閑話 動き出すカーズニ
(三人称視点)
パラティーノから、遥か北東に『
その名を冠した山の裾野に広がる深い森は有名である。
まるで人が入ることを拒むかのように昼なお暗き森として。
入った者が二度と出ることのない
民衆を厳格な統制下に置く自由共和国が統治するようになってから、ヴォルフスベルクの森は
行方不明者を出さないようにと配慮された訳ではない。
その方が国にとって、非常に都合が良かったからである。
森を分け入って、奥深く。
人どころか、獣すら寄り付かない。
得体の知れない魔獣の声が木霊する魔境のような場所に荒れるに任せた修道院がある。
修道院と呼ぶのは
天に浮かぶ月から、届けられる銀色の優しい光が屋根は失われ、壁が損なわれた礼拝堂をどこか、幻想的な風景に仕立て上げていた。
礼拝堂には少年が一人、懺悔でもするように蹲っている。
月の光に照らされ、露わになった薄桃色の髪は、あまり見かけない珍しい髪色だった。
「
「
「あら、やだ。怖い怖い」
少々、耳障りな高音のソプラノボイスと共に月光に照らされず、影になったところから、滲み出した染みが人の形を
瞬きする間に一人の女性が姿を現していた。
裾が大きく広がったいわゆるプリンセスラインのドレスを纏った貴婦人然とした女性である。
ビラスィニエーシカはカシマールから、向けられた冷ややかな視線を意に介した様子はない。
手にしていた扇で口許を隠すと「おほほほ」と心を逆撫でするような癇に障る笑い方をした。
「やるのかい?」
「そんな口をお聞きでないよ。お気に入りの
「ちっ」
カシマールがビラスィニエーシカに向けた右の瞳は瑠璃のように美しい色合いをしている。
しかし、左の瞳は色を失ったかのように色素の薄い灰の色をしていた。
不思議なことにカシマールの感情が荒ぶるのに呼応して、瞳が僅かに燃え上がるように赤く色づき始める。
「おいおい。飯が不味くなる。やるんなら、違うとこでやってくれ」
その時、バリボリという何かを咀嚼する音とドシンドシンという派手な地響きと共に身の丈が大の男二人分よりも遥かに高い大男が現れた。
「
「あらあら、やだわ。ばっちいから、そばに来ないでくれる?」
「おいおい! おいおいおい! おめえら、ひでえね。仲間だろ?」
「はっ」という嘲笑を上げ、カシマールとビラスィニエーシカは仲良く、そっぽを向いた。
「そういうところだけ、おめえら、仲がいいな」とアンジョーラが発言すると「ふざけんな」とこれまた、息を合わせたように返すのでそれをアンジョーラが再び、揶揄う。
このままではいずれ、血を見ることになるのが誰の目にも明らかだった。
礼拝堂を一陣の赤い風が薙いだ。
否。
決して、風ではない。
それは炎の渦だったのだ。
炎の渦が燃え盛りながら、翼を広げる大鳥の姿をとったと思った瞬間、消え失せた。
代わりに深紅のローブを纏い、目深にフードを被った一人の男がそこに立っていた。
フードに遮られ、顔の造作はまるで分からない。
「静まれ」
ローブの男が地の底から響くような低い声を発しただけで場の空気が一変した。
「
「ああ」
ようやく絞り出したような掠れ声でカシマールが発した言葉をにべもなく、一言で済ませたフィエーニクスがやおら、床に膝をつき、
それに習うかのようにビラスィニエーシカとアンジョーラも同じ姿勢を取る。
カシマールも憮然とした表情を崩そうとはしないがやはり膝をつき、
その場にいた者全員が言い知れない威圧感を感じ、自然とその姿勢を取っていたのである。
月明りに照らされた夜の闇ではない得体の知れない黒い波動が、礼拝堂を満たしていく。
「愛すべき同士の諸君……愛しているんだ、君達を」
誰一人、頭を上げることが出来ない。
闇夜の如き、黒衣を纏いし男――
芝居がかった動きで四人を見つめる瞳はまるで
「諸君。動く時が来た」
折りからの風に靡いたストラーフの髪は太陽の恵みを受けたとでも言わんばかりに煌く金色をしていた。
ストラーフ――
ヴラジーミル・ウリツキー。
十八年前、リューリク公国を滅ぼした男。
それがストラーフの正体である。
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