第3話

 結局、副官の勧めに従ったのは、夕方のことでした。さんざ迷っていたわたしは、お姉さまがいるであろう王座の間へ向かう最中でさえも、本当にこれでいいのか、迷い続けていました。


 でも、と思うのです。このまま、なあなあで今までの関係が崩れてしまうのであれば、いっそ真実を知った方がいい。どっちにしろ、輝かしかった関係はがれきと化してしまうのですから。


 そう思うと、なんだか心が軽くなったような気がしました。副官には感謝しないといけませんね。


 長い廊下を歩いていると、ひそひそ声が聞こえてきます。見れば、親衛隊の皆さんがコソコソと話をしているではないですか。どうせ、話していることは他愛もないゴシップ――わたしとお姉さまが仲違いしたとかなんとか話してるんです。そうに違いません。


 足早に廊下を抜けて、扉をノックします。いつもよりも力の込められていない声がやってきました。名乗ろうか名乗るまいか悩みましたが、名乗ることにしました。それが、礼儀というものでしょう。


 息を呑んだのが、聞こえたような気がしました。でも、たぶん、気のせいだと思います。


 入れ。


 抑圧された声が、返ってきました。


 扉がゆっくりと開き、わたしは部屋の中へと歩み始めます。


 玉座には、半日前と同じようにお姉さまが座しています。でも、その姿は前に見た時よりも、憔悴しているようにも見えました。


 音のない世界に、わたしの足音だけが響きます。


 玉座の目の前までたどり着き、お姉さまのことを見上げます。階段状のステージのような場所に玉座があり、そこに尊大に腰を下ろしているお姉さまの姿は、こうやってみると相当な威圧感があります。みんなこのような感情を抱いていたのでしょうか。だとしたら、緊張するのは当然です。


 不意に、さっきのことが映像となって浮かび上がってきます。


 震えながらも、言葉を紡いだ副官の姿。彼女は、今のわたしそのものなんだ。


「話とはなんだ」


「それは――」


 いつもとは違う雰囲気。いつもとは違う緊張感。


 いつもならよく回る口が、今回に限っては雨ざらしの歯車のように錆びついて動き出そうとしない。怪訝そうな目線がわたしを刺してきます。なんとか絞り出したのは、聞きたいことがあります、というかすれた声。


「聞きたいこと?」


「はい。聞きたいことというのは」


 その先を口にしようとして、できません。言葉が紡げない。


 その先を知るのが、怖い。――ああ怖いですよ! 怖くない人がいますか。好きな人が、わたしではなく、他の人のことが好きだなんて、考えたくもない。そうであってほしくない。


 ――わたしだけのことを見ていてほしい。


 ――わたしだけにその笑顔を向けてほしい。


 わたしだけに。


 赤い絨毯が目に入った。いつの間にか、頭を垂れてしまっていたようです。精神的な重圧をヒシヒシ感じます。その重圧に押しつぶされてしまった方がたぶん楽なんでしょうけれど……。


 知りたい。


「お姉さまは、五条ソラのことが――」


 ――好き、なのですか。


 言葉が、シンと静まり返った空間に響き渡りました。静寂の中で、お姉さまはカタカタと震えているように見えました。


 その震えはいつまで続いていたでしょうか。たぶん、見ているわたしの震えがやっとのことで治まった、ちょうどその時です。


「そう。私は、あの魔法少女のことが好きだ」


 好きだ。好きだ。好きだ……。


 切り取って未来永劫保存しておきたいと思っていたセリフは、わたしへと向けられたものではない。その言葉の相手は、ここにはいない、遠くの世界にいる少女。


 わたしではない。


 どうして。


「どうして」


 意外なほどあっさりと言葉が出てきてくれました。心のどこかで、お姉さまの答えを想像していた、とは思いたくありません。


 お姉さまは、肩を落として首を振ります。


「私にもわからない」


「わからないって」


「わからないんだよ。でも、あの子のことを考えれば考えるほど、動悸がしてきておかしくなってしまいそうだ。それに――」


 お姉さまの目がわたしへと向きます。そんな熱っぽい視線でわたしを見ないで。


「あなたが、あの子を倒したという報告をしたとき、私の胸はひどく締め付けられ、悲しみに包まれた。そうして自覚したのだ。私はあの子のことが好きなのだと」


 目の前が真っ暗闇に包まれてしまったかのようでした。頭がクラクラする。まさか、よりにもよって、わたしが、お姉さまを恋に目覚めさせてしまったのだ。自分で、自分の首を絞めてしまった。


 それって、なんて。


「――バカみたい」


 え、という言葉が聞こえたような気がします。でも、よく覚えていません。愛する人の言葉は、今や耳に残りませんでした。


 気が付けば、わたしは自分にあてがわれた執務室に座っていました。よくわからないまま呆然としていたわたしに、副官が黙ってココアを用意してくれます。いつもなら苦く感じるココアは、今日に限っては甘く、じんわりと体を満たしていくのでした。

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