第二十五話 「味がしなくなるまでしゃぶってやるからサ」

 深夜、女はビールを三本とワインを一瓶あけた後、そのままソファで眠ってしまった。ボクはキャットタワーの頂上から飛び降りフローリングに着地、そして冷蔵庫に向かって一歩、二歩。足を進める度にボクの体は人間のそれになっていく。三歩目は五指が綺麗にそろった人間の足で踏みだした。


「あったあった。恋路の上手く行かない独身OLの冷蔵庫の中には、黒ラベルがぎっしり。さみしいでしゅねー」


 ボクはビールがぎっしり詰まった冷蔵庫に若干テンションを上げつつも、女を起こさないように小声のクズ発言でここ数日のガス抜きをする。そしてそのままプルタブを開け、一本、二本と喉にビールを流し込む。


「くぅーっ! やっぱりたまんないでしゅね人の金で飲む酒は。つまみないでしゅかつまみ」


 言いながらごそごそと冷蔵庫を漁る。起こしさえしなければ冷蔵庫の中身が減っていてもバレる事はないだろう。よしんば訝しがったとしたって、あの女は飼い猫が人間の姿になって飲み食いしているとは夢にも思うまい。まったくちょろい女でよかった。ボクはこの家に来て初めてあの女に感謝した。


 *


 意識は軽くふわふわとした心地、もうこれくらいでいいだろう。また猫の姿に戻り、寝床に入ろうとした時、ふと、女の寝ているソファの傍ら、ローテーブルの上で振動するスマホが目についた。真っ暗な室内に白い光で浮かび上がる数字の羅列。登録されていない番号だ。


 ――『まだ携帯の番号すら教えてもらってないし!』


 そう言っていた女の言葉を思い出す。もしかして、深夜に女の思い人からの着信か? しかしタイミングが悪い。女は起きる気配がない。朝になって着信履歴を見たところで見知らぬ番号にかけ直したりはしないだろう。出るなら今しかない。


「何を考えてるんでしゅか、あのクソ女の恋路なんてどーでもいいじゃないでしゅか」


 そう呟いてボクは携帯を無視して猫の姿に戻り寝床に……。


「戻れれば楽なんでしゅけどね!」


 ボクは助走をつけて思いっきり、ソファで眠る女の真上に飛び上がった。そして落下する瞬間、猫の姿に変化。そのまま全体重で鳩尾に着地。ゼロコンマ数秒後、女がとても人間の物とは思えない悲鳴を上げて飛び起きる。


「がぁぼぅっ! ぼおぅえ! なに⁉ なに⁉」


 目を白黒させながら寝ぼけた調子でボクを見る女。しかしボクはそれをすべて無視して机に飛び移ると携帯を鼻で女の方へ差し出す。


「ふぇ……携帯? なってる?」


 寝ぼけたままよくわからずに電話に出る女。ボクの役目はこれで終わり。相手が本当に意中の女かどうかも興味はない。


「はぇ? はぁ。再配達で私の住所ですか? 調布市の……」


 寝床に潜り込もうとしたときに聞こえてきた声からどうやらボクのした事はおせっかい以外の何物でもないことが分かった。少しバツが悪い。いや、ボクはクズなんだからここまで気を回してやった事に感謝を求めるようなメンタルでなきゃだめだ! そら女、眠たい体を引きずってボクに感謝の言葉を言いに来い!


「はぁねむ。ねよ」


 しかし女はそう呟いただけでまたソファの上で眠ってしまった。まったくクズりがいの無い女だ。そもそもソファーで、あんな薄着で寝るなんて。初夏とはいえまだ夜は冷えるのに。風邪ひいちゃうぞ。


「……」


 一度気になったらボクは眠れないタイプ。ため息をつきながらもう一度寝床を出て、人間の姿に変化する。


「これは、ボクの安眠の為にやってる事だからむしろクズ寄りの行動でしゅ。DV彼氏がたまに見せる優しさと同じ種類でしゅ」


 ボクはそんな言い訳だか何だかわからない言葉を呟きつつ女の体に毛布を掛け、今度こそ寝床に戻って瞼を閉じた。


 *


 翌日、土曜日。僕にとっての最初の試練がやってきた。


「ねぇ黒丸聞いてよぉ……あのハゲ館長がさぁ……」


 仕事の愚痴を二時間。間に昼飯を挟み、今度は例のコイバナを五時間。興味のない話は時間が流れるのが遅い。ボクは時に「にゃあ」と鳴き、更に「にゃあ」と鳴き、終いには「にゃあ」と鳴いた。女はそれだけで満足な様で、ここまでくると少しばかり哀れにも感じる。


 午後五時、初夏の太陽の照り付けが少し緩み、辺りが夕やみに支配される薄暗い時間。唐突にインターフォンが鳴った。


「あ、そうだ、荷物届くんだった」


 そう言って数時間堪能したボクの体を開放して玄関へと急ぐ女。やれやれ、また何かの猫飼育グッズを買ったんだろう。楽しげに笑っている。


「はいはーい、今あけまーす」


 女の笑顔は玄関のドアを開いた瞬間に凍り付いた。

 ものすごい勢いでドアを閉める女だったがガンっという衝撃音はドアを閉じきる前に鳴った。どうやら足でも差し込まれたらしい。そしてそのまま玄関を押し開き、室内に侵入してきたのはアマゾンの配達員などではなく見知らぬ女。しかも一目見てわかる程の柄の悪さ。金髪、耳と口にはいかついピアス、supremのコラボジャージにスウェットをオーバーサイズに着こなす見事な半グレスタイル。


「あ、アンタ……なんでここが……」

「あーあー。そういうの良いからさ、とりあえず金。あるだけ出して」

「い、嫌よ! 警察呼ぶわよ」

「声震えてるよーっとぉ!」


 言いながら半グレは女の顔面を思いっきり殴った。もんどりうって倒れる女。


「警察警察警察ぅー? お前が呼べる立場だと思ってんの⁉」


 倒れた女を無視して半グレは室内をうろつきながら目に入るものを破壊する。キャットタワーを蹴り倒し、ローテーブルをひっくり返し、流しの食器を床にたたきつけた。


「ふぅー、とりあえず金。分かってんでしょ」


 女は震える手で鞄を手繰り寄せると中の財布から金を取り出そうとしたところを財布ごと半グレに奪われた。


「三万かよー、しけてんなぁ。おっキャッシュカードあんじゃん。暗証番号は?」

「……」

「暗・証・番・号・は⁉」


 震えながら地面に座る女に一言ずつ蹴りを浴びせながら半グレが二度目の質問をした。


「な……7238……」

「おっけ、クレカも一緒?」

「はい……」

「カード止めたら殺すから。じゃあ最後にこの家の鍵、出して」


 もう女に抵抗する気力は残っていないようだった。大人しく言われるままに鍵を渡す。


「とりあえず今日はこれくらいで帰ってやるけど、これからはこんなんで済むとか思うんじゃねーぞー」


 そう言い残すと半グレはキャハキャハと高笑いをしながら玄関のドアを開けて出て行った。嵐のような襲来だった。と思う間もなくもう一度玄関のドアを開き顔だけ突き出してこともなげに言った。


「あ、そうだ。あーし明日からここに住むから。ちょっと追われてるんだよねー」

「そんな、困る……」

「大丈夫大丈夫。仕事の事とかも考えて殴るって!」

「ね、猫がいるし!」

「ん? あーしも猫好きだよ。もちろんお前の事も」


 舌なめずりをする半グレ、ベロはまるでボクの尻尾みたいに二股に別れていて、中央部には大きな銀色のピアスが見えた。見事なスプリットタン。


「味がしなくなるまでしゃぶってやるからサ。覚悟しとけよ。お前があーしをこうしたんだ」


 地獄の同棲生活スタートの合図。女は崩れ落ちて泣いていた。

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