第18話 学問の場に行くことの意味

 今や大学進学率が50%を超えている時代、それこそ、「大学」と名のつくところであればどこかには入れる、そんなイメージが完全に定着してしまいました。

 もっとも、半世紀以上前になるけど、中学卒業者が「金の卵」などともてはやされていた時代から少し後の時代、高校進学率が90%を超えて久しくなった頃、まあ、私らの頃なんかは、それこそ、「高校と名のつくところであれば・・・」みたいな話もあったわけですが、まあ、ええ(苦笑)。


 さてさて、今でこそそういう感覚がなくなってしまいましたけど、昔むかし、大学と名のつくところに行ける人は、本当に、わずかだったわけね。私の頃はさすがに進学率は30%を超えていたけど、50%なんてことはさすがになかった。

 まして、私の場合は養護施設という場所にいたわけでね、そんなところから大学まで行った人は、全国レベルではいないわけでもなかったが、それこそ、戦前の帝国大学への進学並の割合であり、確率であったわけや。


 そんな中、学問の場である(一応、そうや)大学などに行って学ぶということはどんな意味があるのか。それを、この「太陽の子」という映画は、しっかりと意味づけされており、視聴者をして再認識させてくれる内容に仕上がっております。

 かの帝大生に、陶器を焼いているおじさんが「先生」なんておっしゃってるけど、あれも、その一環だよ。まあ、わしも、人のことは、言えん。

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