第十六話 あんこ抜き

「ごめんお父さん! 気持ち悪いってのはその、言葉のあやで!」

「いやいいんだこのみ、気持ち悪いよな……そうだよな……」

「カズノブよ、そういつまでも不貞腐れるでない。最後の仕事が残っておろうが」


 そういって儂はカズノブの前に最後にイナズマに取り付けることになっておるシートを放り投げた。


「そのまま取り付けてもいいんじゃが、なんせこのみは女の子じゃ。足つきは少しでもいいに越したことはない。と言うことであんこ抜きじゃ。お主一人でもそれくらいはできるじゃろ?」

「あんこ……抜き?」


 このみが首をかしげながら尋ねてくる。


「シートの中のスポンジを乗り手の体系に合わせて削るんじゃよ。そうすることで足つきが良くなるんじゃ」

「で、でも、お父さんにそんなことできる……?」

「このみよ、カズノブを見くびるでない。それくらいはできる奴じゃ」

「それも愛娘に気持ち悪いって言われましたけどね……」

「阿呆が、さっさと立ち直れ」



「まずはシートをフレームに仮止めしてこのみの乗車ポジションを見ていこうか」


 カズノブは言うが早いかあっという間にシートをイナズマの車体に組み込み動かないように必要最低限のボルトで留める。


「じゃあこのみ、乗ってみて」

「う、うん」

「うーん、お尻の所を下げてシートのサイドを削ればもっとストレートに足が降りて足つきが良くなるかな。よし、もういいよ」

「え、今ので分かるの?」

「まあ慣れだよ慣れ」


 カズノブがバイク好きの子供の笑顔でこのみに話しかける。まったく、こう見とる分には幸せな家族ではないか。


「次にシートを外して表皮を剥がしていく。これは再利用するから丁寧に」

「え、さっきつけたのにもう外しちゃうの?」

「はは、バイクいじりなんて遠回りばっかりだよ」

「うわぁ……私、好きになれなさそう」

「大丈夫、気づけばこのみも好きになってるさ。なんてったって俺の娘だ。それに、万が一、好きになれなくても、お父さんも、七生さんもいる。心配することないさ」


 言いながらカズノブは手際よくスッスとシートを剥がしていく。


「中のビニールはいらないから外して、削る部分をマーキングしていく」


 表皮の下から現れた黄色いスポンジに直接黒のマジックで線を引いていく。


「よし、こんなもんかな。七生さんワイヤーブラシあります?」

「あるが、カッターナイフでざっくりやってしまえばいいのではないか?」


 すっかり傍観者と化していた儂は工具を適当に詰め込んである段ボールからカッターナイフとワイヤーブラシを取り出しカズノブへ渡す。


「あはは、でもこっちの方が綺麗に、滑らかに仕上がりますから」

「親馬鹿じゃのう」

「このみがバイクと直接触れる部分ですから。気持ちよく、ストレスフリーで乗ってほしいじゃないですか」

「ちょっとお父さん……恥ずかしい……」


 まったく、甘ったるいホームドラマじゃ。その後も儂が入る余地のない家族の会話が続いた。飯の話やテレビの話、進学の話や亡くなった母の話。しかし、カズノブはこのみがバイクを欲しがる理由を一度も話題に出さなかった。このみも、一度も口にしなかった。二人ともいじめが原因という事は痛いほど知っているというのに。


 親に心配をかけまいとしたのか、それともいじめられているという学校の弱い自分を知られたくないのか、このみの真意は分からん。しかしそれでもこのみは親に助けを求めなんだ。それをカズノブは最大限尊重した。この親馬鹿が、どれほど助けを求めて欲しかったか、察するにはあまりある。しかし家族でも、家族だからこそ軽々に言ってはいけない、踏み込んではいけない事がある。


「このみ、頼りないお父さんだけど、お前の事を心底大事に思っている人間がここに一人いるって事だけは、絶対に忘れないで欲しい」


 カズノブがあんこ抜きしたシートをバイクに取りつけながらぶっきらぼうに言った。瞳を潤ませるこのみ。ここで儂が何か言うのは……まったくもって野暮という物じゃった。



「さ、モノが完成したんじゃ。さっさとそれに乗って帰れ帰れ。儂は眠い」

「は、はい。七生さん。何から何まで本当にありがとうございました」

「なに、仕事を手伝ってもらったのは儂の方じゃ。感謝などこちらがしたいくらいじゃて。報酬を渡せんのが心苦しいくらいじゃ」

「いや、無理を通したのはこちらなので……」

「という事で報酬替わりと言ってはなんじゃがの、お主の夢をかなえてやろう」

「は?」

「そこの裏口を開けてみぃ」


 ハテナマークを浮かべながらドアを開けたカズノブが驚きで大きく震える。


「お、俺のクジラクラウン⁉」

「そうじゃ。今日の夕方、このみに協力してもらって儂が店まで移動させた。お主本当に癖が凄い旧車乗っとるの、視界狭すぎて歩行者二、三人轢くかと思うたぞ」

「はは、まあそれが理由で不人気だった車ですから……」

「親娘共々不人気車を愛するのは遺伝子の不思議じゃの」

「でも、なんで俺の車をここに?」

「お主言っておったじゃろ? 富士山を見に行きたいとな。じゃから今から行くんじゃよ。父娘水入らずで。深夜で高速も下道も空いておるから初心者のこのみにも安心じゃ」

「そ、そんな急に! 明日も仕事が……」

「私が……七生さんに頼まれて会社にインフルエンザにかかったから明日から三日間休むって電話しておいた……」


 申し訳なさそうにそう言うこのみ。


「そ、そうは言ってもイナズマだって整備したばっかりで」

「実は日中、テスト走行をしておる。問題無しじゃ」

「こ、このみ……」

「私は今春休みだし七生さんから聞いてたから準備OKだよお父さん。道も……全部頭に入れてある」

「さあてカズノブ。ここまでお膳立てされて、それでも日和るかの?」


 幾分逡巡した後、大きなため息をついてカズノブは顔を上げた。


「……はぁー。このみ、初心者なんだからとにかく安全運転だけを考える事。それだけは絶対に約束してくれ」

「じゃあお父さん!」

「おう。二人で富士山見に行こう。そんで旅館に泊まって温泉三昧だ」


 諸手を上げて大声で喜ぶこのみ。その姿に安堵しながら儂はガレージの隅に隠してあった大きな段ボールを二人に渡す。


「これは?」

「まあなに、儂からの納車祝いじゃ。このみ用のライダースグローブとフルフェイスヘルメット。それと安物じゃが二人分のインカムじゃ」

「わ、悪いですよ!」

「案ずるなこのみ。これくらいの物を渡しても利益が出るようにはイナズマの値段を設定してある。悪いと思うなら悪徳バイク屋に割高の金額を払ったカズノブに感謝してやれ」

「……ありがとうございます!」



「じゃあ行ってきます! 本当に、本当にありがとうございましたぁ!」


 そう言って井上父娘は時代錯誤の乗り物に乗って儂の店から去って行った。まったく疲れた客じゃった。これが最後じゃが儂は学校指導員でもここは家庭相談所でも戸塚ヨットスクールでもなく中古バイク屋じゃぞ! 


 ……じゃがまぁ楽しかったのは事実。今、寂しくないと言えば、嘘になるな。いつもであれば、亜希を呼びつけて酒盛りをして寂しさを紛らわせるのじゃがの。

 そう思ったからかどうかは知らんが店に戻ろうとした儂の背中を少しずつヘッドライトで照らしながら近づいてくるエンジン音が聞こえてきた。ああ、姿を見ないでもわかる。儂が格安で売ってやった空色のヴェスパ。跨るのは今絶賛仲たがい中の霧島亜希じゃ。


「あ、生きてた」

「なんじゃご挨拶じゃな」

「何よここ一週間、一切連絡つかないから心配して来てあげたのに」

「ふん、本業の方が忙しかったからの」

「へー。アタシはてっきり絶縁宣言が応えて自殺でもしたのかと。しかしこんな場末の悪徳バイク屋が流行るなんて世も末ね」

「いや、マジで忙しかった。死ぬかと思った」

「……皮肉が通じないレベルで忙しかったってのは伝わったわ。それで? 旧友の為に仕事終わりに駆けつけてやったアタシに茶くらい出すんでしょうね」

「ふん、お主が茶を欲しがるようなタマか。それに今は午前二時じゃぞ仕事終わりと言うには遅すぎるじゃろうが」

「夜中に目が覚めたから来ました! てへ!」

「そんなことじゃろうと思ったわ。まあ、悪魔と仙狐が話すには妥当な時間かの」


 そう言って儂はツナギのポケットから煙草を取り出す。まだだいぶ残っとったはずじゃ。それを亜希に投げて渡す。


「ほれ、駄賃代わりにこれをやる。奥の喫煙所で一服するかえ」

「しゃーない、付き合ってあげましょう」

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