第25話 阿呆!

 この作品で一番目の覚める場面というのは、もう、これ一択でしょうな。


 荒勝教授が、陸軍に志願した研究生を呼び戻し、叱責する場面。


「阿呆(アホウ)!」


 もう一つ、この映画のラストシーンでのヒロインが、全裸で海に飛び音で泳ぐ兄弟(うち一人は京大の学生というのは、洒落になっているかな~苦笑)に向かって叫ぶのね。このことばもまた、


「あほう!」


 あえて漢字とカタカナとひらがなを区分けしたのは、もちろん、意味あってのことですよ。


 これは私の読みでありまして、黒崎氏が意図したかどうかは関係ないけど、ある意味前者のもう、マジもマジな場面での、年配者が若者を真剣に叱り飛ばす、あの重さを、最後の最後で、若い女性の同じ言葉で、言うなら「回収」しているのね。

 わしは、そう感じたよ。


 でもって、勝手に得点はないけど、特典(でもないか)オマケネタをどうぞ。

 これは、私のこと。


 ワタクシの母上(明治時代の寒漁村民様となっております~苦笑)がですな、初孫である異父妹の娘によく、私がいるとき、こんなことを言っておりました。

 大体、酒を飲んでいるときにやられたね。

~ 欠席裁判でもかなりやられているらしい。わしはナチスのマルティン・ボルマンほどの大物ではないぞと言いたいが、言っても無駄だろうから、まあええ(苦笑)。


「**(姪の名)はおりこうさんじゃ。おっちゃんは、あんぽんたんじゃ」


 問題は、後者ね。これに対する沈黙は認めたことになると感じた私、反撃に。


「阿呆(あほう)とは何だ! これでも国立大学の法学部を出ているぞ!」


 あんぽんたんが阿呆に変わっているのは、なぜだろう、なぜかしら。

 まあでもね、姪の視点から見たときのことを考えて、こうして私(伯父)のキャラクターをそのような言葉で作っているのね、これは。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 同じ「阿呆(あほう、アホウ)」という言葉でも、それを発する人、場面などで、その印象は異なるものでありますわな。

 さて、この「阿呆三態(一つは・・・だけど、許してちょんまげ)」、どれも一見ステレオタイプの場面と人物と用法の域を出ないようにも思えるが、そのあたりで変に奇をてらっても、しょうがないからね。

 言葉って、それひとつで、その人の人となりが端的に出るってのも、あると思う。


 まずは、映画「太陽の子」、観て確認してみてね。

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