第2話

 お姉さまとの付き合いは、幼少期にまでさかのぼります。幼なじみってほどではありませんでしたけど、それなりに交流はあったんです。わたしだって一応は名家の出身ですから。といっても、王族とは格が違いますし、わたしの家は名家ではありましたけれど、その末席に座していたといっても過言ではありません。その辺の石ころとほとんど同じだったわたしと親しくしてくれたお姉さまに友情以上のものを覚えるようになったのも、今思えば当然の成り行きでしょう。


 お姉さまと一緒にいたい。あわよくば、その、伴侶として……。


 そんなわたしの望みをかなえることは非常に難しいです。法律――悪人だらけのヘビーアークですけど、決まりごとはあります――で決まっていますし、お姉さまの寵愛を受けるわたしに嫉妬する声はいくつもあります。


 なればこそ、わたしは努力を重ねてきました。お姉さまの隣に立っていられるだけの実力を得て、それでもって、そのチャンスを掴むために。


 はたして、隣に立つことはできました。でも、その機会は、今まさに真っ二つになってしまおうとしています。



 わたしが倒した魔法少女こと五条ソラという少女は、地球侵略を目標に掲げているわたしたちの最大の敵です。向こうの人間はわたしたちのように魔法を使うことはできませんし、わたしたちよりもずっと貧弱です。五条ソラもか弱い少女には違いありませんが、他の人間と違うのは、その身に魔力を秘めている点でしょう。祖母から受け継いだという魔術。わたしたちが用いるそれとは別体系の魔術は非常に厄介です。もっとも、人間には違いありませんから、そこをついてやったというわけです。


 五条ソラが愛用している、アコースティックギター。それを奪い、脅す。なんてことはありませんでした。誰もこんな作戦を思いつかなかったのが不思議なくらい。あっけなく倒せましたし、はじめからこうしていれば無用な犠牲を出さずに済んだのに。


 だというのに、お姉さまはどうして――。


「そういえば」


 思い出したことがありました。お姉さまが自ら敵情視察を行ったことがあったような。あの時のお姉さまはたいそうご立腹。辺りに殺気をまき散らして、親衛隊の方々を震え上がらせていましたっけ。それでも、わたしにだけは優しくて、とっても嬉しかった。


 でも、今回はそうじゃない。わたしにまでも、刺々しい視線を投げかけてくる。いや、わたしにだけは特段強い目線を――。


 そんなの気のせいだと思いたかった。だけど、わたしが話しかけても返答しない。わたしから距離を取る。明らかに、嫌われているじゃない。


 そのキッカケは、わたしが五条ソラを討ち取ったという報告。それが関係しているのは間違いないんだけど、なんで。五条ソラとお姉さまとは直接の面識があるわけでは――。


「いや、人間界に降りた時に、もしかしたら」


 ありえないとは思いつつも、そんな気がします。というか、それ以外に考えられません。


 でもだからなんだっていう話ではあります。顔見知りだからって、わたしたちと人間たちの関係性が変わるとは、とても思えません。一族の悲願を背負ったお姉さまであればなおのこと。


 わたしが、倒したことが嬉しくなかったのは間違いありません。例えばこういうのはどうでしょう。――お姉さまは、自らの手で好敵手を打倒したかったのです。


「そんなバカな」


 首を振ります。お姉さまはクイーンという名の通り、女王様のような性格をしています。おうおういざ尋常に勝負、みたいな武人のような性格はしていません。むしろお姉さまなら、謀略知略の類は好きそうなんですけど……。


 ふうむという声が我知らず出て行って、わたしにあてがわれた執務室にこだまします。


「お疲れですか」


 執務室には、わたしの副官がいます。重要な書類はわたしが直接印を打って、どうでもよさそうな書類に関しては、副官の方が目を通してくれます。それだけではなくて、コーヒーを淹れてくれたりお菓子を買ってきてくれたり、雑務もやってくれますから、すごくお世話になっている人といえます。


 この時も、わたしの様子を見かねて、コーヒーを淹れてきてくれました。あったかいマグカップを受け取り、感謝の言葉を告げます。いつも通りの人懐っこい笑顔とともに、これが仕事ですから、という言葉が返ってきます。


「疲れたっていうより、ちょっと考えてるの」


「それは、クイーン様のこと、ですか」


「まあそうだけど……どうしてそう思ったの?」


「顔に出ています」


「えっ嘘」


「はい。嘘です」


「…………」


 副官はニコニコ笑顔を浮かべています。ほかの人だったら、怒るかもしれないのに、よくもまあ。わたしってば舐められているのかしら。それとも、誰にでも軽口を叩くのかも。どっちにしても、わたしは怒ったりはしません。そういったおちゃらけたところはわたしにはないものだから、すごくありがたいんです。


「実は、もう噂になっているのです」


「噂って」


「ええ。貴女がクイーン様と謁見したこと。そして、クイーン様が声を荒げたこと」


「えっ!? ちょっと早くない?」


「噂っていうものは得てしてそういうものですから。それより、何かあったんですか」


「あったにはあったんだけど……」


「よくわからない?」


 わたしは頷きます。もやもやとした感情が、胸の中でわだかまっていて、気持ち悪い。この感情を誰かに打ち明けたかった。


「あなたのことを信用して話したいことがあります」


 声音に何かを感じ取ったのか、副官の雰囲気が一変します。この切り替えの早さは心強い。


「なんなりと。貴女の副官ですから、なんでも聞きますし、墓場まで持っていく心づもりはできています」


「そこまでのことでは……いや、そのくらいのことかも」


 わたしは、片腕同然の副官に、先ほどのことを話しました。ふんふんと相槌を打ちながら、最後まで聞き終えた彼女がふうと息をつきました。


 しばらくの間、手にしていたマグカップ(おそろい)をトントンと指で叩いて。


「ちょっとショックなことを言います」


「うん。どんなことでも、あなたの言うことなら信じるわ」


「――クイーン様は恋をしていらっしゃいます」


 バリン。


 手にしていたマグカップが割れてしまいました。中に注がれていた熱々のコーヒーが、無意識に動いた手を濡らしましたが、不思議なことに、痛みも熱も感じません。


 ぽたぽたと、黒い液体が床にシミをつくります。


 副官が息を呑みました。


「聞こえなかったから、もう一度言ってほしいな」


「クイーン様は、魔法少女に対して並々ならない感情を抱いています」


「冗談だよね?」


「死ぬかもしれないのに、冗談を言えると思いますか?」


「……なみなみならないってことは、好きじゃないって可能性も」


「あります。好きという感情はわかりやすいですから、たとえです」


「そんなこと最初に言わないでよっ」


 いい感じのところで話してくれたっていいじゃない。頬がぷくりと膨らんでしまう。そんなわたしを見ながら、最初に言っておいた方がいいかな、と澄ました表情で言うのでした。こういうところ、見習いたいものです。


 わたしは、魔法で飛び散ってしまったゴミを異空間送りに。魔力によって開かれた空間の裂け目が閉じると、わたしの手を副官がとります。その手はひんやりとしていて、気持ちいい。


「大丈夫ですか?」


「うん。痛くないし」


「本当ですか。火傷というのは痛みがない方が危険ですから、少しの間、こうしていてもよろしいでしょうか」


「いいけど……」


 たぶん、副官はわたしの手を冷やそうとしてくれているんでしょう。彼女の一族は、極寒の地を統治しています。寒いのには慣れっこですし、体温も低いのだとか。


 ひんやりとした冷気が熱っぽいわたしの手に注がれてきます。いつもよりも冷たい――そう思って副官のことを見上げれば、目をそらされてしまいました。どうしてだろう。そう思っていると、冷気はますます冷たくなっていきます。


「ちょっと、冷たすぎないかな」


 勢いよく、副官の手が離れます。「す、すみません。加減ができていなかったみたいです。凍傷とかしてないですか?」


 その言葉はいつもの冷静さがなく、どこか慌ただしく感じられました。


 沈着冷静な副官の意外な一面を垣間見た気がして、わたしは笑ってしまいました。


「どうして笑うのですか」


「はじめて見たから。あなたが笑ってるところって」

 わたしが言うと、副官は顔を俯かせてしまいます。髪の間に見える細長い耳はほんのりと赤くなっているようにも見えます。


「だ、大丈夫? もしかして冷気の出しすぎで――」


「気にしないでください」


「でも……」


「気にしないでください」


「う、うん」


 微妙な沈黙。どことなく気まずい。いつもと違う副官の反応に、どうしたらいいのかわかりません。


 どうしたものかと思案しているうちに、副官の口から長く細い息が漏れていきます。


「すみません。先ほどは取り乱してしまって」


「別にいいって。わたしだって、クイーン様のことでびっくりしちゃったし」


「そのことなのですが」


 意を決したように、副官の目がわたしの目をまじまじと見つめてくる。何事か、大事なことを言うつもりなのだ。わたしもそれ相応の覚悟をする。


「直接聞いてみればいいじゃないですか」


「直接!?」


 覚悟は一瞬にして、どこかへと吹き飛んでしまった。


「そ、そんなことできるわけないよっ」


「相手がクイーン様だからですか。それなら理解できます。あの方の怒りに触れるかもしれないというのであれば、口を噤んでしまうというのも」


 そんなことはない――出かかった言葉は、飛び出していく前にしぼんでいきました。自信がなくなっていたのです。いつもなら、クイーン様は、他者へは絶対に向けないほほえみを湛え、わたしの問いかけに答えてくれるでしょう。でも、今は、烈火のごとく憤怒をまき散らすのではないか。そんな予感がするのです。


 黙っているわたしの前に立つ副官は、一気呵成に言葉を続けます。


「本当は怖いのではないですか」


「こわい……?」


「ええ怖いのです。知るのが怖い。相手が、私のことを好きではないのではないか。私以外の人のことが好きなのではないか――それを知るのを恐れているのではありませんか?」


 言葉がまっすぐに、わたしの体を心を貫いていきます。何も反論はできませんでした。怒りがこみあげてくることがなければ、悲しみの雨も降ってこない。


 ああそうだったのか。


 駆けたピースがぴったりとはまったような感覚だけが、心の中にぽつんとありました。お姉さまと話をしたあの時からずっと感じてきた思い。もやもやとした感情は、それだったのかもしれません。


 呆然としていたわたしに、副官は頷きました。


「――私だって怖いです」


「え」


「誰かの想いを知るということは、自分の抱えているこの想いを棄てることになるのかもしれないのですから」


「…………」

 まるで自らに問いかけているようだと、理由もなく思ってしまったのはどうしてだったのでしょう。


 実直な視線を向けてくる瞳が、震えて、潤んでいるようにさえ見えました。


「もしかして」


「それ以上は言わないでください。慰められてもうれしくありません。それが本心などではないなら、全く、そんなものは犬にでも食わせてやった方がマシというものです」


 笑い声。それはいつもよりも感情的で、いつもよりも弱々しい。


 胸がズキンと痛んで、苦しい。


 どうして苦しいのかわかりません。でも、胸の内からは、同情にも似た感情が浮かび上がってくるのでした。


「貴女にはこのような想いをしてほしくありません。どっちつかずなままで宙ぶらりんになってしまうような想いは」


「だから、質問を」


「そうです。質問をすれば、悩む必要はありません。そこですべてがはっきりするのですから」


「――――」


 副官が頭を下げ、足早に執務室を出て行きました。カツカツという規則的な足音がいつもよりも乱れていました。


 わたしは副官の退出を止めることができませんでした。それどころではなかったんです。

 頭の中ではいろいろな感情がぐちゃぐちゃになって、まとまり切れていません。感情の渦の中心には、お姉さまのことが変わらずあって、副官の言葉がマドラーとなって攪拌しているといった感じでしょうか。


 ――直接聞いてみればいいじゃないですか。


 言葉がリフレインされるたび渦は強くなって、わたしの心を揺さぶります。


 副官が言ったことは、何も間違っていません。正しい意見でしょう。でもだからといって、正しいとわかっていることを実際にできるかというとそういうわけでもありません。つまり何が言いたいかというと、すぐには決めかねてしまったのです。

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