第9話 彼にまるめ込まれた

 話が早すぎる!

 そんな私の心の悲鳴は誰にも聞こえていないでしょう。


 そして、偽装なのに本当に入籍までするなんて、聞いてないのですが?


「言いましたよ」

「え? 聞いてません!? 酷いです、ジュラメントさん」

「アリーさん。その言い方はいけませんよ? アリーさんも今日から、ジュラメントです」

「シ、シ、シルさん」

「はい。良く出来ました」


 愛称のアリーで呼んでもらうことに決めました。

 決めたけど、まだ慣れませんが。

 ローラでもいいのだけど、後輩の子がローラ呼びをしてくるので紛らわしいと思って、アリーと呼んでもらうことにしたんです。


 そして、問題は私です。

 彼のことをシルヴィオの愛称であるシルと呼ばないといけない。

 これは中々に辛いものがあるんです。

 異性と付き合ったこともないのにいきなり、愛称呼びは難易度が高すぎますって……。


「戸籍上、夫婦なだけです」

「で、でも……あれ? じゃあ、私はアウローラ・プレガーレではなくて、アウローラ・ジュラメントなんですか?」

「そうですよ? 昨日、サインしたのを覚えてないのですか?」

「覚えてます……」


 そういえば、昨夜、バーで紙にサインをしたのは覚えています。

 話を良く聞いていなかったは言い訳になりません。


 そんなことでは闇の中を生きてはいけない。


 だから、認めるしかないわ。

 そう。

 良く考えたら、私は何も損をしていません。

 偽りの戸籍アウローラに結婚歴が付くだけの話なのだから。


「分かりました。シ、シルさん。その点については認めたいと思います」

「分かってくれましたか」


 その相手がこの人シルヴィオなだけ。

 特に悪いことはないと前向きに考えましょう。

 たかが戸籍の上で夫婦になるだけ。

 どうということはないわ……本当にないの!?


「それでアリーさん。荷物の方はもう、まとめてありますか?」

「え? 何の話でしょう?」


 「ああ。これも覚えてませんでしたか」と首を捻る姿も絵になりますね。

 そんなことを考えている余裕すら、なくなる一言を聞くことになろうとは思いませんでしたが……。


「同居するなんて、聞いてませんっ」

「戸籍の上とはいえ、僕とアリーさんは夫婦です。そうである以上、不自然に思われることは避けないといけません」

「はい。それは分かります。分かりますけど、それと同居は話が違います。別居の夫婦でも……」

「それが無理なのはアリーさんも分かってますよね」

「はい……」


 そうでした。

 すっかり忘れてました。


 この国で夫婦の別居が意味するのは実に単純明快。

 不仲なので夫婦としてはうまくいっていないと周囲に吹聴ふいちょうしているのと同義になってしまうんです。

 私の馬鹿!


「大丈夫です。郊外に一軒家を買いました」

「えぇ!? ど、どういうことです? 家まで買ってしまうなんて!」

「お互いのプライベートも守る為ですよ。アリーさんの為に買いました、と言った方がかっこよかったですか?」


 そう言って、白い歯がチラッと見えるくらいの薄っすらとした笑みを浮かべるシルさんは卑怯ですよ?

 心臓がうるさくて、かないません。

 冷静に考えなきゃ……。


 お互いの私的時間プライベートを重視する。

 必要ではない限り、なるべく干渉しない。


 この二つが誓約に含まれています。

 全てはの為だと考えましょう。


「シルさんはそんなことを言わなくても十分にカッコいいです」

「そ、そうですか。そう言ってもらえると嬉しいですね」


 少しくらいは反撃しておこうと引き攣るような笑顔に慣れない誉め言葉を乗せて、長身の彼に向けて、上目遣いで訴えてみた。

 上手に出来たのかしら?


 動揺は誘えたと思います。

 それ以上に焦ったシルさんの表情がちょっと少年みたいでかわいく見えましたが……。

 私の脈拍がまた、一段と早くなった気がします……。

 ずるいです。

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