東寄橋の怪異 前

 「……ぷはぁっ! 生き返りますねぇ……! やはり水こそ万物の根源ッ! 人間を構成する物質の大半が水分であることが、それを暗に表しているんです!」


 手渡した2リットルのペットボトルを両手で支えながら、こちらへ聞こえるくらいゴクゴクと喉を鳴らし、訳の分からないことを叫ぶ少女。電波系というか何というか、全身から危ないオーラを醸し出している。


 「そ……そっか。じゃあ、そろそろ帰った方が良いよ……うん、ほんとに」


 「まぁまぁ、そう邪険にしなくても。私の考えが正しいと分かったのなら、すぐに帰りますから」


 少女はそう言うと、ビシッと指をウエンに向けた。もう片方の手で眼鏡をクイッと持ち上げていたり、随分と芝居がかった動きをするものだ。


 「ズバリ! 貴女、人間じゃありませんね!!!」


 少女の顔は満足げだ。長年追い求めた存在を見つけたかのような、悲願を達成したかのような、その類いの感情。キラキラとしていて、未知を怖がるのでは無く、むしろ楽しんでいる。その姿は、今の僕には少し眩しい。


 だって、僕は知ってしまった。幽霊という存在の正体を、知らなくて良かった存在を、その好奇心によって知ってしまった。だから、僕にとって人間ではないものとは、いるかどうか分からないでは無く、確実にいる存在なのだ。あの悍ましい存在は、確かにいる。


 「えぇそうよ、私は人間じゃないわ。はい、これで良いかしら? 用事が済んだのなら、とっとと帰って欲しいのだけど。今の私は、少し機嫌が悪いの」


 「いえいえ、そういう訳にはいきません! 貴女が人間じゃ無いという確信を得るためには、本人の自供だけでは不十分です! エビデンスが欠如していては、それは不確定なままです。これは本物だと、一目で分かる証拠が欲しいんですよ、私は!」


 ペラペラとよく喋る子である。全く、頭が痛い。死神の次は、電波少女と来た。幽霊を見たいとは思っていたが、こんな珍妙な人種と関わりたくは無い……けれど、僕は安易に少女のお願いを断れなかった。


 理由はどうあれ、少女は本気だ。ウエンの存在を本気で確かめようとしている。その熱意は、情熱は、確かなものなのだ。同好の士としても、少女の好奇心を満足させてあげたい。


 「……ウエン、この子は本気みたいだぞ。多分、断る方が面倒だ」


 「はぁ……そのようね。でも、どうするの? 私が他人に見えないところを見せれば良いのかしら?」


 「えっ!? 普通は見えないんですかっ!? もしや、私にもついに霊感が……!」


 それでは少し薄い。何も知らない僕がもし、「この人、人間じゃないんですー! その証拠にほら、他人には見えてないでしょ?」と言われても、なんだかモヤモヤした気分になる。ここは完膚なきまでに、どんな理論も考察も意味をなさないまでの現象を突きつけたい。


 「君、名前は?」


 「うぇ? あ、私ですか? えっと、八尋白雪と言います。中学二年生です」


 「今まで、ウエン以外に変なものとか見たことある? 例えば、人間が混じり合った肉塊とか」


 「何ですかそれ! そんなのいるんですか!?」


 なら、幽霊は見えないと考えて良い。ウエンに触られてしばらくの間は僕も幽霊が見える様になるのだが、日常に意外と幽霊は存在している。駅のホームの下、高層マンションの近く、なんてこと無い道など、どんなところにも異形はいるのだ。


 「ウエン。僕にするみたいに、八尋に幽霊を見えるように出来るか?」


 「無理ね。幽霊を見えるようにするには私が直接触れないと駄目だから、彼女が死んでしまうわ」


 「じゃ、これが現状出来ることだな」


 僕はウエンの後ろに立って、両手を彼女の肩に添える。そのまま、僕は両手を振りかぶって少し大袈裟にそれを振り下ろした。するとどうだろう、僕の手はウエンの体をすり抜け、空を切ってしまった。


 「お、おぉ!!! い、今っ!! すり抜けましたよねっ!? ちょ、もう一回、もう一回だけやってください!!!」


 きゃっきゃっと、年相応な可愛らしさを見せる八尋の喜んでいる姿を見て、僕は微かにほっこりしていた。なんだか、彼女の姿が妹に重なったのだ。ちょうど中学三年生で、年の頃もほぼ同じだ。


 眞代と初めて会ったときも、確かこんなことがあったな。あの頃の眞代は、この世の全てが怖いみたいで、部屋の隅で縮こまっている子だった。父さんも母さんも、そんな風に全てを拒絶する彼女の扱いに困っていて、僕たちは家族なのに家族じゃ無いみたいだった。


 だから、僕は積極的に眞代へ話しかけた。初めは警戒していたけれど、少しづつ、少しづつ僕たちは兄妹になっていった。


 あぁそうだ。僕がオカルトに傾倒し始めたのも、あの頃だった。確か、眞代は幽霊が見えるとかで、僕はそんな彼女を元気づけたくて、必死に幽霊について調べてたんだっけ。その内、眞代がそういうことを言わなくなって、自分の黒歴史みたいにあの時のことを話さなくなっ――


 「何すんのよ!? 霊体とはいえ、他人に触られるとこそばゆいのよ!?」


 「ぐばぁっ!? まっ、じまっでるっで……!?」


 「うおぉお!? 死神さんからは触れるんですねぇ! すごっ、片手で首を絞めて持ち上げてますよこれ!」


 その後の記憶は、少しだけ朧気だ。いつもより謎に不機嫌なウエンを相手に、取っ組み合いの喧嘩をしたことまでは覚えてるのだが、そこから先が不明瞭だ。ただ、止めるどころか囃し立てる八尋と、それに乗っかって僕とウエンが不毛な争いをしたのは覚えている。


 そして、気づいたら夕方になっていた。太陽が沈んで、一日が終わっていく。僕は大切な夏休みの内の半日を、そんな訳の分からない喧嘩に浪費してしまったのだった。


 「それがなんで、こんなことになってんだ……?」


 「むぐっ、どうしたんです? そのオムライス、食べないんですか? 食べないなら、私が頂きますけど!」


 「うるさい中二、口にソース付けたまま喋るな」


 「ちゅ、中二!? それ、中学二年生って意味ですよね!? 決して、痛々しい言動をする人たちの総称では無いですよね!?」


 僕は、正確には僕たち三人はファミレスに来ていた。財布の中身が105円しか無い癖に、ハンバーグセットとドリンクバーを頼む馬鹿と、ちょいちょい僕のオムライスをつまみ食いする馬鹿の二人とでは、不思議と楽しい食事の時間も憂鬱な気分になってくる。


 「おいウエン、食い過ぎだ。もう半分以上食ってるぞ、そろそろその手を止めろ」


 「うるひゃいわね、あんひゃのへいでで疲れらんらから……んぐっ、これは必要な補給なのよ」


 「ず、随分と仲が良いんですね。バカップルみたいで、見てるこっちが胸焼けしますよ……」


 まぁ、ウエンが見える八尋からはそう感じるだろう。ウエンは僕の右肩にぴったりとくっついて、一つのスプーンを共有して使っているのだから。だが、くっつくのは置いておいて、一つのスプーンを共有して使うのには訳がきちんとある。


 ウエンは他人からは見えない。そして食事の必要があまり無いのに、こいつは食べ物を食べる。曰く、誰かが近くで食べてると食べたくなるらしい。


 だが、料理を二つ頼むと、第三者からは独りでにスプーンが動いて、独りでに料理が消えることになる。そこら辺も、あまり気にならないように認識阻害をしているらしいが、疑問や興味を持たれた時点でそれは効力をなくす。


 だからこその、一つの料理を一つのスプーンで食べる行為に至るのだ。端から見れば、僕が料理を食べているように見えるだろう。これも、必要なことなのだ。とはいえ、こいつが何か食べたいと言わなければする必要もないことなのだが。


 「それより、本題に行こう。その場所に、幽霊がいる可能性が高いのか?」


 「えぇ、あそこは出るとこの辺だと有名です。あまりネットに出回っていないのも、ポイント高いですしね」


 ウエンと僕との喧嘩の最中、八尋は僕たちの関係性、目的を聞き出していた。だから、ウエンに触ると死ぬとか、僕は触られても何故か死なないこと、また幽霊の魂回収など、おおよその事情を把握していた。


 そこで、八尋が渡りに船なことを言い出した。彼女はオカルト探求が趣味で、有名な場所からマイナーな場所まで、曰く付きの場所に心当たりが多くあるらしい。そして、その内の一つがこの近くにあるため、僕たちはそこに向かっていたのだった。ちなみに、ファミレスに入ったのは単純にウエンが騒いだからだ。


 「その名も、東寄橋の怪異。竹藪に潜む幽霊です!」


 最寄りの駅から徒歩20分ほど、今はほぼ使われていないトンネルを抜けた先の、竹藪の道。その先は廃村となった村があるだけで、それ以外はただの森である。トンネルでも無く、その先の廃村でも無い。トンネルと廃村へと続く道中の竹藪に、幽霊が出るというのだ。


 「聞いた話によると、肩が重くなったとか、白い着物を着た髪の長い女がいたとか……ありがちな話ではあるんですよ。でも、廃村でもトンネルでも無く、その中間地点の竹藪が一番体験談が多いんです。逆に、トンネルと廃村は全くそういう話を聞かないんです。これ、面白く無いですか?」


 怪談や怖い話、心霊スポットなどでもトンネルはマストである。不気味なトンネル=心霊スポットと言っても良いほどだ。廃村も同様に、トンネルほどでは無いがそういう話が多い。

 しかし、それらを差し置いてただの竹藪が怪奇スポットになっている。なるほど、それは確かに珍しい。インターネット上であまり広まっていないなら、その伝わり方は口伝である。多少話を盛っていても、信憑性はある方だろう。


 「ウエン、どう思う?」


 「行ってみないことには分からないわ。ただ、竹藪ってのは少し引っかかるわね。本来、単体では存在できない幽霊がトンネルに溜まりやすいのは、怖い場所として思い浮かべやすいからなの。廃村とか病院とか、後は学校とかね」


 確かに、トンネルというのは怖いイメージが多少ある。空気が変わる感じがするし、一日中薄暗い。しかし、竹藪という場所はすぐに怖い場所として連想できない。


 「……結局、行って確かめるのが一番か。八尋、門限とかは?」


 「私は大丈夫です。お母さんは私に興味ありませんし、お父さんは帰ってこないので。どうせ、私が今日家に居ないのも知らないんじゃないですかね?」


 そう言って、自嘲気味に笑った。全く、本当に良く重なる。こいつは、あの頃の眞代にそっくりだ。色々なものを溜め込んで、溜め込んで、溜め込むばっかりでまるで発散しない。いつ爆発するか分からない風船を見ている気分だ。


 僕は立ち上がって、八尋の頭をぐりぐりと撫でた。犬や猫にするみたいに、無遠慮につむじを擦ってやった。


 「ちょっ、何するんですか!」


 「奢ってやるから、その対価だ。黙って撫でられてろ」


 「むぅううーー!!! 女の子の扱いがなってないですよ! 頭撫でれば良いなんて、三次元の中だけですからね! 全くもう!」


 それでも、あまり抵抗をしない辺り本気で嫌がってはいないのだろう。八尋も眞代も、年相応にしていれば良いのに、とても大人びている。けれど、それは良いことじゃない。大人らしくなんて、どうせ大人になったら求められることだ。子供で居られるのは、あまりに短い期間だけなのに。


 だから、僕はもっと子供らしく居て欲しい。僕だって、まだまだ子供だ。そんな僕よりも年下なのだから、もっともっと我が儘に、我慢をする必要なんて無い。


 「あぁもう! ほら、さっさと行きますよ!」


 「真尋って、ロリコンだったのね……」


 「おい、不名誉な称号を付けるな」


 頬を染めて、怒っているかのように振る舞う八尋が大変可愛らしい。ウエンの手前否定したが、僕は意外と年下が好きだ。眞代に構いすぎた結果か、僕の趣味も彼女に引っ張られている。それでも言っておこう。 僕は決して、ロリコンでは無い。


 その後、僕たちは目的の場所、東寄橋の竹藪に向かった。相変わらず、心霊スポットというのはとにかく徒歩に厳しい。街灯だけが暗闇を切り裂き、スマホのライトでは足下を照らすだけが精々だ。


 しかし、前の秋花トンネルよりかはマシだった。ファミレスから歩いて30分くらいで、目的近くのトンネルに辿りつけた。とはいえ、ここまでほぼ山道のような場所だった。僕でも息が少し上がっているのだ。


 「はぁっ……! はぁっ……! や、やっと着いっ……!」


 「おいっ……なんで背負われてるお前の、息がっ、上がってんだよ……!」


 だからこそ、インドアの塊みたいな八尋が耐えられる道理は無かった。こいつも頑張っていたものの、10分ほど前にリタイア。回復するまでどれくらい待つか分からないので、それなりに体力が余っていた僕が八尋をおぶって来たのだ。


 「そこは私の定位置なのだけど……まぁ、良いわ。さっさと行くわよ」


 「ここまで数十キロの重荷を背負ってきた僕に対する労りは無いのか!?」


 「私は重くなーい! ふわふわの、リンゴ5個分の重量しかないのでーす!」


 「おいっ、暴れんなよ!?」


 一向に退きそうも無い八尋を背負ったまま、僕たちはトンネルの中に入った。中々に雰囲気がある場所で、壁中に書かれた落書きがよいアクセントになっている。隅に転がっている空き缶やボロボロの長靴も、いかにもな空気を作っている。


 けれど、それだけだ。雰囲気はある、中々に不気味だ。けれど、幽霊など影も形も無い。安心が担保されている、テーマパークのお化け屋敷のようだ。


 「やっぱ、ここには幽霊はいないな」


 「そうね。けど、本命はこの先でしょ? 竹藪の幽霊、とっととあの世に送ってあげるわ!」


 「え~? お二人だけ見えるなんてズルいです~。私にも幽霊見せてくださいよぉ」


 その気持ちは凄く分かる。だが、見ない方が良い。あれは、ウエンなんかが可愛らしく思えるほどに悍ましく、恐ろしい。あんな怖いものが自分にだけ見えていたらなんて、とても想像したくないほどだ。


 「僕が言うのもなんだけど、辞めといた方が良い。八尋風に言うなら、アンタッチャブルって奴だな」


 「良いですね、それ! 触れてはいけないもの、アンタッチャブル! 良い感じにするなら、触れざるものってとこですかね!」


 「あーうん、そうだなぁ」


 この年頃の子は、みんなそう言うのが好きなんだ。僕も八尋ほどでは無かったが、一時期そういう横文字や必殺技などが好きだった頃がある。あれは、誰もが通る道なのだ。きっといつか、あの日を思い出して悶える日が来るのだ。


 トンネルに僕と八尋の声が反響する。彼女の声は良く響き、打楽器の様に周りへ広がっていく。それとセッションするように、足音も同じくコツコツと良く響く。


 ウエンは幽体化しているので、足音はしない。そして八尋も、僕の背中にいるので足音は必然的に僕一人だけになる。


 「真尋さーん? 聞いてますかぁ?」


 「あぁ聞いてる聞いてる、火星人がなんだって?」


 「全然聞いてないっ! だからぁ――」


 違和感がある。僕のスニーカーの音に混じって、他の音が聞こえる様な気がする。コツコツ、という音は僕の足音だ。なのに、そこへカツンカツンっという音が聞こえる気がする。


 「シッ……八尋、少し静かに」


 「へ? ど、どうしたんですか急に?」


 目線をウエンに送る。コクリと頷く様子から、彼女も気づいた様だ。足を止めるとさらに分かりやすい。明らかに、僕たち以外の足音が聞こえていた。


 「真尋さんっ……! トンネルで足音が増えるなんて、聞いたことないですよ……!」


 「静かにしてろって……! まだ幽霊って決まったわけじゃないだろ……!」


 「あ、そっか……ブッキングしてる可能性もありますもんね……」


 大丈夫、幽霊だったらウエンが対処してくれる。最悪のパターンは、ヤンキーが複数人でいることだ。その場合、諦めて帰ることも視野に入れるべきだ。幽霊よりも人間の方がやっかいだなんて、本当にどうかしている。


 カツンカツンと、足音は止まない。この感じ、多分人間だ。幽霊はこんなあからさまに音を出さないし、何より八尋が聞こえているのが決定的だ。


 そして今、足音が止まった。僕たちにも人影の輪郭がぼんやりと見え始める。人影は懐から何かを取り出し、カチッという音を上げた。


 「……ぁあ? 何だ、カップルかよ……」


 そこには、ワイシャツにスカートを履いた、目つきの鋭い金髪のヤンキーが居た。

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