閑話 西と東の思惑

(三人称視点)


 冒険者ギルドと商人ギルドは国家というしがらみから外れ、治外法権が適用される独立した存在である。


 国という枠組みを超えて、強固な繋がりを有する特殊な共同体の影響力はあまりにも強い。

 しかし、そうである以上、その力を逆に利用しようとする者が出るのもことわりと言えよう。


 セレス王国の王都であるパラティーノには、両ギルドのセレス王国における本部が置かれている。

 その規模は西側の有力な都市国家であるルテティアやハンマブルクのギルドに匹敵するものだ。


 どちらのギルドも世界を股にかけ、自由闊達かったつを旨としているだけあって、出身や種族を問わず、有能な人材を登用している。

 それは薬であって、毒である。

 なぜなら、このギルドに西側と東側からの間者とも言うべき人間が中枢に紛れ込んでいるのだから。




 商人ギルドのギルドマスターはアルヴァロ・ネスタという中年男性である。

 酒樽を思わせる恰幅のいい体に柔和な人柄が知れる丸々とした印象の強い顔が特徴の男で、人格者としても知られている。


 ただし、彼がとびきり、有能な商人であることは疑いようのない事実だった。

 温厚篤実なだけではなく、理知的で冷静な一面を有するリアリストでもあるのだ。

 また、地元パラティーノの出身であり、地元愛の強さでも知られている。

 能力の高さと人柄も相まって、商人ギルドの長に就任したのは自明の理だった。


 しかし、この話には裏がある。

 彼はアルヴァロ・ネスタという名でもなければ、パラティーノ出身の商人でもない。

 ましてや、セレス王国の出ですらない。

 北の都市国家ハンマブルクから、やって来たのだ。

 その名はトゥルブレンツ乱気流


 本当の名は分からない。

 なぜなら、彼の正体はアーベントと同じナイト・ストーカーだからである。


「いくら青い鳥作戦オペラツィオーン・ブラウアーフォーゲル遂行の為とはいえ、一週間は休みすぎではないかね? なあ、ジュラメント君」


 西日すギルド長の執務室には彼以外の人影はなく、ささやくように吐かれた言葉に反応する者は誰もいない。


 アルヴァロことトゥルブレンツはナイト・ストーカーのマスター・真夜中ミッターナハトと固い絆で結ばれた友であり、腹心だ。

 変身メタモルフォーゼの魔法をアーベントに教え、鍛えたのは誰あろうトゥルブレンツだった。

 ミッターナハトが西側諸国の命運を賭けた青い鳥作戦オペラツィオーン・ブラウアーフォーゲルにあたって、指揮をトゥルブレンツに任せたのも当然の流れと言えよう。


「いささか、入れ込みすぎではないかね? 薔薇の色香にでも惑わされたか」


 沈みゆく太陽に向かって、視線を投げかけた彼の呟きに答える者はやはり、誰もいない。




 セレス王国の冒険者ギルドを統べるマスターはジャコモ・ブッフォンという壮年の男だ。

 鍛え上げられた肉体は屈強そのもので未だ、衰えを感じさせない。


 かつて伝説と謳われた冒険者パーティーがいた。

 『竜殺し』を成し遂げたそのパーティーのリーダーこそ、ブッフォンだったのだ。

 一介の冒険者から、ギルドマスターにまで上り詰めた彼の半生はあまりにもドラマチックだったことから、舞台演劇にまでなった。


 しかし、彼は引退したといえども現場の人である。

 セレス王国の冒険者ギルドを統べる立場に就いたが、書類仕事に関しては素人同然だった。

 そんな事務方の処理を一手に引き受けるのが、副ギルド長フィオレ・トッティだ。


 地元パラティーノの出身であるトッティもまた、冒険者だった過去を持つ。

 若い頃から、名を馳せた冒険者だったが重傷を負ったことで引退し、以後は裏方として技能を磨いてきた事務方のプロフェッショナルである。


 中年にさしかかる頃合いだが年を一切、感じさせないエネルギッシュな印象が強い。

 手と同じくらいに口が動き、とにかく隙の無い女性と言えよう。

 髪は仕事の邪魔にならないように飾り気のない紐で縛って、まとめているだけだ。

 服装も白いブラウスとダークグレーのロングスカートとどちらかと言えば、地味である。


 彼女はアウローラの直接の上司にあたり、観光名所の泉で起きた珍事件に際し、商人ギルドと協議したうえで派遣することを決めた人物でもあった。


 ところがこのフィオレ・トッティも人に言えない秘密を隠し持っている。

 東の暗殺者ギルド・カーズニ処刑秘匿名コードネームミラーシ蜃気楼と呼ばれる神出鬼没の暗殺者アサシンこそ、トッティの真の姿だった。

 彼女は同時にアウローラこと薔薇姫プリンチペッサ・ローザにギルドからの指令を伝える繋ぎ役の上司でもあるのだ。


「おばちゃん、困ったわ。あの子が一週間もお休みするなんて、初めてだわ」


 西日が射しこむ割り当てられた執務室でトッティは溜息交じりに呟いた。

 固まった体をほぐそうと手足を伸ばした彼女は、ふと新聞の記事に目を留める。


 自由共和国のモロゾフ議員狙撃事件がセンセーショナルな謳い文句とともに克明に描かれていた。

 パラティーノのレストランで会食していたモロゾフ共和国議員が何者かに狙撃されたが、またも現れた紅の髪をした美しき乙女『黎明の聖女』によって、阻止されたというものだった。

 特に『黎明の聖女』に関する部分には随分と脚色が入って、書かれているようだ。


はあの子ではなく、悪夢カシマールに与えられた。まさか、銀狐セレブリャナヤリサー? でも、彼は死んだ。いいえ、殺した。この手で……」


 そこにいるのはにこやかな笑顔を絶やさず、誰にでも親しみを持って接する人のさそうなおばさんではない。

 氷のような冷たさと剃刀のような鋭さを持った冷徹な目をした殺し屋である。


「シルヴィオ・ジュラメントか。あの子も何を考えて、結婚したんだか」


 正式な書式で夫として、妻アウローラの休暇願を出しに来た好青年然としたのことを思い出し、トッティは僅かに顔をしかめるのだった。

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