第二十一話 儂、やっぱりこんなバンド辞める
「それ、何を燃やしてるんですか?」
ひとしきり泣きはらし、落ち着いた様子のこのみがドラム缶の中身をつつく儂の肩越しに声をかけてくる。
「なに、さっきまで来ていた特攻服をな」
「ええ⁉ い、良いんですか⁉」
「大丈夫でしゅよ、昨日ドンキで買ってきたコスプレグッズらしいでしゅから」
いつの間にか物陰から出て来ていた千里がなれなれしく声をかける。こやつ相手が子供じゃと途端にコミュ障直るんじゃな、とことんクズじゃ。
「いやこれは……私物じゃ。若気の至りじゃな」
「い、いいんでしゅか⁉ 燃やして?」
「しょうがなかろう。儂は立派な住居侵入犯。器物破損と暴走関係の罪も加わるお尋ね者じゃ。大勢の人目に触れて、動画にも映ったであろう証拠は隠滅せんとな」
「でも大切な物じゃ……?」
「かかか、案ずるなこのみ。今更こんな特攻服、恥ずかしさこそあれ、名残惜しさなど欠片も無い。押し入れの隅で捨てられるのを待つだけの代物じゃ。最後に一暴れできてこやつも本望じゃろうて」
そう言って儂は昇る煙に手を合わせる。儂の恥ずかしい過去よ、安らかに眠れ。
「ま、七生しゃんがいいならいいでしゅ、どうでも。それよりバイクって凄いでしゅねぇ。ボクも乗ってみたくなりましゅた。免許はどうにかするんであのバイク譲ってくだしゃいよ」
「無理じゃ」
「まだボクの事怒ってるんでしゅか? 全くケツの穴の小さい……」
「そういう意味ではない。他のバイクならいざ知らず、あのバリオスⅡはもう存在せんから無理じゃと言っておるんじゃ」
「は? どういう事でしゅか?」
「どうもこうも無い。犯罪に使ったバイクじゃぞ。ナンバーも昔手に入れた偽造品じゃし、いの一番に手配しておいた馴染みのスクラップ業者のトラックに積み込んだわい。今頃プレス台の上じゃろうて」
「事後処理が手慣れすぎてて気持ち悪いでしゅ……ボクはクズでしゅけど社会に迷惑与える度合いで言ったら七生しゃんの方がよっぽどでしゅね」
「七生さん……流石に反社との付き合いは……」
「な、何をドン引きの顔で見とるんじゃ! それに反社ではない! まっとうな業者じゃ! 儂の頼みならと快く引き受けてくれただけじゃ!」
「もう七生しゃんが反社じゃないでしゅか」
「違う! 儂はただの中古バイク屋じゃ! ただ逃げられる罪で捕まるのは阿保らしいと思うだけじゃ!」
「七生さん、逃げられる罪なんてないんですよ」
「なんじゃいこのみ! 随分偉そうに喋るようになったのう! じゃが確かに逃げられる罪などないな。逃げ切ってしまえば罪など初めから存在せんのじゃ!」
「倫理観ー! 七生しゃんの倫理観ちゃんどこでしゅかー! 警察に捕まる前にでてきてくだしゃーい」
「ふん、そうやって騒げばええ、それにポリ公如きに捕まる儂ではないわ」
「はい、お呼びのポリ公でーす」
背後から聞こえてきた見知らぬ女性の声に儂ら四人は一斉に振り向いた。
「ゲ、お主は……」
見知った顔じゃった。見るものを威圧するPOLICEの文字が入った制服にやる気なさげなたれ目と長髪。調布警察署交通課所属の刑事、狸穴里香。当の昔に一線は離れたと思うておったが。
「七生さぁ、アンタ久々にやったねぇー。わざわざ新人教育係に退いた私が非番だってのに呼び出されたんですけどー」
「何の事じゃ? 儂は今はまっとうなバイク屋じゃ。ポリ……国家権力に用もなくやって来られるいわれはないが」
「はいはい、そういうことは署でお願いしまーす。じゃ、パトカーまで」
「ふん、どうせ任意じゃろ、儂が拒否すれば……」
「してもいいけどガチ捜査入るよー。〝任意同行クイーン七生〟なら一番賢い選択は分かってるよねー」
「ぐぎぎ……その不名誉な名前を呼ぶな……」
「だ、誰でしゅかその人」
「はーい、私は刑事のお姉さんだよー。この女にちょーっと話聞きたいから連れてくねー」
剣呑な雰囲気を和らげるかのように優しい笑顔で千里の頭を撫でつつ、横目でちらりと煙を上げるドラム缶を見てため息を漏らす里香。
「はぁ、でーもま、あの狐久保七生の事だから証拠なんか何も残してやいないでしょ。お灸をすえたら二、三日で返してあげられるよー。心配しないで」
「わ、わかりましゅた……」
「じゃ、七生。表にパト停めてあるから」
「は、離せ! 国家権力の横暴じゃ!」
「大人しくしないと公務執行妨害つけるよ。じゃ、お邪魔しましたー」
「お、お父さん……七生さん連れてかれちゃう……」
「すまんな、連れていかれるのがこのみだったら別だが、お父さんは警察には立ち向かえない。七生さん、お勤め頑張ってください」
「まあ大丈夫でしゅ。それよりもなぜかここにある芋で焼き芋でもどうでしゅか?」
連れていかれる儂の耳に薄情な三人の声が届いた。というか芋は儂が用意したんじゃ! 焼き芋! 楽しみにしとったのに!
*
「かー、っぺ!」
喉に絡まった痰を全力の侮蔑を込めて調布警察署の駐車場に吐き捨てる。儂があの裏庭から連れ去られて二日。何の生産性も無い、苦痛なだけの二日間を過ごさせた忌々しい国家権力の建物を振り返り、思いっきり中指を立てる。畜生め、燃えてしまえ。
「あんたさぁ、いい年こいて何やってんの」
そんな儂に声をかけたのはあきれ顔の亜希じゃった。その横にちょこんと小ばかにした笑みを浮かべる千里も控えておる。
「クソを煮詰めたようなこの国の膿にファイティングポーズをとっておるんじゃ。戦う女・狐久保七生の邪魔をするな」
「ほんとにいい歳こいて何やってんでしゅか。迎えに来たボクたちが恥ずかしいでしゅ」
「うるさい。儂は何歳になろうとポリ公と戦うんじゃ」
「はぁ、こんなアホ迎えに来るために休み取ったのがほんと馬鹿らしくなるわ」
「ふん、誰も頼んどらん」
「とか言って、亜希しゃんに迎えて貰って嬉しかったんでしゅよね。出てきて亜希しゃんを見た瞬間に顔がだらしなく緩んでましゅたよ」
「何? どういうこと?」
「いらんこというでない!」
儂は口の軽すぎる千里の頭を思いっきり殴る。
「まぁアタシとしては二人が仲良くなってくれたようで何よりだけど」
「お、おう。その……色々あっての! 今じゃすっかり仲良しじゃ! のう! 千里?」
「そうでしゅね、秘密を共有するくらいには仲良しでしゅ」
頭をさすりながら恨めし気な視線を向ける千里。自業自得じゃろが。
「じゃ、二人が仲良くなったところでめでたくバンドは再始動って事で……」
亜希がそこまで言ったところで儂等の耳に、ドロドロとした油冷四気筒のいかつい音が聞こえてきた。
*
「す、すみません遅れました!」
いかつい真っ白のイナズマ400に跨って現れたのは誰であろうこのみじゃった。なぜかいじめっ子に荒らされたバイクの車体が綺麗に直っておる。
「あ、このみちゃんこっちこっち。大丈夫よ、ちょうど七生出てきたとこだし」
「このみ⁉ どうしてここに……」
「アタシ達が教えたのよ。アンタのお勤め中、このみちゃんずっとうちに泊ってたんだから。おかげですっかり仲良しよ」
「あのゴミ屋敷にか⁉ お主年端もいかん少女になんて仕打ちを……」
「ウチはゴミ屋敷じゃない!」
「いや、まぁ、亜希しゃんがそこまで強く否定する自信がどこから出て来るのか同居人としてちょっとは疑問ありましゅけどね」
「黙れ千里。とにかく、目の前でアンタが連行されて学校でも色々あって動揺してたこのみちゃんを、千里がお父さんと一緒にウチに連れてきたの。そこからはまぁ流れでね。いろいろ相談乗ったりしたんだから」
「その節は本当にありがとうございました」
「亜希よ、お主は流れで女子高生を囲う様な尻軽だったのかえ……」
「だってアタシ悪魔だし」
「で、でも亜希さんも千里さんも本当に親身になって話を聞いてくれて! 七生さんのガレージを開けてイナズマを直させてくれたのも亜希さんで……」
「おい亜希、なぜお主がうちのガレージの開け方を知っとる」
「だってアタシ悪魔だし?」
呆れた。儂の片恋相手は儂よりよっぽど反社じゃった。
「しかし……良く直したの。一人でやったのかえ?」
「お父さんと二人で……」
「そうか。なら何の心配もないのう。して学校の方はどうじゃ?」
「あはは……次の日はえらい騒ぎになってました。クラスメイトからはまるで腫れもの扱いだし……正直滅茶苦茶浮いてます」
「それは……悪い事をした」
「でも、いじめはなくなりました! 七生さんのおかげで。あれが正しかったのかはわからないけど、私、まだ学校に通えそうです」
そう言うこのみはどこか清々しそうじゃった。
「そうか……そうか……よかった……よかったのう」
泣きそうになってしもうた。歳のせいか涙腺が緩い。
「それにイナズマもありますし! 見てくださいよ。落書きは全部落として傷もコンパウンドしてシートも取り替えたんですよ? 自分であんこ抜きもしました!」
「ああ、見事な物じゃ。これだけできるなら儂はもうお役御免じゃな」
「何言ってるんですか。これからもお世話に……」
「いやいや、結局儂はただのバイク屋。整備を請け負う事はあっても基本的に客とは売ってお終いの間柄じゃ。これからお主がイナズマとの時間を作っていく中で儂との関わりなぞ、あった方が不健全という物じゃ」
「じゃ、じゃあ七生さんとはこれっきりでお別れって事ですか……?」
「七生なんか冷たいんじゃないの? このみちゃん可哀想じゃないの」
何も知らない亜希が口をとがらせる。ええい、儂だってこんな情の深い娘とこれでさよならなんて寂しいに決まっておろうが。
しかしさっきも言った通り中古バイク屋と客が必要以上に親密になったところで百害あって一利なし。ビジネスライクくらいがちょうどいいんじゃ。
そして人間なぞ、お互いを繋ぐ関係性が無ければ疎遠になっていくものじゃ。ならば寂しさを感じているうちにきちんと別れた方がいいに決まっておる。儂がそこまで考えたところで寂しさを紛らわすためにポケットの中に突っ込んだ手から何かくしゃりとした感触が伝わってきた。
「どう言われようと、儂はただの中古バイク屋で、お主はそこの客じゃ。それ以上でも以下でもない」
「はい……わかりました……」
「して、話は変わるがの。儂は最近糞みたいな悪友に引き摺られてバイクの他に新しい趣味ができたんじゃ。バンドなんじゃがな。来週吉祥寺で初ライブがある。どうやらこのライブ、客が来なければ赤字らしくての。どうじゃろうこのみ、バイク屋の客としてではなく、儂の友人として……ライブに来てはもらえんじゃろうか」
儂はポケットからいつか千里から受け取ったままのくしゃくしゃのチケットを差し出す。
「……はい! 絶対見に行きます! イナズマに乗って!」
*
それから五分後、大きな真っ白のバイクに乗ったこのみが国道二十号の車の流れに紛れて消えていくのを見送った。こんな警察署の駐車場の中では話しきれないことなど山ほどある。しかし、今生の別れではない。来週また会う約束がある。どちらが発したかはもう忘れたが「じゃあ、また来週」その言葉が儂は存外にも嬉しかった。
「ふぁーあ、じゃ、アタシ達も帰りますか」
亜希の一言で儂等も忌々しい警察署に背を向けて歩き始める。
「女子高生がいなくなっていつもの三人組になると途端に花がないでしゅね」
「何を言う千里よ。この二日間、狭い部屋で強面の刑事と問答しておった儂にしてみれば両手に花といった風情じゃ」
儂は苦笑しながら煙草を咥え、火を点ける。
「アタシと千里を素直に褒めるとか、あの七生が随分とまぁ丸くなって。警察で絞られた影響か、それともこのみちゃんの影響かな?」
「ふん、儂はそもそもが変化に対しては肯定的な人外じゃぞ。未だに過去を引きずるお主と違ってな」
「あー! またその話蒸し返すぅ⁉ 自分だって昔の特攻服引きずり出して暴走して楽しくなってたらしいくせによく言えるわね」
「別に楽しくなってなどおらぬ」
「ボクははっきり見たでしゅ。あれは明らかに楽しんでました」
「ほらほらぁ、目撃者もいるんだからいい加減認めなさいよ。過去は過去でいいもんでしょ。戻りたくもなるでしょ」
「たわけ、お主と一緒にするな。やはり儂にとって過去などたまに引っ張り出してもカビ臭いだけじゃ。もう特攻服も燃やしたしの」
「じゃあアンタがベースを弾く理由は何なのよ。まさか自分からこのみちゃんにチケットまで渡しといて、まーたアタシの付き合いでしょうがなくなんてほざいたら許さないから」
「ふむそうじゃな……儂がベースを弾く理由があるとすれば、お主とは真逆じゃ」
「真逆ぅ?」
儂は立ち止まって振り返り、煙草の煙を吐いて、バンドメンバーの二人を見据えて決意表明の様に口を開いた。
「今回のこのみの様に、売って終わりのバイク屋では叶わん新しい繋がりを求めて。いうなれば過去ではなく未来の為に儂はベースを弾くとするかの。無論、お主ら二人が付き合ってくれるのであれば、じゃが」
「ふひっ。七生しゃんにしては神妙でしゅね。反社もどきの珍走団OGの癖に」
「そーよ七生。アンタがそんなに殊勝だとなんか裏があると勘繰っちゃうじゃないの」
「じゃかましい! さっさと返事をせんか! 儂だって恥ずかしいんじゃ!」
「はいはい。アタシは異存ないわよ。アンタが見つけた理由なんだから大事に大事に育てなさいな」
「ボクはもとより七生しゃんの内心なんて興味はないでしゅ。好きにしてくだしゃい」
「そうか、なら好きにやらせてもらうとするかの」
儂は大きく伸びをして再び前を向き、歩き出した。
「ああそれと亜希よ、尻尾の根性焼きの痕じゃが、神力で保護して一生残すことに決めたからの、これから先、儂の尻尾を見ても気にせんでくれよ」
「へぇー別にどうでもいいけど尻尾に特別気を使うアンタがなんで?」
「気分じゃ、気分」
本当は千里の内面も、このみの内面も気づかず仙狐だなんだと奢っておった自分への戒めと、今言った新しい繋がりを求めてバンドをやるいう覚悟の証を儂の体に消えない痕として残したかった。
儂は変化を肯定する人外じゃが、それでも残しておきたいものはあるということじゃ。それに、あの亜希が儂の一番大事な部分に嬉々として煙草の火を押し付けたんじゃぞ? 思い出すだけで濡れる。ご飯三杯というものじゃ。消すのは惜しい。
「さてと、拘留も終わり、シャバで自由の身じゃ、存分に怠惰の限りを尽くすとするかの。おおそうじゃ亜希、どうじゃ? このまま朝まで酒など……」
儂が言い終わらない内に両手をがっしりと二人に捕まれた。そしてそのまま二人は儂を追い越して、引っ張って、先導する。
「何言ってんの。今からみっちり練習するに決まってるでしょ。アンタに自由なんて無いわよ」
「いや、儂、今警察から解放されたばかり……」
「ライブまでもう一週間無いんでしゅよ。ボクと亜希しゃんは二人で練習してましゅたけど七生しゃん一切練習してないでしゅ」
「とはいっても店も二日放っておるわけで……」
「問答無用、連行しまーす」
「い、嫌じゃ! 儂、やっぱりこんなバンド辞める!」
儂の叫びは虚しく響くだけじゃった。そして恐ろしい事に亜希の言葉は真実で、儂に自由は訪れんかった。まあそういうプレイだと思えば、興奮せんわけでもなかったがの。
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