第10話 それって性格のせいなの?



「それじゃ、桜庭さん、診断されて一ヶ月くらいなんだね」


 色々と納得したカナメの言葉にスズははっと顔を上げた。


「違うの! あれは医者がおかしいの、私は障害者なんかじゃないのに変なこと言い出すから!」

「うーん、いち障害者としては「障害者なんか」とは聞き捨てならないけど」


 さっと青くなったスズは首をぶんぶんと横に振った。


「違うの、カナメ誤解しないで! 私は障害のある人を差別したいんじゃない、そんなひどい人間じゃないわ。困ってる人は助けるべきだと思う。でも私がそうだっていうのとは違うでしょ!?」

「……もしかしてそれもお母さんに怒られた?」

「な、なんで知ってるの?」

「桜庭さん、かなり思ったことがバレバレだから気をつけた方がいいよ。あと言葉を真に受けすぎ。治らなくても自覚だけはしてよう」


 割と真面目にカナメは強く言った。言葉を間に受けすぎる。発達障害の女性は性犯罪に遭いやすいという知識とスズの美貌がカナメに不吉な未来を連想させる。


 話せば話すほど疑問が湧いてくる。カナメは思考を整理して、スズとの出会いを思い出す。


「自分が発達障害だと思ってないのに病院に行ってるのはどうして?」

「だって……お母さんが怒るから」


 これは相当母親にべったりだなとカナメは内心で断定した。ただ母親の行動を考えるとちゃんとスズのためになることをしている。おそらく悪い母ではないのだろう。


「お母さんが好きなんだね」

「え? う、うん……でも」

「でも?」

「そもそもお母さんが悪いのよ! パートなんていくから! だからずっと綺麗だった部屋がめちゃくちゃになった!」


 そこからまたスズは怒涛の勢いで話した。


 曰く、一番下の子であるスズが大学生になったことで母はパートに出て働く事を決めた。これからは兄とスズも大人だし、家事はある程度自分でやってほしい、そのうちまた会社員として働きたいから協力してくれと。兄は「お母さんは優秀な人だからその方がいい」と快諾し、スズはよくわかっていなかったが母が望むならと頷いた。ちなみに父は一番協力的でゴミの担当になったらしい。


 するとスズの生活は激変した。


 まず朝に起きられなくなった。それまでは夜遅くまで趣味のチェスをアプリでしていても途中で声をかけて止めてくれたのに「大人なんだから自己管理しなさい」とやってくれなくなった。朝に三つも目覚ましをかけているのに夜遅くまで趣味に熱中しているせいで八時前に目覚められなくなった。そうして大学の授業にも遅れるようになるとスマホの電源を切ってチェスをやめても不安で眠るまで時間がかかるようになった。


 そしていつも母が綺麗にしてくれていたスズの自室はめちゃくちゃになった。


 スズはものが捨てられない。どれを捨てればいいか判断するとひどく疲れてしまい、本屋の紙袋ひとつゴミ箱に入れられない。さほど買い物をする方ではないが、衝動的に気に入ったものを買ってしまうこともあり、数ヶ月で部屋はものが溜まっていった。


 幸い壊滅的なレベルではないが、管理された綺麗な部屋にしか住んだことのないスズは激しいストレスを感じた。自分でも片付けようとしたが「いる」「いらない」の判断をすることの負担が大きく気がつくとやめてしまった。


 他にもたくさん困ったことがあった。そうなるうちにスズはくたびれはて、疲労とストレスで前にできていたこともできなくなっていった。前は服もぐしゃぐしゃではなかったし、遅刻だってそこまでではなかったのに。


 スズはずっと母親に完璧に整えられた環境でしか生きた事がなかったのだ。


「お母さんが悪いのよ……今までと何もかも変わっちゃった。どうして今まで通りじゃダメなの?」

「そりゃ、お母さんにも自分の人生があるからねえ」

「……え?」


 自分の世界がめちゃくちゃになったのは母と大学のせいだ。そうカナメが理解してくれると思っていたスズは困惑した。


「それにどんなに前より部屋が汚くなったとしても、いつかは誰かにしてもらうんじゃなくて自分で対処する時がくるよ。大学生って一応大人だしね」

「大人……?」

「大人になるってそういうことなんじゃないかな。いつかは自分一人で生活する日もくるかもしれないし、下手でも自分でやらなきゃいけないことってあるよ……少し言い方はきついけど、大学生のうちにできないってわかってよかったと思う。今のままの自分じゃ朝起きられない、部屋が片付けられないって……桜庭さんのお母さんはちょっと完璧すぎたね」

「できないって分かってよかった……?」


 スズはカナメの言っていることが理解できず、そして過去の経験から自分を責めているのだと決めつけた。


「分かった。カナメはこう言いたいんでしょ。私がダメだからだって。私が怠けてるって。私が努力不足だって」

「いや、違うよ」

「いいや、昔からそうだった! 私はみんなのやってることができないの! 普通のこともまともにできない! じ、自分ではやってるつもりなのにいつもなんでこんなこともできないんだって……怠けてるっていいたいんだ」

「桜庭さん、私はあなたを責めたいんじゃないよ」

「お、お兄ちゃんはちっとも前と変わらず生活してるもん! お兄ちゃんはもう働いてるのにピンピンしててお母さんと手伝っててできない私を不思議そうに見るの。私もなんでこんな当たり前のことができないのか分からない。もっともっと頑張って普通にはならないと……」

「ストップ」


 カナメはすっと指を立ててスズの前にかざした。喋りすぎた、嫌われるとスズははっと口元を押さえた。


「まず普通になんてならなくていいよ、それにそれは性格のせいじゃない」

「それは……カナメが普通だからそう言えるんでしょ!」

「私が?」


 スズは一度息を吸い込んで声のトーンを少し落とした。


「だってカナメは普通じゃない、発達障害なんて嘘! 滅多に遅刻もしないし、いつも髪も服も綺麗。もう大学で友達だっているじゃない……私より普通にできるのに障害者のはずない!」


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