第5話 対象を見て「法を説く」必要性

 映画監督・黒崎博氏は、若い頃、教育テレビ、今でいう「Eテレ」とやらで子どもの番組を担当したこともあるそうな。


 これはしかし、映画の撮影のようにはいかんよな。

 余程の子役でもない限り、こちらの意図を理解して動いてくれるなんてこと、ないからね。それゆえ、彼も思うところいろいろあったのだろうが、もう、上手いこと子どもがその画面で泳いでくれるような、そんなことを心がけたみたいや。

 そのあたりの経験も、今の彼に大いに糧となっていることは間違いなかろう。


 そういう経験、教育関係者とか、まあ塾もそうだけど、嫌でもしなきゃいかん時ってあるのよね。

 例えば、底辺校と言われる高校なんかまさに、そうじゃん。

 いくら勉強をするところだと言っても、それどころじゃないわけや。

 それなら、彼(彼女)らに応じて、こちらがどう対処していくか。

 これは定時制高校なんかもそうだったけど、私のいたところは、廊下にバケツを置いて、その周辺では喫煙可としていた。ただし、そのバケツをきちんと処理することと、吸い殻を散らかさないことが最低条件。

 なぜそんなことをしていたかと言うと、こっそり吸われてそこから火事なんてことになったら、併設されている高校にも大迷惑がかかるからや。

 あ、その高校、彼も行っていた高校やったな。


 それね、実は、養護施設なんかでも一緒なのよ。

 いや、それどころの騒ぎじゃないほど。

 今はどうかわからんが、当時は、短期大学の幼児教育課程なんかを出て新卒で入ってくる女性が多かった。

 彼女らは基本、小さい子どもや、せいぜいその保護者を相手にするところを学んできたはずが、どういうわけか、こういう仕事もあるということでさせられるのが、中高生男子の担当とか、そんなことも、ままあるわけや。

 そんなところで、短大で学んだことが活かせるか?

 活かせますと言い切れるとしたら、それは詐欺師の詭弁並やで。

 でも、そんな仕事も、あるわけや。

 もちろんそこは、男性の幹部職員がある程度見守るようにはしていたけど、それだけでどうにかなるとでも思っていたとしたら、相当、浅はかや。

 こちらにしてみれば、彼がその進学校に通っている頃、そういう「ネエチャン」に小馬鹿にされるような時期があったからねぇ。


 さて、愚痴ばかりになったけどさ、何だかんだで、彼の経歴上、Eテレでの経験は大きかったのでは、ないかな。

 要は、「対象を見て法を説く」ことの重要性を、彼は身をもって学べた時期があるということね。

 それは間違いなく、大学時代の経験が、大きく生きているのではと思われる。


 今回の「太陽の子」をじっくりと見ていて、そのあたりをよく活かしているなと思える点は、少なからず見受けられましたね。

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