第6話 感覚過敏、工夫一つで世界は変わる



 カナメはその後も授業をなんとかこなしつつスズのことを考えた。結局アウティングについて謝ることができなかった。名前は知っているが学部も学科も知らない。また来週のドイツ語でチャンスを伺うしかないだろう。


 しかし、再会は思わぬ形でやってきた。


「不動さん、この子と組んでくれる?」


(えーーー!?)


 女性の体育教師はそう言ってジャージ姿の手にテニスのラケットを持ったスズを連れてきた。今は五限目の体育。必須の一般教養科目なので大人数の授業だ。大人数の上に人との距離が大きく同じ授業でもスズと同じ授業とは気付いていなかった。


 授業では雨天以外は基本テニスをする。一つのコートに四人でテニスの打ち合いをするのだ。大体同じ学部で同じコートに固まるのでスズには全く気付かなかった。


 今日は確か休む人が多かった。だからいつもは偶数であぶれないカナメも一人ポツンとあぶれ、仕方なく教師の指示通りラケットの素振りをしていた。


「向こうで桜庭さんも一人だったみたいなの。いつも通りコートで向かい合って打ち合ってくれればいいから、じゃ、よろしくね」

「……」


 どうやらスズもあぶれていたらしい。


 スズも戸惑っているようだが教師の手前か軽くこちらに会釈をした。カナメが話しかけるか悩んでいるとスズはさっさとコートの向こうに行ってしまった。考えているうちにスズはボールを持ってラケットを構えてしまう。


「打っていい?」

「う、うん」


 そうしてボールの打ち合いが始まる。二人ともさしてテニスはうまくないらしく、三回も打ち合いは続かない。それでも終わると自然と打ち損ねた方からボール籠に向かい、再び打ちあいを始めた。


 ただ真面目に体育の授業をこなしていく。


(どうしよう、話しかけた方がいいのかな?)


 幸い今日は休みが多く、一つのコートでスズとカナメの二人きりだ。普通に話しても隣のコートまで声は聞こえない。発達障害の話だってできるかもしれない。


(いやでも、この子は私は普通だ、発達障害のあんたとは違うんだって思ってるんだよね?)


 そうすると話しかけない方がいいのだろうか。もしかしたら謝ることより、忘れられた方がいいのだろうか。どうせ彼女とは学部学科が違う。このまま前期の授業が終わればもう会う事もないだろう。


「……桜庭さん?」


 急にボールが帰ってこないので不思議に思ってコートの向こうを見るとスズは俯いていた。遠目にもぐったりしている。今にも膝をつきそうだがラケットを杖にしてなんとか立っていた。


 慌ててカナメがコートの向こうへと近寄ると本当に顔色が悪かった。


「ちょっと大丈夫?」

「……しくて」

「え?」

「眩しくて……目が痛い」


 かなり辛そうだ。カナメは空を見上げた。今日は六月の梅雨の時期のわりに白い雲が眩しい晴天だ。当然コートには日光は強く反射していた。


 視覚過敏持ちかとカナメは知識から推測した。発達障害の人は何かしらの感覚過敏を持つ人が多い。酷い人は晴天の空の雲の白ささえ辛い。カナメはポケットに入れていたものを取り出すとスズに渡した。


「これ、かけてみて」

「え……何これ? 私、コンタクトだよ」


 それは高校から使っている淡いグレーの透明に近い色のサングラスだった。正式にはカラーレンズというらしいがカナメはサングラスとして使っているのでそう呼んでいた。


 とにかくパッと見てただのメガネに見えなくもない。カナメも軽く視覚過敏があるのでこれからの夏に向けて念のため持っていたのだ。


「これはメガネじゃないよ。その、視覚過敏でしょ? 光が辛いならサングラスで少し楽になると思う」

「シカクカビン? 何それ」


 どうやら知らないらしい。もしかして発達障害を否定するあまり知識を持っていないだろうか。


「いいから、これかけて少し休みなよ。きっと楽になるから」

「そんなわけ……」

「いいから!」

「わ、わかった……なんで私がこんなこと」


 カナメの迫力にスズは思わずサングラスをかけた。


「……あれ?」


 数度瞬きをとスズの目の痛みが和らいだ。目を開けているのも辛かったのに今は目を開いても平気だ。まだクラクラするが周囲を見回すとさっきまでの痛いほどの眩しさを感じない。


 スズはマジックをかけられた気持ちだった。カナメを見返すと彼女は笑っていた。


(工夫一つで世界は変わる)


 あんなに苦しかったことが嘘みたいだ。スズは一度目を閉じてまた開くが目の痛みは消えていた。


「よかった、効いたみたいだね。じゃ、あとは休んでて」

「信じられない……何をしたの?」

「何って……その、光が辛そうだったから、サングラスを貸しただけだよ」

「光?」


 スズは驚愕した。今まで夏の強い日差しや蛍光灯の灯りが辛かった。それを理解されたのは始めただった。今までこんなに辛くて、周囲についていけないのは自分の努力不足だと思っていた。


 カナメは周囲を見回して、コートには他に誰も人がいない。だから思い切った。


「その、昨日はごめんね……発達障害……のことを病院で大声で話したりして」


 意識的に「発達障害」のところだけボリュームダウンする。


「……え」


 スズは再び驚愕した。昨日は勝手になんてことを言うのだと思ったがまさか謝られるとは思わなかった。ドイツ語の授業で再会した時もすぐ無視したのに。


「センシティブなことなのに勝手に人前で言われたくないよね、不注意だった。反省してるよ。えっと……その。そうだ! サングラスはお詫びにあげるから!」

「……そんな、いきなり、もらえない」

「悪いことしたと思ってるの! だからこれで謝罪は終わり!」


 高校の時よりマシになったとはいえ、カナメもコミュニケーションは苦手だ。だから思い切って正面切って謝るだけで正直もういっぱいいっぱいだった。


 疲れ果てたカナメが背を向けてバイバイと手を振って去っていく。スズは手を伸ばして慌てて止めた。


「ちょ、ちょっと待って!」

「桜庭さん、ハッタツで色々思うことあるかもだけど、それかけて過ごしたらきっと楽だよ! 私たちは簡単な工夫でおかしいくらい楽になることあるんだから!」

「だから待ってってば!」


 その瞬間「今日の授業はここまで!」と体育教師の声が響いた。カナメは恥ずかしくなってきてその声を合図にさっさとテニスコートの出口へ走って逃げた。




続く



>>

なかがき

二千字以下投稿縛りをしていたのですが、前回を見てもう少し区切りのいいとこまでと三千字前後縛りに変更しました。


カナメが渡したサングラスはゾフのカラーレンズのグレーでブライトンSくらいをイメージしています。これくらいなら多少の光をカットしつつぱっと見は透明でメガネに見えるでしょう。本家のサングラスには劣るでしょうがぱっと見が普通がいいならこういうのがいいかと。これ↓

https://www.zoff.co.jp/shop/help/lensguide_colorlens.aspx

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