第23話 薔薇姫の憂鬱

 確かに耳で聞きました。

 モロゾフ卿は同志を裏切っている訳ではない。

 断片的にしか聞こえなかった会話ですが、状況が全てを物語っているとしか、思えません。


 何かしらの思惑が絡んでいて、私は踊らされているに過ぎない。

 だが、そこには興味がありません。


 カーズニに属する以上、駒であることは理解しているつもりです。

 だから、シルヴィオの言葉を信じます。


「あなたですね。先程の視線の主は……」


 薔薇の指ディート・ローザを二本使いました。

 二本使って、ようやく見た目をお仕事をする際の薔薇姫プリンチペッサ・ローザの姿に偽装出来るのです。

 まだ、八本は自由に使えるのだから、大丈夫。

 問題はない。

 大丈夫だから、と自分を落ち着かせます。


 日が落ちるまでに帰ると約束したのだから。

 急がないと……。


「申し訳ございませんが、御退場を願えませんでしょうか?」


 目の前の男は私の標的ターゲットであるモロゾフ卿を注視したまま、こちらには目もくれません。

 それなのに肌にピリピリと直接、感じるほどの殺意の強さ。

 この男、出来る!


「せいっ」


 袖に隠していた慈悲ミゼリコルドを構えると男の気合が入った声とともに鋭い切っ先が私の首元を狙ってきました。

 速い。

 やはり、出来る相手のようです。


 慈悲ミゼリコルドで切っ先を逸らし、上体を捻ることでどうにか、かわすことに成功しましたが紙一重といったところ。


「ほう。クリヴァル血塗れの槍かわすとはやるでおじゃるな」


 危なかったです。

 身体強化を目一杯に上げていなければ、今頃、あの禍々しい槍に首を貫かれていたでしょう。


 それにしても何とも妙な人ですね?

 アルバ――神官が着用するローブの一種――に似ているがちょっと違います。


 袖口は広くて目立つし、裾は膝辺りまでしかありません。

 顔も白粉おしろいを塗ったような白面で眉が無くて、どこか異様で狂気さえ感じました。


 一目で分かる危険な雰囲気です。


「次は外さないでおじゃるよ」

「それはこちらのセリフです」


 出し惜しみしている場合ではないかしら?

 シルさんとの約束の時間にも間に合わなくなってしまいますし……。


 上体を捻った状態で負荷のかかる体勢だけど、仕方ありません。

 そのまま、後方に飛び退って、回転しながら跳んでバク転間合いを取りました。


 相手が槍を持っている以上、慈悲ミゼリコルドのように間合いが狭い短剣では不利。


「中々、どうして。素晴らしい動きでおじゃる。しかし、甘いでおじゃるな。く!」


 速い! あっという間に間合いを詰めてこれるなんて。

 動きにくそうな装束とは思えない動きだけど……。


 甘いわ。

 私が考えも無しに間合いを取ったと思っているの?

 そうではないということを教えてあげます。


「こういうことも出来ますの」


 薔薇の指ディート・ローザをさらに二本使う。

 四本も使うなんて、初めての経験かも。


 あの黒い人が本気を出したら、もっと使わないといけないのかしら?

 とても楽しそう……。

 命のやり取りをしているこの瞬間を楽しんでいる自分はおかしいのかもしれません。


 不可視の魔力の糸に絡みつけた慈悲ミゼリコルドを二本の鞭のように使いながら、槍使いの動きを牽制します。

 こういうまどろっこしい戦い方は得意ではありません。

 でも、今はそんな贅沢を言っている場合ではないということも分かっています。


 一直線にこちらに向かってくる槍使いに向けて、右手の慈悲ミゼリコルドを水平に振ると予想通り、槍の柄を使って防ぎました。


 それは分かってましたとも!

 そうするだろうと読んで左手の慈悲ミゼリコルドを槍使いの足元に向け、振ってますから。


「チッ」


 槍使いも相当に器用な男のようです。

 あの体勢から、無理矢理、飛び退すさって間合いを取るとは……。


 お互いに迂闊うかつに動くことが出来ません。

 ただ、睨み合っているだけではらちが明かないじゃない。

 私には時間がないんです。


 正直、あまり取りたくない手段だけど、やるしかないかしら?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る