リーネ

月コーヒー

第1話


   1


 元の世界とまったくおなじ太陽が、緑の平原を歩く僕らを、上からギラギラと焼いている。


「え? ずっとリーネと一緒さ。街についても、ずっと一緒に暮らそう」

「結婚なんてしないよね?」

「さぁ、どうだろうね。僕ももうすぐ30歳だし……」

「ふーん……」


 右肩のリーネがそっぽを向く。


「おい、焼いてんのか?」

「そんなんじゃないやっ」

「……でも、リーネみたいな人が良いなぁ」


 僕は空の青い天井を見上げた。


「リーネが人間だったらな。それか、体が大きくなってくれたらなぁ……」

「体がか……?」

「そしたら絶対……」


 ……リーネとは……もう2年の付き合いかな……もっとか?


 僕がこの異世界に来たのは……3年……前……かな……。


 それからすぐにあった気がするから……リーネとも3年になるのか……。


 リーネは、僕が異世界に来て、唯一であった知的生命体だ。


 手の平台の大きさの、トンボみたいな羽の生えたこの妖精がいなかったら、僕はどうなっていただろう。


 きっと正気を失っていたに違いない。


 それを考えれば、デュランダルよりもありがたいな……。


 僕は腰に差した剣をちらと見る。


 話し相手もいないで、こんな草原をただただ歩いて、そこをトイプードルやチワワやスコティッシュフォールドに襲わ――


――……ん?


 ……?


「ああ、なんとかならないの、この暑さ。昨日までは涼しかったのにぃ……」

「リーネ」

「何?」

「前方、20メートル、岩陰にスコティッシュフォールドだ!」


 僕は魔剣デュランダルを引き抜く。


 鞘にしまっていると一見、ただのどこにでもある剣だが、引き抜くとその刀身に、おそらく異世界の文字であろうものがびっしり刻まれて、赤くぼんやり光っている異様な姿を見せる。


 この異世界に来て、すぐ目の前にこのとんでもない剣が落ちていたことを、僕は何千……いや誇張なしで1万回は噛み締めているはずだ、毎朝、必ず感謝しているのだから。


「きゃああああ!」


 リーネが悲鳴を上げ飛び起きて、いつも通りに僕の背後へと非難していく。


「二ャアアアアァァァ!!」


 目の前のスコティッシュフォールドが、モップみたいな太い体毛を激しく揺らし、飛び掛かってきた。


 この世界の生き物で、スコティッシュフォールドそっくりの顔と折れ曲がった耳をしているから、そう名付けた。


 全長3メートルあるデカいやつだから、かわいらしさはみじんもない。


 僕はデュランダルを大きく振りかぶった。


 やつドが、牙を剥き出して襲ってくるのに狙いをつける。


 その距離は、すでに5メートル。


 スコティッシュフォールドが、鋭い爪の生えた前足2本ともで、僕目掛け振り下ろそうとする動作に入った。


 今だ――


「――うらぁぁぁ!」


 同時に、僕は左脚を踏み込み、デュランダルを振り下ろす。


 ぐにゅっとデュランダルの刀身が伸びた。


 切っ先が、スコティッシュフォールドの前足の間をすり抜け、額に直撃する。


 紫色の閃光がほとばしった。


 美しい、ホントに、なんと言葉に表して良いかわからない美しい光が、デュランダルからは巻き起こる。


 この光が見れるなら、毎日何度でも襲い掛かってきてほしいくらいだ。


 この光は、たまらなく僕を魅了する。


 ……きっと元の世界を思い出すからだ。


 そうだ、元の世界はこの美しい光に満ちていた……。


「二ャアアァァァ!?」


 刹那の光が消え去ると、比類を上げたスコティッシュフォールドの胴体部分が跡形もなく消えていた。


 僕の前方に、ボトボトと鋭い爪の生えた前脚と後ろ脚が落ちる。


 リーネは、背後から出てきて、笑いを含んだ声で、


「あはははは、楽勝だね。今週の狩りは終了っと」


 と言ってスコティッシュフォールドの脚を両手両足で掴んで、僕の所に持ってきた。


「見たかリーネ、デュランダルの光を」

「見たよ、綺麗だったね。うんしょうんしょ、はい肉、包んで」


 スコティッシュフォールドと名付けた、この世界のモンスターは、僕らの奇矯な栄養源だ。これ以外は魚しかない。


 僕は流れ着いて手に入れた布を取り出し、肉を包む。


「助かったら、ふたりで腹いっぱい、好きな物食べような」

「果物も肉もお菓子も?」

「ああ、こんな化物の肉ばかり食べる毎日とはおさらばだ。毎日お腹いっぱい食べれて幸せに暮らそう」


 ああ、早く、こんな生活を終わらせたい……。


 ……ああ……。


 平原のかなたに、海が見える……。


 この、3年……間……ずっと、この無人島で暮らしいる。


 ここは、中心部が盛り上がった、石ころだらけの平原しかない、広さは多分10キロ平方メートルくらいの島だ。


「でも……何時になったら船が通りかかるだろうか……」

「きっと来るよ、希望を捨てないで。待ち続けたらきっと来るよ」


 リーネが元気を出せとばかり、僕を力強く見つめてきた。


「ああ、そうだな。ごめんリーネ」


 僕は、落ち込んでしまっていたのを謝罪する。


 そうだ、希望を持って待ち続けるしかない。


 リーネが飛んできて、肩の上に座った。


「さっ行こう」


 僕は歩き出す。


 歩きながら辺りを見渡した。


 僕らの向かうの先には住みかの、海から流れてきたもので作った荒ら屋がある。


 そこでの生活はこうだ。


 壁がないので、朝は右からギラギラと照らされ目が覚め、食料と水の調達に出かけ、夜は明かりもないのですぐ眠る。


 毎日毎日、この毎日だ。


 いつか終えるその日まで。


   2


――パタパタパタパタ……


「暑いわー、もうイヤー」


 右肩に乗っている妖精のリーネが呟く。


 日光に晒され続けて、ぐったりとうなだれていた。


 リーネが、だらりと倒れ込む。


 僕の肩に、布団みたいに掛かってぐったりとしているリーネを落とさないように右肩をちょいと上げた。


――パタパタパタパタ……


「暑いのなんて毎日じゃないか」

「毎日のがたたって、今限界を迎えたんだよ」

「……もう……」


 僕は空の青い天井を見上げた。


「なぁ、なんかさっきから」

「へ?」


――パタパタパタパタ……


 この空の下、ずっと同じ毎日。


 この空の下、ずっと変わらない景色。


 その空に、何かが飛んでいる。


――パタパタパタパタ……


 雲一つない青空の中に、黒い点があった。


 さっきから変な音がしているが……あれが原因か?


――パタパタパタパタ……


 鳥ではない。この世界に鳥なんていないからだ。


 それとも、ここに来て、初の鳥型モンスター?


――パタパタパタパタ……


 点がどんどん大きくなる。


 音もどんどん大きくなる。


 迷彩柄の、鉄の体が、目視できるようになった。


「あれ何……? 見たことない生き物よ」

「あれは生き物じゃない」

「え?」

「ああ……あれは……ははは、なんてことだ、あれは、ヘリコプタ―だ……」


 訝しい顔をして、リーネはだんだんと近づいてくるヘリを振り向き見た。


「おーい! おーい!」


 僕は大声を出し、手を振り、飛び跳ねる。


 いや、そんなことしなくても、良い。


 ヘリは僕らに気づいていた。


 僕らの方に向かってきている。


 ああ、なんてこった……。


 体が震えてきた。


 ……震えが、止まらない……。


 こんな毎日、いつか助けが来ると願い続けたのが、今日だったなんて。


 こんなにあっけなく、叶うなんて……。


 船じゃなく、ヘリだったなんて……。


 この世界にもあるのか、ヘリ……。


 ヘリはどんどん近づいてきて、操縦者の姿が目視できた。


 あっちも、僕を見ているのが分かる。


 機体の横にある小さな日の丸も確認できた。


 結構デカいヘリだ、中に何人も人がいるみたいだ。


 とおもうと、ヘリが旋回に入る。


 着陸のための場所を探している。


「ああ、リーネ……助かったんだよ……」


 僕は肩に居るリーネに手を伸ばす。


「あれに乗って?」

「そうだよ……」


 やがて、ヘリは100メートル先くらいの空中で停止する。


 あそこに着陸するんだ。


「行こう!」 


 僕は走り出した。


 ヘリが着陸する場所へと、全力疾走で向かう。


 ヘリはゆっくり低くなってきて、平原の草原をなびかせ着陸した。


「おーい! おーい!」


 僕は叫んだ。


 目からは涙があふれだしている。


 体は震えて、脚に力が入らなくて、何度もコケそうになる。


 助かったんだ! 帰れるんだ!


「おーい! おーい!」


 僕はまた叫んだ。


 ヘリのドアが開く。


 中から、迷彩柄の服を着た、背の高い青年が現れた。


 ヘリの元へと走る僕を、心配そうに見つめている。


「大丈夫ですか?」

「ああ、なんとかね。助けてくれ」

「もちろん、ヘリに乗ってください」

「ありがとう」


 その時、僕は膝から崩れ落ちた。


「どうしました!? お爺さん」

「ああ、ごめん。何でもない、あまりの事に力が入らなくなっただけだ」


 青年が僕に駆け寄って助け起こしてくれる。


 その時、同じく迷彩柄の服を着た、初老と中年の男が僕の元へ駆け寄ってきた。


「私は佐藤中尉です。偶然発見できて良かった。遭難ですか? お名前、生年月日を言えますか。いつから遭難していたのですか?」


 初老の男が尋ねてきた。


「ああ……西山祐輔、昭和63年7月16日、遭難したのは、3、4年前、だったかな。ははは、忘れてしまった……」

「そんな……おい今すぐ遭難者情報を確かめろ」


 青年が敬礼してヘリに帰って行く。


「今すぐ水や食料が必要ですか?」


 僕はゆっくり首を振った。


 そんなもの、もう必要ない。


 助かったんだ……それで胸がいっぱいで……。


 なのに中年の男は、急いでヘリに戻りペットボトルを持ってきてくれた。


 蓋を開け、僕の口にあてがってくれる。


「ありがとう」


 僕は、水をゆっくり飲んだ。


「ああ、おいしい……」


 夢のようだ。


「ほら、リーネ。お前も飲め」


 リーネに、ペットボトルの口を持っていく。


 リーネは、僕以外の人間に戸惑っていた。


「大丈夫だよ。これから僕以外の人間がいっぱいいるところに行くんだぞ」


 リーネはゆっくりペットボトルを持ち、小さな体で自分より大きい容器を傾け水を飲み始める。


「ぷはーっ」


 あっという間に中身が空になった。


 ふと見ると、自衛隊の人達の表情が戸惑いに満ちたものになっている。


「ああ、こいつはリーネだ。妖精だよ。ビックリだろ」


 僕は、肩に止まっているリーネに振り向いた。


「おい、挨拶をしろ」

「え?」


 リーネは、おどおどしながら顔を出し、


「ああ……あの、リーネです……どうもっ」


 と、それだけ言うと、僕の背後に隠れてしまった。


 初老の男は、厳粛な顔つきに変わる。


 そのまま、他のふたりも黙りこくって僕を見つめだした。


 青年が、ヘリから馳せ戻ってきた。


「隊長、行方不明者情報によりますと、この方は40年前に行方不明になっておりました。世界崩壊と共に行方不明になった模様です」

「40年前……世界崩壊?」


   3


「西山さん、この事は後で話しましょう。とりあえずヘリにお乗りください」


 初老の男は、話をしたくないと僕の肩を掴んでくる。


「いやだ」


 僕は激しく首を振り抵抗した。


「聞かせてくれ。40年前とはどういうことだ。リーネ、お前も何か言え。お前と会ったのは数年前だよな」


 リーネは、怯えているのか、陰に隠れ頭だけ出して、肩越しに自衛隊の人達を見ているだけだった。


「……肩に何かいるんですか?」


 青年が尋ねる。


「リーネだ、この世界に住む妖精でね」

「……何もいませんけど……」

「ここだよ、変なこと言わないで」


 リーネが顔を出して全身を青年に見せた。


「何を急に裏声なんて出し――ああ、もしかしてこれは……」

「そうだ、もう見る事はないから、お前は若いから初めてか……」


 初老の男が青年に、目で何か合図している。


「なんなんだ、勝手に話すな。おい、僕はヘリなんか乗らないぞ。説明を知ろ。されるまで動かないからな」

「少しお待ちください」


 自衛隊の人達が、なにやらこそこそと相談し始めた。


「おい、何を相談してる。説明を知ろ」


 初老の男が、他のふたりに目配せして、僕の方に向き直る。


「聞いてください。あなたが今から帰って、直面する現実を受け入れるためには、どこかで、必ず話さなくてはいけない事です。ですからここで話します。落ち着いて聞いてください」

「とっととしゃべれ」

「はい、では、まず、間違いなく、あなたがこの世界に来たのは、40年前です。今は2054年、あなたは66才です。ご自分の姿を確認してください」


 男は時計を何やら操作すると、そこから鏡が浮きあがってきた。


 僕は、その機会の仕組みよりも、何よりも、目の前の鏡に映った白髪のしわくちゃの、日焼けして、沁みとそばかすだらけの、老人が映っている。


 その老人は、僕が動くと、僕の動いた通りに動いた。


 老人は僕だった。


「そして、他にも問題点が、あります。落ち着いて聞いてください、良いですね」


 鏡の老人が、ゆっくりと首を縦に振る。


「では、続けます。西山さん、あなたの肩には何もいません。リーネとおっしゃいましたか……そんな妖精はあなたの幻覚です。しかし、心配はいりません、それはこの世界に来た人類がかかった精神病として有名で、治療法も見つかっております」


 鏡の老人が、ゆっくり自分の肩に手を触れた。


 そこには骨と皮ばかりの肩の他は、何もない。


 初老の男は、言葉を休め、僕の表情を観察していた。


「ホントだ、今は、何もいない、な」


 初老の男は俯き、またしばらく僕の様子を窺い出す。


 そして、男は大丈夫と思ったのか、話を再開した。


「40年前、僕らのいた世界は崩壊しました。その時、崩壊から逃れるためにこの世界に転送された人類の生き残りの一人なんです、あなたも私も」

「……」

「私はまだ7才でした。覚えていませんか、あの光を。紫色の美しい光を。私達の世界を崩壊させたデュランダルの光を」


 光? 紫色の美しい……。


「……ああ……その光は……覚えている……」


 初老の男は、優しく微笑む。


「大丈夫です、すぐに治療できますよ。しかし、その他には何もお体に異常がない事は奇跡ですよ。その老体で走っておられましたものね。まだ混乱しているでしょうが、すぐにそんな妖精の妄想なんて消え、正常に戻れます。私達の街で保護を受け、

一緒に暮らしましょう」

「……リーネが妄想、ホントはいない……」

「そうです。2千万の人が住む大都会です。元の世界から有能な知識人や技術者は連れてきましたから、快適で豊かな社会になっていますよ」


 鏡の老人が、、自分に良い聞かすように、ひとり呟き始める。


「僕は66才で、40年間、この島で暮らしていた。そりゃ気も狂うさ。でもリーネがいたから、まともに生きて来れたんだ、僕は。妄想だって? そうか、これから街に行って、僕は気の狂ったのを直して、リーネのいない生活を、自分一人で、毎日お腹いっぱい食べれて幸せに暮らすのか」


 鏡の老人の言葉は、だんだんと何の感情もなくなっていった。


 同時に、鏡の老人の全てから感情がなくなっていく。


「……ここでは、食料にも苦労したからな……」

「そういえぱ、この無人島で食料はどうしていたのですか」

「……え? ああ、これで、狩りをして」


 僕は魔剣デュランダルを引き抜いた。


「その剣……そのソラリス文字は!」

「やはりここにあったのか!」


 自衛隊の人達が、驚き退る。


「これで、こう振りかぶってぇぁぁぁ!!」


 鏡の老人はデュランダルで、自衛隊3人を薙ぎ払った。


 紫色の閃光がほとばしる。


 美しい光は、今回も僕を魅了した。


 刹那の光が消えると、目の前の3人の姿がなくなっている。


 残るはヘリの操縦者と、中に何人かいるのかな。


 僕は、慌てふためく操縦席の人達めがけ、突進した。


 デュランダルを振りかぶる。


   ◇


「心配ないよ」


 リーネの声がした。


「何が――」


 右肩に目をやると、そこにリーネの姿がない。


「ここよ」


 目の前に、僕と同じ身長になったリーネが立っていた。


「リーネ……ははははは……」

「ふふふふふ」


 僕らは、青空の元、笑いあった。


 僕はリーネをやさしく抱きしめる。


 自ら、気が狂うのを選択した者は、気が狂っているだろうか。


 もし、そうだとしても、本人が選んだのに、治す必要があるのか。


「もう待つ必要はなくなったんだよ。こんな所だけど、ずっと一緒に居よう、リーネ」

「私達は、今ある物にしがみつくしかないのよ。ふふふ、私達はふたり一緒。それで十分でしょ?」


 リーネは、僕を力強く見つめる。


「うん、ごめん。また落ち込んじゃって……」


 リーネが元気を出せとばかり、僕を力強く見つめてきた。


 僕は荒ら屋へと歩き出す。


 太陽が、僕らを、ギラギラと焼いている。毎日、リーネと食料と水の調達に出かけ、夜は明かりもないのでリーネと並んで眠る。


 毎日毎日、この毎日だ。


 いつか終えるその日まで。


 リーネと一緒だ。

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リーネ 月コーヒー @akasawaon

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