットに仕舞っていた幽霊用のナイフを取り出した。


 「そ、それなんですか! 柄の部分に御札が貼りまくってて、めっちゃパンクなんですけど! ちょ、ちょっとだけ貸してくれませんか、それ?」


 「……おい、さっき遊びで来てないとか言ってたのに、心変わり早すぎだろ」


 「ちょっとだけですよぉー。ね、ね? 良いでしょ?」


 「待てって、今はタイミングが悪す、っ"!?」


 人は不意に変化が訪れると、それに対処出来ない。何が起こったのか分からなくなって、パニックになる。それは人間である以上、避けられないものである。


 この時、僕の背中には確かな質量があった。それも、先ほど背負っていた八尋とは比べものにならない重さだ。立っていることが出来ず、そのまま崩れ落ちてしまった。


 「真尋っ! 依り代持ちよ!」


 「ぐぅ……!!! は、ぁ……すまん、助かった」


 ウエンが僕の背中に向かって、特別製のナイフを振るった。その瞬間、背中の重圧は消失した。初めて遭遇する、依り代を持った幽霊。僕の頬に僅かな汗がたらりと流れるのが分かった。


 「分かってるわね? 依り代を持った幽霊との戦い方は」


 「あぁ。まずは正体を見破る、だろ?」


 「よく分かりませんけど、幽霊が来たんですね! 私、ちょー興奮してます!」


 事態が緊迫しているというのに、相変わらず馬鹿なことを言う八尋を無視して、僕はここに来るまでにウエンから聞かされていたことを思い出した。


 「依り代持ちにはね、必ずルールがあるの。絶対無敵の、どんな方法でも死なないし勝てない相手は存在しない。例え不死身の存在が居たとしても、それを無効化する方法があったり、一定の時間限定だったりするのよ」


 「でも、どうやってそれを見つけるんだ?」


 「簡単よ。依り代は、この世に絶対存在したものなの。強い力を持った人物や物体、有名な都市伝説や眉唾物の化物達。そしてそれは、知られれば知られるほどに強力になる。彼らにとっては、人間達の認知こそが生命力みたいなものだから」


 「? なら、人々の記憶から消えたら、幽霊も死ぬってことですか?」


 八尋が背負われながら、疑問を口にする。


 「当たり前でしょ? 彼らをこの世界に繋ぎ止めるのは、他ならぬ人間なの。思いの気持ちは、それほどに重いのよ。その人達から忘れ去られたら、それまで。依り代だって、それは一緒ってこと」


 「なるほど……認知数が増えれば増えるほど強力になるけど、それは逆に弱点や対処法も知られ易くなってしまう。超常的な存在も、意外と制約が多いんですねぇ」


 「だな。幽霊ってのはもっと、理不尽な存在だと思ってた」


 古今東西、幽霊や妖怪、悪魔や都市伝説というのはひたすらに理不尽だ。悪いことをしていなくても呪われたり、殺されたり、はたまた違う世界に飛ばされたり……彼らはいつだって、人間以上の力を持った存在として伝わっている。


 そんな存在も、強くなっても負ける可能性は減らないという、ジレンマを抱えているのだ。僕たちにとって、それはひたすらに助かる。


 「けど、実際遭遇してみると……! やっぱ理不尽だ!」


 「次っ! 右から来るわよ!」


 「がっぁ!? 当たらない!?」


 何かが茂みから飛び出して来たのは分かった。そして、確かに僕はその何かにナイフを振るったはずだ。だが、現実としてその攻撃は当たらなかった。すり抜けた、というよりはもうそこには居なかった、という方が正しい気がする。


 「離れな、さいっ!」


 立っているのが困難なほどの質量が、フッと消える。早く正体を看破しなければ、永遠とこいつは僕の背中に乗り続けるだろう。こいつの正体は、一体何なのだ。早く、早くと焦るだけで、一向に正体は分からない。くそ、このままじゃジリ貧だ。


 「真尋さんっ! 背中に何かが負ぶさってくる、って感じで合ってますか!」


 「あぁそうだ! 何か、そういう怪談とか化物を知らないか!」


 「確定ではありませんけど、一つ思い浮かびました! それは―」


 八尋が何かの考察を述べようとした瞬間、彼女の体が地面に叩き伏せられた。見れば、八尋の背中には依り代持ちの幽霊であろう、小柄な子供のような何かが居た。


 子供、と言っても可愛らしいものでは無い。口は三日月を描いて歪んでいて、そこからはダラダラと粘性の高い液体が溢れ出ている。毛髪や目、鼻なども存在せず、ただ真っ平らな顔に笑いを浮かべる口だけが張り付いていて、ただ悍ましい。その姿はまるで、重さに苦しんでいる八尋の姿を見て、ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべているみたいだ。


 「八尋から、退けっ!」


 ズブリと、今度は感触があった。だが、それだけだ。腹を切り裂かれたというのに、正体不明の何かは変わらず笑みを浮かべていた。


 「はぁっ……はぁっ……こ、れが、幽霊の力……」


 「八尋、大丈夫か!?」


 「はい……なんとか、ですけど。それより、依り代持ちの正体です。それは多分、おばりよんだと思います!」


 「おばりよん……? 何だ、それは?」


 聞きながらも、背中にはまた押しつぶすような重さが置かれる。片膝をつきながらも、僕は八尋の話を聞く。


 「ウエン! 今背中に乗っている奴は、まだナイフで切るな! 多分、こいつは一人にしか背中に乗れない! 僕が耐えていれば、八尋に飛ぶことは無いはずだ!」


 ウエンはいつでも背中の異物を取り除く準備をしながらも、八尋の方に意識を傾けていた。僕は視線で八尋に続きを促した。正直、息を吸うのも辛いのだ。


 「手短に説明します! 簡単に言えば、背中に負ぶさってくるだけの妖怪です! 竹藪に、背中へ負ぶさる。私が知っている限りでは、そんなことをするのはおばりよんだけです!」


 聞いたことも無い名前だった。一つ分かるのは。負ぶさってくるだけ、というのは些か簡単に言いすぎだ。これは八尋を背負うのとは重さが違い過ぎる。人間一人背負い込むだけでもかなりの重量を伴うのに、こいつはそれ以上の重圧を生み出す。


 八尋が地面に沈んだのが分かり易いだろう。あれを意識せずに受け止めたのなら、必ずそうなってしまう。下手をすればそのまま窒息してしまうに違いない。こいつは、語感からは想像もつかないほどの危険性を秘めている。


 「っぉおおお! いいぞ、やれ!」


 ウエンがナイフを振るい、おばりよんが背中から消失する。消えた側からのしかかってこないのは、不幸中の幸いと言うほか無い。この僅かな時間の間、おばりよんの特性と弱点、逸話などを聞き出さなければ。


 「八尋! おばりよんの情報を、知っているだけ全部共有してくれ! ウエンは八尋の後ろについて、おばりよんが来たらすぐに追い払えるようにしろ!」


 僕ならギリギリおばりよんの負ぶさりに対応できるが、八尋にそれを求めるのは酷だろう。最悪、骨や内臓を傷つけたりするかもしれない。ここは僕がおとりになって、時間を稼ぐべきだ。ウエンは一瞬僕の方を見て、八尋の後ろに待機し始めた。そんな僕たちの動きを見てか、おばりよんは再び僕の背中へやってきた。さぁ、耐久レースの始まりだ。


 「おばりよんの怪談で、その重さを苦ともせず自らの住まいに帰った者が、莫大な富を得るという話もあります! この先に廃村があることからも、何か関係があるんじゃないでしょうか?」


 「依り代持ちは無敵じゃ無い。そういう話があるなら、試す価値はあるわ。他に何か象徴的な話はある?」


 「はい! おばりよんは背負い続けていると、段々と重くなるらしいです! ですから、その話通りで行くと……」


 あぁ全く、史実に忠実な幽霊である。気のせいかと思ったが、やはりどう考えても重くなっていやがった。今でも膝立ちで踏ん張るのが精々なのに、それを背負ったまま廃村に行く? かなり無茶な条件だ。せめて最初の重さを保てるのなら、どうにかなるのだが。軋む体を支えて、脳みそを止めないようにする。


 ……駄目だ、後一歩足りない。どうやっても、八尋が危険すぎる。もう少し、何かこの状況を打開出来るもう一手があれば……!


 「なんだ、汗をだらだら流して。幽霊にでも取り憑かれたか?」


 「……! 詩歌、さん……!」


 その姿が見えた瞬間、後ろのおばりよんの顔から笑みが消えた気がした。僕にはこいつの顔が見えないし、声も聞こえない。けれど、口から漏れ出した悲鳴の残滓が闇に消え、一度は帰ったはずの詩歌さんを恐怖している、おばりよんの姿が容易に想像できた。


 「しっかり……しろっ!」


 「う””……!」


 スタスタと軽い足取りで僕に近づくと、詩歌さんはそのまま僕の背中を思いっきり叩いた。パンッ、と乾いた音が辺りに響くと、背中からもうおばりよんは居なくなっていた。


 「嘘でしょ? どうして生身で依り代持ちを退けられるのよ。全身が祓い道具以上の効力を持ってるなんて、前代未聞すぎだわ」


 「うわー……痛そー」


 不思議と、痛みは軽かった。確かに衝撃は強く、猪が突っ込んできたようだった。そのおかげで現在、ゴホゴホと咽せているのだが、不快感以上に悪い物が全て飛んでいったような、デトックスに似た作用が働いていた。


 「お、おい……そんな強かったか? 悪い、こういうのは加減しちゃ駄目だって言われてたからよ」


 「い、いや……ゴホッ。た、助かり……ゴホッ……!」


 「全然そうは見えねぇけど……おら、ゆっくり息吸えって」


 優しく、詩歌さんの手が僕の背中をさする。重みからの解放と、強力な闘魂注入によって乱れた息が段々と落ち着いてくる。


 「すいません、助かりました。それより、こうして戻ってきたってことは、協力してくれるってことで良いんですか?」


 「その認識で構わない。あたしはもう、逃げたくねぇんだよ。この力からも、クソみてぇな人生からもよ」


 そこにはもう、先ほどの影のある表情は消え失せていた。力強く、凜々しく、可憐な神道詩歌が、そこには居た。


 「……あれ? そういえば、おばりよんが来ないですね? しんっ、詩歌さんにビビったんでしょうかぁ!?」


 一瞬、神道と呼ぼうとした八尋を詩歌さんが睨み付けると、声を裏返しながらそう言った。ビビったのはお前だと言いたいが、八尋の言い分はもっともである。その時、僕は背中に置かれたままの詩歌さんの手を見た。


 「もしかして、詩歌さんが僕に触れているからか? それでもって、八尋の方に行っても、ウエンがすぐに対処出来るようになってる。だから、おばりよんも手が出せていない?」


 「私に乗っかって来ない辺り、その子にも乗れないと見て良いわね。これはチャンスよ、真尋。どうにかして、おばりよんを背負ったまま廃村に行く方法を考えるわよ!」


 「? おめぇらなんの話をしてるんだ? ていうか、おばりよん? ってなんだ?」


 「それは私から説明しましょう! 正直目に見えないおばりよんより、威圧感マシマシな詩歌さんの方が怖いんですけど、私頑張りますよ-!」


 夏だというのに、虫の一匹も存在しない異様な竹藪で、似つかわしくない声が自然の中に溶けていく。周囲の警戒を続けるウエンと、足を生まれたての子鹿のようにしながらも健気におばりよんの説明をする八尋。真面目にそれを聞く詩歌さんという、謎な現場が形成されていた。


 このまま現状維持を続けていても、魂の回収は出来ない。八尋が状況を説明する間、僕も対処法を考えよう。


 このメンツでおばりよんを背負うのは、僕の役目だ。そもそも背中に乗ってこないウエンと詩歌さんは論外の中、単純な運動能力の比較だけでも僕に軍配が上がる。だから、おばりよん退治を左右するのは僕、ということになる。


 暗闇でよく見えないが、ここから廃村まではそう遠くないらしい。とはいえ、数十歩で着くような距離でも無い。正確な重さこそ分からないが、自分と同等、時間が経てばそれ以上の重量を持つ幽霊をそこまで運ぶ。僕の力でそんなこと、出来るのだろうか。


 「じゃあ、そのおばりよんってのを廃村まで運べば良いんだな?」


 「えぇまぁ、ざっくり要約するとそうなりますねぇ」


 「よく分からんが、目的はそれの退治なんだろ? なら、わざわざ逸話通りに進んでやる通りは無いんじゃねぇのか? 必要なのは報酬じゃ無くて、おばりよん自身なんだからよ」

 

 その言葉を聞いて、一つだけ考えが浮かんだ。ズルもいいところの、おばりよん運搬である。要は、おばりよんを運びさえしてしまえば良い話だったのだ。


 この数回のやりとりで、こいつが本当に負ぶさってくるだけの依り代持ちということは分かっている。そして、詩歌さんという新たな協力者。ここまでお膳立てされて、負ける訳にはいかない。


 「一つ、こんなことを考えてみたんだけど……聞いて貰えるか?」


 「許可するわ。言うだけ言ってみなさいな」


 上から目線のウエンに促され、僕は今思いついたばかりの案を話す。奴らに話を理解する知能は無いだろうが、一応近くに寄って貰って発音を始める。それを聞いた彼女らの反応は、三者三様だった。


 「言い出しっぺだし、あたしは良いと思うぞ」


 「うーん、微妙なところね。依り代持ちには出来るだけ、伝わる話に近い形の方が相手も干渉出来ないのだけど……この依り代の場合、いくつも話が枝分かれしてる様だし、上手くいくかどうかは五分五分ってとこね」


 「私は反対です! って、言いたいところですけど、他に良い案が思いつかないのも事実でして……その作戦なら、私は詩歌さんに守って貰えるみたいなんで、それで良いと思います!」


 「おい、もう一回おばりよん背負わせるぞ」


 「じょ、冗談ですって~! 本気にしないでくださいよぉー!」


 かくして、ひょんなことから集まった四人による、おばりよん退治が始まるのだった。 

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