第三十五話 人間、三人寄れば

 各駅停車の京王線に揺られ、私はポケットから取り出したチケットの文字を見る。


 十二月二十四日・吉祥寺テレポート・出演者/zodiac/雨たらたら/真夜中の定期便/Cook81/ Say Goodnight, Mean Goodbye/


「ったくなんで二十四日……。恋人いるとか考えないのかなあの人」


 まあいたことはないんだけど。


「行きたく、無いなぁ……」


 そんなことをぽつりとつぶやいてしまう。スカスカの車内でも二、三人が不審な顔をしてこちらをちらりと見た。アナウンスが駅名を告げる。もう降りる場所だ。

 駅から歩いて二十分。築年数ざっと四半世紀越えしたボロボロの木造アパートの階段を派手な音を立てて上り、家に帰る。この家には、何もない。ギターを練習する事以外は何も。そんな本気の部屋の中で、私はもう一度ポケットから取り出したチケットを床に置いて眺めた。


「それでも、また会えたのは嬉しかったなぁ」


 思わず本音がこぼれる。そうだ、嬉しかった。真っ暗な駅前で一人、歌っていたボロボロの私を、ただ一人見つけ出してくれた人、好きにならなきゃ嘘だ。ならないわけがない。でも駄目だ。私はあんな人、嫌いじゃないといけない。そうじゃなきゃ私の本気が嘘になる。誰に向かって張っている意地なのかすら、もう曖昧になってしまったけれど、私は未だにそんなことに囚われている。

 いたたまれ無くなって私は部屋にあったアコギを掴んだ。


「今日ですべてが終わるさ、今日ですべてが変わる、今日ですべてが報われる、今日ですべてが始まるさ」


 亜希さんの前で歌った曲、本当に嫌いな歌詞。シバタに刺されたあの日から今までのどの今日も、終わったり、変わったり、報われたり、始まったりしなかった。こんな歌詞を好きな奴は片手間で、安全圏から音楽を楽しむ糞みたいな傍観者だ。


「だけどどうしてだろ。本気で嫌いになれないのは」


 それが歌詞の事なのか、亜希さんの事なのか、呟いた私にもよくわからなかった。


 *


 十二月二十四日、二十時。丸一日考えた末に私は吉祥寺にいた。ライブハウスへは目を瞑ってでも行ける。それでも私は憂鬱な気分で、亀より遅いスピードでその道を歩いて〝ライブハウス・テレポート〟の入り口に立った。

 道路わきから半地下に伸びる階段を下り、ドアを開ければ受付、そこでチケットを渡してドリンクチケットを買って、地下のライブハウスへ向かう。そしてビールの一杯でも飲んで亜希さんのライブを見て、お疲れ様でしたの一言でも言って帰る。昨日から何度も繰り返したシュミレーションをもう一度繰り返す。大丈夫だ、何の問題も無い。しかし、いざ足を踏み出そうとすると一気に気分が悪くなる。シバタに刺された傷がうずく気がする。前のバンドメンバーの顔が浮かぶ、店内の人間全員が私の事を知っていて、デビュー前に捨てられたボーカルが来てると笑う被害妄想が頭の中を駆け巡る。視界がぼやけて思わず片膝をつく、やっぱり駄目だ……。


 そんな私を現実に引きずりもどしたのはドロドロといういかついバイクのエンジン音だった。何事かと思って振り向くと、真っ白なヤンキーバイクが道の向かい側に停車し、バイクとは正反対の制服姿の野暮ったい女子高生がヘルメットを脱いでいるところだった。


「……そこ、駐輪禁止なんだけど」


 私は思わず声をかけてしまった。正直、目の前のライブハウスのトラウマから目をそらさせてくれる物なら何でもよかった。


「はっ! すみません!」

「ちょっと行ったところにコインパーキングあるから」

「ありがとうございます!」


 女子高生はいそいそとまたヘルメットを被りバイクにまたがると、私が指さした方向とは反対に向かって発進した。


「ちょちょちょ! ちょっと待て! 逆逆!」

「へ?」


 慌ててバイクの前に出て無理矢理バイクを止める。


「あのさ、もしかして方向音痴?」

「自分では自覚がないんですけれど……よく言われます」

「はぁ……送ってってあげるからバイク降りて押してついてきて」

「あ、ありがとうございます!」


 女子高生はエンジンを切り、素直にバイクを降りた。


「あの、私、井上このみっていいます」

「あそ、私は不知火緋沙子」

「緋沙子さんも今日はライブを見に来たんですか?」

「ああ、まぁそうなるかな。井上さんも?」

「このみでいいです。はいそうなんです。私もライブを見に」

「珍しいね、このみちゃんみたいな子がバイク乗ってライブハウスになんて」

「あはは、実はちょっと前に私、死にたいほど辛い事がありまして……」

「え、この場で急に重めの自分語りすんの? 他人との距離感掴めないタイプ?」

「ち、違いますよぉ! その時に助けてくれた人が、今日のライブに出てるんです。だから見に来たんです!」

「ああ、そういうこと」

「はい。その人凄くて、自分でYouTubeやったり店開いたりバンドやったり何でもする人なんです。その行動力を見てたら、なんだか辛い事に囚われ続けて、周りにある幸せに気づかない自分って馬鹿だなぁって思えてきて」


 このみは笑顔で言う。今まさに辛い思い出に囚われている最中の自分には直視できない。


「へぇ、じゃあこのみはその辛い事を乗り越えたんだ」

「いえいえ全然! 未だに学校中から白い目で見られますし、友達なんか一人もいなくて普通に死にたくなりますよ!」

「アンタ一体何やったのよ」

「はは……私は何もやってないんですけどね……。でも起きたことは変えられないし、心の傷だって消えるものじゃない」

 

 それでも、とこのみは言葉を繋ぐ。


「死にたい程辛くても、楽しく生きちゃいけないって法はありません! だからバイクで知らない道にも行くし、怖そうなライブハウスにも行くんです。その先に全然知らない新しい楽しみが転がってるかもしれないじゃないですか!」


 力強くそう言うこのみ。私は勘違いしていたみたいだ。会って数分の間柄だが、このみだってまだ渦中にいる、死が頭をよぎる程に。それでも、こんなに力強く笑っていられるんだ。私はこのみの笑顔に何か希望のようなものを見た気がした。


「なんていうか……前向きだね」

「バイクで後ろなんて向いてたら事故りますからね!」

「そりゃそーだ。ふふっ……あのさ、このみ」

「はい?」

「実は私も……その……辛い事があってさ、なんというかトラウマで……ライブハウスに入れないんだよね……だからさ、私が入るの、手伝ってもらってもいい?」

「もちろんです!」


 *


「うぇ……ゲぇ……」

「だ、大丈夫ですか⁉ 緋沙子さん!」

「大丈夫、オェ……。もうちょっとで行けそうだから肩貸して……」

「で、でも……」

「いいから! あと少しで……ウッ……ゲェェッェェェェェェェ」

「ああっ!」


 このみに付き添ってもらっているというのに私は結局吐いてしまった。涙で視界が滲む、酸欠でクラクラした頭が十二月の冷えたアスファルトに派手にぶつかる。通りがかる人は「こんな早い時間から飲み過ぎたバカ女が」という視線をちらちらと送ってくる。畜生。そんなんじゃねーんだ。白目をむきながら通行人を睨み返す。するとその中から一人、女が小走りで駆け寄ってくる。誰だ? しかし、その正体を確認することなく、私の意識は一度途切れた。


 *


「はい、お水」


 意識を取り戻した私は近くのコンビニの敷地に乱雑に転がされていた。


「ああ、どうも……」


 目の前に差し出された水を受け取り、キャップを開けようとするも力が入らない。


「やったげる、お姉さんに貸しなさい」

「すいません……あの、このみは……?」


 目の前にいるのは初対面の成人女性。この人は誰だろう……。


「いま中でお会計してる。もう出て来るんじゃない?」


 言葉の通り、すぐに慌てふためいたこのみがコンビニから飛び出して来た。


「あ、緋沙子さん、起きたんですね!」


 嬉しそうに言うこのみ、なんか子犬みたいだ。財布を名も知らぬお姉さんに返しているのを見ると、このお姉さんも悪い人ではなさそうだ。というか、道端で倒れていた知らない相手を介抱している時点でそうか。


「お姉さん……お名前は?」

「私? 藤堂小鳩よ。今日は鬼のような残業を何とか片付けて愛しのダーリンが出るライブを見にやっとこさ駆け付けたら、店の前で吐いてる子がいたから介抱してあげた優しいお姉さん。あなたの名前はさっきこのみちゃんから聞いたわ」


 ダーリンとは古臭い。その言葉にふっと笑いが漏れそうになった。


「だ、ダーリン……」


 このみは顔を真っ赤にしてそう呟いた。その反応も古臭い。私は声を上げて笑ってしまった。


「お、元気出たんじゃない。で、行けそう?」

「も、もう少し落ち着けば何とか。でも小鳩さんもこのみも、私なんて放っておいてもらって……」

「何言ってるんですか! こんな状態になってる人放っておけません!」

「まー私もそうね。なんでこんなことになってるかも知らんけど、ゲロ吐いて失神してた女の子ほっぽり出してライブ楽しめる程神経太くないわね」

「すみません……」

「謝るのはいいから。どうしてこんなことになってるのか教えなさいな。見た所酔ってる訳でも無さそうだし」

「それは……私、ちょっとライブハウスにトラウマがありまして……でも今日のライブには絶対に行かなきゃいけなくて……無理してるうちに……」

「吐いちゃったと」

「はい……本当にすいません……私のしょうもないトラウマなんかで他人に迷惑かけて……強くならなきゃってこのみを見て思ったのに……」


 そう言った途端、小鳩さんがため息をついた。


「トラウマなんて、そうそう忘れらんないわよ。一生抱えて生きてくしかないの。お姉さんだってヤバいトラウマが毎日毎日フラバる中生きてるわ」

「ははっ。小鳩さんもなんかあったんですね。でも絶望じゃないですか? 一人で、トラウマに一生耐えて生きるなんて。そんな人生クソじゃんか! 死んだほうがマシじゃんか!」


 初対面の小鳩さん相手だというのに声を荒げてしまった。自分がこんなにも余裕が無くて、弱い人間だとは思わなかった。情けなさに涙がボロボロとこぼれる。そんな私を、小鳩さんは優しく抱きしめた。


「滅多な事言うもんじゃないの。私も、日常が地獄でも耐えるしかないと思ってたタイプ。でもね、人生意外とそうじゃなかった。辛いときは誰かに助けてもらうのよ。助けてもらって、良いのよ。貴方の事何も知らないけど、辛かったことだけは分かる。頑張った事も」


 優しすぎる言葉にもう人目もはばからずに声を上げて泣いてしまう。視界の隅ではこのみも泣いていた。小鳩さんの顔にも涙が垂れていた。通行人がぎょっとした顔で私たちを見るが。そんなの気にならなかった。


「はー泣いた! 緋沙子ちゃん、今日はね、私を地獄から救い出してくれた私のダーリンが出るライブなのよ。糞みたいに酒の強い同僚酔い潰してとうとう正体を暴いたんだから!」


 そう言って小鳩さんは立ち上がり、私に手を差し出した。


「だから、立って、行きましょう? アンタのトラウマも私の愛の力でぶっ飛ばしてあげる」

「わ、私も! あ、愛の力で支えます!」


 耳まで真っ赤にしながらこのみも私に手を差し出してくれた。


「……ありがとう、ございます!」

 私は二人に肩を支えてもらって立ち上がる。情けなさなのか、感謝なのか、まだ止まらない涙をこぼしながら、ライブハウスまでの階段を一段一段下る。フラッシュバックするトラウマ。私には音楽以外何もないと嘯いた。仲良くバンドやってる奴等を嫉妬で切り捨てた。でも亜希さんは来いと言ってくれた。ミナさんは待っていると言ってくれた。〝テレポート〟の自動ドアは、何も拒まずにそこに在るだけだった。

 両サイドから伝わる出会ったばかりの二人の心強い熱を感じているうちに、気づけば私は、受付の前に立っていた。店員がだるそうに口を開く。


「ドリンク代一人五百円です。でももう最後のバンド始まっちゃってますよ。今日はどのバンドを見に?」


 私たち三人は五百円玉をどんとカウンターに置くと一斉に言った。


「「「Say Goodnight, Mean Goodbye!!!」」」

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