第三十三話 背氷ミナの夢

 結局ウンコに切れたことが原因で、女子高生たちは緊張がほぐれた様子。千里も加えてアタシ達はバンド談議に花を咲かせた。その間も入れ代わり立ち代わり、今日対バンしたメンバーも話に加わり、打ち上げは大いに盛り上がっている。


「ふぅー」


 アタシはというと、少し前にその喧騒から離れ、一人、外で秋の夜風に吹かれながら煙草をくゆらしていた。確かに最高の面子と最高のライブをして最高のイベントだった。打ち上げもライブも、心地いことこの上なかった。しかし、そう思う時には決まって緋沙子の言葉が頭をよぎっていた。


 ――「駄サイクル、内輪ノリ、生産性ゼロ、曲もよくない、下手糞、それで満足、それこそが心地いい。そんなふうに思うゴミクズが集まるのがライブハウスですよ」


 嗚呼、アタシもそんな人間の一員になってしまったのだろうか。訳の分からないイライラで頭をバリバリと掻いてしまう。


「どしたの、そんなとこで」


 声をかけられ振り向くとそこにはさっき乾杯の音頭を取ったブッキングマネージャーの背氷ミナさん。


「いやっははー。ちょっと夜風に当たりたいなーと」

「そっか。じゃアタシも一服」


 言いながらミナさんも煙草に火を点ける。ラブホの紙マッチだ、かぁーっこいい。


「ふー、ありがとね、今日は」

「どしたんですか、急に」

「いや、ちゃんと感謝を伝えたくてさ」

「ミナさんらしくも無い」

「いやなに、今日のイベントは私にとってもかなり大事なものでさ」


 そこまで言って少し言いよどむ。かと思ったら右手にぶら下げていたチューハイの五百缶を一気に飲み干した。


「酔わなきゃ言えない事なら、無理して言わなくてもいいですよー」

「いや、言わせてくれ。今日、お前らのおかげで、私の夢が一つ叶った」

「夢ですか」

「お前さぁ、ウチでライブするようになってどれくらいたつ?」

「確か……去年の年末に初ライブして、今十月ですから一年弱ですね」

「そっか、その間に糞みたいなライブってどれくらい見た?」

「正直に?」

「正直に」

「そりゃもう数えられないですよ。ド下手糞のコピーバンド、高校生の思い出作り、息子をステージに上げて親子デュエットを始めるジジイバンド。正直、ミナさんがいなきゃとっくにこんなハコ見限ってますよ」

「ははは、そりゃありがとな。でもさ、そんな奴等にも出てもらわないとやってけないのが、今のライブハウスの現実なんだ」

「対バンさせられる身にもなってほしいですけどね」

「そういう時は打ち上げの酒代安くしてやってるだろ」


 反論できない。何なら安いのをいいことに飲みまくってそんな糞みたいな連中とも随分仲良くなってしまった。今度下手糞高校生バンドの卒業ライブを見に行く約束もしている。多分号泣しちゃう。

 リフレインする緋沙子の言葉。


「それに、そんな奴等だって偶にはとんでもなく良いライブをしたりすんだぜ? そういうの見るとやめらんねーんだこの仕事」


 そこでミナさんは一息ついて煙草の煙を吐き出し、もう空のチューハイを再度煽った。


「でもさ、やっぱり思うんだよ。ライブハウススタッフとしては、バンドとライブに魅了された身としては、〝本気〟でやってる、カッコイイ、そして女だけのバンドを集めた、チケット代を払うに値するイベントを組んでみたいって」

「それが今日ですか」

「ああ、ぶっちゃけお前らに会うまでは諦めてた。というか腐ってた。そんな事できるわけねーって。そんなバンドいないって。でも亜希達のSGMGが現れた。衝撃だったよ」

「照れるなぁ」

「勝手に照れてろ。でも思ったんだ。なんだ、かっこいい、〝本気〟のガールズバンドいるじゃねぇかって。それから、私の夢も再始動したんだ」

「確かに、今日いいイベントでしたもんねぇ」

「ああ、90sエモとマスロックの相の子みたいなお前らと、スラッシュメタルかくやのリフとゴス系衣装のガールズバンド〝zodiac〟。ダブを取り入れたドープなサウンドかつ流行りのシティポップの雰囲気も上手く合わせた〝雨たらたら〟。アニソン直系電波サウンドとコスプレの〝真夜中の定期便〟。そして次世代を担うド直球ガールズポップ女子高生バンド〝Cook81〟」


 噛み締めるように今日の演者の名前を羅列するミナさん。この姿だけで今日のイベントの苦労がしのばれる。


「ははっ。色物ばっかりな気もしますけどね」


 そんなミナさんに少し嫉妬して水を向ける。私達だけ見てくれればいいのに。


「そうだよ。どのバンドも、余所では色物扱いされてたのを誘ったんだ。それもお前らを見て、夢が再始動したからできたことだな」

「嬉しい事言ってくれちゃって。じゃあアタシ達の前にはミナさんの心を動かすバンドはいなかったんだ」

「いや……一組、というか一人いたな」

「いたんかい!」

「うん、一人いた。今はもう何してるのかわからないけど」

「その人辞めちゃったんですか?」

「うん辞めた。と思う。少なくともうちにはもう顔を見せてない」

「へー、会ってみたかったけどなぁ」

「凄い奴だったよ。間違いなく〝本気〟だった。あんな酷い目に遭いさえしなけりゃと、今でも思うよ。あの子が、不知火緋沙子がいなくなったせいでアタシも腐ったみたいなもんだし」

「緋沙子が⁉」

「なに、知り合いなの?」

「はは、まぁ、ちょっと」

「へぇー意外。亜希が緋沙子とねぇ……」


 アタシは亜希さんの口から出てきた意外な名前に困惑する。いや、それよりも聞き逃せない単語が……。


「そ、それで、酷い目って、どんな?」

「……いや! やめよう。私が吹聴して回るような話でもないし。聞きたいなら本人からってな」

 

 確かにそうだ。しかし気になってしまう。そんなアタシの好奇心を遮るようにミナさんが口を開く。


「それより、このイベント続けるから。とりあえず次は来月! 十二月二十四日のクリスマスイブに組んだから空けとけよ」

「別に出るのいいですけど、ノルマ何とかしてくださいよ!」

「はは、まあそこはおいおいな」


 笑ってごまかすミナさん。ライブハウスはいつもバンドマンの財布を狙ってる。ペラペラの財布を思ってため息を漏らしていると背後のドアが開いた。


「おう、姿が見えんと思ったら何をしとるんじゃこんなところで」

「あ、七生。と、それは千里?」


 七生に抱えられるようにして出てきた人影にアタシは指をさす。


「全く、最近の千里はたるんどる。こいつ女子高生より先に潰れおった」

「それは流石に看過できないわねぇ。明日からみっちりしごいてやらないと」

「はは、あんまし問題起こさないでくれよ、打ち上げの不祥事のせいでイベントとり潰しなんて笑えないから! ちょっと中の様子見て来る!」


 バンドマンの酒癖の悪さを失念していたミナさんが冷や汗をたらしながら店の中へ飛び込んで行く。しかし一瞬立ち止まりこちらを 振り返ると大声で叫んだ。


「亜希ィ! 緋沙子に会えたら言っといて! このライブハウス〝テレポート〟は……少なくともこの背氷ミナは! アンタが返ってくるのを待ってるって!」


 言い終わると踵を返し、ライブハウスの中へ飛び込んで行った。


「なんじゃ? 今のは」

「はは、まあ、ちょっとね」

「なんじゃ、はぐらかすではないか」

「あはは……いーじゃんいーじゃん」

「ったく、しかしミナも可哀想じゃのう、中は地獄もかくやという様相じゃのに」

「具体的には?」

「アニソンとゴスのが盛り始めておっぱじめる寸前じゃ。舌入れとったぞ! 舌!」

「そりゃミナさん可哀想だわ」


 アタシはうん百年を生きる仙狐で、神使にまでなったうちのベースのあまりに下卑た物言いと、大慌てで百合の間に挟まるミナさんを想像して笑いが漏れた。


「で、アンタらはどうすんの?」

「ふむ、いいだけ飲んだし帰ろうかと思っておる。千里も潰れたしの。バイクに乗せて送ってやらねばなるまい」

「ほんと最初期が嘘みたいに仲良くなったわよねアンタら。というか七生、飲酒運転は流石に不味いでしょー」

「悪魔が言う言葉かそれ」

「公務員の遵法意識よ」

「バイトの癖に」


 ぶつぶつと文句を言いながら七生は懐から小さな巾着を取り出し、その中の丸薬を一つ、一息に飲み込んだ。


「何よそれ」

「仙狐のみが作れる酔い覚ましの仁丹じゃ。飲めば血中のアルコール濃度をたちまち下げる。ポリ公の呼気検査にも引っかからん優れモノじゃよ」

「うさんくさー……ってかそんな商品なかったっけ」

「ああ、日露戦争が終わったころじゃったかのぅ、どうしても作り方を教えて欲しいと言う人間がおっての。うっとおしかったから適当な嘘を教えたんじゃが、どうやらそれが大ヒットしたようじゃ」

「さらっと歴史に関わってんじゃないわよ」

「長く生きとるんじゃ、こういう事もある。お主は無いのかえ?」

「無いわねぇ……」

「意外じゃの」

「アタシは……自分で精いっぱいだから」

「儂等まで巻き込んで自分の為にバンドを組んだ奴が言うと説得力が違うわい」


 言いながら千里をバイクに座らせ、セルを回しエンジンをスタートさせる七生。


「それで、お主も帰るか? 帰ると言うならこの駄猫を送った後に迎えに戻るが」


 お願いしようかな、と口が動く直前、携帯が小刻みに揺れた。通知画面を見る。


「ごめん、用事できちゃったからそれ済ませてから帰るわ!」

「こんな夜中にかえ? まあよい、千里はお主の部屋の前にでも捨て置くからの」

「さんきゅ」


 そしてアタシは七生のバイクのエンジン音をしり目に、駅とは反対方向へと歩き出した。

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