第15話 ちらし寿司がなぜ、この映画で出現したのか

 主人公である兄弟の弟のほう、かの三浦春馬氏が演じた人物、肺の療養のため一時帰還しているのでありますが、その彼が、母の作ったちらし寿司を食するシーンが作中にあります。

 この時代にちらし寿司、さぞかしの御馳走であったことでしょう。


 さて、彼はまたなぜ、このシーンで他の料理ではなく、ちらし寿司を選んだのか。

 その「彼」というのは、映画監督さんのことや。


 彼の故郷である岡山県におきましてはですな、「祭り寿司」という、一見するとさして変哲のないちらし寿司があります。

 ですがこれ、庶民の知恵、言うなら、権威への反骨精神にあふれた料理なのです。

 江戸時代、岡山藩に限らず、全国で幕府もしくは藩単位で、何度も、倹約令が出されました。要は、ぜいたくを慎んで、倹約してこの難局を乗り切ろうという趣旨ね。

 そうなりゃ、いくら祭りだからと言っても、いつものような寿司を作ってやれそれと集って飲み食いなんかされておったら、幕府にせよ藩にせよ、言い出した者のメンツがつぶれるわな。立場、ないがな。役人個人の本音としてはともあれ、一応、正論をもってたしなめないといけないってことになるわな。

 そこで、庶民は知恵を振り絞る。

 表向きは、ご飯と後少々の具しか乗っていない、日の丸弁当並のすし飯。

 でも裏には、しっかりと、豪勢な海(川)の幸・山の幸が乗っておる次第や。

 岡山名物ママカリも、絶賛お隠れ中よ。


 さてさて、そんなエピソードと結び付けてみると、なるほど、このご時世下に母が心づくしのちらし寿司を息子に食べさせることの意味が、見えてくるでしょう。

 そのシーンについても、一見無邪気そうに見えない、ひょっとして、演技が上手くないのかと思われるような感じで三浦氏は演じているのですが、そのことがかえって、生死の狭間にいる若者の心境を、かえってわかりやすく、しかしながらそこにリアリティーがこもったものとなっているとの指摘もあるようです。


 それはともあれ、白米の「にぎりめし」、透明一升瓶の酒、さらにこのちらし寿司と、何と申しましょうか、飽食の時代に何か一石を投じているような組合せが、何とも言えませんな。

 さすがや・・・。

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