間章 Are you surprised at that the devil is like me?
第三十一話 エフェクターを買いに行こう!
残暑にあえぐ九月の土曜日の朝、調布駅前ロータリー。二十三区外だというのに駅から吐き出され、そのままビッグカメラとパルコに飲み込まれていく無数の人波は、腐ってもここは東京都内だという意地を感じさせる。そんな事を思いながらアタシは一人の少女を待っていた。
「亜希さんやっほ」
背後から声かけてくる自称女子高生。アタシの待ち人、不知火緋沙子だ。
「やっほー。今日はありがとね」
「何言ってんですか。最近会えてなかったから嬉しいですよ! バンドはどうですか?」
「まぁぼちぼちかな? でもこないだドラムが失踪しちゃってさぁ」
「存続の危機じゃないですか」
「でしょ? ライブの予定は入れちゃってたもんだからドラムなしで敢行よ。軽い地獄。しかもベースが曲中にしれっとトイレ行くトラブル付き」
「前世でよっぽど悪いことしたんですねぇ……。それでドラムの人は帰ってきたんですか?」
「ある日ふらっと帰ってきてたわね、ホント人騒がせなんだから」
「そっか、亜希さんは、待っててあげたんですね……羨ましい」
「ん? 羨ましい?」
「あ、いやいや! 何でもないです! で、今日はなんの用事なんですか? 機材を選んで欲しいとか言ってましたけど」
「少し前のライブで機材に拘れって言われたんだけどひとりじゃどーもね……だからエフェクターを選んでもらおうと思って。ほら、ギターに繋いで足元に置いて、スイッチ操作で音を操作するカッコイイあれよ!」
「説明されなくても知ってますって。……ちなみにそれってどこでライブしたんですか?」
「ん? 前回と同じ吉祥寺のテレポートってとこだけど」
「またあそこですか……まぁ……いいところですもんね」
アタシは一瞬緋沙子の声に暗い影が落ちるのを聞き逃さなかった。しかしそれに言及するより早く緋沙子はいつもの調子に戻って口を開いた。
「そしたら始めましょうか! 亜希さんの機材収集行脚!」
「おっ、頼りにしてるわよ!」
「まぁネットで買うのが一番早いし安いんですけどねー」
「身も蓋も無い事を言うな」
*
京王線を乗り継ぎ、ついた先は緋沙子の馴染みの店があるという吉祥寺。そのまま連れられて店に入る。
「お前……ここっ! ハードオフじゃん! こんなとこにエフェクターなんてあんの?」
「ははーん、亜希さんまだバンドマンになり切れてないですねぇ。バンドマンには楽器屋=ハードオフですよ。国道沿いにハードオフを見れば即入店がバンドマンの義務です」
そう言って緋沙子は笑いながら店内をエスコートする。
「それで、今はどういう機材でライブしてるんですか?」
「今は……チューナーだけかな」
「それでどうやって音作ってるんですか⁉」
「アンプでなんとか……」
「呆れた……メロコアバンドですか貴方は。そりゃ足元に拘れって言われますよ」
「だって何買えばいいかわかんないんだもん」
「とりあえず歪系を買えばいいんじゃないですか?」
「ゆがみ……?」
「ひ・ず・み! 文字でしか成立しない定番ボケをやらないでください」
「アハハごめんごめん。でも歪系なら一つ欲しいのがあるなぁ」
「なんですか?」
「ほら、緋沙子と二人でスタジオ入った時に使った音も筐体もデカい奴!」
「ああ、BIGMUFFの事ですね」
「そうそうそれそれ!」
「一番初めにファズを選ぶのもどーかと思いますが、まあ値段も安いし、ちょうどショーケースに陳列されてるから好きなの選べばいいですよ」
「安いって……どれくらい?」
「中古の相場が六千円くらいですね」
確かに安い。安いが……。
「ほんとに大丈夫? あんまり安いと心配にならない?」
「まあエフェクターの世界にも、もちろん安かろう悪かろうはありますが、ことBIGMUFFに限っては大丈夫ですよ」
「そうなの?」
緋沙子は不安そうなアタシを見てにやりと笑って言う。
「ええ、信頼と実績のBIGMUFFは、いついかなる時でもスイッチを踏めばこちらの感情の高ぶりを、アンプから爆音で爆発させてくれます。だからさっさとあのピカピカの、何のレアリティも無い、やっすーい、現行BIGMUFFを買って、さっさと出ましょうよ。行くところはまだまだあるんですから」
*
それからアタシ達は都内を中心に何軒か楽器屋を回った。
「うーんなかなかいいのが見つかんないわね」
「主に亜希さんの懐事情のせいでね」
「まさかエフェクターってのがこんなに高いものだとは……」
「亜希さんは楽器関係を安く見積もりすぎです。世のバンドマンがなんで金ないと思ってるんですか。ライブハウスと機材に吸い取られてるからですよ」
「あいつらの古着信仰にはちゃんと理由があったのね……」
「ともあれ、池袋、渋谷、新宿と回ってきて、激安中古のFULLTONEのOCDと、安くて使えるでお馴染み、ARIONのフェイザーが買えたんです。ぼちぼちいいところなんじゃないですか? 欲を言えばディレイとかがあればもっと格好はつきますけど、まあそれは自分で頑張ってもらって」
「えー、緋沙子と一緒じゃなきゃヤダー」
「諦めてください。皆そうやって一人前のバンドマンになっていくんですから。まあおすすめくらいは教えますよ」
「今教えて今! 検索するから」
「亜希さんめんどくさいなぁ……。リバーブはBOSSのRV-3とかLINE6のVerbzilla辺りが中古でも安く買えるんじゃないですかね。ディレイは近い将来絶対値上がり確実のBOSSのDD-3をお勧めしますよ」
「了解了解。しかし種類があるのねぇ。最後に言ってたディレイだけでもほらこんなに」
アタシはスマホで検索して出てきたおびただしい数のディレイを緋沙子に見せる。
「その中からギタリストは一つ一つ選んでオリジナルの音を作るんですよ。亜希さんもビビっと来たのがあったら私のおすすめなんて忘れてそれを選んでくださいね」
「いやぁアタシはそんなこだわりとか……」
そこまで言ってスマホの画面をスクロールしていた手が止まる、何という事だ、ビビっと来てしまった。
「あ、あのさ、緋沙子、このディレイなんだけど、どう思う?」
「げー、マジすか亜希さん。イロモノ中のイロモノって感じじゃないっすか」
「い、いいじゃない。ビビっと来たんだから! しかもほら見てこれ! 立川で売ってるから実物見に行けるわよ!」
「今から立川行くんですか⁉」
「実物見てから買いたい派なの! アタシは!」
「勘弁してくださいよ」
「うるさい! いいから行くわよ!」
かくしてアタシ達はやっとたどり着いた新宿から小一時間かけて立川に向かった。ちなみに道中で欲求が高まりすぎた結果、件のディレイは試奏もせずに即決で買ってしまった。緋沙子の「ネット通販でよかったじゃん!」の声は全力で無視した。
*
「でもなんか嬉しいなぁ」
新品のディレイを買って気持ちはホクホク、財布はスカスカの帰り道、緋沙子が唐突に話しかけてきた。
「ん? 何が?」
「だって亜希さんのギターもエフェクターも私が選んだんですよ? ライブのときに嫌でも思い出すじゃないですか。そしたら私は亜希さんの特別って事じゃないですか」
「何訳のわからない事言ってんのよ。何度も言ってるけどアタシの性的嗜好は……」
「ストレート、ですよね。別にいいんです。それで。でも、亜希さん……絶対……絶対に忘れないでくださいね私の事……」
いつも快活で、小憎たらしくて、ふわふわとアタシを弄ぶ無邪気な緋沙子が、今まで見せたことが無いくらい不安な顔をして、自信なさげに、言葉を震わせながらつぶやいている。
「な、なによ急に。どうした? ぽんぽん痛い?」
「今日楽しかったですよね⁉ 一緒に居て楽しかったですよね⁉ だから……だから……何かあっても、絶対にこんな日々を忘れるなんて事しないで下さいね⁉ せめて……せめて、そのギターを弾いて、エフェクターを踏むときは……私の事を考えてください……お願いします」
「ちょ、ちょっと待った! アタシは別にアンタの事はほんとに仲のいい友達だと思ってるし! その……好きだし! 忘れるとかどうしてそんな……」
「……なーんてね! 亜希さんこんな演技に引っかかってたらほんとにそのうちストレートじゃいられなくなりますよぉ。魅力あるんですから。アハハ、じゃ私この辺で! また飲みに行きましょーねー!」
一転、どう見たって無理をしている空元気の笑顔を浮かべてまくしたてた後、追及を恐れるかのように走り去っていく緋沙子。
何だろう、アタシはあの深夜のスタジオの時みたいに弄ばれたの……か……? でもどう見たってさっきのは本気で、今のは嘘に見えた。じゃあなんで? なんでアタシ? あーもうわからん!
「緋沙子!」
気づけばアタシは小さくなっていく背中に大声を上げていた。なんというか、このまま別れて良いはずがない。くるりと振り向く緋沙子。でもなんだ、言葉が続かない。そんなときにポケットに突っ込んだ手からくしゃりという感触。思わずそれを引っ張り出して口を開く。
「あ……あのさ! 今度〝テレポート〟でライブやるんだ! よかったら来てよ!」
〝未来の繋がりを求めて〟いつだか七生が言っていた言葉を思い出す。でもこれはそんな高尚なものじゃない。今アタシの右手に握られているチケットは、不安定な緋沙子を不安定なまま、友達なんて緩い言葉の関係に繋ぎ止めておきたいアタシの下心だ。
「あはは! 嫌です! ライブハウス嫌いなんで!」
緋沙子は笑いながらそれを拒絶し、立川駅の人ごみの中に消えて行った。
アタシは右手にぶら下がるエフェクターの楽し気な重さの残り火と、頭にこびりついて離れなくなった不知火緋沙子を思ってため息をついた。
相手の事が頭から離れなくなるのが恋だと言う。ならば今のアタシの状態がそうではないと誰が言えるだろうか。
「ほんとに、ストレートとか言ってられなくなるかも」
*
「それで、亜希しゃんが買ったというエフェクターはどんなのなんでしゅか?」
「ビビっときたんじゃろう? 楽しみじゃのう」
次の日の深夜、エフェクターのお披露目を兼ねた練習で七生と千里はそんな事を言ってくる。
「ふふん、まさにアタシの為にあるみたいなエフェクターよ! 刮目しなさい!」
そう言って真新しい箱から取り出したのは少し大きめのディレイ。Sound Project 〝SIVA〟の「Are you surprised at that the devil is like me?」というエフェクターだそうだ。でも名前なんてどうでもいい。アタシが何より惹かれたのは、筐体にでかでかとプリントされた萌えアニメ調の可愛い眼鏡の女悪魔。どこか清楚でフェミニンな格好でアンニュイな顔をして本を読んでいるが、そのカラダには悪魔の証である角と羽が見事に生えている。
まさに私のまんま。私の為にあるようなエフェクターだ。
「だっさ! なんじゃこれ! 痛車ならぬ痛エフェクターではないか!」
「亜希しゃんにそんな趣味があったとはドン引きでしゅ! オタク! 腐女子! 人間関係を×で繋げてそう!」
「うるっさいわね! 悪魔のアタシが使う悪魔のエフェクター! こんなにぴったりの物はないでしょうが!」
「「安直すぎる」」
「な、なによ、これは機能も凄いんだから! ミニスイッチをスクリームモードにして……」
「おっそろしいモードじゃのう……」
「ビッグマフを踏んで、ギターを弾いて、更にこのシャウトスイッチを押し込めば!」
瞬間、アンプから耳をつんざく、壊れたかと思う様なノイズが飛び出した。たまらず耳を抑える七生と千里。
「どーよ! このノイズサウンドが思いのままに操れるのよ!」
「うるさい! 耳がイカれるかと思ったわ!」
「それがいいんでしょうが!」
「バンドのグルーヴを壊しとる!」
「分かってないわね! 壊してもう一回作り直すのよ! スクラップアンドビルド!」
言い合うアタシと七生を見て、千里がため息交じりに口を開いた。
「まさに悪魔の叫びというべきクソノイズでしゅたが、一つだけ確かな事があるでしゅ」
「なによ」
「今の持ち曲の中にその悪魔的なノイズが使える曲は一つもないでしゅ。無駄な買い物ご苦労様でした。いくらしたんでしゅか?」
「……税込み三万二千円」
かける言葉も無いと言った調子で天を見上げる七生と千里。
「うるさいうるさいうるさい! でもアタシは絶対これを使うもん!」
アタシの絶叫は深夜のスタジオに悲しく響き渡った。
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