第三十四話 緋沙子の終わり
「あ、亜希さーん! やっほー!」
呼び出されたのは深夜の公園。電灯の間延びしたオレンジの光がぎりぎり届くか届かないかの場所にあるブランコに、ラインを送りつけてきた張本人、不知火緋沙子は腰かけていた。
「隣開いてますからどーぞ」
「そりゃどーも」
成人女性(一人は自称)が夜中にブランコを並んでこぐなんて見せられたものではないが、今は深夜で人は誰もいない。アタシは煙草に火を点け、口を開いた。
「アンタなんで吉祥寺になんかいんのよ」
「あれー? いちゃ悪いですか?」
いつも通りの能天気な返事。正直可愛いと思わないではないけど、今日だけは少しイラっと来た。
「ライブの誘い断っておいて、バイト先でもないこんなところで、ライブ終わりのアタシを呼び出す理由は何なのよ」
「あー……ははは、やっぱそうなりますよねぇ」
「ならないわけないでしょ」
「……亜希さん、今日のライブは楽しかったですか?」
「何よ唐突に。……まぁかなり楽しかったけど」
「へぇ。どんなふうに?」
「どんなって……今日はブマネのミナさんの肝いり企画で〝本気〟でバンドやってる女ばっかりのライブだったんだけどそいつらがまたキャラ立ってる奴等ばっかでさ。しかも曲も滅茶苦茶いいしライブも上手いのよ。アタシのバンドも負けてらんないって感じ。しかも打ち上げがまた傑作でさ……」
「ふふっ。そりゃ楽しかったんですねぇ……」
「……緋沙子、アンタもしかして今日のライブ見に来ようとしたの?」
「……なんでそんなふうに思うんですか」
「ミナさんから聞いたよ。アンタも昔はあのライブハウスに出入りしてたらしいじゃん。何か酷い事があって辞めたとも」
「あの姉御肌気取り、余計な事ばっか」
「何があったかは知らないし聞かないけどさ、ミナさん言ってたよ〝帰ってくるのを待ってる〟って。アタシだってライブを見てもらいたいし、緋沙子と一緒にステージに立ちたい。何か相談に乗れることならアタシが……」
「……ッ! 分ったようなことをべらべらと! お前何様のつもりだよ!」
突如緋沙子はブランコに座ったまま吠えた。
「何が待ってるだよ! 何が〝本気〟だよ! 仲良しサークルみたいなことやっといてさぁ! お前らなんか糞ダサいんだよ! 自覚しろよ!」
「ひ、緋沙子?」
「うるさい!」
緋沙子は口汚くののしりながら泣いていた。もう情緒が分からん。ひとまず思いっきり泣かせて落ち着くのを待っていると、少し落ち着いた調子で緋沙子が口を開いた。
「……ヒグ……ッエグ……あーあ……もう終わりだ」
「な、何も終わりじゃないわよ! どうしたのよ本当に! 大丈夫?」
「……煙草下さいよ、亜希さん。そしたら私の事話してあげます」
アタシは少し迷いながら緋沙子に煙草を咥えさせ、火を点けた。
*
私の人生は、一定のところまで上手く行っていました。大好きなバンドを、学校も碌に行かず、力いっぱいやり続けて、高校三年生の時にやっとインディーズレーベルから声がかかったんです。私は一も二もなく飛びついた。憧れの夢への切符だった。
二か月後の大きなライブで、新譜とレーベル所属をファンに伝える予定を組みました。人生の絶頂期、そんなときに私は暴行を受けた。体にも、心にもひどい傷を負って、部屋から出る事さえもできなくなりました。当然デビューの話もお流れ……にはならなかったんですよね。
私のバンドは、ギターボーカルの私をやめさせて、そこに別の人間を入れて、しれっとデビューしちゃったんです。私の代わりを務めあげたのは、シバタという女でした。
シバタについて少し喋ります。シバタは私に音楽を教えてくれた大恩人です。友達の付き合いで初めて足を踏み入れたライブハウス、その中で誰よりも輝いていた女。私はシバタみたいになりたくてギターを手に取って、バンドを組んでステージに上りました。結果、酷いライブを何回もしました。でも逆に奇跡みたいなライブも数回できました。私がそこまで成長したとき、シバタは打ち上げの飲み会で私をライバルだと言ってくれたんです。
それからはもう、ははっ、ぞっこんでした。バンドだけでなくプライベートでも私はシバタにべったりでした。一緒にご飯を食べ、カラオケに行き、スタジオに何度も一緒に入りました。気づけば私は自分の家にいるより、シバタのアパートにいる方が多くなってた。シバタの聴く音楽を聴き、シバタの笑い方を真似して、シバタとセッションをしまくった。シバタに全てをゆだねてたんです。完璧に、依存していました。
そんな折に私のレーベルデビューが決まった。初めて私がシバタを追い越した。嬉しかった。はやくそのことを伝えたい、そう思って急ぐ帰り道に私は襲われました。通り魔にナイフで腹を計三回。激痛に呻く私を見下して、通り魔は逃げ去りざまに捨て台詞を一つ落としました。
――「調子に乗りやがって」
それはとても聞き覚えのある声だった気がします。
こうして私はデビューも、信頼してた人間も、バンド仲間も何もかも失いました。バンドメンバーは私を必要としなくなり、依存していたシバタは家を尋ねると引っ越した後だった。高校は当然留年したので、抜け殻の様に二年生からの単位を取り直す日々。両手の指の隙間から零れ落ちたものを思って泣かない日はありませんでした。その時、部屋の隅にあったアコギと目が合ったんです。
シバタみたいになりたくて始めた音楽に、もう未練なんて無い。無いはずなのに、私はそいつを持って深夜の街に繰り出しては弾き語りを続けました。確かめたかったんです。もう何も残っていない筈の私に、まだ残っている歌とギター、その正体を。きっかけは確かにシバタへの憧れ、でも今は?
何度声を枯らしても答えは出ませんでした。それでも一つ確かに分かったのは、私にはもうこれだけ。音楽、これしかないってコトでした。
そんな時に出会ったのが亜希さんでした。一目見てわかりましたよ。私と同じ、もう手の届かない何かを想って、空っぽのまま生きている人。音楽に出会ってないだけの私。だから音楽をやることを勧めたんです。亜希さんなら、私を分かってくれるかも、苦しみを分かち合えるかもって……シバタの代わりになるかもって……でも上手くいかなかった。だって亜希さんそういうの必要ない人ですもんね。ライブハウスでも人間関係でも上手くできちゃう人ですもんね、気づいたらまた私一人になってて。
ほんと、狡いですよね、ムカつきますよ。私にはもう何もないのに。ただ一人で……音楽以外何もないのに! 仕事も! 仲間も! 私も! 全部持ってるくせに! 音楽が無くたって、他の場所でだって、上手くやっていける奴が! 知った顔してバンドがどうとか、音楽がどうとか言ってんじゃねぇよ! 何が本気だよ! 片手間じゃねぇか! こっちは未だにトラウマでライブハウスになんか入れねぇんだよ! それでも! 私の居場所は! もう音楽にしかないんだよ! それなのに私……亜希さんの事……、大事に思うようになってきて……ほんと、理不尽ですよね。
*
緋沙子は肩で息をしながら喋り終えた。アタシが渡した煙草は結局一口も吸われることのないまま灰になって飛んでいった。公園に貯まった枯れ葉がカサカサと音を立てる。
「緋沙子……」
とりあえず声をだしてみたものの、続く言葉をアタシは持っていなかった。正直、言いたいことはたくさんあった。片手間でやってるつもりはないとか、そもそも音楽勧めたのは緋沙子だろとか。でもそんなことを言って何になる。内に隠してきた絶望と、コンプレックスと、理不尽への叫びをすべて吐き出した少女に、上から目線で矛盾を指摘して、一体何になる。でも何か言わなければ、アタシに音楽を教えてくれた恩人に何か救いになる言葉を……。
「ふー、なんかすっきりしちゃいました」
迷い続ける情けないアタシより先に、緋沙子が決心をしたように口を開いた。
「亜希さん。私貴方の事が好きです。でも今、片手間のダサいバンドでダサい仲間と自分は本気だと悦に浸ってるあなたは大っ嫌いです」
あ、それと。と思い出したように緋沙子は口を開いた。
「亜希さんの好きな泉谷しげるの「春夏秋冬」あの曲も大嫌いです。サビの、「今日ですべてが終わるさ、今日ですべてが変わる、今日ですべてが報われる、今日ですべてが始まるさ」って歌詞。あれ、嘘ですよね。ただの願望ですよね。亜希さんみたいな人ならまた違って聞こえるのかもしれないけど。だから、これから会う事は辞めましょう。これでサヨナラしましょう。勝手かもしれないけど、そうしましょう」
そう言って公園から立ち去る緋沙子に、アタシは結局一言もかけることはできなかった。
*
それから一ヶ月。アタシは悶々と考え続けた。バンドの事、音楽の事、本気の事、そして緋沙子の事。その間に秋は足早に通り過ぎて、いつの間にか冬になっていた。変わらず図書館の仕事はある程度安定していて、七生や千里、それに仲良くなったバンド仲間と飲みに行ったりなんかしてそれでもやっぱり悶々と考え続けた。
そして十二月二十三日、アタシの中で決心がついた。
「よし」
アタシは一人で家を出ると京王線を乗り継ぎ、お茶の水へと降り立つと、いつか通った道を通り、一つの楽器屋へと入った。
「よっ、緋沙子」
埃っぽい店内で目をまん丸にして驚く緋沙子。しかしその反応もつかの間、目を落としてつまらなさそうにレジをいじる作業に戻っていった。
「なんですか、もう会わないって言ったじゃないですか」
「アタシはそれでいいなんて言ってない」
「女子高生に言い負かされて言葉が無いだけかと思ってましたよ」
「ばーか、何を頓珍漢な事を。あの時は色々と考えてただけよ。ただ、ようやくアンタに返す答えが見つかった」
「へぇ、じゃあ早く言ってください。見ての通りバイト中なんで」
「ほい、これ」
アタシはポケットから明日の日付が印字されたチケットを取り出す。
「なんですか? これ」
「明日のライブ。場所は吉祥寺のテレポート。十八時半オープンで十九時スタート。アタシ達はトリだから出番は二十一時くらいかな?」
「そうじゃなくて、これの何が答えなんですか」
「見ればわかる。絶対に来い。んじゃあね」
「あ、ちょっと……」
アタシは追いすがる緋沙子の声を無視して店を出た。よしっ。後はもうライブをするだけ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます