第三章 クズ猫・猫島千里

第二十三話 ストイック・クズ

 ボクは街を四本足で歩く。日陰を、物陰を飛び石の様に渡り歩く。人間よりはるかに低い視線の癖にそれでも下を向いてしまうのは生来の気弱さからだろうかとふと自分が馬鹿らしくなる。こんな薄汚れた黒猫など誰も見てはいないのに。


「店の前で何やっとるんじゃ阿呆が」


 急に降ってくる、無遠慮で下品な声。


「……ちょっと前まで一升瓶抱いて亜希しゃんの家で寝てた七生しゃんがなんでこんなところにいるんでしゅか」

「ふん、一国一城の主を舐めるなよ? 前日どれだけ痛飲しようが開店時間になれば何のそのじゃ」

「うーわ、昭和っぽい体育会系でしゅねぇ。前回のレディースの事といい、過去を捨てきれてないのは亜希しゃんじゃなくて七生しゃんなのでは?」

「儂は内面を時代に合わせて柔軟に変化させとるからの。外面は時代遅れくらいでちょうどいいんじゃ」

「言い訳ご苦労様でしゅ。じゃ、ボクはコレで」

「待て、どうせ開けても店は暇じゃ。奥で一杯茶でも飲んで行かんか」

「遠慮するでしゅ。何が悲しくて七生しゃんと顔付き合わせて渋い茶なんて」

「ほう、家出猫に行く当てなどあるのか?」


 *


 今、ボクの目の前にはボウルに盛られたミルク。


「すまんの、茶でもと言うたがその恰好ではこっちのほうが良かろうと思っての」

「要らない気遣いどうもでしゅ」

「何、気にするな」


 このクソ狐、皮肉も通じないのか。


「で、どうして家出なんかしてきたんじゃ」

「なんで家出だってわかるんでしゅか?」

「たわけ、獣の姿で、思い詰めた顔をして歩くお主を見れば誰でも想像がつくわい。亜希と喧嘩でもしたか」

「……亜希しゃんには何も言わずに出てきました」

「薄情な奴じゃのう」

「もともとクズでしゅから」

「で、理由はなんじゃ。お主が寝ておるだけで金と飯が出てくるあの家を早々捨てるとは思えんが」

「それは……」


 言葉に詰まってしまう。詰まってしまうが何とか家出に至った理由を自分の喉の奥から引っ張り出した。


「……亜希の家とか、バンドとか。ボクなんかが居場所なんか作っていいのかなーって、思っちゃったんでしゅよね」

「カカカ、人外の身で一丁前に居場所ときたか。うぬぼれるな、この人間社会において儂らの様な人外は所詮異物。居場所など初めからないんじゃよ。現世なぞ、各々の消える時が来るまでの止まり木じゃ」

「じゃあ七生しゃんはこの間のライブ、気持ちよくなかったんでしゅか」

「……それは……まぁ……楽しかったが……」

「止まり木にだって、居心地が良ければ仲間が集まって巣をつくるでしゅ。それはもう立派な居場所になっちゃうんでしゅよ。ボクはあのライブで亜希しゃん、七生しゃんと、心が一つになったのを感じました」

「そうじゃなぁ……儂も言っていてむず痒いが、仲間意識のようなものが芽生えておる。そうでなければお主を店に入れてもてなしたりせん」

「でしょ? だからそこに僕がいてもいいのかなって」

「いいに決まっておろう。クズの癖に何を殊勝な」

「言い方が悪かったでしゅね。ボクはクズで居続けるために、出て行かなきゃいけないと思ったんでしゅよ」

「そんなストイックなクズがおってたまるか。それにそう思うならまずは一番に亜希に相談せんかい」

「亜希しゃんには……なんだか言えないんでしゅよね……ボクの過去も絡んできますし」

「一番ヘヴィな出生の話を打ち明けといて何を今更」

「なんで七生しゃんが知って⁉……まぁ亜希しゃんが喋ったんでしゅね」

「そうじゃ。なんせ、儂は亜希の唯一の親友じゃからの。いつぞやの同棲マウントの意趣返しじゃ」

「器がちっちゃ! でもまぁ、ああいう、完全にボクが可哀想で終わる話は別にいいじゃないでしゅか。でもボクのクズい半生、そうそうそんな話ばかりじゃなくて」

「例えば?」

「人型に変化できるようになった時、金を稼ぐためにボクがしたのは女を騙してソープに沈める悪徳スカウトマンと薬物のプッシャーでした」

「反社! 今すぐ出ていけ! 雑誌に撮られる! 店の危機ー!」

「仲間意識はどこいったんでしゅか。でもこうでもしないと生きられなかった。時間をかけて人外になったワケじゃないボクは妖怪社会からも隔絶されたまま放り出されたんでしゅから」

「まぁ一応、人外の世界にもセーフティネットらしきものはあるにはあるが、特に妖怪界隈だとすり抜けるものが多いとは聞くの」

「そうやって生きる中で、ボクは爪と牙ともう一つの武器を手に入れたんでしゅ。〝クズ〟っていう武器を」


 ボクは空になったボウルに映る自分の歪んだ顔を見た。いつからだろう、こんなに不健康な顔になったのは。


「クズであれば他人を地獄へ叩き落としても、平気でその夜のご飯を美味しく食べられる。だってクズだから」

「お主にとってクズは生きるための術だったんじゃのう」


 七生が煙草の煙をぷかりと口から吐き出して、あまり興味なさげに言う。四百年間、世の中を裏と表、両方から生きていれば、こんなのありふれた話なんだろうな。


「だから亜希しゃんに嫌われたくないなんて思ってる時点で、もうボクはダメになってるんだと思いましゅよ。誰に嫌われたって、へらへら笑って次の瞬間には忘れてる。それがクズのボクでしゅから」

「なるほどのう……じゃが別に良いのではないか? お主の言うダメになったとしても。悠久を生きる人外はそうやって変わっていくものじゃ」

「……それじゃ、困るんでしゅよ。どうせ七生しゃんも亜希しゃんもボクの事を憎んで、疎んで、蹴り出すんでしゅから。その時にクズって武器が無けりゃ死ぬだけでしゅ。だから今、出て行くんでしゅよ」

「はっ、何を言うかと思ったら。儂等の懐の深さも知らずに良く言うわ」

「確率の話でしゅよ。ボクは実の親兄弟からも愛されず、殺されそうになった存在でしゅ。そんなボクを七生しゃんと亜希しゃんだけが好いてくれる確率なんてとてもとても」


 言っていて自分が情けなくなった。でもどうしようもない。ボクには本当に世界がそう見えるんだから。


「まったく。思春期のメンヘラみたいな思考しとるのう。普通はそういう煩悩を全部悟ってこその人外というもんじゃが……」

「じゃあ七生しゃんは悩みなんて縁のないものなんでしゅね」

「……忘れてくれ。儂も似たようなもんじゃったわい」

「でしゅよね。そーとー拗らせなきゃ神使のクセに神社飛び出してバイク屋なんかにならないでしゅもんね」

「口の減らんメンヘラ猫め。しかし、お主がそこまで考えておるなら、儂も引き留めはせん。どこへなりとも行くがよい」

「意外でしゅね。亜希しゃんが悲しむとか言って引き留められるかと思ったのに」

「その時は亜希の心の隙間を体で埋めるまでじゃ。むしろ亜希との四百年間まんじりともせん関係を進めるチャンスじゃよ」

「うえー気持ち悪ー」

「ふん、どうとでも言え。それにの、童話にもあるじゃろう。幸せの鳥というのは存外、近くにおるものじゃ。家出や彷徨なんぞそれを確認するための作業にすぎん。存分に自分探しの旅をしてくるがよいわ。その間、儂は亜希と濃密な時間を過ごさせてもらう」

「どうぞご勝手にでしゅ。じゃあボクは行きましゅから。ミルク、ごちそうさまでしゅ」

 

 そう告げてボクは七生の店を出た。

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