第三十六話 人外、三匹寄れば

「して亜希よ」


 本番直前、前のバンドが演奏が聞こえてくる薄暗い控室にいるアタシに、七生が声をかけてきた。


「お主がバンドを始めたきっかけというのは四百年前のような刺激を求めてという事じゃったが、あれから何か変わったりはしたかの?」

「何よ急に」

「今日のお主の顔からはそんな自分本位の理由は感じられんなと思うての」

「んー、そうだな、今までは自分本位というか、自分で精一杯って感じだったんだけど、なんか、覚悟は決まったって感じかな。悪魔のアタシがギターを弾いて歌を歌う意味。誰かに何かを伝えたくて音楽をやるって事への覚悟が決まったかも」

「そうかそうか、なら良かったわい」


 七生はそれ以上何も言わずに煙草に火を点けた。


「二人とも何やってるでしゅか。前のバンドもう終わって、そろそろボク達の出囃子が流れ始めましゅよ!」


 私はギターを背負い、エフェクターボードを抱える。いよいよ出番だ。


 *


 一、二曲目は速い曲。繋ぎのMCも無く、客席にとにかくアタシ達という存在を叩きつける。終わると普段であれば休憩がてらに軽く喋るが、七生と千里を見ると、二人は余裕の表情。ならこのままぶっ飛ばそう。

 言葉を発さないまま、三曲目と四曲目を続けてお見舞いする。ミドルテンポのバラード、静かで、聞きやすい、けれど抑えきれない感情をいっぱいにして爆発させる。今日のSGMGはいつにも増してキレッキレだ。七生のベースはゴリゴリと客席を削り、千里のドラムは爆撃機の様に音の爆弾ををばらまいている。

 四曲目が終わる。残すは最後の一曲だけ。そう思った時、客席の扉があき、緋沙子が入ってくるのが見えた。あの女やっと来やがった! 

 他にも二人ほど一緒の様だが、暗くてよく見えない。何だ友達いるんじゃん。安堵なのか残念なのかわからない息を吐いて、アタシは七生と千里を制すると、スポットライトが照らすマイクを握り、口を開いた。


 *


「どうもー。〝Say Goodnight, Mean Goodbye〟でーす。」


 まばらな拍手。毎回、ステージ上の熱気との差でくらくらする。


「久しぶりの人はただいま、はじめましての人は、名前だけでも覚えて帰ってねってのがMCの常套句なんだけど、なんか、今回はもういいや。久しぶりの人も、はじめましての人も、今からは無視して、ただ一人に向けてライブをやる。ま、残り一曲なんだけどさ」


 少しざわつく会場。


「というのもさ、アタシこの前、仲良くしてた友達に、〝本気〟じゃないって切れられたんだよねー。クッソムカついたよ。他の何を適当にやっても、バンドだけは〝本気〟でやってたつもりだったから」


 MCに飽きて客が二、三人出て行った。でもそれでいいんだ。


「そっから滅茶苦茶考えた。ながーい人生の中で一番考えた。それで、今日アタシは……」


 一息吸い込む、重大発表だ。


「公務員の仕事辞めて、ついでに親兄弟含む家族全員と絶縁してきましたー!」

「「ハァ⁉」」


 素っ頓狂な声を上げたのは千里と七生。それと相反するように観客は大声をあげてのスタンディングオベーション。そうだった。ライブハウスに集まる人間なんてのは他人の不幸が三度の飯より好きな人でなしの集まりだった。PA卓から拍手するミナさんも見える。


「な、何言ってるでしゅか⁉ こ、これからの生活費は⁉」

「ごめんね千里ー。あ、このドラムのクズとアタシ今シェアハウスしてて、生活費全部アタシ持ちなんですけどこれからは働きに出てもらいまーす!」


 またもや大喝采。働け! 千里! まずは府中のハロワに行くんだ!


「そ……そんな……」

「クックククク、受け入れろ千里。亜希は大体百年に一度くらいはこれくらいの事をしでかすんじゃ」

「とまあこんなふうに自分で退路を断って、とりあえず形だけは〝本気〟にしました。アタシ霧島亜希です、どーもよろしく」


 ここで一礼、そしてにやりと悪魔的に笑って顔を上げる。


「そして、中身が〝本気〟かどうかは、今からやる曲聞いてから決めてもらおうって事で、新曲やりまーす。タイトルは「春夏秋冬」。泉谷しげるのカバーじゃないよ。おら行くぞ! 凹んでんじゃないわよ千里!」


 言いながらアタシはギターでイントロを勢いよくジャガジャガと引き始める。


「畜生! 働きたくないでしゅ!」

「カカカ! やはりお主らと三人でおると愉快な事この上なしじゃ!」


 イントロ終わりのキメからバチバチに縦を合わせて入ってくるやけくそ顔の千里と大笑いの七生。アタシは笑顔なんて投げ捨ててマイクに向かって歌詞をがなった。


 この曲の歌詞は短い。


 息もできない真冬の路上でボロボロになって歌う少女が自分では助けを求められないと絶叫するだけの内容だ。それはアタシから見た緋沙子の姿。

 でもこんな歌詞には大した意味は無い。言葉なんて、どれだけ尽くしたところでいつだって言葉足らずだ。だから、バンドがある。音楽がある。

 

 アタシは絶叫しながら緋沙子に選んでもらったギターを、『弾き手の感情を最もストレートに表現してくれる』ギターを思いっきりかき鳴らす。これは単に弦の振動をピックアップが拾って出力している音ではない。アタシの魂からの音だ。

 変拍子から一気にメロディアスに、七生のベースが歌う。千里のドラムが煽るように走る。曲が盛り上がる最高潮、弾く側も、聞く側もエクスタシーを感じること間違いなしの最強のサビ、拳を突き上げる客が何人も見える。


 へへん、冷や水くらわしてやる!

 

 唐突なブレイク、アタシ達三人が一斉に音を止める、一瞬の静寂。

 会場が、水を打ったように静まり返る。息をするのもはばかられるような、寒さが肌をビシビシと刺すような、ピンと張ったいつかの極寒の真夜中の駅前のような、そんな静寂。


 汗だくのアタシは口角が嫌が応にも上がってしまうのを感じながら、BIGMUFFのスイッチをガチリと踏み込み、最大の力でもって弦にピックを叩きつけた。その魂の咆哮はピックアップに拾われ、シールドを駆け抜け、BIGMUFFで増幅され、フェイザーで分岐され、二台のバカデカいスタックアンプに流れ込むゼロコンマ数秒のラグを経て、会場を爆発させた。

 

 *

 轟音

 轟音轟音

 轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

 轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音轟音

「ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッーーーーーーー!!!!!!!!!!」


 音の壁に押しつぶされるようにしてアタシは叫ぶ。客席の誰にも届かないであろう声にならない叫びを、ただ叫ぶ。


 これは曲の中の少女の、緋沙子の叫びだ。ボロボロになり、空っぽになり、依存する相手を探し、それでも音楽しか残らなかった少女が、ストイックであるがために押し殺して来た叫びだ。それをアタシが、アタシのギターが、アタシの魂が受け止めて、かき消して、食らって、吸収して、包み込んでやる。

 アタシは悪魔だ。ヒトの少女の、大事な人の悲しみや、辛さ、欲望なんて全部全肯定して平気で取り込んで堕落させてやる。


 ――『今日ですべてが終わるさ』

「今日では何も終わらない!」


 ――『今日ですべてが変わる』

「明日だって何も変わりゃしない!」


 ――『今日ですべてが報われる』

「報われる日なんて一生来ない!」


 ――『今日ですべてが始まるさ』

「もうすべて手遅れな程! 終わり切っているからだ!」


 轟音の海の中、息継ぎをするようにとぎれとぎれにアタシは叫ぶ。ああ、そうだな緋沙子。そうだよな。全部願望で、希望で、嘘だ。クソッタレが。アタシは立川で買ったエフェクターのシャウトスイッチを思いっきり踏み込む。途端に轟音の中に、金切り声を思わせるノイズが混ざった。これは悪魔の叫び。悪魔が選んだ、悪魔のエフェクターから発する、悪魔の甘言、堕落への誘いだ。


「それでも!!!!!!!!!!」


 それでも、不知火緋沙子。お前は幸せだ。アタシという悪魔が〝本気〟で、お前の意地をへし折ってやる。ライブハウスでくだを巻く、ダサい人間の一人に堕落させてやる。アタシにステージに上がる夢と術を教えてくれたアンタを、絶対に見放したりしたりするもんか。だからライブハウスに、ステージに戻ってこい不知火緋沙子! アタシの出した、これが答えだ! 

 アタシの魂と感情と思いに呼応するかのように、ギターとエフェクターとアンプは、轟音とノイズと音楽を吐き出し続けた。しかし、それは、いつまでも続かない。


(……ああ、曲が終わる……)


 ピックはどこかに吹き飛んだ、それでも指で引き続けたのでギターも弦も血だらけだ、体が熱い、汗が噴き出す、膝ががくがくして、目が霞む。轟音のせいでもう何も聞こえない。それでも曲の終わりを知らせる千里のスネアとバスドラの音と、七生のテンションが最高潮に達したときに見せる特大ジャンプはなぜかしっかりと分かった。息も絶え絶えで最後のコードを鳴らす。もちろんそれはEm。緋沙子が初めて私にロックを教えてくれた時の音。ドガンと一発、最大級の最後っ屁をかまして曲は終わった。


「〝Say Goodnight, Mean Goodbye〟でひたぁ! あざひたぁ!」


 全ての力を使い果たし、もう立っていられないアタシは最後の挨拶をしながらマイクごとステージに倒れ込む。あ、だめだこれ、意識飛ぶ奴だ。やっぱり本番前に緊張をほぐそうとして飲み過ぎたのが悪かったか……。倒れ込み意識が消える刹那、沸き上がる観客の中、泣きながら笑って拳を突き上げる緋沙子の姿が見えたような気がした。おやすみ、緋沙子。感想は後で聞かせてくれ。


 しかしそれっきり、緋沙子は私の前から姿を消した。

 皮肉な話だ、本当におやすみがサヨナラの意味になってしまった。バンド名変更希望。

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