第二十六話 メロンソーダとチリドック

「あの子……胡桃沢悠木(くるみざわゆうき)っていうの……高校の同級生だったんだ……」


 半グレもとい胡桃沢の来襲から一時間後。女は荒らされた部屋を片付けもせず、三角座りに顔をうずめてぽつりぽつりとつぶやき始めた。部屋にはボク以外誰もいない。深くうなだれ、涙を流しながら言葉の通じない相手に向かって話す姿はまるで懺悔みたいだった。


「高校生のとき……私、ゴリゴリのギャルでさ。で、中心になっていじめてた」


 暇つぶしがてらボクは話を聞く。いや嘘だ。図書館勤務なんてお堅い職業をやっている女の家に突然半グレ胡桃沢がやってくるなんてどう考えてもおかしい。その因縁には滅茶苦茶興味がある。


「当時のあの子、今からは考えられないくらいのいわゆる陰キャで……殴る、蹴る、ハブる、金を奪う、水をかける、全裸にする。思春期真っ只中の私達はブレーキなんかなかった」


 途端にボクの中に少しはあった女への憐憫の情は吹き飛んだ。なんだ、こいつも他人を食いつぶして娯楽にしてきた人間なのか。死ぬまで苦しめばいい。


「結局胡桃沢は学校をやめて……私は地元の大学に進学した。胡桃沢が退学したことにちょっとは良心が痛んだからギャルも辞めて、真面目に通ったの」


 形だけの反省で加害者だけが得をする。いつもそうだ。ボクはこの女の顔面に唾を吐いてやりたくなった。


「でも大学三年のある日、ばったり出くわしたの。街の繁華街で。最初は別人かと思ったわ……彼女は髪を染めて、刺青を入れて、ピアスを開けて、半グレになってた。そして私を見つけて近寄ってきて……笑って言ったの」


 ――『大丈夫、忘れてねーから』


「それからの大学生活は地獄だった……彼氏は胡桃沢の半グレ仲間にボコボコにされて私から逃げて行ったし、私はことあるごとに胡桃沢に呼び出されて、昔のいじめの報復をされた。そっくりそのまま同じことを」


 自業自得だ。


「殴られて、蹴られて、金をとられて、縛られて、焼かれて、切られて、汚されて……ブレーキの壊れた胡桃沢を見て、あの子の思春期はまだ終わってないんだって思った。私達が面白半分で破壊した思春期は、まだあの子の中で荒れ狂ってる」


 自業……自得だ。


「反省してる。本当に。だから警察なんか……誰かに助けなんか求めちゃいけないってわかってる。私が一人で耐える以外、贖罪の方法なんてない」


 ……。


「でも、私、弱かったんだ。自分の思うより何倍も。だから今度は私が全てを捨てて逃げ出した。必死に東京で就職先を探して、実家とも絶縁して、夜逃げ同然に地元を飛び出してここにきたの……なのにどうしてこの場所が……」


 女はそこで耐え切れず声をあげて泣きながらうずくまってしまった。その姿はあまりにも弱々しくて、哀れで、ボクは唾を吐きかけてやりたい気持ちも自業自得だと思う気持ちもどこかしぼんでしまい、つい、駆け寄って顔についた涙を舐めてしまった。


「ありがとう……黒丸……でも私……怖い……あの子がこれからどんなことをしてくるか……でも……全部元を辿れば私がまいた種で、あの子は被害者だから……でも……」


 その痛々しい声にボクも思わず「にゃあ」と返してしまった。どんな気持ちがこもっていたかは自分でもよくわからない。


 *


 翌日の早朝。女がまだ眠っている時間にボクは起こさないよう静かに家を抜け出した。目的は吉祥寺で人に会う事。オートロックのマンションから外に出るために人に変化したり、服を作るのに体力を持って行かれたが、今はしょうがない。


「はぁはぁ……家から出るだけでひどい有様でしゅ……」


 歩いて向かっていては確実にガス欠だ。都合のいい脚を頼らなきゃ。


「なんじゃ」


 フォックステールモータース。信じられないくらいのダサい名前とさらに上を行くダサさのロゴを得意げに入口にでかでかと示している頭のおかしいバイク屋のドアを荒い息でノックすると、起き抜けの不機嫌そうな顔をした店主が出迎えてくれた。


「はぁはぁ……七生しゃん……朝からすみましぇん……」

「うお! 千里! どうした死にそうな顔をして!」

「ちょっと……無謀な距離を歩きましゅた……七生しゃんが起きててくれて助かりましゅたよ」

「なに気にするな。一体どこから歩いてきたというんじゃ!」

「ちょ……調布駅から……」

「歩いて十五分ではないか。まあいい。とりあえず中に入れ」

「助かりましゅ」


 ボクは促されるままに油臭い店内に入り、店内の椅子にどっかりと腰掛ける。


「で、用件はなんじゃ」

「あっついでしゅねぇこの店。エアコン位付けたらどうなんでしゅか?」

「今壊れとるんじゃ。用件を言え」

「それにクソ暑いのにアツアツのコーヒー出すのもどうかと思いましゅねぇ。ボクはその名の通り猫舌でしゅよ?」

「その舌が半分無くなっとるんじゃから感じる熱さも半分になってちょうどよかろうが。とにかく用件を……」

「あー! 今ボクのパーソナルな部分をあげつらって軽い冗談として一笑いを狙いましゅたね! そのモラルの無さにもびっくりでしゅが、クッソつまらない事にもびっくりでしゅ! あの世で母様もブチギレ案件でしゅよこれは! 〝クソ狐に滑りの道具にされるために私ゃ娘の舌を噛み千切ったわけやない!〟って! 謝ってくだしゃい! 母様に謝って……」

「うるさい! 用件を言えい!」


 シバかれた。


 *


「吉祥寺ぃ? んなもん電車ですぐじゃろが」


 ぶつくさ言いながらも表に停めてあった七生の大型バイクにまたがる七生の後ろにボクは跨る。本当にちょろい狐だなぁ。


「ったく何が悲しくて後ろに千里を……どうせなら亜希がよかったのにのう……」

「そういえば僕がいない間に亜希しゃんとの仲を進展させるとか言ってたのどうなりましゅた……ひぎゅっ!」


 僕が言いきらない内に七生はバイクを急発進させた。どうやらあんまり上手く行ってないみたいだ。いい気味。


 ――吉祥寺駅前


「ほれついたぞ、ああ、煙草が吸いたい」

「お疲れ様でしゅ。ロータリーの端っこのコンビニの横が喫煙所でしゅよ」

「おお、気が利くの」

「ついでに煙草を吸いつつ他の人間に紛れて居てくだしゃい。しばらくしたら路地の入口の所に明らかに雰囲気の違うアジア系の外国人が来ましゅ」

「ん?」

「しばらくするとその外国人に誰かが話しかけて小袋と現金を交換しましゅ。その外国人に話しかけてこの紙を〝外道〟という人物に渡してくれと言って欲しいでしゅ。名前に心当たりが無ければ自分の知っている中で一番偉い人間に渡すようにとも」

「と、取引ではないか! 嫌じゃ! 反社とは関わりとうない!」

「大丈夫でしゅよ。七生しゃんは取引しましぇん。ただのメッセンジャーでしゅ」

「ほんとじゃろうな」


 ぶつくさ言いながらもがらもボクの渡した紙を受け取り、広げて書いてあることを見ようとする七生。


「中は見ないほうが良いでしゅよ。反社と関わり合いになりたくないなら猶更でしゅ。あしらわれた時は二万くらい握らせてくだしゃい」

「危なっかしいのう……。それにさらっと言うたが二万というのは誰が出すんじゃ」

「必要経費は亜希しゃんに請求してくだしゃい」

「お・主・に! ツケておくからの! クズムーブが何でも許されると思ったら大間違いじゃ!」

「返すアテはないでしゅよ?」

「それでもじゃ。なんで儂が片恋相手を反社の資金源にするような真似を」

「細かいでしゅねぇ……」

「そもそもなんで儂がそんなことせにゃならん! お主がやればよかろうに!」

「また当たり前のことを……ボクの見た目は子供でしゅよ? 煙草なんか吸ってたら一発で通報されて終わりでしゅ。そのおつむでよく店舗経営なんかできてましゅね。それじゃ、ボクはそこの喫茶店で待ってましゅからせいぜいお使い頼みましゅよ。あ、ふと思ったんでしゅけど神使にお使いさせるなんてまるで僕が神様みたい……」


 言い終わらない内にシバかれた。暴力狐め。


 *


 クーラーの効いた心地よい喫茶店の店内、流れる音楽の迫力のあるドラムに誘われてついついメロンソーダとチリドックを注文。優雅な時間を三十分ほど過ごしたところで七生が汗だくで歯噛みしながら現れた。


「他人に面倒をおしつけてっ……儂はなにも関係ないのにっ……そもそもそれは誰の金っ……うがああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァアイスコーヒー一つ!」


 七生は窓際のテーブル席で優雅に遅めの朝食をとるボクを見つけると、ばりばりと綺麗な銀髪を掻き毟りながら店員に注文を怒鳴りつけた。


「ふひっお疲れ様でしゅ」

「おう……。それで件の外国人は紙と二万渡したらしきりにサービスサービス言いながらこんなものを渡して来たんじゃが」


 そう言って七生は小さなビニール袋に入った乾燥した草の塊を取り出す。


「それは関係ないでしゅ。本当にサービスなんでしょ。これからもごひいきにって奴でしゅ」

「サービスったって……何なんじゃこれ」

「大麻でしゅね。そんな大っぴらに見せびらかさずに早いとこ使っちゃったほうが良いでしゅよ。使用に罰則はないでしゅけど所持は逮捕されちゃいましゅからね」

「狐火ィ!」


 七生の握るビニール袋が一瞬この世の物とは思えない鮮やかな朱色で燃え上がった、と思ったら煙も臭いもなく消え、後の手にはビニール袋はもう残ってはいなかった。


「お主……結局儂を反社と取引させたではないか! 一介のバイク屋に何やらせとんじゃ!」

「知らないでしゅよ! サービスだって言われてウキウキで持って帰ってきたのはそっちでしゅ! 乞食根性が染みついてるいやしんぼだからそんな目に遭うんでしょうが!」

「ぐ……まあよい。して儂は何の用事をやらされたんじゃ。そろそろ教えてくれてもいいじゃろ」

「後は待つしかないでしゅからちょうどいいでしゅ」


 ボクは昨夜の一件を包み隠さず七生に話した。


「ほう、つまり正体不明の〝胡桃沢〟とかいう半グレがお主の仮の棲み処に押し入ってきたと。それでお主は今の飼い主に情が湧いて助けてやろうと行動をしとるわけじゃな⁉」

「なんでちょっと嬉しそうなんでしゅか」

「情が湧いたんじゃろ? ん? クズがどうのとか言うて家出したはいいがその家出先でもまた同じことを繰り返すとは本末転倒じゃの! カカカ、アホの迷走でコーヒーが美味いわい!」

「残念ながらボクには七生しゃんのような行き過ぎたおせっかい気質なんかありましぇん。名前も覚えてない女相手に湧く情なんて生憎持ち合わせてないでしゅ。怠惰と暴食を満たしてくれる金満なあの家を手放すのが惜しいだけでしゅよ」

「まあそう言う事にしといてやろうかの。それで、あの紙はなんじゃ、〝外道〟って誰じゃ」

「〝外道〟っていうのはこの辺りの半グレの元締めやってる女でしゅ。あの紙にはボクと〝外道〟しか知らない秘密が書いてあるんでしゅよ」

「物騒な話になってきたのう」

「しょうがないでしゅ。昔からこの辺の住吉会系ヤクザと水面下でバッチバチにやり合ってきた集団のリーダーにお使いを頼むんでしゅから」

「おいおい、ヒキニーにはちと荷が勝ちすぎる相手ではないか」

「ちょっとした知り合いなんでしゅよ。っと、もうお出迎えでしゅね」


 気づけばボクと七生が座るテーブルの周りには、いかつい刺青を見せびらかすようにタンクトップを来た若い輩に囲まれていた。窓の外には黒塗りのSUV。


「ちょっとしたら戻りましゅから七生しゃんは待っていてくだしゃい」


 不安そうな顔の七生を店内に残したままボクは輩たちに促され、店を出ると車に乗り込んだ。

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