第十七話 春の嵐


「アタシ、ハイライト党なんですけど」

「儂は赤マル派じゃ。一箱やったんじゃ、文句を言うな」

「ったくもー」


 まだぶつくさ言いながらも亜希は百円ライターで火を点ける。儂も習ってジッポで煙草の先に火を灯す。しばしの間、変化を解いた白銀の狐と漆黒の悪魔が紫煙を吐く音だけがだだっ広いガレージに木霊した。


「尻尾」

「……見た通り、まだ灼けとる」

「ならよかった」

「心境は?」

「そちらも変化なしじゃ」

「そっちは残念」


 亜希の煙にため息が混じった。


「なあ亜希よ。そんなに過去にこだわりたいか?」

「こだわりたいよぉ。アタシ、まだあそこで止まってるもん」

「どういう事じゃ?」

「四百年前の名前も無いようなごちゃまぜのオカルト大戦。あの日々がさ、やっぱり楽しかったんだよ。アタシの生涯の最高新記録。それはまだ更新されてない」

「儂とつるむようになってからもか?」

「もちろん」


 今度は儂の煙にため息が混ざった。そんな儂に苦笑しながら亜希が言う。


「七生は前にアタシらみたいなもんは存在しているだけで意味があるって言ったけど。アタシにとってそれは違うの」


 灰を落としながら亜希は続ける。


「存在しているだけじゃ死んでるのと一緒。四百年前アタシ達は確かに生きてたじゃん」

「なんじゃ、今の生活に文句のない儂への皮肉か?」

「違うわよ。アタシはそう思うってだけ。だからバンドやりたいのよ」

「そこがわけわからんのじゃろうが」

「アタシさ、バンドをやるって決めた日に凄いライブ見たんだ。路上の弾き語りで、客はアタシ一人だったんだけど。心ガッツリ持ってかれちゃった」


 煙草を灰皿に投げ入れ、二本目に火を点けながら熱っぽく話す亜希。


「だから思ったんだ。音楽なら、バンドなら、四百年前で止まってるアタシの生涯の最高新記録を塗り替えられるんじゃないかって。人外三人なら永久にバンドを続けていけるでしょ? 常に最高新記録を更新しながら生きていける。そうなったら最高じゃん?」


 仲違いしていたことなど忘れたように笑って夢を語る亜希。本当に良い顔をしておる。元々はこんな笑顔に惚れたのじゃと思い出した。しかし、言うべきことは言わねばならぬ。


「儂はその考え方は嫌いじゃ。過去に囚われておるだけにしか思えん。つまりはバンドとはサヨナラじゃ」

「あー、やっぱそこ勘違いしてたか」

「何がじゃい」

「別にアタシの考えに共感なんてしなくてもいいのよ。七生は七生の、ベースを弾く理由を見つけりゃいいの。大人なんだから、自分のケツくらい自分で拭きなさいよ」

「ふん、それでマウントとったつもりか。自分でケツを拭いた結果がこんなバンドやってられるかと言う結論じゃ」

「それはダメー。アタシが認めません。七生はアタシと一緒にバンドをやるの」

「ふん……よしんばそんな理由が見つかったところであの礼儀知らずのクソ猫がおる限り儂が戻ることは無いわ」

「あー! また千里の事馬鹿にして! それマジで良くないからね。ほんとガキだから」

「事実を言う事の何がガキなんじゃい」


 雑魚猫の話になった途端、今までのいい雰囲気を吹き飛ばし怒り始める亜希。面白くないの。


「千里の切れた理由も知らないで礼儀知らずだのなんだの言ってるのがガキなのよ」

「知らんわ、あんな木っ端の心情など。儂が慮る物ではない」

 大体なんで亜希はあのクソ猫をあんなに庇うんじゃ。面白くないのう!

「あーもう切れた! これ絶対言うなって言われてたんだけど言うわ。アンタみたいなカス言わなきゃわかんないだろうし」

「何をじゃ」

「アンタが茶化した千里のあの喋り方はねぇ! 母親に殺されそうになってその傷がもとで舌が半分以上無いからああなってんの!」

「……?」

「あの後、なかなか帰ってこない千里を探しに行ったときに聞いたのよ。アイツ多頭飼育が崩壊して家主が逃げたアパートで生まれたんだって。体が極端に小さかったせいで他の猫にさんざっぱらいじめ倒されて、ほとんど毎日ボロ雑巾みたいにされてたらしいわ。そんで食べるものもなくなった。いや、部屋にある食べ物は生きている猫だけになった」

「……」

「母猫は毎日一匹ずつ兄弟や、他の猫を食っていったらしいわ。もうほとんど動けなくなってた千里は一番楽だから後回しにされて、とうとう食べられる日がやってきた。それでも千里は最後に母の愛に賭けてみようと思った。蚊の泣くような声で助けを求め口を開けた。母猫はその中にある柔らかい舌から千里の事を食い始めたんだってさ」


 儂は煙を吐く事しか出来んかった。


「その後は結果しか話してくれなかった。とにかく千里はなんとか母親を殺して、その肉を食って生きながらえた」

「中々に壮絶じゃな」

「アンタ蟲毒って知ってる? 百匹の毒虫を共食いさせて最後に生き残った一匹が神霊になるって呪術。それと同じことが起こって千里は妖怪になった」

「しかしあやつは六十年を経て妖怪になったと……」

「普段わかりやすい嘘をつくのは本当に隠したい嘘を隠す為でしょ。こんな話、誰だってしたくないもの」

「むう……」

「千里言ってたわよ。あの時の七生の目は自分をいじめてきた猫にそっくりだったって。上から目線で他人をものとしか見てないって」

「ふん、過去には多少同情するがそれはとんだ眼鏡違いじゃ。今しがた、儂はいじめに苦しむ女子高生を救ったところじゃ」

「それ、本当に大丈夫なんでしょうね」

「な、何がじゃい」

「アンタみたいな冷笑系のバカが、ほんとにいじめなんか解決できんのかって話よ。そうやって全部分かった様な振りしてると、そのうち痛い目見るわよ。じゃあね」


 そう言って亜希は乱暴に煙草を灰皿に押し込むと帰って行った。



 亜希の襲来から一週間が過ぎた。季節は本格的に春めいてきて、それなりにバイクが売れ、ありがたい季節。しかし儂は近所をバイクが通る度、あるいは制服少女を見かける度にざわつく心を抑えきれずにおった。


「このみは……大丈夫じゃったんじゃろか……」


 あれ以降、井上一家からの連絡はない。売ってお終いのバイク屋なんじゃから当たり前じゃが、それでも気になった。もうそろそろ学校が始まっていてもおかしくない頃合いじゃ。亜希の言葉を聞いてから何か嫌な予感がぬぐえずにおった。そんな儂の心持を表すかのように店番をしながら覗く今日の天気は強風と雨が容赦なく街を襲う大荒れじゃった。


「春の嵐じゃのう。流石にこんな日に来る客もおらんか」


 儂が早々に店を閉めようとした時、おずおずとドアベルが鳴った。


「おおこのみ! どうしたんじゃこんなにびしょぬれで!」

「あ、すいません。バイクで帰ってる最中に降られまして」

「バイクは雨に弱いからのう。それでイナズマの調子はどうじゃ。いじめっ子共をビビらせられたか?」

「あ、あの……その……イナズマの事で相談が……」

「お、不調か? それとも立ちごけでもしたか? 大丈夫儂が全部直してやるぞ!」

「あ、あのその……ウグッ……ぐじゅっ……」


 何かを喋ろうとしたこのみは見る見るうちに目に涙をためたかと思うと思いっきり儂の胸に顔をうずめて泣き出した。


「うぐぇ……ごめん……なさい……ええぇん……七生さんと……お父さんが……頑張って作ってくれたイナズマ……私のせいで! ……台無しに……しちゃったぁ……!」

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