第二十話 ヤンキー、女子高に出向く

 *


 翌日の昼。春の嵐が昨晩までの雲を散らしたか、抜けるような青空、ほの温かい日差し、こんなコンクリートジャングルでも立ち込める、むせるような生命の、春の先触れ。それを切り裂くように儂はバイクを走らせていた。目的地はもちろんこのみの通う女子高に向けてじゃ。


「イギャハハハッハハハハハアハ」


 右手のアクセルを開けると、いつだかレストアしたおんぼろバリオスⅡが唸りを上げる。250特有の回転数を上げた時の限界感。余裕の無い四気筒エンジンの唸り! これもまたバイクに乗る醍醐味の一つじゃ!

 サラシを巻いた上に纏った白の特攻服がバタバタと風にはためく。後ろを振り向くとこれまた似たような特攻服を着たバイクと車の集団が二十人ほど儂の後をついてくる。奴らが目指すのは一点、儂の背中に刺繍された爆音小町、天上天下唯我独尊の文字だけじゃ。まったく、血が滾るのう!


 *


「お、おるな、クジラクラウンが」


 学校の校門の前、時間通りに儂が率いるバイク集団が辿り着くとお目当ての車が目に入った。儂はその車を囲むように指示を出すと運転席の窓を叩いた。


「な、七生さん⁉ なんですかこれは!」

「うるさいぞカズノブ。今用があるのはこのみの方じゃ。このみよ、後部座席に移れるか?」

「は、はい……でも七生さんこれは……」

「説明は後じゃ。おい! 持ってまいれ!」


 儂の合図で暴走族集団に着いて走っていたバンの中からマネキンを数体持ってこさせる。


「このみよ、辛いじゃろうがお主をいじめていた奴の名前を全員、でっかくこのマネキン一体につき一人、書くんじゃ」

「い、嫌です! な、七生さん、私の為にこれやってるんでしょう? やめてください! そっとしておいてください!」

「思いあがるなガキが! 儂は好きでやっておるんじゃ! お主は黙って言われた通りにせい!」

「ヒッ……」


 怒鳴りつけるとこのみは半泣きになりながら渡したマジックでマネキンに名前を書き始めた。ああ、これで儂とこのみの関係も終わりじゃの。じゃがまあ、悔いはない。


「終わりました……」

「よし。もう帰っていいぞ。もし、興味があるならグラウンドの方を見とるがいい」

「七生さん!」


 踵を返そうとした儂をこのみの毅然とした声が引き留めた。


「私がお父さんにも言わずにいじめに耐えていたのは……正しい人間でありたかったからです。多分……七生さんが今からしようとしている行為は私の今までの頑張りを全部無駄にして、あのクソないじめっ子と同じところに落ちるような行為だと思います。それでも……」


 ああ、このみはこんなにも強い娘じゃったんじゃな。じゃが儂は冷えた口調で言葉を投げつけた。


「さっきも言ったじゃろう。これは儂が勝手にやることじゃ。お主のことなど何も関係ないわ」


 儂は名前の書かれたマネキン三体を回収すると今度こそクジラクラウンに踵を返し、マネキンの首を縄で括るとその先を儂のバイクの後ろ、タンデムバーに括り付けた。


「お前らしっかり見張っとくんじゃぞ!」


 バリオスⅡに跨り檄を飛ばすと儂の連れてきた暴走族は白煙と切れのいい爆音コールでもって答えた。

 儂は顔バレだけは絶対に避けるように真っ黒なスモークシールドのフルフェイスの中に白銀の長髪を収めて爆音のコールに背中を押されるように校門に向かって勢いよくバイクを発進させた。


 *


「なんですかあなた!」

「ちょっと! 止まりなさい!」

「警察呼んで警察!」


 儂の周りでようやく事態に気づいた学校の教員がわらわらと儂に近づこうとするが、それを蹴散らして儂はグラウンドへと辿り着き、思いっきりコールをふかす。うん年ぶりじゃが未だに儂のアクセルワークとクラッチワークは健在じゃ。空気をつんざくような甲高い騒音にグラウンドに面した校舎の窓がいくつも開き、大量の女子高生の視線が儂に注がれる。


「ふん、この中にこのみを自殺寸前まで追い込んだガキもおるわけじゃ。素知らぬ顔をして紛れおって。胸糞悪い」


 儂はバイクの後ろに括り付けた縄を纏めて持つと三体のマネキンがちょうど首吊りのような形になるようにその校舎に向かって高く掲げ上げた。


「どうせこの距離、文字は読めんじゃろうが今は便利なスマホでいくらでも拡大できるじゃろ。何なら動画も残せ」


 その上、校門の方からは大量の暴走族のコール音も響いておる、存分に恐怖しろこの糞共が。それから数十秒間儂がじっくりとマネキンとそこに書かれた名前を晒しておると、にわかに後方が騒がしくなってきた。


「やっと来たか。使えん教員じゃのう」


 見るとジャージを着た(体育教師じゃろか?)教員を先頭にさすまたを持った大人たちが何かを叫びながら近づいてきておった。儂はマネキンを放り投げバイクにまたがる。サーカスの始まりじゃ。ギアを入れアクセルをひねりバイクを発進させる。後ろに繋がれたマネキンが砂煙を立ててひきずられる。けけけ、市中引き回しの刑じゃ。


「げきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!!!」


 できるだけ恐ろしい奇声を上げたつもりが随分と情けない声が漏れた。歳かのう……。

 近づいてきた大人をまた引き離し、グラウンドの端が見えてくる。儂はその手前でスピードを落とさず後輪だけを滑らせてアクセルターンを繰り返し、地面に円を描く。白煙と砂煙がもうもうとたちこめ、さらにその中から耐え切れなかったマネキンの手足がちぎれて飛んでいく。その姿は嫌でもさらに人目を集める。いいぞ、狙い通りじゃ。

 そのままUターンして今度はさすまたをもった大人達へと突っ込んで行く。あわやぶつかる刹那、前輪ブレーキを思いっきり聞かせてジャックナイフを決める。突っ込んでくると思った大人達がバタバタと倒れる。

 全く愉快愉快。尻もちをつく大人たちをしり目に今度は暴走族伝統の蛇行運転、もちろんコール付きじゃ。甲高いエンジン音で水戸黄門と暴れん坊将軍をを奏でながら最早原型をほとんどとどめていないいじめっ子マネキンを引き回す。中々に象徴的ではないか。


「警察はまだか!」

「どうにかして止めろ! 授業中だぞ!」


 そうこうしている間にもグラウンドに詰めかける大人は増えておった。そろそろ潮時かの。儂はポケットから取り出したカッターナイフでバイクに括り付けられた縄を切り、ボロボロのマネキンを地面に転がす。


「仕上げじゃ! よう見とけこの糞共!」


 そう叫び、儂はもう一度アクセルターンを決めると転がるマネキンを一体一体バイクで丹念に轢き殺し、踏み潰し、原形をとどめないほどに破壊して止まった。立ち込める砂煙と排ガスの臭い、そしてさっきまで響いていたエンジン音の喪失からくる静寂。

 そんな演出の中で儂は校舎に向かって堂々と喉を掻き切り、親指を下に向けるジェスチャーを決めた。次は無い。もし次このみに手を出せばこうなるのはお主らじゃ。

 ここまでやれば猿でも伝わるじゃろう。儂は特攻服をひらめかせてバイクに跨ると、ウイリーで集まった大人を再度蹴散らしてグラウンドを立ち去った。

 くたばれ糞学校が。


 *


「姐さん! ポリ公が近づいてますよ!」

「分かっとる! 各々散れ! 上手く撒けよ! 捕まらなければ勝ちじゃ!」

「押忍!」


 儂の一声で二十台余りの暴走族は蜘蛛の子を散らすようにてんでバラバラに逃げて行った。これではおっとり刀で駆け付けたパトカーなんぞに捕まることは無いじゃろう。儂はほっと胸をなでおろした。


「いかん、儂も逃げなければ。なんせ主犯じゃ。臭い飯は食いとうない」


 慌ててバイクを発進させようとした時、タンデムシートに一匹の黒猫が飛び乗ってきたかと思うと、ぼふんと間抜けな音を立てて千里の姿になった。


「ふひひ、中々面白いもの見せてもらったでしゅよ」

「姿が見えんとおもっとったが猫の姿で見物しとったんか」

「でしゅ」

「ならそのまま猫の姿で逃げい。ポリ公に捕まると厄介じゃぞ」

「ボクには珍しくなんだか楽しくなってきたんでしゅよねぇ。だからこのまま主犯の後ろに乗ってお祭りに参加したくなりましゅた。逃げ切る自信ないんでしゅか?」

「ふん、舌かんでも知らんぞ」

「ふひっ。化石みたいなこと言いましゅね」

「決めたお主は途中で振り落とす」


 儂は思いっきりアクセルを開け、入り組んだ路地へと逃げ込んだ。


 *


 ぱちぱちとドラム缶の中で炎が爆ぜる。ついさっきまで儂の背中をビシッと彩っておった爆音小町の文字が焼けていく。儂は煙草を吸いながらそれを見るともなく眺めておった。ここは儂の店、フォックステールモータースの裏庭、横にはさっきまで一緒にパトカーに追い回された千里がおる。


「ふひひ、七生しゃん。結局いじめっ子は殺せなかったでしゅね」

「本当に殺せるわけないじゃろが。儂は腐っても神使じゃぞ」

「腐ってる自覚はあるんでしゅね」

「うるさい」

「でもあのマネキンは面白かったでしゅね。どこから調達したんでしゅか?」

「あれは昔、この店でバイクと一緒にウェアを売ろうとしたときに仕入れた残りじゃ。結局売れんし、飽きて倉庫の隅に転がっとった」

「あの暴走族は? というかあの人達はうまく逃げれたんでしゅかね?」

「あれはゾッキーではない。ただの儂の知り合いじゃ。それこそ亜希のこだわっとる四百年前の味方やら敵やら、この店の客やらツーリング仲間だったりする奴等じゃ。全員人外じゃからまあうまい事逃げられるじゃろ」

「良く全員特攻服なんて持ってましゅたね」

「あれは儂が昨日ドンキを駆けずり回って集めた」

「張りぼてもいいとこでしゅね」

「いいんじゃよ。今の時代、そんな張りぼてを見抜ける者すら少なくなったからの」


 儂はにやりと笑って千里を見た。千里も同じように笑う。あのスタジオ練習から儂等の間にあったわだかまりのようなものは共犯者になった事で消え失せたように感じた。まあ儂の勘違いかもしれんが、それもそれで一興じゃ。


「……すいません。開いてたので勝手に入ってきました」


 悪ガキの顔で笑い合っていた儂と千里に遠慮がちな、しかし凛とした声が降ってきた。慌てて振り返る儂と物陰に隠れようとする千里。


「こ、このみ……」


 そこに立っていたのはもう二度と会うことは無いと思っていたこのみと、ついでの様に立っているカズノブじゃった。


「七生さん、今回の事、やっぱりどうしても言いたいことがあって私、お店に来ました」

「おいこのみ……」


 思い詰めた様子で喋るこのみを制しようとするカズノブ。


「いやよい。儂はこのみを一人ではいじめに負けて命すら絶ちかねん弱虫じゃとレッテルを張った。さらに上から目線で勝手に同情して短絡的に今回の事を起こした。自己満足の極みじゃ。このみには怒る権利がある」


 このみは涙目で儂を睨んだ。


「私はこんなこと頼んでないです! 私はこんなこと考えても無かった! 野蛮で、暴力的で、法律も破って、他人に迷惑をかける方法大っ嫌いです! あんなやり方……でも……でも……」


 このみは耐え切れず涙をこぼしながら上体を倒しながら、なおも言葉を続けた。


「でも! わたし……! ありがとうって気持ちしか湧いてこなかった! 七生さんのバイクがマネキンを踏み潰すたびにありがとう! ありがとう! って心で叫んでた! 私、本当は怒らなきゃいけないはずなのに……全然……そんな気持ちになれながっだぁー!」


 ぐちゃぐちゃに顔を崩してそう叫んだこのみ、そこで初めて儂は好みの姿勢がお辞儀じゃという事に気づいた。やっぱり儂は人の心の機微など、欠片もわかっておらなんだ。

 泣きじゃくるこのみをカズノブが優しく抱きしめる。


「いいんだこのみ、いいんだ。正しさも強さも大事だけど、お前が辛いなら、そんなこだわり、捨てていいんだ。ごめんな、お父さん何もしてやれなくて」


 そういうカズノブも泣いていた。全く持って美しい光景じゃ、バイク屋の裏庭でさえなければ。これが本当に終いじゃ、儂は学校相談員でもここは家庭裁判所でも駆け込み寺でも戸塚ヨットスクールでも無い、ただの中古バイク屋じゃぞ。そんな野暮も、儂は心地よく感じながら煙草の煙を吐いた。


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