第13話 たまには馬鹿をやってもいい



 ビデオ通話に雪白が現れて真っ先に慌てたのはミドリだった。


「ゆ、雪白さん! ごめんなさい、グループで話してたから起こしちゃったんじゃないですか!?」

「別に起こしてないわよ〜、確かにもう老人だけど夜十時くらいなら起きてるわ」

「い、いえお年寄り扱いしたわけでは……」

「気にしないで、確かに七十五歳の後期高齢者なのは本当だから〜」


 雪白はニコニコ笑うがミドリは慌てている。それをみてカナメは苦笑した。ミドリは自助グループで雪白にかつて助けられて以来、彼女をとても慕っている。ファンのようなもので苦笑した雪白に時折「私はアイドルじゃないわよ〜」と言われている。


 二人のやり取りを見てカナメは自然と思った。


(雪白さん、やっぱり不思議な人だなあ)


 雪白月絵は只者ではない(本名ではないらしい)。一見上品で掴み頃のない老婦人だが色々なことができる。カナメやミドリにとっては自助グループ「アジール」のリーダーであるというだけで感謝の対象だが、それだけではなく発達障害がほとんど世間に認知されていない頃から障害者運動のようなことをしていたらしい。カウンセラーの資格も持ち、さらっと大学や行政の人間とのコネクションを匂わせる。


 自助グループ以外にも若い時から色々してきたらしいが、七十歳を機に「もう年だし、後継者も十分育ったから発達障害の活動は止めにする」と一度全てやめてしまったらしい。しかし二年も経つと「そういえば女性限定の自助グループはやったことがなかったから」とアジールを始めたらしい。


 なんにせよカナメにとては雪白は恩人だ。診断されたばかりの頃に彼女が始めたアジールの張り紙を病院で見つけていなかったら自分がどうなっていたか分からない。ミドリのようにファンではないが頼りにしている。


「……ということなんですよ! 雪白さんもカナちゃんを止めてくださいよ〜」

「あらあら」


 意識が逸れていたカナメはハッとした。どうやら自分が話題になっているらしい。雪白が画面の向こうでマグカップを傾けるとカナメは緊張した。


「その、雪白さん、私は……」

「いいじゃない、カナさんの好きにすれば」

「え……?」

「ええ!? 雪白さんなんで!? 止めてくださいよ!」


 ミドリの顔が画面にズームインしてくると雪白は逆に不思議そうに首を傾げた。


「だって誰と付き合うかはカナさんの自由でしょ。ねえ、カナさん?」

「は、はい……私も馬鹿だとは思うんですが」

「カナさんは今新しい生活に慣れることに一杯一杯なんですよ! この前も言ってたじゃないですか、その上こんな無理させちゃダメじゃないですか!」

「ミドリさんは過保護ね〜、まああなたはカナさんの友達だし、年上だものね」


 う、とミドリは詰まった。確かにミドリはカナメに対して過保護すぎるところがある。高校二年生の時に頼りなさげにアジールに現れた頃からカナメを知っている分放っておけない。


「雪白さん、私はやっぱり同情で馬鹿なことやってるんでしょうか? ミドリさんの言ってることも分かるんです、私自分で手一杯で他人に構っている余裕がない……」

「同情で馬鹿なことだとやっちゃいけないのかしら?」

「え?」

「私はアジールのリーダーだけどね、別にカナさんの先生じゃないわ。というかどういうふうに生きるかは誰も先生にはなれない。大人になるほど自分で選ぶしかないもの。……私から見て、カナさんはとっても努力家だと思うわ。発達障害のことが分かってからずっと毎月一冊本を読んで、アジールに来て他の発達障害の人と交流を重ねて自分の経験値にしてる。立派だと思うわ。だからそんなカナさんだから時々自分でも馬鹿だなあってことをやったっていいんじゃないかと思うんだけど」

「でも、私……本当は桜庭さんのこと軽蔑しているかもしれないんです。発達障害なんかって言葉と自己嫌悪で。そんな人には関わらない方がいいんじゃないでしょうか?」

「迷ってる?」

「……はい」


 雪白はカナメとある程度一線を引いている。というかアジールのメンバーとはある程度の境界線を引くようにしている。自助グループのリーダーではあるがメンバーだからと過保護にはしない。頼りになるので頼られがちなぶん、本人が決めるべきことでも助言を求められれば「自分で決めた方がいい」と諭してきた。


 だからカナメは分かっている。自主性を尊重するからこそ雪白は自分で決めたくないことを肩代わりはしてくれないのだ。


「迷っているってことはやりたい気持ちとやりたくない気持ちが両方あるってことじゃないかしら。気持ちがどっちかに傾いていたらもうどちらかに決めているでしょ。やりたくないのは軽蔑しているかもしれないからよね。ならやりたい理由はなんなのかしら?」

「そう、ですね……自分でも分からないですが、一つはあの子が自分から助けてって言ったからです」


 それは中学時代のカナメにはできなかったことだった。助けを求めることは恥だ、普通になれないとバレてしまうとかえって隠していた。自分一人でなんでもやることが「普通のふりをする方法」だと思っていた。


「あの子、色々腹たつこと多いけど……助けてって自分から言えたことはなんか……見逃しちゃいけないんじゃないかって」

「そうね、助けを求めることは大変だもの」

「それにあの子一人なんです。家族はそんなに悪い人じゃないみたいだけど、友達もいないし、発達障害の知り合いが一人もいない。私にはアジールがあって発達障害の知り合いいっぱいいるけど、あの子にはどこにも行き場がない……同情ですけど、あの子が一人だと思うと放っておけないんです」

「じゃあ、やればいいと思うわ〜」

「雪白さん! そんな気楽に〜!」

「長い付き合いだからねえ、私も半分はカナさんのこと友達だと思ってる。だから気軽に気になればやってみれば〜と言っちゃうのよ」

「……」


 それでもカナメは迷っていた。スズのことはなんとかなればいいと思う。それでも発達障害なんかという言葉で軽蔑していることも事実だ。


「カナさん、一つだけアドバイス。固く考え過ぎないで」

「……それはどういう意味ですか?」

「真面目なカナさんのことだから、一度引き受けたら最後までやり遂げる覚悟がないといけないって思ってるんでしょ?」

「あ……」


 図星だった。カナメは無意識にスズの頼みを引き受けたら最後まで面倒を見ねばならないと思っていた。だからこそ二の足を踏んでいたのだ。


「そこまで思うことはないわ。その子のいう通り夏休みまでとまで思わなくていい。まず一回。とりあえず一回だけあってその勉強ってやつをしてみればいい。それで嫌ならやっぱりそこまででいいし、思ったよりいいなって思えば二回目までやってもいい。それでいいんじゃない?」

「そ、そんな無責任でいいんですか?」

「人間関係なんてそんなものよ〜……まあ、どうしても私たち発達障害はその辺の経験がうまく詰めなくて杓子定規に考えがちだけど。とりあえずでいいのよ、特に人間関係は」

「とりあえず……一回だけ」


 その会話で初めてカナメはほっとした目をした。雪白はそれに気楽に微笑み返し、ミドリはまだ若干心配そうだった。


(やっぱり、今の私は一人じゃないんだな)


 昔とは違う。今は不安を話せる仲間がいる。







 その日の夜、ベッドに寝転がったカナメはスマートフォンを睨んだ。


「……よし」


 第一歩はとりあえずでいい。脳内で組み立てた文章を思い浮かべ、ラインを起動する。


『桜庭さんへ 例の発達障害の勉強の件だけど、今度の日曜日にどうかな? 出町柳の河川敷のとこで二時くらいから。その辺でお茶でもしながら五時くらいには解散で」


 エイッと送信ボタンを押す。ふうと安堵すると即座に通知音が鳴ってビクッとした。確認するとスズのラインで「分かった」とだけ絵文字も素っ気もなく返信されていた。


「いくらなんでも早過ぎでしょ」


 若干呆れたがカナメはそれでもほっとしていた。とりあえず一回でいい、その言葉でやってみようと思えた。


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発達障害ガールミーツガール 九十九折紙 @origami-tsukumo

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