第5話 擬態も楽じゃない
それからは特に問題なく授業は進んだ。今日は冠詞の変化についてだ。正直難しくドイツ語を選択したことをカナメはかなり後悔していた。なんで名詞に男性と女性と中性があるのか未だに納得できていない。
(それにしても「げっ」はないでしょ「げっ」は。思ったことが口に出過ぎのアスペめ……)
内心のことなので悪いネットスラングが浮かんでしまった。根に持ってチラッと隣のスズに視線をやると彼女は授業に集中しているようだ。黒板に書かれた文字をノートに写している。自分のボサボサの髪とシワのある服のことはちっとも気にならないらしい。
それでも周囲はスズのことを遠巻きに見てヒソヒソと何か話していた。男子は心配そうだったり落胆していたり、女子は失笑したり哀れんだりしている。
彼らは目立つ美人のスズが寝癖一つ直さない様子に色々言っているらしい。
(意外と美人って損……こういう時、耳がもっと悪ければいいな)
この耳は聞こえすぎる。デジタル耳栓とやらを買うか考え中だが授業中につけるとなると事情を説明しないわけにいかない。そこはまだ悩む。
冠詞の変化に集中できずスズを横目でみる。授業によく集中しており、借りたシャープペンをせっせと動かしている。
(今日ペンケースさえ忘れなければ、昨日のことうまく謝れたのに)
本当に惜しいことをした。ペンケースはカバンに入っているものという先入観のせいだ。それともそんなにうまくいかないか。
(でも、「げっ」て言ったってことは私の顔、多分覚えてるんだよね?)
しかしどうせ授業中は話しかけられない。スズを見習ってカナメも授業に集中しようとした。ドイツ語にはうまく興味が持てない。正直フランス語が定員一杯でこっちにしただけなのだ。専門科目に関係ある言語といえばそうなのだが。
とりあえず内容ではなく板書を写すことだけに集中する。するとなんとか手が動いた。考えられない時は手を動かす。高校までの授業はそうしてこなしてきた。
「って、ええ、桜庭さん!?」
調子が出てきたところでカナメは驚愕した。さっきまで集中していたはずのスズはいきなり机に突っ伏して爆睡していた。集中力が極端すぎる。
「ちょ、ちょっと、起きなよ」
「ゴホン」
カナメが肩に触れ、講師がまた咳払いをしたがスズは起きることはなかった。
「これ、ありがとう」
ドイツ語の授業が終わった瞬間にスズは目を覚ました。心なしかさっきよりすっきりした顔をしている。もしかして眠っていたことに気づいていないのだろうか。
すくっと立ち上がるとミサキにシャープペンを渡して、さっさと教室から出ていってしまう。
(し、しまった、声かけそびれた〜)
「……なんというか、綺麗だけど変わった子だね」
シャープペンを受け取ったミサキは不思議そうにカナメの方を向いた。やはり変人認定を受けやすいのだなあとなぜか感心してしまった。
「そうだね、変わった子だね」
自分の方がうまく擬態できているのかもしれない。障害受容の関係だろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます