第十四話 なんじゃこれ、チャンスか?

「さて、まずいくつか説明しておくべきことがある」

「はい」


 ガレージでの試走を終えた儂とこのみは、先ほどと同じテーブルを挟んで向かい合った。今度はいじめの相談ではなく、バイクの商談のためにじゃ。


「イナズマじゃが車検は残っておるが、やはり売り物として納車前には儂の所で整備してからという事になるがそれでもよいか?」

「はい。問題ないです」

「うむ、そしてあのイナズマ、少しシートがガタが来ておってな。お主が良いならこんな感じのシートに交換しようと思うのじゃが……」


 儂は手元のタブレットを操作して、タックロールシートにカスタムした、ちょいワル渋めバイクの画像をこのみに見せる。普通のシートでもよかったんじゃがハッタリを聞かせたいのであればこういうチョイスになるじゃろう。


「わ、渋い、特攻の拓みたい……」

「お主、いじめられっ子の陰キャの癖にあんなドヤンキー漫画読んどるんか」

「い、良いじゃないですか別に。私はアレを読んでバイクに憧れたんです」

「なんと、井上このみは井上・セロニアス・このみじゃったか」

「やめてください!」


 親の影響でもあるんじゃろうかと儂はぼんやり思った。


「まあぶっ拓はともかく、シートがこれでよければ残るは無味乾燥じゃが大事な金の話じゃ。車体代、整備費用、パーツ代、工賃、車検を取り直すなら検査登録代行費用、自賠責、重量税。順番に説明するからよく聞いて帰るんじゃぞ。家に帰って、親に説明するのはお主なんじゃから。そして同意書にサインを貰えばこのバイクはお主のものじゃ」

「はい!」


 *


 翌日の昼過ぎ、呆けながら店番をしておった儂の耳に遠慮がちな声が届いた。


「お邪魔しまーす……」

「おう来たの、このみ。待っておったぞ。昨日の席に座れ。両親は説得できたのかえ?」

「はい! それはもちろん!」

「すんなり話が通ったようで何よりじゃ。未成年の場合、そこがネックになることが多いからの」

「ははは……私も意外でした。私小さい頃にお母さんが死んじゃっててお父さんと二人暮らしなんですけど……」


 このみは儂の示した椅子に座りながら話を続けた。


「ここ数年間まともに会話したことなくて。私と真逆の性格してるから……でも昨日私がバイクが欲しいって言ったら身を乗り出して聞いてきたんです。そして一も二もなく買ってやるって」

「ククク、なかなか子煩悩な父上ではないか。バイク乗りなのかえ?」

「ち、違います。乗るのは車だけ。それも古ーいオンボロセダンを未だに買い替えずに乗り続けてるんです」


 大げさに手を振りながら否定するこのみ。儂はその話に思うところあってクスリと笑みがこぼれるが、それに気づかずこのみは喋り続ける。


「昔〝なんで買い換えないの?〟って聞いたら〝めんどくさいから〟って言ってました。だから乗れればいいって考えの人なんだと思います。私ますますわからなくなっちゃって……まあ、お父さんからしたら私がバイクで事故っても別にいいなんて思ってそうだけど……」

「これこれ、そんなこと滅多に言うものではない。それに、考え過ぎじゃ」

「そうですかね……」


 古いオンボロセダンを走れるように維持する手間暇を知ったらこのみはおそらく腰を抜かすであろう。そんな不便な車に乗り続ける男が車を、乗り物いじりを嫌いな訳がない。父上は本当に嬉しかったのであろうな、自分が勧めた訳でもないのにバイクに乗りたいと娘が言い出したのが。


「ともかく、購入の目途がついたならなによりじゃ」


 その後、儂たちは終始楽しく雑談をした。楽しそうに喋るこのみを見て儂は一安心した。最初店に来た時のような切羽詰まった感じはもうない。一体なぜこんないい娘をいじめようと思うのか。しかしそれもあと僅か、春休み明けにはイナズマがそいつらを蹴散らすであろう。


 *


 次の日はあいにくの雨じゃった。


「流石にこの時間にこれでは客は見込めんな。ガレージに籠ってイナズマの整備かポンコツ在庫のメーター戻しと清掃でもすればよかったのう」


 儂は店のカウンターに腰かけ真っ暗な表を叩く大粒の雨音を聞きながらそう零した。


「しかしなんか今日は人が来る予感があったんじゃがのう。神通力もなまったか? まあ書類仕事が片付いたからよしとするか」


 諦めた儂がドアにCLOSEの札を掛けようと立ち上がった瞬間、一人の男がドアを開け、入ってきた。


「すいません遅くに。まだ大丈夫でしょうか」


 きらりと光る銀縁の眼鏡。その上にはジェルでオールバックに固められたパーマのかかった黒髪。サイドと襟足は綺麗に刈り上げられておる。服は体のサイズに合った濃紺のストライプスーツ。ちらりとスーツの隙間から覗く腕は浅黒く焼けており、血管がミミズのように走っておった。胸もしっかりパンプアップ。高めの位置に取り付けられたネクタイピンにはエルメスのロゴが儂を睨みつける。いかにもデキる営業マン。悪く言えば体育会系の性欲だけで駆動するビジネスマシーンといった風体じゃ。なんじゃこのお手本のようなプルゴリは。


「お、おお。平気じゃぞ。それでご用件は?」

「娘が買ったというバイクを見せていただきに来ました」

「娘……と言われてもの……名前は?」

「井上このみです」


 なんと! この性欲駆動体育会系営業ヤリチンマシーンはこのみの父親であったか! このみは知らないだけで異母姉妹が滅茶苦茶おるのではないか?


「あの……何か?」


 見た目だけで失礼な連想をしまくっていた儂の態度を訝しんでかこのみの父上が怪訝な声を上げる。


「いや、何でもない。このみのバイクが見たいんじゃったな。ガレージにあるからついてまいれ」


 眼鏡の奥の品定めするような視線を感じながら儂はこのみの父上殿をガレージに通し、イナズマにかけられたカバーをめくった。

 しかし、こやつもしかして本当は儂を狙っておるのではないか? 浮気の虫は結婚してからが本番じゃともナックルズに書いておったし、あんな見た目じゃ、きっとゴリゴリに女遊びしまくっとるんじゃろ。

 それに娘のバイクを見に来たなんて理由がまさに怪しいではないか。娘を心配する素振りを見せて善人だと思わせてからの押しの強いアタックで絶世の美女である儂をベッドの上に……。


「いいバイクですね」

「はっ! ……あっああ、そうじゃろう!」


 かーっ。バイクから誉めに入ったか! 慣れとるのう! ま、まあ? 悪い気はせんが……しかしこの男、ますます儂を抱く気じゃな? しかし残念じゃが儂の性的指向はレズビアンじゃ! 空手で帰るがよい!


「初年度登録が二十年近く前で走行距離が四万キロ。そこそこ走ってるのにフォーク滲みもオイル漏れも無い……」

「まあ儂が手をかけてきたからの。そのあたりの基本的なものは問題なしじゃ」

「店主さんの腕がいいんですね」


 ううむ腕を褒められると弱いの、普段周りにいる奴等は儂の店がいつ潰れるかで賭けをするような連中ばかりじゃ。絆されてしまいそうになる。


「娘は本当に良いバイクショップと店主さんに巡り合えたようで嬉しいです」


 うおー! こちらの気持ちが緩んだところに必殺体育会系スマイル! 精悍な顔つきの男がちらりと見せる少年の顔! いかん! 堕ちてしまう! 性的指向が、ストレートになってしまう! 


「な、なに。儂の腕など、た、大したことは無い」


 精一杯の強がりで顔を背けるがもうそれはその顔面を直視できないのと同義じゃ!


「店主さんお名前を聞いても?」


 親父殿ははにかんだ笑顔のまま聞いてくる。ヤバイ、あのあどけない顔と少しざらついた大人の雄を感じる声、それでこともあろうに儂の名前なんぞ呼ばれてみろ、ヤバイぞ。 


「な、七生じゃ。狐久保七生」

「七生さん……いい名前だ」


 アカン! もうアカン! レッドアラートじゃ! どうしてこんな天然女たらし色黒マッチョ下半身レーダー感度ビンビン男からこのみの様な陰キャのいじめられっ子が生まれるんじゃ! 遺伝子は不思議じゃの!


「七生さん、ぶしつけなお願いで大変申し訳ないのですが……」


 来た! 夜の誘いじゃ! すまんこのみよ。儂はお主のプルデンシャル親父殿ゴリラと不貞を働くぞ!


「娘のバイクを私に整備させてはもらえないでしょうか!」

「はえ?」


 全く想像していなかった方向の言葉が親父殿の口から飛び出し儂は一瞬呆けてしまう。


「どうか、この通りです!」


 スーツが汚れることも気にせずにその場に土下座する親父殿。前言撤回、この親にしてあの子ありじゃ。この思い詰めて話を進める感じはこのみとうり二つじゃのう。


「とにかく、その土下座をやめい。それから店内についてまいれ。どうも話が長くなる予感がする」


 どうやら、これはチャンスではなかったようじゃ。

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