死神の耐久テスト

 「それで? 生活習慣の方は大丈夫なんですよね?」


 「あぁ、それはもちろん。毎日健康的な生活を送ってるよ」


 時刻は朝の六時半。鳥のさえずりと、自動車の駆動する音くらいしか聞こえない時分、僕はとある人物から連絡を貰っていた。僕の妹である眞代ましろだ。普段から心配性というか何というか、わざわざ訪ねてきたり電話を寄こしたりしてくる。


 それも、眞代の境遇を思えば可愛いものである。僕は兄として、彼女の気持ちを汲み取る義務があるのだ。だから、お節介であろうと甘んじて受け入れよう。流石に、連日泊まりに来るのは辞めて欲しいが。


 「変なことに首を突っ込んだり、怪しい人と関わったりしちゃ駄目ですよ? 前みたいに、宗教勧誘の話を熱心に聞きこんだり、山奥に一人で行ったりしては――」


 「分かってるって。それに、あの時は冗談のつもりだったんだよ」


 あまりにも熱心に勧誘するものだから、つい話を聞いてしまっただけなのだ。そういった団体と関わりを持つつもりも、共感することも無い。ただの暇つぶしだった。


 それを、運悪く帰ってきた眞代に見られてしまったのが運の尽きだった。何故かは知らないが、彼女は宗教だとか神様だとかに対して、露骨な嫌悪と憎悪とも呼べる感情を抱いているのだ。それ故に、宗教勧誘の出来事は今でも、僕を心配する代表例としてよく引用されている。


 「心配です……やはり、夏休みの間くらい、そちらに行って兄さんの行動を見守りたいのに」


 「本当に大丈夫だって! それに、眞代はテニス部のエースでしょ? 今の時期は毎日練習で、僕に構ってる場合じゃないって」


 「それは……そうですが」


 眞代は頭も良くて運動も出来る。あまり好きでは無い表現をすれば天才というものだ。そこに嫉妬するつもりは無いし、普段から彼女がどれほどの努力を積んでいるか知っている僕に、彼女を羨む資格などない。才能があろうと、それを磨き上げる努力まで否定してはならないのだ。


 「それより……今日は、毎日頑張っている私に対して何か労いの言葉は無いのですか? こっちにいた時は、毎日のように褒めてくれたのに……」


 「うぇっ!? ご、ごめん……そっちに気が回らなくて」


 「そうじゃなくて……もっとちゃんとした言葉にしてください」


 悲し気な眞代の声が聞こえる。いや、しかし……今この場であれを言えと? 普段は誰もいない僕の部屋か眞代の部屋でやっていたので、今の状況は非常に不味いのだ。何故かと言えば、今僕の城には望まぬ来訪者がいるからである。


 「ん? どうかしたの?」


 ベットの上で足をパタパタとする白い髪の女、死神のウエンに目を向ける。何故か朝っぱらから不法侵入していたこいつは、僕の菓子を貪りながら呑気な顔をしている。これは、両親にだって見せたことのないのだ。それを人外とはいえ、見られるのはとても恥ずかしい。だからこそ、人目があることを気にして、今日はあの発言を避けていたのだが……


 「兄さん? 今日の兄さんは何か変ですよ? いつもだったら、すぐに私を褒めてくれるのに……今日は、どうして褒めてくれないんですか?」


 「そ、それは……」


 死神が目の前にいて、恥ずかしいからなんて言えるわけないじゃないか。とは言っても、咄嗟に上手い言い訳が出てくるということでもない。あぁもう、どうして僕がこの不法侵入死神のせいで悩まなければいけないのだ。酷く馬鹿らしい。もう、どうにでもなれ! 僕はウエンに背を向けて、出来る限り小さな声でこう続けた。


 「っ……い、いつも頑張ってて偉いね。眞代は僕の自慢の妹だよ」


 「ぁ……も、もう一回」


 「毎日部活と勉強お疲れ様、頑張ってる眞代が僕は大好きだから、これからも頑張ってね」


 後ろからジッとした視線を感じる。ウエンは恋人か何かに、これを言っていると思っているのだろう。実は、中学生の妹にこんなことを囁いているのだが……やめろ、そんな目をするな。だって、しょうがないだろう。眞代はこうやって小恥ずかしいセリフを言われるのが、どうしてか好きなのだ。可愛い妹の望みを断れる兄など、この世に存在しないのである。


 「そ、そうですか……兄さんは本当に仕方のない兄さんです。でも、わ、私も兄さんのことが大好きなので……あの、その……」


 「そっか……ありがとね」


 勘違いしないで欲しいのは、僕たちの言う大好きという言葉はライクであって、決してラブでは無いのだ。わざわざそれを確認し合うことは無いが、それは言うまでも無い事である。そこは絶対に誤解してはならない。


 「え、えっと! 私はこれから朝練なのでもうお話出来ませんが……また夜に、電話しても良いですか?」


 「うん、良いよ。僕も眞代の話を聞きたいし、いつでもどうぞ」


 「ありがとうございます。じゃあ、また電話しますので、その時はちゃんと取ってくださいよ?」


 「分かってるって。じゃあ、朝練頑張ってねー」


 そう言って僕は電話を切った。さて、次はぼりぼりと僕の食料を食べているこいつの番だ。不満げな顔をしたウエンは、朝から僕の寝顔を眺めながら手を握っていたのだ。一体、何の用なのだろう。


 「へぇ……あなたってむすぅって顔してる癖に、彼女とかいるんだー」


 「はぁ……なんでもいいだろ。で? また僕を殺しに来たのか?」


 「今日は違うわ。あなたがどうしてそんな体と魂を持っているのか、調べに来たのよ」


 そう言ってウエンは、何処からか書類を取り出した。ペラペラとそれをめくりながら、僕の個人情報を並べていく。


 「名前は十川真尋。母親と父親、それと義妹である十川眞代の四人家族。ちょっと複雑っぽい家庭環境以外は、割と普通なのよね……」


 「プライバシーの侵害だぞ、どうやってそんなこと調べたんだ」


 「死神に憲法や法律を守る義務はありませーん。あ、それと私、あなたを殺すまで帰らないからそのつもりでね」


 ……マジでこの死神は何を言っているのだ。こっちの事情とか、許可とかを一切考えていないのか? いや、考えていないのだろう。だって、見るからに馬鹿っぽさそうだもの。ほとほと、頭が痛くなってくる。


 「身長体重も平均よりちょい下ぐらい、学力は中の上でそれなり……ただ生まれてこの方風邪を引いたことが無いっと……この化物みたいな体は、何で構成されているのかしら」


 ブツブツと何かを言いながら、ウエンはまるで自然な出来事かのように僕に抱き着いてきた。その冷たい体は、暑苦しいこの季節には少しだけ気持ちが良い。いや、違うだろ。そうじゃなくて、この痴女は何を考えているのだ。


 「おい! 何してっ!」


 「いいからジッとしてなさい。あなたの体を触って、何か反応が無いのか調べてるんだから」


 手から腕へ、頬から首へ、冷たい手が全身をまさぐってくる。引きはがそうにも、腰に足を巻き付けて動こうとしない。結局、僕は全身をウエンに撫でまわされることとなった。


 その手は僕の体を擦りつつ、着実に心臓に近づいていく。段々と、昨晩感じたような背中がゾワッとする感覚に襲われた。しかし、そこに不快感は無い。何故なら、ウエンから殺意が一切無いからだ。純真なその意思は、ひたすらに僕の体を探るのみだったのだ。


 「気分が悪くなったり、眩暈がしたりはしない?」


 「何も感じない。ただ、心臓に悪いから早く離れてくれ」


 「まだ駄目よ。次は耐久性の実験をするから、これから一時間あなたに抱き続けるわ」


 「はぁっ!? おまっ、ほんと頭おかしいのか!?」


 貞操観念とか、羞恥心とかどうなってんだ。中身が残念とはいえ、顔と体は一級品のウエンなのだ。僕が色々と頬が熱くなる思いをしているのに、このポンコツは!


 「あなたって温いし、抱き枕にちょうどいいわね。よく眠れそう」


 「知ってるか? 普通、男女が抱き合ったりするのは特別な間柄を持つ時だけだ。昨日会ったばかりの男女は、こんな風に抱き合ったりしないの」


 「それは人間の価値観でしょ? 私は死神なのだから、それに当てはまったりしないわ。彼女さんに申し訳ないのなら、そういう風に考えなさい」


 横暴とは正にこの事だろう。そんな綺麗な顔を引っ提げておいて、人間扱いするなとはどういうつもりだ。やたらと花の良い匂いがするウエンは、正に理性を殺す毒である。頭では分かっていても、体は素直に反応してしまう。


 「そうね……この間暇だし、何かお喋りしましょう。あなたもそれが良いでしょ?」


 「離れてくれたら、いくらでもそれに付き合ってもいい。だから、マジで退いてくれ」


 「あなた、私のことまだウエンって呼んでくれて無いわね。私もあなた呼びじゃなくて、真尋って呼ぶことにするから、真尋もそうして?」


 「ほんとにっ、人の話を聞かない奴だな……!」


 しょうがない。こいつのことを女性扱いするのは辞めよう。さっきこいつが言っていたような、ひんやりとする抱き枕とでも思えばいいのだ。そう考えれば、羞恥心などすぐに捨て去れるはずだ。とりあえず、それくらいのお願いなら聞いてやろう。


 「……う、ウエン」


 「ふふっ、なぁに? 真尋っ」


 いや、無理だ。顔が良すぎる。アイドルと言われても納得出来る顔の良さを持っていて、こんなにも柔らかい体のウエンを抱き枕扱いできる訳が無い。ヤバい、ドキドキしてきた。


 「やったこと無かったけど、ハグって良いわね。なんだか、凄く安心するわ」


 「そ、そうなのか。そりゃあ、良かったね」


 「えぇ、本当に。殺してしまうのが惜しいわ。こんなにも私に触れて大丈夫な人なんて、きっと真尋くらいしかいないから」


 その顔は菓子を食べて幸せそうにしていたとは思えないほど、悲壮に暮れていた。そんな顔をされると、僕も困ってしまう。男というのは単純なもので、綺麗な女の子が悲しそうにしていると、何かしてあげたくなるものだ。結局、僕の口から出たのは無責任な言葉だけだった。


 「……なら、辞めればいいじゃないか」


 「え……?」


 あくまで、ウエンの目的は僕の殺害である。それがある以上、僕と彼女は永遠に分かり合うことなど出来ない。僕はそれを容認しないし、ウエンは自らの尻拭いを行えなのだ。話は平行線を辿り続ける。


 しかし、もしウエンが僕を殺さなくて済むのなら? それならば、僕と彼女は人間と死神であっても、垣根を超えることが出来るやもしれない。


 「真尋を殺さない……そんなこと、考えもしなかったわ。確かに、それはいい案ね。出来ないことは無いわ」


 「え、そうなの? 一応聞いときたいんだけど、それはどんな方法だ?」


 この死神に関しては不確定要素が多すぎる。いつ、こいつがどんな凶行に及ぶのか分からないのだ。触って殺せなくとも、他の外的要因で僕は簡単に死ねる。それをウエンが思い付き、実行しないとも限らない以上、彼女をないがしろにするわけにはいかない。


 「簡単よ。私が逃した人間の他に、それを補填する魂を用意すればいいのよ。要は、死ぬはずだった人間の魂の代わりを人数分、数にして247人の魂を集めれば真尋は死ななくて済むわ」


 「それって……約250人も殺せってことか?」


 「それも、私の手で運命を弄ることなく、真尋自身の手でね。自分の命のために、他人を殺せる?」


 そんな大量殺人、起こす訳にはいかない。ならば、それは机上の空論というもので、実行することは出来ないではないか。僕は黙ったまま、首を横に振った。


 「そうね、だからこの話は所詮、たらればなのよ。期待するだけ無駄って……」


 「ん? 急に黙りこくってどした?」


 次の言葉を紡ぐ前に、ウエンは言葉を止めた。まるで、妙案を思いついたと言わんばかりに。そしてそれは、僕の想像通りだった。


 「私って天才かもしれないわ! たった今、めちゃんこクールなアイデアが湧いてきたの!」


 「そうか、言うだけ言ってみろ」


 「うん! あのね、これって結局、魂を集めれば良いの。死神の力で運命を弄ることなくね。さらに言えば、その魂が生者のものじゃなくっても、それは全然問題ないのよ!」


 「……えっと、つまりどういうこと?」


 人間の魂を、ウエンの力を使うことなく集める。しかしそれは、必ずしも生者由来の物でなくとも構わない。頭で整理してみても、良く分からん。一体、どういうことなのだろう?


 「分からないの? しょうがないから、お馬鹿な真尋にも分かるように教えてあげるわ! ズバリ、生者じゃないなら、それは死者よ! 例え体が死んでも魂は消えないから、そこから持ってくれば良いの!」


 「それは幽霊ってこと? まさか……本当にいるのか?」


 この前、あんな低級と一緒にするなと言っていたことから、気になってはいた。けれども、このポンコツの出す情報はあまり信用ならないので、スルーしていたのだ。とりあえず、今ばかりは話が進まないのでいるという前提にしておく。


 「幽霊の魂を持ってけば、私は尻拭いが出来て真尋は死なない! どう? 素晴らしい案じゃない?」


 「若干不公平な感じはするが、悪くは無いな」


 そこには付加給与として、僕の興味を引いているというのもある。死神に殺されるよりも、格段にマシと言えるだろう。確かに、割とめちゃんこクールなアイデアだ。


 「良いじゃない良いじゃない! なら、こんなことしてる場合じゃないわ! 私は早速出張の延長届を出してくるから、真尋は出かける準備しときなさい!」


 「お、おい! どこ行くつもりなんだ?」


 「決まってるでしょ!」


 8月2日、それは運命が動き出した日だった。僕の人生はある日突然、一人の死神によって大きく変貌することとなる。それは隠されていた真実だったのだ。今まで見ることが出来ず、しようともしていなかった本当の現実。


 「幽霊の吹きだまる心霊スポット。その内の一つ、秋花トンネルよ!」


 恐ろしき世界への、第一歩だった。

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