死神と行く、恐ろしき世界の歩き方

黒羽椿

這い寄る死神

 「えぇっ!? なんで死なないのぉ!?」


 初対面の、それも自室に無断で入ってきた不審人物に突然このような発言をされた時、どう返答するのが正解なのだろう。知恵袋のベストアンサーがあるのなら、ぜひ教えて欲しい。そんなことを考えながら、僕は目の前の不審者に目を向けた。


 白髪の、頭のイカれた少女。ぼろ布のようなものを纏った、浮浪者のような出立ち。それが僕の彼女に対する第一印象だ。誰だって、自室でリラックスしている最中、後ろから不意に抱きしめられてそんなことを叫ばれたら、そう思ってしまうのも仕方ないはずだ。


 何を言っているのか分からないかもしれない。事実をただ陳列している僕でさえ、何を言っているのか分からないのだから。ただそれでも、これは夢でも現実でもなく、本当のことなのだ。


 家でくつろいでいたら、白髪の少女に後ろから抱き着かれた。今この瞬間も、僕が黙りこくっているのをいいことに、ベタベタと体を触られ続けている。ひんやりとした少女の手に、むずがゆさを覚える。いや、そんなことより、このまま放置している訳にもいかない。とりあえず、離れて貰おう。


 「あの、いつまで触っている気?」


 「え……? あれ、おかしいな……なんか私のこと見えてない?」


 「はぁ……とりあえず離れっ……!」


 今、僕の目の前であり得ないことが起こった。華奢なその手を取ろうとしたその瞬間、まるで幽霊のようにその手が透けて通り抜けたのだ。確認のため、何度も手を動かしても少女の手を掴むことは叶わない。まるでホログラムを触ろうとしているかのように、それは僕の手をすり抜けるのだった。


 「無駄無駄ぁ、霊体の私にそっちから触ろうなんて千年早いわよ」


 「すっげぇなこれ……マジでどうなってんの?」


 「ね、ねぇ……もっとさ、怖がったりとか驚いたりとかしないの?」


 「いや、驚いてるって。背中に乗っかられてる感触はするのに、触ろうとするとすり抜けんだからさ」


 「まっ……! こっちはお触り禁止!」


 背中にいる少女に手を近づけると、俊敏な動きで背中から離れていった。手がすり抜けるのなら、体はどうなるのか調べたかったのだが……まぁ、今は退いてくれただけでも良しとしよう。


 「おっかしいなぁ……お前、なんでまだ生きてるの? もしかして、もう死んでるとか?」


 「失礼な。僕は健康的な17歳だぞ」


 「うーん……じゃ、なんで死なないんだろ」


 少女は考え込んでいる。予想より、本格的にヤバそうな奴だ。なんでここに忍び込んだとか、お前頭おかしいのとか言いたいことは沢山ある。しかし、それよりも先にご帰宅願う方が先だろう。明らかにヤバそうなのだ。関わらないが吉である。


 「そろそろ、帰ってもらって良い? 僕はこれから夏の心霊特番見なくちゃいけないんだ」


 「いやちょっ……! 待ってって! あなたを殺せないと、私帰れないんだって!」


 しかし困った。体が透けるなら、力づくで退去させることが出来ないではないか。どうやってこのイカれた少女を帰宅させよう。そうだ、塩でも撒いてみるか。幽霊みたいだし、意外と効果あるかもしれない。


 「もー!! あんま舐めてると、私も本気出しちゃうんだから!!」


 「何言っぶぼっ!?」


 少女をガン無視して塩を準備していると、彼女の右腕が僕の心臓の辺りを貫いた。透けているのだから、それはするりと僕の胸に入り込んでいき、やがて貫通したのだろう。問題は、その手が僕の体を貫通した瞬間、水風呂に突き落とされたかのような悪寒が全身に走ったということだ。


 胸がキュッと締め付けられ、息がしづらくなってきた。血の気が引くとは正にこの事だ。蒸し暑いはずなのに、体は熱を失っていく。霞む視界の中、僕はドヤ顔する少女を最後に見て、そのまま倒れた。


 「お仕事完了ー! 何よ、やっぱりただの人間じゃない。魂抜きまで使わされたのは想定外だけど、これでウゴウも納得するでしょ!」


 息が出来ない。体の頑丈さだけが取り柄の僕でも、流石にこれは不味い。けれど、助けを呼ぼうにも眼の前には頭のおかしい少女しかいない。終わった、完全に詰みだ。僕はそのまま、意識を静かに落として――


 「いや、そんなことなかった」


 「嘘ぉ!? なんで立てるの!?」


 そのまま立ち上がった。うん、全然大丈夫だ。あの胸の痛みは一過性のものだったようだ。痛みもなく、むしろ心配になるくらいだった。


 「うえぇ……? 確かに魂を引っこ抜いたはずなのに、どうして生きてるの……?」


 「あんま訳分からんこと言ってないでさ。用が無いならさっさと出てい……」


 いや……待てよ? もしやこの女、僕が追い求める超自然現象に類するものではないだろうか? だって、体透けてるし、髪も真っ白だし。これが幽霊だとかなら、追い返すのは少々、いや大分もったいない。


 「ねぇ……君って幽霊?」


 「はぁ!? 私をあんな低級の俗物と一緒にしないでくれる!?」


 コホンとわざとらしく咳ばらいをして、胸を張りながら少女は高々にこう言った。


 「私は死神。死神のウエンよ! 分かったなら、とっとと死になさい!」


 これが長い付き合いになる、死神のウエンとのファーストコンタクトだった。


   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 「えぇっと……つまり? 君は死神で、僕を殺すためにやってきたと?」


 「そうよ! 私に処理されるなんて、これ以上に名誉なことは無いでしょ!」


 どことなく馬鹿っぽさそうな少女、ウエンが言うにはこういうことらしい。


 ウエンは死神で、とりわけ人間の生死を操る仕事をしているとのことだ。そのうえで、時たま人口調整として人々に死を与えることがある。ウエンはその一端を担っており、ノルマとして目標の人数に死を与えるのはずだったのだが……


 「サボってたら、運命が変わって殺せなくなっちゃった!」


 「駄目じゃん」


 人間には辿るべき分岐路のようなものがあり、上手く死に向かうような選択を目標にさせることが死神の主な仕事だそうだ。にもかかわらず、ウエンは凄まじいポンコツっぷりを発揮してしまい、到底ノルマを達成出来なくなったのだ。その結果、ウエンはある仕事を頼まれたと言う、それこそが。


 「僕を殺す、ってこと?」


 「まぁ、大体そんな感じね。だからこそ、人間相手に使うのを禁止されてる魂抜きまで使ったのに……なんでまだ生きてるのよ」


 「それは知らんけど……どうして僕なの? 別に、特別凄いこととかしてないけど」


 殺されるほど悪いことをしたつもりも無いし、悪用できるような才能も僕にはない。彼女の失態の補填として殺される理由など、全く思い浮かばないのだ。


 「今ので私は痛感したわ。確かに、あなたは危険ね。上層部が警戒するのも無理ないわよ」


 曰く、僕は辿るべき運命を捻じ曲げることが出来るらしい。例え死神が手を尽くし、破滅の道を辿らせようとも、僕は自らの意思でそれを変えることが出来る。運命を弄れる死神にとって、それは由々しき事態だったのだ。


 それに加えて、死神自らが殺しに来ても、何ら変わりなくピンピンしている。人間離れの肉体らしい。なるほど、昔から風邪を引いたりしなかったのは、死神ですらも壊せない肉体を、ウィルス如きが侵すことが出来なかったからだったのか。


 「運命弄っても死なない。生者に触れたら殺せるはずの死神の体も、奥の手だった魂抜きも効かない……私たちにとって脅威の存在なのよ、あなたは」


 「へぇー、そうなんだー」


 それよりも、僕の目的はウエンに向いていた。実のところ、僕はオカルト系の話が結構好きだ。都市伝説とか怪談とか、そういう類の話も大好物である。ならばこそ、目の前に現れたこの摩訶不思議な存在を逃す手は無いだろう。


 浮世離れした容姿に、真っ白な髪。死神と言えば骸骨なんかをイメージするのだが、現代のそれは意外と俗っぽかった。そして僕は、ペラペラと自慢げに何かを語るウエンを無視して、彼女の体に手を伸ばしていた。セクハラだとか、公序良俗だとかは頭には無かった。


 ただひたすらに、湧いて出た面白そうな現象を確かめようと、その手を伸ばしたのだった。


 「ちょっ、なにすんのよ!」


 素早い動きで、僕の手は空を切ることになった。流石に不味かったか、いくら相手がイカれていようと、女性であることは変わりないのだ。僕らしくなく、少し興奮しすぎてしまった。


 「お触り禁止だって言ってるでしょ! 今の私は実体になってるから、いくらあなたでも触ったら死ぬわよ」


 「分かんないけど……その、霊体だとか幽体だとかは何なの?」


 「簡単に言えば、透けてる時と透けてない時よ。実体の私に触ると、数分間地獄の苦しみを味わった後、見るも無残な姿になって死ぬわ」


 「ほんとすいませんでした」


 マジで触らなくて良かった。意外と彼女にも、優しい所があるのかもしれない。知らない男に触られたくないというのもあるかもしれないが、わざわざ避けて僕を死なないようにしてくれたのだから。


 ……あれ? それは矛盾してないか? とっとと実体で僕を殺せるか試せばいいのに、どうしてそれをしないのだろう。良く分からないが、彼女は僕を殺すことが目的なのに。


 「なによ……?」


 訝しむような視線をこちらに向けるウエン。僕はその理由をあえて追求しなかった。誰だって、触って死ぬと言うのなら、触らないはずだ。そこに近づくべきではない。


 「いや、何でも。君は、これからどうするつもり? 用が済んだのなら、早く帰ってほしいんだけど」


 「嫌よ! 人間一人殺せずに帰ったら、同僚に鼻で笑われるわ! そんなの、死神のエリートである私のプライドが許さないのよ!」


 嫌って言われても……じゃあ死んであげるだなんて言えるわけないだろう。かといって、易々と彼女に触れて死ぬのはもっと嫌だ。


 「そんなこと言われても困るって。ほら、早く帰った帰った」


 「むぅー! やだやだやだ! お前を殺さないと帰れないのぉー! 早く死んでったら!」


 なんだこいつ。見た目はそれなりに色っぽい体をしてるくせに、まるで幼子のようだ。手を振り回し、バタバタと足をばたつかせるウエンに、僕は困り果ててしまった。触れば死ぬと言うのに、どうやってこの駄々っ子を帰らせろと言うのだ。


 とはいえ、このまま彼女をここに放置している訳にもいかないのだ。それに、こいつの言うことは信用できない。さっきだって、喰らったら死ぬらしい禁術とやらを受けても死ななかったのだ。禁術と死神の実体、どちらが死にそうかは明確だろう。僕は彼女を抱えて放り出すことにした。


 「おーい、そろそろ番組始まるからさ、そろそろ帰ってくれよ」


 「なっ、駄目ったら!」


 慌てるウエンを無視して、その手を取る。ひんやりとした、血の通っていない真っ白な手。例えるなら、それは死体だ。改めてウエンが死神なのだと、理解させられる。でも、それだけだ。僕は倒れたりしないし、死ぬ素振りも無い。


 「えっ……? ど、どういうこと? なんで死なないの?」


 「知らん。ほら、さっさと帰れって」


 困惑する彼女を玄関まで送り届ける。こういう時、一人暮らしは助かると言うものだ。親へ変に言い訳したり、妹に気を使わなくてもいい。僕は茫然とするウエンを外に出して、そのまま扉を閉めた。薄情かもしれないが、これが一番だろう。僕も、理由無く死にたくなどないのだ。


 「さて……コーヒーでも淹れるかな」


 あと十分で、夏の特番が始まる。今の時代、こういう心霊番組はレアなのだ。どれだけ陳腐だろうと、眼を通しておきたい。僕が望む超自然は、あんな死神ではなくもっと恐ろしい存在なのだ。そしてそれは、人間にとって未知で無くてはならない。そのルールに当てはめれば、ウエンなど怖くも何ともない。


 そのまま、僕はウエンを頭の片隅に留めておきはしたものの、ほぼ忘れて心霊番組を楽しんだのだった。


 「十川真尋とがわまひろか……えへへ、初めて生者の男の子に触っちゃった……」


 扉の前で、ニコニコしているウエンに全く気付かないまま。

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