第25話 惑う宵の明星

(アーベント視点)


 アリーさんは確か、日没までに戻れると家を出た。

 だが、既に空に月の出ている時間になったが帰ってくる気配がない。


 彼女は人付き合いがあまり得意ではないと言っていた。

 「帰りは定時なんです」とも。


 彼女が戻ってから、三人で温かい夕食が取れるように準備をしておいたのだが……。


「パパ。ママ、どした?」

「ふむ。お仕事だろうね」

「しごと。たいへん。やすもう」

「そうだね」


 このパミュという娘。

 一般常識が欠けているようでいて、妙にさといところがある。


 出会ってから、まだ数時間しか経過していないのに以前から、一緒に暮らしていたような気安さがある。

 さすがは大錬金術師パラケ・ルッスースの傑作といったところか。


 それにしては色々と足りていない残念な部分があるのは気のせいではないだろう。

 アリーさんが思い切り、突き飛ばしたのが原因かもしれない。

 彼女は華奢で腕も細い割に意外と力が強いのだ。


 引っ越しの際に持ってきた数少ない手荷物だが……。

 彼女は片手で軽々と持っていた。

 ところが実はかなり重量がある代物だった。

 相当に鍛えた男でも辛いものを軽々と抱える彼女の力はかなりのものだ。

 無自覚であの力とすれば、相当に鍛えている可能性もある。


 その力で突き飛ばされ、壁にぶつかったことを考えると頭にいくらかのダメージを負ったと考えるのが自然だ。


 その時だった。

 何か、大きな物がぶつかるような衝撃音が響いたのは……。

 思案に耽り、思索の海に溺れかけていた俺の意識が急速に浮上する。


「パパ。ママ、かえってくた」

「アリーさんか? 何か、あったのかな」


 パミュは時折、不思議なことを言う。

 まるでこの世の深淵を見てきたと言わんばかりの何とも言えない表情をしている。


 こんな顔をする幼い子がいるだろうか?

 なぜ、衝撃音だけでアリーさんだと分かるのか?

 不思議な話だ。


 ここはパラティーノでも郊外なだけあって、獣も良く出る。

 それどころか、魔物もたまに出るらしい。


「パミュは待っていてくれ。僕が見てくる」




 玄関の扉を開けるとアリーさんが俺の胸に飛び込むようにしな垂れかかってきた。

 普段は髪留めでまとめられている彼女の髪がばらけ、金糸のように美しい。

 ただ、きれいだと思った。


 任務において、女性との距離が近くなることは幾度もあった。

 しかし、俺に体を預けるアリーさんから、香る微かな花の匂いはとてもかぐわしい……。


 どこかで嗅いだことがある。

 どこだったか?

 もやがかかった記憶の片隅に埋もれていて、思い出せない。


「ごめんな……さい。時間に……遅れ……て」


 様子がおかしい。

 熱にうなされているようなたどたどしい喋り方だ。


「アリーさん?」


 明らかに体が熱い。

 慌てて、彼女の額に手をやるとはっきりと感じる。

 一体、彼女に何が起きたというんだ?


 既に乾き始めているが明らかに血だ。

 腹部が不自然な破れ方をしているブラウスといい、怪我をしていることは間違いないだろう。


 転倒して、当たり所が悪かったとしても不自然過ぎる。

 アリーさんは癒しの魔法の使い手だ。

 出血が止まっているところから、既に処置を施したのは間違いない。


 彼女は謙遜しているのか、大したことはないと言っていたが……。

 アリーさんの治癒ヒールは西では聖女認定されてもおかしくない高い水準に達している。

 くだんの薔薇姫との一戦で彼女に貰った重い蹴りはかなりの痛手だった。

 軽く見積もっても全治七日間といったところだ。


 それが痛みどころか、痣の痕すらも残らずになくなっている。

 これは驚くべき技術だ。

 その技をもってすれば、アリーさんが酷い怪我を負ったとしても自分である程度は治したのだろうと推測出来る。


 だが、この熱は明らかにおかしい。


 いや、今は余計なことを考えるのは後回しにしよう。

 まずはアリーさんの手当てと休ませなくては……。


「パミュ。来てくれ!」

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